逆鱗






「裏目に出てばっかだ」
少しイライラした口調で音篠冴子は呟く、当初は三叉路で待ち伏せを行う予定だったが
行ってみると三叉路付近は何もない草原で身を隠す場所もなく、
待ち伏せどころか、これでは的になってしまうと引き返せば、
今度は禁止エリアで西へのルートが塞がれてしまった。
「あのまま進んでいたらよかったかも」

足元の石を蹴りながら夜空を見上げる、夜風が頬を撫で、髪型が乱れる。
「おっとと、いけないいけない」
慌てて髪をセットし直す冴子、こんな状況でも身だしなみに気を配るのが彼女らしい。
さてと、どうするか…野宿は嫌なので早くどこか屋根のある所に行きたいのだが、
こう暗くなっては地図も満足に見えない、それが余計に冴子のイライラを増幅させる。
神社に引き返すのも手だったが…というかそもそもここはどこなのだろう?
「もしかして、私…迷子?」

  口に出してから、少しだけ言うんじゃなかったと後悔する、が遅い。
冴子は思い切り足元の石を蹴り飛ばす、すると、彼女の耳に怯えたような声が届いた。

(怖い…怖いよ…)
結城つむぎはガクガクと震えながら、歩き出すことすらできずに立ち尽くしていた。
話は少し前まで遡る、あれから神社を目指し、山の麓を西に向かっていた彼女、
やや道が険しくなってきた頃だった…。
「ああっ!」
突然何かに蹴躓いてしまうつむぎ、手探りで外れたメガネを探す…よかった割れてない。
こんな状況でメガネを失えば死活問題に関わってくる。
だが、同時に思うのはやはりあの雨上がりの出来事…。
(もし私がメガネを壊したら、また花井君…自転車に乗せてくれるかな?)
それはそうと何に躓いたのだろう?丸太か何か?
メガネをかけ直し振り向くつむぎ…自分が躓いた物の正体が目に入る。


「!!」
もはや声さえ出せず硬直するつむぎ、そう…彼女が躓いたのは丸太でも何でもなく。
哀れにも射殺されたまま放置されていた、永山朱鷺の死体だったのだ。
「………」
泣き叫ぶことができればどんなに楽だろうか?だがそれすらも出来ない。
その癖、逸らしたくてたまらない視線は死体からまるで離れてくれない。
そして…暗闇でもわかるほど無念の表情に覆われた死に顔が目に入った途端。
「うぷっ…うううううっ」
つむぎの口から胃の内容物が呻きと同時に溢れ出す、
それでも死体を汚してはいけないと、のたうつように体をくねらせるつむぎ、
胃液が彼女の服にかかり汚れていく…。
こうして、空っぽの胃を搾り出すように何度も何度も彼女は嘔吐を繰り返し、
それがようやく収まると…重い体を引きずるようにその場を離れたのだった。

そしてようやくここまで逃げることが出来たのだが…。
つむぎは自分の足をじっと見る、まるで棒のようになって動いてくれない。
脳裏にリフレインするのは、天王寺の断末魔と永山の亡骸。
足を前に進ませようとすると、それらが入れ替わり立ち代り浮かんできては、
まるで金縛りにあったように自分の体を釘付けにしてしまう。
そして、その死体はいずれ…。
(いや!)
首を必死で振りまわし、自分の中の恐ろしい考えを否定するつむぎ。
(花井君…あんなのになっちゃいやだよ…花井君)

その時だった、彼女の体をかすめるように、前方から石が飛んでくる。
石自体は命中しなかったのだが…それでも崩れてしまいそうな彼女の心にひびを入れるには十分だった。
「あ〜〜〜〜」
気の抜けたような声をあげて、つむぎはその場にへたり込んでしまった。


「へぇ…誰かと思ったら結城じゃん」
人の声に一瞬ヒヤリとした冴子だったが、声の正体がつむぎだと知ると、
薄笑いすら浮かべてリュックから銃を取り出す。
冴子にとってつむぎは舞といつもつるんでいる、トロくさいガリ勉メガネという印象に過ぎない。
(あんだけトロけりゃ一発でOKよね)

一方のつむぎだが、こちらは相手の正体が冴子だと知ると少しだけ安堵の表情を漏らす。
彼女とはそれほど親しいわけでもないが、
自分の親友である舞と彼女がちゃんづけで呼び合う仲だということは知っている。
「たすけ…」
しかし求めようとした救いは、冴子の肩に担がれた散弾銃、
そしてを何よりも彼女の目を見た途端…止まってしまった。

「牙ちゃん…?」
やっとの思いでそれだけを口にする。
呼ばれた側は、鼻白んだような顔で応じる。
「結城さんにちゃんづけを許可した覚えはないよ」
「ご…ごめんなさい…でも」
冴子はつむぎの弁解など軽く無視して、肩に担いだ散弾銃をことさらゆっくりと構えていく。
「まぁ…いいか、それくらい許してあげる、どうせ」
銃口がつむぎへと向けられる。
「ここでアンタ死ぬんだし」

(何で!何で私ばっかりこんな目に合うの!)
つむぎはガタガタと歯の根を震わせ心の中で嘆く、本当は叫びだしたいのだが、
やはり声がまるで出ない…代わりに出てきたのは
「すけて…たすけて…はない…くん」
想い人への救いを求める声だった。


「助けて花井君?」
そんなつむぎの声を耳ざとく聞きつけた冴子は銃を構えたまま、
つむぎの顔を覗き込む…そしてたすけてはないくんかぁと、
わざわざ口に出して繰り返す…そして。
「くくく…あはははははっ、うわさはホントだったんだぁ」
可笑しさをこらえきれないそんな感じで笑いだす冴子、その笑いは蔑みと哀れみに満ちていた。
「身の程知らずもいいところじゃない、釣り合う訳ないじゃないの」

その言葉がつむぎの心に深く深く突き刺さる…そんなことは分かっている。
分かっていることなのに…何でわざわざ…。
「何で…なんでそんな酷いこと言うんですか?」
つむぎの言葉にニヤニヤと歯を見せながら答える冴子
「イライラするのよね、あんた見てると…その上まさかそんな高望みしてるなんてね」
そういうなり冴子はへたりこんだままのつむぎの腹に爪先で蹴りを入れる。
「ちょっと成績よくって、ちょっと男子にウケがいいからって調子こいてんじゃないわよ
それとも何、女子みんなに笑われてるの知らないの?」
これは口からでまかせなのだが…その言葉はララたちに見捨てられたと思っている、
つむぎには何よりも痛い言葉だった。

「ま、世界中の人間がみんないなくなってあんたと花井の二人だけになったら
少しは相手してもらえるんじゃないの?…それにしても」
冴子の言葉はまだ止まらない、まるでネズミをいたぶるネコのように執拗につむぎを嬲っていく…だが。
「花井君も災難よね、ちょっと優しくしてあげただけで誤解されてさ…だいたい
あんな熱血スタイルなんか流行らないっての、お前は何時代の…」
彼女は少し調子に乗りすぎていた…、だから気がつかなかった、自分を見るつむぎの目が、
怯えから怒りへと変わっていたのを。 


変化は唐突だった。
「まったくウザイったら…」
そこまで冴子が口にした時だった、俯いていたはずのつむぎがこっちを見あげている。
「何よ…」
憮然と呟いた時だった、視線が交わると同時に猛然とつむぎが冴子へと掴み掛かる。
「ちょっ…やめ何するの!」
振り払おうとする冴子だが、つむぎは冴子にくらいついて離れない。
その目は怒りに爛々と燃えている…自分への侮辱だけならどんなに辛くても耐えられる、
身の程知らずだろうが、足手まといだろうが…でも…それでも。
(花井君を侮辱することだけは許さないっ!)
ふたりは縺れ合うように地べたで取っ組みあっていたが、
「そういうのがウザイのよ!」
冴子が一声叫んでつむぎを突き飛ばす、手には散弾銃。
「じゃあもうお別れだから」
そう呟くともはや一片の容赦もなく狙いを定める、暗闇とはいえこの距離なら外さない。

いったん振り飛ばされたつむぎだが、振り飛ばされた先に触れるものがある。
それを手に取ると迷うことなくスイッチを入れて目の前にかざす。
「はぁ!カサ?そんなで防げるわけないじゃないの!」
薄幕の向こうで嘲る声、だがつむぎはもう動じない…一声吼えるとカサを広げたまま、
猛然とその向こうの冴子へと突進を開始する。
「カモが葱しょってさ、バカ?」
笑いすら浮かべてトリガーを引く冴子、
だが…しかし自慢の散弾はつむぎの広げた防弾傘によって全て防がれてしまっていた。
しかも、華奢な体格の冴子は発砲の衝撃で完全に体勢を崩してしまっている。
そしてそこに着弾の衝撃で一瞬ぐらついたものの、猛然と突っ込んでくるつむぎ、
(謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れっ!花井君に謝れっ!)


傘を通して奇妙な手ごたえが彼女の手に伝わる。
興奮に震える指がスイッチに触れて傘が閉じる、だがつむぎはまるで構わない。
閉じた傘を渾身の力で持ち上げると、そのまま地べたに尻餅をついている冴子めがけて、
思い切り振り下ろす。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
肉を引き裂く音と悲鳴が先端から伝わる、さらに今度は横なぎでもう一度、
今度は悲鳴は聞こえなかった、やはり肉を裂く感触はあったが。
さらにもう一度…は無理だった、基本的に運動オンチであるつむぎの体が3度目の攻撃に、
悲鳴を上げていた。

それでもつむぎは暫しの間冴子をじっと睨み付ける、そして彼女が動かないのを確認すると、
つむぎは冴子のリュックを担ぎその場から立ち去った。

つむぎが立ち去ってから10分ほどが経過して…冴子がゆっくりと起き上がる。
死んだのではなく脳震盪を起こして気絶していただけだった。
「痛い…」
顔が痛くてたまらない…頬に触れる…ぬるりとした感触、血がべっとりとついている。
冴子は恐る恐るポケットの中のエチケットブラシを取り出す…そして鏡に顔を映す。
折りしも先ほどまで雲に隠れていた月が姿を表す…月明かりの元、鏡にさらされたその顔は…。
「うわぁああっ!」
冴子は一声吼えて鏡を投げ出す、そこに映っていたのは頬と額を傘の先端で、
深々と抉られ、醜く変わり果てた己の顔だった。
「よくも…よくも…」
自分では沢近や八雲にも負けてないと思っていた自慢の顔が…こんな…、
だが、それよりも何よりも痛く許せなかったのは、
「結城のくせに…よくもぉぉぉぉぉっ!」
受けた屈辱は倍にして晴らす、まして自分が格下だと思っていた存在にしてやられたのだ。
並大抵の復讐では収まりそうにない。
「許さない…絶対に」


一方、冴子を仕損じたとも知らず、夜道を歩くつむぎ、
一線を越えたからなのか、もう彼女は闇に怯えてはいなかった、
そんな中、彼女は冴子の言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
(世界中の人間がみんないなくなってあんたと花井の二人だけになったら、
少しは相手してもらえるんじゃないの?)
そっかぁ、3人だけじゃ足りないんだ…そうだよね、私は一番下だもの。
周防さんや八雲さんや高野さんだけじゃ足りなかったんだ。
「ありがと、いいこと教えてくれて」

【20〜21時】
【現在位置:G-07】

【結城つむぎ】
[状態]:雨のち晴れ
[道具]:地図 ロウソク×3 マッチ一箱 重い傘(三原談)
     支給品一式(食料二人分)、散弾銃(モスバーグM500)残弾3、殺虫スプレー(450ml)
[行動方針] :花井君と合流する。西の鷹野神社を目指す。花井以外を※す(周防、八雲、高野を優先)。
[備考]:花井以外を警戒

【音篠冴子】
[状態]:顔面に深い傷
[道具]:なし
[行動方針] :つむぎに復讐



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