Wolf's Fang






「……」
 じっと手にしたナイフを見つめ、ハリー・マッケンジーは何事かを考え込んでいた。
 ここは鷹野神社の西側の山道。
 名も知らぬ眼鏡におさげ髪の少女――結城つむぎを撃退し、周囲に人の気配がないことを確かめたハリーは
休憩がてら近くの岩に腰を下ろして、今後の行動方針を練るために装備を確認していたところであった。
「まずいナ……」
 神社で見つけたボロ布で何度か刃を拭きながら小さく独りごちる。
 これまでに二人の人間の命を奪った、無骨な幅広のサバイバルナイフ。
 銃器の類に比べれば決して高性能とは言い難いが、与えられた仕事は堅実にこなしてきたその刃の表面に
問題は起こっていた。
「血脂という奴か」
 ナイフにべったりと付着した二人分の人間の血液。
 布で拭いた程度では取れないソレは、すでに白く変色し固形化も始まっている。
 時代劇などの影響で誤解されがちだが、名工の打った日本刀でさえ研ぎもなしに続けて人を斬れるのは
せいぜい2〜3人が限度、それ以上は血脂と刃毀れで致命傷を与えるのは難しくなる。
 切れ味そのものはさほど重要ではない軍用ナイフとはいえ、明らかにその性能が低下していくのはハリーに
とってはあまり面白い事態とは言えなかった。
 このままでは固まった血脂が落ちなくなることもわかっているが今のハリーにはどうしようもない。
 メンテナンス用のシャープナーを含め本来ナイフのハンドル内部にあるべきサバイバルキットは何一つ、
そこには収められていなかったのだ。
「まったく……だから肉は控えろと言ったんだがナ」
 ハリーは諦めたようにため息をついて彼が最初に手にかけた級友の恰幅のよい巨大な体躯を思い浮かべる。
 刃に血脂がつくのは別に高脂血症などのせいではないのだが、微妙な誤解があるようだ。
 拭き取ってもなお消えることのないその跡は、明日を奪われた彼らの無念の叫び。
 だがハリーにはそんなことなどどうでもよかった。
 死んだ人間のことより、考えるべきは自分が生きることだ。


「……ナイフだけに頼っているわけにもいかないナ」
 今すぐどうこうというわけではないが、これまでと同じやり方ではナイフはいずれ使いものにならなく
なる時が必ず来る。
 その時に何の備えもしていなければ次に使いものにならなくなるのは――自分だ。 
 二人まで殺して武器が全く入手できなかったのは全くの誤算だったが今更嘆いても仕方がない。 
 ナイフの代わりとまでは行かなくても戦闘を補助してくれるアイテムが必要なのだ。 
「とはいうものの、そう簡単に武器になるようなものが手に――」
 と呟いたところで、ふとそばにあったあるものがハリーの目に留まる。
 それは石。
 しかし、ただの石ではない。
 崖の壁に半分以上埋まった状態ながら、その露出した部分は月の光を硬質な輝きで黒く照り返している。
「ホウ、―― harmonia か」
 その黒い石の塊を興味深そうに眺めながらハリーは呟いた。
 外見は黒くガラスとよく似た性質を持ち、割ると非常に鋭い破断面を示すことから先史時代よりナイフや
鏃、槍の穂先などの石器として用いられたことで一般にも割と知られている鉱物だ。
「フム……コレは使えるナ」
 わずかに考えた後、ハリーはナイフを使って石の掘り出しにかかった。
 次に手に入れた数個の石をできるだけ細長くなるように割っていく。
 失敗も多いが意図した形のものはどうにか作ることができた。
 更に細長くなった石の上半分を薄く鋭角になるように割り、元のまま残した下半分には木に巻き付いていた
植物の蔓を幾重にも巻いて柄の部分を作れば完成である。
 手で持って近接戦闘に用いるには使い勝手が悪過ぎるが、投擲武器としては十分な効果が期待できるはずだ。
 結局、ハリーは30分ほどかけて計6本のスローイングナイフを製作した。
 もっとたくさん作ることも可能だったが、あまり多くても持ち運びに困るので必要と思われる数に留めておく。
 一応、この場所は地図にも印を付けておくことにした。


「――まるで原始人だナ」
 できあがった黒光りする6本の石のナイフを見てハリーは苦笑する。
 とはいえ、それが役に立たないと思っているわけではない。
 その黒い石の殺傷力は現代のWRCを始めとする世界各地のラリー競技の中で、未開の先住民族の襲撃を
受けたドライバーやナビゲーターが次々と犠牲になる事件が後を絶たないことでも証明されている。
 その威力は大きなものならラリーカーの強固なフロントガラスでさえも容易く突き破るほどだ。
「とりあえず、これで当面の牙は手に入れた。後はどう使うか――だナ」
 近距離の相手に対応できるようになったとはいえ、銃器を持つ相手にはかなうべくもない。
 眼鏡の少女を追い払った時のように正面から何度も戦うのはリスクが高すぎる。
 戦術は変えるべきではない。
 自分が今生きていることが、自分のやり方が間違っていない証。
 この先、厄介な相手はまだ何人も残っているのだ。
 そしてその中でも真っ先に思い浮かぶのはクラスメイトの残る二人。
 強引で自信家でマイペースなクラス委員長と純粋でガサツでマイペースな留学生の少女。 
 二人とも戦いに関しては一流の実力を持っている。
 と、そこまで考えて自然に思考は彼らと過ごした学校生活に及ぶ。
 留学生としてやってきた矢神学院高校2−Dでの生活。
 ハリーにとってはぬるま湯に浸かったような、牙を鈍らせるだけの毎日だった。
 東郷との意思の疎通に悪戦苦闘し、ララの暴走に頭を抱えている自分。
 退屈でくだらない、無意味な日々。
 ――そこにいる自分は、いつも二人に振り回されて、苦笑いを浮かべていて。
「……戦いたくはないものだナ」
 何気なく漏れた自分の呟きにハリーは少しだけ驚く。
 自分にもそう思える友がいたことに驚く。
 だが、もう遅い。
 彼らは自分とは違う道を選んだという確信がある。
 彼らは自分を決して許さないという確信がある。
 出会えば戦いは避けられない。


「……フッ」
 やや感傷的になっている自分を嗤って、ハリーは小さく頭を振り別のことへと思考を移す。   
(彼らにばかりかまけてはいられん)
 ハリーは現在生き残っている生徒の中で特に気にかけるべき相手をもう一度確認する。
(花井春樹と播磨拳児――東郷達を除けば私の障害になり得るのはこの二人くらいのものだろう。
潜在能力という意味では一条かれんも上げられるが、彼女のメンタル面の脆さは実戦の中では致命的だ。
まず生き残ることはできまい)  
 注意すべき相手は他にもいる。
 だが、本当の意味で警戒すべき相手はそう多くはなかった。
(後は多少腕が立とうが、策略に優れていようが所詮は私の敵ではない)
 そこまで考えてふと思い出す。
(――いや、そう言えばもう一人いたな)
 体育祭の直後から東郷がしきりと高く評価していたあの男。
 暇つぶしにララの部活の面倒をみた時、その実力を垣間見せたバスケ部のエース。
 確かにその運動センスや身体能力は自分や花井達に匹敵するものがあると感じた。
 しかもハリーはまだ彼の本当の実力を目にしたことがない――。 
「――しかし、所詮はアスリートだ。ワタシが気にかけるようなファイターではない」
 そう言ってハリーは自らの思考を打ち切った。
 生き残るためには慎重さが必要だ。
 だが、必要以上に敵を畏れるのは臆病な豚のすることだ。
 そう結論づけて、その人物を自らの警戒リストから外す。
 どこか、引っかかるものを感じながら――。
「――さて、ドウスル?」
 次にハリーは地図を広げて行き先を思案し始めた。
 暗殺主体の戦闘方針と移動距離を少なくしていたことで肉体の疲労自体はさほどでもない。
 しかし、やはり今後の活動に睡眠は必要不可欠だ。
 単独行動の自分が比較的安全に休息をとれる場所といえば……。


「ホウ……この島にも滞在施設があるのか」
 オートロックは機能していないだろうが、ホテルならば鍵のかけられる堅牢な個室があるだろう。
 ガスや火などの攻撃を受ければ致命的だが、居場所さえ特定されなければ十分な睡眠が得られる。
 もちろん先客がいる可能性は高いが、危険であれば排除するまで。
 こちらの存在を気取られなければ放置しても構わない。
 空き部屋はいくらでもあるだろう。
 なにしろ、長いオフシーズンのこの島に宿泊客は自分達しかいないのだから。
 一つ問題があるとすればそこまでの距離か。
 途中の街道はつい先ほど21時に閉鎖されたばかりだ。
 目的のホテル跡に向かうためには神塚山の裾を大きく回りこまねばならず、少なくとも24時の
放送までには辿り着けそうもない。
「まあいいサ、月明かりの下をノンビリ歩くのも狼には似合いダロウ」
 そう言ってハリーは立ち上がると地面に置かれた石のナイフを拾い上げる。
 そしてハリーはその威力を確かめるように無造作に一本の牙を正面の木に投げつけた。
『カッ!』
 狙いを違わずナイフは木に絡まった太い蔓を切断して木の幹に深く突き刺さる。
「さあ――行コウカ」
 ハリーの口元に不敵な笑みが浮かび、月明かりに照らされるダークシェードの向こうに映る狼の鋭い眼光は
爛々と危険な輝きを放っていた。



  【ハリー・マッケンジー】
【現在位置:G-05】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式(食料2、水4) UCRB1(サバイバルナイフ) スピーカー
     黒曜石のナイフ×6本(投擲用)
[行動方針] :ゲームに乗る。でも女性は殺しにくいかも…
       ホテル跡に向かい今夜の宿泊場所を確保する。(G-04の縁に沿って北上)
[備考]:結城の傘を普通の傘と認識。


     【午後:23〜24時】



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