信念の代価






 朝日を浴びながら、三原は一人立ち止まっていた。
 パソコンは、行動の邪魔にしかならないので放置していた。
 どうせもう使うことも無いだろう。こんなものが無ければ、八雲も死んでしまうことはなかった。
 壊してしまおうとも思ったが、もしかしたらまだなにか使い道があるかもしれない。
 そう思い、三原はパソコンの電源を切るだけで他に何の細工も施さなかった。
 左手にはシグ・ザウエル。右手にはベレッタ。
 UZIを持つ気にはなれなかった。しかし置いていくことはせず、リュックにそれを放り込む。
 スコ―ピオンは無駄に弾をばら撒くくせに弾数が残り少ないので、それも温存するためリュックのなかにしまう。
 UZIに比べだいぶ軽いので、重さもそんなに気にするものでもない。
 代わりといっては何だが、三原のリュックの中には銃器と弾薬以外の何も入っていなかった。
 できるだけ重量を軽くして、行動しやすくするためだ。
 なぜなら、この島での戦いはもうすぐ終わるのだという確信が彼女にはあったから。
 水も食料も、地図さえも必要ない。
 いるのは、他の人間の命を奪う手段だけだ。
 三原は、諦めていた。
 今鳥や音篠の期待に応えることを。希望を追い求めていくことを。
 しょうがないのだと、自分に言い聞かせる。
 きっと最初から、これしか選択肢は残されていなかった。
 そう言い聞かせることで、三原は心を保っていた。
 否、保ててはいなかった。
 そう思うことで、三原は人としての自分自身を半ば壊してしまったのだから。

「そうよ、最初から……」
 自分の周りには誰もいなかった。
 ララは一条を探していた。天満は八雲を、奈良は天満を求めていた。
 サラと麻生にとっても、自分は付属品でしかなかった。
 音篠と生きて再会することは叶わず、今鳥は――。
「誰も私を必要としてなかったんだから。だったら、私だって」
 ついこの間までともに過ごしていた友人達。その笑顔を思い出すことはできなかった。
 彼らたちが去っていったのか、それとも自分が遠ざかってしまったのか。
 三原にはその違いを判別することなどできない。
 きっとその両方なのだろう。そして二つが交わることは二度とないのかもしれない。
 それが三原には耐えられなかった。あがき続けたかった。
 ならば、三原にできることはただ一つだけである。
 スライドを引き、両の銃をいつでも発砲できるようにする。
 勝ち残るしかないのだ。この殺し合いゲームを。
 憎たらしいのは、自分をこんな状況に追い込んだ張本人。
 播磨の言葉が正しいなら、その内の一人はこの近くにいるのだろう。
 播磨を殺さなくてはいけなかったのは、まさにその女がいたからだ。
 三原はその右腕を真っ直ぐ前へと向けた。それは葉が何かと擦れる音のした方向。
 そして三原の視線の先に、よく見知った二人の女が現れた。
 本来なら好意を向けるべきであるその二人の人間に、三原が向けたのは暴力そのもの。
 真っ黒な銃口が彼女達の内の一人、刑部の心臓を真っ直ぐに捉えていた。

   ※   ※   ※   ※   ※

「三原、さん?」
 何が起こっているのか、一条には最初わからなかった。
 木々の間を目的地に向けて駆け足で進んできて、そして見えた人影。
 はっきりと彼女の姿を目視できるようになった時、目の前に飛び込んできたのは黒、そして、紅。
 思わず立ち止まり、見間違いかと目を擦る。
 しかし眼前の光景は変わることがなかった。そんな都合のいいことは起こらなかった。
 確かに先程までの三原も血にまみれていた。しかしそれは既に乾いて、赤黒く変色していたはず。

   では、今の彼女の顔を彩っているあの紅は何なのか。
 そして彼女の腕の先にある、あの鉄の塊は何の意味を持つのか。
「……三原さ」
「ここで待っていたまえ」
 前に出ようとしていた一条を静止して、刑部が歩き出す。
「でも……っ!」
 一歩踏み出した一条だが、同時に、軽く視界が揺らいだ。
 まだ痛み止めの影響が抜けないらしい。
 行動にそれほど支障がでるとも思えなかったが、その一瞬の隙に刑部は一条と三原の射線上に立ちふさがっていた。
「刑部先生。なんでここにいるんですか?」
 驚くほどに三原の声は穏やかだった。
 先程、焼却炉の前で会った時とはあまりにもかけ離れた態度。
 それはまるで、何もかもを諦めたもののような――そんな、静かな声だった。
「君達に、協力しに来た。この殺し合いの黒幕は姉ヶ崎だ。
 彼女を何とかすれば、この絶望的な状況をひっくり返せるかもしれない」
 刑部の言葉に、三原はピクリと肩を動かした。
 しかしそれも一瞬のこと。三原は表情も変えず、刑部に言葉を返す。
「あなたが、私達に協力? そんな言葉をどう信じろっていうんですか。
 知ってるんですよ私。あなたが播磨君をたぶらかしたこと。
 そうしてまた騙すつもりでしょう? あのフラッシュメモリの罠みたいに」
「たぶらかした? 一体、何のことだ」
 三原は一歩前に出て、「とぼけないで」と呟いた。
「駄目ですよ、そんなことをしたら。播磨君は私の親友の、八雲ちゃんの想い人だったんですよ。
 そんな彼を汚しては駄目です。……でも、安心してください。
 彼がもうあなたに騙されることのないように、私が彼をなんとかしましたから」
 そこで、初めて三原の表情が変わった。
 残虐な、あまりにも直視しがたい笑み。一条の頭を、嫌な予感が過ぎった。
 それは認めたくない推測。しかし状況は全て、その悪夢のような推測を肯定している。
「まさか三原さん、あなた!」

 一条が見た刑部の背中は、微動だにしていなかった。
 しかし彼女の握られた拳は震えていた。爪が手のひらに食い込み、痛々しい色を浮かべている。
「……播磨君はどうした」
 刑部がそう告げると、三原の笑みはその禍々しさを増した。
 ニヤニヤと笑うだけで、何も言わない。
「どうしたと聞いているっ!」
「教えて三原さんっ! さっきの銃声は何っ!? 播磨さんは……」
 声を荒げる刑部と一条に対し、三原は銃口を刑部に向けたまま答えた。
「彼なら、ちゃんと送ってあげただけですよ。八雲ちゃんと、塚本さんのもとにね」
「……っ!」
「そん、な」
 最も聞きたくなかった、しかし予想していた答えに、一条は思わず膝をつく。
 この島の中で、最期まで希望を棄てていなかった人。
 何もかもを他人のせいにしてこの殺し合いを加速させようとしていた自分を、止めてくれた人。
 その人が死んでしまった。
 絶望にも近い感情が、一条の中から溢れ出る。
「あなたが悪いんですよ、刑部先生。あなたが播磨君をたぶらかそうなんて考えなければ、彼はもう少しだけ長生きできた。
 ……ねぇ、一条さん。あなたはどっちなの?」
 首を傾げながら、三原は一条に問いかけた。
「刑部先生に騙されているの? それとも、私についてくる?
 私についてくるなら、今すぐその人を殺して。できるでしょう。できないなら――」
 三原はにっこりと微笑む。
「――お願い、死んで?」
 その顔に迷いなど無く、だからこそ一条の背筋には薄ら寒い気味悪さが走る。
 高野と対峙した時とはまた違う。
 何か本当の狂気に触れたような、そんな感じがした。
 一条は立ち上がり、三原に向かって吼える。
「そんなこと、できませんっ!」

「そう? だったら、二人まとめて死んでもらうからいいんだけど」
 今の彼女なら本気でやるに違いない。
 そう思った三原は刑部を見上げ――そして、絶句した。
 刑部は、一条のほうに向けて銃を向けていたのだ。
 それは先程まで刑部が腰に吊っていたワルサーP99。
「なっ!?」
 混乱し、まさか刑部が本当に自分を騙していたのかという考えが頭を過ぎったが、一条が行動に移る前に刑部の左手が彼女の頭を押しやり、そして、発砲した。
「きゃあっ!?」
 何が起こったのか。刑部は誰に銃を撃ったのか。
 頭を押されて刑部の狙いが自分ではないと悟った瞬間、一条にはその見当がついていた。だから座り込んだままその存在へとすぐに目をむけ、そして確認する。
 木の陰から顔を出したその少女は、刑部にそれ以上撃つ気が無いのを確認したのか、身体全体を三人の前に晒した。
「……油断も隙もないですね、刑部先生」
「それはこっちの台詞だよ。高野君」
「まさか背後からこっそりと銃口を向けただけで気付かれるとは。
 殺気を読めたり、なんて漫画みたいなことができるのですか?」
「いや、私はそんな化け物じみた特技は持っていないよ。私はただ、君が木の枝を踏む物音に気が付いただけさ」
 何とでもないように、刑部が答える。
「十分化け物じみてますよ、それでも」
 嬉しそうに高野も応じた。
 お互い、銃は下におろしてある。
 しかしその指はしっかりとトリガーにかけてあった。
「……仲間割れですか、そちらは」
 ザッと目の前の光景を見やり、高野は刑部に尋ねた。
「播磨君が、いないようですが?」
「私が殺したのよっ!」
 高野の問いに答えたのは、刑部ではなく三原だった。さも誇らしげに、当然のことをしたように。
 高野はちらりと三原に目をむけ、そしてその視線を再び刑部に戻した。
「本当ですか、刑部先生?」
「どうやら、そうらしい。君の望む展開といったところか、高野君?」

「いえいえ、残念でしょうがないですよ。あの男は――播磨君は、まだ私を救うなんてことを言っていましたか?」
「……そのことについて、話がある」
 刑部と高野は、三原をそっちのけで会話を続ける。
 三原の表情は、徐々に険しくなっていた。
「この殺し合いの黒幕がわかった。少なくとも、姉ヶ崎がそのうちの一人だ。
 彼女達がいる場所へ到達する手段もこちらにはある。それでも君は、この殺し合いをつづけるのか?」
 それはおそらく、刑部最終確認だったのだろう。
 その情報に、流石の高野も一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに平静さを取り戻した。
 トリガーにかかった指は、一度も外されてはない。
 高野はゆっくりと、そして穏やかに答える。
「返事は、ノーです。そもそも、私には黒幕をどうこうしようという考えはない。
 だから何を聞いたって、そこの二人を殺す以外に私の選択肢はないんですよ」
 一条は理解する。高野は、もう説得などできない。
 彼女はこのゲームの黒幕と同じ存在なのだ。純粋なる――少なくとも一条の判断では――悪の存在。
「……一条君。三原君を連れて、建物の中に」
 刑部の声が、一段階低くなった。
「でもっ!」
「いいから行きなさい。彼女がここにいたままでは話がややこしくなる。
 それに……子供を守るのは、大人の役目だ」
 向けられた笑顔に、一条は抵抗するのを止めた。
 刑部も覚悟をしているのだ。だとしたら自分にできることは一つ。
 三原を、守る。
 例え今は混乱しているとしても、三原は高野とは違う。一条はそう信じたかった。
 話をすれば信じてもらえる。彼女の心を変えることはできる。
 一条にはそう思うことができた。なぜなら彼女自身、それが可能なことを自らの心で証明していたのだから。
 一条は立ち上がり、三原の下へと駆け出した。

 三原は下を向き、その銃口も今は地面へと向かっている。
 とりあえず、体育館の中に逃げ込むべきだ。
 そのあとで三原の安全を確保したら、今度は刑部の援護に向かおう――一条は、そう考えながら三原の横へと走っていた。
「三原さんっ! ここは刑部先生に任せて中にっ!」
 そう叫びながら駆け寄る一条は、しかし次の瞬間またも驚愕に目を見開くこととなった。
 三原が急に顔を上げその右腕も地面と水平にして、さらにその銃口は、一条の後方に向けられていた。
 一条は止まることは無い。それが無駄でしかないこととわかっているからだ。
 その代わり、彼女は精一杯の声で叫んだ。
「――刑部先生っ!」
 その悲痛な叫びは、先程とは違う銃声によって塗りつぶされた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 初弾。
 それは刑部の上方をすり抜けていき、その後ろにあった細木の枝を破壊してゆく。
 やはり片手での射撃には無理がある。三原は左手のシグ・ザウエルを投げ捨て、両手でベレッタを構えなおした。
 次弾。
 その時には、刑部は三原のほうへと視線を向けていた。
 右に転がるように避けた刑部を狙った金属の塊は地に食い込み、乾いた土は小さく粉塵を巻き上げる。
 次々弾。そしてさらにもう一発の銃弾。
 焦りとともに放たれたそれの一つはやはり先程と同じような土ぼこりを上げただけだったが、最後に放ったそれは刑部を――ちょうど腹部の辺りを捉える。
 刑部が顔をしかめ、「ぐぅっ!」とくぐもった声を漏らすのを確認。
 致命傷を与えることができたと考えた三原は一瞬、グリップを持つ手の力を緩めた。
 しかしその瞬間、痛みにもだえていなければならないはずの刑部は、怪我人とは思えない俊敏な動きで再びその場から駆け出した。

「防弾チョッキ!?」
 ダメージがゼロというわけにはいかないはずだ。少なくとも、肋骨の一本や二本にヒビくらい入っているだろう。
 慌てて射撃姿勢をとり、刑部を銃口の先に捉えようとする。
 しかし先程のように不意打ちならともかく、高速で動く的となると……それを撃つということは、三原の能力をはるかに超えた技術を要求することに他ならない。
「一条君っ!」
 校舎を遮蔽物として姿を隠し終える寸前に、刑部は大声で叫んだ。
 それにも構わず三原は壁に向かってベレッタによる破壊活動を続けようとしていたが、一条によって後ろからスライドごとそれを捕まれ、その無意味な行為は中断された。
「何す――」
 三原の抗議の言葉は、瞬く間に今までとは少しだけ違う轟音によってかき消される。
 彼女の耳元で火を噴いたそれは、かつて高野晶の所有物であったシグ・ザウエル。
 その狙いは刑部と対峙していたもう一つの存在、高野に向けてつけられていた。
 高野は三原に向けて構えなおしていたドラグノフの射撃姿勢を崩し、おそらくはドラグノフよりも早く放たれるであろうシグ・ザウエルの牙からの逃走を謀る。
 いくら一条の筋力が常人のそれよりも優れているとはいえ、右手――しかも負傷している――ひとつで構えられたそれから放たれる弾丸は、そうそう一条の思うとおりに敵を撃ち滅ぼしはしない。
 着弾の衝撃は高野の後ろの林で生じ、高野自身は、刑部と全くの逆方向へとその身を隠した。
 先程の刑部に対する射撃と同じ理由で、狙ったところであたりはしない。
 一条は三発撃ったところで威嚇射撃を中断し、三原を引きずりながらやはり物陰に隠れた。
 三原は、すでに黙っていた。もしも自分があのまま無駄な行為を続けていたら、今頃間抜けな死体が一つ出来上がっていたことを察していたからである。
 そのあたりの冷静さは、不思議なことに持ち合わせていた。
 三原にとって今一番大切なのは狂乱による現実の忘却ではなく、実効的観点から見た最良の選択の模索であったから。
 このままでは、殺せない。

 そう思い、三原は自らのリュックの重量の大部分を占めるそれを取り出すことを考える。
 花井の命を奪い、サラの命を奪った。そしてつい先程、播磨の血をたっぷりと喰らった。
 自分達に絶望をあたえたUZI――精密な射撃など期待できない、ただ弾をばら撒くだけの暴力的な銃――の引き金を、三原はいま一度引こうとしていた。
 しかしそれも、一条によって止められる。
 自分の力であったUZIを抑えられ、キッと一条を睨み付けた三原であったが、次の瞬間彼女の目は一条から逸れていた。
 否――逸れたのではない。“逸らされた”のだ。
 三原の視線が動いた瞬間、周囲には乾いた音が響いていた。
 しばらくして、三原は自分の頬に感じられる熱い感覚を自覚する。
 呆然として一条へと再び顔を向けた時、その様子から三原は、一条が平手を三原の頬にはったのだということを理解した。
 それだけなら、怒り出す理由になるだろう。
 しかし三原にはそれができなかった。なぜなら一条は、泣いていたから。
 流石に、ぼろぼろと今の戦況を考慮しないほど豪快な泣き方ではなかったが、それでも涙は確かに一条の両の目から止まることなく流れている。
 呆気にとられて一条を見上げていると、彼女はぽつりぽつりと呟き始めた。
 あまりにも小さい声で、最初は聞き取ることができなかったが――しばらくして、かろうじて言葉の1節が「駄目だよ」という言葉でできているということがわかった。
「駄目だよ、三原さん。もう間違っちゃ駄目なんだよ」
 一条はそう告げる。まるで懇願するように。
「お願いだから。間違ったら――私みたいに、信じるべき人を疑っちゃったら駄目なんだよっ!」
 目の前で悲痛な叫びを繰り返す一条を、三原はただ眺めていた。
 その言葉の意味はわかる。しかし受け入れたくはなかった。
 彼女の言に従うなら、三原は自分の行ったことを正当化できなくなる。
 播磨を殺したことを、正当化できなくなるのだから。
「お願いだから、三原さん。私みたいには、ならないでっ!」
 その願いを聞き届けることはできなかった。三原は、そんなに強くはなれなかった。
「三原さ――」
「うるさいっ!」
 三原はUZIを握っているのとは反対の手で、一条の右肩を殴りつける。

「ぐっ!?」
 一条はその痛みで顔をしかめ、UZIを抑えていた手から力を抜いた。
 倒れこむ一条を見下ろして、三原はUZIを構えなおす。
「勝手なこといわないで。私があなたと同じ? フンッ、そんなわけないわ。
 八雲ちゃんから聞いたのよ。今鳥君、あなたを助けて死んだんだって?
 いいわね、そんな人がいて。私はずっと、一人ぼっちだったっていうのに」
「くぅっ……」
「今のはビンタのお返し。残りのおしおきは、後でしてあげる。
 とりあえず今はあの女よ。……刑部先生を、この手で殺さなくちゃ」
「だから刑部先生は……」
「刑部先生は私の敵よっ! そうじゃなくちゃいけないのっ!」
 唾を飛ばしながら、必死の形相で三原が叫んだ。一条の全ての言葉を否定し、拒絶するように。
 UZIを手に、物陰から飛び出した。高野が隠れている方向に数発銃弾をばら撒いて牽制しつつ、刑部が逃げていった方向へと駆けていく。
「待って、三原さんっ!」
 一条の言葉は最早三原には届いていなかった。全ての神経は、刑部を殺すことへと向けられる。
 そうしなければ、これまでの自分の行為が否定される気がしたから。
 三原は走った。もう高野のいる方角を注意することもしていない。
「殺すっ! 殺してやるっ!」
 そう吼える彼女の中の理性は、もう既に殺されたように薄れていた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 走り去る三原の背中を見ながら、一条は立ち上がる。
 今の一撃で意識がよりはっきりとした。
 相変わらず薬の効果で全身の感覚が薄れてはいるが、それがちょうどいい具合に右腕の痛みも中和してくれている。
 落ちているシグ・ザウエルを拾い上げ、これからのことを考えた。

 三原を追うのは、難しいかもしれない。
 彼女を追ったなら、高野を野放しにすることになる。
 背後から三人が狙われたなら……全員がアウトだ。高野の勝利でこの殺し合いは幕を閉じる。
 それに今の三原を説得するのに、一条は未熟すぎた。
 なにせ、つい十数時間前まで一条は三原と同じような状況だったのだ。
 その点では彼女の辛さ、苦しさをもっとも理解していると言えなくはないが、だからといってそれで彼女を救えるとは思えなかった。
 結論として、一条は自分が三原と刑部の間に入ることを選ばなかった。
 アレだけ大声で叫ばれれば、刑部も三原の接近に気が付くだろう。
 だとしたら、彼女に任せたほうがよいかもしれない。
 説得はできないにせよ、その銃弾から逃げ続けることは十分に可能なはずだ。
 今の自分にできることはただ一つ。
 再び出会った“悪そのもの”を、自分の手でなんとかすることだった。
「またあなたと対峙することになったわね、一条さん」
「今度は逃がしません。あなたは、私が倒します」
 お互い、物陰から顔を出していた。
 今度は誰もこの戦いを邪魔するものはいない。そして決着は、どちらかが死ななければつかない。
「また力を手に入れて、元気になったの?」
「そんなんじゃありません。私は……あのころの私と違います」
 一条はそう断言し、言葉を続けた。
「播磨さんのためにも、私は正義を貫く」
「何を馬鹿なことを。播磨君の意思を継ぐってことは、私を助けるってことじゃないの?
 なのに、私を殺す? ……フッ、随分と自分本位な正義感だこと」
 高野は表情を変えず、一条の言葉を切り捨てる。
「あなたはどう思っているの? 播磨君の考えが正しかったと思っている……わけではなさそうだけど。
 正義ぶりたいなら、人を殺してはいけない。当たり前のことでしょ?」
「……正直、自分でもよくわかっていません」
 一条は何も隠すことなく、思ったとおりの言葉を口にした。
「私は自分の中にある正義を、なそうとしている。
 そのために人を殺すというのは、やっぱり矛盾していると思います。
 でも、あなたを許すことなんてできないんです。あなたは皆の命を奪ったから」

「ずいぶんと自分勝手な正義ね。そんなもので、貴女はまだ自分自身を正当化しているわけか」
 鼻で嗤い、高野が吐き棄てるように一条へと言葉を放った。
 その言葉が一条の胸に深く刺さる。けれど、その刃が一条を止めることはなかった。
 一度抜けかけた手の力が、再び戻る。片手持ちだった銃を、しっかりと両の手で支えた。
「……前は、そうでした。何もかも他人のせいにして、自分を正当化して。
 全てから逃れようとしていた。でも、今は違います。
 西本さん、烏丸さんを殺してしまったこと。そして、今から高野さんを殺すこと。
 全ては私の罪です。私はそれを背負っていきます。あなたにだけは、屈するわけにはいかないから」
 一条は、迷うわけにはいかなかった。
「ゴメンなさい、今鳥さん」と頭の中で大好きだった人に謝りつつ、手に持った凶器は何時でも目の前の悪を討ち滅ぼす剣と成り得た。
 おそらく彼の望んだ展開は、こんなものではない。
 花井や、そして八雲だって、こんな道は求めていなかったのだろう。
 しかし、駄目だった。
 全てを壊すことを望んでいる目の前の少女の息の根を止めねば、未来はない。
 播磨が死んだ今、残る生徒は自分達以外に三原だけであるが、特に三原は守らねばならぬと一条は思っていた。
 なぜなら、一条にはわかっていたからだ。三原が、かつての自分と同じだということが。
 もちろん、三原の本心など聞けるわけもない。けれど、彼女の瞳の色は、事実を事実のまま正確に物語っていた。
 どうしようもない戦況。救いの見出せない状況。
 そんな中で正気を失い、最も安易な逃げ道を――すべての罪を他人に転嫁し、自分の行為を正当化するという選択肢を選び出す。
 まさに三原は、そんな嫌悪すべき状態にあった。その弱く脆い存在を、守らないわけにはいかなかった。
 なぜなら自分は正義の味方だから。
 ドジビロンピンクのような存在にならねばならないと、自分の中の今鳥に誓ってしまったから。

「……つまらない答え。そんな人に、負けるわけにはいかない」
 だから目の前の敵が自分と同等の武力を有していることなど、今の一条を動揺させるものにはならなかった。
 自分の命がどうでもいいわけではない。……できることなら、生き残りたい。
 けれど、ここで逃げることは一条にとって死よりも辛い選択。
 だからこそこれは自暴自棄の末の愚行ではない。一条にとっては当然の選択――今の彼女であり続けるために、必ずなさねばならぬ決断。
 目の前の悪を討つ。そのためなら、彼女の身体は思い通りに動いてくれた。
「私も、負けるわけにはいきませんから」
 肩の負傷は自身の戦闘能力を極端に奪っている。そしてここで無理をすれば、この右腕が健康な状態に戻ることは一生無いと思ってもよいだろう。
 けれども、一条はその己の傷ついた身体を限界以上に駆使する決断をした。
 高野とて、銃を自由自在に扱えるわけではない。
 もちろん高野の持っているは狙撃銃であるから、止まっている遠距離の相手に対しては一条の持っているシグ・ザウエルに比べかなりの効力を発揮する。
 だが、こと接近戦となれば話は別だ。
 あの長いバレルは接近戦では邪魔者にしかならない。
 本来なら木々が立ち並ぶ林の中で戦うのが最も効果的なのだろうが、そうでなくても接近しての戦いは互いの戦力バランスを大きく変動させることだろう。
 そして接近戦なら、一条に分があるのは言うまでも無い。
 笹倉の飲ませてくれた鎮痛剤のお陰で、右腕を無理をして“動かす”ことは可能だ。
 一介の女子高生が歯向かうには、一条のアマレスの技術は規格外に過ぎていた。
「全力で、あなたを倒します。高野さんっ!」
 たとえこの腕が壊れようとも。
 たとえこの命が尽き果てようとも。
 一条かれんの正義は、それが信じるものを果たすために燃え上がっていた。
 まるでそれが当然だと言わんばかりに。その姿はまるで、特撮ヒーローが敵の怪人に挑むような勇ましさ。

「……無理なことは、口に出さないほうがいいよ」
 そしてそれを迎え撃つ高野は、しかし敵の怪人のようにただ正面から一条に挑みはしなかった。
 その顔に貼りついた陰鬱な笑みは、一条がいつも見ていた高野の笑みとは違い――また、彼女がこの島で見せた偽物の笑みともまた違っていた。
 まるで、なにかこの世の終わりでも見て落胆しているような。
 そんな表情を浮かべた後で、高野は林の中へと姿を隠す。

「……」
 シグ・ザウエルを両手に持ったまま、一条は高野のいる方角に向かってゆっくりと歩みだした。高野が隠れている場所は、木の陰から見える高野のリュックサックが教えてくれていた。
 そしてその木の陰からはドラグノフの銃身は見えていない。ならば、こちらは安心して攻め込める。
 残りの弾数は11発。牽制と、最後のとどめ。それに使用するには十分な数だといえる。
 目標まで残り半分の距離――というところで、一条はその違和感に気付いた。
 高野に、動きが無い。
 彼女の得物が接近戦に向かないことは、高野自身が一番良く知っているであろうはずなのに。
 あの高野がこうも無策に自分の接近を許すのだろうか?
 そんな疑問が一条の頭を過ぎり、そしてそれが彼女の注意力を喚起した。
 それまで自分が見ていたただ一つの点から左に約60°。そこに高野は存在した。
 否、視認したのは高野本人ではなく、高野の構えるドラグノフのスコープが太陽光を反射することで発している僅かな光だったのだが。
「しまった!」
 瞬間的に判断して、一条は猛然とその場から駆け出した。
 それが幸いしたらしい。一条が走り出したコンマ一秒ほど後に、彼女がそれまでいた位置を凶弾が通り過ぎていく。
 ただそれを一条が認識することはなかった。
 彼女はそのまま全力で疾走し、高野のいる位置から姿を隠すように木の陰へとまわり込む。
「……危なかった」
 その位置から、先程のリュックサックが見えた。
 木の枝にぶら下げられているそれは、さながら小動物を捕らえるための罠のように見えた。
 追撃は無い。
 コレだけ遮蔽物の多い場所に入ってしまえば、とりあえずの安心は確保できる。
 だがしかし、接近できるだろうか。

 逃げられればどうしようもない。
 そして逃げた先には、三原と刑部がいる。
 もめているあの二人は隙だらけだ。その場に高野を行かせるわけにはいかない。
 先程高野のスコープが見えた方向へと目をやる。
 まだそこに彼女は存在しているようだった。バレルだけが顔を出している。
 ここの決着をつけてから動くということだろうか、と一条は判断する。
 それは一条にとって都合のいいことであり、望むべき展開。
 シグ・ザウエルを両手で持ち直し、これからどう高野と戦えば良いかを考える。
 高野とは違い、一条がしなければいけないことは一つだった。
 自分の命を守りきれなくても、高野さえ止められればいい。
 もちろん無駄に死にたがっているわけではない。ただ、自分の命よりも大切なものがあると考えているだけである。
 しかしそう思うと、いくらか気が紛れるように思えた。
 この先に待っているどんな結末も、許容できる気がして。
「どうしたの、一条さん。私を倒すんじゃなかった?」
 高野の声に反応して、一条は木の陰から顔を出す。
 その目には逃げ出す高野の背中が映った。それを見て、一条も動き出す。
 これだけ木々が密集していては、高野の狙撃銃は一条の俊敏な動きに対応しきれない。
 対して一条の獲物は小回りの聞くシグ・ザウエルだ。いざとなれば、体術だって心得ている。
 視界についてはこちらもあちらも同等の条件。ならば、臆することは無い。
 木と木の間を駆け抜けながら、一条は徐々に高野に近づいていった。
 高野も移動を繰り返しているが、発砲は無い。虎の子の弾薬を無駄にしたくは無いのだろう。
 それは一条も同じだったが高野とは違い、一条は高野に対して今ある弾薬を全て消費することが可能だった。
 その点でも、一条は有利といえる。
 もちろん、窮地に陥れば高野だって弾薬の温存など考えずにその牙を一条に向けてくるかもしれない。
 だが逆に言えば、窮地に陥らない限り高野は消極的な責め方しかしてこないということ。
 そんな戦術をとる人間に、今の一条は負ける気がしなかった。
 威嚇をかねて、一発だけ発砲。弾けた木の破片が、高野の頭に降り注ぐ。
 シグ・ザウエルの残りの弾数は10発。それは十分すぎると思ってよい数だ。

 脚に力を込め、駆ける。その差はちゃくちゃくと縮まりつつあった。
 最初は30メートルほどあった二人の距離は、もう15メートルほどまでに縮まっている。
 このまま行けば、高野を間合いに捉えることは不可能ではない。
 それにしても、高野は何を考えているのか。
 ただ逃げるだけでは、高野にとってはなんの利益も無いはずだ。
 正対してこちらの動きを制限し隙あらば狙撃という方法をとられた方が、向こうも千日手にはなるがこちらも動けないために高野にとっては有効な戦術であると思えるのに。
 そう言えば、と一条は思い出す。高野が逃げていく方向は高野がやってきた方向と一致している。
 もしかしたら高野は、この先に罠を仕掛けているのかもしれない。
 だがしかし、仮定の話で足を止めるわけにはいかなかった。
 高野は前を走り続け、一条はその後を追う。
 急に草木が密集している地帯に入り、高野が藪の中に消えた。
 慌てて一条もその中へと入り込み、そして藪を抜ける直前、一条は渾身の力で右前方に跳んだ。
 高野が藪に入っていた時点で予測はしていた事態だから、葉と枝の間から見える高野の姿に瞬間的に反応したのだった。
 轟音と、飛び散る葉。
 着地と同時に起き上がり、銃弾が発射された方向に視線を向けた一条の目には、ドラグノフを構える高野がいた。
「……うまく避けたわね」
「卑怯なあなたのやりそうなことです」
 その場所は、林の中で少し開けた場所だった。
 この島にまだ人がいたころは子供達の遊び場だったのか。明らかに人が手を加えた形跡がある。
「もう逃げないんですか?」
「そうね。あのまま逃げても、いつか狭い林の中で貴女と接近戦をすることになるだろうし。
 だからといって長期戦にもちこむには、残りの二人の動向が気がかりだから。
 とっとと貴女を殺してしまおうと思って。……不満?」
「いえ、望むところです。狭かろうが広かろうが、この距離ならもう貴女を逃がしません。
 私もあなたを早く倒して、刑部先生の手助けにいかないといけないんですから」
 一条は銃を右手だけで持ち、低く構える。
 幾分か、先程よりも落ち着いた気がした。

「ここにきてレスリングスタイル? まぁ、得意ならそれでいいんだけど」
「あなたは、ここで私が止めるっ!」
 右腕の痛みは益々強くなっていた。しかし、動かせないわけではない。
 これからの戦いは、一条にとって贖罪のように思えた。
 高野を倒すことで、今まで死んでいった者達への責任が少しでも果たせるような気がして。
 ――ああ、駄目だ。
 一条は再び自分を諌める。またもや、自らの為すことを他人のせいにしてしまうところだった。
 これからの行動は、あくまで自分の正義のため。
 だから自分を犠牲にできるのだ。誰のせいにもできないからこそ、気兼ねなく自分の身を棄てられる。
「……だあああああっ!!」
 一条は、高野の足元を狙い走り出す。
 そうすることがさも当然のように、彼女には迷いは無かった。

   ※   ※   ※   ※   ※

 自分に向かって突き進んでくる一条を見ても、高野に焦りは無かった。
 高野は自ら望んで、この展開を作った。狙撃銃で接近戦など、愚の骨頂だというのに。
 ――なぜだろうか。
 高野は自問する。
 もっといい戦い方があっただろう。
 こちらの危険を最小限に抑えて、一条を殺すための戦術。
 しかしそれを考えることなく、ただ一条をこの空き地に引き込んだのは自分の意思。
 足りないと感じていたのはこのスリルなのか、とも考えたが、今この状況においても高野の心の中の空白は満たされていなかった。
 地面をけり、一条の顔面目掛けて土を巻き上げる。
 一条は左手を盾にして、何の問題も無くタックルの態勢に入った。
「二度目は無いかっ!」
 ドラグノフを脇に抱え、左に跳躍する。
 すんでのところで一条のタックルを回避した高野の蹴りの射程内に一条は入っていたが、
 高野はそのまま反撃はせずに更に後ろに跳んで逃げる。
 それまで高野がいた場所に、一条の腕が伸びていた。

 あれだけ高速でタックルしてきたというのに、その体勢は微塵も崩れてはいない。
 やはり接近戦では一条に分があった。
 ドラグノフで決着をつければ全てが終わる。
 しかし、先程までとは違う理由で引き金は引けない。
「撃たないんですか。高野さん」
「貴女がそれを言う? わかっているくせに」
 緊張感で手に汗が流れるのを感じながら、高野が答えた。
「私は、自分は生き残って貴女を殺さなくてはいけない。でも、貴女は違うんでしょう?」
 一条は無言だった。高野はそれを肯定と捉える。
「私が貴女に狙いをつける一瞬の間に、貴女も私に狙いをつけることができる。
 私が貴女を殺そうとした瞬間に、貴女も私を殺す。……捨て身ってのは、ホント誰を相手にしてもやっかいだね」
「わかっているのなら、理解してください。あなたはもう負けなんです。大人しく、観念してください」
「ハッ、何を馬鹿なことを」
 高野は、一条の言葉を鼻で笑って一蹴した。
「私が気付いていないと思ってるの、一条さん。
 今の論理なら、貴女は自分から銃撃戦を仕掛けて私と共倒れになることを望むはず。そうするのに弾薬が不十分なわけじゃないでしょう?
 それができないのは……その肩ね」
 自らがつけたその銃傷を、高野は見つめた。
 一条は顔をしかめ、憎らしげに唇を噛む。
「図星でしょ? 応急処置はしてあるみたいだけど、今の動きでもホラ、傷口が開き始めている。
 まぁ、一発なら銃の反動にも耐えられるでしょう。でも、それから矢継ぎ早に次弾を撃てる? その次は?
 無理よね。例え撃てたとしても、ぶれる腕でつけた狙いなんてあってないようなもの。
 そんな中で自分から撃てば、返り討ちに遭うのは目に見えてる。ね?」
 赤く染まり始めた一条の肩を見ながら、高野はそういって一条に同意を求める。
 一条は腰をおろし、もう一度タックルの体勢をつくった。
「否定はしません。でも、あなたを掴んでゼロ距離で撃つなら、外すことは絶対にない。
 だから、私の絶対的有利は揺るぎません」
「私を掴むことができれば、だけどね。でもいいの? そんな簡単に自分の作戦をばらして」
「はい。だって、今のは嘘ですから」
「? 何を……」

 次の瞬間、またも一条が高野に向かい走りよった。
「馬鹿の一つ覚えみたいに――」
 高野は再び寸前で跳躍できるように、足に力をこめる。
 が、次の瞬間、高野の目の前に黒い塊が現れた。
 それはシグ・ザウエル。手首のスナップだけで投げられたそれは、高野がそれの投擲された事実に気付くよりもはやく額にぶつかり、高野の額からは鮮血が飛び散る。
 痛みに苦悶しつつも高野はドラグノフを構え、銃弾を放った。
 しかしその一撃は、高野の反撃を予見していた一条にかわされる。
 次の瞬間には一条が懐に入り込み、ドラグノフを掴んでいるのが見えた。
 そして、腹部に重い一撃。
「ぐふっ!」
 胃の内容物がすべて戻りそうな感覚に陥ったが、高野はそれに耐え一条の動きを目で捉え続けようとする。
 一条は後ろに回りこんでいた。危機を感じ、肘鉄を打とうと腕を振る。
 確かにそれが一条の身体の一部を捉えた手ごたえはあった。けれども硬い筋肉の感触は、一条に対してのダメージが少ないであろうことを高野に予感させる。
 案の定、その後すぐに一条は次の行動に出た。
 高野の首に後ろから手を回し、締め上げる。高野は左手をドラグノフから離し、なんとか一条の腕と自分の首の間にそれを挟みいれた。
「終わりです、高野さん」
 ギリギリと、首を締め上げられる。抵抗を試みるが、一条の腕はビクともしない。
 純粋なパワー勝負で、一条に高野が叶うはずもなかった。
 ドラグノフを撃とうにも、長いバレルが邪魔をして一条には当りそうもない。
 しかし高野は冷静だった。冷静に、ドラグノフを地面に落として右手をポケットに入れる。
「私はもう容赦しない。あなたをここで殺すことを、私はためらわない」
 ポケットから箱状のそれを出し、後ろ手で一条に押し当てて、
「私自身の正義の為に、私はあなたを……」
 ためらわずに、そのスイッチを押した。
「あ゛あ゛っ!?」
 後ろから一条の悲鳴が聞こえる。
 しかしその腕が高野の首から外れることはなかった。
 もう一度、強くスイッチを押し込む。
「うぐっ!」
 今度は腕が外れた。力なく、高野の背中を伝って一条は崩れ落ちていく。

「……かはっ、ごほっ!」
 つぶれかけた喉をさすり、高野は新鮮な空気を大きく吸い込む。
 そうして後ろを見やると、一条が口の端から泡を見せて倒れこんでいた。
「……な、なかなか、頑張ったんだけどね」
 スイッチを押して、スタンガンが使えなくなったことを確かめ、投げ捨てる。
 変わりにドラグノフを拾い上げ、ゆっくりと一条に近づいた。
 接近戦用に仕込んでいた武器が役に立った。どれほどの出力かを試していなかったため少しばかりの不安はあったが、予想以上にうまく働いてくれたようだ。
「あなたもここで終わり。安心して、私が覚えておいてあげるから」
 ドラグノフを一条の首に通し、キャメルクラッチのような形で一条の首を締め上げた。
 徐々に力を入れていく。もがかれても外れないよう、身体をしっかりと密着させて。
「これで……後一人……っ!」
 もうすぐ全てが終わる。
 全てが終われば、自分だけは矢神に返されることになるのだろう。
 きっと姉ヶ崎達も出てくるに違いない。
 その時になって、始めて高野の目的は成就されるといっていい。
 高野の腕に、さらに力がこもる。
 それは普通ならここまま少女の首を折ってしまうくらいの、そんな力だった。
 一条に恨みがあるわけではない。
 ただ、早く済ませてしまいたい。その一心で、高野は一条に止めを刺した――はずだった。

 最初の異変は、一条の首に起こった。
 急にその太さを増す。まるで腕に力瘤が浮かぶように、一条の首には青筋が浮かんでいた。
 高野は、アマレスの選手の首の強さを思い出す。
 これでは十分に締めが決まらない。事実、一条の首から上は既に血色を取り戻していた。
 次に、反っていたはずの背中が、徐々に逆の方向へと戻る。
 高野は慌ててそれに対抗しようとするが、レスリングで鍛えた彼女の腹筋に高野の背筋が叶うはずはなかった。
 甘く見ていた、と高野は思う。
 この女の強さを。そしてなにより執念を。

 同時に、一条はその身体を大きく横に振り、高野を振り落とした。
 ドラグノフを手放し、高野は地面へと放り出される。反撃に入ろうと考えた瞬間には、一条がすでにその上に覆いかぶさっていた。
 必死の形相で息も絶え絶えに、一条の目は高野を捉えている。
 高野は自嘲と、そしてまたもう一つの意味をこめて、笑った。
「……さっき撃っておけば、よかったかな」
「あなたの慢心のお陰で、今この状況になっているっ!」
 高野の言葉に噛み付くように、一条が言い放った。
「なんですかその表情はっ! 今からあなたは死ぬんですよっ!
 もっと悔しがればいいのにっ! そうしなければ、私はっ!」
「正義感が満たされない?」
「……っ! そうじゃありませんっ! あなたは死にたくなかったんじゃないんですか?だから皆を殺したんじゃなかったんですか!?
 なのにあなたにそんな顔をされたら……何の為に、皆は死んだんですかっ!」
 高野の襟を掴み、一条はその態度を糾弾する。
 その光景を、まるで横から傍観しているような思いで高野は見ていた。
 死ぬのは怖くないのかと問い詰める女。その女が、高野にはとても滑稽に思えた。
 問い詰められたもう一人の女は、死を恐れていないわけではない。
 むしろこの殺し合いが終わる前に死ぬことを最も恐れている人間だといっていいだろう。
 問い詰められた女は、その右手を自らの腹部へと運んでいた。
 それがあるから、女は怯えていないのだった。自らが死ぬとは思っていないから、女は平気な顔でいるのだ。
 女は――高野晶は、スカートに挟んだデザートイーグルを手に取る。
 それは彼女の親友が残してくれた切り札であり、元々は、一条の親友である嵯峨野に渡された支給品。
 表情を変えず、高野はそれを一条に押し当てる。
 その感触に一条が気付くことは無かった。
 恐怖など与えても何の意味も無い。一条に尋ねることももう存在していない。
 だから高野はためらうことなく――


   ――その最後の銃弾を、一条に放った。


   ※   ※   ※   ※   ※

「ぐがっ……! ああ゛ぅっ……」
 弾丸は、一条に致命傷を与えていた。
 左の胸を抉っている。どんなに有能な医者でも、まず助けることはできまい。
 地面に丸まっている一条が、高野には酷く矮小な存在に思えた。
「思ったよりも、てこずったわね」
 ドラグノフと、一条の投げ捨てたシグ・ザウエルを拾い上げながら、高野は一条に向かってそう告げる。
 それは高野にとっては褒め言葉を放ったつもりであったが、それが一条にとっては何の意味も無い言葉であることももちろん理解していた。
 一条の奮闘は称えるべきことだったが、その行為は、高野の目指すものと対象の位置にある。
 死にゆく少女に送るには少々残酷な気がしたが、高野はそのまま言葉を続けた。
「どう? わかってもらえたかしら。いくら貴女が自分勝手な正義を振りかざしたって、何も変わらない。
 私程度の力の前にこのザマよ。それでこのゲームを潰す? 笑わせないで」
「ぞんなこと、ない……。か、可能性が、ゼロじゃなければ……」
 口から血を吐きながら、それでもなお一条は高野の言葉に抗う。
 無力な少女の口から漏れた根拠の無い言葉に、高野は何の感情も抱けなかった。
「そうね、たしかに可能性はゼロじゃなかった。
 何事も絶対は無いわ。でもね、それは貴女のその甘い考えを突き通す免罪符にはなりえない。
 私のいままでしてきたことが、仕方が無いの一言ですまされることじゃないようにね」
「……あな、た……は」
 高野の言葉に対して、一条は何か言いたげだった。
 それを制するように、高野はシグ・ザウエルを一条の目に見える位置に持ち上げた。
「貴女は、今まで殺してきた人の中では骨のあるほうだったわ。
 それだけに、残念よ。私が最初に会ったのが貴女だったら、もしかしたら私は貴女に殺されていたかもしれないから」
「……そう、したら……あなたを、止められたの、か……な」
「あるいは、ね」

 このまま放っておいてもいずれ死ぬが、せめて苦しむ時間を少しでも減らしてやるのが、高野に残った唯一の良心。
「……さようなら、一条さん。皆のもとにいけるといいわね」
 そう心にも無いことを、高野は一条に別れの言葉として送った。
「わたし、は……きっと、地獄いきだか、ら……」
 哀しげな顔で一条はそう漏らし、そして、瞼を閉じた。
 高野は、両手でシグ・ザウエルの銃口を一条の額に向け直す。
 もしも、今のこの少女のように自らの正義を信じて、人間として正しいことを行える愚かさが自分にも備わっていたなら何か変わっていただろうか。
 高野はそんなことをふと思ったが、すぐにそれが無駄な考えだと思い直す。
 過去を振り返ることより意味のないことは無い。
 過去があったのだから、今の自分が、そして一条がある。
 だから今を基準として過去を思っても、それは、全くもって不毛なことだ。
 そう思わせた自分の甘さを断ち切るように、高野は、一条に向けて最期の一撃を放った。




 ……その銃声は、さながら終焉へのカウントダウン。
 姉ヶ崎の言うバトルロワイアルというゲームで殺さなくてはいけないのは、残り一人となったのだから。
 穏やかな表情のまま額から血を流し、その場で眠る一条を見つめながら高野は呟く。
「死んだって、何も変わらないのかもね。だって――」
 死に際の一条の言葉を思い出しながら、高野は、
「――この島自体が、もう、地獄なんだから」
 救いの無いこの殺し合いに、終わりをもたらそうとしていた。

【午前:8〜9時】

【高野晶】
【現在位置:G-03北東部】
[状態]:疲労(大)。
[道具]:シグ・ザウエルP226/弾数9発、ドラグノフ狙撃銃/弾数6発、デザートイーグル/弾数0発、
     雑誌(ヤングジンガマ)
[行動方針]:刑部と三原の下に向かい、三原が生きているなら殺す。
[最終方針]:全員を殺し、全てを忘れない。反主催の妨害。教師達にも罰を与える。ゲームの目的を知りたがっています。

※少し離れた木の枝かけたリュックの中に、支給品一式(食料13、水4)、殺虫スプレー(450ml)、ロウソク×3、マッチ一箱、インカム一組、携帯電話(残量約1/5)がある。


【一条かれん:死亡】(残り2人)
※支給品一式(食料5)、東郷のメモ、刑部のメモを持っている。



【刑部絃子】
【現在位置: G-03北西部】
[状態]:疲労大、両手の皮が剥けてかなりの痛み。肋骨2本にヒビ。三原から逃亡。
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数15発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
     暗視ゴーグル、ヘッドライト、セキュリティウェア
[行動方針]:追ってくる三原をどうにかする。
[最終方針]:反主催
[備考] :高野を危険人物と認識。三原を警戒。笹倉についてはもしかしてもう……と思っています


【三原梢】
【現在位置:G-03北西部】
[状態]:疲労、かなりの精神不安定状態。左掌に銃創(応急処置済み)、返り血にまみれている、絃子を追跡。
[道具]:UZI/弾数39発、ベレッタM92/弾数8発、vz64スコーピオン/弾数20発、9ミリ弾142発      
[行動方針]:自分の正しさが否定されないよう、教師である刑部を殺す。
[最終方針]:天満や八雲の名の下に全員を利用して優勝…するしかないんだよね!?
[備考] :自称『塚本八雲の親友』。教師らを激しく憎悪。高野を危険人物と認識

※三原の道具:支給品一式(食料4、水5)、エチケットブラシ(鏡付き)、ドジビロンストラップ、ノートパソコン(バッテリー、フラッシュメモリ付き)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)
※播磨の道具:支給品一式(食料4,水2)、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ)、さくらんぼメモ、烏丸のマンガ
は、体育館の中に放置してあります



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