谷底よりなお深く
人の気配がまるでない森の中、花井達は今も息を潜め、そして少しでも休息を取ろうとしていた。
斉藤と鬼怒川の襲撃から逃れてきて一、二時間程経っただろうか。その時に聞いた銃声は、今でも生々しく思い出せる。
花井が現在握っている銃は、鬼怒川から奪取した物だ。両手を使って持つそれは、サバイバルゲームの時のどの銃よりも重みが感じられた。
「…今鳥さん、まだ息してます。さっきから、不規則ですけど…」
そんな中、いつしか一条は自らの膝の上に今鳥の頭を乗せていた。俗に言う膝枕だ。
周囲に枕にできそうな柔らかい物はないし、何より今の彼女に大人しく眠っている事などできないのだろう。
眠れないにしても、動かないので体力の消耗は避けられるという事もあり、花井は特に何も言わなかった。
そして肝心の今鳥は現在も眠り…いや、目を覚まさないでいた。彼は襲撃を受けた際、斉藤から銃器で殴打されたのだ。
ましてや、今花井が持つ銃とほぼ同じ大きさであろう銃で殴られたのだ。重さにして…3kgはゆうに超えていただろう。
現在は止血こそ済んだが、額や左側頭部に全部で三箇所の血の跡が見て取れる。中には内出血を起こしてしまっている部位もあった。
そんな銃器で高校生男子から全力で殴られて、無事で済むのか…この集団の中で、そう思える者は誰一人としていなかった。
だからこそ八雲は今も眠れずにいたし、花井もいつの間にか掌に汗をかいていた。そして、一条は膝枕をしていた。
もしも近くに病院があって、そこに医者がいれば、きっと何らかの処置を施してくれるだろう。
だが、この島に医者はいない。いるのは怯えているか殺意を持ってしまったクラスメートと、狂った大人達だけだ。
だからこそ、彼らは皆自分にできる精一杯の事をしていた。
それは心配で眠れなかったり、襲撃者の追撃を警戒し必死に耳を研ぎ澄ませたり、頭を保護しようと膝枕をしたりする事くらいだったが…
周辺にあるであろう平瀬村分校跡に行けば恐らく保健室があるだろうし、もしかしたら薬や消毒薬も手に入るかもしれない。
それは誰もが考えたが、実際に現在地が分からない中、迂闊に動いては禁止エリアのG-04に入る恐れがある。
それに、今鳥はもちろんの事、八雲もすでに体力的に限界が来ていた。とても移動できる状態ではない。
襲撃者がどこかにいる状況下では誰かが単独で行動する事も、チームを分ける事もできない。結局の所、彼らはあまりに無力だった。
「…すみません。私が平瀬村に行こうと言わなければ…」
「それはいいんだ。それよりも、今は休むんだ」
「でも…私が急かして、そのせいで診療所から何も持って行かずに出る事になって…」
「…過ぎた事を言っても、仕方がないじゃないか。それに、恐らく有用な物は殆ど撤去されているだろう…」
一条と今鳥を挟み、座ったまま俯く八雲を花井が必死に慰める。
休息を取るばかりか、無力感と焦燥感が彼らからどんどん余裕を奪っていっているのは明らかだった。
花井自身、その事には気付いていたし他の者…特に、八雲の心を落ち着かせようと努力していた。
が、結果は今まで…彼が八雲とこの島で再会した時とまるで同じだった。言葉が、届かない。
八雲の表情は時間が経つ毎に暗く沈んでいく。そんな状況を、何も変えられずにいる。
クラスメートを守りたい。自分自身の願いを叶えるべく、奮闘しても全てうまくいかない。
汗ばんだ手で銃を握り締める。自分自身の不甲斐なさが、花井は憎くてならなかった。
「今鳥、さん!?」
静けさを取り戻した森の中で、一条が声を…いや、悲鳴を上げた。
花井が、八雲が顔を上げる。彼らが見たのは、目に涙を溜めて顔面蒼白な一条。そして…
「…今鳥さんが、息をしてないんです…」
今まで見せていた自発呼吸が無くなった、今鳥の姿があった。
花井は銃を放り投げると、今鳥を一条の膝から地面に降ろし、人工呼吸と心臓マッサージを開始した。
彼に限らず、現在は大概の者が学生の頃に人形を使った救急救命講習を受けており、最低限の救命活動の方法は習っている。
だからといって実際に目の前で人が倒れていた時に救助できるとは限らないが、真面目な花井の事、救命講習の内容はしっかり覚えていた。
何より、救命に必要なのは勇気。人が突然倒れた事に怖気づかず、冷静に迅速に対応できなければならないのだ。
無力感に苛まれていた花井だが、クラスメートを守るという意志は決して失ってはいなかった。
この救助行動が全て正しいとは限らなかったが…それでも、何もしない訳にはいかない。
「わ、私がマッサージをやります!花井さんは、人工呼吸を!」
そんな花井の姿を見て、うろたえかけていた一条は涙を拭いて花井の横に並んだ。
花井が空気を送り、一条が心臓マッサージを行なう。
肋骨が折れるのでは、と一瞬思える程の力の入れようだが、それは今鳥を助けたいという彼女の意志の表れだった。
「い、いち、に、さん、し、ご、ろく…」
そんな二人に遅れながら、八雲は一条のマッサージの回数を数え始めた。三人一組でできる最後の行動だ。
今鳥を助けたい。彼に対する皆の感情は様々だったが、今の願いはただ一つだった。彼らは奇跡を信じ、ひたすら救命活動を繰り返した。
そして――奇跡が起こる事はなかった。
今鳥の死因は、所謂脳内出血だった。銃器による強烈な頭部の殴打、それが悲劇を招いた。
三度に渡って殴打された事で、彼は気を失い、左即頭部では頭蓋骨が骨折し、さらに脳内の血管では出血が発生。
血管から漏れ出た血液は脳を圧迫し、ついに彼は意識を完全に消失し、生命維持が出来なくなってしまった。
外をいくら止血したところでどうしようもないのだ。何せ、脳内の出血。現状では手の施しようがなかった。
花井も一条も八雲も、十数分と救命活動を続けたが、限界が来た。特に、花井と一条だ。
花井は呼吸をするのも辛かったし、一条も腕を始め、全身の疲れが恐ろしい程に溜まっていた。
もはや、救命を続けるのは無理だった。そしてそれまで、今鳥は一度として目を開ける事も、呼吸をする事も無かった。
八雲は今度は自分が人工呼吸をしようとしたが、倒れ込んでしまった花井と一条を見て、呆然として座り込んだ。
何より、今の彼女の体力はとっくに限界を迎えていた。数を数えるのがやっとだったのだ。
それに、いくら人工呼吸や心臓マッサージを続けても、いつかは限界が来てしまう。何せ、救急車も医者もここに来てくれる事がない。
結局の所、救命活動は医療従事者が来るまでの一次しのぎ。根本的な治療手段ではないのだ。
突然倒れた人を救うべく教えられた救命方法や知識が、逆に彼らに命の限界を知らせる結果となった。
今鳥が何故死んだのかは分からない。だが、頭を強く殴打された結果である事だけは分かっていた。
「ちくしょう…ちくしょう!ちくしょう!なんでだぁ!?」
仰向けのまま、最初に泣き崩れたのは花井だった。苦しそうに息をしながら、それでも彼は大声で泣き叫ぶ。
人工呼吸は最後の希望だった。無力な自分がクラスメートを救う為の…だが、その結果は容赦なく彼に突きつけられた。
その横で、やはり八雲も涙を流していた。彼女にとって、この島に来て目の前で初めて人が死んだのだ。
それも、時に自分を気遣い、励ましてくれた人。彼女にとって、大切な仲間の一人だった。
そして…
「う…あ…ああああああああ!」
一条から嵯峨野の死を知った時、いやそれ以上の声が溢れ出す。
好きだった。他の女の人にしょっちゅうちょっかいを出していた。でも、とても優しい人だった。
好きだった。ドジビロンが好きで、弟と三人で遊んだ。
好きだった。ハンバーガー屋でバイトをしていると、よく遊びに来てくれて…
大好きだった。そんな今鳥の死が、すでに傷ついていた彼女の心を徹底的に痛めつけていく。
それでも誰も慰められない。何せ、誰もが助けを欲していたのだから。
三人を、月明かりが照らし出す。涙と嗚咽が支配する一帯には、不釣合いなほど穏やかな光だった。
【4〜5時】
【G-03】
【花井春樹】
[状態]:かなりの疲労。今鳥の死によるかなりの精神的ショック
[道具]:支給品一式(食料二食分。水なし)、ショットガン(スパス15)/弾数:5発
[行動方針] :不明(クラスメートを守りたい…)
【一条かれん】
[状態]:かなりの疲労。嵯峨野と今鳥の死による著しい精神的ショック
[道具]:なし
[行動方針] :何も考えられない
【塚本八雲】
[状態]:かなりの疲労。今鳥の死による精神的ショック
[道具]:256Mフラッシュメモリ1本(ポケット内)
[行動方針] :どうすればいいか分からない
[最終方針] :天満を探す、サラを探す、播磨さんに会いたい
【今鳥恭介:死亡】(残り28人)
※今鳥の死因は硬膜外血腫から生じた脳ヘルニアです。
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