大人達の戦い
「塚本君が死んだ、か」
目の前のモニターに映る白い丸が黒に変わった事で、刑部は塚本天満の死亡を確認した。
天満にチャンネルを合わせていた盗聴器から最期に聞こえたのは、支給品であった猫の鳴き声。軽くため息をついた後で、ヘッドホンを耳から外した。
元々、この作業は主催者から派遣された要員が全てこなしている。問題とみられる情報が報告されるなどするまで、教師達は盗聴器から聞こえる音に耳をすます必要性はない。
しかしそれでも今、刑部を除く教師全員がヘッドホンを付けている理由はただ一つ。
他にできる事がないからだ。
「暇だな」
ふと横を見ると、珍しく笹倉が眉間に皺などをうかべている。ゲームが始まってから笑顔の絶える事がなかった笹倉が見せるにしては、不自然なものだ。
「うーん……」などとこれみよがしに唸る笹倉の顔を、刑部がのぞきこんだ。
「どうした、葉子。何か気になる情報でも入ってきたのか?」
他の者が皆ヘッドホンをつけている今の状況では、呼び名を変える必要もない。
笹倉は刑部の声に気付いた途端ヘッドホンを外し、いつも通りの笑顔を刑部に向けて、応えた。
「いえ。どちらかと言えば、……その逆です」
「逆?」
モニター上の城戸の位置を示す白点を指さし。
「はい。城戸さんが盗聴機に気付いた時には一体どうなるかと思ったんですけど、思いのほかなんの進展もなくて。結局、アレ以降は逆に慎重になっちゃいましたし」
そう言って、C-04の地点に指先の方向をずらした。約8時間前、城戸が播磨と遭遇した場所だ。刑部は何も応えず、自分のモニターへと視線を戻す。
「気になりますか? 拳児君の事」
その視線の先を見て、笹倉はさも嬉しそうに刑部に尋ねた。
「……このゲームが始まった瞬間から今まで、私は彼ら全員にとって平等な管理役だ。彼だけに余計な感傷を持つ様なマネはしないよ」
表情を変えぬまま、刑部が答える。
笹倉は嫌な顔一つみせず、むしろその笑顔は深みを増していった。
「まぁ、口だけならなんとでも言えますけどね」
「今日はやけにつっかかるね」
「こんな状況ですから、気分転換の一つもしたくなるんですよ」
「そんなものだろうか」
刑部が、他の教師達へと目を向ける。郡山、加藤の二人は相変わらず管理役としての盗聴作業に専念していて、谷はまた問題のファイルを見直している。姉ヶ崎の声は昨晩からしばらく、まともに聞いた覚えがない。
「まぁ、作業に没頭するのも一つの逃避ではある、か」
フン、と四人を鼻で笑い、刑部はまた笹倉と向かいあった。
「ところで、絃子先輩? 昨日言われていた情報漏洩の件、何の事だと思います?」
「……つまるところ、盗聴機についてだったんじゃないのか? 誰かが城戸君にその情報を与え、彼女に私達に対抗する勢力を率いさせようとした」
芝居がかった大袈裟なそぶりで、刑部は肩をすくめる。
「もっとも、肝心の城戸君がゲームに乗り気な今となっては何の意味もないがね」
実際、今この場にいる教師達全員が共有している情報から求められる答えは、そんなもの位しかなかった。
笹倉がつまらなさそうな顔でブーイングをだす。
「先輩らしくありませんね、そんな大味の推理」
「そうかな? これでいて結構、自信のあるものだったんだが」
やはり表情は変えず、至極冷静な返答。そうして刑部はこれでお喋りは終わりだとでも言わんばかりに、再びヘッドホンに手を伸ばした。
しかしそれは持ち上がる事はなかった。笹倉が、妨げる様にヘッドホンを軽く押さえていたからである。怪訝そうな目を向ける刑部に対し、笹倉はいつもと変わらない表情で語りかける。
「私はですね、先輩。何か、ゲームをひっくり返す様な情報が漏れたんじゃないかと睨んでいるんですよ」
刑部の顔が、明らかに歪む。
「……このゲームが開催されると告げられたあの日、私達は自分達の身の安全を得る為に43人の教え子の命を差し出す事に同意したはずだ」
「反対したところで、ゲームの開催は食い止められませんでしたけどね。ゲーム前の下見だと言われて、一週間前に初めてこの島に来た時、それを実感しました」
確かに、笹倉の指摘した通りであった。一人が反対したところで、その意見は反対した者共々処分されたに違いない。
例え全員が反対したとしても、全員が処分されただろう。
刑部達教師には、最初から選択肢など残っていなかった。ゲームの開催如何に関しては、完全に無力だったのだ。
「……」
「私、何かおかしな事言ってますか? こんな強制的な殺人ゲーム、対抗的意識を持つ人の一人や二人でたところでおかしな事じゃないでしょう?」
「確かに、そうだが……」
探る様な目で、刑部が笹倉の笑顔を覗きこむ。その表情は、不自然なほどいつも通り。
まるで何の不安も抱いていないかの様な笹倉の瞳が、今の刑部には直視できなかった。
「安心してください。私、絃子を疑ってなんかいませんから。もちろん私も、もう何もできそうにありません」
不意うちの様な言葉で、瞬間的に刑部の身体がこわばる。どちらの意味で言っているのか。笹倉の表情からは何も読み取れず、刑部は諦めて笹倉の瞳を見つめた。
先ほどまで普段と変わらないと思っていた瞳の中からは、しかしその一瞬だけのほほんとした光が消えている様に見えた。
刑部は、この会話の中で始めて笑みを浮かべる。笹倉も、少しも動じず微笑みを返す。
ヘッドホンを放棄し、脚を組んで。余裕たっぷりの仕草を見せて刑部は呟く。
「……そう、だな。初めからこのゲームは、私達がどうこうできるものではないだろうし。
若い者達の頑張りに期待、かな。盛り上げてくれなくては、今までの作業が報われないよ」
「そうですよね。でも、先輩のお話には一つだけ間違いがありますよ」
笹倉のその言葉に、刑部は再び眉間に皺を寄せた。
「なんだい?」
笹倉は本日一番の笑顔を浮かべ、刑部の全身をじっくりと吟味する様に見回して。
「先輩も、十分若いです」
真剣に、そう言い切った。
「……葉子がいうと、嫌味にしか聞こえないね」
ビィィィィィィーーーーーーーーーーーーー!
刑部が苦笑いしながらそう呟いたのを始まりの合図としたかの様に、教師達のいる部屋に甲高い電子音が流れる。
モニターの端には"ALERT"の文字が浮かび、これまでの沖木島のみの画像から、周囲の海も表示範囲とした画像にきりかわる。
「な、何だぁこりゃ!? 何が起ったっていうんだ?」
そう大声をあげ、最初に騒ぎ出したのは郡山だった。隣では冷汗をかきながら、加藤が食い入るようにモニターを覗きこんでいる。
「外部からの侵入者か? バカな。この場所がそう易々と見つかるはずが……」
「落ち着いて下さい」
抑揚の無い声を発したのは姉ヶ崎。
その場にいる全員の視線が姉崎に集まる。刑部、笹倉、谷が静かに見守る中、加藤はひきつった顔で姉ヶ崎の言葉に抗議する。
「し、しかしですね姉ヶ崎先生。もしも外からの介入を許しでもしたら私達の命が……」
「いいから何も出来ない人は黙ってください!」
普段では考えられない程の剣幕で、姉ヶ崎が大声をあげた。
「……」
ある者は驚きの目で、ある者は興味深げに姉ヶ崎を見る。姉ヶ崎は、そんな視線を気にもとめずに笹倉へと近づいていった。
「外部からの侵入への対抗策は万全。そうでしたね? 笹倉先生」
「え、ええ……。島の周囲10Kmは、空も海も常に監視がついています。こちらからデータを送信することで、防衛網を一点に集中させる事も可能ですよ」
「既にもう情報は送信済みだ」
切れ間なく、刑部が続ける。
「後は奴らが用意した、海上の監視役に任せれば問題無い。万が一取り逃したとしても……」
「わ、私達の責任ではありませんよね? ね!?」
取り乱している事を隠そうともせず、自己保身の事しか考えていない様な発言を続ける加藤に、刑部は侮蔑の目を向けた後。
「……そういう事になります」
そう言って、モニターの方へ視線を戻した。
「ふぅ……。寿命が縮むかと思ったわい」
額の汗を拭い、郡山が笑いながら谷に話しかける。
加藤はいまだ何か言いたげだったが、諦めたのか自分の席に座り、彼もまたモニターを見つめ直す。
全員の注意は今、謎の侵入者に向けて注がれていた。
※ ※ ※ ※ ※
一人乗りの小型ボート。中村が乗っているのは、何の武装もしていないそれだった。
沢近の携帯に仕込まれていたGPSからの信号が途絶えてからすでに約二十時間。
それまでの移動ルート、目撃証言、不審な船舶もしくはヘリの出入り。それらを総合すると、沢近の居場所は沖木島でまず間違いないと中村は判断していた。
「島まであと10Kmをきったか。マサル、そちらに異常はないか?」
『……ム゛。今のところハ』
別の舟に乗っているマサルが、無線で答える。
本来なら、この様な仕事はマサルの担当外だ。しかし沢近を心配して自ら名乗りをあげたマサルを、置いていく事はできなかった。
「油断するな。こちらの動きは完全に後手にまわっている。今回の接近はあくまでも偵察だ。危険を感じたら、すぐに引き返す」
『了カイ』
そうでなければ、マサルを前線には出さない。
沢近の父が海外にでている今、確かな情報もなしに勝手な行動はとれないからこその偵察であり、危険はないと判断したからこそ、連れてきたのだ。
気持ちが焦り、自分よりも先行していることが心配であったが、何度言ってもマサルは引き下がろうとしないため、中村はただ無事を祈るばかりであった。
「私達の、思い過ごしだったらよいのだが……」
例えば、いつも掴み所のない雰囲気を漂わせる高野の悪ふざけ。
例えば、美しい山猫による課外授業。
そんな楽観的な考え方をする余地だってまだ残されている。しかしナカムラの頭からは、もう一つの可能性が拭いきれなかった。
まことしやかに囁かれる、裏の世界の噂。
参加者として十代の若者を用意し、世界の名だたる富豪達が観戦者となり、ある者は純粋に殺し合いを眺める事を、またある者は膨大な額の賭博を楽しむ悪趣味なゲーム。
昔の仲間から流れてきたそれは、ただの冗談の様にさえ思えた。しかし、今では笑い話にする事もできない。
もしも本当に今回の失踪が噂のゲームと関係あるなら、すでに沢近の命はないかもしれない。
「最悪の状況、ですか」
そんな考えがナカムラの頭を一瞬よぎったが、すぐに気を取り直し操縦桿を握りしめる。
「いえ、ここはお嬢様を信じましょう。そして、ご学友達のことも」
そう呟いた瞬間、無線からマサルの声が響く。
『中村様っ!』
「どうした?」
マサルの声に焦りと恐怖を聞き取った中村は、緊張で身体をこわばらせる。
『海上に、小型船舶を視認。その数五……いえ、七艘でス!』
二、三艘であれば偶然一緒に存在していたという事も有り得るだろう。しかし七艘という数は、中村に危機感を抱かせるのに十分すぎる数だった。
「今すぐに退避しろ」
なるべく冷静を装い、中村が指示をだす。
『了か……いや、駄メ』
しかしマサルが返した言葉は、絶望的なものだった。
「何故だ?」
『どうやら、捕捉されたラシイです』
マサルと中村が乗っている小型船は、せいぜい時速60kmが限界。ちょっとした高速艇なら、容易に追いつく事ができるはずだ。捕捉されたということは、敵はRPG‐7のようなかなり大ぶりの重火器を保有しているのだろう。よりによってこの日本において、だ。
「まだ間に合うはずだ。全力で離脱せよ!」
最後まで望みを捨てない。それは中村が長い軍隊生活のなかで学んだ事。
しかし中村は勿論、現実は甘さを持たない事も痛い程知っていた。
『……中村様。マサルは、母のような立派な人間になれたでしょうカ?』
「!」
マサルの問いかけに、中村は喉をつまらせる。大きく深呼吸して、初めて出会った時と同じ穏やかな声を中村は絞り出した。
「……なれたさ。なれたとも」
『そうですカ。よかっタ。これデ、安心して逝けます』
最期の時とは思えない程の安らかな声に中村の視界は一瞬だけにじみ、しかしすぐに元の瞳を取り戻す。
『中村様は、離脱して今後の対応策をお願いします』
中村は、歯をくいしばり、マサルにかけるべき言葉を探す。思いついたのは、たった一言であった。
「わかった。だがマサル。最期まで、諦めるな」
『……ム゛』
全速で、中村は離脱を続けた。後ろであがる爆発も、なにもかも全て振りきって。
「クッ……!」
悲しんでいる暇などなかった。嘆きたいなら、全ての事が片付いた後で残りの一生を全てかけて嘆けばいい。
今しなくてはいけない事は、沢近をさらい、マサルを殺した奴らを突き止め、裁きを与える事である。
「早くこの事を旦那様に伝えなくては……」
正直、この件が沢近の家の力でなんとかなるという保証はない。何かこのゲームの主催者についての情報、そしてその行為が行われているという確たる証拠が手にはいれば話は違うだろうが、今の今まで隠蔽され続けたゲームの証拠など、そう簡単に見つかるわけがなかった。
しかしそれでも、と中村は思う。例え相手が強大でも、沢近やその大切な友人達をすくうためなら命の一つや二つ惜しくはない。マサルの仇をうつためなら、一人でも戦いをおこそうと。
中村の昔の血が今、久方ぶりに滾りだしていた。
※ ※ ※ ※ ※
警告音がなり止んで、暫しの静寂が管理室に流れる。
モニターを眺める笹倉が確認する様に、表示内容を読み上げた。
「接近していたのは小型の船舶が二艇。一機は撃沈。もう一機は、逃走しました」
「逃走!? 逃走だと! それは不味いだろう。そいつが、その情報を外に漏らしでもしたら……」
大声で叫んだのは加藤だ。肩はワナワナと震え、手は汗で湿っている。
郡山も立ち上がり、刑部に向かって情けない声で吠える。
「し、至急、追走して撃墜を!」
「その必要は無いでしょう」
慌てふためく二人を制止するかの様に、静かに呟いたのは谷だ。
眼鏡の奥の瞳は鈍く光っていた。
「た、谷先生。アンタそんな無責任な……」
「無責任なわけじゃありませんよ。情報操作は、今回のレベルなら上がどうとでもしてくれます。
侵入者は、逃げ出しました。もうこれに懲りたらこちらに逆らう様なマネはしないでしょう。ねぇ、谷先生?」
谷を擁護する様に、姉ヶ崎が続ける。
流れる汗をハンカチで拭いながら、加藤がなおも反論をくりだす。
「し、しかしですね? もしこれで、自衛隊などがかりだされるなんて事が起ったとしたら」
「防衛庁の上層部は、すでにとりこんである」
「……!?」
いきなりの発言に、皆の注意はその声の主に向けられる。そこには、冷ややかな表情を顔に貼り付けた笹倉の姿があった。
誰も一言も発せず、笹倉を見つめ続ける。全員の目が自分に向けられているのを確認してから、笹倉は再び笑顔を浮かべた。
「……のかもしれませんね。大丈夫ですよ。ほら、こんなメールが届きました」
そう言って、今この瞬間に届いたメールをメインモニターに表示する。
簡潔に一行、『通常業務に戻れ』とのみ記されている。
「まぁ、どちらにせよ私達がジタバタしたって事態は何もかわりませんし」
それを締めの一言として、笹倉は自分の席のモニターを見つめだした。
「そうですね。元の業務に戻りましょう」
刑部も、追随する様にヘッドホンを装着する。谷、姉ヶ崎の両名も通常業務に戻り、加藤と郡山だけが混乱したまま取り残されていた。
「……私も、そうしましょうかねぇ」
不安を取り除くように、加藤がわざと大袈裟に言葉を発する。しかし刑部、笹倉、谷そして姉ヶ崎の四人は何も応えない。助けを求める様に、加藤は郡山の方を見た。
「そ、そうですな! いやぁ、一時はどうなる事かと思いましたが……」
加藤と同じく動揺を隠せない郡山も、加藤に目を向け、酷く不自然な笑いを作ってみせた。
男二人の、延々と続く笑い声。
豪快なそれは、酷く滑稽な不協和音を管理室に響かせていた。
【二日目 午前:9〜11時】
【スズキマサル:生死不明】
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