アイノカタチ 〜結城つむぎの場合〜
片方のレンズが割れたメガネで夜の道を歩くのは、結城が想像していたよりも体力を削る行為だった。
所々に転がっている木の枝や、老朽化によりコンクリートに入った亀裂が、何度も結城の足をとる。昔に祖母から教わった怪我に効く野草を探そうと、三回ほど道を外れて雑木林に入ったりもしたが結局野草は見つからず、無駄に疲労が蓄積していく。
急ぎ足で移動していたのにも関わらず、予定していた到着時間を大幅に越えて、鷹野神社へ繋がる石段の下についたころには既に時計は一時半を回っていた。
見上げると、そびえたつのはそこそこの高さがある石段。普段ならなんてことなさそうな高さだが、体力を奪われた結城にとっては憎らしい事この上ない光景である。
一刻も早く花井に会いたい。その一心で、結城は足を前に出す。
幸いな事に、手すりはちゃんとついていた。一歩一歩、力を込めて階段を登る。
もしも神社に花井君がいたら……。そう考えると、結城の顔に自然と笑みがこぼれた。
階段も半ばまで到達したその時。
「きゃっ!?」
結城は何かに足を滑らせた。手すりにつかまっていた事で何とか転落は免れたが、今の結城の視力では何が起きたか理解できず、一瞬の混乱が結城を襲う。
しばらくはそのせいで身動きがとれなかった結城だったがしばらくすると落ち着きを取り戻し、自らの足元に何があるのかを探りだした。
手に触れたのは表面がツルツルな何か。力を少し入れるだけで、容易にヒビ割れて欠片が結城の指についた。
目の近くに寄せて見ると、それは赤黒く鈍い光沢を放っている。
「なんだろう、コレ」
正体の分からない物体は、階段を覆うように上へと続いていた。足を滑らせないように慎重になりながら、結城は再び石段を登り始める。
ゆっくり、ゆっくりと、希望を胸に抱きながら。
徐々に石段の終りが近づくにつれて、生臭い匂いが結城の鼻につく様になった。
しかしその匂いが何から発せられたものかなど、結城は考えようともしていなかった。
神社に着けば花井に会える。
単なる希望的憶測にすぎなかったはずのそれは、結城の中でいつの間にか確定事項へと姿を変えてしまっていた。
だんだんと、石段を踏み込む足に力強さが戻ってくる。興奮と疲労が同時に彼女の息を荒くしていた。
あと十段。
あと七段。
四、三、二、一……。
「花井君っ!」
今日一番の笑顔でそう叫んだ結城の目に飛び込んできたのは、微笑みで彼女を迎える花井などではなく、もはや顔の判別もつかないほど損傷した無惨な二つの死体だった。
あまりにも凄惨な光景である。
瀕死の天王寺に遭遇した時にはあまりの恐怖でその場を動けなかった結城。しかし今の彼女にとって、死体とは遭遇して怯える対象ではなかった。死体とは……彼女が生み出さなくてはいけないモノである。
「花井君を、捜さないと」
その体格から、死体が花井ではないと確信した結城は、二つの死体に怯える事もなく冷めた瞳でそれらを一瞥し、神社の本殿へと再び進み出す。指についた凝固している血の欠片をスカートで拭いながら。
彼女の頭の中からは、いまだ花井に会えるという希望だけは消えていなかった。
十分ほどで捜索は終了した。結城の期待を嘲笑う様に、死体以外に何も存在しない。結城の期待は、またも裏切られた。
「花井君。一体、どこにいるの……」
こんなにも想っているのに。
花井の事しか想っていないのに。
神様はなんて意地悪なのかと、結城は満面の星空を睨む。
幼い頃から見続けてきた星。かつては結城の心を躍らせたその輝きは、今の彼女には妬みの対象でしかない。
あんなにも眩しい煌めきを放っている星の下で、どうして自分はこうもみすぼらしく足掻いているのだろう。
こんなことをしていて、本当に花井に会えるのだろうか。本当に邪魔な奴らを殺せるのだろうか。
先程の敗戦が、結城の心を沈ませる。絶対的優位を確信していた上での敗北。
花井春樹を手に入れるために攻め続けることを選択した結城だったが、自らにそんな力があるのかと問われれば自信はないと答えるしかなかった。
ふらふらと、先程転がっていた死体の傍へと向かう。何か使えるものはないかと、リュックの中身をあさる為だ。
ゴソゴソと、水や食料はないかとあさってみたが、めぼしいものは見つからない。
どうやら先約がいたようだと結城が諦めかけたその時、目の前に偶然地図が飛び込んできた。
何となく、それを静かに開いてみる。役立つ情報が書いてあるかもしれない。
それは綺麗なものだった。傷どころか、書き込みもない。この地図の持ち主がゲーム開始後すぐに殺されたことを物語っていた。
溜息をついて地図を閉じようとしたその時。
「……!?」
結城は初めて、自らの失態に気がついた。
現在時刻はちょうど午前二時。気絶した状態から目を覚ましたのは、零時をとっくに過ぎていた時。つまり放送を聞き逃したことになる。
迂闊だった。すでに結城の知らないところで禁止エリアが一つ増えている。あと一時間も知ればもう一つ、四時間でさらに一つ結城の知らない禁止エリアが出来ることになる。
もしも今通ってきた道が禁止エリアになっていたとしたら……。
そう考えると震えが止まらない。結城は確実に爆死していたことだろう。
結城は急いで自分の地図を開いた。これまでの禁止エリアを焦りながら確認する。
C-05、E-08、そしてG-04。一番近いのはG-04だ。これでは西に行った時、通られるルートが狭められてしまう。
そうなれば、当然残る選択肢は三つだ。北か、南か、東か。
北にあるのはホテル跡だ。しかし到達するには山道を越えなくてはいけない。
それでは南の氷川村を目指すか。しかし結城はこれまでの禁止エリアが全て村や道に指定されていたことを警戒した。
たった三つなのだから、偶然なのかもしれない。しかし結城は、慎重になる必要があった。必ず花井に会うために。
そうなると、残る選択肢は西……。それも今さっき歩いてきた道ではなく、その少し北、山の麓を歩いてゆくルートだ。
このルートを通れば、真っ直ぐ無学寺に戻れる。先程は誰もいなくなっていた場所だが、今の時間なら誰かがいるかもしれない。
もし誰かに遭遇したなら、その人物から禁止エリアを聞き出せばよい。聞き出すための説得材料は十分にある。結城のショットガンを握る手に、力が入った。
どうせここで禁止エリアの恐怖に怯えていたとしても、鷹野神社が三時の禁止エリアだった場合は死んでしまうのだ。なにもせずに留まるという理屈はない。
「そうと決まれば、善は急げだよね」
疲れた身体に鞭を入れ、結城は再び歩き出した。
おそらく無学寺につくのは三時間後。一切の睡眠をとらずに歩きづめになる。
しかし結城は止まれなかった。早くしないと、いつ花井が他の女に取られてしまうかわからない。
その前に、花井に会う。それと同時に、彼に近づく女は殺す。至極簡単なことだ。だから進む必要がある。
転がる二つの死体に手をあわせることすらせず、結城は鷹野神社を無言で立ち去っていった。
※ ※ ※
一時間ちょっと歩いたところで、結城は周囲が騒がしいことに気がつく。
これまではちらほらとしか姿を見せていなかったカラスが、やけに五月蝿く騒ぎ立てているのだ。
一刻も早く目的地へと向かう必要のあった結城であったが、さすがにこの騒がしさを気にしないわけにはいかなかった。
進行方向を少し右に変えて、カラスが集まっている場所へと向かう。
進むにつれてカラスの鳴き声がいっそう騒がしくなっていたが、結城を襲うようなマネはしなかった。結城はショットガンを構えつつ、淡々と足を進め続ける。
やがて木々が開けて目の前に斜面が現れ、結城が足を滑らせないように下を覗き込んだその時、彼女の目に飛び込んできたのは大量のカラスの群れ。
その数は二、三十といったところだろうか。そう考えながら、結城は何の目的でカラスが集まっているのかが気になり始めた。
まるで競うように次から次へと入れ替わり立ち替わりやってくるカラス。その光景は、異常としか言いようがない。
「……よし」
足元の石を拾い上げ、カラスの集団の中心へと思いっきり投げつける。
石は狙い通りの場所へ到達し、その瞬間カラスたちはいっせいにその場を飛び立っていった。
そこで結城が見たのは、見覚えのある金髪の少女の、無残な姿だった。
「冴、ちゃん? どうしてこんなところに。だって、彼女は私が……」
結城が音篠を殺したと思った場所はこの近くではあるがここではない。だとしたら、殺し損ねていたのか。
そう思い、結城は憎々しげに奥歯を噛み締めた。自分にはあんな馬鹿女一人殺せないのかと考えると、心底腹が立った。
それでも、と結城は思う。
それでも結局音篠は死んだのだ。もう自分と花井の間を邪魔する可能性はない。
カラスが再び音篠にたかり始める。結城は踵を返し、もとのルートへと戻り始めた。
中途半端ではいけなかった。ちゃんと殺さなくては、油断しないようにしなくてはいけない。
殺るならちゃんと殺らなくてはいけないのだ。徹底的に、息の根を止める。
もうヘマはしないと決意を固めつつ、結城は無学寺へと足を進めようとした。
……が。
次の瞬間、結城はなぜか星空を見ていた。
結城は何が起きたのかまったく理解できていなかった。
突然足に殴られるような感覚を感じ、あまりの衝撃に転んでしまった。そのことに気付くだけでも、まるまる五秒の時間を必要とした。
聞き覚えのあるような「ブヒブヒッ!」という謎の鳴き声が徐々に遠くなっていく。それを追いかけるように、カラスの大群が夜空を通過していった。
それは星空を覆う一時の闇。
あんなにも妬ましかった星の輝きを遮る漆黒の影。
結城はその暗闇がやってきた方向へと顔を向ける。そこからはまだ数羽のカラスが飛び上がっていた。
本当は無学寺に急がなくてはいけない。しかし気付くと、結城はその闇が飛び立った場所へと足を進めていた。
森の木々の中で隠れるように存在していた空き地に、闇の出発点はあった。
転がる二つの死体。先程の音篠のものに比べれば、状態は綺麗なものだ。
近づいて、顔を確認する。二つの死体は田中と永山のもの。手をつないだ二人の表情は、穏やかなものであった。
2−Cで最近話題になっていたカップルの二人。結城には、その二人の姿がとても幸せそうに見えていた。
「おかしいよね。二人とも、死んじゃってるのに」
誰に聞かせるのでもなく、そう呟く。
手を繋ぐ二人。死んでいる二人。おそらくこの二人は、誰にも邪魔されることなくこの場に横たわり続けるのだろう。
死でさえも、愛し合う二人を分かつことはできないというのだろうか。
そんな考えが、彼女の心に強く響いた。
「……そうだ」
結城は笑っていた。
「なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろうっ!」
結城はわらっていた。
「花井君を私のものに、私だけのものにするには、もうコレしかないっていうのに!」
結城はワラッテいた。
本当に嬉しそうに、結城は何度も「そうだ」と繰り返す。
いつの間にか、彼女の頭上ではカラスの大群がぐるぐると旋回していた。
星の光さえ遮られる漆黒の闇の中で、結城はとても良い事を思いついたように満面の笑みを浮かべている。
リュックをしっかり背負いなおし、ショットガンを握る手に力を入れ。
軽やかな足取りでその場を後にし無学寺へ向かう結城を見送り、カラスたちは一気に空き地の二つの死体へとたかり始めた。
ギャアギャアと騒がしい鳴き声が響く中、それでも結城は気にすることなく歩き続けていた。
花井を自分だけのものにする最善の方法を思いついた。その事だけで、今の彼女は幸せなのである。
まずは無学寺へ行こう。そこで情報を得られたら、今度こそ頑張って花井を捜そう。
それまでは花井に生きてもらわないといけない。おそらく彼なら大丈夫だろう。
結城はニヤニヤと笑みを浮かべたまま、とても幸せそうに呟いた。
「花井君を私が殺せば、私だけのものになってくれるよね」
【二日目午前:3〜5時】
【結城つむぎ】
【現在位置:F-07】
[状態]:全身にすり傷。疲労。《快晴》
[道具]:地図 ロウソク×3 マッチ一箱 防弾傘(一部に破れ)
支給品一式(食料二人分) 散弾銃(モスバーグM500)残弾3 殺虫スプレー(450ml) レンズ片
[行動方針] :花井と合流する。無学寺を目指す。
花井以外をまず殺す(周防、八雲、高野を優先)
花井も殺して自分だけのものにする。
[備考]:花井以外を警戒。眼鏡の右レンズ破損。第二回放送は聞き逃した。
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