Over the Rainbow
朧月夜。少なくとも、彼女の目に映る光景はそれとしか表現の仕様もない。
青黒い空に滲む月の姿が、どうにも哀愁を物語るように思えた。
意識が、全身の感覚が、徐々に覚醒していく。そして彼女は、自分がごつごつとした岩肌に倒れていることを認識した。
どうやら、ハリーに襲われ半狂乱した挙げ句、暫く気を失っていたようだ。
「ごめんね……花井君。また、遠くなっちゃった」
結城つむぎの口からまず出た台詞がそれだった。異常……このとき既に、彼女は適正な判断力を失っていたのかもしれない。
今の彼女の脳細胞が考え得るのは、三も四もなければ花井春樹のことという、至極単純なギミックに陥っていた。
強か打ち付けた腰が少し痛んだが、わりあいと容易く身を起こすことが出来た。
あるのは有象無象の擦傷だけ。意識して自重するほどの負傷ではない。
「痛っ……何、これ」
おもむろに着いた掌に感じる鋭利な感触。見るとそれは、落下の衝撃に耐え兼ね砕け散ったレンズ片だった。
――デジャヴュ。いつか見た、愛しい記憶。すべての始まりが、そこにある。
眼鏡が壊れること自体なんら珍しい事態ではない。故意事故纏めれば数え切れない回数経験していて、既に慣れっこだ。
しかし、花井春樹とレンズ片――この二者が同時に思考回路を揺らす意味合いは大きい。
摘み上げた欠片を天に翳す結城。ウィンクをするように片目を閉じて、月明りに瞬くレンズを覗き込む。
再び見上げた空に浮かんでいたのは朧月ではなく、一片の曇りなく虚空に君臨する満月だった。
「綺麗な月……花井君も、きっとどこかでこの月を見てるんだよね」
確かに、あの日見た虹と今見ている月とは、姿形は違っている。
それでも、満ち満ちた月の美しさは、麗しく思い出を飾るあの虹の姿に、決して引けを取ることがなかった。
視界悪の上での所持品捜索は困難を極めるかに思われた。ところが、かなりの高さを落下し
散乱したはずの道具類は、一つ欠けることもなく雑然ながら彼女の傍らに集合を果たしていた。
片目の視力を失いながらも、結城は運好く生き長らえた愛用の眼鏡を掛け直す。
そして、急死に一生ものと云えるこの幸運に胸を撫で下ろした。
――彼女は生涯知ることがないだろう。この幸運が心優しい豚の行いに起因する事象だということを。
体よく身支度を整えた彼女は、当初の予定通り西の鷹野神社を指す。
崖を落ちたために労力は嵩むものの、見たところ山道を一段ほど落とされただけの様子だった。
程なくして、この島に人が文明を営んだ名残の、古びた舗装道路を発見することができた。
「待ってて、花井君……私、負けないから」
裂かれた防弾傘を見遣り、敗戦の屈辱を想う結城。
相手に一矢を報いることも出来ず、されるがままに崖を転げる惨めな自分の姿が甦る。
しかしながら、全く得るものが無かった訳ではない。
「防戦に回っちゃ、いけない。この戦場で生き残るには、攻めて、攻めて、攻め抜くしかない」
背のバッグに傘を突き刺し、重い銃をしっかと握り締める。目に浮かぶのは、憎き恋敵たちの姿。
「もう、後には退かない。地味な文系女の下克上……見せてあげるわ」
砂利道を蹴り、結城は勢いよく駆け出す。過去の自分と決別する為に。描いた栄光の結末をこの手で掴み取る為に。
片眼鏡に揺れる世界は、醜く歪みきって見えた。
【二日目午前:0〜1時】
【結城つむぎ】
【現在位置:G-06】
[状態]:全身にすり傷、虹
[道具]:地図 ロウソク×3 マッチ一箱 防弾傘(一部に破れ)
支給品一式(食料二人分) 散弾銃(モスバーグM500)残弾3 殺虫スプレー(450ml) レンズ片
[行動方針] :花井と合流する。西の鷹野神社を目指す。花井以外を※す(周防、八雲、高野を優先)
[備考]:花井以外を警戒。眼鏡の右レンズ破損。放送は聞き逃した
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