壊れゆく日常は音も立てず






「ここなら……一先ずは安心かな。逃げ道も一つだけじゃないから、誰かが上がってきてもすぐ逃げられるし」
 階段を駆け上って乱れた息を整えて、額の汗を泥の付いた袖で拭ってから、周防美琴はまたひとりつぶやいていた。
 移動中も目だけはせわしなく動かしていたが、その他の五感等を働かせている余裕はまったくと言ってもいいほど無い。ここまで来るのに階段を駆け上る音を大きく響かせていたが、そのことに少しの危険性も感じていなかった。
 「いま上ってきた普通の階段と、外付けの非常階段か。……エレベーターが動いてなかったけど、やっぱ電気とかは使えないのか。こりゃ、期待してた食料とかも調達できそうに無いな」
 使われなくなってからはたして何年経ったのだろうか。大分荒れ果てたホテル跡の屋上の真ん中で、美琴は大の字になって仰向けに寝転がる。
 「結局、ここに来るまでも誰とも会わなかったし。やっぱ皆、最後まで殺しあわずに隠れようとしてるのかも。でもだとしたら、結局最終日には皆殺されちゃうわけだし」
 そこまで言ってから、急にまた涙がこみ上げてきた。
 さっきまではまったく違う世界にいたはずなのに。
 授業が潰れてラッキーとか、沢近愛理と播磨拳児の仲をまたからかってやろうとか、そんなくだらないけど普通な世界に生きていたはずなのに。
 なぜか今、殺し合いの起きる世界にいる自分の姿がある。しかもクラスメイトを信じることをせずに、必死でここまで逃げてきた自分が。
 だんだんと、怖くなってきたのだ。徐々に落ちていく陽の光が、暗く自分たちに堕ちてくる陰のようで。
 「……だーっ! くそっ、駄目だ駄目だ。こんなんじゃあ生きられるものも生きられないよ。絶対なんとかなる。そうだよ。こんなことで殺し合いなんて起きるわけ無いじゃないか。あたし達は普通の高校生だもん。殺しなんてそんなこと――するわけないっ」
 暗い考えを打ち消すように勢いよく起き上がりながらも、少し抑えた声で美琴は意気込んだ。

 不思議なことに、背中にはそれほど埃や土が付いていなかった。それは長年放置されたホテルの屋上にしてはあまりにも不自然なほどに。
 しかしそんなことには気づかず、美琴はドラグノフ狙撃銃を引きずって屋上の際まで行き、それらしく構えた。ただし引き金には指をかけていない。代わりに、両手で銃身をしっか支えてそのスコープを覗き込んだ。
 狙撃銃に備え付けのPSO-1スコープがどのような高性能なものなのかは今の美琴には計りようもなかったが、四倍率でもスコープが付いているということが今の彼女にはありがたかった。
 このホテルに通じる通路は一本。周囲の森から来るにしても、山から下りるか池から直進するかしなくてはいけないこのホテルは、案外監視すべき場所はすくないように彼女には思えた。
 「やばそうな奴が来たら逃げる。信用できそうな奴が来たら……話してみてから決める。うん、そうしよう。何人かの集団で来たら……そいつらの方が大丈夫か。つるんでるってことは殺し合いをやる意思がないって事だし」
 かなり適当な取り決めを自分の中で作ってから、彼女は周囲の散策を始めた。
 周りの森は異常なほど静か。まだ夕方だというのに、動物達の活動は極めて控えめだ。美琴が歩いてきた道でも遭遇した動物といえばカラス三匹。しかもこちらを睨むだけで騒ぐことはしなかった。
 だから周囲の森が静かだからといって人が近づいていないという事には必ずしもならない。そう考えて慎重に周囲を眺める美琴であったが、まったく人の気配は感じられない。
 「皆、こっちには来ていないのかな。ま、まぁ、ここは島の奥のほうだからそれも無理は無いのかも。……もしかして私、無意識の内に人のいなそうな場所に来ていたのかも」
 アハ、アハハハハハッ……、と乾いた笑いを漏らしてから深いため息をついて、今度は美琴自身が通ってきた一本道に目を向ける。
 「天満とか沢近とかに……会えないかな。あいつら、今頃どっかに隠れて泣いてるかもしれないし。烏丸とか、播磨とかに会えてればいいんだけどな。そうしたら、きっとあいつらも不安じゃなくなる。あたしだって……」

 美琴はそこまで考えて、浮かんできた顔を消し飛ばすように頭を強く振った。
 そんなことを考えている場合じゃないということはわかっている。でも、もしかしたら自分はここで死んでしまうかもしれない。そうだとしたら、このままでいいのだろうか。自分はまだ、明確な言葉では彼に何も告げていない。
 「それまでは死ねない、かな」
 我ながら場違いな乙女思想をぶちまけていると感じながらも、美琴は苦笑いを浮かべた顔のままスコープの照準を左にスライドさせ、そして止まった。
 苦笑いを浮かべていた口元も、ひきつったまま固まる。
 「……第一クラスメイト発見、って感じか。さて、どうしようかな」
 見慣れた姿の少女は、こちらにゆっくりと向かってきていた。
 その光景はまるでかくれんぼの鬼のようで、背筋に寒気が走った。いつもならすぐに声をかけていたかもしれない。しかし少女の手に握られているスペツナズナイフの輝きが、美琴の声を喉に押しとどめたのだ。
 そうして美琴は城戸円がホテル跡を通り過ぎて美琴が今通ってきた道へと消えていくのを、ずっと眺めていた。
 その時間の中で、美琴は自分たちが殺人ゲームのなかに完全に取り込まれてしまったことを強く自覚していくのだった。





【午後:16〜17時】
【城戸円】
【現在位置:E-04】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式 スペツナズナイフ3本(使い方を知りません)
[行動方針] :茂雄の分まで生き残る、冷静に慎重に行動する


【周防美琴】
【現在位置:E-04】
[状態]:健康 
[道具]:支給品一式、ドラグノフ狙撃銃(残弾10発)
[行動方針] :ホテル跡屋上のヘリポートで潜伏して様子を見る



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