Defect






 歩けど歩けど広がる草原。塚本天満とララ・ゴンザレスは薄ら明るい東の空を背に前進していた。
二人は依然自らの勘や伊織の意向に合わせ、禁止エリアのG-04を避けつつ西に歩き続けている。
彼女達は月の光という自然の照明に助けられ、本当に何も無い草原でもそれなりに進む事が出来ていた。
しかし、当然ながら睡眠無しでの前進は体力を恐ろしく奪っていた。しかもそれは体力で天満を遥かに上回るララでさえもだ。
本来なら休憩……いや、可能ならば野宿をしたかった所だが、一面の草原では寝床を確保しようがなかった。
うかつに草に体を預けては風邪を引きかねないし、何より万が一"ゲームに乗った者"が居た場合、簡単に見付かってしまう。
その為、彼女達は休む事無く歩き続けていた。時折足元が草の根に引っ掛かるなどして、明らかにそのスピードを落としながらも。
「……大丈夫カ?」
「な、なんとかー……でも、早く道路に出たいね……」
「ソウダナ。もうすぐな気がするからガンバルゾ!」
溜まった疲れを120%顔に表した天満は足元を見ながら嘆く。彼女はもう何度も草の根に足を取られてしまっていた。
荷物をララに預けていたのが幸いだったが、それでも膝や肘のあちこちを擦り剥き、かなり痛々しい。
舗装された道路ならさすがに簡単には転ばないし、何よりスピードも上がる。彼女は今までの文明を享受出来た生活を渇望していた。

そんな矢先、聞き慣れたチャイムが鳴り響く。三度目となる放送は、この草原地帯にも伝わってきた。

第三回放送が終わり、少女二人はしばし立ち尽くしていた。また人が死んだのだ。
「今鳥君……舞ちゃん……菅君……石山君……」
天満の脳裏によぎるのは、在りし日の友人達。彼らは皆笑顔を浮かべて、素晴らしい友達だった。
彼女にとって最愛の妹や、想い人らの名は幸いにも読まれなかったが……それでも、天満が受けた衝撃は大きかった。
「イマドリ……」
その横で、ララもうつむいていた。彼女はよく今鳥をやっつけていたが、本当はあまり彼を嫌ってはいなかったのかも知れない。
事実、ララの表情は2-Dの同級生の死を告げられた時とあまり変わらないほどに暗いのだ。二人はしばし、押し黙ってしまう。

だが、そんな沈黙を破ったのもララだった。自分の腰の高さ程もない雑草に囲まれながら、ララは天満と屈み込んで地図を眺め始める。
「ハラミも、ナラも、ユウキも……イチ・ジョーもまだ無事ダ!ヨシ、今度の禁止エリアを確認したら行くゾ!」
多少なりとも無理をしているのだろう。すでにクラスの三人に一人が死んだこの状況、それでも死者が出るペースが落ちていないのだ。
「……F-02って、9時に禁止エリアになっちゃうんだ……今から行って、間に合うかな?」
「大丈夫ダ! 今から全力で走れば……」
力強く振り上げかけた拳を、ララは下ろす。彼女の視線の先には手も足も傷だらけの天満。
「……やっぱり、G-02で一旦休むゾ! 道を真っ直ぐ行けば家がアル!」
「ええっ!? た、確かにその方が早く休めそうだけど……でも、そこにカレリンは居そうなの?」
「……何となくいる気がしてきたゾ! なあ、ベントウ……イオリ!」
「ニャー!」
ララの呼びかけに伊織が応じる。天満は道中何度この光景に救われたことだろうか。そして、今回も……
「……ありがと、ララちゃん。伊織……」
いつもの元気は出ない。満面の笑みも作れない。それでも、天満は今出来る精一杯の笑顔でララと伊織に答えた。
何のことだ、と再び地図を見つめ始めるララと、急にそっぽを向いてしまう伊織。
彼女達の反応がおかしくて、天満は久しぶりに心から笑った。
それからそれぞれが自分の地図に禁止エリアの部分に線を書き入れ、放送後に必要な仕事は終わった。
ほっと一息つくと、突然腹の虫が鳴き始め、ララと二人で見事なデュエットを披露する。
「……お腹すいちゃったね」
「……飯にするゾ!」
「ニャー!」
朝ご飯はララの持っていた三つ入りのビスケットを分ける事にした。当然、一つは伊織の分である。
彼女らは先ほど伊織の声を聞いて思い出したのだ。今まで、伊織は何も食べていなかった事を。
今まで忘れていた事へのお詫びとして、まずは伊織にビスケットを渡す。
パリパリの皮を、柔らかい中身をむしゃむしゃと食べていく様子を眺めながら、天満とララも食事を始める。
ビスケットと言ってもフライドチキンのチェーン店にあるような物なので、小さい割にそこそこのボリュームだ。
甘いシロップが欲しいとは思ったものの、二人はしばし楽しい一時を過ごした。

 食事を終え、天満とララは再び歩き出す。
このまま休んでいたい気持ちもあったが、やはりこんな場所ではあまり疲れは取れないだろう。
それよりも、ちょっとした民家の方が確実に休める。彼女達はG-02を目指し更に西に歩みを進めていった。
鍵がかかっているのではと天満が聞けば、壊して入るとララが笑う。彼女の腕っ節の強さを知る天満には、何とも心強い返事だった。

それからしばらく歩き続け、待望の舗装された道路がはるか向こうに捉えられた頃、天満はそこに何かを見つけた。
彼女の両目の視力は2.4。意外と……いや、かなり優れている。見晴らしのよい草原ではその実力が十分に発揮された。
「ねえ、ララちゃん! あっちの方に誰かいるよ、二人も!」
「何!? イチ・ジョーか!?」
「ちょ、ちょっと待って……うーん、カレリンじゃないっぽいけど…女の子と、あと男の子も一緒だよ」
男女が一緒という事に、天満とララは少し安心感を覚えていた。その組み合わせでゲームに乗るとは考えにくい。
八雲や烏丸、播磨に一条……天満もララも他の者から聞きたい事は山ほどある。二人としては、是非とも接触しておきたい。
何より、特に天満は……今もクラスメートを信じていた。例え二人を殺したと言われる播磨にさえ、まずは話をしてみたいと思う程に。
「……あー、多分キヌちゃんと斉藤君だ!大丈夫だよ、キヌちゃんはいい人だし、斉藤君も結構優しいよ!
 ……斉藤君は、でっかい銃を持ってるけど……でも、大丈夫だよ!あれで悪いことするなら、まずキヌちゃんが危ないんだし」
「そうカ。でも、向こうはまだこっちに気付いていないんじゃないカ? とりあえず近づいてみるカ?」
「そうしよっか!」
天満とララは足どり軽く二人に近づき、時折声を出して呼びかけた。
そのうち鬼怒川がそれに気付き、足を止める。彼女は斉藤に対しその事を知らせる仕草を見せ、しばらくしたら手を振ってきた。
負けじと天満も手を振り、両者の距離は確実に狭まっていく。
笑顔で手を振る鬼怒川。それはゲームに乗っていない、いつもと変わらぬ証だ。天満達は今までの疲れも忘れて駆け出した。

そして、その足は止まる。斉藤に大きな銃を向けられた事で。

「さ、斉藤君。ここまでしなくても大丈夫じゃ……」
「おキヌ、油断しちゃだめなんだよ!もう俺達は失敗しないんだ!」
「で、でも、この二人は……」
アスファルトの道路からしばらく歩き、一行は木が密集した小さな林の中に集っていた。
そこに生えていた蔓で前に組んだ両腕を縛られ、天満とララは斉藤と鬼怒川の前に立たされている。
リュックは縛られる直前、鬼怒川により没収されていた。唯一の救いは……伊織が、没収の直前に逃げ出した事だろう。
斉藤はそれでも伊織を追いかけずこちらに銃口を向けていたが、それも幸いだった。お陰で伊織は無傷で逃げ出せたのだから。
……どこか焦りが窺える鬼怒川と違い、斉藤の顔からは殺意が満ちていた。震えることなく銃口をこちらに向け続けている。
「さ、斉藤君! 私達、何もしないよ? だから、離して……」
「うるせえ! いいか、今からお前らは俺達の質問にだけ答えろ! 変な真似したらその場で殺すぞ!」
ひっ、と天満は声を漏らす。一体斉藤に何があったというのか。こんな気迫……いや、狂気に満ちた顔は見た事が無い。

「……そうだ、俺はもう油断しない……絶対にだ……!」
薄ら笑いを浮かべ、ブツブツと呟く斉藤。それを見て驚愕したのは何も天満やララだけではなく……どうやら、鬼怒川も同じようだった。
斉藤は気付いていないようだが、鬼怒川から向けられる視線は、少なくとも"クラスメート"に対しての物には見えなかった。
「……よし、まずはお前らが今までに会った奴と、そいつの持ち物を言え。嘘言ったら殺すからな!」
「……私は、最初奈良君と吉田山君と一緒で……」
「そうか。で、吉田山はお前らが殺したのか? 奈良はどうした?」
「ち、違うよ! 奈良君は途中で会った梢ちゃんと一緒に無学寺に行って、つむぎん…結城さんを迎えに行ってるんだよ……
 吉田山君は…奈良君の話だと、刃物で、殺され、てて……」
「……私はユウキから聞いたガ、テンノージがこのゲームが始まってスグ、東の海岸で刃物で殺されていたラシイ。
 犯人は、ハリマだそうダ……それで、ヨシダヤマもハリマが殺したんじゃないか、という話ダ」
「……フゥン、播磨が、か……」
一瞬思わせぶりに笑って見せたが、すぐに斉藤は真顔…いや、狂気に満ちた顔に戻る。
「……ねえ、もしかして播磨君の事知ってるの? どこかで会ったの!?」
「黙れ! 質問に答える以外に喋るなって言っただろうが!」
銃を眼前にまで近づけ、斉藤が吼える。背丈の小さい天満に対し、銃はより大きく見えた。
その様子をララは睨みつけ、そして鬼怒川は…もはや直視しようとはしていなかった。

「……で、吉田山君が死んだのがF-06あたり、天王寺君が死んだのがG-09、ってことね?」
「うん……」
叫びすぎて疲れた訳ではなさそうだが、いつしか尋問は斉藤に代わり鬼怒川が行なうようになっていた。
鬼怒川は特に怒鳴りつける様子もなく、自分の地図を広げ二人に見せながら情報を聞き出していく。
同じ女性としての配慮なのか、鬼怒川は口調も質問の内容も落ち着いており、斉藤に比べ幾分天満達に気遣っているようだった。
そのお陰か、斉藤に対しかなり反発していたララも比較的大人しく尋問に応じている。
……そんな鬼怒川のこれまでの動きを見て、天満は一つの可能性を見出した。
鬼怒川は、好きでこんな事をやっているのではないのではないかと。
もしかしたら、斉藤に強要されているのかもしれない。自分でゲームに乗ると決めたとしても、斉藤程乗り切れていない可能性もある。
それに、斉藤が最初に言っていた「失敗したらダメなんだ」……彼らは、この島に来て酷い目にあったのかもしれない。
ならば、自分達が安全だと説得すれば、もしかしたら分かって貰えるかもしれない。
可能性は低いが、このままでは危険すぎる。いくら鬼怒川が優しくても、その後ろの斉藤の目は血走ったままなのだ。
「……ねえ、キヌちゃん。本当は、こんな事したくないんでしょ?」
「塚本! 関係無い事喋るな!」
天満が口を開くや響く怒声。斉藤はかなり厳しく尋問の様子を見ていたようで、こっそり鬼怒川にコンタクトを取る事すらかなわない。
結局の所、斉藤をどうにかしなければどうしようもないのだ。逆に斉藤さえ抑えれば、鬼怒川は天満達の味方をしてくれるかもしれない。
しかし、もし途中で彼の持つ銃で撃たれれば、きっと無事では済まないだろう。そして、それはいつでも撃てるよう構えられているのだ。
両手を縛られていては、せいぜい体当たりくらいしか出来そうに無い。銃相手では無謀としか言いようが無い手段だ。
完全な詰みだった。斉藤の狂気染みた瞳は、きっと自分達を生かして逃がす気など無い筈だ。
「……なあ、塚本。お前おキヌに何言ってんだよ……今すぐ殺すぞ!」
二人の間を行き来させていた銃口が、再び天満に向けられた。その恐怖は、先ほどの比ではない。天満は祈るように瞳を閉じた。

「フギャー!」
「うおおおああ!?」
自分にとって聞き慣れた奇声と共に、突如斉藤の顔に何かが覆い被さった。
喧嘩をする度にこんな奇声を発する者など、天満は一匹しか知らない。
「伊織!」
そう、伊織。リュックから逃げ出し、とっくにどこかに行ってしまったと思っていた。
どこかでチャンスを窺っていたのか?それともいつもの気まぐれか?
何にせよ、皆の死角から一気に斉藤の顔に張り付き、そして爪を立てた。
「ベントウ! ウオオオオオオオオオオ!」
その瞬間、響いた咆哮。ブチンという強烈な音を立て、隣に立つララが蔓を引き千切ったのだ。
その圧倒的なパワーは、たちまち斉藤に向けられる。
「や、やめろ、離せ! あっ……」
顔面を伊織に引っ掛かれていたこともあったが、それ以上にララは強力だった。大した抵抗も許さず銃を奪い取る。
「バカヤロウ! 人殺しなんてするナ! 死んでいいヤツは一人もいないんだゾ!」
憎憎しげに銃を睨みつけ、ララは助走をつけて斉藤と反対方向に放り投げた。そして、なおも伊織が顔を覆う斉藤に向かっていく。
大逆転。天満は両手が使えないながら、心の中で手を叩いていた。伊織が飛び掛り、ララがやっつける。
彼女を何度も勇気付けてくれたコンビが魅せた、最高のミラクルだった。
何度も引っ掛かれ、斉藤の顔はあちこちに赤い線が入っていた。涙目の上に、ララまで向かっている。もはや勝ち目はないだろう。
だが、斉藤も何も全てが悪いわけではない。この島に来て恐い目に遭ったのだろうし、少し頭を冷やしてもらえばいい。
そして鬼怒川は、きっと自分達を理解してくれる。斉藤さえ反省してくれれば――


何故だろうか、その鬼怒川はララに向かって駆け出していた。
ララがそれに気付く直前、鬼怒川は何かを取り出し押し当てる。バチバチと音を立て、その鍛え抜かれた体は崩れ落ちていった。


「ヅアア……アアアアア!?」
鬼怒川の前で呻くララ。体格的に鬼怒川より圧倒的に上である彼女が、成す術も無くのた打ち回る異常な光景だ。
天満は鬼怒川の右手を見て、ようやく事態を把握する。その手に握られていたのは、スタンガンだった。
「キヌちゃん、どうして? なんでこんな事!?」
一方的とはいえ、寄せていた希望を砕かれた天満は涙ながらに訴える。
だが、鬼怒川は何ら反応を示さない。先ほどまでの気配りが嘘のように消えた。
ララがいつまでものた打ち回る様子を確認して、鬼怒川は投げ飛ばされた銃の回収に向かっていった。
そしてその時、今も横たわったままのララの上を黒い物体が飛んで行く。
「こ、の……ネコ! クソッ! よくもっ!」
顔に赤々と爪痕を刻まれた斉藤が、伊織を放り投げたのだ。
地面に叩き付けられ、動かなくなる伊織。それは天満の更なる悲鳴を生んだ。
「……大丈夫? はい、これ」
倒れた伊織を睨み続ける斉藤に、鬼怒川が拾ってきた銃を渡した。
一瞬だけ斉藤の表情から殺意が消えたが、それも本当に一瞬の事だ。
「ハア、ハア……! ……おキヌ、助かったぜ……じゃ、こいつは殺すか……!」
手元に戻った銃を握り締め、斉藤がそれを振り上げる。すぐ下には……なおも苦悶するララ。
「やめて!」
天満が懇願すると同時、銃身が地面に伏したララの頭部目掛け振り下ろされた。
一回、二回、三回、四回……やがて頭部からは血が流れ、黒っぽい何かが銃身に付着していく。
天満は今までに上げたことの無いトーンで悲鳴を上げ、そして意識を失った。

「やっぱ、その辺の蔓じゃ甘かったか……鎖でも欲しいよな」
「うーん……でも、あれは相手が強かっただけだからしょうがないんじゃない?」
気を失った天満は、斉藤と鬼怒川により両腕を木の幹に回された上で座らされ、改めて蔓で拘束された。
先ほどララに拘束を破られた事を受け、より相手の行動の自由を奪う為だ。ちなみにララは、スタンガンを受けた位置に今も倒れている。
もっとも、頭を赤々と血に染め、すでに事切れてしまっているが。
「にしても、やっぱおキヌの作戦で行ってよかったよ。あいつらおキヌの事ノーマークだったもんな!」
ニカッ、と笑ってみせる斉藤に、鬼怒川は特に表情を変えず頷く。そう、全ては二人の作戦だった。
天満達に出会った後、斉藤は殺意を剥き出しに即座に二人を攻撃しようとしていたが、それを制したのは鬼怒川だった。
遠距離から動く目標を狙うことは困難だし、やはり情報収集は不可欠だ。何より、天満達がゲームに乗っていたとは思えなかった。
天満は性格的にも考えにくいし、ララも天満と一緒に居る位だからその可能性は低い。
しかも彼女らはリュックからはみ出ている弓以外に目立つ武器を携行しておらず、その弓を取り出す素振りも一切見せない。
試しに鬼怒川が手を振ってみれば、喜んで近づいてくる始末だった。
おかげで楽に二人を(いつでも撃てる)安全距離まで誘導し、その後も銃を突きつけながらスムーズに拘束できたのだ。
そして、その後鬼怒川はわざと斉藤の行動に引いた素振りを見せる事で、自分の尋問に答え易くさせる環境を作って見せた。
それは前回今鳥達に一杯食わされた事を踏まえての行動だった。

結果的にネコのせいで思わぬ反撃を食らったが、鬼怒川はノーマークの状態でスタンガンでララを攻撃し、斉藤の窮地を救ったのだ。
「……じゃ、後は塚本から残りの情報を聞かないとな」
視線を天満に向けるや豹変する斉藤に対し、鬼怒川はそうだね、とだけ返す。
斉藤は乱暴に天満の肩を揺さぶり出した。いくら油断をしないと決めたとはいえ、鬼怒川にはあまり好ましい光景とは思えなかった。
完全に拘束され、まして体力的にはクラスでもかなり下であろう天満を相手にしているのだから。
……と、鬼怒川は首を振る。殺し合いで生き残るのにそんな感傷は要らない。
だから彼女は斉藤の行為をただの体力の無駄遣いだと思う事にした。
……そう、斉藤は無駄に力を入れているのだ。完全に詰んだ状態の相手にそこまでする必要はない。
「……あ……」
そう斉藤に告げようとする前に、天満が目を覚ます。斉藤の瞳は血走ったまま、天満への最後の尋問は始まった。

「……よお、起きたか塚本ぉ。まだ持ち物の事とか、三原や結城の事は詳しく聞けてなかったんだ……話してもらうぞ」
天満が青ざめていくのが鬼怒川には手に取るように分かる。ララを殺した興奮も相俟ってか、斉藤の狂気は更に剥き出しなのだ。
「……ねえ、斉藤君。ララちゃん、は……」
「……もう忘れたのか? 質問に答える以外に喋るなって言っただろうが!」
パアン、と響く平手打ち。たちまちに天満の左頬が赤くはれ上がり、大粒の涙がそこを伝う。
鬼怒川は、以前ならここで余計な話をしてしまっていただろうに、何ら取り合わない分斉藤が成長したのだと思う事にした。
だから天満の涙も、天満をぶった斉藤についても、この際気にしないようにしたかった。
「う、うええええ……!」
唇の左端から血を流し、とうとう天満の中で何かの糸が切れる。
学校に居た頃は誰よりも眩しい笑顔を浮かべていたその顔が、涙と血に塗れていく。
いつしか鬼怒川は、完全に天満から目を逸らしてしまっていた。

これが殺し合いの現実。しかも、クラスメートを殺していくという事。
先日花井達を襲撃した時は、結局鬼怒川は何もできずに気絶した。だから現実を知らなかった。
血が出るまで相手を殴り、完全に拘束された相手を痛めつけていく非道。こんな事が今まで行なわれ、そしてこれからも続いていく。
鬼怒川はこれまで殺し合いについてはクールに考えてきたつもりだったし、斉藤に対してもそういった態度を示してきた。
だが、今目の前で本気で泣いている天満を見て、彼女の中で何かが変わり始めていた。それが恐くて、彼女はなおも目を逸らす。
「……おい、泣くな塚本! まだ聞きたい事はあるんだぞ!」
斉藤は……こんな状況でもなおも声を張り上げ、天満に凄む。だが、もはや天満には何も見えてはいないのだろう。
彼がいくら目前で睨み、拳を振り上げて見せようとも、天満は関係なく泣き叫ぶ。
「お、おい! 泣くな! ……泣くなよ」
斉藤の拳が下ろされる。完全に血走っていた瞳が、いつしか元に戻っている。
天満の涙を前に、彼の心も何かが変わったのか。その事を危惧する中で、鬼怒川はどこかで安心してしまっていた。
ゲームに乗る以上、自分達は余計な感情を持ってはいけない。殺意に囚われ、冷静さを欠くのも問題だが……
だがその一方で、安堵している自分が出来てしまっている事に、鬼怒川は焦りを隠せなかった。このままでは、これからどうすると――


その時、乾いた銃声が一発。天満の泣き声はそれに遮られ、そして二度と聞こえる事はなかった。


「……おキヌ、ごめんな。やっぱ俺、女を拷問なんて性に合わねえや……」
ライフル銃の構えを解き、苦々しく笑いかける斉藤。言うまでも無く彼が撃ったのだ。
クラスメートが泣き叫ぶ姿は彼も耐えられなかったのだろう。だが彼は天満を撃ち、殺すという形で逃げた。
ゲームに乗る者としてなら当然の行動。それをどこかで否定しかける自分がおかしいのだと、鬼怒川はそう自分に言い聞かせた。
「……いいよ、どうせこれ以上何も聞けそうになかったし。少なくとも無学寺に三原さん、結城さん、奈良君が居そうって事は分かる」
「で、でも、そいつらの持ち物は全然分からねえし……いや、そうだよな。二人とも仕留めたんだし、これでいいんだよな」
うん、とだけ鬼怒川は応じる。自分があれから一度も天満の方を見ていない事を彼に悟られていないか、それだけを気にしながら。
「じゃあ、あとは必要な荷物を取って、それから診療所に行きましょう」
今までのように、意識的に冷静に喋ろうとする。それは自分でも多少ぎこちなく思えたが、斉藤は特に違和感を感じていないようだった。
「……あっ、そういえば……あのネコ、もう死んでるのかな?」
鬼怒川はこの場より少し後ろに見えるララの遺体の方を見て指差した。彼女にとってはララの遺体の方がまだ見れた物なのだ。
「ああ、あのネコか……結構凶暴みたいだし、生きてるなら殺しとくか……って、あれ?」
ララの遺体に近づき、二人は気付く。遺体の近くにいる筈のネコが、どこにもいないのだ。
逃げられた事に憤慨する斉藤と、その顔に出来た無数の引っ掻き傷を見つめる鬼怒川。斉藤は鬼怒川の視線に気付くと、急に顔を背ける。
「ま、まあ、逃げられたんなら仕方ないよな! じゃ、あいつらの荷物だけまとめようぜ!」
若干顔を赤らめているのが、鬼怒川にも分かる。薄々勘付いていた事だ、今更ではある。
だが、ついさっき二人も殺してなおも自分にそんな感情を抱けることが、鬼怒川にはただ不思議でならなかった。
しかし有事には戦え、余計な感情も殆ど挟まず、油断もしない。ゲームに乗る上では、今の斉藤は鬼怒川より余程優れている。
ならば何故、彼の行動全てに違和感を覚えるのか。何度も同じ思考を巡らせては否定するうち、すでに鬼怒川は気付いていた。
自分が、殺し合いには向いていない事を――

「で、このリュックは水と食い物だけ、そっちのはそれに加えて弓と、玩具の矢か……」
一箇所にまとめておいたリュックを開ける二人。弓は開ける前からその存在感を示していたが、矢の先端を見て二人は落胆した。
先端がゴムでは、大した威力は期待できないだろう。弓自体は素人目にもしっかりして見えただけに、余計にそうだった。
「……でもさ、弓矢なんて使うの難しそうだし、別にいらないんじゃないか?」
「そうだけど、もし他に使える人に渡ったら困るから……隠しておかない?」
「そもそも、そんなに上手く使える奴っていたっけ? あいつらも持っててもしょうがなかっただろうな」
そんな事を話しながら、二人はそれぞれパンだけを自分のリュックに詰め、水は未開封の分と自分達の飲みかけの分を交換した。
鬼怒川はリュックのスペース的には水も入れる余裕があったが、さすがにそれでは重量がばかにならないのだ。
小柄な彼女にとって、リュックを持ち運ぶだけでも中々の重労働だ。しかも自転車は篭が無いし、運搬に使えないのだから。
結局、残った荷物はまとめて近くの茂みの中に隠す事にした。
他の者に渡ってしまう事は避けたいし、いざという時はこちらに戻って回収できる。
うまく茂みの間に隠したら、次は自分達の荷物をまとめる番だ。
鬼怒川はララの死体の近くの木に立てかけておいた自転車を押し、斉藤の元へ戻る。
こうして彼らはまた、元来た道路を目指して行った。

天満達が死んだ林を出ると、再び広がる草原。林に入る前に比べ随分明るくなっており、かなり爽やかな青空が広がっていた。
人が二人も死んだ後とはとても思えない、あまりに清清しい光景。二人でとぼとぼ歩いていると、そのうちに斉藤が口を開く。
「……ところでおキヌ、播磨の話……どう思う?」
播磨と聞いて、鬼怒川は天満の顔を思い出す。何か知っているのかと懇願する、悲しそうな顔だ。
「さあ……播磨君の悪い噂を流そうとしただけかも知れないし、本当の事かも知れない。
 でも、私達が彼に遭ったのが最初の放送前でしょ?で、吉田山君や天王寺君はその放送で死んだって言われてた。
 一応死んだ場所のおおよそは聞いておいたけど……無理と思う。二人を殺して、私達と遭遇するなんて」
そう、天満やララの話が本当なら、播磨は東の海岸で天王寺を殺し、西に進んで神塚山で吉田山を殺害。
更にそのまま西に進み、菅原神社前で鬼怒川達に遭遇した事になる。
そうなると播磨が鬼怒川達に遭った時の証言が怪しくなるが、梅津の死体等は平瀬村で捜していないのでどの道確証は取れない。
だが、最初の放送では梅津の名も呼ばれたし、何より4、5時間で海岸から菅原神社前まで移動するなど不可能に等しい。
実際に彼女達が歩いていて分かった事だが、一つのエリアを縦断するには1時間近くかかる。
ちゃんと舗装された道路を進めばもちろん十分に時間は短縮できるが、それでも物理的に不可能としか言いようが無い。
「だよな……やっぱ、あいつら何か勘違いしてたのか? まあ今更どうでもいいけどな」
他者……敵に対しての斉藤の淡白な反応は、今の鬼怒川にとってある意味羨ましく思えてならなかった。
「それにしても、さ――」
斉藤がスイッチが"切れた"顔を向ける。これから自分達の話題になるのだろうと鬼怒川は身構えた。
「……ありがとな、おキヌ。ほんと助かった。やっぱおキヌと組んどいてよかったよ」
「え……」
予想外だった。いくら相手が自分に気がありそうだとはいえ、今回鬼怒川は自らの弱さに気付いてしまっていた。
斉藤ですら、泣き叫ぶ天満をなおも攻め立てる事が出来ずに殺してしまった。だが、それでも戦っただけマシなのだ。
鬼怒川は非情に徹する事も出来ず、天満の顔さえ直視できなかった。その事を指摘されるとばかり思っていたのだ。
「……で、でも、私は誰も殺してないし」
「何言ってんだよ! あの時スタンガンで止めてくれてなきゃ俺達おしまいだったんだぜ?
 それに……俺、あんまり情報を聞き出せなかったしな。おキヌがちゃんと聞いてくれてて、助かった。本当に――」
そのまま何かを言いかけた斉藤は急に顔を赤くし、また正面を向いてしまった。
そんな彼に鬼怒川も何も言い返せず、二人は黙って歩き続ける。

……確かに情報は聞き出した。スタンガンも使った。だが、それも殺し合いの現実を知らなかったから出来たのだ。
脳裏を過ぎる天満の泣き顔。そして一瞬だけ見てしまった、頭を打ち抜かれた姿……
それを見てしまってなお、果たして鬼怒川にまた殺し合いが出来るのだろうか。
斉藤は自分に好意を寄せているはずだ。それがある限り、そう簡単に自分を切り捨てたりはしないだろう。
だが、こんな自分が一緒に居ては、いつかまた失敗してしまうのではないか。
それも、殺し合いでの失敗だ。それが彼にとって、どんな破滅的な結末を意味するか……
ふと、鬼怒川は今までの考えを全否定する。自分達はお互いに利用し合う関係。少なくとも自分はそれを貫くべきなのだ。
殺し合いの現実を知った弱みか、今の鬼怒川の精神はいつになく不安定な物になっていた。
これではいけないのだ。戦力にならずとも、少なくとも作戦面では斉藤をサポートしていかねば、自分の居場所を失ってしまう。
――もし斉藤に甘えるなら。彼の好意を受け入れるなら、或いは話が変わってくるかも知れない。
だがそれではだめだ。そんな感情に囚われ、生きていける筈が無い。このゲームからは逃げられないし、あと2日後には全てが終わるのだ。
利用し合う関係を継続したいなら、彼女は何としてもその弱さを克服していかなければならないのに――

「……あれ?」
斉藤にも聞こえない声で鬼怒川は呟く。……ポケットに入れておいた筈の携帯ストラップが、無いのだ。
(スタンガンを使った時に、落ちたのかな……)
はっきり言って持っていなくても何の問題も無い代物。わざわざ取りに戻る必要もないだろう。
二人は特に言葉を発する事も無く、目的の診療所を目指して行く。
初めて目の当たりにした"殺し合い"が、今後二人をどう変えて行くというのか。
少なくとも、今の青空のように澄み切った物では無いという事だけは、鬼怒川には分かっていた。

そんな青空から注ぐ太陽の光が殆ど遮られる林の中に、一匹の黒猫……伊織がいた。
伊織は少し前に地面に叩き付けられていて、まだ痛みが取れていないようだ。
伊織が意識を取り戻したときには襲撃者達と天満の姿は無く、ララがその場に倒れているだけだった。
だが、直後に響いた大きな音。伊織は咄嗟に近くの茂みの中に隠れ、様子を窺っていた。
そのうち襲撃者達がララの方に戻ってきて、何かを行ない始める。伊織はその間に茂みを離れ、襲撃者達が来た方向に向かった。
しばらく歩き続けて伊織が目にしたのは、かつて自分と同じ家に住んでいた少女だった物。
手をかじってみても、動かない。いつものような温もりが、まるで無い。
伊織は一言二言鳴くと、尻尾を垂らして踵を返す。
襲撃者達はもうその場に居なかったが、伊織が改めて目にした物は、今まで自分を運んでいたララだった。
眠っているようだったが、頭の周辺はどす黒く染まっている。頬を舐める。だが彼女は何も反応せず、そして冷たい感触が舌を伝わる。
「ニャー!」
大声を上げて、二人の方を交互に向いて鳴く伊織。
時折木々の合間からこぼれた光が差し込むが、二人はもう動かない。
だが、光がララの方に差し込むと、ちょうどララの右手の位置に何かが光って見えた。小さな、玩具の人形のようだ。
ちょうど口で咥えられるような大きさのそれを、やはり伊織は口に咥える。
最後に二人の傍にそれぞれ擦り寄ってから、伊織はどこかに去って行った。

【午前:8〜10時】

【H−03】
【鬼怒川綾乃】
[状態]:健康、殺し合いに不安
[道具]:支給品一式(食料6、水4) スタンガン(残り使用回数2回) 折りたたみ自転車(体重の軽い鬼怒川が丁寧に扱えば少しは保つ)
[行動方針]1:村を離れる。診療所を目指す 2:斉藤と協力しゲームに乗る…

【斎藤末男】
[状態]:鼻骨骨折(止血済み、痛みあり)、顔に引っかき傷、興奮状態。鬼怒川以外に強い殺意
[道具]:支給品一式(食料6、水4) 突撃ライフル(コルト AR15)/弾数:44発 キャンピングライト(弱で残り2〜3時間)
[行動方針]1:村を離れる。診療所を目指す 2:鬼怒川と協力しゲームに乗る
[共通備考]:播磨が八雲、沢近を探していたと思っています

【ララ・ゴンザレス:死亡】

【塚本天満:死亡】

――残り23名


※伊織はドジビロンストラップ(限定品)を咥えています。
 ララ、天満の荷物は近くの茂みに隠されています。



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