Invite...
ヘリポートに陣取る周防美琴も菅柳平も、瞼をこする頻度が明らかに上昇してきている。
相変わらず警戒をしつつお互いに話をし続けていたのだが、さすがに限界があった。
「あーあ、俺も前半に見張りしとけばよかったよ」
溜息をつく菅に、周防はしっかり警戒してよと答えてみせる。
へいへい、と菅が再びスコープを覗き込むのを確認すると、周防は自分も菅と反対方向の監視を再開した。
「…おい、周防!」
突然、声色を変えた菅が周防を呼んだ。彼の引きつった表情を見て、彼女は事態を悟る。
「…あそこ、あの道の真ん中だ…」
菅に手渡された狙撃銃のスコープを覗き込むと、暗がりの中歩いてくる者の姿がくっきりと映った。
ただし、それも全体像までだ。さすがに顔つきまでは分からなかった。
「…男子だよね?でも、誰だろう…」
周防は首をかしげ菅に狙撃銃を渡す。菅は受け取るや再びスコープを覗き込んだ。
「結構近づいてきやがったな。くそっ、こんな顔の奴クラスにいたか?…どうする、ここから狙ってみるか?」
「ダ、ダメだよ撃ったら!敵とも限らないし、それに外したりしたら大変じゃん!」
「…冗談だよ、俺こんな銃使えねえし…でも、ほんとにどうするよ周防?どこの誰だかわかんねえぞ?
大体、こんな時間に一人歩きしてるなんて…本当にゲームに乗ってるんじゃないのか?」
着々と男が近づいてくる中、二人は背を低くして頭を働かせた。
西本ならどうするだろう、菅からはそんな言葉が漏れてくる。
「こうなったらさ、とりあえず話しかけてみようよ。向こうは銃とか持ってないみたいだし、こっちの方が高い場所だし有利だよ」
「…ま、確かに丸腰っぽいけどさ…でも、もし向こうがゲームに乗ってたとして、この銃じゃきっと仕留め切れねーぞ?」
「それでも、もしかしたら敵じゃないかもしれないし、とりあえずやってみようよ」
「…分かったよ。でも、気をつけろよ。俺も一緒に話すけどさ…」
「…ありがと、菅君」
軽く微笑んでみせると、周防は立ち上がって手を振り始めた。前回の反省を踏まえ、銃は持っていない。
…そして、何よりも。一度城戸が通り過ぎるのを黙って見ていた事の後悔が、彼女を動かしていた。
眼前に迫るホテルの前で上を見上げる男、播磨拳児。
愛する天満を探す為ホテル跡を目指していたのだが、途中で悲劇が起きていた。そう、パソコンの電源が切れたのだ。
彼は道中何度もパソコンを開いてサーチソフトで状況の確認を続けていたが、ある時画面がプッツリと切れてしまった。
ノートパソコンのバッテリーの短さに彼は怒りを覚えたが、今から東郷のいた場所へ戻る訳にもいかない。
天満に一刻も早く会いたいのは言うまでもないが、何より、自分が東郷を殺したのかもしれないという恐怖があったからだ。
だから彼はひたすら道なりに進んできた。今の彼に、振り返る事などできない。
そして現在、彼のはるか頭上、ホテル跡のヘリポートで手を振っている人物が一名見えている。
よく目を凝らして見ると、そのシルエットは女性の物であると分かった。だが、それは天満ではない。それよりも大柄な者だ。
「天満ちゃんじゃないな…でも、ホテルの中にはいるかもしれねえ。それに、ご丁寧に手を振ってりゃ敵じゃねーよな…」
適当に片手を上げてみると、シルエットの女性は更に大きく手を振り返した。…恐らく、敵意はないのだろう。
その様子を見て、播磨は初めて思考する。今上に居る人物は、沢近でも、その連れの女子でもない。
そして、自分を襲ってきた女子でもない。少なくともその女子の身長は天満並か、それよりも小さいくらいだったのだから。
…今上に居る人物は播磨にとって敵であったり、誤解を抱いた人物ではないのだろう。
だが、地理的には彼にとって何らかの不都合がある者もこのホテル内に居る可能性は否定できないことに、この時播磨は初めて気付いた。
もしかしたら、誤解した情報を聞いているかもしれない。或いは、あの時襲ってきた男女とグルなのかもしれない。…どう対応すべきか。
播磨は賭けに出る事にした。見たところ、上に居る人物は銃器を持っていない。丸腰なら、この後即座に攻撃される恐れも無いだろう。
ならば、この場は自分が名乗り出て相手の様子を探る。明らかに怪しい動きがあれば、すぐにここから離れればいい。
「おーい、俺だ!播磨拳児だ!」
手を振っていたシルエットが、シェーのポーズを作り出した。
「…ハリマ…ケンジ…だ…」
僅かに開けていた窓から入ったかすかな声。それが聞こえるや、ハリー・マッケンジーは飛び起きてリュックを背負った。
背をかがめ、窓に体が映らぬよう接近し、素早く閉める。どうやら窓は防音仕様のようで、たちまち静寂が戻ってきた。
彼は屋上に見張りが居る事を承知の上で、ホテル跡の一室に忍び込んで休んでいた。
見張りに見つかること無く侵入したつもりだったし、窓にも見張りがいない事を確認したつもりだった。
だが、現実はこの通りだ。寝始めてすぐに自分の名前が叫ばれた。侵入した事がバレてしまっていたのだ。
窓を閉めたので外から居場所は特定されないだろうが、三階までしかないホテルでは見付かるのも時間の問題。
会話をしていたくらいだ。恐らくホテルに居るのは複数だろう。それらに自分の存在を知られては、もうこの場所で休む事はできない。
ハリーは右手に石のナイフを取り出した。室内の戦闘なら、下手な銃よりナイフの方が攻撃力が上回ることも少なくない。
更に、相手は素人。対してこちらはある程度狙ったところにナイフを投げられるし、止め用のサバイバルナイフもある。
だが、それも相手やその得物を確認できた上での話だ。何人居るかも分からない相手に挑むのは、あまりに分が悪い。
まして、相手の中には"銃を持った狼"や、それと同じ武器を持った者がいないとも限らないのだ。
彼が前日の夜に訪れた神社で見た二人分の死体。あれほど遺体を損壊できる武器は、恐らくショットガンくらいのものだろう。
ハリーはその存在を最も恐れていた。狭い室内でそんな武器が使われてはひとたまりも無い。
他にも手榴弾なども脅威だが、現在この島にあるとはっきり分かっているショットガンが、最も恐ろしかった。
そんな恐怖心とは裏腹に、ハリーはゆっくりと扉を開いていった。
恐怖心は消えない。だが、逃げていては負けるのだ。だから彼はすぐに行動に移った。相手が攻勢に出る前に…
自分が通り抜けられるほど扉を開けた瞬間、すぐ近くにある階段から音が聞こえた。ハリーはすぐに扉を閉め、耳を扉に当てる。
……カッ…カッ…カッカッカッカッ…
足音の主は足早に移動しているようだった。…そして、音が小さくなっていく。少なくとも、この階で止まったようではなさそうだ。
ハリーは再びゆっくりと扉を開け、更に耳を澄ませた。
…扉を閉める音は聞こえない。つまり、屋上に人が入った訳ではないようだ。
逆に屋上から人が降りて行ったのかもしれない。それとも、三階にいるのだろうか?
…フッ、と笑いハリーは歩き始めた。あれこれ考えても仕方がない。逃げる訳にはいかないのだ。
少なくとも、屋上に人が居る事は分かっていた。まずは確実にそれを排除する。
それが複数である可能性は高いが、どのみち彼は罠に追い込まれた狼。だが、完全に罠にかかったつもりも無い。
罠にかけたと思い込んだ連中に、これから彼は牙を向けるのだ。
ハリーが立ち上がるほんの数分前、菅達はホテル前に迫った男の正体に仰天していた。
播磨拳児。最近はそうでもないが、かつては名立たる不良だった男だ。
菅は播磨の事をあまり詳しく知らないが、彼はクラスに溶け込んでこそいなかったが、少なくとも噂に聞くような男ではなかった。
だが、それもこの状況…殺し合いを迫られた舞台ではどうなるのか。彼が本当に安全な人物なのだろうか。
これまで播磨と大して会話をした事がない菅には、どうしても播磨を信じることができなかった。
「播磨ー、私!周防!!」
そんな菅の反応を知ってか知らずか、彼の横に立つ周防は大胆にも大声で播磨に呼びかけ始めていた。
「おっ、周防か!?」
「そうそう、私!今さ、菅君達と一緒にいるんだ!とりあえずこっちおいでよ!」
「ちょっ…おい、周防!大丈夫なのかよ!?」
菅の問いかけに何が?と振り返る周防は笑顔を浮かべていた。何の疑いも無い、実に晴れ晴れとした物だ。
…少なくとも、彼女は播磨を信用しているようだった。
「…なあ、周防。あれ…播磨なんだろ?ひょっとしてゲームに乗ってるんじゃないか…?」
「大丈夫だよ。グラサン外してたらちょっと誰か分かんなかったけど…あの人、案外悪い人じゃないし」
周防は何故か自分の右手を見つめて呟く。菅には事情は分からなかったが…
「…まあ、さ。お前がそう言うんなら信じるとするよ。…でも、警戒だけはしとけよ?」
「分かってるって!」
彼は周防を信じる事にした。少なくとも、彼女は信じてもいい筈だ。
「じゃーよー、とりあえず誰か迎えに来てくれねーか?どっから入ればいいのか分かんねーよ!」
屋上の二人のやりとりを…まず知らないであろう播磨が能天気に大声を上げた。
周囲に誰かいたらどうするんだと菅は胆を冷やしたが、周防が自分が迎えに行くと返事を返す。
「じゃ、ちょっと下まで播磨を迎えに行って来るよ。すぐ戻るからさ、それまで見張ってて貰っていい?」
「おう…あ、周防。念の為にこいつをもってけ」
ホテル内部に続く鉄製の扉の前で、菅は周防に狙撃銃を差し出した。
「いいよいいよ、すぐ終わるんだから」
自分の荷物は自分で管理するという約束を守り、リュックを背負った周防は首を振って断る。
が、菅は頑として譲らなかった。いくら周防は信じられても、やはり播磨は信用できないのだ。
播磨がもし敵意を持って襲ってくれば、いくら周防でも無事で済む筈がない。
…何より、信用できない男の元に周防を丸腰のまま行かせるなど、菅にはとてもできなかった。
銃。いくら狙撃用とはいえ、その外見だけでも強烈な抑止力となり得る。それは自分達が身を以って体験した事だ。
問答はしばらく続き、結局周防が折れて狙撃銃を持っていく事となった。
目視でもある程度は監視できるし、何よりも銃が嫌ならチェーンソーを持っていけと迫られたからだった。
バタバタと周防が扉を開けて飛び出していくと、菅はリュックから出したばかりのチェーンソーを再び器用になおし始めた。
中のパンを潰さぬように、地図がしわくちゃにならないように、彼は立ったまま腕を小刻みに動かしていく。
「…よし、と!」
なんとかリュックに全てを収め、彼は心地よい達成感に浸る。この作業、意外と楽ではないのだ。
「…さて、どうせすぐ戻ってくるんだろうけど…見張りでもするかな」
重いリュックを背負い、いざ菅が先ほど播磨がいた道路の方へ目を向けた瞬間、背後で扉が開く音がした。
周防だろうか?それにしては早い。…早すぎる。
「周防…?」
振り返ったその直後、彼の喉に熱が走った。
ハリーの賭けは、とりあえず幸先の良いスタートを切る事ができた。
他の階での待ち伏せの可能性をこの際切り捨て、出来るだけ物音を立てず屋上目掛けて走り、速攻を仕掛ける。
無謀という他無いこの作戦も、精神的に追い詰められていた彼にとっては遂行するに値する物だったのだ。
鉄の扉を勢いよく開けた瞬間、目の前には一人、赤い髪の男がいた。
男は扉の音に気付き、何かを呟き振り返る。その瞬間にはもうハリーの手からナイフが投げられていた。
狙い通りに首に当たる。叫び声を上げられ、他の仲間に気付かれてはならないのだ。
男が倒れる直前、ハリーはドアを勢いよく…しかし、閉まる直前でその勢いを殺し静かに閉めた。
ヘリポートに直通する扉なだけあり、防音性はかなりのものだ。それに、ホテルの壁なども恐らく非常に高い防音性があるはずだ。
ハリーはこの防音に優れた環境を活かすつもりだった。サイレント・キル…彼の武器のナイフもまた、その目標を後押しした。
「お…ぼ!?ず、お……あ、ぞ、ぼ……!!」
ゴヒュー、ゴヒューという空気の漏れる音に混じり、目の前で倒れた男が呻く。それはハリーにはそれがひどく滑稽に感じられた。
しかし、その歪んだ唇を男は睨みつける。喉に手をあて、もがきながら。
「…その目、ただの豚ではないナ。――だが、何も出来なければ豚と同じダ」
ハリーはリュックから今度はサバイバルナイフを取り出し、男の心臓目掛け刃を突き立てた。
赤い髪が一瞬持ち上がった後、再びコンクリートに沈む。そして、二度と起き上がる事はなかった。
男が事切れた事を見届けると、ようやくハリーは周囲を確認した。どうやら誰もいないらしい。
周囲の確認すらせずに攻撃を行なったことを、攻撃が成功した後の余裕もあってか彼は後悔した。
やはり、ろくに眠れなかったのが痛い。明らかに判断力が低下してしまっている。
「結果オーライ、だが…こんな事を続ける訳にはいかんナ…」
考えが浅くてはただの獣。自分は狼でなくてはならないのだ。
ハリーは赤い髪の男の体からサバイバルナイフと石のナイフを回収し、男のリュックは左の肩に背負った。
どちらのナイフも倒れた男のシャツで血を落としていく。こうして、白かったシャツは満遍なく赤く染まってしまった。
「…さて、後は撤退だナ。もうここでは眠る気になれん…」
石のナイフを再び握り締め、ハリーは鉄の扉を手短に開いていく。
彼が元いた部屋を出て、僅か三分足らず。実に電撃的な攻撃だった。
ハリーが僅かに聞こえた声で飛び起きるより随分前から、石山広明は音に悩まされ続けていた。
定期的に鳴り響く騒音…所謂いびきだ。声の主は、もちろん西本願司。恐ろしい程いびきをかき続けている。
西本は筋肉痛だと事前に聞いていたし、確かに疲れていたのだろうが…それにしても、この熟睡ぶりは大したものだった。
クラスメート同士の殺し合いが行なわれているこの島で、石山もまた色々と思考を巡らせ、眠れない者の一人だった。
疲れがあるし眠りたいのだが、脳が眠らせてくれない。彼は横になってからずっとそんな状態だ。
そして、それに追い討ちをかけるように聞こえ出した西本のいびき。これでは眠れるはずがない。
「ったく、よく眠れるなこんな状況で…」
呆れた笑いを西本に向ける石山。その一方で、彼は西本をとても頼もしく思っていた。
この状況で眠れる程の胆力。彼がただ口だけの男ではないという何よりの証にすら感じられる。
「…あーあ、菅達の所にでも行くかな…」
とはいえさすがにこのいびきには耐えられないのか、石山はヘリポートに向かうべく部屋を出た。
「えーと、階段はこっちだっけ…」
リュックも背負わず、石山は階段に向かって歩いていく。軽く話しに行くのだから荷物はいらないのだ。
窓から入る月明かりに照らされた廊下を抜けると、すぐに階段が見えてくる。部屋からそう距離はない。
と、不意に彼の目の前に金髪の男が現れた。男は一瞬目を見開いた後、振りかぶって何かを投げつける。
石山は驚きの声さえ上げる事もできず、次に視界が動いたときには右の太ももに黒い石が突き刺さっていた。
「づああっ…お、お前、ハリー・マッケンジー…!」
廊下の赤いカーペットに、右足からの血が伝わっていく。今まで味わったことの無い痛みが、石山の全身を支配していった。
目に涙を浮けべ、石山はひょこひょこと飛び跳ねるように逃げようとする。だが次は背中に激痛が走り、ついに彼は転倒した。
カーペットは血だけでなく、こけた時の音までも優しく包み込んだ。だが、右足に刺さったままの石だけは容赦なくめり込んでくる。
「あ、あ、あ…」
ついに両目から涙がこぼれ出した。これだけの痛み、堪える事などできる筈が無い。
…だが、彼は大声だけは上げなかった。例え、三回目の痛みが今度は腰を襲ってきたとしても。
「…ホォウ、大した根性だナ。ダーツ・ゲームでもしたいのカ?」
うつ伏せに倒れる石山の後ろで、ハリーの嘲笑が聞こえてくる。だが、石山は構わずに息を殺していた。
いくら涙が止まらなくても、動けなくても、声だけは出さない。自分が声を出せば、他に仲間が居る事がバレてしまう。
そうなれば、この男はきっと他の仲間達も攻撃する。特に、眠っている西本はひとたまりもないだろう。
これだけあちこちをやられてしまい、自分はもうダメだ。痛いし、死ぬのは恐い。…でも、それでも声は出さない。
西本は希望だ。菅も周防も、大切な仲間だ。絶対に手を出させたくない。
だからこそ石山は堪え続けていた。この場を自分一人と思わせ、この男から皆を守る為に。
それが弱い自分に出来る、最後の抵抗なのだから。
「…えっ、パソコンの電源切れちゃったの!?他にバッテリーとか持ってないの?」
なぜだろうか、屋上にいる筈の周防の声が聞こえた。階段を上がってきているのだろうか?
石山の顔から、急速に血の気が引いていった。
「…やはり、他にも居たのか…!」
目の前の男に三本も石のナイフを使ったハリーは、階段から声が聞こえてきた事にかなりの衝撃を受けていた。
最短ルートでこのホテル跡から脱出する為ハリーが階段を下りてすぐ、三階で見つけた男。
赤い髪の男の時と同じように喉を狙ってナイフを投げたが、手元が大きく狂ったナイフは男の右のふとももに刺さってしまっていた。
ハリーは男が叫び、他の仲間を呼ばれる事を覚悟したが、何故か男は大きな声を出さなかった。
かといってそのまま放置する訳にもいかず、両手がフリーな状態ではいきなりサバイバルナイフで接近戦に持ち込むのも危険だ。
だから彼は逃げようとする男の背中に二本目のナイフを投げつけた。
それでも男が声を押し殺すので、ハリーの心の中で何かが芽生えた。疲労で精神がハイになったからこそ味わえる、一種の快楽。
這いずり回る豚を蹂躙する、狼の遊び半分のハンティングだ。
ハリーは三本目のナイフまで使ってダーツ・ゲームを楽しんだが、それも終わりだ。階段の…恐らく下から声が聞こえてきた。
「ちぃぃ…!」
ハリーは急いで男の学ランの首筋を引きずり、すぐ近くにあった301号室まで運んだ。
その際、男が倒れていた場所のカーペットを確認するが、少なくとも月明かりの下では血は目立っていない。
壁などにも目立った血痕が無い事を確認すると、ハリーは音を立てずに301号室の扉を閉め鍵をかけた。
ドアの向こうから、かずかに声が聞こえ続けている。一人は女、一人は男。どうやら二人で階段を上っているようだ。
男を投げ捨て、ハリーは扉に耳を当てる。何かを喋る男女の声は次第に遠のいていき、そして聞こえなくなった。
「…は、は…ざまあ、みろ…」
声の方に振り向くと、うつ伏せのまま、男がにやりと笑ってみせた。
蒼白な顔色と実にミスマッチしたその表情は、ハリーを苛立たせた。
「…何の事か分からないが…」
ハリーは男の背中から石のナイフを引き抜き、男の首筋にそっと当てる。
「死ネ」
軽く腕を上げると、プシュッという音と共に壁が血に染まった。
もちろん、自分にはふりかからないように避けた上だ。お陰で手の先くらいしか血に染まらずに済んだ。
「…さて、上に行ったならすぐに死体に気付くナ。潮時ダ」
ハリーは鍵を開けると、先ほど殺しに使ったばかりのナイフを握り締めその場から全力でダッシュして階段を駆け下りる。
男の腰や足に刺した分のナイフは諦める事にした。また作ればいいのだし、道具に固執してやられては何の意味も無い。
ホテルの玄関を出ると、彼はいよいよ全速力で駆けていく。――足の疲労に気付いたのは、丁度その時だった。
「西本君!西本君!」
何度も306号室の扉を打ち鳴らされ、さしもの西本も目を覚ました。
「…ん?ああ、もうすぐ放送の時間ダスな…って周防さん、どうしたんダスか!?」
西本が返事をするや、扉が開いて周防が飛び込んできた。
周防は泣いている。そしてその後ろには…彼の記憶のどこにもいない、大柄な男が立っていた。
「ななな…まさか、痴漢ダスか!?ええい、お前!周防さんから離れ…」
「違うんだよ…こっちは、播磨で…」
この男が播磨と言われて混乱しかける西本だったが、それも周防の涙の前に急速に落ち着きを取り戻していく。
そして、恐らくこれから周防が語るであろう悲劇を、彼はどこかで予感してしまっていた。
「…菅君が、殺された…」
その一言を最後に、周防は泣き崩れた。男勝りな彼女が声を上げて泣く姿など、誰が想像できるだろうか。
それが今、眼前で繰り広げられている。それは、菅の死を確信させるに十分な光景だった。
「アタシが、さ…播磨を迎えに下に行く時に…菅君から銃借りないで手ぶらで行ってればよかったんだ…なのに…アタシィ…」
「周防さん、自分を責めるのはやめるダス!」
一喝。西本は肩を、声を震わせ叫んだ。その震えが彼の悲しみ、悔しさを表している。
「…もう、仕方がないダス。それより、菅君がどこで殺されたのか教えて欲しいダス」
「…俺達が屋上に入ったら、もう菅って奴は殺されてた…胸と喉に、刺し傷があった」
「…分かったダス。皆、一旦屋上に行くダス。話はそれからダス…」
西本は力なく立ち上がると、先頭に立って歩き始めた。
力なく膝を付いていた周防は播磨に肩を貸され、二人でその後をついていく。
「…なあ、もう一人いるんじゃなかったか?」
「そう、だ…石山君は!?」
「…多分、トイレと思うダス。それよりも、今は先に屋上に行くダス。
…本当は探したいダスが、今下手に中をうろつくのは危険すぎる。一つ一つ、安全を確認していくべきダス…」
ポツリと呟き、一行は再び歩み始める。屋上に行くまで、周防に代わり播磨とある程度情報を交わしつつ、西本は常に周囲を見渡していた。
「菅君…なんて事に…!」
扉を開けて最初に飛び込んできた光景は、あまりに惨いものだった。
首の中心に黒々とした穴を開け、カッターシャツは首元から心臓、そして腹にかけて幅広く血に染まっている。
そんな仰向けの菅の遺体を目の前に、再び周防は涙を流し、播磨は鉄の扉を殴りつけた。
「…リュックは持っていかれているダスか…とりあえず、まずはこのヘリポートに誰か隠れていないか確認するダス」
「隠れる?まだ犯人がここにいやがるってのか!?」
「話を聞いた限り、周防さんが播磨君を迎えに行ったほんのちょっとの間に菅君は殺されたんダス。
それならば、犯人はかなりの確率でまだこの建物に居る筈。もしくは、せいぜい外に逃げた直後とか…」
夜風が吹きすさぶ中、西本は冷静に持論を展開していく。自分は冷静でいなくては。それが、リーダー役としての務めなのだから。
周防から狙撃銃を借り、播磨と西本で周辺を見回していく。
もっとも、このヘリポートで死角があるとすれば扉の裏側くらいのものだ。二人で恐る恐る確認したが、誰もいなかった。
「…とりあえず、ヘリポートは安全ダスな。もう放送が近いし、放送が終わってから三階からしらみつぶしに探すダスか」
「…待ってよ。石山君は?あの人、きっと今も一人で…もしかしたら、今頃犯人に狙われてるんじゃ…!?」
周防の歯がカチカチと震え始める。明らかに寒さによるものではない。
「…むしろよ、その石山って奴が菅を殺したんじゃねーか?」
播磨の一言で、ヘリポートの空気が変わった。そして、西本や周防の顔つきも。
「そんな訳ないじゃん!石山君は私達の友達だよ!?」
「でもよ、一人だけ消えたんだろ?そいつが菅を殺して、そんで逃げたんじゃねーのか!?」
「…ワスらが306号室を出る前、石山君のリュックが彼が寝ていたベッドの上にあるのは確認しているダス。
仮に彼が犯人なら、わざわざリュックを置いていく理由はないダス」
「…だからって、分かんねーじゃねーか!もしかしたら何かの弾みでやったんじゃねーか!?」
「…彼の支給品は植物図鑑ダス。何かの弾みで、今まで彼が持っていなかった刃物が出てくると思うダスか?」
「ぐっ…」
播磨は言葉を返せず黙り込んだが、どうも彼の表情を見る限り、石山が犯人という考えを捨て切れてはいないようだった。
かく言う西本は…もちろん石山は友人であり、彼が菅を殺すような、殺せるような人物だとは思ってはいない。
彼が考えるのはあくまでも可能性だ。もちろん、石山が殺した可能性もある。だが、それ以上に彼が危惧していたのは――
「…とりあえずこの場は扉の死角にいれば、犯人が来ても大丈夫ダス。播磨君、悪いけどその銃で見張りをやって貰っていいダスか?」
「…わかった」
西本達はヘリポートの扉の裏側に固まり、そこで放送まで過ごす事にした。
周防は石山の捜索を訴えていたが、放送を聞き逃す訳にはいかないし、犯人も放送中は行動できないと諭した。
例えクラスメートとの関係を捨てゲームに乗った人間でも、禁止エリアの情報だけは聞き逃してはならないのだから。
それに、安全確認中に放送が流れては、確認作業も放送の聞き取りも疎かになり、最悪潜伏中の犯人の襲撃さえ受けかねないのだ。
菅が死んだショックは、周防が一番大きいようだった。何せ何時間も二人で外で見張っていたのだ、無理もない。
放送までの間、西本は自分も目視で監視をしながらも、播磨との更なる情報交換をする事にした。
ただ、放送を聞けば石山を急いで探す必要はなくなるのではないか。否定したくなりながらも、西本は心のどこかでそう予感していた。
ホテル跡から飛び出して十数分、ハリーは再び山に向かって歩き続け、やがて一本の大木の前に辿り着いた。
行きと違い、帰りはとても早いものだった。監視さえ気にしなければ、疲労を差し引いても一歩一歩が早い。
他に人間がホテル跡に居る事は間違いないが、すでに仲間を一人(もし隠れている死体に早く気付いたら二人)失ったのだ。
短時間で外部の監視を再開する余裕はとてもないだろう。だから彼は手早く撤退する事ができた。
大木には窪みが出来ており、人一人が入って休むには丁度いい大きさだ。
ここは彼がホテル跡に向かう途中、もしもの時の野宿場所としてメモしておいた場所の一つだった。
周囲は茂みも多く、外部からはそう簡単には見付からないだろう。
窪みに入る前、ハリーはペットボトルの一本を空けて手についていた血を洗い落とした。
ペットボトルは十分に数が揃っているので水は潤沢に使う。それだけ血がべたつく感触は不快だったのだ。
水を使い切るとハリーは窪みに入り、今度は学ランをはたき代わりに土やほこりを落としていく。
ある程度きれいになると、彼はようやくリュックを足元に並べ、腰を下ろした。
放送まであまり時間が無い事はハリーも分かっていた。だが、それまでに少しでも回復しておきたい。
彼の疲労は、自身の予想を遥かに超えて酷いものだった。
実際、彼はこの半日で四人を殺し、そのうち二人はごく短時間で連続して殺害した。
それに加え、ほぼ半日で島の半分以上(それも山道)の距離を歩いてきたのだ。肉体的に限界にきていると言う他無い。
そしてそれ以上に深刻だったのは、先ほどまで張り詰めていたせいで蓄積され続けた精神的な疲労。これが更に彼を追い詰める。
彼にとって、あれだけストレスを感じて行動したことは久しくなかったのだ。改めて、最近の自分はぬるま湯に浸っていたのだと実感した。
それらの考えが途中で途切れる。ホテル跡で寝始めた時とは違い、彼は深い眠りに落ちていった。
【二日目 5時〜6時】
【西本願司】
【現在位置:E-04 ヘリポート】
[状態]:健康、筋肉痛、かなりの精神的ショック
[道具]:支給品一式(食料2、水2) 携帯電話 山菜多数
[行動方針] :1.放送を待って石山を探す(菅殺害の犯人とは疑っていないが…) 2.殺人犯を探す
3.夜明けを待って分校跡に行き他の仲間を集める(それ以外にも思うところアリ)
【周防美琴】
【現在位置:E-04 ヘリポート】
[状態]:健康、かなり激しい精神的ショック
[道具]:支給品一式(食料2、水2) ドラグノフ狙撃銃(残弾10発)
[行動方針] :1.放送を待って石山を探す(菅殺害の犯人とは疑っていない) 2.殺人犯を探す
3.夜明けを待って分校跡に行き他の仲間(特に天満、沢近、高野、花井、麻生)を集める
【播磨拳児】
【現在位置:E-04 ヘリポート】
[状態]:健康、精神的な焦り、怒り
[道具]:支給品一式(食料6、水4)、インカム一組、ノートパソコン(バッテリー切れ)
[行動方針] :1.放送を待って石山を探し出す(菅殺害の犯人と思っている) 2.天満を探す 3.沢近の誤解を解く
[備考]:サングラスを外しています。吉田山が死んだとは思っていません。
「もしかしたら自分が東郷を殺したのかも…」と思っています。
【ハリー・マッケンジー】
【現在位置:E-04 南部、山の近く】
[状態]:かなり激しい疲労、深い眠り
[道具]:支給品一式*2(食料4、水5) UCRB1(サバイバルナイフ) スピーカー
黒曜石のナイフ×4本(投擲用) MS210C−BE(チェーンソー、燃料1/4消費)
[行動方針] :放送まで少しでも休む
[最終方針] :ゲームに乗る。でも女性は殺しにくいかも…
[備考]:結城の傘を普通の傘と認識。
:夜の視界確保のためにサングラスを外しています。
【菅柳平:死亡】
【石山広明:死亡】※荷物は306号室にあります。
――残り25名
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