仏の矜持
西本願司は悩んでいた。
今にも一触即発の危機にある二人―沢近と播磨―をどうやって説得するか。
「放送を聞いてから」というその場凌ぎも甚だしい説得で何とか収まったものの、放送後にあらためて説得する自信は無い。
いや、むしろ誰かの名前が読み上げられることで、さらに事態は悪化するのではないか。
西本の頭は、そんな焦りで一杯だった。
時計の針を確認する。現在、十一時四十二分。
あと二十分足らずで、この不気味な沈黙が破られ、そして恐らくは二人を説得する機会が永遠に失われてしまう。
かと言って、播磨と沢近のどちらを説得しようにも、その間、二人とも黙って話を聞いてくれるとは思えない。
西本自身としては、何とかして沢近を説得したいと思っていた。
だが、先ほど見せた、怒り剥き出しの発言。
そして……(播磨関連以外で)普段見せていた優雅さの欠片も無い、他者の言葉がまるで聞こえていないかのような振る舞い。
ここに来るまでに何があったのか、彼は知らない。
だが、誰の目から見ても、沢近の言動は常軌を逸していた。
ふと、西本は両手に抱えたドラグノフ狙撃銃に目をやる。
自分の手には余る強力過ぎるそれと、『仏の西本』と言わしめた、有事にも柔軟に対応できる頭脳。
二つの“武器”を、いかにして用いるか。
説得が成功するかどうかは、この“武器”の使い方にかかっていると言っても過言では無い。
とはいえ、まさか銃で無理矢理沢近を武装解除させるわけにもいくまい。
そんなことをすれば、『殺人者・播磨の共謀者』という迷惑極まりないレッテルを貼られかねない。
半ば崩壊したとはいえ、自分は『西本軍団』のリーダー。
生き残ったメンバーでAV鑑賞会を開くという望みはほぼ絶たれたが、まだ死ぬわけにはいかない。
自分には、志半ばで倒れた同志の無念を晴らすべく、一人でも多くの生徒と共に生き残り、また同志らの冥福を祈るべく、秘蔵のコレクションを墓前に捧げるという“使命”がある。
西本がこれほどまでに真剣に悩んだのは、中学生の時に先生から没収された『幻のAV』を取り戻すために職員室に乗り込んだ時以来だが――
無論、彼自身にはそんなことを思い出す余裕など無かった。
「……残り十五分ダス。誰かがワスらを狙ってるかも分からんダスから、とりあえずホテルの屋上に戻るダス」
――二人の答えは、無い。
小さな溜め息をつくものの、気を取り直して二人に目を向ける。
「あと、周防さんの安否も心配なんダスが……」
銃を下手に構えた沢近の手が、ピクッと動いた気がした。
「沢近さん、周防さんはどうしたダスか?」
「……ハリー君と一緒にいたわ。それが何?」
まるでどうでもいいかのような答え方に西本は少しムッとするが、構わず言葉を続ける。
「……それは、周防さん本人がそう言ってたんダスか?」
「五月蝿いわね。どうでもいいじゃないの、そんなこと」
「おい、お嬢そりゃ」
「アンタは」「播磨君は黙って欲しいダス」
沢近の罵声を遮るように、西本が釘を指す。
「な……」
「播磨君、ワスは今沢近さんに聞いてるダス。余計な口は挟まんで欲しいダス」
「てんめぇ……」
西本自身としては、播磨の恨みを買うような振舞いはしたくなかった。だが、ここで話がこじれると時間が無くなる。
播磨の強烈な視線を肌に感じつつ、彼は沢近に質問を続けた。
「それで、ハリー君が周防さんと一緒にいる、と言ってたのはどっちダスか?」
「ハリー君よ」
「……そうダスか」
周防と二人で戻る筈だった道を、沢近だけが走ってきたことで生まれたひとつの疑惑。
その疑惑が、ほんの少し大きくなった。
「じゃあ、その時どうして周防さんはインカムに出なかったんダスか?」
「お手洗いだ、って言ってたわ」
「……!」
――疑惑は、一気に確信へと変わった。
「……そうダスか。沢近さん、ありがとうダス」
「別に」
「あと……申し訳ないダス」
「……はぁ?」
突然の西本の謝罪に、沢近の眉間に寄せられた皺が一層深くなる。
だが、当の本人は……
「…………今の言葉で解ったんダスが……」
西本は迷っていた。
今解った事実をこの二人に伝えるのが、果たしてどんな意味を持つのか。
殺し合いを避けるために取った行動が、別の意味で二人を……特に沢近を追い詰めることになるのではないか?
「……言いたいことがあるんならさっさと言ったら?」
だが、沢近の言葉で彼は決心する。
後戻りは効かない。だが、このまま最悪の結末を迎えるよりはマシだ。
かくして、『仏』の西本は、二、三度深呼吸をし……
「この近くに、ゲームに乗っている人が“播磨君以外で”少なくとも一人居るダス」
――はっきりとした声で、説明を続けた。
「だから、それはここに…」「だから、俺は違…」
「「え……?」」二人の声が重なる。
「二人とも落ち着いて聞いて欲しいダス。
まず、沢近さん……ハリー君は、確かに『周防さんはお手洗いだ』と言ってたんダスな?」
「ええ、そうよ」
「問題はそこなんダス。
実は、周防さんはここを出る前に、一度お手洗いに行ってるんダス」
「……!?」
「播磨君も覚えてるダスか? 出発前にワスが言ってた事」
「あー……おお、なんか「女のトイレは隙だらけだからホテルでしとけ」とか何とか」
「まぁ、そんな感じダス。
……大変失礼ダスが、沢近さんは三時間の間に、二度もお手洗いに行ったりするダスか?」
そう、それも誰が潜んでいるかも解らない屋外で。
「……まさか……!」
「そう、そのまさかダス。
もし、ハリー君がゲームに乗ってたとすれば……」
「美琴……!!」
思わず、自らの来た道を振り返る沢近。
一方、思わぬ形で自分に向けられた銃口が明後日の方向へと逸れた播磨は、チャンスとばかりに身構えた。
が……
「播磨君……今、動いたら撃つダス」
あろうことか、今度は西本の狙撃銃が播磨の側頭部へと向けられていた。
「な……! 西、てめ……」
「え……」
「西本ダス。言った筈ダス、放送があるまでは動かない、と。
……それに、今動くと、ワスが引き金を引くまでも無いダスよ」
「え、ああ、そうね。ヒゲ、逃げようったってそうはいかないわよ」
「くっ……!」
まさか、沢近だけでなく西からも狙われるとは。
播磨の目論見は脆くも崩れ去り、彼は握り拳を作ったまま両者を睨む形となった。
一方、播磨への怒りに凝り固まっていた沢近の精神を解きほぐす試みが多少なりとも成功したことで、西本はホッとしていた(実のところ、周防の安否で不安を煽った&西本が沢近の味方であるかのように見せただけだが)。
だが、ここからが問題だ。
続いて、『播磨への疑惑を晴らす』という、極めて難しいミッションを成功させねばならないのだから――
西本は、再び気を引き締めて、言葉を続けた。
「とりあえず、周防さんの安否については次の放送で分かるとして……問題は、三沢君の言ってたことダス。
沢近さん……今からワスの言う質問に、落ち着いて答えて欲しいダス」
「……どういうこと?」
「播磨君を追うためにここへ来たのはいいとして、沢近さんは周防さんがいなくなったのに気づかなかった。で、もしかすると周防さんはハリー君に殺されているかもしれない。
……どうして、二人で一緒に播磨君を追いかけようと思わなかったんダスか?」
「っ……!」
「沢近さんは美人で頭もいい、運動神経も抜群な、傍目から見ても素晴らしい女性だと思うダス。
けど……今の沢近さんは、播磨君への怒りのあまり、周りのことが見えなくなってる。そんな気がするダス」
「……何よ、一体何が言いたいわけ!? わたしが悪いって言うの!?」
「そんなことは言ってないダス。 少なくとも、悪いのはワスらをここへ連れて来た先生達とゲームの主催者……
そして、ゲームに乗った人たちダス」
「ほら、やっぱりヒゲが悪いんじゃない」「そこダス」
「え?」
「今から、ワスが推理したことを聞いて欲しいダス。
周防さんが無事かどうかにも関わってくることなんダスが……」
「……」
西本の目論見通り、沢近の反応には先ほどよりも棘が無かった。
やはり、周防を置いてきたという事実が彼女の自信を揺らがせているのだろうか。
不安定な精神に付け込むようで申し訳ないが、と西本は心の中で謝罪しつつ言葉を紡ぐ。
「さっき、三沢君は「播磨君がナイフを使って東郷君を殺した」と言っていたダスな」
「ええ、そうよ」
「播磨君も、そう聞いたダスな」
「……ああ」
「で、沢近さんの髪を切り落としたナイフは、“飛び出しナイフ”だったダスな?」
「ええ……って、何で貴方がそのこと知ってるの!?」
「少し前に播磨君から聞いたダス。ということは、その辺のことについては播磨君も
嘘はついてないようダスな」
「……あったり前だ」
「……で、もしかしたら周防さんから聞いてるかもしれんダスが、昨夜、このホテルで一緒にいた菅君や石山君が、“周防さんと播磨君が一緒に居た時に”殺されたダス」
「……!」
「だから、少なくとも菅君や石山君は、ここに居る三人以外の誰かに殺されたってことダス。
そして、もしも周防さんに何かあったとすれば……ハリー君が犯人である可能性は高いダス。
ともかく、ナイフを持っている人殺しは、播磨君だけとは限らんのダス」
「でも、それだけでヒゲが人殺しじゃない、って証拠にはならないでしょ!?」
「無論そうダス。けど、もし、沢近さんが来た道の方で、誰かが“飛び出しナイフ”で殺されていたら……という可能性は無いダスか?」
「そうだ! 西、よくぞ言ってくれ」「黙るダス」
「な……」
銃口を播磨のこめかみに押し付け、言葉を牽制する。
決して、二人の言い争いを許してはいけない。
あくまでも、質問するのは自分。三人の中でただ一人冷静な自分が、厳然たる事実を基にした
推論を導き出さねばならないのだ。
そんな決意と共に、西本の言葉はなおも続く。
「勿論、東郷君が飛び出しナイフで殺されていたら、播磨君が殺した可能性はぐっと高くなるダス。
けど、遺体を調べてみないことには何とも言えんダス。
それより、沢近さんが来た道沿いに、もしも誰かが、それも“播磨君が持っていた筈の飛び出しナイフ”で殺されていたら……」
極めて陳腐な推理だが、西本はあえてそれを繰り返す。
沢近の暴走を止められるかもしれない、そんな僅かな可能性に賭けて……
「……そんな都合のいいこと、あるワケ無いでしょ」
素っ気無く、沢近が言い放つ。
「確かに、この推理は穴だらけダス。それに、ワス自身も播磨君が絶対に人殺しじゃないとは言い切れんダス。
けど、もし、万が一、そうじゃなかったとすれば……」
「とんでもない勘違い、ってことが言いたいのね? ……まぁ、そんなことでしょ。
けど、わたしは“絶・対・に”コイツが人殺しだ、って信じてる。なのにわざわざ逃がすと思う?」
「逃がす必要なんか無いダス」
「ちょ……」
「これから、放送が終わり次第、ワスらは周防さんたちを探すダス。それまでは、播磨君はワスらについて来て貰うダス。
播磨君、ここを抜け出して誰かに会うつもりだったみたいダスが……誤解を解きたいのなら、従うしか無いと思うダスよ?」
「……てめぇ」
「まぁいいわ。わたしも、どうせならヒゲが人殺しだ、ってことを西本君にも認めて欲しいし」
「……とりあえず、放送を待つダス」
(十数分の説得では、これが限界ダスか……)
西本は、背中に流れる滝のような脂汗の感触を肌で感じながら、自らの行動を振り返っていた。
人殺しがまだいる場所にあえて向かうこと自体、愚の骨頂でしかないのは重々承知している。
だが、沢近の銃や自分の持つ威圧感充分の銃を見れば、反撃を恐れて手出ししないかもしれない。
何より、周防や三沢の身が心配だ。
そして……目の前でクラスメートが殺し合うなど、絶対にあってはならないのだ。
助け合うことがモットーであり、団員同士の喧嘩はご法度。
クラス(男子)の平和の象徴だった『仏の西本軍団』としての矜持が、彼・西本願司の心を辛うじて支えていた。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
【11時58分】
【播磨拳児】
【現在地:E-04 ホテル付近の路上】
[状態]:疲労、精神不安定
[道具]:支給品一式(食料5,水3)、インカム子機、黒曜石のナイフ1本(リュックは自分の手前に置いてる)
[行動方針]:放送後、とにかく天満を探す
[備考]:サングラスをかけ直しました。吉田山が死んだとは思っていません。
【沢近愛理】
【現在地:E-04 ホテル付近の路上】
[状態]:激しい憎悪、精神不安定、周防の安否を心配
[道具]:支給品一式(水2,食料5)、デザートイーグル/弾数:8発
[行動方針]:1.放送後、播磨が人殺しだということを西本に確信させた上で播磨を殺す。 2.周防の安否を確認する
[備考]:播磨が東郷を殺したと確信。
【西本願司】
【現在地:E-04 ホテル付近の路上】
[状態]:健康、激しい精神的消耗、肉体疲労&筋肉痛(多少回復)
[道具]:支給品一式(水4,食料4 ※水1と食料2は周防から預かり)、携帯電話、山菜多数、毒草少々、ドラグノフ狙撃銃/弾数10発、山の植物図鑑(食用・毒・薬などの効能が記載)
[行動方針]:1.播磨と沢近の殺し合いを回避させる 2.周防の安否を確認する 3.仲間を集める……
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