生きる理由
――本当に姉さんはこの先にいるの?
伊織の導きに従って、八雲は黙々と南へ進む。その道中で声が響く。
それは今鳥が死んでから彼女の中で生まれ、囁き続けていた悪魔のものだった。
いる、と八雲はその声を強く否定した。不思議な確信だった。
どれだけ懇切丁寧な説得をされたとしても、伊織を疑うことはないと言える自信がある。
――――伊織は姉さんの姿を見たの?
知らないはずのことを知っている。そんなことはありえない。けれど、異性の心を視ることができるだろうか?
幼い幽霊と遭遇し詰問されることがあるだろうか?猫が人の体を借りて傘を差し出してくれるだろうか?
人並み以上に摩訶不思議に富んだ人生を送ってきた八雲は、伊織を信じていた。
この広く起伏に富み視界が良好とは言えない島で、伊織は自分を見つけ出してくれたのだから。
偶然というには低すぎる出来事を実現したのだから。きっと助けてくれる。知らなくても教えてくれる。
とはいえそんな神通力のようなものに頼りきっているわけでもない。あくまで根拠の一つに過ぎない。
伊織は姉と出会った。それが一番単純明快であり辻褄があう。
一歩一歩が姉に確実に近づいている。そう考えるだけで力が漲っていく気がした。
疲労しきったはずの足が動き、さらに早くなる。
――――――じゃあどうして、姉さんは伊織と一緒にいないの?
初めて八雲の足が止まる。姉の性格を考えれば、伊織と離れようとはしないだろう。
(……怪我をして歩けないのかもしれない。近くに誰もいなくて、伊織が私に助けを求めてるのかもしれない)
もしくは何らかの事情で別れることになってしまったのだ。心の声に無理矢理反論することで
八雲は自らを落ち着かせようとする。動きを止めた八雲の傍に、伊織が駆け寄ってきた。
「……ごめんね伊織。私は大丈」
頭を撫でようと手を差し伸べたところで、伊織の咥えているドジビロンストラップが目に入った。
平瀬村で消失したはずのもの。南に襲撃者達がいる証拠。伊織と斉藤らが出会っている証。
そして伊織が姉の所在を知っている理由。
『姉と斉藤が既に出会ってしまっている可能性』
「………行こう、伊織。姉さんのところに案内して」
それ以上のことを八雲は考えなかった。理性と本能が同時に拒絶した。それは、存在してはならない世界なのだから。
(姉さんに会えたら、思い切り喜ぼう。伊織にいっぱい感謝しよう。姉さんと一緒に誰かがいたら、今まで姉さんといてくれてありがとうと言おう)
悪魔の声が聞こえなくなり、八雲は未来を考えるようになっていた。いつかの夢で見たような理想の世界。
自分はサラをはじめとした友人達に囲まれている。家に帰れば姉がいる。いつもの笑顔で迎えてくれる。
不安も恐怖もない世界。その実現のためになら、折れた心が蘇る自信すら沸いてきた。
姉と一緒にいることができるなら、立ち上がれる。戦える。その理由もある。
「八雲くーーーーーーん!!」
夢想していた世界を壊した声に、そんなまさか、と八雲は後ろを振り返る。
一時間以上前に、自分が投げ飛ばしてしまった花井春樹が走ってくる姿がはっきりと見て取れた。
そしてその背後には巨大な『好きだ』の文字。
一条はどうしたのか、花井の声の大きさによる危険性、この島にきて初めて声が視えたこと。
様々なことが脳裏を駆け巡るがとった行動に迷いはなかった。
「伊織、ごめん。もう少し早く走れる?別の道はない?」
「ニャア!」
思えばこれまで伊織の示した道は、比較的凹凸の少ない、歩きやすい慣れたものだった。
しかし分かりやすい道故に彼に発見されてしまったのだ。捕まれば、力ずくでも連れ戻される。
即座に伊織は茂みに飛び込み、八雲はそれに従った。同じように花井も追ってくるが森の中に入ってしまえば
そうそう簡単には見つからない。互いの姿が見えない以上、花井が頼れるのは勘と音くらいであるが
八雲には花井の巨大な『心の声』があった。葉が生い茂る森林地帯においてすらそれは存在感を示しており。
彼女の逃亡を助ける力となる。花井から逃れることができたのは必然ですらあった。
「……視えない…もう大丈夫よ、伊織」
「ニャア」
肩で息をしながらも。安心感と花井への申し訳なさを同時に覚える。自分は卑怯だ。
しかし今は一刻も早く姉に会わなくてはならない。詫びるのはその後無事に彼に会うことができたら。
八雲は低くしていた身をおこし、再び伊織に指示を求めようとする。
時計の短針と長針が、12の数値で重なり合ったことに気付かぬまま。
―――――キンコンカンコン
『こんにちわ、刑部です。早速死亡者と禁止エリアの発表をしておこうか。
女子22番 ララ・ゴンザレス
女子11番 塚もt てん満
じylosh#8b0r#P-na@"ス!みS=k7s#=0Lto
....................
....................
* * * * * * * *
指先に感じる感触に神経が刺激される。気持ちがいいがこそばゆい。そして時々痛い。
塚本八雲はゆっくりとその目を開き、その理由を確かめた。
「……伊織…」
「ニャア」
舌や爪で撫でられていたのが先程の感覚の正体だった。何故自分はこんなところで倒れているのだろう。
何か自分には目的があったはずなのに。横たわる体を腕で持ち上げ、ひとまず立ち上がろうとする。
体を支える部位を腕から足に切り替える瞬間だった。
どすん。体が倒れ伏す音がした。まだ寝ぼけているのかともう一度やりなおす。
どすん。先程と同じ格好でいる自分がいた。
「あ、れ……なんで……?……!そうだ、姉さんのところへ行かないと…」
ようやく目的を思い出す。これまで以上に足腰に力を入れ、ようやく立ち上がることに成功する。
もう大丈夫だから、と笑顔で伊織に話しかけた。伊織は何も言わないまま再び先導していく。
歩き続ける中で、八雲は不思議と体が軽いと感じていた。いつもの癖で眠ってしまい
疲労が回復したおかげだろうと一人納得する。しかしやがてロスしてしまった時間が気になりだした。
太陽は傾き始めており一時間程度ではなさそうである。時計を確認するが、針は既に三時の場所を過ぎていた。
「……嘘…そんな…伊織お願い。もっと急いでもいい?」
八雲の願いが通じたのか、伊織は少しずつ足を速める。遅すぎず速すぎず、主人が満足できる速度に調整した。
残された距離と、彼女の体力を推し量りながら。
―――――やがて、主の言葉に従順だった猫の足が止まる。
「?伊織……どうしたの……?」
植物の根による地面の盛り上がりや、整った形で並び立つ木々により、今は山や森というより林にいることがわかる。
通ってきた道のコンディションに加え、先程の睡眠により体力的な余裕はまだあった。
自分を気遣う必要はないと説明するが、伊織は足を止めて動こうとしない。その視線は先の茂みを見据えているというのに。
「ニャー」
「……もしかして、この先に……?」
ドクン、と高鳴る鼓動を感じとる。責任を放棄し花井達から抜けてきたのも。
疲労していた体に鞭をうち歩いてきたのも、全てはこの瞬間のため。
殺し合いに参加させられてから、絶えず願い続けていた事が今実現しようとしている。この先に、姉がいる。
まだ姿を確認していないにも関わらず、やはり自分の判断は正しかったと八雲は既に確信していた。
傷つくことを意に介さず、彼女は眼前に立ちはだかる植物の集合体に体を埋める。
声を聞かせて。笑顔を見せて。私の名前を呼んで。
視界が覆われ、一瞬だけ世界が暗闇に包まれる。その先にあふれる光を目掛け、塚本八雲は地を蹴った。
――――――本当に、いるといいわね
いつの間にか聞こえなくなったはずの声が、再び心に響き渡った。
それは今まで以上に黒く、低く、自らを嘲笑う感情が込められていた。
「……………嫌」
地面の高低に従って、赤黒い小さな道が作られている。上流を辿ると、一筋の強い光が差し込んでいる箇所があった。
優しく、柔らかく『何か』を包み込んでいる。真紅に染まり、常人なら何か一目では分からないであろうそれを、八雲は理解できた。
最悪の姿で横たわる塚本天満であると。
「い、や…………姉さん!姉さん!嫌、嫌、嫌!いやあああぁぁぁぁっ!!」
あってはならない現実が目の前にある。必死でそれ否定しながら、八雲は姉に駆け寄った。
間近で見ることで、その凄惨さが八雲の瞳と心に強く刻み付けられる。
両腕はきつく縛られており、心臓の場所が特にひどく変色していた。
口や鼻腔から溢れた血で顔が赤く塗り固められている。一部だけが涙に洗われ色が薄い。
下半身は真っ赤に染まり、既に体中の血が流れ落ちてしまったものと思わせる。
激痛と恐怖で歪んだ表情と明るさを失った瞳が、圧倒的な暴力に脅かされ嬲りものにされたことを示唆していた。
「嫌……姉さん…嘘だよ…目を開けて……喋って…笑って…」
かすれた声で話しかけながら姉の体を抱きしめる。いくら呼びかけてもグシュ、と小さく気持ちの悪い音しかしなかった。
致命傷となったであろう胸部の傷跡が歪み、凝固せず残された血が溢れる音である。
「う……あ……ぁ……ぁ……ああああああぁぁっ!!!」
体温を帯びた涙で溶かされた天満の血が、少しずつ少しずつ八雲の体に移っていく。
体が汚れることも、誰かが悲鳴を聞きつけてやってくることも意に介さず八雲は姉の体を抱きしめ続けた。
いつか目を覚ましてくれる。あの笑顔を見せてくれる。
いなくなった人達の夢を見たと言った人がいた。どうか私にも見せてください
―――自分に不思議な力があるのなら、どうかもう一度姉さんと話をさせてください――
奇跡はなかった。眠ることなどできなかった。突きつけられる現実に対し、八雲は少しずつ思考を始める。
――寝てしまったのは、放送で告げられた姉の死に耐えられなかったから
――立てなかったのは、芯となる姉が抜け落ちてしまったから
――体が軽かったのは、もはや自分に残されたものは何もなかったから
殺し合いの舞台に用意されていたのは姉のいない世界だった。
いつかの少女がしたように、自分を苦しめるために一人ぼっちの世界を用意する必要などなかった。
塚本天満。彼女が一人いなくなるだけで、自分にとっての世界は全くの無価値になる。
姉の亡骸から始めて目を離し、そっと天を仰ぐ。差し込む光は眩しいはずなのに、
ちっとも目がつらくないのは自分が見ている世界に価値がないからだろう。
「おとうさん……おかあさん……おねえちゃん……」
家族の名をつぶやく。15年間育ててくれたことに感謝し、これからするであろう行為を詫びるために。
「……伊織……ありが、とう……でも、ごめんね」
いつの間にやら傍に駆け寄っていた伊織を見つめる。最後になるというのに曇った視界でその顔は見えなかった。
この地に一人残してしまうことへのほんのわずかの謝辞をこめて。
「サラ……高野先輩……俵屋さん……稲葉さん……東郷さん。仲良くしてくれてありがとう…」
一年間でどれだけ自分に友人が増えただろうか。男性に怯え臆病になりがちな自分がどれだけ救われただろう。
特に茶道部の二人には申し訳ないことになる。きっと諦めることなく頑張っているはずだから。
「一条先輩、花井先輩……あとはよろしくお願いします」
約束を破ることを詫びる。努力を怠るどころか自ら可能性を絶つことは最低の行為に違いない。
それどころか更なる困難辛苦を押し付けることになるのだ。
「………播磨さん…」
姉の死を知って、あの人は何を思いどう行動するのだろう。辛い思いをするのは間違いない。
きっと、その悲しみの前には自分の死など何の価値も持たないものなのだろう。
そう思うと、これ以上はないと思っていた心の痛みが少しだけ増した気がした。
「何度もゴメンね、伊織。最後のお願い。この場所を播磨さんに伝えてあげて。
…………きっと、姉さんに会いたがってると思うから」
ほんの少し。ほんの少しだけいい。姉の1%だけでもいい。自分の死を悲しんでくれたなら。
そんな願いをわずかに含め、大事な家族の一員に更なる難題を要求する。そんな資格はないと自嘲しながら。
「ニャ!」
しかし返事はNOだった。くす、と八雲は笑いわがままが過ぎたね、と謝り返す。
「……あとはもう、ないかな…」
目を瞑り、姉の笑顔を脳裏に浮かべる。口を開いて舌を突き出し、歯ではさむ。
少し力を入れるだけでも痛かった。だが辛いのはこれが最後。これを乗り越えて姉の傍に行こう。
舌からの出血で窒息死する苦しみは想像できない。けれどもういい。生きる理由は、もう失われたのだから。
―――自らに幕を下ろすため、八雲は顎に力を込めた。
* * * * * * * *
「あ、れ……」
何が起きたかわからなかった。静かな林の中で、伊織に見取られながら惨めに息を引き取る。
なのに何故自分は地面に倒れ伏しているのだろう。
諦めに支えられた負の覚悟はあったし、最後の最後で怖気づいたとは思えなかった。
舌はひりひりと痛むが、口の中に血の味はしない。
ふらふらと立ち上がりながら、八雲は背後に感じる気配に対し振り返る。
「……花井、先輩………」
怒りと焦り、そして安堵の混じった見たこともない形相で花井春樹が立っていた。
八雲の記憶には、彼がこのような顔つきで自分に迫ってきたことはない。
そして何故か、先程逃げたときは視えたはずの心の声がそこにないことに気付く。
「やくも、くん……!」
やっとの思いでひねりだした声、という印象を受けた。右手が強く握り締められ、わなわなと震えている。
それを見たとたん八雲は後頭部の鈍い痛みを思い出し、自分の試みが失敗に終わったことを悟る。
「君は……君は今何をしようとしていた!!言え!」
「わかりませんか」
彼は分かっていて聞いているのだ。八雲は自分でも考えられないくらい冷たい口調で言い放つ。
行為に到った原因もわかるはず。今度は外から見てもわからないよう、口の中だけで舌に歯を添える。
「やめろ!今度そんなことをしてみろ。無理矢理君の口を塞いででも僕は止める!!」
「……どうして止めるんですか?」
「君が好きだからだ。愛する女性を死なせたくない。他に理由などあるものか!」
告白の言葉を口にしたことを、花井は特に意識することはなかった。
自然と口から出た、裏表のないたった一つの譲れぬ理由。それが今の花井を動かす。
「私の、好きな姉さんは……もう……!」
下唇を噛み、八雲は再び視線を横たわる天満に向ける。その目から再び涙が伝った。
「……お願いします。放っておいてください。もう、いいんです。何もかも」
「もし君が生きるというのならそうしよう。だが、今の君を一人にはできん!
君が今死んでしまったら、今鳥は何のために死んだ!悲しむのも一人じゃない。
一条君、サラ君、高野君!彼女達に会ったら僕は何と伝えればいい!」
「会えなかったと伝えてください」
投げやりな答えに思わず花井は絶句する。そして八雲の心に巣食う、絶望という魔物を垣間見た。
これを祓わない限り、彼女は何度でも自分の命を絶とうとするだろう。
「君の帰りを待つご両親は、大事な子供を一度に二人も失うんだぞ!」
「……言ってませんでしたね。私と姉さんは、二人で暮らしていたんです。小さい頃から、ずっと」
「!………っ」
事故か何かだろうか。両親は既に他界している、という意味で花井は八雲の言葉を受け取った。
「姉の塚本君だって、そんなことは望むまい!」
「分かっています。こんなことをしたら絶対に怒られます。
……でもいいんです。私は、怒ってくれる姉さんがいる世界に行きたいんです!」
かける言葉はことごとく届かなかった。次の話に効果がなければ、おそらく自分は愛しい人の凶行を
止めることができないだろう。花井は心の中で腹を決める。
もし、彼女に死を選ばせてしまったら。花井春樹という人間も、もはやそれまでだろうと。
「知っているとは思うが……先程の放送で、周防の名が呼ばれた」
「!……」
わずかに、これまでとは違う反応。だがそれは花井と周防の関係を知る故のものに過ぎない。
「僕はとても悲しかった。今でも辛い。泣き出したい気分だ。……けれどそれをやらない。
何故か。僕には君を見つけるという目的があったからだ。つい数時間前、
この最悪の舞台で僕はやっとはっきりした目的を持つことができた」
「……」
座り込んでいる八雲の表情を花井は読めない。口元は見ることができたため確認するが、
特に不穏な動きは見せていない。花井は更に話を続ける。
「見つけて終わりじゃない。気持ちを伝えたい。放送を聞いてからは、君を救いたいという意欲も沸いた。
だから、それまでは周防のことで泣くつもりはない。目的を遂げられないまま泣いてしまい、
また優柔不断な僕に戻っては、周防は軟弱な僕の意思を思いっきり叱咤するだろう」
「同じように、姉さんが怒るから私に生きろと?……言いませんでしたか。私はそれでいいんです」
ここからが勝負。これで駄目ならば自分は無能だ。どうしようもなく馬鹿で愚かな学級委員でしかない。
そんな人間に大勢の命を救うなどできはしないだろう。
「君が死んでも塚本君が語りかけることはない。僕の言う周防は死の世界にいるんじゃない。
……心にいるんだ。十年以上、幼馴染『程度』の関係を続けてきた僕の心にすら周防がいる。
十年以上、たった二人で助け合って生きてきた君の心に塚本君がいないはずがない!」
「……そんなこと…私にはわかりません。いくら願っても、姉さんは……私に…語りかけてくれなんて…」
花井は一呼吸入れる。もう残された言葉は少ない。生きて欲しいという気持ちが伝わるように。
少しでも、自分の言葉に耳を傾けてもらえるように。慎重に言葉と心を重ね合わせる。
「試してみればいい。君の知る塚本君が、この島で何を思ったのか。考えてみてくれ。
そして人を探そう。ここに来てからの、塚本君を知る人を。そして比べてみればいい」
「……この島での……姉さん?」
自分達が知るのは『死』という無残な結果のみ。そこに到るまでに、彼女は何を思い行動していたのか。
友人や愛する異性、烏丸大路を探していたのだろうか。自分を探し、心配していてくれたのだろうか?
「もう一度聞こう。……まだ、死ぬつもりなのか?君に、未練はないのか?
斉藤達のような危険な輩や、先生らに対抗することを強要するつもりはない。それは僕の役目だ。
君は、君の願いを果たして欲しい。叶うことならば、行動を共にしながら。…どうだろう」
言うべきことは全て言った、と花井は口を閉ざす。思えば、彼女とこれだけ長く話した記憶は
自分にない。どことなく避けられているふしはあったし、茶道部の面々による妨害もあった。
だが今回はそれがない。気持ちが伝わらない言い訳にはならないのだ。
「私は……」
死刑判決を待つ囚人のような気分で、花井は目をつむり続きを待った。
「…姉さんのことを…私は知りたい…」
―――――ありがとう。本当にありがとう
* * * * * *
「姉さん……」
木を支えに姉の体を丁寧に寝かせる。その隣には、伊織がその存在を教えてくれたララ・ゴンザレスの体が横たわっていた。
頭部がひどく傷ついており、一般人から見れば天満以上に見るに耐えない有様だった。
八雲も花井も、発見当時になんとも思わなかったとなれば嘘になる。
だがやがて天満の腕にあった拘束が彼女にはないことを気付く。
そしてララの遺体に対する伊織の態度から、彼女の戦いを二人は悟った。
「ララさん。姉さんを守ろうとしてくれて、ありがとうございます」
花井が穴を掘る道具を探しに行く間、八雲は頭を垂れて何度も何度もお辞儀をする。
そして彼女の遺体に手を加えた。ハンカチで頭部を中心に汚れを落とし、
植物の葉や花で何とか飾ろうと努力する。吐き気に襲われ、空っぽの胃から液体だけ零れ落ちることもあった。
それでも八雲は作業を続ける。今の自分にできる唯一のことを。
花井が両手に何やらを抱え、慌てて戻ってくるまで彼女の死体洗いは続いていた。
「……花井先輩…その荷物…?」
「向こうに隠されていたものを、伊織君が見つけてくれた……おそらく…」
花井が所持していたものには八雲も見覚えがあった。斉藤達に襲われるまでは自らも所有していたリュックである。
ララの頭部の損壊状態。天満の命を奪った銃創と思われし傷跡。
そしてドジビロンストラップと伊織の存在。もはや斉藤達が犯人であることは疑いようがない。
持ちきれない荷物は隠しておいたのだろう。その中身に食料はなかったが水が、
そして八雲にとっては水より大事なものがそこにあった。
「これって……姉さん……!」
リュックに入っていた地図やメモ帳の中には、見覚えのある筆跡で描かれた文字だった。
見誤るわけがない。大事な大事な姉の字を八雲がわからないはずがなかった。
内容は禁止エリアや死亡者の名前といった、ありふれたものにすぎない。
だからこそ斉藤達はそこに価値を見出さず、残しておいたのだろう。
もしあのまま自殺していたら、こんな近くにあった姉の形見を見逃していたことになる。
「花井先輩……伊織…ありがとうございます……」
何度目かわからぬ涙を流し、地図とメモ帳を大事に大事に抱きしめながら、八雲は二人に心から感謝した。
やがて、それらをリュックに戻し、一際存在感を示す弓を八雲は手に取る。
「………この弓も…きっと姉さんが…」
「八雲君。残念だが、その弓は使えない。僕には経験がないし、そもそも矢先が玩具だ」
花井の言葉が届かなかったかのように、八雲は矢筒から先端が丸いゴムの矢を取り出す。
そしてそのまま流れるように矢をつがえ、弦をひきしぼり狙いを定めた。
(……姉さん……)
――――ヒュ!
カン、と一際高い音が鳴り矢が落下する。びぃんびぃんと木の枝が揺れていた。
偶然か、故意か。花井は恐る恐る八雲にそれを確認する。
「……八雲君、何を……狙った?」
「当たった枝の先にある葉です。……ごめんなさい、失敗しました」
やっぱり姉さんのようには…とため息をつく八雲を尻目に、花井は当たった枝までの距離を目算する。
十メートル以上は確実にある。二十メートルに達しているかもしれない。確かに外れたが、矢先は丸いゴムで、
空気抵抗を大きく受ける形になっているはずなのだ。これが鋭い鉄の矢尻だったらなら…少し背筋が寒くなる。
彼女が人を傷つける可能性が生まれたことに。
「八雲君。弓道の経験があるのかい?」
「姉さんと一緒に昔。でも、姉さんのほうが上手だったんですよ」
二度と戻らない過去を振り返り、再び八雲は悲しみを目に浮かべる。愚問だった、と花井は自らの質問を恥じた。
「そうか。……二人の埋葬についてだが、道具がない。だが安心してくれたまえ。素手でもこの僕が」
「花井先輩。一日だけ。一日だけ、待ってもらってもいいですか?……会わせてあげたい人達がいるんです。仲の良かった、先輩達と」
問題はあった。長く放置していればそれだけ二人の体は損壊が進んでしまう。
しかしやっと生まれた彼女の願いを無碍にしては、また逆戻りしかねない。花井はそれを受け入れることを決めた。
「姉さん、行くね。……荷物を借りるよ。きっと、戻ってくるから…」
「君の妹は僕が必ず守ってみせる。どうか安心して欲しい」
別れの挨拶をそれぞれ済ませ、二人はもう一度塚本天満の姿を目に焼き付ける。
心なしか、悲痛な表情が少しだけ和らいでいる気がした。手に入れた水で、顔だけは綺麗に拭うことができたためだろうか。
ドジビロンストラップを八雲に渡し、口が自由になった伊織が天満とララの体をもう一度ぺろりと舐める。
やがて二人は立ち上がり、歩きはじめた。八雲は何度も何度も、姉のいた方角を振り返りながら。
「八雲君。これからどうしたい?まずはその血をなんとか」
「……ここに来てからの姉さんを知ってる人を探します。それにサラも。そして、姉さんに会わせたい人達を。
高野先輩、一条先輩、沢近先輩、烏丸先輩…あと……播磨先輩を」
勇気が必要だった。周防の名を抜かす意味は説明するまでもない。
そして最後の一言は、今自分を支え、力になろうとしてくれている花井を裏切りかねないものだから。
だが、どうしても会いたかった。伊織の目で見た、昨日からの塚本天満を知るために。
それを言葉にして知ることができる可能性があるとすれば、あの人以外にはいないのだから。
「……わかった。ただしもう一度確認する。『死』という選択肢はもう君にはない。信じていいだろうか?」
「少なくとも、今は…ありません」
「それだけで十分だ。ありがとう。それとすまない。これで最後だ。一つだけいいだろうか?」
「…今から五分間の出来事を。目を瞑り、耳をふさぎ。君の記憶から消しさって欲しい」
花井の意味深な頼みを受けて、八雲はなんとなく首をかしげる。しかし彼の瞳はこれまで以上に
真剣だった。こくり、と頷いて八雲は背を向け両手で耳をおさえ、目を閉じる。
「こうですか?五分間?」
「ありがとう……感謝する」
花井は急ぎ身を翻し、八雲から離れていく。五十メートルほど離れたところで、とうとうダムの決壊が訪れた。
『ミコちゃーーーーーーーん!!!』
花井はその場に倒れ伏し、何度も何度も失った幼馴染の名を叫んだ。
辛くないはずがない。身を切り裂かれる想い、というのをはじめて経験した。
しかし誓った。まずは愛しい人を、と。今度こそ意思を曲げるわけにはいかない。
そんなわがままを、あの幼馴染ならばきっと許してくれるだろう。
悲しむそぶりを見せない自分の気持ちを悟ってくれるだろう。それだけは確信している。
状況に流されず、涙をこぼさず目的を遂行する。今、自分はそれをやりとげたと思う。
誇りと自信を持っていえる。だから今ここでようやく花井春樹は泣くことができた。
大気が震えたかのような咆哮を受け、何故先程は花井の心が見えなかったのか、八雲は理解した。
彼は本心ではずっとこうしたかったのだ。大事な人を失った悲しみを爆発させたかった。
それを理性で押さえ込み、逃げた自分を見つけるまで。命を絶とうとする自分を落ち着かせるまで。堪えてきたのだ。
彼は先程、周防との関係を幼馴染『程度』と表現したがそれはどれほどの苦痛だったのだろう。
誓いを守るため。一度決めたことを曲げないため。心に負担をかけてきたのだろう。
それだけの心が欲しい。それだけの精神を持つ彼のように強くなりたい。
八雲が花井春樹という一人の人間に持つ、初めての敬意だった。
* * * * * *
「すまない…君に偉そうなことを言っておきながらこのザマだ」
「ニャー!」
「……何のことですか?」
五分以上の時間が過ぎても、八雲は花井を止めなかった。彼ならきっと立ち上がる。
自分はそれを約束どおり、何もなかったかのように受け止めればいい。そう信じた。
そして実際、彼は自ら立ち上がった。顔に見受けられる涙の後は見なかったことにしておく。
「だいぶ時間をとらせてしまった。まずは、どこを目指すか決めよう」
「……えっと、禁止エリアと亡くなった他の方は…」
「大丈夫。記録がとってある。これだ」
差し出されたメモには、一度強く握りつぶされた跡があった。原因は考えるまでもない。
パソコンを所有しているはずの、冬木武一の名を認めると八雲に不安の色が浮かぶ。
「…一条先輩は、大丈夫でしょうか?」
「わからん。今戻っても合流できるか保証がない」
「ニャアニャア」
カリカリと八雲の膝を伊織がひっかく。八雲はいつものように頭を撫でるが、
それでも機嫌が治まる様子はない。
「…どうしたの?……あ、おなかがすいてる?…お水ならまだ」
「大丈夫、フランスパンがある。…ここに……む」
花井が制服のポケットから取り出したフランスパンは、これまでの花井の数々の行動により、
見るも無残な姿に変わり果てていた。焦りの色が花井に浮かぶ。
「……………フギャー」
「だ、大丈夫。元々硬いんだ。多少ほぐしたほうが……ははは…よし、休憩にしよう!」
食欲はなかった。姉の姿を思い出すだけで胃の中がどうにかなってしまいそうだった。
小さな会食会場でほんのわずかだけ食事を取り、八雲は姉のいた方角を眺めていた。
心は相変わらず傷ついたままだが、今は落ち着いている。だが、自分はいつまで保つだろう。
例えば、これ以上ないくらい姉の動向が全てわかったとき、自分はどうするのだろう。
例えば、姉の命を奪ったあの二人に出会ったら。彼らは姉の最期を知っている人間なのに。自分は落ち着いていられるのだろうか。
姉のいない世界で生きる理由。亡くなった姉に依存しきっている自分に、
そんなものがあるのだろうかと八雲は思う。あるとすれば、それはやはり姉しかいない。
矛盾するようだがそれが答えだった。姉の記憶を持つ人がこの島には大勢いる。
自分の知らない姉を知る人もいる。その記憶をなくして欲しくない。多くの人に、塚本天満という人を覚えておいて欲しい。
そして心に周防がいると断言した花井のように、自らの心にいるという塚本天満を確かめたい。
「それが……私の生きる理由」
見つけ出した答えが正しいか否か。この悲しみがいつか癒えるときが来るのだろうか。
姉のリュックを胸に抱き、八雲は残された休憩時間の全てを考えることに費やしていた。
【午後4時〜5時】
【H-03】
【花井春樹】
[状態]:肉体的・精神的疲労
[道具]:支給品一式(水1)
[行動方針]:一人でも多くの人を助ける事を強く決意
しかしまずは八雲優先
【塚本八雲】
[状態]:体力は回復、精神的疲労、血まみれ
[道具]:支給品一式(水2)、( 弓矢20本、全てゴム。ただし弓はしっかりしてるので普通の矢があれば凶器) 、ドジビロンストラップ
[行動方針]:ゲーム開始以降、塚本天満に出会った人間との接触
塚本天満と親しかった人間の捜索(高野、沢近、一条、烏丸、播磨)
友人の捜索(サラ)
[備考]:所持している荷物を天満の形見と認識。弓使用可だが精度に難あり。反主催までは思考の外
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