True pig
歩幅は狭く、それでも早く。結城つむぎは鷹野神社を目指しもう間もなくという距離まで前進していた。
呼吸も荒い…先ほどの冴子との戦いの後、彼女は極度の興奮状態にあったのだ。
銃弾を傘で防いだ衝撃。自分より遥かに格上だった冴子の肉をえぐった感触…
歩けば歩くほど思い出される。そして、ますます興奮が高まっていく。
自分でも格上だった冴子に勝てた。そして、これからもっとたくさん※さないといけない。
全ては花井君の為に…薄ら笑いすら浮かべ結城は歩く。
彼女の右手では支給された黒い傘が握られていた。そう、銃弾すら防ぐ彼女の大切な武器だ。
冴子から奪った道具の中には銃もある…が、わざわざ使う必要はないと結城は考え、リュックに仕舞っていた。
「冴ちゃんだって無理して使って体勢崩してたんだもん…私には無理だよね」
無意識に彼女は"冴ちゃん"と呟く。他の女子が普通に使う音篠の呼び名を格下である自分が使う事に、彼女は更に悦びを覚える。
「…それに、私にはこの傘がある。これなら、きっと花井君の役に立てるよね?」
愛しそうに傘を見つめ、結城はしばし足を止めた。
一方、結城の居場所から程近い山中にハリー・マッケンジーはいた。
別に今まで山で迷っていた訳ではない。彼は既に結城の目指す鷹野神社を発った所なのだ。
彼は吉田山を殺害後、鷹野神社に向かった。だが、暗がりの中で見たものは二人分の無残な死体だった。
「銃撃でも受けたか…フン、日本人はよほど戦争が好きなのか…?」
ゲームに乗ったハリーですら目を背けたくなる程の惨烈極める地獄絵図。
すでに黒くなった血液と、それらが放つ今までに経験のない異臭。
「…先ほど聞こえたのは銃声か?やはり、銃を持った狼がいるという事か…」
鼻を押さえながら、銃を持つ狼の"食べ残し"のリュックから2本のペットボトルを取り出しす。
お礼代わりに先ほど山の中で食べたパンの包みを死体の傍に捨て、ハリーはすぐに神社を発った。
ここに二人の役者が揃った。そして、彼らを引き合わせるのは…
ある所に、播磨というご主人様を探して走る一匹の子豚がいました。
彼の名前はナポレオン…元気いっぱいの子豚です。でも、今日のナポレオンは災難でした。
彼はいつものように気持ちよくお昼寝をしていた時に、誰かにリュックに入れられてしまったのです。
中はとても暗くて狭く、ナポレオンは恐くなって泣きました。ご主人様、助けて!
でも、リュックはあかずに暗いままでした。そしてそのうち、リュックが動き出したのです。
そう、誰かがリュックを手に取ったのでしょう。しかもその人はずっと走っていたようで、リュックはとても揺れ続けました。
そんな中、途中で一度リュックが大きく揺れました。きっとリュックを持つ人が転んだのでしょう。
そしてその時、初めてリュックが開きました。お日様の光と一緒に彼の目に入ってきたのは、とても恐そうな男の人の顔でした。
「ぶ、豚ぁ!?…あ、待てよおい!」
男の人もいきなりナポレオンが出てきた事に驚いていたようで、これはチャンスとナポレオンは逃げ出しました。
「お、おい!待ってくれよ!一人にしないでくれよ!」
男の人は何かを叫びながら追いかけてきましたが、ナポレオンは人間の言葉が分かりません。
彼にとって、意思の疎通ができる人間はご主人様だけなのです。
そのうち男の人がまたこけて、ナポレオンは無事逃げる事ができたのでした。
…でも、男の人は泣いていました。必死に捕まえようとナポレオンを追いかけてきていたはずのに…
一体どうしてなのかは、ナポレオンには分かりませんでした。
それからもナポレオンは大変でした。
通りがかりの原っぱで休もうとしていた時、彼は知らないお兄さんから脅かされたのです。
原っぱでは他にお姉さんが二人いましたが、一人は寝ていました。あんな所だと風邪を引くのに…
それで慌てて原っぱから逃げてずっと走っていたら、今度は雷が落ちたような音が聞こえました。
でも空は晴れていて、今は丸い月が顔を出しています。ナポレオンは不安になって休む間もなく逃げました。
そもそもここはどこなのでしょう?いつもの公園でも、裏山でもありません。見たこともない場所が延々と続きます。
今まで走り続けてきたナポレオンでしたが、さすがに足が疲れてしまいました。
大きな音が鳴ってからあまり長く走っていませんでしたが、ちょっと休むことにします。
ご主人様は今どこにいるんだろう?そう思って横になった瞬間でした――
「…豚?」
すぐ後ろから声がしました。慌てて振り向くと、そこには眼鏡をかけたお姉さんがいます。
お姉さんは笑っています。…でもどうしてでしょうか、ナポレオンはお姉さんが恐くてたまりませんでした。
「…花井君、豚肉は好きかな?マッチだってあるし、ちゃんと焼けば食べられるよね…」
お姉さんの眼鏡が真っ白に光りました。ナポレオンはそれが恐かったのです。
そんなナポレオンの様子に気付いたのか、お姉さんはリュックをあけて小さな袋を取り出しました。
「豚さん、おいでおいで!おいしいパンだよ…ほら、ウグイスパン!」
袋をカサカサ鳴らしてお姉さんはナポレオンを誘います。反対の手では傘を持ち上げているようですが…
ナポレオンはとてもおなかが空いていました。そして、パンが食べられる物である事も知っていました。
ご主人様から何度も分けてもらった事があるパン…一緒に食べるととてもおいしくて、幸せでした。
「ね?おいで…あっ」
でも、このお姉さんの眼鏡は白く光ったまま…だからナポレオンは逃げました。
「ちょっと、待ってよ…もう!」
お姉さんはパンをリュックになおすとナポレオンを追いかけ始めました。…この島に優しい人はいないのでしょうか?
ナポレオンは疲れていたので早く走れませんでした。でも、眼鏡のお姉さんも人間の割にあまり早くありません。
だからお姉さんに追いつかれる事はありませんでした。その代わりに距離を離す事もできませんでしたが…
お姉さんとの追いかけっこが始まってすぐ、ナポレオンは別の人を見つけました。
ご主人様と同じようにサングラスをかけた…でも、ご主人様ではない金髪のお兄さんです。
「ハハ、ハ!まさか本物の豚にまで出会えるとは思わなかったナ…
そして、さっきの私のディナーがカツサンド…今日は豚の日だナ!ハハハハハ!」
お兄さんはとても楽しそうに笑っています。もしかしたらいい人なのかも知れません。
…でもお兄さんが手に持つナイフを見て、ナポレオンは再び恐怖しました。
ナイフは危ないもの。肉を切るもの。本来食べられる立場にあるナポレオンにとって、それは危険そのものなのです。
「…豚は生だとダメだったハズだな。だが、食料は多いに越したことはない…」
お兄さんの笑いも変わりました。口元の笑みが鋭くなったのです。
前に金髪のお兄さん、そして…後ろに眼鏡のお姉さんが来てしまいました。…挟み撃ちです。
「…おや、君は彼女のペットだったのか?どうやら銃を持つ狼では無さそうだが…しかし、やはり女性はやり辛いな…」
「ハリー…マッケンジー君…!」
お姉さんの眼鏡の輝きが一層増した気がしました。それに対してお兄さんには余裕があります。
「…もしかしたら何か誤解していないかな?お嬢さん…私が言ったのはペットが豚で、彼女というのが君の事ダ」
「…体育祭で…花井君を蹴った…花井君、手が出せなかったのに何度も…何度も…何度も!!」
傘を開いて、お姉さんは突進しました。ナポレオンは慌てて避けましたが、お姉さんの狙いは彼ではなくお兄さんだったようです。
「…向かってくるか。これなら、少しはやり易い…」
ナイフを構えるお兄さんを見て、ナポレオンはお姉さんが負けると思いました。ナポレオンは知っています。傘はとても破れやすいのです。
一度ご主人様と雨の日に散歩をした時、ご主人様は傘を木の枝に引っ掛けて破ってしまったことがありました。
それはご主人様のお姉さんの大切な傘で、家に帰ってからご主人様はお姉さんにとても叱られていました。
だから、ナポレオンには眼鏡のお姉さんの行動が理解できませんでした。ナイフで切られたらそれで終わりなのに…
でも、お姉さんの眼鏡は輝いたままでした。まるで何か確信があるかのように…
でも結果はナポレオンの予想通り、傘の一部があっという間にナイフに裂かれてしまいました。
「ひっ…なんで!?弾だって防いだのに!?」
お姉さんの大声にナポレオンは怯みました。お姉さんは黒い傘の切れ目から金髪のお兄さんの顔が見えた時に怯みます。
お姉さんは涙を浮かべながらリュックをあけようとしましたが、それはお兄さんに止められてしまいました。
「いやっ離して!離してぇ!」
傘を持つ右腕を押さえられ、お姉さんはお兄さんに引きずられて行きます。ナポレオンが後を追うと、そこには崖。
「やはり女性はやり辛いな…この程度の高さダ、死にはしないだろう?…だが、傘を持って落ちたら危ないナ」
お兄さんはお姉さんの傘を奪って崖に投げると、次にお姉さんを崖に落としてしまいました。
甲高い悲鳴がだんだんと低音になっていき…そして、完全に聞こえなくなりました。
ナポレオンは思わず崖を覗き込みましたが、お姉さんが倒れているのが見えました。
どうもあまり高さはなかったようです。
「…所詮、餌を飼い慣らすような犬は狼にはなれない…そうだろう?本当の豚よ…」
トン、と押すような蹴りがナポレオンを襲いました。そう、お兄さんが蹴ったのです。
ナポレオンはお姉さんの姿に気を取られて、お兄さんが近づいた事には気付いていませんでした。
「しっかりと主人を守ってやるんだナ。豚同然の人間よりはよほど利口なハズダ」
お兄さんが視界から消えて、世界がぐるぐる回りだしました。
ぐるぐる回る。ぐるぐる回る。ぐるぐる回る。ぐるぐる――
ようやく世界の回転が終わり、ナポレオンは立ち上がりました。
体中に落ち葉がついて汚れていますが、落ち葉がクッションになったお陰で怪我はないようです。
転ぶ事に慣れていたのであまり痛くはありませんが、まだ目が回るし疲れています。ナポレオンは早く逃げようとしましたが――
ガサッ。彼が落ち葉を踏みしめた音に、誰かの悲鳴が重なりました。
「ひっ!?誰っ…誰なの!?」
恐る恐るナポレオンが振り返ると…どうやら、さっきの眼鏡のお姉さんのようです。でも体中汚れていて、そして眼鏡がありません。
お陰でナポレオンは全然恐くありませんでしたが、お姉さんは涙を流していました。
どこか痛いのでしょうか?ナポレオンは心配になって近づきましたが…
「いやぁ!来ないで!助けて花井君!花井君!花井君!花井君!花井くぅぅぅぅぅん!!」
お姉さんは大声で叫び、手を振り回しました。あまりに的外れな動きでしたが、ナポレオンは驚いて逃げ出しました。
疲れは酷いですが、それでも彼は必死に足を動かします。
お姉さんはもう追いかけてはきませんでしたが、ずっと後ろで何かを叫び続けていました。
やっぱり、この島には恐い人しかいません。ご主人様はどこにいるのだろう?
ナポレオンは走りながらご主人様を何度も呼びましたが、ただ延々と夜の森が続くだけでした。
【午後:21〜22時】
【結城つむぎ】
【現在位置:G-06】
[状態]:全身にすり傷、大雨
[道具]:地図 ロウソク×3 マッチ一箱 防弾傘(一部に破れ)
支給品一式(食料二人分) 散弾銃(モスバーグM500)残弾3 殺虫スプレー(450ml)
[行動方針] :眼鏡、傘を探す。花井と合流する。西の鷹野神社を目指す。花井以外を※す(周防、八雲、高野を優先)。
[備考]:花井以外を警戒。眼鏡の状態は不明。
【ハリー・マッケンジー】
【現在位置:G-06】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式(食料2、水4) ナイフ スピーカー
[行動方針] :ゲームに乗る。でも女性は殺しにくいかも…
[備考]:結城の傘を普通の傘と認識。
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