Catastrophe






「……どうやらツキはまだ私にあるようだナ」
 ホテル跡を臨む小高い丘にある森の中で一人の男がそう呟いた。
 サングラスに隠された表情はわからないが、その言葉からは少しの安堵と酷薄な殺意が感じられる。

『じゃあなー! 後は頼んだぜー!』
『気をつけるダスよ! 危ないと思ったらすぐに連絡をいれるダス!』
『とにかく無茶すんじゃねえぞ、周防!』

 男の視界には大きく手を振りながらホテルを離れていく少女の姿と、その彼女をホテルの屋上から見送る二人の少年の姿が捉えられていた。

 ハリー・マッケンジーは考える。
 自分が生き残るために今一番必要なことは何か。

 今から1時間程前。
 ホテル跡を脱出したハリーは激しい疲労と睡魔に襲われ、ここから少し離れた場所にある一本の大木のウロの中で休息を取ろうとしていた。
 もちろんそんな危険な場所に長居する気などはなく、ほんの一休みのつもりで軽く目を閉じていた……はずだった。
 はっと気づいて時計に目を遣ったハリーの目に映ったのは6:25の数字。
 愕然とすると同時に己の迂闊さを呪いたくなったが、悔やんでいるその時間が自らの死に繋がる。
 ハリーはすぐさま荷物を掴んで全力でホテル跡へと引き返し、少女が出発する場面に出くわしたというわけである。

 彼らがまだここにいるということは、少なくともこの場所は次の禁止エリアではない。
 そして彼らの内の誰か一人を見失わなければ、地図を奪うチャンスを焦らずに待つことができる。


「さて、ドウスル……?」
 当面の爆死の恐怖から解放されたハリーは冷静な思考を取り戻して今後の行動方針を考える。
(先程出て行ったあの女……女子バスケ部の周防美琴か。聞くところによると格闘の腕はなかなかのものらしいが……)
 自分の知る情報を整理しながらまだ小さく見える周防の後ろ姿を見やる。
(残る二人は知らない顔だが、それよりもあのライフル銃が厄介だな。……やはりここは周防を追うべきか)
 次にホテルの屋上に視線を移し、まだそこにいる二人の人物と黒光りする長射程と思しき銃身に注目する。
(フム――決まりだな)
 遠目にしか確認できなかったが3名の人物について分析した結果、ハリーは次の行動方針を周防美琴の尾行と定めた。

 一度決断すれば彼の行動は迅速だ。
 ハリーはホテルの屋上から見られないように森の中を道沿いに走って周防の後を追った。 
(まずは十分にホテルから距離をとってからだ。そして確実に目的を遂行する)
 この機会を逸すれば聞き逃した放送の内容を知るのは難しくなるだろう。
 万が一逃げられたり、見失ったりすることがあれば自分は身動きすら取れなくなってしまう。
 ハリーは慎重に慎重を重ねて襲撃のチャンスを待つことにした。

(熱くなるな。Coolに……Coolに行け)
 自身に言い聞かせるダークシェードの奥の眼差しは獲物を捉えた飢えた狼の目そのものであった。


 ※   ※   ※  


「おいっ! 待てっての! どうしたんだよ沢近ぁ!」
 ホテル跡へと続く、森の脇を通る一本道。
 親友の金髪がどんどん、どんどん小さくなっていく。
 振り返りもせず、何かに憑かれたように走る今の沢近愛理には周防の声も届かない。
 ここへ来るまでもかなりのオーバーペースで相当に疲労していた周防は、沢近の俊足について行くことができず次第に距離を離されて、とうとうその姿を見失ってしまった。
「くっそー! こっちはすぐにでも充電器を取りに行かなきゃならねえんだぞ! バカヤロー!」
 ついに立ち止まり前屈みになって荒い息を吐いていた周防は、両手を振り上げて友人が走り去っていったホテルの方角に向けて悪態をつく。
 と、その拍子に肩に掛けていたリュックがするりと抜けて、トサッと地面に落ちてしまった。
「うわやばっ! 鎌石村着く前に壊しでもしたら洒落に……!」
 慌ててリュックを拾い上げようとした周防が腰を屈めたその時。
『ヒュッ!』
 突然、風を切る音が聞こえ、周防の頭上を何かが通り抜けていった。
「……え?」
 自分が攻撃を受けたのだと気づくまでに一秒。
 そして、その場所から咄嗟に地面に手をついて飛び退くのに更に一秒。
 伸身で大きく蜻蛉を切りながら周防は空中で直前まで自分がいた場所に何かが突き刺さるのを目にする。
「くっ……!」
 片膝をついた状態ながらどうにか転倒せずに着地した周防は素早く攻撃の方向を特定して敵対者に対し身構える。
『ホウ……やるナ』
 感心したような声を上げながら森から出てきたのはダークシェードに顔を隠した金髪の男。
 周防にも見覚えのある隣のクラスの留学生だ。
「アンタ……ハリー・マッケンジー君……?」
 敵の正体に周防は驚きを隠せない。
 それほど親しい間柄ではないが、女子バスケ部の設立に当たり間接的に自分達の面倒を見てくれていた彼は周防には悪い人間には思えなかったのだ。
「なんでアンタが……」 
 言いかけた周防の言葉が途切れる。
 その目は地面に突き刺さったあるモノを見つめていた。



  『信じたい。
 悪い人間ではない。
 きっと何かの間違いだ』

 周防の心の声が急速に小さくなっていく。
 西本にあれほど念を押された注意は完全に思考の外に消えた。
 全身の毛が逆立っていくのが自分でもわかる。

 このナイフ……!
 このナイフ! 
 このナイフはっ!!

「――おまえかぁっ!!」
 激昂し怒りの咆吼を上げながら周防は瞬時に間合いを詰め、拳を固めて眼前の金髪の男に突進していく。

 周防の出方を窺っていたハリーのナイフを構えた手が一瞬の躊躇いを見せた。
 正面から女性を傷つけることへの迷いか。 
 それとも投げナイフを持つ敵に向かってくる相手がいたことへの戸惑いか。
 いずれにせよ、その一瞬は近接戦闘の命運を分けるには十分な時間だった。
「ガ……? フ……?」  
 周防の鋭い中段突きがハリーの腹部へ深々とめり込む。


「うおおおおおっ!!」 
 更に腰を沈めると跳ね上がるように逆の掌底でハリーの顎を打ち上げ、体が開いたところに左右の連撃を打ち込んで行く。
 ハリーのサングラスが弾け飛び、手からはナイフがこぼれ落ちた。
 まるで烈風の如く攻め立てる周防の攻撃は止まることはない。 
 彼女にとって防具も無しに本気で生身の人間を殴るのは初めての経験だ。
 だが、それでも彼女に迷いはなかった。
 この男は大事な友人達の命を奪った。
 彼が泣いて許しを請うまでは殴ることを止めない。
 強い決意で周防はハリーを殴り続ける。
「……」
 その周防の拳をなす術もなくハリーは受け続けている。
「謝れ! 謝れっ! 謝れぇっ!!」
 死んでいった友人達を思いながら、周防美琴は絶叫した――。


『ガッ!』
 鈍い音がやけに大きく周防の耳に響いた。

「あ……れ?」
 突然、周防の目の前の世界が歪みながら暗転する。
 口の中に鉄の味が広がり、頬から鼻にかけて焼け付くような痛みが走る。
 反対側の頬にはそこにあるはずのない土と草の感触。
 ――自分が殴り倒されたのだと気づくまでには少しの時間が必要だった。



 やがて周防はようやく自分の置かれた状況を理解した。
「おかしい……な。こんな奴に、アタシが負けるわけない……のに」
 口元から血を流してよろよろと立ち上がり、周防は再び少林寺拳法の構えを取る。
 だが、周防が攻勢に移るより先に今度はハリーが動いた。
(はやっ……!)
 周防が反応しきれない程のスピードで踏み込んできたハリーは鞭のようにしなる回し蹴りを放つ。
 両腕を交差させて咄嗟にガードしても受けきれない蹴りの威力は周防の体を数メートル後方に吹き飛ばした。
 どうにか倒れずに態勢を整えて周防はハリーを見据える。
(何だ、今の蹴り……空手、じゃない)
 ハリーのファイトスタイルに思い当たるものがない。
 当然それに対する対処法も――ない。 
 周防は知らないことだったが、ハリーはアメリカで様々な格闘技を取り入れて自分のものにしてきた。
 言ってみれば彼のスタイルはボクシングやフェンシング、クラヴ・マガなどを下地にした『ミックスド・マーシャルアーツ』である。

「シュッ!」
 小さく気を吐いて再びハリーが迫る。
「くっそぉ!」
 周防は反撃を諦め防御に専念するが、それでも受けきれない、かわしきれない攻撃は彼女を追いつめ、やがて――。
『ガッ!』
 側頭部に受けたバックナックルの衝撃に周防は地面に倒れ込んだ。

 地面を転がるように距離を取り、おそるおそる上げた視線の先には冷たい眼差しで自分を見下ろす男の姿。
 そう、『冷たい』のだ。
 先程までのハリーからは確かに何らかの感情を読み取ることができた。
 だが今の彼には何もない――怒りでさえも。
 自分は彼の中の何かを壊してしまったのではないか?
 そんな考えが過ぎり、彼女の心に絶望と恐怖が広がり始めた時。 



『ゴッ!』
 再び衝撃が襲い、周防の目の前が真っ暗になる。
 つかつかと近づいてきたハリーの足が周防の顔面を力一杯に蹴り上げたのだ。
 顔を押さえて地面をのたうち回る周防。
 その彼女にハリーは無造作に馬乗りになると、情け容赦なく周防の顔面へと拳を打ち下ろし始めた。
「がっ! 待っ……ぐっ! やめっ……!」
 周防の制止の声は鉄拳の雨に遮られて言葉にならない。
 そのまま、数分間が過ぎ去り――ようやくハリーの周防を殴る手が止まった。
「……」
 無表情のままでハリーはじっと周防を見下ろしている。
 周防の唇が小さくピクッと動いた。
「……めん……なさい。アタシの……負け……です……」
 ズタズタに切れた周防の口から弱々しく漏れたのは、敗者の言葉……。
「……」
 するとハリーの目に冷酷な光が宿り、無抵抗の周防に再び拳による攻撃を再開し始めた。 
「やめてぇ! もう殴らないで! もう許してぇ!」
 痛みと屈辱と恐怖とが混じり合った叫び。
「……」
 その声にハリーはピタリと手を止め、無言で周防の上から降りて立ち上がるとどこかへ歩いていった。
 ようやく開放された周防は懸命に両腕を動かし、地面を這いつくばって少しでもハリーから遠ざかろうとする。
「もう、いやだ……。助けてよ、花井。花井ぃ……!」
 泣きながら周防が呼ぶのは子供の頃より彼女を守り続けてくれた優しく強い幼なじみの名前。
「逃げなきゃ……そうすれば、花井が……きっと花井が」
 今ここにはいない幼なじみの姿を求めて、周防は必死に前に進もうとする。
 その後ろからゆっくりと近づく金髪の悪魔には気づくことなく――。



『ヒュッ!』
 再び、あの風を切る音が聞こえた。
 続けざまに二度、三度――。 
「あ……れ?」
 背中に感じる焼けつくような痛み。
 それが何を意味するのか、今の周防には残酷なまでにはっきりと理解できた。
(ああ……アタシ、死ぬんだぁ……)
 全ての終焉を等しく知らせるその時が自分にも訪れたのだ。
 先に逝った友人達はどんな気持ちだったのだろうか。
「……花井、アンタはさ。好きな……子のこと、絶対……守りなよ。アンタはもう……十分に強いんだから……さ」
 瀕死の身体で大切な幼なじみに贈る激励の言葉。
「沢近、塚本、高野……。ゴメン、アタシの分までどうか、生き延びて……よ」
 動かない唇で懐かしい親友達に捧げる祈りの言葉。
「最後に、もう一度だけ……会いたかったなぁ……あそ、う……」
 そして、こぼれ落ちる涙にひとつの淡い思いを残して、周防美琴は静かに息絶えた――。


 ※   ※   ※ 


「花井――春樹に、麻生――広義か。フ……私も会ってみたいものだナ」
 服の埃を払いながらハリーは普段と変わらない様子に戻って飛ばされたサングラスを拾い上げる。
「――邪魔者には早急に消えてもらわなくてはならん」
 サングラスを掛け直して不敵に笑う。

 周防のところへ戻ったハリーはその背からゆっくりとナイフを引き抜いた。
 そして彼女の荷物を物色すると、その中に目的の情報と地図があることを確認して満足そうに頷く。
「それにしても、興味深いことを言っていたナ。充電器、鎌石村……か」
 周防の死体を一瞥して、ハリーは荷物の中にあったノートパソコンに目を向けた。
「何の役に立つかは知らないが、行ってみる価値はありそうダナ」
 北の空に視線を向けて、狼の目はすでに次の獲物を探し始めていた。


【午前:10〜11時】

【ハリー・マッケンジー】
【現在位置:E-03】
[状態]:疲労
[道具]:支給品一式*2(食料4、水5) UCRB1(サバイバルナイフ) スピーカー
     黒曜石のナイフ×5本(投擲用) MS210C−BE(チェーンソー、燃料1/4消費)
     インカム親機 、水1、ノートパソコン(バッテリー切れ)
[行動方針] :鎌石村に向かう。充電器を探す。 
[最終方針] :ゲームに乗る。常にクールに行動する。
[備考]:結城の傘を普通の傘と認識。

     【沢近愛理】
【現在位置:F-04】
[状態]:激しい憎悪、手、肩に傷(片方のツインテールをばっさり切られています)
[道具]:支給品一式(水2、食料5) デザートイーグル/弾数:8発
[行動方針] 1:ホテル跡へ行き播磨と決着をつける
2:天満らを一刻も早く捜す 3:嵯峨野をきちんと埋葬する


【周防美琴:死亡】

――残り22名




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