揺れる心、変わる男






「ん……」
 どのくらいの時間が経っただろうか。薄暗い室内で、穴が空くほど見続けた彼女の顔がピクリと動く。
気絶した彼女を見守り続けた斉藤にとって、それは待ちに待った反応だった。思わず彼女の名を叫び肩を抱く。

「おキヌ!大丈夫か、おい!俺だ、わかるか?」
「…………誰……?……あれ、私……」
 朦朧とした意識の中で、鬼怒川は状況を確認しようと頭を働かせる。朝いつものように家を出て、
学校で友人らと楽しく話をして、それから先生に言われてバスに乗って――――

(そっか……私…………)
 全てを思い出す。変貌した教師達に殺し合いを強制された。自分はコインで自分の運命を決め、
直後に斉藤に出会い手を組んだ。やがて夜になり、花井達と戦い――――おそらく敗北したのだ。
「どこも痛くないか?骨折とか息が苦しいとかないか?」
「……私は平気。どうなったの、あれから」


 横たわりながら、鬼怒川は斉藤から告げられる話を淡々と聞き続けた。花井達を誰一人仕留められなかったこと。
ショットガンを奪われたこと。今鳥・一条・塚本八雲の荷物は無事なこと。

「それで、俺……頭にきちまって……お前を、放っておいてあいつらを追ったんだ!
 どうせ当たらないのに銃を撃って……すまねえ!本当に!許してくれ!」

 どうやら気絶した自分を放置し花井らに追撃をかけようとしたことを相当悔やんでいるらしい。
言わなければわからないのに、馬鹿正直に話す彼を攻める気は到底起きなかった。

「別にいいよ、そんなこと。気にしてない。斉藤君はこうやって私を看病してくれたし」
「……当然だろ。俺はお前……い、いや、おキヌは大事なパートナーだからな!」

 勢いで何かを言いかけ、焦る斉藤から視線を離し鬼怒川はじっと天井を見つめる。
やがていつまでも寝ているわけにはいかないか、と腕を立て上半身を起こす。



「大丈夫か?まだ寝てたほうがよくないか?」
「全然平気だって。それより斉藤君こそ寝てないんじゃない?交代するよ」
「お、俺?俺こそ全然平気だって!おキヌが寝てろよ、な?」

 あくまで譲ろうとしない斉藤の態度に鬼怒川はふう、とため息をつく。気張るのは結構だが
休める時にまで休もうとしないのは正しいとは言えない。彼を説得できそうな台詞を頭から探し出す。

「ねえ斉藤君。私って信用ならない?信用できない?……一条さんに投げ飛ばされて、
 あっさり気絶する役立たずは見張りには使えない?」
「!な、何言い出すんだよ!そういうことじゃねえって!ありゃ一条がバケモンなだけで」
「じゃ、見張りしてもいいよね。交代しようか」
「……お……う」



 口では彼女には一生勝てない。そんな思いを抱きつつ斉藤は横になり、顔を鬼怒川のほうへ向ける。
先程までここで彼女が寝ていたと考えると頬が熱くなるのが分かった。

「今は四時ちょっと前だから…放送前まで二時間、か。ごめんね少なくて」
「いいっていいって。でも、何かあったらすぐ起こしてくれよ。頼むぜ」
「うんわかってる。あ、あとさ斉藤君」
「ん、何だ?やっぱ代わるか?」
「脱がした?」
「ぶへぁふ!!」

 鬼怒川はほどけた制服のリボンをくるくると回す。自分の胸元のリボンがほどけていることは、
起きてからまもなく気付いたことだった。もちろん息苦しくないための配慮であることはわかっている。
だが、彼が万が一にでもそういう行為に及ぶ可能性もあった。九割九分九厘の意地悪と一厘の牽制で
話してみたのだが、効果は思った以上だったらしい。斉藤は口を金魚のようにパクパクとさせ
狼狽しきっているのが薄暗い室内でも見て取れた。



「そ、それは……いや……俺は決してそんな……」
 リボンをほどいた時は必死で考えもしなかったが、自らの行為を改めて考えるとかなり恥ずかしい。
当時の様子を頭の中で再現しようとするだけでありえない桃色妄想が飛び出してきて脳内をスパークさせる。
体温が上がり、顔がだらしなく歪みそうになるのを必死で堪え、斉藤は自分の本能の醜悪さをひしひしと感じ取る。

「あ、そうか。気遣ってくれたんだ。ありがとう」
 ニコ、とかすかにだが鬼怒川が微笑む。それがとどめの一撃となり斉藤は撃沈した。
床に頭から伏せ鬼怒川と反対方向を向きピクリともしない。頭から煙がしゅうしゅうと立ち上る。
まともな弁解をしようにも、止まらない脳内妄想と向けられた笑顔に対する嬉しさがそれを許そうとしない。

「……ごめんね。でも感謝してる。斉藤君も信用してる。もうこんな事言わない。おやすみ」
「へ??……お、おう。…おやすみ?」
 彼女の真意はわからないが、とりあえず最悪の誤解はされていないらしい。
そのことに安堵し、同時に恥ずかしさをこらえながら彼は目を瞑り眠りについた。


(……やっぱり、そういうことなのかな…斉藤君)
 彼の心が読めるわけではない。けれどそのわかりやすすぎる言動の数々から、向けられた好意を
鬼怒川は悟っていた。正直、それは困る。利用しあう関係がベストなのだ。彼にはもっと淡白でいて欲しい。
そうすれば自分も制服のリボンなど無視しておけたのに。


(………)


 自分も彼と同様、『男女の関係』というものを考えつつあるのかもしれない。それはいけない。
ふさわしくない、と自分に言い聞かせる。看護してくれたことも、作戦ミスを責めなかったことも、
言動の一つ一つが自分を気遣ったものであることも気にしてはいけない。
それの意味を考えたところで、生き残る確率が上がるわけではないのだから。
鬼怒川はリボンを結びながら心に決める。放送までの二時間足らずを、自分に強く言い聞かせるために費やすことを。


――――藤君。斉藤君

 うっすらと目を開き、ああこれは夢だ、と斉藤は思った。朝起きたら隣に彼女がいる。彼女が自分を起こしてくれる。
そんなことはありえない。彼女はずっと遠い存在なのだから。
自分の妄想癖に呆れつつも褒め称え、せっかくなのでもう少し甘えることにする。

「頼むよ〜あと五分…」
「その五分が問題なの。今は放送の五分前。メモの準備して」
 ベシ、と彼の額を叩いて無理矢理意識を覚醒させる。自分が彼のことを割り切ろうとしている中で、
当の本人にこういう態度をとられると正直腹が立つ。

「あたたっなんで夢で……あ、あああああぁっ!!」
「目覚めたばっかりだと状況が飲み込めないのはわかるから責めないけど、静かにしてね」

 うろたえる斉藤に対してそれ以上は何も言わず、鬼怒川は時計と睨めっこを続け放送を待つ。
一人でも多く犠牲者が増えていることを祈りながら。

―――――やがて、放送が始まった。


『よし、これで放送は終わりだ。お前ら…しっかりやれよ!』

 ぽりぽりと鬼怒川は頭をかく。四人という数は多いか少ないか判断は難しい。逃がしたはずの今鳥の死は意外ではある。
もしかして斉藤が何かしたのかもしれない。そのあたりの事情は追々聞くとしても、それより厄介なのが禁止エリアだった。
手早く今後のことをまとめ、ここを出発しなくてはならない。

「ねえ斉藤君………………斉藤君?」
 メモを見ながら斉藤に話しかけるが返事がない。
彼のことだからすぐとびついてくると思ったが、何の反応もないことに違和感を覚える。
思わず振り向いて見た彼の表情に、鬼怒川は思わずぎょっとする。
「へ、へへへへ……」
 半開きの口が自分と話しているときとは種類の違う笑みを形成している。
喜びには違いないがその根本は極めて負に傾いている。昨日や夜明け前の彼からは想像もつかないものだ。
「今鳥の奴……そうだよな、鉄パイプで殴ったようなもんだからな……やった……おキヌぅ、やったぜ俺!」
 ようやくこちらに視線を移した彼を正面から見据え、鬼怒川はおめでとうと一言だけ呟くのがやっとだった。


 一晩の間に、彼の中で一体何があったのだろう。昨晩話したときは特に変化は見当たらなかったはずだ。
そういえば昨晩は逃げた花井達や他のクラスメイトらについてはほとんど話していない。
自分達の状況整理のみで終わってしまった。もしその話題に触れていたら、彼はやはりこんな表情を見せていたのだろうか。

「……斉藤君、今後について話したいけどいいかな?」
「!?お、おう!九時に禁止エリアだったな。目的地は分校か、ホテル跡だっけ?」
 ギラギラとした凶暴性はなりを潜め、斉藤はいつもの照れや緊張の混ざった態度に戻る。
彼は化けつつあるのかもしれない。気絶した自分を見て何を考えたのだろうか。
その内に秘めた獣性の矛先が自分に向かず、逆にコントロールできるよう努めていかねばならないと鬼怒川は誓う。
「まだ三時間の猶予があるし、とりあえず朝ごはんね。準備するから待ってて」
「あ、サンキュ…………ってえぇぇ!?」


 ほどなくして用意された二種類のパンと添えられたペットボトルを前に、斉藤はごくりと息を飲む。
鬼怒川が二人の朝食の準備をしてくれたのだ。一緒に食事ができるだけで幸せだというのに、
これではまるで新婚生活さながらである。食事の内容がパンと水であるということなど些細なことにすぎなかった。


「これで残りは八食分…明日の昼まであるわ。当分は食料目当てで尋問する必要ないね」
「…ああ。あとは他の荷物をどうするかだな」
 レモンパンとオニオンパンにかぶりつきながら、二人は並べられた花井達の荷物の中身を見る。
ガタが来ていそうな折りたたみ式自転車と、あと数時間は保ちそうなキャンピングライト。
同じくまだ使えるであろうスタンガンがそこにはある。

「自転車が面倒かな。壊れそうだし、おいていこうか」
「んー、おキヌならまだ乗れるんじゃね?クラスで一番…………えっと、体重軽いじゃん?」
「……私一人乗っても仕方ないと思うけど」
 『クラスで一番』の後に一瞬出かかった本来の言葉を問い詰めたくなったがあえて放っておく。
確かに自分の体重ならまだ乗れるかもしれない。リュックには入らないが、ひきずる形でなら運ぶことも可能だ。
ライトを斉藤が、スタンガンを丸腰の自分が持つことに決め食料と水は均等に四食分ずつ配分する。

「なんとか収納できたな。ははっリュックがパンパンだ」
「さすがにこれ以上何か手に入れたら、何か捨てないと持てないね」


 荷物の整理が終わり、二人は地図を開き今後のことを話し合う。少なくとも平瀬村から出て行くことは間違いない。
「予定では分校かホテル跡だけど…斉藤君、花井君達がどこいったか覚えてる?」
「方角考えると…多分、分校。おキヌ、今度は俺に任せてくれ。やってやる」
 先程のおどけた態度はどこへやら、再び攻撃的な意思を表に出し、斉藤は鬼怒川を強く見つめる。
どうやらこういう話題になるとスイッチが入るようだ。頼もしくもあるが、がむしゃらに焦ってもらうのも困り者だ。
鬼怒川は何とか言葉を選び、彼に落ち着いてもらおうと考える。


「放送を聞いて、花井君達も私達が動くって警戒してるわ。ショットガンも奪われて、夜より状況は悪いの。
 斉藤君の力を信用できないわけじゃないけど、私達の目的は生きること。花井君達を殺すことじゃないでしょう?
 殺し合いに乗るっていうのは、生きる手段にすぎないんだし」
「おキヌ…でもな、あいつらは」
「五分五分の勝率なんてダメよ……二人で生き残るんだから。ね?」
「!……わかったよ。で、どうするんだ?」

 最悪激昂した彼につかみかかられることも考えたが、どうやら根底にある自分への気持ちは変わっていないらしい。
ひどい悪女だと良心が痛むが、そのくらいが丁度いいと罪悪感を押し込める。


「南に行ってみない?もう北も東も、私達のことを危険視してる人が確実にいる。このあたりは一度離れたほうがいいよ。
 自転車もあるし、斉藤君が頑張ってくれればお昼前後に氷川村に着けると思う」
「…診療所があるとこだよな…まさかおキヌ、どこか痛むとか!」
「大丈夫、いまのところ。けど捻挫したときのためのシップとか、包帯くらいあると思う。備えあれば、ね?」
「…そうだな…いつケガするか…」


 話がまとまり、膨らんだ荷物をかかえ二人は外に出る。鬼怒川はそこで自転車を組み立て、ゆっくりとその上に乗りかかった。
自転車はぎしぎしと音を立て、ハンドル部分にはうっすらヒビのようなものが浮かんでいるが、丁寧に扱えば少しは保つようだ。
村を少し動き回って使えることを確認し、鬼怒川は自転車を降りる。村を出てすぐに乗る必要もないためである。

(?あれ、これ…)
 自転車の状態を確認するため、鬼怒川は視線を地に向けていた。地面には一つの人形が転がっている。
何やら子供向けの戦隊ヒーローに出てくるキャラクターのようだが…一つだけ心当たりがあった。
昨晩、今鳥が持っていたではないだろうか。斉藤に確認すればわかるだろう。そっとつまみあげる。
「ねえ、斉藤君。これに見覚えない?」
「ん、なんだおキヌ……!それって確か……捨てちまえよ、そんなもん」
 苦い記憶が思い出されるのだろう。憎憎しげな表情で斉藤は吐き捨てた。


(どうしよう?携帯ストラップなんて、何かの役に立つとは思えないけど……)
 これ以上荷物は持てないが、ポケットサイズの人形なら話は別だ。
ここで捨ててしまったらもう回収はできなくなる。いつでも捨てられるのだから、せっかくなのでとポケットにしまう。

「自転車は大丈夫みたい。じゃ、行こうか。誰かに会うかもしれないから、そのときは期待してるね」
「ああ、まかせろ。もう躊躇も迷いもしねえよ」
「……そういえばさ。確か石山君と菅君って、斉藤君と仲よくなかったっけ?つらくない?」
「いや全然。そういうもんだろ、殺し合いって」
「……ふーん」

 化けつつある、というより既に化けてしまった後らしい。他者が絡まず、二人の話をする時だけ『戻っている』ようだ。
引きずる自転車のタイヤがカラカラと音を立てる。鬼怒川から見た斉藤はまるでこの自転車のようだった。
いつ壊れるかわからない危うい存在。けれど自分だけはしっかりと支えてくれる。そんな彼を自分はどうしたいのだろう。
――――不思議と、離れる気にだけはならなかった。

【G−02】
【鬼怒川綾乃】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式(食料と水は四食分)  スタンガン(残り使用回数3回)
折りたたみ自転車(体重の軽い鬼怒川が丁寧に扱えば少しは保つ) ドジビロンストラップ(限定品)
[行動方針] 1:村を離れる。診療所を目指す
2:斉藤と協力しゲームに乗る
[備考]:播磨が八雲、沢近を探していたと思っています

【斎藤末男】
[状態]:鼻骨骨折(止血済み、痛みあり)、健康。鬼怒川以外に強い殺意
[道具]:支給品一式(食料と水が四食分) 突撃ライフル(コルト AR15)/弾数:45発
、キャンピングライト(弱で残り二〜三時間)
[行動方針] 1:村を離れる。診療所を目指す
2:鬼怒川と協力しゲームに乗る
[備考]:播磨が八雲、沢近を探していたと思っています

【午前:6〜7時】



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