そして舞台は終焉へ






 目の前には穴があった。
 浅くもなく、かといって深くもない。
 それでもその穴には人が一人きっちりと納まっていた。
 首の損壊具合を除けば、とても美しい少女である。
 瞳を閉じ、身体を祈るように折りたたんでいるからか、その表情はどことなく穏やかにも見える。
「拳児君が初めて君をウチに連れてきた時、本当にびっくりしたものだよ。
 あの馬鹿にもったいない友人ができたと……そう思っていたんだけどね」
 眼下の美少女は、何も答えない。答えられない。
 小さく溜息をつき、刑部はその場に腰を下ろす。
 彼女には、徐々に明るくなる周りの景色がやけに煩わしく思えた。
 夜通し飲んだ後に仕事に向かう日の朝の方が、今よりも数百倍気分がいい、と。
「……遅いな、葉子」
 こんな時、いつも一緒に職場に向かう親友がいたら幾許か気も紛れたかもしれない。
 しかしその親友はこの場を離れてから、ずいぶんと長い間戻ってきていない。
 様子を見に行こうと思ったことは何度かあったのも事実だ。
 けれども、救えなかった少女を独り置いていくことはできなかった。
 例えそれが既に動かなくなったものであったとしても、だ。
「少し感傷的過ぎるかな? 葉子に言わせれば、これもまた『私らしくない』のかもしれんな。
 いや、もしかしたらこれが『私らしい』のかもしれん。どう思うかな、君は」
 そう問いかけても、当然のことながら八雲の唇は動いてはくれない。
「……疲れているのかな、私は」
 自嘲気味に笑い、軽く首を振る。眉間を指先で押さえ、ゆっくりと揉み解した。
 疑うまでもない、疲れているのだ。肉体的にも、精神的にも。
 かつてないほど消耗し、それは自覚できる程に深刻。
 しかしそうなることは、姉ヶ崎に棄て台詞を吐き、通信機を叩き壊した時点で予想していた。
 元々この戦いは、圧倒的不利な状態からのスタート。
 救いがほぼ皆無だとわかっていて、それでも自らこの道を選んだ。
 今更引くことはできないし、引くつもりもない。前に進むしかないのだ。
 横は親友が支えてくれるはずだろうし。……後ろには、いつまでたっても頼りない従姉弟がいるから。

 立ち上がり八雲から離れて、傍で寝息をたてている播磨の下へと向かう。
 いつも通りの、まるで無防備な寝顔だ。子供の頃から変わらない。
 今の状況下でこんな顔をできる播磨が羨ましくもあり、こんな顔を引き出したのであろう八雲の存在がありがたくもあった。
「……まったくコイツは、馬鹿みたいにだらしない顔しおって」
 傍らでしゃがみこみ、鼻をつまむ。
 播磨は少しだけ顔をしかめたが、それでも一向に起きる気配はない。
 少し考えてから、播磨の右手を掴み、それを彼の口へと押し当てる。
 ……徐々に、播磨の顔が紅く染まっていった。
 十秒、二十秒と経ち……、三十秒と少しが経過した時点で播磨はカッと目を開き、バネ仕掛けの人形のように上半身だけ起き上がった。
「ぶふぉあっ!? がはっ! ぐぅぇぼふ!?」
 咳き込み、涙目でバタつく播磨を刑部は黙って見つめる。
 なるべく無表情を装いながら、けれども口元の笑いだけは抑えることができなくて。
 まるで普段通りだと、刑部はそう思わざるをえなかった。
「起きたか、この居候」
「て、テメェこのやろ……ゲホッ、ケホ。な、何しやがる! 死ぬところだったぞ!」
「安心しろ。私だって程度はわきまえている。今回、君の鼻と口を押さえていた時間はたった三十二秒。人間ってのは、そう簡単に死ぬようにはできてない」
「そういう問題じゃねぇだろうが! ……ったく、調子狂うぜ」
 鼻と涎を服の袖で拭いながら、播磨は不満げな顔で呟いた。
 しかし、その瞳に闇は落ちていない。
 睡眠が彼の精神状態を回復したのか、それとも八雲の存在が彼を癒したのか。
 どちらでもいいと思った。結果さえよければ、その過程など、どうでも。
「君が何時までもグースカと眠っているからだ。止まっていても、何も解決はしない。
 何かしなくてはいけないのは……君が一番よくわかっているだろう?」
「俺は……」
 咳き込みは治まったが涙目のままで、播磨は辺りを見回した。
 離れた場所にある穴を見つけ、改めて、刑部に向きなおす。
「……俺が寝てる間に、やってくれたのか」
「ああ、葉子とな。今はちょっと外しているが、すぐに戻ってくる」
 播磨は、八雲の下へと歩いていった。
 八雲の傍らに座り込み、じっと彼女の顔を見つめる播磨の姿に、先程までの絶望の色は見られない。
 じっと、何かを堪えているような顔。
「感傷に浸っている時間などないぞ?」
「……そうだな」
 そして、流れる沈黙。
 互いに言うべき言葉が見つからない。
 そんな時であった。二人の間に割って入るように、七回目の放送が流れたのは--

  ※   ※   ※   ※   ※

  「……やっぱり、止めるべきだったんだ。クソッ! 俺が止められなかったから……」
 拳を強く握りしめながら、播磨は自分自身を責める言葉を吐いた。これで何人目なのか、と。
 刑部は、播磨を責めることができなかった。
 その資格は、自分にはないのだとわかっていたから。
「……過ぎたことは、考えるな」
 無理なことを言っていると、刑部は自身でも気付いていた。
 けれども、それ以上に今の状況でかけるべき適当な言葉を、刑部は知らなかった。
 立ち止まれば、追い付かれる。他人の持つ闇に。そして、自身の闇に。
「でもよぉ!」
「何をすべきだったかじゃない。今、何をすべきかを考えろ。君はまたこの娘に情けない姿を晒すつもりかい?」
 播磨の瞳を睨みつけたまま、墓に横たわった八雲を指さす。
 播磨は一瞬黙り、静かに拳を解いた。
「君が己の無力を自覚するのは構わない。しかし、怒りで目を曇らせるな。事実を事実として受け入れろ」
「……俺には、何もできねぇってことをか?」
「そうじゃない。何もできなかったということだ。これからは、何かできるかもしれない。
 いや、何かしようとしなければいけない」
「諦めるな、ってことかよ」
「そうだ」
「……簡単に、言いやがって」
「私も君に付き合う。考えろ。……死ぬ瞬間までずっとな」
「……ちっ」
 播磨は立ち上がり、刑部の横を通りすぎゆっくりと歩いていく。
「どこへ行く」
「……一条を、起こさなきゃなんねぇ。見送りは多いほうが、妹さんも喜ぶだろ」
「そうか。……そうだな」
 播磨が立ち直れたのか否か、刑部にはわからなかった。
 けれど、どちらであろうとすることは一つだ。そのためには、歩き続けるしかない。
 刑部は、播磨の後ろを少し離れながら付いて行った。
 彼の背中が、いつもより少しだけ小さく見える。
「……まだまだ、ガキか」
 不意に出た自分の言葉が、播磨に向けられたものなのか。それとも、自分自身に向けたものなのか。
 刑部は、考えながら歩き続けた。
 二人の後ろには、いつの間にか黒い猫が付き従っている。
 その猫は穴の中の少女を一瞥し、それから、播磨の方へと駆けていった。

  ※   ※   ※   ※   ※

 放送が流れ終わった後、三原は床に寝転がっていた。
 パソコンの画面が煌々と彼女の横顔を照らしていたが、それとは関係なしに目に入る光が眩しさを感じさせる。
 夜明けが来たことを示していた。陽の光が、窓から射し込む。
 奇妙な笑いが、三原の顔には張り付いていた。喜びなのか、それとも何かが可笑しいのか。
 そのどちらとも取れないようないびつな笑顔が、変わることなくこびりついている。
「……これで播磨君も、高野さんを仲間にするとか馬鹿なこと言わないでしょ」
 ごろり、と横に転がる。
 目の前の床が赤黒く染まっていた。手を伸ばすと、指にぬめりとした感触が伝わる。
「これでもう、望みは絶たれた、か。かわいそうな播磨君。今頃、また後悔でもしてるのかな」
 その指を目の前に持っていき、眺める。
 暖かさは、もうない。八雲の体内から流れ出たそれは、今ではただの粘性の液体--その大半はすでに固形化していたが--に変化していた。
 全てが、変わっていた。
 八雲と出遭った時にはまだ自分の中にあったものが。
 八雲と出遭った時に彼女が与えてくれたものが。
 変質し、別の何かに姿を変えてしまった。もう、二度と元には戻らない。
「八雲ちゃんが死んで、沢近さんは高野さんに殺されて。……しょうがないよね。やっぱり、しょうがないよね」
 三原はそう呟いて、クククッ、とくぐもった笑い声をあげる。
「だってもう殺し合うしかないんだもの。それ以外の選択肢は残っていないんだもの」
 今の播磨なら、それを否定しないだろう。
 そう思い、三原は機嫌よさそうに笑い続けた。
 播磨が説得に失敗した高野を、沢近もまた説得できなかった。今の播磨は、自分の--否、塚本姉妹の亡霊の--言いなりだ。
 ならば、次に彼を高野の下に差し向けるのは簡単。そうすれば、自分の勝利は確実。
 三原は散らばった首輪の破片を、さも愛おしげに眺めながら語りかける。
「……ねぇ、八雲ちゃん? 私、生き残っていいよね?」
 ここまで辛いことばかり経験してきたのだから、これで救いがないなんて嘘だ。
 三原はそう自分自身に言い聞かせ、そして、その許しを八雲に求めた。
「アナタの大事な人は、すぐそっちに行くと思うし。……ううん、すぐそっちに送ってあげるから」
 その方が、きっと八雲が喜ぶだろうと思って。三原は起き上がり、荷物の整理を始めた。
 いつでも檄鉄をおこし、自分の目的を果たせるように。
 これは、復讐なのだ。
 大事なものを奪い続けた世界から、今度はこちらが奪いつくすための。
 大切な人の手によって命を奪われた八雲の為、という大義名分も三原の決意を固めていた。
 UZIは、彼女にそれを可能にする。

 この時、三原は忘れていた。
 かつてそのUZIによって命を奪われた少女がいたことを。
 その少女は--大切な人に命を奪われた少女は、その大切な人のことを微塵も恨んではいなかった。
 自分を犠牲にしたとしても、大切な誰かを守りたい。
 そんなサラと同じ想いを、今の三原は抱くことが出来なくて。
「悪い人には、罰を与えなきゃね」
 だから三原は、銃を手に取る。これで切り開ける道があると信じて。
 例えそれが裏切りの行為であっても、裏切られるよりもマシだと思ったから。
 うっとりとした表情でUZIを眺める三原の後ろで、ノートパソコンが静かに音を立てる。
 それは、高野からのメールの到来を告げる電子音に他ならなかった。

   ※   ※   ※   ※   ※

「……さて、行こうか」
 放送を聞き終えメールを送信し終わった高野は立ち上がり、三十分以上過ごしたその場所を立ち去ろうとしていた。
 携帯のログはすでに見終わっている。
 ドラグノフのスコープで、周囲には誰の気配がないことも確認した。
 赤外線スコープでの確認だ。生命活動を停止させていない限り、隠れおおせることは不可能だろう。
 かなりの遠距離から双眼鏡を使っての監視がある可能性も考えられなくはないが、
 その場合はこちらに危害を加えることなど不可能であるだろうからどちらにせよ気にする必要はない。
 沢近を手駒にするという手段は、インカムからの連絡がきた時点で早々に諦めていた。
 そして、現に彼女を殺した。
 後はもう、残りの三人を殺すだけ。真正面からか、それともだまし討ちか。
 選択肢はそんな狭い範囲でしかない。
 結局は、こんな単純な力比べに頼るしかないのか。
 このゲームが始まってから人を騙し続け、殺し合いを有利に進めているつもりだった彼女は自らの不甲斐無さに笑うしかなかった。
「最後は正攻法、ってことか。まぁ、なんとなく覚悟はしていたけどね。もう少し楽をしたかったかも」
 主力装備は、やはりドラグノフ。効果的な戦術は、待ち伏せ。
 建物の中に隠れて、近づいてきた者を撃ち殺す。
 それが最も確実で、自らの危険を最低限に抑える戦術だ。
 けれども、それでは一人しか殺せない。
 高野は射撃のプロではないし、射撃の的はずっと止まっていてくれるわけじゃないから。
 それに詳しい位置ではなくとも、向こう側にあるパソコンでは大体の位置をつかめるのだ。
 相手は三人。それら全てを殺すには、自らも危険を冒さないわけには行かない。
「……メールを見たら、播磨君はどんな顔をするのかしらね」
 『そちらに向かう』と、その趣旨のメールを送っておいた。
 殺し合いに身を投じた自分を、それでも救うと言ってみせた男。
 雪野が命をかけたことで、結果的に生きながらえた男。
 そんな彼は、新たな犠牲者に何を思うのか。
 少しだけ興味が湧いた。けれども、それ以上は何もない。
 このゲームの目的もそうだ。
 八雲が死んだ。彼女はこのゲームの目的とは関係のない可能性が増した。
 だったら、本当の目的とはなんなのか。
 他の事をしがらも常に頭の片隅ではそのことを考えているが、実際にそれを探るために何をしようとするのでもない。
 ……結局は、何も思い通りに進んでいないから。
「もう少しで、全てが終る」
 余裕があるように振舞っても、心の隅には常に不安が巣食っている。
 後悔ではない。ただ、漠然とした不安。
 今まで選んできた道は、自分で選んだ道なのか。それとも、迷い込んだ道なのか。
 クラスメイトを殺し、クラスメイトから逃げ、クラスメイトを騙し、クラスメイトを陥れ、そして……親友を手にかけた。
 自分で選んだ道のはずだった。けれども、どうにもすっきりしない。
 自分の思い描いていたものは、もっと別のものであったという気がどうしてもしてしまう。
「何も邪魔になるものはない。誰も邪魔に入らない」
 もう十分に、このクラスは壊れた。
 それが望みだったはずで、それを最後までやり遂げるはずだった。
 しかし、やはり何かが足りない。どうしてもすっきりしない。
 苛立ちを抑えながら、高野は歩き続ける。

   空にはやはり、凧は浮かんでいなかった。

   ※   ※   ※   ※   ※

「一条?」
 播磨と刑部が着いた時、一条は茫然と立ち尽くしていた。
 二人を視認しても、その場から動こうとはしない。
「聞いたのかい。放送を」
「……はい」
 静かにそう答え、一条はそれでもなお動かなかった。
 その瞳に力はない。どこを見るでもなく、ただ空に向けられていた。
「そういうことだ。高野君は説得に応じなかった。
 いずれ、あいまみえる時がくるだろう。……どうすべきか、これから考えなければならない」
「……はい」
「一条? お前、大丈夫か?」
「……はい」
 一条は、ただ機械的に返事を続けるだけだった。
 播磨がいぶかしげな表情を浮かべるなか、刑部は冷静に事態を見つめていた。
 痛み止めの副作用なのだろう。一条は、少し意識がおぼろげのようだった。
 そんなことを思いながらも、刑部は一条に語りかけ続ける。
「八雲君を埋葬する準備が整った。……できれば、君にも来て欲しい。
 ほんの数十歩の距離だ。来て、くれるね?」
「……八雲、ちゃん?」
「ああ、そうだ」
 一条の足元に、伊織が擦り寄る。
 そこで一条は初めてその身体を動かし--しゃがみこんで、伊織の頭を撫でた。
「笹倉先生は、今どこに?」
「……少しだけ席を外していてね。なに、すぐに戻ってくるだろう」
「そうですか」
 一条は伊織を持ち上げ、その顔を覗きこみ語りかけた。
「一緒に、行こうか」
 腕の中に伊織を抱き、一条はゆっくりと立ち上がった。
「八雲ちゃんは、どっちに?」
「ああ……、こっちだ。ついておいで」
 今度は刑部が先頭に立って、その後を播磨と一条がついてくる形となった。
 伊織の鳴く声が、ここにきてやけにうるさくなる。
 主人との別れの時を予感しているのかもしれない。だとしたら、たいそう賢い猫ということになる。
 刑部はぼんやりと、そんな他愛もないことを思った。
 猫にも、悲しみや寂しさといった感情があるのかもしれない。
 だとしたら、ずいぶんと酷なことだろう。
 本当なら、人間の方が猫よりも寿命が長い。誰かを残して死ぬ猫に比べて、誰かに先立たれる猫のなんと少ないことか。
 伊織は、その猫の中の一匹ということになる。
 刑部は、伊織のことを猫といえども少しだけ哀れなものに思えてしまった。
「ほら、あそこに八雲君が……」
 言い終わる前に、一条は八雲の下に駆け寄り、しゃがみこむ。
 慌てて、播磨がその後についていく。
 刑部はそんな二人の様子を後ろから見守っていた。
 最初に口を開いたのは、一条の方だった。
「……死んでしまったんですね、八雲ちゃん」
「ああ、そうだ」
「……殺しちゃったんですよね、私達」
「いや、俺が」
「ううん、私達ですよ。私達が、殺しちゃったんです。……そうです、私も」
 播磨の言葉を受け入れず、一条は独り呟き続けた。
 放っておけば、このまま消えてしまいそうに見えて。
 刑部はそっと一条の背後に立ち、その肩に手を置いた。
「一条君。君は……」

「夢を、見たんです」
「夢?」
 振り向くこともせず、一条は語り始める。
「嵯峨野と、今鳥さんが死んだ時です。夢の中に二人が出てきました。
 二人とも、私に死ぬなって。そう、言ってくれました。
 だから私……生き残ろうとした。何があっても。何を犠牲にしても」
「こんな状況だったんだ。そう思うのも、無理はない」
「私も、そう思っていました。私は悪くない。殺しあっている皆が悪いんだって。でも……」
 肩に置いた手に、一条の震えが伝わる。
 刑部が気づくと、隣には播磨が立っていた。やはりその手は、一条の肩に置かれている。
「……でも、結局何もできないまま銃さえ失ってしまって。
 殺されるんだと思いました。それが、当然の報いなのかもしれないと。
 力がないのなら、全てを失ったのならそれもいいかなって、そう思ってしまいました。
 けれど、雪野さんは違ったんです」
 自らの命を顧みず、希望の糸を繋ごうとした少女のことを刑部は思い出した。
「彼女は最後の最後で生きようとしていた。人として、あるべき姿であろうとしていた。
 今考えると、あれが生きるということなのかもしれません。
 私がしていたのは……生きながらえることでしかなかった」
 一条の台詞が、刑部の意識に染み渡った。
 ただ生きながらえることが罪というなら、それは自分にだってあてはまる。
「八雲ちゃんに再会するまでも……してからも、そうでした。
 頼って、すがって……そうするのが当然と思っていた。そうしていいんだと思っていた。
 でも、そうしたら八雲ちゃんまで目の前から消えてしまって。もう、どうしていいか分からなくなって。
 勝手ですよね、私。勝手に期待して、勝手に落ち込んで」
 そう呟いて、一条は伊織の頭を撫でた。
 伊織は気持ちよさそうに目をつむり、一条の膝に擦り寄る。
「もう、守るべき人もいなくて、守ってくれる人もいなくて。
 死んでしまってもいいって思ってました。……でも、笹倉先生が言ったんです」
「葉子が?」
 刑部の問いかけに、一条は頷き、言葉を続けた。
「生きろ、って。私の好きにしていいから、生きろって。
 自分はどうされてもいいから、私に生きろって。
 ……どうしてですか。どうして皆、そんな他人のために頑張れるんですか?
 これじゃあ、私、すごく惨めじゃないですか。……格好悪いじゃないですか」
 一条の目からは、涙がこぼれていた。
 刑部は慰めることはしなかった。かけるべき言葉が、見つからなかったから。
 代わりに彼女の問いに答えたのは、播磨だった。
「……お前が惨めだって言うんなら、俺だってそうだ。
 皆を助けるっていくら大声で言っても、結局は何もできてねぇ。だけどな、一条」
 肩に置いた手をひき、播磨は一条を振り向かせた。
「ここで立ち止まったら、それこそ惨めで終っちまう!
 生きるってのはな、可能性を持ち続けるってことなんだと、俺は思う。
 だから……今は惨めでも、俺達は生きなきゃならないんだ。
 きっと、今鳥のヤローもそれを言いたかったんじゃねぇのか?」
「……今鳥さんが?」
「もちろん、ホントのところはわかんねぇ。でも、俺の中のヤツなら、そう言うと思うんだ。
 これは俺の独りよがりな願望なのか? お前はどう思う、一条」
 一条はしばらく黙り込んで、何も答えなかった。

 刑部は一条を見て、そして播磨を見る。
 彼は彼なりに、考えていたのだ。その少ない頭をどうにか振り絞って、彼なりの答えを見つけ出していた。
 ガキという評価を、少しだけ上方修正してもいい。
 刑部はぼんやりと、そんなことを思った。
「お嬢--沢近が、死んだ。これからのことも、考えなくちゃならねぇ。
 何時までも立ち止まってられないんだ」
「……少しだけ、時間をください」
 一条は、そう呟き、立ち上がった。フラフラと、分校のほうへと歩いていく。
 腕からすり抜けて地面に降り立った伊織が、黙って彼女を見上げていた。
「おい、一条……!」
 呼び止めようとする播磨を、刑部が抑える。
「なんでだよ」
「彼女の心の傷は深い。……もう少し気持ちの整理がつかねば、話も通じん。
 だから、待て。これは必要な時間だ」
「でもよぉ」
「その間に、八雲君を埋める。どうせスコップは二つしかないんだ。
 それで、いいだろう? 文句はないはずだ」
「……わかったよ」
 播磨は不満げな表情を浮かべていたが、しぶしぶ刑部の決定に従い、スコップを握る。
 刑部もスコップを握り、八雲に土をかけていく。
 黙々と続くその作業は、塚本八雲の姿を徐々に見えないものにしていた。
 けれど、彼女という存在はこの世からまだ消えてはいない。
 歯を噛み締め、何かに耐えているような同居人を横目で見ながら、刑部はふとそう思った。
 これから、八雲という存在は、播磨や一条が生きている限りその心の中に生き続けるのだろう。
 それが八雲にとって幸せなことなのかどうなのか、刑部にはわからない。
 けれども、羨ましくはあった。
 誰かの心の中に残れるということが、素直に羨ましいと思えた。
 おそらく生徒達は、自分達教師を恨みながら死んでいったのだろう。
 だったら、せめて生きている者の心にはそうでない姿で残りたい。
 子供っぽい考えだとはわかっていても、心の隅にそんな意識を残さずにはいられない。
 首の爆弾が、刑部にとって死を身近なものに変えてしまっていたから。

   ※   ※   ※   ※   ※

「……どうすれば、いいの?」
 答えるものは誰もいない。
 笹倉も、生きろとだけ告げてどこかに行ってしまった。
 八雲もいない。嵯峨野も、今鳥だっていない。
 眠っていたほんのわずかな時間にも、彼らに出会うことはなかった。
 いつも心の中には生きていると思っていた彼らの声がいつの間にか聞こえなくなっていたことに、一条は気がついた。
 この島の中で自分が一番矮小な存在なのかもしれない。ふと、そんな考えが一条の頭をよぎる。
「……生きていて、本当にいいの?」
 自分には何も守れない。何も救えない--
 そんなことを考えた時だった。
 小さな、本当に小さな音が一条の耳に入ったのは。
「……?」
 カツン、カツンッ、と硬いもの同士が当たる音。
 それは今にも消えてしまいそうな、本当に微かな音。
 おそるおそる、音の主への道を歩いていく。
 角を曲がり、一条の目に入ったのは--古ぼけた焼却炉だった。
 カツンカツンという音は、その中から聞こえてくる。
「誰か、いるの?」
 返事はない。代わりに、カツンという音だけが響き続ける。
 パソコンでは、反応はなかった。
 だとしたら、中にいるのは誰かではなく、きっと“何か”だ。
 普段なら、怖くて近づけなかったかもしれない。
 けれども、一条はなぜかその扉に吸いつけられるように近づいていった。
 取っ手に手をかけ、ひねる。そうして、手前に引き上げた。
 ギギギッ、と嫌な音を立てて扉が開く。
「……あなたは」
「ブヒー!」
「……豚さん?」
 その瞬間が、一条とナポレオンとの、出会いの時であった。


【三日目:午前6〜7時】


【播磨拳児】
【現在位置:G-03中部】
[状態]:全身血まみれ
[道具]:支給品一式(食料4,水2)、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ)、さくらんぼメモ、烏丸のマンガ
[行動方針]:立ち止まらない。しかし具体的なことはまだ何も決めていない。
[最終方針]:生き残ってマンガを描き続ける。
[備考]:サングラスを外しています。高野を殺人者と認識しています。ゲームの目的を知りたがっています。リュックの一部が破損してます。


【一条かれん】
【現在位置:G-03中部】
[状態]:肩を負傷(止血)、極限の精神不安定状態。
[道具]:支給品一式(食料5、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:この豚さんどうしましょう。
[最終方針]:???
[備考]:何をすればいいのか完全にわかってません。とりあえずトンカツは嫌いではありません。


【刑部絃子】
【現在位置: G-03中部】
[状態]:疲労大、両手の皮が剥けてかなりの痛み
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
    スコップ*2、暗視ゴーグル、ヘッドライト、セキュリティウェア
[行動方針]:笹倉を心配。
[最終方針]:反主催


【三原梢】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:身体的疲労軽減、精神面回復。左掌に銃創(応急処置済み)、返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(食料4、水5) UZI/弾数50発、ベレッタM92/弾数16発、vz64スコーピオン/弾数20発
      9ミリ弾142発 エチケットブラシ(鏡付き)、ドジビロンストラップ、シグ・ザウエルP226/弾数14発
    ノートパソコン(バッテリー、フラッシュメモリ付き)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)
[行動方針] :休憩。播磨達を待つ。
[最終方針]:天満や八雲の名の下に全員を利用して優勝する
[備考] :自称『塚本八雲の親友』。教師らを激しく憎悪。高野を危険人物と認識


【高野晶】
【現在位置:F-03】
[状態]:疲労(中)。
[道具]:支給品一式(食料13、水4)、ドラグノフ狙撃銃/弾数8発、デザートイーグル/弾数1発、スタンガン(残り使用回数2回)
     雑誌(ヤングジンガマ)、殺虫スプレー(450ml)、ロウソク×3、マッチ一箱、インカム一組、携帯電話(残量約1/5)
[行動方針]:分校跡へ移動(刑部と遭遇する可能性も考慮)
[最終方針]:全員を殺し、全てを忘れない。反主催の妨害。教師達にも罰を与える。ゲームの目的を知りたがっています。



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