ゆがむせかい






「そ、それじゃもう八人も『殺された』って事? まさか、だって……」
「私だって信じたくないわよ。先生達が嘘をついて私達を煽ろうとしているだけかもしれないし。でも、確かに梅津君は殺されてた。……あのヒゲにね」

 第一回放送が終った後の嵯峨野の反応に、沢近は動揺を見てとった。
 放送がかかるまで、嵯峨野は状況を甘く見ていたのかもしれない。
 2−Cは仲良しクラス。殺し合いなんて進んでする訳が無い。ハリーや東郷、それにララや八雲やサラだって、そんな非人道な人間には見えなかったのだろう。
 こんなふざけたゲームに進んで参加するのは先ほど自分達を襲ってきた播磨か、もしくはその播磨の宿敵として有名だった天王寺くらいだと思っていたに違いない。
 だからこそ、ものの六時間で八人も犠牲者が出るなんて事は彼女にとって信じがたい事態であったのだ。

「……播磨君が、そんなに皆を殺して回ってるのかな?」
「ヒゲの奴一人じゃこんなに多くは殺せない。きっと、他にも乗り気の馬鹿がいるのよ。
それにしても加藤先生、人を殺したから優秀ですって? 前から嫌な奴とは思ってたけど、まさかそこまで最低だったとわね。
冗談じゃないわよ……明日の夕方までになんて終ってたまるもんですか。意地でも生き残ってやるわ。
晶や美琴、それに天満も探し出して、他の信用できる人とも合流して絶対にこの島から脱出するのよ」


 動揺していた嵯峨野とは違い、沢近は冷静に状況を見極めていた。
 仲良しクラスの2−Cであっても、信用できる人間は少ない。他のクラスからの参加者はなおさらだ。あんな不自然な参加、もしかしたら主催者側の息がかかっているかもしれない。
 命のかかったこのゲーム。確実に生存確率を高めるには、人数を減らせばいい。だからこそ、ゲームに乗る人間も出てくることは予想できたことだった。
 なにせ、『あの』播磨が人殺しになってしまったのだ。
 そんなことは決してしないと信じていたのに。
 ゲームが始まった時、最初に会いたいと思った人達の一人であったのに。
 京都の雨の降る夜に抱いた暖かさは、今でもはっきりと思い出せるというのに。
 もしかすると誰よりも信用していたかもしれない人物が、誰よりも先に自分を裏切ったのだ。
 沢近に甘い考えを捨てさせるには、それだけで十分だった。


「でも、やっぱりとりあえずしばらくはここに隠れていましょう。明るくなるまで外を動き回るのは危険だろうし」
「そ、そうだよね。待ち伏せとかされたら嫌だし」
「私達が、逆にここで『やる気』の馬鹿を待ち伏せるのよ。絶対に死んでなんかやるもんですか。そうよね、嵯峨野さん」
「沢近さん……」

 バットを握る沢近の手に、一段と力がこもる。そんな彼女を、嵯峨野は心配そうな瞳で見つめていた。
 その視線を感じ、沢近が不自然な作り笑いを見せる。

「心配しなくても大丈夫よ。私から進んで人殺しなんてしないわ。あくまでも、相手がやる気だったらの話だから。できるだけたくさんで生き残りたいしね」
「いや、私は別に、そういう事を考えてた訳じゃなくて」
「皆で生きて帰って、また一緒に遊んだり、美味しいもの食べたりしたいわね。そうしたら、またいつもどおりに戻るわよ」
「いつも……どおり」
「そう、いつもどおり。頑張りましょう。きっと何とかなるわ。何とかなるって信じましょう」
「うん。そう、だね」


 そう言いつつも、嵯峨野の目は伏せられたままだった。
 嵯峨野が作る微妙な表情の意味を、沢近もわかっている。
 そうなのだ。もう、『いつもどおり』になんて戻ることは無い。
 たくさんのクラスメイトが死んでしまった。何人かのクラスメイトを疑わなくてはならなかった。
 クラスメイト同士で殺し合いが行われた。信用していた人物に裏切られた。
 もうゲームの始まる前に戻ることは出来ない。あの楽しかった日常は、あまりにも短い時間で失われてしまった。
 認めたくなかった。気づかないようにしたかった。しかしその現実はあまりにも痛烈で、決して心の中から消し去ることは出来ない。
 だからせめて言葉だけでもと思ったのだが、強がりの得意な自分にも限界はあるということを沢近は思い知っていた。

「そうと決まれば、まずは食事ね。カバンの中にはパンが三つしか入っていなかったから、節約しないといけないけど」
「あ、だったら、私のパンを一つ半分コして食べようよ。そんで今度の食事の時に、沢近さんのパンを半分コすればいいんじゃない? そっちのほうが、パンも痛まないと思うし」
「そうね。そうしてくれるとありがたいわ。それじゃあ、どれから食べようかしら」
「まずはスタンダードにアンパンでしょう。甘いものは疲労回復に最適だし。それじゃ、きっちり半分にして……」


 綺麗に半分にちぎれられたアンパンを食べながら、二人はこれからの方針についてもう一度話し合った。
 まず、嵯峨野のデザートイーグルについて。沢近は、重量があるので正しい姿勢で撃てば反動もある程度は大丈夫だと説得したのだが結局、嵯峨野は扱う自信がないということなので沢近が持つことになった。
 代わりに金属バットを手渡すと、嵯峨野は「バスケットボールのほうがまだありがたいんだよね〜」などと言いながら数回素振りして見せる。
 そして夜が明けてからのことについて。北の鎌石村に行くと、状況から考えてまた播磨と鉢合わせなんて事があるかもしれない。
 逆に最初に彼と会った平瀬村なら、遭遇する可能性は減るだろう。それに、まだ平瀬村は十分な探索が出来ていないから、なにか役に立つものを見つけられるかもしれない。
 食料への期待は正直薄かったが、なにかバットよりも武器になるものが見つかるかも知れない。それに、同じ目的の仲間が見つかる可能性もある。
 それは同時に敵が見つかる可能性があることでもあったが、それは二人とも口には出さなかった。

   早朝の出発に備えて、二人は交代で休憩をとることにした。
 まずは沢近の休憩の番。二人は互いに休憩する順番を譲り合ったが、最終的に嵯峨野の強引な押し切りで順番が決まった。
 本殿の中に放置されていた毛布を引っ張り出し、沢近がそれをかぶる。
 嵯峨野は本殿の外に出て見張り。やはりデザートイーグルを手にすることは無く、金属バットだけを持って出て行こうとした。


「大丈夫。なにかあったら大声で呼ぶから。並の女子高生よりは運動神経もいいつもりだし。
それにここにくるには正面の階段を上ってくるしかないんだから、相手より先に接近に気づけるもん」
「それにしたって危険だわ。やっぱり、私が……」
「いいからいいからっ! 沢近さんは先に休んで。いろいろと、疲れてるみたいだし」

 実際、沢近はもう立ち上がるのもつらい状況だった。肉体的というよりも、立ち上がる気力がないと言った方が正しい。
 嵯峨野はそれに気づいているようだった。先ほどから妙に気遣いが見える。それはやっぱり……

―――ヒゲと私のこと、気にしているのかしら。

 修学旅行が終わり、その手の話題があがることが増えた。
 正直、嫌な気持ちではなかった。京都での彼は今までよりも自分のために必死になってくれているように見えたし、お札にも、二人の名前が記してあったから。
 このまま流されるのもアリなのかも、と思い始めていたのだ。いや、流されるというのは正しくないかもしれない。
少なくとも、自分の意識は周囲と関係なく播磨の元へと向かっていることに、彼女は気づいていた。

―――でも、アイツは……裏切ったわ。

 今までも、自分の気持ちが裏切られたと感じることはあった。
 時にはそれはただの勘違いであったし、修正することが出来ていた。
 今度は、どうだろうか。
 すんでのところでナイフの餌食にならずにすんだ。でもあと少し狙いが外れていたら、確実に殺されていただろう。
 あの時、自分は完全に油断していたから。
 彼が言ったように、ものの数秒あれば自分達は殺されていたであろう事に、彼女は気づいていた。
 そう、もし彼に殺意があったのだとしたら……


「……っ!?」
「どうしたの? 沢近さん」
「え、い、いえ、なんでもないのよ。じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて先に休ませてもらうわ」
「そう? それじゃ、私は外で見張りに立つから。三時間位したら一回交代しよう」
「ええ、お願いするわ……」

 嵯峨野が本殿の外に出てから、沢近は毛布を羽織ってもう一度先ほど浮かんだ一つの考えをまとめ始めた。
 そうだ。確かにあの時、自分は完全に油断していた。
 殺すチャンスはいくらでもあったであろう。あの仕込みナイフがあればなおさらだ。もっと近づけてから確実に心臓に一刺しすれば、自分は即死だった。
 しかし自分は今、生きている。彼は殺せなかった。いや、もしかしたら、

「殺す気が……なかった?」

 不確定な事を言って嵯峨野を混乱させる気は無かった。播磨と嵯峨野はとくに親しい友好関係にあるわけでもない。あんなことがあったのに、信用しろというほうが無理だろう。
 だが、沢近自身は違った。彼は信用にたる人物であると思っていた。
 いまでも、出来れば彼を信用したい。
 毛布をより力強く身に寄せる。ふと、お見合い騒動の夜のことを思い出した。
 あの時は、隣に播磨がいて暖かかった。しかし一人でくるまった毛布は、あの時よりもだいぶ冷たく感じられる。

「あの馬鹿ヒゲ……。一体どっちなのか、いいかげんはっきりさせなさいよ」

 そう小さくつぶやいた声は、暗闇の中に消えていって。
 頬を伝う涙の意味は、沢近自身にもわからなかった。


「沢近さん、本当に大丈夫かな。播磨君に裏切られちゃって……思いつめなきゃいいけど」

 本殿から五メートルほど離れた場所で、嵯峨野はそうつぶやいた。
 しかし彼女が心配なのは沢近だけではない。
 永山に、梅津。
 この二人が死んでしまったことで、田中と城戸はどのように感じているのだろうか。
 好きな人が死んでしまう悲しみなんて嵯峨野には想像できないが、だからこそ、その悲しみは深いものなのだろうと思っていた。
 早く皆と合流しなくては。
 生き残った皆で協力すれば、何とかなるかもしれない。
 そんな漠然とした希望が、彼女の中には存在した。

「それにしても、ちょっと冷えてきたなぁ。……そういえば、お昼からずっとトイレにいってなかったっけ」

 この神社のトイレは、本殿から離れた場所に設置してある。
 少しくらいなら大丈夫だろうと思い、嵯峨野はその場を離れてトイレに向かった。 
 幸いなことに、まだ紙は残っていた。多少ほこりで汚れているし、湿気でふやけているようにも見えたが、そんなことは気にしていられない。バットを傍らに立てかけて、便座に腰を下ろす。
 あまりの緊張で、今までトイレに行くことさえも忘れていた。
 いつ殺されるかわからない状況。
 こんな中で、緊張するなというほうが無理だ。

「なんで、こんなことになっちゃんたんだろう」

 いったい誰の仕業なのか。嵯峨野にはまったく見当がつかなかった。
 はっきりしない頭のまま、用をたした嵯峨野はトイレからでる。
 このまま皆と合流したら、本当に助かるのか。
 それすらも定かではない。しかし助かると信じたかった。
 ふぅっ、とため息をついて本殿までの道へと踏み出したその瞬間、

 何か背後で、音がしたのだ。


「……え?」

 一瞬、何が起きたかわからなかった。
 急に左足に力がはいらなくなり、その場にうつ伏せ倒れ込む。その拍子にバットを手から放してしまったのは、彼女の失敗だった。
 次に認識したのは痛みである。これまで経験した事のない感覚が、思考を急速に冴えわたらせる。
 これで終りではないはずだ。誰かが襲ってきたのなら、止めの二撃目があるはず。身体を反転させて攻撃のあった方に目を向ける。
 そこに立っていたのは播磨でも、ましてや違うクラスの誰でもなく、見慣れた友人だった。

「まど、か? なんで貴女が……」

 驚愕の表情を顔に貼り付けて城戸を見つめる嵯峨野に対して、城戸はまるで日常と変わらないような笑顔を返してみせた。
 ただいつもと違うのは、彼女の右手には大きめのナイフが握られていること。そして、その右半身が血で真っ赤に染まっている事だ。

「ごめんね、嵯峨野。でも私決めたんだ。絶対に生き残るって。だから、ごめんね」

 そう告げると同時に、右手のナイフが真っ直ぐ嵯峨野の心臓めがけて振り下ろされた。
 嵯峨野は逃げようとするが、左足はまったく動いてくれない。腱が切れているらしい。
 しかし彼女は諦めなかった。地面の土を握り、城戸の顔面へと思いっきり投げつける。


「ぐぅっ!」

 城戸が怯んだ一瞬の隙をついて、嵯峨野は身体を地面に転がしながらバットまでたどり着き、まるで竹刀を持つように構えながら再び城戸に向き直った。

「ど、どうして? 皆で集まって、そしたら逃げ出す方法も思いつくかもしれないのにっ」

 泣き出しそうな顔で、震える手に握られたバットを構えながらもいまだに甘い考えをすてきれていない嵯峨野。
 そんな彼女を見る城戸の微笑は哀しさと喜びがごちゃ混ぜになったような表情だった。

「……きっと、無駄だよ。それにさっきの放送聞いたでしょ? もう『七人』が他の人に殺されちゃった。皆、ヤル気なんだよ。だから私も」
「う、梅津君が死んじゃったから? だからそんなに自暴自棄に……」

 梅津茂男。
 その名前を聞いた時、城戸は何か遠い過去の事を思い出すように空を仰いだ。
 彼女の恋人であった梅津茂男は、もうこの世にはいない。それは誰よりも城戸自身がよく知っている事である。

「茂男、か。そうだね。茂男が死んだから、私こんなに頑張ってるのかなぁ。でも、それじゃあ順番が逆だしね。なんでだろ」
「?」
「まぁ、いいや。とりあえず、茂男の死を無駄にしない為には、私は生き残らなきゃならないの。わかってくれる?」

「そんなの……わからないよっ!」

 血で染まったままのナイフを妖しくきらめかせながら、城戸はじわじわと嵯峨野に歩みよってくる。
 嵯峨野も必死に後退するが、二人の距離は確実にせばまっている。
 誰かを犠牲にして生き残るなんて事、嵯峨野には考え難かった。
 けれどもここで諦めてしまえば、自分は確実に死んでしまうだろう。そんな恐怖がバットを握る彼女の手に力を加えさせ、必死で後退を続けさせていた。
 しかし、それにも限界がある。後退するために片手持ちになっていたバットは、その攻撃力を大幅に奪われていた。急に踏み込んできた城戸に対する一撃は鞄によってほぼ完全に防御され、いとも簡単に懐に入られる。
 城戸はそのまま嵯峨野の腕ごとバットを振り払い、そして嵯峨野の脇腹に深くナイフを突き立てた。

「つっっ!」

 そして城戸はそのまま、内蔵をかき混ぜるようにナイフを力いっぱいひねった。
 焼けるような痛みが嵯峨野を襲う。

「くうっ!?」

―――痛い。
―――痛い痛い痛い。
―――痛い痛い痛い痛い痛いっ!

 死の恐怖よりも何よりも、嵯峨野の頭を埋め尽したのは痛みだった。吹き出る血しぶきが城戸の制服を染めてゆく。それに比例するように、痛みも増していった。


 苦悶の表情を浮かべる嵯峨野を、城戸は満足げに見つめていた。

「痛いよね。そう、痛いはずだもの。なのになんで、あの時茂男はあんな表情をしていたのかしら?」


―――な、なに? 何の話をしているの? 何時の話?

 嵯峨野は痛みの中で城戸の言葉の真意を探った。しかしこんな状態では頭なんてまともに働かない。
 梅津は播磨に殺されたはず。そして彼は殺人鬼だから逃げてきた。

―――沢近さんが裏切られた格好になってしまったのはかわいそうだった。
―――それなのに、円は梅津君の最期を知っている?
―――もしかして、円は播磨君が梅津君を殺す現場を見ちゃったから、こんなゲームに乗る事にしたの?
―――いったい、どういう……

 蒼白になった嵯峨野の顔に浮かぶいぶかしげな色に気付いたのか、城戸がよい事を思い出したように笑いかける。

「ああ。そうか、嵯峨野さん知らないんだもんね。茂男はね……」

―――私が知らない事?
―――梅津君は播磨君が殺したはず。円は私が播磨君と接触した事を知らないの?
―――それとも、もしかして……

「私が、殺したんだ」

 想像していた中でも最悪の展開に、嵯峨野は一瞬脇腹の痛みも忘れてしまった。

「何でだろうね。一緒にいれば、きっと私を護ろうとしてくれたはずなのに。もしかして、他の人に殺されるのが嫌だったのかな?
 茂男、可愛いから。自分だけのものにしていたかったのかもしれない」

 まるで普通の話をするように淡々と語る城戸の下で、嵯峨野は混乱の極みに達していた。
 信じられなかった。クラスメイトよりも、友達よりも強い絆を持っているはずの恋人を、城戸は殺した。
 そして今、彼女は平然として友達を、つまり嵯峨野恵を殺そうとしている。

―――誰も、信じられないの?

 そんな考えが頭をよぎった時、嵯峨野は急に身体の力が抜けてしまうのを感じた。
 それを見て、またも城戸は満足気に微笑む。

「まいったな、こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど。……じゃあね、恵。これでお別れだよ」

 嵯峨野の脇腹からナイフが抜き取られる。
 そしてそのナイフは嵯峨野の心臓に真っ直ぐ突き立てられようとしていた。

―――ここで、終わるのかな?

 そんな考えがふと頭をよぎる。

―――思えば短い人生だった。まだしたりないことも沢山ある。
―――でも、もうおしまいだ。逃げられない。諦めよう。
―――円は本気だ。迷いなく、私を殺そうと……

 しかし、最期の見納めにと城戸の顔を覗き込んだ嵯峨野は、そこであることに気が付いた。
 先ほどまでの笑顔が、今の城戸には無い。
 よくはわからないが、どちらかと言えば、そう。苦しげな表情を浮かべていた。
 その瞬間、失われた力がかすかに戻ってきたような気がした。


―――このまま殺されてはいけない。

 幸いにもナイフは身体の外だ。これなら多少は自由に動ける。

―――私は死にたくないし、それに……円に、これ以上人殺しをさせるわけにはいかないっ!

 右足は無傷だ。筋肉も動く。腕を高く振り上げた城戸の腹部は隙だらけだった。
 嵯峨野は身体をひねり、城戸の横腹に渾身の蹴りをみまう。

「ぐふぁっ!?」

 予想外の攻撃に対して、城戸はまったく反応できなかった。ナイフを手から離すことは無かったが、そのまま仰向けに倒れこむ。

「うわあああああぁぁっっ!」

 起き上がる間も無く、城戸の上には嵯峨野がのしかかってきた。
 そのまま嵯峨野の手が城戸のナイフへと伸びる。

「ちょ、そんなっ! このっ、いい加減諦めてよっ」

 城戸は決してナイフを手放そうとはしなかった。しかし嵯峨野も、少しくらいでは引き下がらない。先ほどとは逆の位置関係の攻防が続く。
 しかし明らかに劣勢なのは嵯峨野であった。今の取っ組み合いの最中も、腹部からは血が勢い良く流れ出ている。
 顔色は最悪だ。いつもの血色のいい肌の面影は無い。
 それでも、気迫だけは負けていなかった。

「あ、諦めない。絶対生き残るって、そう決めたんだから。そして皆で……」
「逃げるなんて無理よっ! 安心して。貴女の分も生きてあげるから」
「無理じゃない。きっと、なんとかなる。城戸さんだって、今からでも」
「茂男を殺して、誰を助けろって言うの? 私は茂男に生きるって約束した。だから」
「このっ、わからずやっ!」
「くぅっ!」

 嵯峨野は、気付いていた。
 平気な様に振舞っている城戸も心の奥底では、こんな殺し合い求めていないんだってことを。
 彼女は梅津を殺した。しかしそれは決して憎いからではない。彼女は結局、彼に甘えていただけなのだ。
 このふざけたゲームに乗るためには、壊れなくてはいけない。だから城戸は、梅津を殺すことで自らを完全に壊そうとした。

  ―――でも、無理だよ。

 自分を完全に壊すことなんて出来ない。
 最初に梅津を殺した段階で、もう城戸は壊れきる機会を失ったのだ。
 梅津の分も生き残る。それはすなわち、生き残ることを目的ではなく義務とすることである。
 そう、城戸は義務感を人殺しの動機に使っているのだ。

 ―――絶対、円自身が人殺しを望んでいるわけじゃないっ!

 気付かせてあげなくちゃいけない。教えてあげなくちゃいけない。
 その一心で、嵯峨野は城戸のナイフを持つ手を執拗にねらい続けた。
 なんとか彼女の手からナイフを奪い、それから説得する。それで万事解決のはずだ。
 そう信じて、嵯峨野は城戸の手首をつかみ、ナイフごと地面にたたきつけた。


「がっ!?」

 デジャヴを、おぼえた。
 以前にもこんなことがあったはず。いや、以前というよりも、さっきと言ったほうが正しいのかもしれない。
 飛んでくるナイフ。そう、たしかに嵯峨野恵はこれと同じものを経験していた。前回は、肩を掠めた。
 そして今回は、喉元に深く突き刺さっている。

「げっ、げふっ」

 殺人というよりは事故に近い出来事だった。
 嵯峨野が城戸の手首ごとスペツナズナイフを地面にたたきつけた瞬間、その衝撃で刀身が発射され、彼女の喉を襲ったのだ。
 嵯峨野はそのまま城戸の傍らに倒れ、ただ喉から声にもならない音を漏らすだけであった。
 ゆっくりと、城戸が倒れこんだ状態から起き上がる。先ほどまでの攻防で、彼女も息切れしている。
 しかしどこにも大した怪我はしていなかった。ただ、予想外のスペツナズナイフの機能に多少驚いているようだった。

「ハァ、ハァ、ハァ……。ごめんね、恵。でも、私やっぱりいまさら皆で助かろうなんて思えないよ。そんなことしたら、茂男を殺した意味がないじゃない」

―――やっぱり円は、梅津君を殺すことで壊れようとしてたんだ。

 薄れゆく思考の中でぼんやりと考えながら、嵯峨野は自分の無力さを嘆く。
 結局、なにも出来なかった。
 沢近をちゃんと励ますことも、城戸の心を癒すことも。


「それにしてもこのナイフ……、こんな機能があったんだね。全然気づかなかったよ」

 飛び出すナイフ。嵯峨野はそれを播磨の武器だと思っていた。
 しかし、今考えるとそれでは矛盾が生じる。
 梅津を殺したのは城戸だ。
 だから梅津の身体から引き抜かれたナイフは城戸のものであるのが当たり前だ。

―――なんでそんなことに気付かなかったのだろう。

 嵯峨野は播磨が最後に叫んだ言葉をしっかりと聞いていた。
 彼は言っていた。『知らなかったんだ』、と。
 『跳び出すなんて知らなかった』と、そう叫んでいた。
 今までまったく信じていなかったが、今ならその言葉も信じられる。

―――そうか、播磨君は沢近さんを裏切ったわけじゃないんだ。

 嵯峨野はそれだけで救われたような気持ちだった。
 誤解がとければきっと沢近と播磨が仲直りできる、と思えば安心できるような気もした。
 だって自分はもう沢近と一緒にいてやることは出来ない。
 ただそれでも、彼女を支えられる存在がいるというだけで沢近をおいていける。
 だって自分は、もう駄目そうだから。

「さっき茂男を殺したときに一本置いてきちゃったから、あと二本しか残ってないの。だから、一応このバットも貰ってくよ」

 抵抗する気は起きなかった。
 沢近から貰ったバットだけど、もう自分には使えない。

「それじゃ、嵯峨野さん。お元気で―――」

 そう告げて、ゆっくりと歩いて去ろうとする城戸を嵯峨野がぼんやりと見つめていると、不意に本殿の方から大声が響いた。


「嵯峨野さんっ!?」

 沢近だった。
 デザートイーグルを構えながら二人の下へと近づいてくる。
 二人の攻防中に出された大声に不信感をもち、様子を見に駆けつけたのだ。

「ちっ! 気づかれちゃったみたいだね。それじゃ、あと少しだけ苦しいの我慢してね」

 そう言って、城戸は走って逃げていった。
 城戸の姿が完全に見えなくなってからしばらくして、嵯峨野の下に沢近が駆けつけた。

「さ、嵯峨野さんっ! 大丈夫……じゃ、ないわね」

 足と腹部から血が流れ、なおかつ喉にナイフが突き立てられている状況を見て、沢近の顔は急速に青ざめた。
 しかもこのナイフには見覚えがある。これはさっき、自分を襲ったのと同じナイフだ。
 そう、播磨が持っていたナイフなのだ。

「そ、そのナイフ、もしかしてヒゲの奴が」

 嵯峨野は何かを言いたげだった。
 しかし喉にナイフが刺さった状態では言葉を発せられる訳も無く、ヒュウヒュウと言う息だけが漏れる。

「無理しないでっ。そ、そうだ。診療所に向かいましょう? 平瀬村を越えて、氷川村までいけば薬とか包帯とかあるはずだからっ。だから、頑張って!」

 無理なことは沢近もわかっていた。
 もし今から診療所に向かったとしても、嵯峨野は助からないだろう。
 それでも、助かるという言葉を口にしたかった。
 これ以上人が死ぬのは……そして、これ以上人が播磨に殺されるのは見ていられなかった。

 次第に嵯峨野の動きが小さくなり、死が近づいているのが沢近にも見てとれた。

「嵯峨野、さん? ねぇ、待ってよ。ちょっと、ちょっとっ!」

 嵯峨野の耳元で叫ぶ沢近。
 しかし呼びかけに応える力はすでに彼女には無く、段々と嵯峨野の瞼が閉じられていく。

「嫌よ! 頑張ってよ! し、死なないでよっ! お願い、だから……」

 励ましと言うよりも、懇願に近い呼びかけだった。
 嵯峨野の手をとり、「死なないで」と何度も繰り返す。
 それでも嵯峨野は応えることはなかった。
 そのうち、わずかな息遣いも聞こえなくなった。
 嵯峨野の顔からは完全に血の気が失せ、腹部と足、そして喉からの血の流れも穏やかになる。
 それが意味する事を、沢近もわかっていた。このまま手を握り続けたところで、ますます現実を突きつけられるだけだ。

「嵯峨野、さん……」

 ゆっくりと手を離す。
 完全に力の抜けた彼女の手は、そのまま地面へと落ちた。
 これで殺されたのは九人目だ。


―――あの、ヒゲっ……!

 播磨が梅津を殺した。播磨が嵯峨野を殺した。
 また、信じかけていたのに。信じたかったのに。
 そんな淡い期待を持っていた自分を全て否定されたようで、沢近の心からはもはや落胆すら抜け落ち、彼に対する憎悪だけが渦巻く。

「もう、アンタのことを信じない」

 裏切られるのは御免だ。
 悲しむのはもう嫌だ。
 騙されるのにはうんざりだ。

「私が、殺してあげるわ」

 自らの手で引導を渡してみせる。
 それで全ての決着をつけようと、彼女は決意した。
 もう惑わされないように。そしてもう甘い夢をみないように。

「ヒゲ……きっと私がアンタを……」

 右手のデザートイーグルは今まで、彼女には不釣合いだった。
 人を殺すための武器。これまでは、自己防衛のために使う物だと思っていたから。
 しかし今は違う。
 沢近はこの銃を、『播磨拳児』を殺すために改めて握りなおした。
 女性には大きすぎるほどのこの銃は、今始めて沢近の銃となった。
 そして彼女は歩み始める。
 ただ一人の男を求めて。
 彼に会うために。
 そして全ての決着を、自らの手でつけるために。


【沢近愛理】
【現在位置:E-02、菅原神社本殿脇】
[状態]:激しい憎悪、足に疲労、肩に傷(片方のツインテールをばっさり切られています)
[道具]:支給品一式(嵯峨野の食料を合わせて、水2?とパン5コ) デザートイーグル/弾数:8発
[行動方針] 1:天満らを捜す 2:播磨と決着をつける

【城戸円】
【現在位置:D-02、菅原神社本殿北】
[状態]:疲労
[道具]:支給品一式 スペツナズナイフ2本(使い方を理解) 金属バット
[行動方針] :この場から逃げる。茂雄の分まで生き残る。冷静に慎重に行動する。

【嵯峨野恵:死亡】(残り32人)

【午後18時〜19時】



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