私の中のアナタなら
「どうすればいいのよ……」
隠していた銃器を足元に散らかし、マットの上に置かれたノートパソコンの前に座り込んだ一人の少女。
体育館の中でも三原の自問は続いていた。あの子豚を見た事で、彼女の脳裏には何度も白昼夢の記憶が過ぎり続ける。
三原が生き残る為には播磨や一条を利用し、高野を殺させる。決着が着けば、今度は三原直々に生き残りに止めを刺す……それしかない。
だが三原の中の今鳥や音篠は、そんな事を望まない。
何度否定しようがそれは揺らがなかった。それは、三原の中で二人が大切だった証でもある。
大切な人達だからこそきっとこう考えるのだろうと、三原には手に取るように分かってしまうのだ。
そんな大切な人達が結果的に三原を苦しめているのだから皮肉な物である。まして、その苦しみを和らげてくれる者はもう誰もいないのに。
解決策が見つからぬまま、三原はノートパソコンの前に座り込んだ。
少しでも気を紛らわせようと地図を覗き込む。……高野はもうすぐG-03に入ろうかという場所にまで接近している。
彼女を迎え撃つ為にも早急に播磨達を言いくるめなければならない……ならないのに。
あの子豚を見る前なら迷わず播磨達を怒鳴りつけに行けたのに、今の三原はノートパソコンの前から動く気力すら失い始めていた。
今鳥達の望みは、三原にとっては破滅しか生まない。なのに、それでも彼らは三原にヒーローになれと言い続けるのだから。
このように動く気力すらない三原にとって、地図が映し出す播磨の接近は数少ない好材料となった。
一条は逆に八雲の埋葬場所と思しき地点に近付いて行っているようだが、播磨はこちらに来ている。
一条と会って何か話をしてこちらに向かったのか。何にせよ、向こうからこちらに来てくれれば三原としても都合がいい。
播磨達に高野と戦わせる意欲は幾分削がれつつあったが、それでも高野はこちらに構わず近付いてきているのだから。
「三原!」
……体育館の金属扉を開け放ち、唐突に男子の大声が響き渡る。
三原の予想より遥かに早く来た播磨に、どう動くか決めかねていた三原は声を返す事もしなかった。
それに構わず播磨はずかずかと近付き、三原の横に腰を下ろす。
……八雲が死んだ直後に比べ、随分彼に勢いがあるように三原は感じた。
「高野の奴、もうこんな近くまで来たのか……」
播磨はまずノートパソコンの地図を見た後で三原に視線を送ってきた。
それに対し、三原は目を逸らす事しか出来ない。以前なら、播磨はただの人殺しでしかなかったのに。
天王寺や吉田山を殺し、挙句目の前で八雲まで殺した男。それに対して侮蔑と憎悪に満ちた睨みを効かせられたのに、だ。
「……なあ、三原。さっき一条と会ったんだよな?」
「うるさい! そんな事どうでもいいでしょ!?」
播磨の言葉が三原を抉る。彼のたった一言で、再び子豚が、今鳥や音篠の姿が過ぎるのだ。
反射的に否定する。いや、そうする事しか出来ない。あまりに単調な拒絶しか、三原が抗う術が無い。
「何なのよ……大体、何で一条さんは豚なんて持ってた訳? ちゃんと八雲ちゃんを埋葬出来たんでしょうね!?」
「……妹さんはもう埋めたぜ。それに三原、あの豚はな……」
乱暴に叫ぶ三原に対し、不意に播磨の声質が変わる。
声だけでなく、サングラスを外したその表情もどこか落ち着いた……いや、悲しみすら漂い始めていく。
「……何よ、知ってるの? あの豚……」
「あの豚な……ナポレオンって言うんだ。俺の知り合いでな……ほんと、伊織といい、何で動物までこんなクソゲームに巻き込まれたんだろうな」
「……八雲ちゃんの伊織と一緒、って事?」
「まあな。あいつも酷い目にあったみたいだけど、最期はイチさんに看取って貰えたんだ。俺は、そうして貰えて良かったと思ってる……」
播磨の態度がその場で取り繕ったような物でない事は、直に彼の声を聞く三原には良く分かった。
ナポレオンと急に名付けた筈もない。あの子豚はナポレオンという名だったのだ。そして、それは元々播磨にとって大切だった――
「……なあ、三原。もしかしてお前、ナポレオンとどこかで会ったのか?」
「えっ……」
「いや、さっきイチさんに聞いたんだよ。お前があいつを見て驚いてたみたいだったってさ」
「……うん、会ったよ。あの子……ナポレオンに」
播磨は人殺し。そのくせに皆で脱出だとか、このゲームを壊すだとか叫んでいたおかしな男。
三原はその認識を改めないが、しかし彼女がナポレオンに心を救われたのもまた事実だった。
少なからず三原にとって、ナポレオンは大切な存在だ。あの時自分を呼び戻してくれた子豚を思えば、自然と言葉が出てきてしまう。
播磨という男が分からなくなりながら、三原はナポレオンとの出会いや、その時の自分の境遇を打ち明けた。
サラを守ってと、皆に殺し合いを止めてというメッセージを田中から託されたナポレオン。
その心情はどうあれ、絶望と憎悪に沈みかけた自分を呼び戻したナポレオン。
そんな愛くるしかった子豚の行動を話すうち、やがて三原にはナポレオンと播磨と被り始めていく錯覚すら生じ始めた。
彼女の脳裏には今鳥や音篠だけではなく、田中やサラ達まで現れてくるようになる。
……単にナポレオンを通じて思い出したにしては、彼らの表情は穏やかな物だった。
「……で、その後はどうなったかは知らないの。でも、まさか死んでるなんて思わなかった……」
全てを喋り終わり、意外なほど素直な言葉を並べ続けた三原は心の中で己を笑った。
何故、こんなに気持ちが楽になったのだろうか。既に分かっている答えを敢えて分からないふりをしている気分だが、それでも先ほどより苦しみはない。
「そっか……ありがとな、三原」
播磨の浮かべた笑顔は、彼が本当にナポレオンを想っていたのだと三原に感じさせた。そんな、本当に穏やかな表情だった。
「……なあ、三原。俺はやっぱりこんなクソゲームをぶっ壊したい。ナポレオンだって、きっとそう思ってくれると思うんだ」
その表情を急に引き締め、播磨が語り始めた"おかしな"言動。しかし、今の三原にはそれがおかしく感じられなかった。
沢近相手に同じ事を言っていた時と同様、その態度に裏がある様には見えない。
何より田中のメッセージを背負っていたナポレオンは、三原にとってはこのゲームに反対する象徴だ。
そのナポレオンの名を出されれば、いよいよもって播磨の言葉の重みも増す。
「三原、もう俺達同士で戦ってる場合じゃないんだ。俺達に何も出来る事が無い訳じゃねえ!」
……が、それも度が過ぎれば違和感を覚えさせる。彼の言葉が段々現実味を失い……夢を見始め出したと感じたのだ。
もちろん、生徒達が殺し合うなど馬鹿げている。それは三原自身の決意すら否定する厳然たる事実だが、それが不可能だと彼女は既に結論を出している。
「……でも、高野さんが来るよ。もうこんなに近くにいるのに」
「ああ、まずは高野を何とかしないとな。でも、絶対に戦うしかないって事はないんだ!」
「……説得するっていうの? 沢近さんでもダメだったのに?」
やはりこの男は夢を見すぎている。多少ナポレオンの事もあって緩んでいた三原の思考ですら導ける答え。
「……まだ、俺達同士で戦うしかないって事はないんだ」
播磨はそう言うと足元の銃器を掻き分け、足元に自分の地図の裏紙とボールペンを用意した。
「まあ、あれだ。とりあえず朝メシにしないか? 俺腹減ってさ」
筆談でもしたいのか、播磨は適当な事を喋りながら筆を進めていく。
盗聴器を意識しているのだろうが、しかし傍から見れば極めて不審な言動である。
三原はその様子を冷や冷やしながら眺めていたが、やがてその思考は播磨の筆先に奪われていく事となった。
『D-06の禁止エリアを解除して、そこに殴り込んでゲームを止めさせる』
……禁止エリアの解除機能の事は、話していない。
そう心の中で確認し、三原は驚愕の眼差しを播磨に向けた。……何故彼がそれを知っているのか?
しかし、改めてノートパソコンの地図でD-06を見てみれば……異変に気付く。
何の名前も表示されていない赤点が3つ……3つしかないのだ。
初めてノートパソコンの地図を確認した時は4つだった。教師は全部で6人。播磨の話で刑部達が外に出ていたと分かっていたので残りは4つ。
……そして、黒点の数もまた、3つとなっていた。うち二つには種田と塀内の名前が付いているが、残り1つには何も書いてない。
「あー、ごめん。私もう朝ご飯食べちゃった」
「マジかよ」
声が上ずりそうになりながら三原は続けた。先程まで散々播磨を危なげに見ておいて何だが、彼女は平静を装う事の難しさに気付く。
『一つ点が黒くなってる。学校で誰か死んだのかな?』
『向こうで何かあったんじゃないか?』
『誰が死んだんだろう?』
教師達の区画であるD-06は、三原があまり注視していた場所ではない。
まして種田や塀内のすぐ近くに黒点が配置されていた為、そう簡単に気付ける物でもなかったのだ。
だが、誰か一人教師が死んでいるという表示は、三原に今までとは違う希望を与えようとしているのは間違いなかった。
教師達とて一枚岩ではなく、死者が出るような状態になっている――それは、圧倒的な戦力差すら忘れられそうな気にさえさせてくれる。
『でも、あそこにはたくさん兵士がいたよね? あの人達には勝てそうにないんだけど』
しかし、今の三原はそれ以上夢見る事はしない。僅かな希望に追い縋って打ち砕かれた彼女は播磨と違い、現実を追及する。
そう、教師達がどうなろうが、大勢存在する武装した兵士の存在は無視出来ないのだ。
『無理だよ。いくら禁止エリアで死なずに済むようにして攻撃したって、結局勝てないよ』
『じゃあこのまま俺達で殺し合うのと、このゲームを壊しに行くの、どっちがいいんだ?』
しばらく時間をかけて書かれた播磨の一文は、三原の心を今まで以上に揺さぶった。
自分達で殺し合うか、死ぬ公算が高くても教師達と戦うか……そんな事を聞かれ、今鳥や音篠は何を望むか。
それが三原に分からない筈がない。彼らが、それに他の皆がどちらの結末を望むか、そんな事は決まりきっている。
「……これじゃあ私達、皆死ぬかもしれないのにさ」
今鳥や音篠は、きっと教師達と戦う事を望むだろう。このままむざむざ仲間達で殺し合うより、僅かな希望に賭けるだろう。
そんな事をすれば三原に助かる見込みなどない。だが、彼らは三原にヒーローになれという。
そしてその道が、最も生存率が低そうなその策こそが、皮肉にも三原にとって一番精神的な負荷が少ないのだ。だが……
「……で、結局高野さんはどうするの?」
「できれば説得してえ。俺達に戦う以外にも道があるって事を示せば、もしかしたら気が変わるかもしれないだろ?」
「今更後戻り出来ない! って言ってくるかも知れないよ? てか、むしろそうだと思う」
「……でも俺は、やっぱりもう誰にも死んでほしくねえ……」
三原はすぐに播磨に賛同するつもりはなかった。
彼が人殺しである事実もあるし、結局教師達と戦うとして、具体的な作戦は何もないのだから。
何よりこうして目先の高野をどうするか聞いてみればこの通りだ。
結局彼の言動には具体性などない。ただ理想を振りかざしているままなのだ。
「……でもさ、実際に先生が死んでるって事や禁止エリア解除の話をしたら、少しは気が変わるかな……」
それでも口元を上ずらせ、三原は返答に困る播磨に支えの言葉を送る事にした。
彼の理想は、一方で今鳥達の願いでもある。自分の思考と板挟みとなった三原は、せめて自分に納得の行く理由を付けて肯定するのだ。
「だって、確かに先生が死んでるんだから!」
歪んだ笑顔。他者の死を平然と喜び語るそれは、もはや日頃見せていた三原の笑顔ではない。
全ての元凶だと憎んだ教師達だからこそ、今鳥達だってきっと許す事がない彼らの話題だからこそ、三原は笑う事が出来るのだ。
何より、圧倒的な力を盾に殺し合いを強いた教師達だ。そんな彼らの頭数が減ったともなれば、少なからず希望を抱かない筈が無い。
「な、なあ、三原……その先生の事なんだけどな」
三原が向けた笑顔に対し、播磨はどこか心苦しそうな表情で返した。
それが三原には解せなかったが、しかし彼女は言い放つ。
それは、彼女なりの播磨に対する協力の証の筈だった。
「それに、笹倉先生も死んだんだもんね!」
この時、確かに播磨の時が止まった。
一条と会った場所から体育館までは、さほど距離はなかった。
改めて一条がどれだけ遠くに行っていたのかと思いつつ、播磨は三原がいるであろう体育館を目指した。
辿り着いてみれば三原はノートパソコンの前に座り込んでおり、播磨もその横に座って見せた。
高野の位置を確認しつつ、三原に話しかける。……彼には、やるべき事が多すぎた。
高野の事。禁止エリア解除の事。そして……刑部の事。
播磨にとって一番難関だと予想していたのは、やはり刑部の事だった。
教師というだけで殆どの生徒が彼女を恨むだろうし、それは彼女と話をする前の自分ですらそうだったくらいだから尚更だ。
だからこそ播磨は慎重に他の話題に触れつつ、ある程度話が固まった所で打ち明けるつもりだった。
幸いナポレオンの話をきっかけに、三原は随分と協力的な態度を見せてくれた。
とはいえD-06に攻撃という話は刑部と笹倉の存在を隠して行ったため、どうしても具体性に欠ける物に聞こえた事だろう。
だが実際には銃器の扱いに長けた刑部に、車を持った笹倉がいる。
加えて三原の持つ豊富な武器弾薬。このゲームを壊すというのも、播磨の中では決して絵空事では無かった。
高野への説得だって、より信憑性が増す筈だった。……筈だったのだ。
「それに、笹倉先生も死んだんだもんね!」
ニコリというより、ニヤリというべきか。教師への恨みが露になった三原の笑顔を見ながら、播磨の心の中で何かにヒビが入った。
「な、何言ってんだ、三原?」
「ああ、そういえば播磨君にはまだ言ってなかったね。沢近さん、死ぬ前にメールをくれたんだ。
写真付きでね! あの人、最後の最後で頑張ったんだよ!」
三原は嬉しそうにノートパソコンを操作し、メール画面を開いて見せた。
一通のメールと、その添付ファイルを開く。そこには……赤々と燃え上がる、乗用車のような物が映っていた。
「なっ……!?」
「これさ、沢近さんが高野さんと戦おうとした時に、笹倉先生が突然来たんだって。
で、沢近さんが撃退して、逃げ出した笹倉先生は事故ってそのまま死んじゃったんだって!
……そうだよね、私達だって頑張れば、もしかしたら本当に……」
「お、お前……ふざけんな!」
播磨は三原の高笑いを制止し……いや、胸倉を掴み強引に止めた。
瞬間三原は顔を引き攣らせ、悲鳴を上げる。だが播磨はそれに構わず、荒々しく呼気を吐きかけながら叫んだ。
笹倉は少し外に出ただけの筈なのだと、そう心のどこかで信じながら。
「ふざけんな! 葉子さんはな、俺達の味方だったんだぞ! 俺達を助けようとしてくれてたんだぞ!」
「……は?」
播磨の口から出た小粒の唾が三原の頬に付く。三原は播磨に怯えながら、しかし徐々に怒りでその顔を染めている。
「葉子さんも、絃子も、俺達を助けようとしてたんだぞ! あの二人はもうこのゲームをやらせる気は無かったんだよ!」
「な、何バカな事言ってるの!? ……ああ、そういえば刑部先生はどうなったんだろうね? 沢近さん、笹倉先生の事しか書いてな――」
「何言ってんだ! 絃子は妹さんを埋めるのを手伝ってくれてたんだよ! 葉子さんはな、きっとその間にお嬢達を止めようと――」
「そっちこそ何言ってるのよ! 相手は先生よ!? 私達をこんな目にあわせた奴らじゃん!
笹倉先生は私達の目の前で種田さんや塀内さんを殺したんだよ! 刑部先生だって、放送でメチャクチャ言ってたのに!」
「それは仕方なくだったんだよ! あいつらだってやりたくてやってたんじゃねーんだよ!」
「バカじゃないの!? そんな事ある訳ないじゃん!」
激昂した三原が播磨の腕を払い、立ち上がって距離を取った。
彼女はUZIを握り締めている。それに対し播磨も立ち上がるが、しかしその手には、足元にいくつもある銃を持たせなかった。
ここで銃を持てば、三原に最悪の誤解を与えかねない。三原が急激に態度を硬化させた中で、それが播磨の取れる最良の選択だった。
「……そうよ、播磨君は先生達に騙されてるんじゃない? だってそうでしょ? ナポレオンだって、きっと笹倉先生が殺したんだよ」
「そんな訳ないだろ! 葉子さんも絃子さんも、んな事するはずないだろうが!」
「じゃあ誰が殺すって言うのよ! あんな子豚を食べようって人がうちのクラスにいる!?
わざわざ焼却炉に閉じ込めて殺すような奴がいるの!? いる訳ないじゃん!」
「それは葉子さんも絃子も同じだろ!」
「違うわよ! ナポレオンの背中には、田中君が殺し合いをやめろってメッセージを書いてたのよ!
……そうよ、だから先生達はナポレオンを焼却炉に閉じ込めたのよ。ナポレオンがいるとゲームの邪魔になるかもしれないから!」
「違う! 葉子さんも絃子もそんな気は全然無い!」
「じゃあ、うちのクラスの誰がナポレオンをこんな目に遭わせるっていうの!?
もし殺し合いをやってた奴だって、わざわざ虐めて焼却炉に閉じ込めたりする!? そんな事する奴がいるはずないじゃん!
ナポレオンが他の人の目に付かないようにしたい奴なんて、私達に殺し合いをさせたい先生達だけなんだよ!」
もはや三原は完全に冷静さを欠いていた。……しかし、播磨も最早そうなる一歩手前である。
それを踏みとどまる事が出来たのも、かつて沢近と対峙した時の経験のお陰だ。
あの時のように互いに冷静さを欠いて口論を続ければ、その間にどれだけの悲劇が起こるか分からない。
だから、播磨までここで怒ってはいけないのだ。それこそが、彼が誰よりも愛した少女も望んでいる事だと信じて。
「……まあ、待ってよ播磨君。それで何、要するに刑部先生と会ったの?」
どうやら三原も同じ事を……冷静にならねばと考えてくれたのだろうか。
一息つき、そう聞いてきた。これ幸いとばかりに播磨は口を開く。
三原がクールダウンしかけた今こそ、彼女を落ち着かせ、刑部の事を説得するチャンスなのだ。
「ああ、俺達が妹さんを埋めに行ってすぐ、絃子達に会ったんだ。
二人はもうこのゲームに協力する気はないってはっきり言っていた。で、妹さんの埋葬も手伝ってくれた……イチさんのケガの手当てもな」
「そう……で、その刑部先生はどこにいるの?」
「今は妹さんを埋めた場所の近くにいるはずだ。イチさんが迎えに行ってくれてる」
「ふーん……なるほど、禁止エリア解除の事は刑部先生に聞いて知ってたんだ」
「ああ」
予想以上に三原の呼吸のリズムは平常時のそれに近付いていく。それを見て播磨は僅かに緊張から開放された。
下手をすれば一触即発だったほんの少し前の状態を思えば、随分な進歩である。
「そう。でも待ってよ……刑部先生は、そもそもフラッシュメモリの事を高野さんに言われてこっちに来たんでしょ?」
「ああ」
「……それで偽物をしっかり使わせるように、わざと島に出て私達を驚かせて急かしたんだ」
「……へ?」
三原の目は冷たいままだったが、それでも呼吸は落ち着いている。にも関わらず、彼女の言動は播磨の期待した内容から離れ始めた。
「ナポレオンを閉じ込めて、フラッシュメモリを使わせて、そして今度は播磨君達を動かして……」
「お、おい待て三原! だから、絃子達はフラッシュメモリの事は知らなかったんだよ! それに間に合わなかったんだよ!」
「間に合わない? 車だって持ってたっていうのに? 歩きの私達に追いつけなかったんだ!?
それに知らなかったって何よ? ご丁寧に『おめでとう』なんてメッセージまで用意しておいてさ!」
……播磨は気付いた。三原は確かに落ち着いたが、それも揺るぎない教師達への不信感……いや、憎悪がある上でなのだ。
今も彼女の言動の隅々から、刑部達への怒りが伝わってくる。
「待て三原! 絃子達は本当に知らなかったんだ! 聞いてくれ、このゲームの本当の敵は……」
「先生は私達にもっと殺し合わせたかっただけなんでしょ! あいつら、最初からそれが目的なのよ!」
「ち、違う! 絃子はそんな奴じゃねえ!」
「何よ、何でそんなに必死に庇うのよ……どう考えたってあいつらが敵じゃない! 放送で何言ってたかも忘れたの!?
それに、さっきから馴れ馴れしく刑部先生の事呼んで……あんた、本格的に騙されてるんじゃないの!?」
「違う! 絃子は俺の従姉弟なんだよ!」
播磨は真っ当な事実を述べただけだが、そこで三原の動きが止まった。
むしろ、時間が止まったというべきか。今までの男女の口喧嘩で騒がしかった体育館が、嘘のように静まり返る。
……が、たちまちのうちに響いた無数の銃声が、その静寂を台無しにした。
「……俺の絃子、ね……あんた、完全に刑部先生の犬じゃん……」
右手にUZIを撃った余韻を残しつつ、三原は眼前に横たわった播磨を見下ろしていた。
元々赤黒く染まっていた彼の制服に、再び鮮血が染み渡る。最も、それは胸や腹、腕から吹き出た彼自身の血であるが。
「……で、今度は禁止エリア解除を使って私達をおびき出そうとしたんだ?
それとも解除機能自体が罠? 地図の上では消えても、実際には消えてないとか?」
「ち、が……み、はら……」
「……それにさ、何が俺の絃子よ……あんた、天満ちゃんが好きだったんじゃなかったの!?
何が俺の絃子よ! これじゃ、八雲ちゃんはどうなるっていうのよ……あんたの事が好きだったのに、この仕打ちは何よ!?」
「ま、て……ちが……」
全身のあちこちが断末魔を上げる。どんな喧嘩でも経験した事の無い激痛が、たちまち彼を焼き尽くす。
播磨の視界はやがて閉ざされ、こちらを見下ろしていた三原は愚か、床を見る事すらままなくなっていった。
確実不可避の死。しかし彼がその残された僅かな時間で考えたのは、たった一人の少女の事だった。
――天満ちゃん、俺はどうすれば良かったんだ? 天満ちゃんは、皆に生きて欲しかったんだよな。
――でも、ここで三原を殺すべきだったのか? あとで高野を殺すべきだったのか?
――血で汚れて、皆死んで、その後で漫画を描き続けるべきだったのか?
――なあ、天満ちゃん……俺は間違ってたのか?
砺波のメモを通じて想像できた、塚本天満の願い……しかしそれを貫こうとした播磨は、全身に銃弾を受ける事となった。
やがて意識すらも朦朧としだした彼は、もはや彼の中の天満への問いかけすらままならない。
だが、それでも天満の姿形だけは揺らがない。
彼が誰よりも好きだった少女の姿は、他の全ての世界が歪み始めても変わらない。
そんな中、彼の中の天満が播磨を真正面から見据える。その表情は、何度も彼が天満を想った時に出てきた、最高の笑顔。
(播磨君、今までよく頑張ったね!)
「てん、ま……ちゃ……」
最後の力で最愛の天満の名を呼び、播磨は全ての意識を手放した。
全身至るところを血で染めた播磨はしかし、その表情だけは穏やかに逝った。
まただった。信じようとしたら、すがろうとしたら、やっぱり罠だった。
三原は足元に転がった播磨の亡骸を見下げ、UZIを足元に下ろした。
播磨は完全に刑部に騙されていた。更なる地獄に自分達を落とそうという教師達の罠に、完全にかかっていた。
全員を助けたい……彼のその思いに偽りはなかったのだろう。そこで刑部に禁止エリア解除の話を持ちかけられ、乗ってしまったのだろう。
それだけならばよかった。だがその挙句の「俺の絃子」発言である。
……刑部に誑かされて禁止エリア解除を決心したと言わんばかりのその発言は、『塚本八雲の親友』を自称する、三原の逆鱗に触れる事となった。
三原は、八雲が播磨を好きだった事を知っていた。
だが、その播磨は八雲の姉の天満が好きだった。だからこそ八雲は自分の想いを抑えていたのに。
八雲は、播磨が好きだった沢近の勘違いぶりに不満も抱いていた。同じ高校生、同じ女の子……三原とて、八雲の気持ちに共感出来ない筈がない。
まして八雲は親友だ。一番辛かった時に、お互いに支えあった最高の友達だった。
だからこそ、三原は播磨が許せなかった。このゲームを壊すという餌がセットだったとはいえ、刑部にむざむざ誑かされたこの男が。
それは、三原だけではない。死んでしまった八雲や天満……そう、まさに三原がその存在を利用しようとした塚本姉妹への明白な裏切りだったのだから。
「八雲ちゃん、あんな男はもう死んだわ。だからこれで悲しまないでね……」
自ら担ぎ上げた、親友である少女の為に正義の裁きを下した。形こそ全く想定外だが、図らずとも三原の当初の予定通りの展開ではある。
教師達の本拠地に攻め入るなど、考えても見れば無謀極まりない事だ。
すでに時間的には現在地のG-03の北側・F-03が禁止エリアとして成立してしまっている。
F-03とG-04間の僅かな隙間を通るとして、もし禁止エリアに触れてもすぐに首輪が爆発しないならいいが、そうである保障はない。
もしも禁止エリアに触れた瞬間爆発してしまうなら……そんな危険極まりない事にトライする気になどなれる筈はないのだから。
――だから、教師達の居場所に攻め入るのという播磨の策は、教師達の罠。
播磨が死んだ事で多少は落ち着きを取り戻した三原は、そう考えて自分を納得させようとしていた。
……だが、今鳥達はどうだろう。
生徒同士で殺し合うか、それとも一矢報いるか……彼らがどちらの道を望むかは、三原にはとっくに見当が付いていた。
「でも、仕方がないじゃない……もう遅すぎたのよ! 今更どうにも出来なかったのよ!」
聴き手が事切れた播磨だけとなった体育館に、三原の声が響き渡った。
自然と声が発せられる彼女の心理状況は、とても正常状態からは程遠い物である。
彼女自身気付いてはいないが、播磨を殺した動揺は、全く収まってはいないのだ。
「だって、今からじゃ別の場所に行く事だって無理なのよ……どうしようもないんだよ……」
どうしようもない。そう三原がいくら主張しても、しかし彼女の中で今鳥達の表情は変わらない。
今鳥も、音篠も、ララも、サラも、田中も、花井も、奈良も、結城も、天満も、八雲も、そしてナポレオンさえも……
三原の中に集まってきた大切な人達。だが彼らは皆、一様に暗い表情だ。
笑顔が似合いそうな者ばかりなのに、誰も決して笑ってはくれない。
「何でよ……先生が用意した罠なんだよ!? そんなのに乗せられたって、また八雲ちゃんみたいに誰かが死ぬんだよ!? ねえっ!?
……そうだよ……まずは刑部先生を殺さなきゃ。騙されてるんなら、一条さんだって……それに、もちろん高野さんも……ね?」
その言葉に具体性などない。いつぞや播磨を見て抱いた感想が、そっくり自分にぶつけられる。
だが、三原はそれに目を瞑るしかなかった。もうこの場には、温もりを失う一途の播磨の遺体しかないのだから。
誰も応えてくれない。誰も助けてくれない。三原はまるで、ナポレオンを見た後に戻ったような気分になっていた。
ただ、この先自分が何をしても、今鳥も音篠も、八雲も天満も……もう誰も笑ってはくれない気がした。
森の中を小走りに進んでいた二人の女と一匹の猫は、道中確かに銃声を聞いた。
その先には分校跡。そう、その先には三原と、彼女を追った播磨がいるはずの場所だ。
「……高野君か? それとも……」
一条より前を走る刑部は拳銃を抜いて携えた。
銃声から察するにすぐ近くという訳ではないが、かといってそう遠いものでもない。
だが撃ったのが高野にしろ、三原にしろ、可能性は限りなく低いが播磨にしろ、刑部にとって好ましい状況ではないのだ。
「一条君、君は薬がまだ効いている。動きも頭の回転も万全じゃないから、出来るだけ控え目に行動してくれ」
「は……はい」
一条とは、播磨と別れてしばらくしてから再会していた。
それまで刑部はただ休んでいたのではなく、メモ紙に播磨に話した時と同じように、黒幕の事や禁止エリア解除の事を書き記していた。
万が一自分が死んでも、生徒達がこのゲームから助かる僅かな希望を残す為だ。
実際に一条はこのメモを受け取り、きちんと読んでくれた。
あとは一条の希望で彼女が持つナポレオンを一旦八雲の埋葬場所傍まで持って行き、そこに安置した。
ついでに一条にスコップを持たせ、最低限の自衛の手段も与えておく。……それが振るわれる相手が、他の生徒達にならないよう信じて。
ナポレオンは可能なら埋葬したかったが、播磨が単身三原の元に向かうというリスクを考えれば、これが精一杯の弔いだった。
刑部とてナポレオンの世話をした事はある。辛い気持ちはあったが、八雲と仲良く……との身勝手な想いを託し、彼女は走ってきたのだ。
だが、現に銃声は鳴り響いた。
刑部は早くも自分の行動に後悔の念を抱きかけながら、それでも一条と共に走り出す。
どうか、放たれた銃弾が誰の体も貫いていませんように――
これまで何人、いや何十人と血を流したこの島で、奇跡などありえないこの島で、それでも刑部は祈った。
……祈る事しか、出来なかった。
銃声を聞いたのは刑部達だけではない。
狙撃銃のスコープを用い慎重に前進を続けていた高野も、気付けば分校跡のすぐ近くまで到達していた。
その表情は涼しげではない。午前7時にF-03が禁止エリアになるという事もあり、慎重に急ぐという疲労が避けられない行軍を強いられていたのだ。
しかしこのように銃声が聞こえては、高野はたちまち表情を引き締め、臨戦態勢を取る。
拳銃、スタンガン、狙撃銃……武器はあるが近距離か遠距離かという極端な武装しかない彼女にとって、これから先の戦いは決して楽な物ではない。
だが、高野とてもはや退路は絶たれた。刑部の存在を含め、危険が多いであろうこの先も、戦わなければならないのだ。
「播磨君に一条さん……八雲や愛理の死を知って、何か変わったかしら? それに三原さん――あの人はどう動くんだろう」
何にせよ、もはや小細工を仕掛けられる相手はいそうにない。
それでも彼女は揺るがない。全員を殺し、全てを覚えておく為に。
朝日は随分と昇り、清々しい青空が広がり始めていた。
この二度目の青空を享受できたのは、もうたったの4人しかいない。
【午前:7〜8時】
【三原梢】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館内】
[状態]:疲労、かなりの精神不安定。左掌に銃創(応急処置済み)、返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(食料4、水5)、UZI/弾数45発、エチケットブラシ(鏡付き)、ドジビロンストラップ
ベレッタM92/弾数16発、vz64スコーピオン/弾数20発、9ミリ弾142発 シグ・ザウエルP226/弾数14発
ノートパソコン(バッテリー、フラッシュメモリ付き)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)
[行動方針]:私、これでいいんだよね? ねえ!?
[最終方針]:天満や八雲の名の下に全員を利用して優勝…するしかないんだよね!?
[備考] :自称『塚本八雲の親友』。教師らを激しく憎悪。高野を危険人物と認識
【一条かれん】
【現在位置:G-03北部】
[状態]:肩を負傷(止血)、警戒態勢。
[道具]:支給品一式(食料5)、スコップ、東郷のメモ、刑部のメモ
[行動方針]:播磨、三原の元へ行く
[最終方針]:自分の正義を信じる。
[備考]:何をすればいいのかよくわかってませんが、なにかをしなければと思っています。活力が戻りました。
刑部のメモを通じ管理側のことについて色々把握しています。
【刑部絃子】
【現在位置: G-03北部】
[状態]:疲労大、両手の皮が剥けてかなりの痛み。警戒態勢。
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
暗視ゴーグル、ヘッドライト、セキュリティウェア
[行動方針]:播磨、三原の元へ行く。播磨を心配。
[最終方針]:反主催
[備考] :高野を危険人物と認識。三原を警戒。笹倉についてはもしかしてもう……と思っています
【高野晶】
【現在位置:G-03北部】
[状態]:疲労(中)。警戒態勢。
[道具]:支給品一式(食料13、水4)、ドラグノフ狙撃銃/弾数8発、デザートイーグル/弾数1発、スタンガン(残り使用回数2回)
雑誌(ヤングジンガマ)、殺虫スプレー(450ml)、ロウソク×3、マッチ一箱、インカム一組、携帯電話(残量約1/5)
[行動方針]:銃声の聞こえた元へ向かう(刑部と遭遇する可能性も考慮)
[最終方針]:全員を殺し、全てを忘れない。反主催の妨害。教師達にも罰を与える。ゲームの目的を知りたがっています。
【播磨拳児:死亡】
――残り3名
※播磨の荷物(下記)は本人の遺体近くにあります。
支給品一式(食料4,水2)、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ)、さくらんぼメモ、烏丸のマンガ
※ナポレオンの遺骸は八雲の埋葬場所傍に安置されています。
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