突然の烏丸の行為にも、晶はさほど動揺していなかった。
他の二人と比べれば、砥波順子は自分にとってそれほど役に立ちそうもない。
むしろ、彼女がいなくなったことで、この集団内のイニシアチブをよりとりやすくなったと肯定的に捉える。
しかし冷静な彼女とは違い、目の前で友人を攫われた美奈は恐慌状態に陥っていた。
舞の死体を見てただでさえ怯えているところに、あれだ。確かに無理もない。
血で汚れるのにも構わず晶に縋りつくと、美奈は顔を青くして彼女の手をきゅっと握り締めた。
その手を引っ張って、美奈は今にも烏丸たちの去った方角へ走り出そうとする。
しかし晶はその場で立ち止まったまま、美奈の身体を押しとどめて告げた。
「だめよ」
「何で!? だって、順子が!」
ゆっくりと首を横に振れば、美奈は理解できないと言いたげに晶へ言葉を荒げる。
晶は美奈の身体を引き寄せると、回した手で背中をゆるりと撫で擦った。
彼女を落ち着かせるように優しくその行為を続けてやれば、美奈はじきに静かになった。
とはいえ、恐怖に青ざめて血の気を失った顔は相変わらずだ。
彼女の視線から舞の死体を隠すかのように、晶は自身身体の位置を僅かに横へずらした。
「今、動くのは危ないわ」
美奈に見せ付けるように、腕に嵌めていた時計を彼女の鼻先に近づける。
その文字盤は、あと10分足らずで次の放送が流れる時刻になるのを指し示していた。
「今、外に出たら、準備が不十分なままで放送を聞くことになるわ。
最悪、禁止エリアのメモさえろくに出来ないかもしれない。……そうしたら、次に危険なのはあなたの命なのよ」
噛んで含めるように優しい声で、しかし確かな説得力を伴って、晶は眼前の美奈にそう告げる。
もっとも、説得力があるのは当然だった。その主張は、八割方、晶の本心からくるものだったからだ。
勿論、自分の記憶力なら死者の名前と禁止エリアの場所くらいメモがなくとも容易に覚えられるだろう。
しかし放送を聞く間は、どうしてもそちらに注意が向き、周囲に気を配る余地が少なくなる。
最悪、そのタイミングを狙って烏丸がこちらに襲撃をかけてくることも考えられなくはない。
万が一に備え、出来るだけその時刻には、安全が確認できる場所にいたかった。


説得しきる自信はあった。この場にいるのは、晶に好意を抱く二人だけだ。
岡は、特に強く言わずとも問題ない。彼と砥波順子の間にはクラスメイトという糸の様に細い絆があるだけだ。
わざわざ危険を冒してまで、彼女を追おうとする理由はないだろう。
問題は、順子と仲のよい美奈のほうだが、それも恐らく大丈夫だ。
自分に心酔しきっている美奈なら、ほんの少しのリップサービスで、どうとでも操ることは可能なはずだ。
『あなたの』と口にしながら、晶は美奈の頬を両手で包み込んでじっと彼女を見据えた。
形の良い晶の指先が美奈の頬を滑るようにして這い、彼女の唇を掠める。
晶の手は舞の身体から溢れた血液で赤く染まっていたが、美奈は頓着していないようだった。
むしろ、怯えの中にどこか誇らしげな想いを含ませた表情で、晶を見つめ返している。
「……放送を聞いたら、すぐに烏丸君の逃げた方向に向かいましょう」
言ってにこりと微笑みかけると、美奈は朱に染まった顔を恥ずかしそうに左右に振った。
その動作に微かな苛立ちを覚えながらも、晶はこれで最後だとばかりに駄目押しの一手を放つ。
「……雪野さんは優しいから、こんな風に冷静な私を冷たいと思う?
でも、私はあなたを少しでも危険な目に晒したくないの。……分かって、くれるかしら」
細身の身体を一層強く抱きすくめれば、美奈は簡単に晶の思い通りになった。
晶にきゅっと縋りつき、咽喉を震わせて、今にも泣き出しそうな声で謝る。
「ご、ごめんなさい……私、何も考えなくて」
「いいのよ」
そう、それでいい。駒は、余計なことを考える必要など無いのだ。
ただ、指し手の思ったとおりに動いてくれさえすれば、あとは何も無くて構わないのだから。
「でもっ、私……、高野さんと違って運動音痴だし、何の役にも立てそうに無くて……」
美奈の声に、涙が混じっている。小さな嗚咽が次第に激しくなり、しゃくりあげるような泣き声に変わる。


ぽろぽろと涙を流す美奈を目の前に、晶は「そんなことは無いわ」と首を横にした。
「私、ずっと一人で、誰とも逢えなかったから、あなたを見つけたとき、すごくほっとしたわ。
 あなたに逢えて、本当に嬉しかった。……だから、役に立てないなんて悲しいこと言わないで?」
「あ、ありがとう……、ありがとう、高野さんっ……」
その言葉に泣きながら頷く美奈には、晶が心の中で真っ赤な舌を出していることなど、想像できるはずも無かった。

*     *     *

数分後、流れた放送では、四人の死者の名が告げられた。
先ほど晶が殺した舞以外にも三人のクラスメイトが、この六時間で死んだことになる。
順子の名が含まれなかったことに安堵した美奈が、ふぅと長く息を吐く。
晶はメモを取るため手を動かしながら、横に座る彼女の様子に気を配った。
先ほどの涙のせいでまだ目は赤いが、随分と気を持ち直したようだ。
お堂内の一室に篭ってその放送を聞いていた晶たちは、次にするべきことを相談し始めた。
もっとも相談とは名前ばかりで、現実には晶の提案を他の二人が受け入れるだけだ。
晶は荷物の中から出した地図を、美奈たちの前に広げて置いた。
「いくら烏丸君が男でも、人一人を抱えてそんなに遠くまで行けるわけは無いわ。
せいぜい、この辺りまでしか行けないんじゃないかしら」
晶は、自分達のいるお堂を中心に、地図上の幾つかのエリアを指で示してみせた。
うんうんと頷く美奈と岡を確認してから、晶は話を続ける。
「だから道沿いにここまで探して、見つからなかったらこのお寺かホテル跡のどちらかに向かってみない?」
「どうして、そのどっちかなんだ?」


「さっき、見張りの交代を伝えに行ったとき、烏丸君は殆ど眠ってないって言ってたの。
当たり前よね……、人を殺そうっていう人間が、他人の近くで暢気に眠れるわけないわ」
その言葉は半分以上でたらめだったが、岡と美奈はすんなり受け入れたらしかった。
「それって、烏丸君はそのどっちかで休んでるんじゃないかってこと?」
「ええ」
「確かに、砥波を抱えたまんまその辺の森の中にいたら、目立つだろうし、疲れも溜まるもんな」
「そういうことよ。これで、いいかしら?」
晶の問いに、二人はこくんと頭を上下に振って肯定の意を示した。
「じゃあ、軽く食事を取ったら行きましょう。雪野さん、その荷物を取ってくれる?」
晶が示したのは、舞の死体の脇に置かれたバッグだった。
表面が多少血で濡れていたが、中にある支給品に問題はないだろう。
美奈が恐る恐る手渡したそれを開けて、中に入っていたパン二つと水を取り出す。
「小倉アンパンとクリームパン。……雪野さん、どっちが食べたい?」
「えっ? あ、私は……アンパンかな。でも、高野さんが先に選んで」
「いいえ、ちょうどいいわ。私もアンパンが食べたかったから」
晶はアンパンの袋を裂くと、パンを二つに割って片方を美奈に差し出した。
「……高野さん?」
「食料は重要よ。こうやって、二人で分けて食べましょう」
「う、うんっ!」
美奈はとても嬉しそうな顔でアンパンの半分を手に取ると、もくもくと口を動かしてそれを食べ始めた。
そのパンが、晶の手にするそれと比べて随分と小さいことにもまったく気づいていないようだ。
「私、私ね、前から高野さんと一緒にお弁当食べたいと思ってたんだ」


美奈の能天気にしか思えないその発言に苛立ちながら、晶は話を合わせる。
「本当に? 嬉しいわ、私も雪野さんともっと話してみたいって前から思ってたのよ」
そう言いながら、晶はクリームパンの袋を横にいる岡に手渡そうとして、彼が未だ縛られたままなのに気づく。
「岡君は、……っと、これじゃ食べられないわよね。雪野さん、外してあげていいかしら?」
美奈は少しばかり困ったような顔で岡を見たものの、晶の懇願するような顔にすぐ了解した。
「うん、高野さんがいいなら……私はいいよ」
「そう? ありがとう」
晶は美奈にそう返答すると、岡の背後に回り、身体に巻きついた鎖鎌を器用に解いた。
全部解き終わると、岡はほっとしたようにため息をついて、拘束されていた腕を頭の上に伸ばす。
「あー、これでやっと自由の身だ」
おどけたような調子でそう口にする岡の前に、晶は床に置いていたクリームパンを差し出した。
「それ、全部食べて」
「えっ? いいよ、お前らが半分ずつなのに俺だけ全部なんて悪いだろ」
「そんなことないわ、男性が女性よりたくさん食べるのは当然でしょう」
それでもまだ遠慮する岡の耳元に、鎖鎌を片付ける振りをして唇を寄せる。
「私のこと、……守ってくれるんでしょう?」
かぁぁっと、岡の顔が面白いほど真っ赤になるのがよく分かる。
手を取ってにこっと笑いかけると、岡はこくこくと頷いて「当たり前だろ」と答えた。
「じゃぁ、食べて。いっぱい食べて、力をつけてくれなきゃ。……ね?」
「あ、……ああ」
了解してばくばくとパンを食べはじめた岡を横目に、晶も半分にしたパンに口をつける。
口中に広がるアンコの甘さが、疲弊した身体に心地よかった。


「ふふ……」
思わず、唇の端から笑い声が漏れる。
これほど、自分を信頼するなんて、二人ともなんて甘いのだろう。
ここはいつもの教室ではなく、最早戦場に姿を変えているというのに。
「どうしたの、高野さん?」「どうした、高野?」
同時にそう尋ねた二人に、晶は笑顔を向けて答えた。
「嬉しいのよ……、あなた達と一緒で、ね」

【二日目朝:6〜7時】

【高野晶】
【現在位置:C-06 お堂の中】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式×2(食料は、残り2食分) 薙刀 シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾15発)
[行動方針] :雪野は使えるなら利用する。岡も使えるなら利用する。
          麻生と敵対。(ただし優先して排除しようとは考えていない)       
[最終方針] :ゲームに乗る。パーティー潜伏型。

【雪野美奈】
【現在位置:C-06 お堂の中】
[状態]:健康。晶に依存気味
[道具]:支給品一式(食料1食分消費) 工具セット(バール、木槌、他数種類の基本的な工具あり)
[行動方針] 1:高野の為に動く。 2:高野晶と行動をともにする。3:順子を助ける

【岡樺樹】
【現在位置:C-06 お堂の中】
[状態]:打撲傷多数
[道具]:鎖鎌
[行動方針] :「高野の心の支えになるのは俺だっ!」と素敵な勘違い中。

[チーム方針]:道なりにC-7まで行き、その後は無学寺かホテル跡に移動。



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