すすむことはできない
「ふぅ……。やっと着いたな」
川のほとりでの休憩が終った後、歩き続けて約二時間。
鬼怒川と斉藤はやっとのことで目的の中間地点、平瀬村に到着した。
斉藤の鼻血はすっかり止まったが、痛みはいまだ残っている。
身体的にも精神的にも疲労がたまり、もう今夜はこれ以上進むことは出来そうにない。
「まぁ、日付が変わる前にここに着いただけでもよしとしなきゃ」
そう言って鬼怒川はその場に腰を下ろし、そのまま斉藤の方へ手を突き出す。
なんのことか分からず、とりあえずここは手の甲にくちづけでもしておくべきだろうかと斉藤が思い始めた時、鬼怒川が再び口を開く。
「リュック。もう返してくれていいわよ」
「あ、お、おう」
川から平瀬村までの道中、鬼怒川の荷物はスパス15を除いてすべて斉藤が持っていた。
強制されたわけではなく、斉藤から志願した事だ。ただ、鬼怒川が「疲れたよね?」と溜め息をついて言ってきたのが理由なのだが。
中の物は少ないが、なにせペットボトルが計四本。リュック二つの合計重量は六キロ以上。そこそこの負担である。
「ほらよっ」
「アリガト」
微かな笑み。
それだけで、斉藤はこの二時間の疲れが吹き飛んだ気がした。
「ま、まぁ、いいってことよ」
つくづく単純な男だな、と斉藤は自分で自分を評価する。
こんなゲームに参加してもう十時間がたつのに、いまだこの状況を―――つまり鬼怒川と一緒にいるという状況を、嬉しいと思っている自分がいるのに戸惑っていた。
こんな何気ないやり取りの中でも、一喜一憂して感情がめまぐるしく変化する。
それが幸せなことなのか、それとも悲しむべきことなのか。今の斉藤には判断がつかなかった。
限られた時間はあとわずか。どんな手を尽くしたところで、必ずどちらか一人は死ぬ運命にある。
決断すべきときが来るかは分からない。それまで自分達が生き残れる保証は無いから。
だがしかし、もしそんな時が来たとしたら、
……やっぱ、俺は譲るんだろうな。
そう思い、命を投げ出してもいいと思えるくらいに鬼怒川の事を好きである自分の感情が、恥ずかしいくらい滑稽に思えた。
ちょっと気になるオンナノコだと思っていたはずなのに、ここまで彼女に尽くしたいと思っている自分がいる。
いや、尽くしたいと言うよりも、鬼怒川のために苦しみたいのかもしれない。
自分を犠牲にして、鬼怒川を喜ばせる。それを望んでいる自分がいる。
こんなことなら、もっと前に告白とかしとけばよかった。
そう思う一方で、自分にはそんな勇気はないだろうと自嘲気味に笑う。
「どうしたの?」
「え、いやっ。なんでもない……」
表情を読み取られないように、下を向いて顔を逸らす。
こんなことを考えているとバレれば、自分と組むのを止められてしまうかもしれない。
鬼怒川が望んでいるのはそういうめんどくさい関係じゃないだろう。あくまでも自分達は共闘関係にあるというだけ。
無駄な情が生じれば、後味が悪くなる。苦しむのは自分だけでいい。
そう考え、斉藤はとっさに誤魔化そうとする。
「と、ところでさ、その、休むトコなんだけど。俺としてはなるべくお互いの無事が確認できる所がいいと思うんだ。つまり、例えば、ワンルームの所とか」
誤魔化そうとしているだけなのに素直に下心がでてくるのは漢のサガというものなのか。
今年に入ってから自身の無駄な下心を鍛えまくるのに一役買ってくれた西本に、心の中で感謝の呪詛を唱えつつ、とりあえず誤魔化しを続行する。
ついでに下心も満たされれば万々歳であるが、
「な、なぁ! 鬼怒川はどう思……?」
期待を込めて顔を上げると、そこにもはや鬼怒川の姿は無い。
慌てて左右に首を振ると、左に10mほど行った所に既に鬼怒川は移動していた。
「何してるの? 早く休む場所探すわよ」
「お、おう……」
偶然無視されたのか、それとも下心を見透かされてわざとすり抜けられたのか。
急いで鬼怒川の隣に駆けつけながら、そんなことを考える。
「んで、どんなトコを探すんだ?」
「そうね、なるべく逃げ場に困らないところがいいと思ったんだけど、ここら辺は民家ばっかりだから。とりあえず、裏口のある家を探しましょう」
「……あぁ。そう、だな」
民家ということは広い家ということだから、たぶん寝室は別々だ。
不純な目的は完全に撃破された。
それでも斉藤は鬼怒川の前では泣かない。だって男の子だから。
「何か不満?」
「いやっ、そんなことはねぇよ。そうだ、手分けして探そうぜっ!
俺はあっちを探すから、鬼怒川はそっちなっ!」
それだけ言い残して、斉藤は駆け出す。
斉藤の目から流れた液体は、どんな感情から流れたものなのか。
その瞬間を見ていなかった鬼怒川には、推測することができるはずもなく、
「……変なの」
と呟いて、彼女は斉藤と逆の方向へと歩いていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……そう、うまくはいかないものね」
結局、鬼怒川は休憩するのに適した場所を見つける事ができなかった。
そもそもこのゲームが始まってから、物事がうまく進んだことなど殆ど無い。
日頃の行いは、そう悪くないと思うのだが。
「やっぱり、こんなゲームに自分から乗ろうとしたバチがあたったのかしら」
そうひとりごちて、そんな事はないはずと自ら否定。
生き残ろうとする側が死に追いやられるなんて馬鹿げてる。鬼怒川は生き残ろうと決めたのだ。その為には、自分以外の全員を殺す努力をしなければならない。
「おーい、鬼怒川。いいトコあったか?」
そう。例え殺す相手が、今現在こちらに駆けてきている相棒だったとしても、だ。
「ん? どうした?」
しかしとりあえず今は共闘関係。何も考え無いほうがいい。
ここで悩んでしまうのは、生き残る為には足枷になってしまう。
「……ううん、何でも無い」
「そう、か」
「それより、斉藤君の方はどうなの?」
「ああ。向こうでちょうど良さそうなのを見つけたんだ」
そう言って、良い笑顔を見せる斉藤。
鬼怒川にとってこのゲームが開始してから唯一あった“うまくいった事”は、ゲーム開始直後に斉藤に出会った事くらいだ。
完全に信頼していい訳では無いというのは鬼怒川もわかっていた。しかしこのゲームを一人きりで生き残れる力が自分には無いという確信が、鬼怒川にはある。
だからこそ組めるのだ。死ぬ確率がどちらも0でないなら、なるべく低い方がいい。
「そう。それじゃ、案内してくれる?」
「おう、いいぜ」
……しかし斉藤君はどうなのだろうか?
ふと、そんな疑問が鬼怒川の脳裏によぎる。
最初に出会った時、斉藤は明らかに殺る気だった。それが何故、いきなり戦意を失ったのか。
それだけが疑問だったが、疲労がそれ以上の思考を遮る。ひとまずは休息の事を第一に考える必要がありそうだ。
先をゆっくりと、鬼怒川が追いつけるように歩いてゆく斉藤に、鬼怒川は着いて行く。もっと状況が違えば―――そう、殺し合いなんて悪趣味なゲームが無ければ、男子と二人っきりで寝床を探す様なシチュエーションにときめきなどを覚えるべきなのかもしれない。
しかしこの状況じゃ無理というものだ。暗い夜道を男の背中頼りに歩きながら、鬼怒川はぼんやりとそう思う。
「……なぁ、ここなんかどうかな? 俺はいいと思うんだけど」
不意にかけられた声に鬼怒川が反応する。
斉藤の指が指し示す所には、立派とは言いがたい一軒家があった。古い造りで、裏を覗き込むとちゃんと裏口もついている一階建て。
扉は住民が退去時に閉めていかなかったらしい。実際、鬼怒川が回ったほかの家も八割方は鍵が開いていた。
「結構いいんじゃない。裏口もついてるみたいだし」
「だろ。なら、ここにしようぜ」
本当によい笑顔。
それほどまでに寝床が決まったのが嬉しいというのか。
そんなことを思いながらも自分自身、ホッとしているのに鬼怒川は気付いていた。
身体は、早く休みたいと訴え続けている。
「そうしましょう」
早く家の中に。横になれる場所が欲しい。
その一心で、鬼怒川は手短に答えてから家の中へと突き進んでいった。
部屋数は少なかった。しかし狭すぎることは無い。
古い造りであるという見た目どおり、和室が基本であるのは幸運だった。
布団は無いが、畳は敷いてある。これなら横になっても身体が痛くなることはあまりないだろう。
鬼怒川は、寝床を居間に決めた。ここなら、正面からでも裏からでも逃げ出せるし、反撃も出来るから。
同じところで休んだほうが安全だと斉藤に申し出ると、斉藤は少しだけ挙動不審になってから素直にその提案を受け入れる。
鬼怒川は斉藤の行動の不可思議さに、再び首を捻る必要があった。
「あーっ! 疲れたぁ」
畳の上に寝転がり、斉藤が素直に感想を漏らす。
しかし声のトーンが若干抑え気味なところが、今の緊迫した状況をよく表していた。
「ホント、今日は色んな事がありすぎたわ」
いきなり殺し合いゲームに投入され、殺す覚悟をし、死の恐怖を味わい、味あわせ、人へと銃弾を撃ち込んだ。
日本に住んでいる限り一生しないであろうと思っていた、いや、思う事すらしなかった経験を、否応なくさせられている。疲れないわけがない。
そうだ。今はいつもの日常とは違うのだ。
だから鬼怒川は、斉藤のようには横にならなかった。
今すぐにでも休みたいところだったが、気付いてしまったものはしょうがない。
「どうした鬼怒川? 休まないのか」
斉藤がいかにも眠たそうに問いかける。
重い荷物を一人で持って、疲れているのだから自分より眠いのは当たり前だ。鬼怒川はそう考え、なるべくキツい言い方にならない様に答える。
「うん。いかに家の中だとしても、いつ誰が侵入してくるか分からないでしょう?
一応、戸に鍵はかけたけど、どちらかが交代で起きている必要があるわ」
「そ、そうか」
鬼怒川の指摘で、斉藤はやっと気付いたらしい。バッとはね起きて、眠たそうな眼をゴシゴシとこすった。
そんな斉藤を鬼怒川は片手を出して制止する。
「斉藤君にはさっき荷物持っててもらったから、今度は私が無理する番ね。
先に休んでていいわよ」
そう告げて、鬼怒川は右手でスパス15を持って部屋を出ようとした……
が、左手を斉藤に掴まれて立ち止まる。
「何?」
「あー、いや、えっとぉ……」
鬼怒川の顔を見て、握った手を見て。
その繰り返しを続ける斉藤が、鬼怒川には理解できなかった。
「どうしたの?」
「その、さ。鬼怒川が先に休んでいいぜ。疲れてるんだろ?」
「……」
そういうことか、と、鬼怒川は斉藤の行動の意味を理解する。
様は、こちらを気遣っているのだ。自分だって疲れているはずなのに、無理をして。
「でもそれは、斉藤君だって同じじゃない」
「いや、なんっつーかさ。ほら、あんまり緊張したらか目が冴えちゃって」
正直、呆れてしまった。オトコノコというものはこうも強がれるものなのか、と。
しかしせっかくの申し出をむげに断る理由もないし、断れば逆に斉藤に対して失礼だろう。
「は、はははは……」
目の前で引きつった笑いをうかべる男を、不覚にも少しカッコいいと思っているのに気付いてちょっと自己嫌悪。
そんな感情は持たないと、最初に決めたはずだ。
「……ふぅ。分かったわ。それじゃ、お願いしようかな」
だから斉藤には辛い仕事を受け持ってもらう。
これで自分は斉藤を利用しているだけ、という認識を自分に強要できる。
「ま、任しとけ!」
そう言って斉藤は自らのコルトAR15を手にとって、居間を出ていった。
その後姿を見送りながら、鬼怒川はふと考えをめぐらせる。
斉藤と自分が、これからどれだけの間生き延びられるのか。
最終的には、どちらか一方は死ななければならないのだ。
でも今は、一秒だけでもいい。一秒だけでも多く、斉藤と生き延びられたらいい。
そう思う自分に戸惑いを感じながらも、鬼怒川は眠りの世界へと旅立とうとする。
果たして今の自分が見る夢はどんなものなのか。それも鬼怒川にもわからない。
ただ鬼怒川は、それはわからないままでいいのだと思った。
お互いを利用して、出来るだけ生き残る。
そんな関係こそが、殺し合いに乗るという非道な決断を下した自分達にはお似合いなのだから。
【22時〜24時】
【F−02】
【鬼怒川綾乃】
[状態]:疲労
[道具]:支給品一式(食料一食分消費) ショットガン(スパス15)/弾数:5発
[行動方針] 1:平瀬村でとりあえず休憩。
ホテル跡に行くか分校跡へ行くかは明るくなってから考える
2:斉藤と協力しゲームに乗る
[備考]:播磨が八雲、沢近を探していたと思っています
【斎藤末男】
[状態]:鼻骨骨折(止血済み、痛みあり)、疲労
[道具]:支給品一式(食料一食分消費) 突撃ライフル(コルト AR15)/弾数:50発
[行動方針] 1:平瀬村でとりあえず休憩。
ホテル跡に行くか分校跡へ行くかは明るくなってから考える
2:鬼怒川と協力しゲームに乗る
[備考]:播磨が八雲、沢近を探していたと思っています
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