そして少女は暴走(はし)り出す
「こっちダ! 急ぐゾッ!」
「にゃー」
「ゴーゴーッ! レッツゴーッ!」
真夜中の森においてこれほど不釣合いなハイテンションを保っているのはこの島で自分達だけであろう、と天満は思う。
三原や奈良と別れてからおよそ二時間半。放送は、三十分以上前に流れ終わっていた。
新たに増えた犠牲者達。皆、半日ほど前までは笑顔で一緒にいた友人達だ。その悲しさは今までの人生で経験した中でも一、二を争うものには違いない。
……けれども、名前が全て読み上げられて八雲と烏丸が無事だとわかった時には、安堵の息が漏れてしまった。
その事を思い出すたび、自己嫌悪が天満を襲う。
友人の死が間近にせまっている今の状況でもなお、妹と好きな人が助かっている事が思考の最優先な自分自身が少しだけ許せないと思えてくるからだ。
「待ってロ、イチ・ジョー! きっとワタシが見つけ出してヤル!」
「でも、ホントにカレリンはあっちにいるの?」
「トウゼンダ! ワタシにはわかる。……イチ・ジョーを感じるんダ」
「にゃー」
「お前もカ、ベントウ! いや、イオリだっカ?」
「伊織もカレリンがそっちにいると思うの? あれ、でも伊織ってばカレリンに会ったことあったっけ」
そんな疑問も抱きつつ、しかし天満は足を動かし続ける。
確かに疲労も溜まっている。ララが二人分の荷物をもってくれているとはいえ、体力差には明らかな開きがあるのだ。
それでも歩き続けられるのは、一重に気力のなせる業であった。
普段では考えられないほどの力が今の天満には湧き上がっている。
「でも、このまままっすぐ行くと禁止エリアに入っちゃうよね。どうしようか」
「ギリギリまでまっすぐダ! それから、南側を通っていくゾ!」
「理由は?」
「なんとなくダッ!」
「にゃー」
「……伊織も賛成してくれるなら間違ってないねっ!」
この何もわからず不安だけが迫ってくる状況の中、例え理由が曖昧でもしっかりとした行動指針を定めてくれるララの存在が天満にとってはありがたかった。
だから深くは考えず、天満は真っ直ぐ進み続ける。動くことで、嫌な事を忘れられるかもしれないから。
そう、例えば。……播磨拳児が、殺人鬼であるという事も。
はじめにその話を聞いたときは怒りさえ覚えたが、今ではその考えも少し変わってきてしまっている。
なぜなら、天満にはよくわからなかったからだ。播磨拳児という男が自分自身にとってどういう意味を持つのか、を。
仲の良い友達? 八雲の彼氏? 元彼氏? 漫画を描いている人?
その程度しかない、というよりも実際播磨の人間性などよくは理解できていなかったのだ、と天満は気付く。
以前沢近と付き合っていると思ったのは、勘違いだった。お猿さんだと思っていたのも、勘違いだった。
今まで果たして、播磨の話によく耳を傾けようとしていただろうか、と天満は考える。
答えは、……“NO”だ。
播磨の話をもっとよく聞いていれば、彼の事をもっと知れていたかもしれないのに。
だからこそ、わからないからこそ天満は悩むしかなかった。
八雲が好きになった播磨と、殺人鬼と言われている播磨、どっちが本当の播磨なのだろうかと。
できれば、前者が本当だと思いたかった。三原から話を聞いた時は、否定したかった。
でも、天満は思い出してしまった、播磨がかつてなんと呼ばれていたかを。
―――魔王。
そのころの播磨を天満は知らない。けれど、噂なら何度か耳にしたことがある。
それが当の本人とはあまりにもかけ離れた話だったので天満は深く考えたことがなかったが、今になってその時の話が記憶の底から蘇ってくる。
そうなると、もう駄目だ。恐怖でなにも考えられなくなる。
あのサングラスの奥に隠された瞳には、どのような光が宿っているのか。そう思うだけで、たちまち不安に苛まれる。
信じたいというのは本音だ。しかし、信じ切れない自分がいるのも事実。根拠がなければ否定しようが無い。
だからこそ、否定できないなら考えなければいいという考えが彼女の中で発生してしまうのだ。
ひたすらに、今は進み続けるしかない。そして一条と会い、他の友達も探し、八雲と烏丸にも会い、考えるのはそれからでもいい。
自分が考える必要は無い。皆で考えれば、それでいいのだから―――
◆ ◆ ◆
それからまた三十分ほど歩き続けただろうか。突然、ララがその足を止めた。
天満はララの背中に鼻をぶつけてからその事実に気付き、尋ねる。
「どうしたの?」
「……ここでいったん休憩ダ」
そう言って、ララはその場に腰を下ろした。
突然の提案は天満の頭を混乱させる。さっきまで、早く行くゾと言い続けていたララがここにきて立ち止まると言うのは理解できなかった。
止まってないで早く行こう、と言おうとした天満の鼻先にペットボトルが突きつけられる。
「飲まず食わずで、ここまできたんダロ……。少し休まないとナ。これはやるゾ」
「え、あ……うん」
そういえば、と天満は思う。このゲームが始まってから、食事などとる暇は無かった。
目の前では、ララが自らのリュックからもう一本ペットボトルを取り出して飲んでいる。食事は既に済ませたとの事だった。
天満も自分のリュックの中に入っている三つのパンの中からチョココロネを一つ取り出し、口に入れる。
十数時間ぶりにする食事は、ものの一分で終わりという素っ気無いものだった。しかしこの場でこれ以上食料を消費するわけにはいかない。
他の二つはリュックにしまい、ララから貰ったペットボトルの水も半分以下しか飲まなかった。
「お水、ありがとう」
「いや、ワタシではなくテンノウジに言ってクレ。それは、アイツの持ち物だったんダ」
「……そうなんだ。ゴメンね、天王寺君」
すまないと思いながらも、天満はその水をリュックにしまう。生きるためには必要な事だ。
「天王寺君も、播磨君に殺されたんだよね」
自分で言って、天満はまたも落ち込んでしまった。追い討ちをかけるように、ララがまた先程の三原と同じ台詞を繰り返す。
「ワタシもコズエも、ユウキに聞いただけだから見たわけではないガ……。確かにユウキは、そう言っていタ。ユウキも、テンノウジに聞いた話で実際に見たわけじゃないらシイ」
「そう……」
何度聞いても、胸が痛む。
むしろ何も知らなかったほうが良かったかもしれない。何も知らなければ、こんなにも嫌な思いをすることはなかった。
だからもう、余計なことは考えないほうがいいのかもしれない。しかし、
「……お前は、どう思うんダ? ハリマを」
「え?」
ララの一言が、天満から逃避という選択肢を奪う。
「どう、思うって……」
「さっきハリマが人殺しだと聞いてカラ、元気がないゾ。だから気になっタ」
頭から消したいのに、考えたくないのに。なんでそんな事を今、自分で考えなければならないのか。
どうしてこうも、事態は自分の事を脅かしつづけるのか。どうしてこうも、全てが揺らぎつづけるのか。どうしてこうも、自分の信じていたものは脆く崩れてゆくのか。
様々な負の感情が天満の頭に去来し、そして混乱させてゆく。
もう、考えたくないという次元の話ではなくなっていた。……考えられないのだ。
何もわからない、何がわからないのかすら。播磨という人は、どんな男だったか?
「……よく、わからないよ」
「でも、お前はアイツとトモダチだろウ?」
確かにそうだ、友達だった。でも、皆は彼を人殺しだと言う。
信じたいのに、信じられない。信じるための根拠がないから。その事が、天満の思考をますます混乱させてゆく。
「わからないよ。……私、播磨君が人殺しだって聞いて、そんな訳ないって最初は思った。でも、つむぎちゃんが天王寺君からそう聞いたってことは、本当なんでしょ?
死に際で天王寺君が嘘をつくなんて考えられないし、かといってつむぎちゃんが嘘をつくなんて事も考えられない。だったら、結論は一つしかない。
でも、やっぱり播磨君が人殺しなんて思えないんだよ。……ううん、思いたくないんだよ。ララちゃん、私、身勝手かなぁ? でも、それでも……」
言葉が出てこない。「信じたい」という一言が、どうしても出てこない。「なぜ?」と聞かれてしまったら、根拠を示せないから。
根拠を示せなければ、想いは簡単に否定されてしまう。だから、言えないのだ。
最後のダメ押しをされない為に、天満の喉は「信じたい」の一言を身体の内に閉じ込める。
それは天満にとってあまりにも辛い事だった。言いたい事を言えない、それはすなわち自分の気持ちを殺すという事。
そんな葛藤に苛まされる天満を、しかしララは、
「トモダチを信じたいなら、信じればイイ」
たったの一言で、今度は苦しみから解放した。
「え?」
「相手のことを信じなけれバ、信じてはもらえないからナ。
ワタシは、イチ・ジョーを信じていル。イチ・ジョーもきっと、ワタシを信じてくれるだろウ」
ララは強い、と天満は尊敬に近い想いを抱く。自分には、こんな強さはないと。
何物にも揺るがされないララの心。それは今の天満にとって欠けているものであった。
「……なんで、そう言えるの?」
根拠のないその強さはどこからやってくるのか、天満はそれが知りたかった。それを知ることが出来れば、自分も強さを得られるのかもしれない。
「信じるって、根拠もないのに。なんでそんなに信じられるの? なんでそんなに揺るがないの? ねぇ、どうして」
まるですがりつく様に、天満はララにそれを尋ねる。……いや、そうではなかったと気付く。
天満はその質問を、自分自身にしていたのだ。答えなど、とっくにわかっているというのに。
ララは一瞬キョトン、とした顔をして、
「だから、何度も言ってるだろウ?」
そう言って、とても自然な笑顔で笑った。
「イチ・ジョーは、ワタシの最高のライバルであり……最高の友ダ。それ以上に、理由はないゾ!」
その笑顔があまりにも綺麗で、天満はそれから全てを悟った。この言葉こそ、自分がもっとも求めていた言葉なのだ。
なんて理不尽な論理なのだろう。信じているから、信じられるというのは。
循環していて、互いに依存した二つの項目。けれどもそれは、この世で唯一理由のいらない関係を――友情を、説明するのに十分なものに違いない。
思えば、このゲームが始まる以前の自分の行動に理由などなかった。
自分が信じるままに行動することが、塚本天満の生き方であった。それを、この悲惨なゲームの中ですっかり忘れてしまっていたのだ。
「私も、信じていいのかな……?」
「ワタシに聞かれても困ル。それはお前の決める事ダ」
確かに、そうだ。この理不尽な論理は循環しているからこそ、その循環が行われる場所そのもの、つまり天満自身の想いが重要になる。
信じていいのかどうかは天満が決めることであって、ララのうかがい知るところではない。しかし、
「……まだ、わからないんだ」
しかし、それが今の素直な天満の気持ちである。
確かに、信じることに理由など要らないのかもしれない。けれども、信じるためには相手のことをもっとよく知る必要がある。
「播磨君のこと、考えてみたら私なにも知らない。でもね、思うんだ。話も聞かないで播磨君を疑い続けていたら、なんにもならないって」
そう。もしも播磨を疑い続ければ、それは彼のことを知る機会さえも失うということだ。
だから考えなければならない。皆で考えればそれでいい、などという考えは捨てて、自分自身で播磨について考えなければいけない。
「だからさ、もし播磨君と会えたら、ちゃんと話してみようと思う。……うん、そうしたい」
そうして、播磨のことをもっと知ることができたら、その時はじめて本当に「信じたい」と思えるかもしれない。期待的な感情ではなく、心からの望みとして。
だから天満は決意したのだ。弱い自分は棄てることを。
「わかっタ。……安心しロ。もしもの時は、ワタシが守ってやル。イチ・ジョーも強いゾ!」
握りこぶしをつくって、ララが叫んだ。
天満には、ララが自分を元気づけようとしている事がわかった。
もしかしたら、ここでララが休憩をとった本当の目的が、自分を元気づける事だったのかもしれない。そう思うと、天満の顔から自然と笑みが洩れた。
それはララが浮かべたそれと、まったく変わらない素敵な笑顔である。
「ふふっ、ララちゃんとカレリンの二人が一緒なら無敵だよね」
「当たりマエダ!」
自信たっぷりにそう答えるララの横で、天満は思った。
この理不尽なゲームの中で自分自身を保ちたいなら、やはり自分も理不尽な論理で挑むしかないのだと。
こういう時だからこそ、今まで通りの自分のままでいなくてはいけない。そうあれば、きっと自分を見失う事はないから。
本来の自分を取り戻した天満には、もう怖いものなどない。
ただひたすらに前へ進むという行為自体は変わらないが、その意味は大きく変わっていた。
【二日目 午前二時〜三時】
【ララ・ゴンザレス】
【現在位置:H-05】
[状態]:健康 野生の神秘
[道具]:支給品一式 (パン3・水2) 伊織(リュックから顔だけ出してます)
[行動方針]:一条を探すため野生の勘を頼りに北西へ)
[備考]:ハリーを警戒。播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。
【塚本天満】
【現在位置:H-05】
[状態]:健康 自分らしく突き進む
[道具]:支給品一式(パン2・水3) ( 弓矢20本、全てゴム。ただし弓はしっかりしてるので普通の矢があれば凶器)
[行動方針] :八雲らと合流。播磨に対しては考え中
[備考]:ハリーを警戒。播磨が吉田山、天王寺を殺し刃物を所持していると聞いています。
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