だから彼は走ることにした






「なぁ……高野」
「何? 岡君」
 現在の時刻は、午前五時少し前。高野が三時に雪野達と見張りを交代してから、ちょうど二時間が経とうとしている。
 目を覚ましたときに高野が最初に見たものは、雪野のにやけ顔である。
 正直、よくシグ・ザウエルの引き金を引くことを我慢できたものだと、高野は今でも自分自身に感心していた。
 高野の手には大塚の薙刀。見張りはそれを携帯するというのが、皆で決めたことだった。高野も、砺波から薙刀を手渡された。
 バックは自分のものを背負っている。外に出るときは必ず持つようにと、それもみんなで決めていた。
 皆のいるお堂から小さな庭をはさんで存在する少し開けた場所が、見張りの拠点だった。
 観音堂に行こうとするなら、ほぼ全ての人が通ると思われる場所である。
 この場所があくまで拠点でしかない理由は、もちろんその他正規ではないルートもあるので、そこも監視しなくてはならないからである。
 考え事をするのに邪魔になるので、「私も見張りを続ける」と言い張る雪野を優しい言葉で言いくるめて岡と二人きりで見張りを続けているが、怪しい気配は一度も感じられなかった。
 虫の音さえも聞こえず、高野にはまるでこの世界には自分達しか生きた人間がいないようにさえ思える。もっとも、あと二日のうちにこの島がその通りの状況になるに違いないのだが。
「この鎖、何時になったら外してもらえるんだろうな。俺はもうすっかり反省してるっていうのに。つうか鎖で縛っておいて見張りもなにもねぇだろう」
 この二時間、結局一度も上半身の鎖だけは外さなかったことについてはやはり不満があるようだ。
 岡としては、折角のふたりっきりの状況で、色々と夢膨らむことがあったらしい。
 しかし残念ながら、高野にはその気はまったくない。自分が必要だと思うときは餌を十分にあたえ、そうでないときは飢えさせていざというときの起爆剤を溜め込ませる。
 それが高野の考え方だった。なにも、不必要なほど自分を安売りする必要はない。このゲームが終れば、自分の人生は取り戻せるのだから。


「……わかってるわ。でもやっぱり、大塚さんを説得するのは難しいと思うの。
 かなりこのゲームの事を怯えてるから」
 それは事実。実際大塚は休む前に、高野に「岡の鎖を勝手に外さないように」と釘を刺していた。
 高野は、そもそも鎖で縛ってしまっては見張りの役割を果たせないのではとも思ったが、女の子は遠い殺人者よりも近くの前科持ちの方が怖いらしい。
 いかに雪野と岡を抑えているからといって、この集団の中心人物は大塚に違いない。彼女の意向を無視することは、今の段階では不可能だ……という認識は、岡にももちろんある。
 だからこそ、有効な言い訳なのである。
 もちろん隠れて無視することは可能だが、現段階でそんな事をしてまで岡を自由にする意味はない。
「お願い、もう少し我慢して。もう少しすれば、外してあげられると思うから」
 それも事実。どう転ぼうが後二日でゲームは終わるのだから、すぐ外れるには違いない。そうすれば、鎖の呪縛から解かれて自由にもなれるであろう。
 レイプ未遂犯として地獄に堕ちるのなら、別の話ではあるが。
「……まぁ、高野にお願いされちゃあしょうがねぇか。なんにせよ、危険な事態になったら何が何でも外してくれよ。そしたら、お、俺がお前を護るからなっ!」
 裏返る声。自分で言って自分で照れてしまっているところが、もう手に負えない程の格好悪さを演出してしまっている。何気に顔がにやけているのもマイナスポイントだ。
 普通の女性なら引き気味になってしまうところを、高野は決してそうは見せなかった。いや、そうは見せられなかった。
「そろそろ、五時ね」
 そう言って、高野は立ち上がる。
「交代の時間か」
 岡は少し考えてから、改めて高野を見て口を開いた。
「俺が烏丸を起こしに行って、高野が大塚を起こしに行くって事でいいか?」
 おそらくは、自分も何かしたいということなのだろう。この二時間、ときどき周囲の見回りをしていた高野とは違い、岡はただ一箇所に座っていただけなのだから。
「でも岡君、その状態じゃ動きずらいでしょう」
「う、む、まぁ……」
 実際、今の岡は上半身の動きがかなり制限されている。障子などを開けるにも、一苦労することだろう。


 それにこれは高野にとって、烏丸と話をするいい機会だ。もしもチャンスがあれば、殺してしまうことも可能かもしれない。
 あくまでもそれは、チャンスが二重三重にそろえばだが。
「いいわ、私が二人とも起こしてくる。岡君はその間ここで見張りを続けていて」
「すまねぇな、ホント」
 明らかに気落ちしている岡に、高野は軽く笑いかけた。
「いいわ、いざという時は頼りにしているから」
「ま、任しとけよっ!」
 胸を張って吼える岡。
 これも嘘の言葉ではない。高野は確かに岡に期待しているのだ。便利な道具としての岡に。
 うまくいけば楯代わりにもなるし、危険な場所への偵察要員にももってこい。後で麻生を始末しなくてはならない事になった時の捨て駒にも使える。
 自分に惚れた男ほど、扱いやすいものはないのだ。なにも疑わず、自分の言葉を優先して信じてくれる。
 思わず口元に笑いが浮かぶ。しかし岡はそれをまたも微笑みととらえてくれたようだ。にやけ顔がなんともわかりやすい。
 高野は薙刀を持ったまま、その場を離れた。万が一この状況下で岡が誰かに襲われたならひとたまりもないのだが、そんなことは気にしない。
 むしろ叫びで敵襲を知らせる役目を果たすことが出来ればそれで上等なくらいだろう。
 最初に起こすなら烏丸だろうと、高野は思った。薙刀を握る手に力をこめて、高野は烏丸の休むお堂の個室へとゆっくり歩き出した。



※     ※     ※



   がららっ

 立て付けが悪いのか、静かに開けたつもりだったが思ったよりも大きな音が鳴る。
 一瞬身構えた高野だったがすぐにその必要がないことに気付き、ゆっくりと室内に足を進める。
 烏丸は決して襲ってきたりはしないだろう。……こちらが不用意に手を出さないかぎりは。


 部屋に入った瞬間飛び込んできた光景は、机に突っ伏して寝息を立てている烏丸。
 布団がないとはいえ畳が引いてあるこの部屋で、なぜわざわざ疲れるような姿勢で眠っているのか……。その答えは、周囲に広がる原稿が物語っていた。
 おそらくは、途中で疲れて眠ってしまったに違いない。さすがの烏丸も、あの鉄面皮の裏側には相当の疲れが溜まっていたということなのだろう。

 ―――もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。

 唾を飲み込む音が、不自然なほど大きく自分の中で響く。薙刀を持つ手が、しっとりと汗で湿ってきた。
 烏丸は今、疲れて眠っている。抵抗はできない。
 岡は見張りの場所から動かないし、大塚を初めとしたほかの三人も夢の中だ。烏丸を殺した後も、適当に誤魔化すことは可能かもしれない。
 なんなら、彼の死体を隠してから大塚をも殺し、大塚を殺した烏丸が逃走したという筋書きを書いたって構わないのだ。
 薙刀を、両手持ちに変える。そしてそのまま、極限まで殺気を抑えて烏丸の背後を進んでいく。
 じりじりと、すり足に近い格好で徐々に近づいていく。薙刀の間合いに入るまであと二メートルといったところか。高野は興奮とも緊張ともとれないなんとも妙な気持ちになった。
 あと少し。あと少しで、二人目の命を狩りとれる。そうすれば、自らの優勝にまた一歩近づけるのだ。
 あと一メートル。……殺れる。これなら殺れる。
 そう思い、高野は薙刀で烏丸を斬りつけようと大きく薙刀を振りかぶった―――その瞬間、急に烏丸が身体を机からむくっと起こした。
 急な出来事に高野は戸惑い、思わず薙刀を手から離す。
 硬いものが畳に落ちた時の鈍い音が辺りに響いたが、烏丸は微動だにしなかった。
「誰?」
 机に向かった格好のまま、烏丸がそう問いかける。
 高野の企みは完全に失敗だった。なんと間の悪いことなのだろう。
「……高野よ。見張りの交代の時間だから、起こしに来たわ」
 落ちた薙刀を拾いながら、高野は応えた。
 こちらを向いていないのだから、落とす前に自分が薙刀を振りかぶっていた光景は見られていないに違いない。そう考え、至極平静を装う。

 烏丸は机の周囲に散らばる原稿をかき集めて一つにまとめた後、立ち上がり初めて高野のほうに振り向いた。
「今すぐ行く」
 相変わらずの無表情。さっきまで眠っていた人間の表情ではなかった。
「起きていたの?」
「いいや、眠っていたよ。でも、何だか気が張ってたから……あまり休めた気がしないよ」
 そう言いながら、烏丸は自分のバックに原稿をしまい始める。
 嘘をついているようには見えなかった。そもそもこの状況では、嘘をつく必要はない。
 高野が薙刀を持っているとはいえ、烏丸の足元には日本刀が転がっている。
 間合いでは圧倒的に高野が有利だったが、実際に切り合って高野が生き残る可能性はかなり低い。烏丸の運動性能の高さは重々承知していた。
 もしも烏丸が起きていて、高野の烏丸を殺そうとしている動作に気付いていたなら、今頃自分は切り捨てられていてもおかしくない。そうでないということは、烏丸はやはり寝ていたのだろう。
 高野はそう結論付け、言葉を続けた。
「こんなゲームじゃ、無理ないわね」
 烏丸はコクリと頷いて、バックを背負い日本刀を手に取る。
 これで烏丸に手を出す機会が一つ失われた。しかし焦ることもないだろう。彼は手を出さなければ人畜無害。殺せなくても最悪放っておけばよい。
「それじゃあ、外で岡君が待っているから、交代してきてくれる? 大塚さんは私が起こしてくるから」
 そう言って、高野は薙刀を握りなおして烏丸に背を向ける。
 これ以上は長居しても無駄だろう。
「わかった」
 烏丸からの同意も得られ、高野は安心して先程自分が入ってきた扉へと足を進めた。
 これから大塚を起こして、他の二人が眠っている部屋で休みながら、今後の対応を考えよう。そうすれば、何かいい案が浮かぶかもしれない。
 そう思いながら高野が敷居を跨ごうとした時。
「そうだ、高野さん」
 不意に、烏丸から声がかかった。
「……何?」
「僕の事を警戒する気持ちはわからなくないけど、僕は本当に君達に危害を加えるつもりはないんだ。だから、あまり敵意をむき出しにしないでくれるかな」


 その時、高野は全てを理解した。
 烏丸がさっきまで眠っていたのは間違いないだろう。しかし彼が起きたのは偶然ではない。
 彼はずっと“気を張って”いた。そう、それはおそらく睡眠中もなのだろう。だから私の気持ちに―――殺気に、彼は気付いて起きたのだ。
 殺れると確信したその瞬間にのみ、わずかに洩れただけの殺気を。高野の額に冷や汗が流れる。
 しかし、まだ手遅れではない。殺気に気付いたのにも関わらず反撃をしなかったと言う事は、自分がこのゲームに積極的に参加しているということはバレていないはず。
 きっと烏丸は、ただ単に警戒しているだけと思い込んでいるはすだ。
 そう思い、高野は無理やり微笑を作った。
「……わかった、信用するわ」
 一言だけ言い残して、高野は足早に部屋を出て行く。
 烏丸大路はやはり危険人物だ。身近に置いておけば、いつかこちらを破滅に導きかねない。
 何か早急な解決策を考えなければいけないが、彼自身の性能が高すぎるせいで中途半端な策は逆にこちらの首を絞めかねない。
 どうすればいいのか、どう殺ればいいのか。
 高野は考え続ける。殺すことだけを考え続ける。このゲームの中で、彼女はもう完全に壊れきっていた。
 自分の人生など、どう逆立ちしても取り戻せないほどに。



※     ※     ※



「おはよう、烏丸君」
「おはよう、大塚さん」
 烏丸が、鎖に縛られた岡と見張りを交代してからすぐに、大塚がやってきた。
 もう朝陽も地平線から顔を出している。漫画の表紙にでも使いたい、そんな事を烏丸に思わせるような綺麗な光景だった。


「昨日は、ごめんね。いきなり薙刀突きつけたりして」
 すまなそうに、大塚が謝る。
 そのことでだいぶ後悔しているようだ。本来彼女の持ち物であるはずの薙刀は、女子達が眠っている部屋においてきたらしい。
 日本刀があるので、見張りに困ることはないが。
「いや、僕がいきなり声をかけたのがいけないんだ。大塚さんが気に病む事じゃないよ」
 それは烏丸の本心だった。この状況下で、一介の女子高生に冷静な対処を望むほうが無理というものだ。
 いくら警戒していたとはいえ、それくらいの気遣いは備えているべきだったかもしれない。そう思い、烏丸は大塚に責任を求めなかった。
「そう言ってくれると助かるわ」
 にこやかに大塚が笑う。烏丸も笑い返したかったが、どうにも表情がうまく作れない。
 なんとなく気まずくて、正面へと視線を戻した。まぶしい朝日が、目を眩ませるほどに輝いている。烏丸は思わず目をつぶる。
 瞼の裏に、髪を両側で縛った少女の笑顔が一瞬だけ浮かんだような気がした。
「ところで、ちょっと聞いていいかな?」
「……何?」
 大塚の問いに、烏丸は再び目を開けて彼女のほうを見る。
「さっき、播磨君を探してるって言ってたけど、それは何で?
もしかして、二人で脱出する計画があったりするの? ねぇ烏丸君……」
 明らかに、期待している目だった。
 ……烏丸と播磨。
 この組み合わせはおそらく彼女にとっては異質。だとすれば、なにかしらの意味があるのだと思うのも無理はない。
 脱出の為の同盟を組もうとしていると思われているのだろう。しかし烏丸にはそんな策はなかった。
「残念だけど」
 その一言で、大塚の顔に明らかな失望の色が浮かんだ。
 これ以上続けるのは忍びないが、それでも烏丸は言葉を続けた。
「……残念だけど、まだそんな方法は思いつかない。播磨君を探してるのは、別の理由からなんだ」


「そう、なんだ」
「うん、ゴメン。だから朝になったら、ここは出ていく事になる」
「そっかぁ。……このまま皆で行動、って選択肢はないの?」
 確かにその方法もある。
 しかしそれでは明らかに移動速度が下がるし、もしかしたらその間に播磨が殺されてしまうかもしれない。そうすれば、自分の漫画は完成しなくなってしまう。
 下描きはできていて、あとは仕上げが15ページだというのに。
「……ゴメン。一刻も早く彼を見つけたいんだ」
 自分でも、なんでこんなに原稿に対して固執するのかはわからなかった。
 確かに記録として始めた漫画に固執するのは自分の信念に従うという意味で正しいと思う。しかし、それは自らの死をも超越してまで抱く想いなのだろうか。
 わからなかったが、本能がそうさせるので従うよりほかない。思うままに行動を続ければ、理由は自ずと見えてくるだろう。
 だから折角の誘いも烏丸は断るしかなかった。正直、大塚にはすまないと思ったが、目的のためにはしょうがない。
 落ち込んでいるだろうと思って大塚の顔を覗き込む。しかしそのにあるのは落胆の表情ではなく、どちらかと言えばこちらを心配しているような顔だった。
 そういえば、彼女はクラスのまとめ役。何かに思い悩んでるクラスメイトがいれば、おせっかいを焼こうとするのが本来の彼女なのだろう。
 落ち着いて、少し元の自分を取り戻したということか。この状況で疑心暗鬼になっていくよりはよっぽどよい傾向であると、烏丸は思った。
「やっぱり理由を教えてくれるかな? どうしても嫌だっていうなら仕方ないけど、ちょっと気になったから。生き残るより大事な事って何なのかな?」
 生き残るより大切なこと。
 確かに今の烏丸にとって、漫画を書くことは生き残ることよりも優先的な事項だった。
 最終的に完成するならその後死んだって構わない、と言える位に固執していると言ってよい。
 別に秘密にしておくことでもないし、今の大塚なら例え見せたところで破り捨てたりはしないだろう。ならば、理由を明かしても問題はない。
 そう決意して烏丸はまず一言、こう告げた。
「……二条丈っていう漫画家を、君は知っているかい?」


 烏丸が元禄自衛隊で有名な二条丈の正体であると知ったときの、大塚の反応は大きいものだった。
 身近に大ベストセラー漫画家がいることなんてそうざらにあるものではない。明らかに興奮していた。
 漫画を描き始めた理由。談講社のジンマガ編集長との出会いから、連載の開始。そして最近の話なら播磨がジンマガの新人作家として認められた話まで、包み隠さず全て話した。
 だからこそ、漫画の完成に播磨の力が必要なのだということもすべて説明した。
 大塚は一つ一つの事に驚いていた。全ての話が終るころには、疲れているというか軽く放心状態であった。
「……烏丸君って、やっぱりマイペースなんだね。こんな時に漫画描こうと思うなんて、呑気というかなんというか」
「僕にも何故だかは分からない。でも、何故か今回の原稿だけは落としてはいけないと思ったんだ」
 今回の漫画は、今年の五月から連載が始まった。今書いている原稿が、偶然にも最終回のものである。
 だからなのだろうかと、烏丸は考える。最終回だからこそ、こんなにも固執しているのか。
 しかし以前、他の作品で最終回を迎えたときにはここまでの思い入れはなかった。前回の作品にはあって、今回の作品にはないもの。それが何なのかは、今の烏丸にはやはり理解できない。
「……ねぇ。ちょっと、原稿見せてくれる?」
 そんな時、大塚からまた急に声がかかった。
 見張りの最中には原稿は進められないし、断る理由も特にない。
 むしろこの作品は世に出ることがおそらくないのだから、読者の存在は貴重だ。
「構わないよ」
 そう言って烏丸はバックから原稿を取り出し、それを大塚に差し出す。
「ありがとう」
 大塚は丁寧に原稿を受け取り、そして最初の一ページ目から読み始めた。
 烏丸はそれを横で、ただじっとして見守るしかない。望んでいるのは読者からの反応か、それともクラスメイトとしての反応なのか。
 気持ちの整理のつかぬまま、烏丸はじっと待ち続けた。


 ……五分ほどかかっただろうか。
 大塚が全てページを見終わり、原稿を烏丸に返す。
 その時の大塚の顔はなんとも言えぬ、はにかんでいる様な照れている様なそんな表情だった。
「なるほどね。烏丸君がどうしても漫画を描きたかった理由が、よくわかったわ」
「?」
 自分にもわからないことが、どうして彼女にわかったというのか。烏丸には大塚の発言がとても不思議なものに思えた。
 顔中に疑問符を浮かべる烏丸を凝視して、大塚は尋ねる。
「……本当に、わかって無いの?」
 コクリ、と烏丸はうなずいた。
 教えてくれるものなら教えて欲しかった。
 自分が今回の漫画に異様に固執する理由。それがわかれば、何かが変わるかもしれない。
「ハァ。全く、うちのクラスの奴らは揃いも揃って世話がかかるんだから」
 溜息をついて、大塚が頭をポリポリとかく。
 大塚は「いい?」と言って、人差し指で烏丸を指し、神妙な顔つきで話し始めた。
「貴方がさっき話してくれた事……。つまり、貴方は漫画を記録として描き始めたこと。
 それさえ思い出せば、きっとわかると思うんだけど」
 そうは言われても、烏丸には何のことかまったくわからない。頭の中はさっきから疑問でいっぱいだった。他のことなど考えられないように。
 カレーの事すらも、今の烏丸の頭の中から消えてしまっていた。
「だからね、つまり―――」
 大塚が意を決して答えを言おうとした瞬間、烏丸はその言葉が発せられる口元に意識を集中し、そして。


「がっ!?」
 次の瞬間、烏丸は自分の目を疑った。
 大塚の胸から、鋭い刃が突き出している。
 噴出す血しぶき。それは烏丸の顔と衣服にも少なからず飛沫をかけた。
 口からも大量の吐血。大塚は恐怖に歪んだ顔を烏丸に向けて助けを求めているようだったが、烏丸にはもう彼女は助からないということがわかっていた。
 それは誰の目から見ても明らかな事実。
 大塚の首が力なく垂れ下がる。さっきまで会話していたクラスメイトの一人が、いまその命を失った。
 ゆっくりと刃が大塚の胸の中に戻されていき、完全に背中から刃が抜けたとき、支えを失った大塚の身体は前へと崩れ落ちる。
 慌ててそれを支えた烏丸だったが、その時、大塚の命を奪った張本人が烏丸の瞳に姿を映した。
 その顔に浮かんでいるのは、今まで見せてくれたことがないような爽やかな笑顔。
 顔にかかった血の紅が、彼女の笑顔の妖艶さをさらに際立たせていた。
「……高野さん」
 殺人者の名を呼ぶ。その場に大塚を置いて、日本刀に手をかけて後ずさりながら。
 高野は烏丸を攻撃しようとはしなかった。その代わりなのだろうか、いつもより饒舌気味に話し出す。
「貴方が隙を見せるなんて無いかと思ってたけど、意外だったわ。機会をうかがい続けた甲斐はあったわね」
「なんで僕じゃないんだ」
「え?」
「大塚さんは、君なら何時でも殺せただろう。僕が作ってしまった隙につけいるなら、僕を殺せばいい」
「怒っているの?」
 高野は不思議そうな顔をして尋ねた。
「おかしいわね。貴方は、そういった感情を表に出さない……というより、持ち合わせていない人だと思ってたけど」
 そう言って、高野の笑いは嘲りに近いものへと変化した。


「……」
 烏丸は高野の目を見据え、ピクリとも動かない。高野の考えている事は何なのか……烏丸はそれを完全に把握しているわけではない。
 しかし今の行動から言って、このゲームからの脱出など高野は望んでいないという事はわかった。だからこそ、今度は一分たりとも隙などは見せなかった。
 それをわかっているのか、高野もその場からなかなか動こうとしない。
「本来なら、確かに貴方を殺すべきところでしょうね。でも、それをするワケにはいかないわ。
 せっかく手にいれた手駒を失うのはもったい無いもの。だから私がこのゲームにのっていることは、他の三人にバレてはいけない。
 大塚さんを殺したのは……、貴方という事にさせて貰うわ」
 そう言って、高野はジリジリと大塚の死体のもとへと近づいていく。烏丸は、それに合わせるようにすり足で後退。
 高野が最終的に大塚の横にひざまづいた段階で、両者の距離は始めとそう変わらないもので保たれていた。
 烏丸の目の前で、高野が大塚を乱暴に抱き寄せる。
 高野の制服はすぐに血に染まり、もう殺害した時の血の染みがどこかなどは全くわからない状態になってしまった。
「これで、服が血まみれでも不自然じゃないでしょう?」
 確かに、そうだ。後からこの光景を見る人がいたなら、烏丸と高野のどちらが殺人犯なのかは解らないだろう。
 烏丸の腹の中に、言い様のない気持ち悪さが渦巻いていた。
「これから、どうするつもりなんだい」
「貴方にはしばらく、その場につっ立っていて貰う。私は、悲鳴でお堂の三人を呼び出して、貴方が大塚さんを殺したと思い込ませる。
 その後はどこへでも逃げて構わないわ。貴方はね」
 何となく予想はついていた。お互い、相手の身体能力は把握している。
 高野も女子高生の常識からは多少外れた存在であるが、薙刀を使って烏丸の日本刀とやりあったら高い確率で返り撃ちとなるだろう。
 ……もちろん、本来ならこの場で烏丸が高野を切り捨ててしまえばいい話だ。しかし烏丸はそうはしなかった。
 クラスメイトを殺すのを躊躇ったわけではない。初めて高野に会った時、チラリと見えたものの正体が問題なのだ。


「もしも僕が弁解して、君が大塚さんを殺した事を言ったら?」
 探りを入れるように、そう尋ねる。
 高野は烏丸の考えに気付いたらしく、うすら笑いを浮かべながらシグ・ザウエルを取り出した。
「その時は、貴方を含めて全員を撃ち殺す。それだけの事よ」
 そう告げて、高野は再びシグ・ザウエルを制服のスカートにはさんだ。
「難しい話じゃないわ。貴方は私の罪を被って、どこかへ行ってしまってくれればいい。貴方の今の目的を果たす為には何の支障も無いはずでしょう? どう?」
 このままこの場を去れば、残りの三人はいずれ高野に殺される。
 目の前にある命……見捨ても平気な程、烏丸の心は廃れてはいなかった。
 しかし、例えこの場に残り、他の三人に真実を伝えようとしたとしても、待っているのは全員の死だ。
 高野の示した問いの正解は、始めから一つしかなかった。
「……わかった」
「それじゃあ、交渉成立ね」
 勝ち誇ったようにそう宣言して、高野は叫んだ。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 確実に観音堂の中まで聞こえる程の、大声だ。
 それから薙刀の血を大塚の制服で拭い、刃を烏丸に向ける。フルフルと、薙刀を持つ手が震えていた。まるで虫も殺せぬ少女の様な仕草だ。
「……上手いモノだね、君の演技は」
「誉めても銃弾しか出ないわよ」
 それからしばらく両者の間で沈黙が続いた。隙あらば、と烏丸は身構えていたが、高野にぬかりはない。
 永遠とも感じられる対峙の緊迫感を打ち破ったのは、甲高い少女の声だった。
「どうしたのっ! 高野さぁん!」
 必死さがにじみ出る男の声も聞こえる。
「何処だっ、高野っ!」
「こ、こっちよ! 大塚さんが……大塚さんが……」
 居場所を伝える為に叫んだ高野の声は見事に震えていて、烏丸でさえ彼女と先程大塚を殺した少女が同一人物とは信じがたかった。
 そんな考えを頭で巡らせている内に、足音は段々と近づいてくる。
 烏丸が判別できた足音は二つ。先程の声からして、雪野と岡で間違い無いだろう。


 ―――砺波さんはどうしたのだろうか。

 先程、自分の事を「信じる」と言ってくれた少女の顔が浮かぶ。
 このまま高野を放置しておけば、いずれ彼女も確実に殺されるが、烏丸には救う手だてが思い浮かばなかった。
「高野さ…ひぃっ!」
 最初に現れたのは、雪野だった。この光景を間近で見た途端、恐怖に腰を抜かしてその場に座りこむ。
 その後ろから遅れてやってきた岡は、上半身をいまだ鎖で拘束されたままであったが、それでも何とかしてここまで駆けてきた様だ。
「無事か、高野! お、お前は烏丸……こ、コレは」
 目の前の光景に、岡は顔を青ざめる。ここぞとばかりに、高野が口を開いた。
「私、なかなか眠れなくて。それで烏丸君に放送のメモを渡すのを忘れてたのを思い出したから、渡そうと思ってここにきたの。
 そうしたら、血まみれの大塚さんが……!」
 よくもまぁここまで流暢に嘘を吐けるものだと、烏丸は感心にも近い思いを高野に対して抱く。
 しかしそれを決して顔には出さない。その無表情さに逆上したのか。
「……からすまぁっ!」
 岡が鬼の形相で烏丸のもとへ走り出し。
「デッ!?」
 盛大にコケた。
「畜生っ! ほどけっ! 鎖をほどけっ!」
 何とか起き上がろうとするも、上半身の自由が効かないこの状態では焦れば焦るほど転がり続ける。
「た、高野さん……助けて」
 いつの間にか雪野は高野の足元にすがりついていた。
「……」 
 烏丸はその両者を一瞥してからもう一度高野の瞳を正面から見据える。
 背後に輝く朝陽との対比で、彼女の瞳の暗い闇がよく映えていた。
「許せない。クラスメイトを殺すなんて。……これ以上私達に何かするつもりなら、こっちも手段は選ばないわよ」
 そう言って、高野は薙刀の先を横にふる。どうやら、高野はもう十分だと確信したらしい。
 烏丸がこの場を去ろうと身構えたその時。


「ねぇちょっと! 一体何が起こったっていうの?」
 そう言いながら現れたのは、砺波だった。他の二人とは反対の、つまり皆の寝室ではなくお手洗いのある方向から。
 息をきらしながら駆けつけ、目の前の惨劇に彼女もまた顔を青ざめた
「え? う、嘘。舞ちゃ……」
 ……とっさの判断だった。その瞬間、烏丸は砺波のもとに走る。
 高野は一瞬だけ布越しにシグ・ザウエルに触れるも、すぐに薙刀にその手を戻す。
 烏丸の思った通り、高野は砺波に対して他の二人ほどの利用価値を見い出していないらしい。それなら、彼女を救うチャンスは今しかない。
 目の前に突然迫ってきた烏丸に驚く砺波だったが、次の瞬間。
「ぐっ!?」
 烏丸の手刀が彼女の首の後ろに放たれ、砺波の意識は奪われた。
 くたっ、と前に倒れこむ砺波を抱きかかえ、烏丸は高野を睨み付ける。
 その瞳に浮かぶ光に、高野は一瞬たじろいだように見えたが、烏丸にとってそれはもう意味のないことである。
 砺波を担いで、烏丸はその場から全力で走り出した。
「順子ー!」
 後ろから雪野の叫び声が聞こえるが、烏丸はその足を止めはしなかった。
 高野の追撃の気配もない。どうやら、この場は見逃してくれるらしい。次にあったときは、どうなるかわからないが。
 烏丸は止まらない。南に向かって、全力で突き進んだ。
 地図によれば、南東には海岸があるはず。冷たい水で砺波を目覚めさせてから、理由を説明する必要がある。
 砺波が自分を信じてくれるかどうかは、烏丸にはわからない。しかしもしも信じてくれなくても、そこで別行動をとればよいだけだ。
 単に死ぬまでの猶予を伸ばしてあげただけかもしれない少女を見て、そして烏丸は考える。

 ―――彼女のバックの中には、はたしてカレーパンはあるのだろうかと。




【二日目朝:5〜6時】

【高野晶】
【現在位置:C-06 お堂の外】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式×2(食料1食分ずつ消費) 薙刀 シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾15発)
[行動方針] :雪野は使えるなら利用する。岡も使えるなら利用する。
        麻生と敵対。(ただし優先して排除しようとは考えていない)
[最終方針] :ゲームに乗る。パーティー潜伏型。

【雪野美奈】
【現在位置:C-06 お堂の外】
[状態]:健康。かるく混乱。
[道具]:支給品一式(食料1食分消費) 工具セット(バール、木槌、他数種類の基本的な工具あり)
[行動方針] 1:高野の為に動く。 2:高野晶と行動をともにする。

【砺波順子】
【現在位置:C-06 観音堂の南】
[状態]:気絶中
[道具]:支給品一式×2(食料一食分ずつ消費) パーティーガバメント
[行動方針] :ゲームに乗る気なし。

【岡樺樹】
【現在位置:C-06 お堂の外】
[状態]:打撲傷多数/鎖鎌のチェーンで体を縛られている(上半身のみ)。興奮状態。
[道具]:無し(砺波が持っています) 鎖鎌
[行動方針] :「高野の心の支えになるのは俺だっ!」と素敵な勘違い中。

【烏丸大路】
【現在位置:C-06 観音堂の南】
[状態]: 健康。返り血まみれ
[道具]:支給品一式(食料はカンパン、カレーパン、水×2) 日本刀
[行動方針] :1.カレーパン探し(とりあえず砺波が目覚めたら尋ねる)
       2.原稿を描く(播磨に手伝って欲しい)
       3.2が終了後冬木らに協力する

【大塚舞:死亡】(残り27人)



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