あゆむべきみち






「……もう時間がない。俺を殺すんだ」
 それは有り得ない光景。二度と起こってはいけない事。
 この老朽船には見覚えがある。
 しかしどこだったかと思い出す前に、サラの口が動いた。
「だ、駄目です! 今度はきっと守るって、そう決めたから……」
 サラは男の提案を拒絶する。受け入れる事などできるはずもない。
 だが……その男“も”悲しげに笑って、そしてため息をつく。
「俺はもう助からないよ」
「だって、怪我なんてどこも……っ!」
 そう叫んだ瞬間、サラの顔がひきつった。今まで見つめていた男の綺麗な顔は変わらずの笑顔。
 しかしその下は、全身どす黒い血で染まっていた。
「いやぁっ! ど、どうして!? さっきまで、そんな傷は……」
 慌てて男の傷口を手で抑える。しかし出血はおさまるどころか、ますますその勢いを増していった。
「お願いっ! 止まって、止まってよぉ……!」
 サラをあざ笑うかのように男の中の液体は流れ続け、周囲を赤く染めていく。
 手に伝わる血の温もりは、彼女の求めていた暖かさではなかった。
「やさしいんだな、お前は」
 ぽんっ、と頭を叩かれる感覚。サラが顔をあげると、そこにはやはり笑顔を浮かべた男がいた。
「だから、守ってやりたいって思えた」



―――だから、かな……守ってあげたいって思えたのは

「……えっ!?」
 その男の発言に感じる違和感。
 そうだ。自分はこの悲劇をすでに一度経験している。
 彼女との別れも、こんな感じだった。手の震えが止まらない。こんなはずじゃなかった。
 こんな結末を迎えていいはずがない。
「せ、先輩…」
 声がかすれている。喉がそれを言葉に出すことを拒否している。
 しかし言わなくてはいけない。今“気付かなくては”いけない。
「その傷は、なんで……」
 それ以上は言葉にならない。
 けれども男はその意図するところをしっかりと把握していた。
「あぁ、これか。忘れたのか? ひでぇなぁ……」
 楽しそうな笑い声。愉しそうな笑い顔。
 そのまま男は、まるで大人が子供にそうするように目の高さをサラに合わせ、そして、
「これはお前を助ける為に負った傷だよ。サラ・アディエマス」
 それだけ言って、麻生広義は彼女の眼前で、血の海の中へ沈んで行った。



「駄目ぇっ!」
 麻生を繋ぎ止める為に伸ばしたサラの手は、しかし空を切った。
 そこは水の上ではなく、床の上。
 船の中ではなく、小屋の中。
 そして目の前には、どこも怪我などしていない麻生。
「……よかっ、た」
 また夢を見ていたのだ。安心で、サラの体から力が抜ける。
「だ、大丈夫か?」
 床の上に寝転んだサラを覗きこむ麻生は、明らかに動揺していた。
「あ、あの、えっと」
 うまい言葉が出てこない。なんと言えばいいのか。
 悪夢を見たと正直に言って、また彼に心配をかければいいのか。
 ……そんなわけないじゃない。
 サラは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせ、ニッコリと微笑んで口を開いた。
「女の子の寝込みを襲うなんて大胆ですね、先輩」
「……は?」
 麻生は今の二人の体勢を確認し、サラの言葉の意味を把握し、そしてなるほどと頷いた後、ペチッとサラの額を叩いた。
「な、なにするんですかー!」
「その前にお前が何言ってるんだ、っていう話だよ」
「いえいえ、先輩が真剣なお顔をしていますので、もしかしてこの特殊な状況下で何かに落ちてしまったのかなとか思ったり思わなかったり?」
「……心配して、損したな」
 そう言って麻生は立ち上がり、サラとは反対側の壁に向かって歩きだす。
 サラは止めなかった。そのまま麻生は壁に背中をあずけて、腰を下ろす。
 それを見届けたサラはとりあえず起き上がり、寝起きの頭で状況を確認する。
 田中を追ってここまできたが、自分が足をくじいてしまい、たまたま見つけた狩猟小屋で麻生と一晩明かす事になった。
 そしてここで、自分がかつて今と同じ様なゲームに参加して、勝ち残った事実を麻生に明かしたのだ。
 拒絶される事を覚悟の上での告白だったが、麻生はそんな自分をいとも簡単に受け入れてみせた。そこで心の中の何かが外れ、流すまいと思っていた涙が溢れたのだ。
 しかしそれから先の記憶が、ない。泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
 つくづく麻生には恥ずかしいところを見せてしまっているものだ、とサラは心の中で自分を笑ってみせた。


「……さっきも、言ったけどさ」
「へ?」
 不意にかけられた言葉に、サラは間抜けな声で反応した。
 正面の麻生はこちらをじっと見つめている。真実を見抜こうとしている、そんな瞳だ。
「言いたくないことがあるなら言わなくてもいいんだ。……でも」
「『でも』?」
「誤魔化すのだけは、止めてくれ」
 ……ああ、そうか。
 サラは改めて納得した。
 麻生という男には、小細工なんて通用しなかったのだ。
「寝ている間、お前ずっとうなされてたんだ。夢見が悪かっただけなのかもしれないけど、それでもさ、心配くらいはさせてくれよ」
「そんな。こんな時に先輩に心配かけちゃ、迷惑ですよ」
 笑いながら拒否。
 しかしその笑いが不自然すぎることは、自分ですらわかることだった。
 なんとか立て直そうとするが、不自然さは増すばかりだ。
「俺はそうは思わない」
 サラは心配してもらうことなど望んでいない。望んではいけなかったはずだ。
 どこから間違えたんだろう?
 サラは己の記憶の中を探ってゆく。自分の決意が揺らいだ瞬間を。自分の弱さが露見した瞬間を。
 麻生に出遭った時、何かのタガが外れた音が聞こえたのだ。
 それが今思えば分岐点だった。護られる喜びと、護る義務を選ぶことの。
 あの時は判断を誤ったのかもしれない。しかしサラはまだ引き返せる。護る義務を果たすため、自らの意思で選択をし直すことが出来る。
 あの時、自分を護って死んでいった友が残した、『もしも、またアイツらに出会ったら、そのときは……』に続く言葉。
 彼女がその後に何を言ったのか。よくは覚えていない。でも、サラは思うのだ。彼女はたぶん、サラに『護る側になれ』と言いたかったのだと。
 やはりそれが運命なのだ。助けられた自分は、今度は人を助ける義務がある。


「先輩は、優しすぎるんです」
「そうも思わない。ただ、決めただけだ」
「何を、ですか?」
 答えは聞かなくてもわかっている。責任感の強い麻生のことだ。
 自惚れなどではない。ただ彼ならそうするだろう、という確信がサラにあるだけだ。
 けれども問わずにはいられない。だってそれは、本来は嬉しいことのはずだったから。
 しかし今は違う。自分の目的とは違う。自分は望んでいない。
 ……つまりサラは、
「お前を護ってやる、って。なにがなんでもな」
 誰かに護られることなど、望んではいけないのだ。
「……ありがとうございます。でも、いいんです」
「なにがいいんだ?」
「怖い夢は見ました。でもそれは、単なる夢なんです。決して起こることの無い、私が起こさせない悪夢。だから、心配してくれなくてもいいんです」
 そうだ、あんな結末は決して起こさせない。
 サラは自分に言い聞かせる。未来を変えるのは自分自身だから。
「本当か?」
「あんまりしつこいと、女の子には嫌われますよ。周防先輩と話すときは、気をつけてください」
「……そんだけ憎まれ口が聞けるなら、大丈夫か」
 何事にも動じないような彼も、唯一この話題だけは苦手な事をサラは知っている。
 だからこそ口に出した。自分の心の中を見透かされないために。
 例え何故か胸がチクリと痛んだとしても、サラにはそれを言う必要があった。
「そ、それにしても私、どのくらい眠っていたんですかね」
 話題を変えるために左手首の腕時計に目を落とすと、時計の針はちょうど“]U”の文字盤のあたりで一つになろうとしている。
「もうすぐ二十四時だ。つうことは、そろそろ……」
 麻生が何気なくドアのほうを見やったちょうどその時だった。
 絶望を告げる鐘の音が、再び島に鳴り響いたのは。


        ※     ※     ※


「嘘、だろ?」
 第二回放送後初めて麻生が口に出したのは、くしくも第一回放送後の田中と同じ台詞だった。
 そう口にはしたものの、麻生も放送に偽りがない事はわかっていた。
「だってさっきまで、あんなに……」
 永山を想い、彼女の死を受け入れずに僅かもない希望を胸に、駆けて行った男。
 つい先程まで共に過ごしていた、信頼できる友。
「まさか、そんな……」
 すがる様な思いで見たサラの顔からは、血の気が引いていた。
 今回初めてこのゲームに参加した自分の経験でさえ、わかるのだ。
 サラにこの放送がブラフでない事がわからないはずがない。
「田中先輩は、もう……」
「わかってる! それ以上言うな!」
 噴き出す感情が抑えられない。
 可能性はいつでも頭の中にあったはずなのに、いざとなると受け入れるだけの余裕はないのだ。
 どこで間違えたのか、麻生は自分を振り返る。
 永山の死を放送の前に知らせていれば、こんな事にならなかったのではないか。自分が嫌な役目を負っていれば、田中がヤる気の奴と会う事態は避けられたかもしれない。
 それとも、放送の後でも田中には本当の事を黙っておけばよかったのだろうか。永山はきっと生きてる、放送は単なるブラフだと、嘘を吐き続けるべきだったのか。
 なんにせよ、自分は田中の死を防げなかったのか。麻生は自分自身にこのゲームが始ったときから抱き続けていた問いを投げかける。
 ……そもそも、自分に誰かを護る力があるのか?


「ちくしょう。結局、こうなるのかよ」
「先輩……」
「アイツはただ、永山を探していただけなんだ。誰かを傷付ける気なんてない、いい奴だったんだ」
「わかっています」
「なのに、なのになんで……、クソッ!」
 やり場のない怒りを、壁にぶつける。
 今の麻生にできる事といえば、それくらいでしかなかった。
「それが、このゲームなんです。罪もない人が死に、罪を犯した人が生き残る。理不尽なゲームなんです」
「わかってるさ。現にもう、十二人も殺し合いで死んでるんだ。それくらい理解しているつもりだ」
 そうだ、わかっている。
 このクソッタレなゲームで勝つには、死んではいけない。
 死なないためにはどうすればいいか。答えは簡単だ。ヤられる前にヤればいい。
 麻生自身はその答えを拒絶し、別の答えを模索している。しかし、そうではない奴らがこの島には溢れている。
 高野との邂逅が、早々にその認識を麻生へもたらした。
「俺は、田中を止める事ができなかった。アイツが死んだのは、……俺のせいだ」
「そんなことありません。田中先輩が死んでしまったのは、麻生先輩のせいなんかじゃありません」
 きっぱりと否定するサラに、麻生は吼える。
「じゃあなんでアイツは死んだんだ!」
「理由なんてないんですよ、先輩」
 麻生が睨み付けたサラは、しかし微笑んだ。
 悲しそうな笑顔。今にも泣きそうな表情。
「このゲームでは、人が死ぬのに理由なんてない。それこそ簡単に、命の灯は消えてしまうんです」
 それは彼女だからいえる言葉。二度目の彼女だから口にだせる言葉。
 麻生にはそれがわかった。それを言わせてしまった自分に、どうしようもなく腹が立つ。
「私達は人の死を悲しむことは出来ます。でも、それだけです。
 どんなに自分を責めても、相手は幸せになれません。
 どんなに過去を悔いても、現実は変わりません」
「お前……」
「だから、私達に出来ることは、今を生きることだけなんです。
 これ以上誰かを悲しませることの無いように、誰かを苦しませることのないように」


 麻生は、何も言えなかった。
 サラだって辛いのだ。一緒に生きようと約束した仲間が、ほんの数時間離れただけで帰らぬ人となってしまったことが。
 いかに今回が二回目のゲームだからといって、その悲しみが薄らぐはずも無い。こんなことに、慣れるわけが無いのだ。
 それを自分は、大声をだしてわめきちらし、サラにまできつくあたってしまった。
 麻生はつくづく、自分という人間の矮小さが恥ずかしくなる。
「……スマン。取り乱して」
「いえ、いいんです。私も最初はそうでした」
 そう言ってサラは、またも力なく笑う。
 こんな時でも、弱い自分を見せまいと頑張ろうとしている。
「強いんだな」
「もちろん、女の子ですから」
 理由になっていない、と麻生は思う。しかし的を得ているとも、同時に考える。
 もう一人、強い心を持った女の子を麻生は知っているから。このゲームがはじまってから、麻生が片時も忘れたことの無い人。
 彼女が今の自分を見たら、なんと言うだろうか。
 情けない、それでも男かと、檄を飛ばされるのかもしれない。
 そんな光景があまりにもリアルに想像できて、不意に笑いが漏れる。
「先輩?」
「いや、ちょっとな。もう一人、強い女を思い出しちまって」
「……周防先輩ですか」
「さぁ、どうかな」
 周防美琴という女性の強さを、麻生はよく知っている。
 彼女はきっとこのゲームには乗っていない。でも、諦めてはいないはずだ。今の自分と同じ様に、仲間と行動しているのかもしれない。
 彼女には、そうするだけの力がある。生きるための力だ。
 それにもしかしたら、彼女はすでに誰かに護られているのかもしれない。
 そう考えた時、麻生の頭にはただ一人の男が浮かんだ。


「……そうか」
「え?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
 サラに言うべきことではない。言える訳もない。
 このゲームが始ってからずっと、何かを護ろうと強がり続けてきた理由に、麻生は気付いたのだ。
 みっともない焦りだ。
 それは嫉妬に近い感覚なのかも知れない。本人達は、なにも気にせずそれを行っているのだろうが、麻生にとってはそう割り切れるものでなかった。
 きっとあの男は、花井春樹は、周防に出会えばいとも自然に彼女を護ってみせるだろう。
 しかし自分はどうだろうか。
 田中のことも護れなかった自分に、他の誰かを護ることなんて出来るのだろうか。
「……俺は、本当に誰かを護れるのか?」
 不意に洩れた言葉に、サラは答えなかった。
 しかし麻生は、それには気を留めずに想いをめぐらせ続ける。
 自分にその力があるのか。
 花井よりも、他の誰よりも、強い力が自分の中にあるのか。
 周防美琴という女性を護る為の力が、備わっているのか。
 麻生にはわからなかった。何もわからないまま、ただ夜が明けるのを待つほかに選択肢はなかった。
 しかしだからこそ、と麻生は思う。
 だからこそ、最後まで生きる必要があるのだと。
 そうすれば、この難解な問題の答えもいつか見つかるかもしれない。
 夜が明けたら周防を探しにいこうと、彼は決意した。
 サラには申し訳ないが、付き合ってもらうしかない。
 なぜならそれが麻生にとって、今を生きるということ、そのものなのだから。

【午後:23〜25時】


【麻生広義】
【現在位置:H-06】源五郎池西側の森の中
[状態]:健康 
[道具]:支給品一式 UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(50発)
[行動方針] :サラを護る、周防を捜す、高野に敵対。
       他に出会った相手は警戒。


【サラ・アディエマス】
【現在位置:H-06】源五郎池西側の森の中
[状態]:健康(軽度の捻挫) 
[道具]:支給品一式(食料−1食) ボウガンの矢3本
[行動方針] :反主催・みんなを守る。
[備考]:麻生を信頼、高野を信頼 。護るために戦う。



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