徹頭徹尾
東の空はとても濃い紫色をしている。この島に来て、二度目の朝日が昇り始めたのだろう。
荷物の中でも特にかさばるキャンピングライトを捨て、薬品を少しだけいじり、高野は歩みを進めていた。
あれから沢近からの連絡は無い。ただ、彼女がこちらに向かっている事はほぼ間違い無い事だった。
何らかの罠である可能性ももちろんあるが、しかし沢近がインカムを通して直に発した言葉に偽りがあるようには、高野には思えない。
それは、沢近が高野にとって親友と呼べる存在だからだろう。その二人がこれから殺し合いをしようと近付いているのだから、この島は狂っている。
それなりの広さがあるこの狂った島で、しかし高野は沢近との遭遇が近い事を確信していた。
何故なら彼女は携帯電話を持っているし、それとメールが出来るノートパソコンがあるからだ。
パソコンには地図があるし、少なくともその画面の前には今、三原達がいる事だろう。
沢近の話を聞く限り、三原は沢近に自分(高野)の始末をさせようとしているようだった。
ならば、少なくとも三原は沢近に高野の位置に関する情報を送っている可能性が高い。何せ、素通りされては逆に三原の身が危ないのだから。
親友同士で潰し合わせ、その後で三原が何を企むのかまでは推測の域を出ないが、高野とてそれに乗らないつもりはない。
後戻りの出来ない少女は、親友すらも手に掛ける。その決意に今更揺らぎなどはない。
せっかくお膳立てされた舞台だ。ここでたったの一度踊って見せた所で、全員を殺すという結末に何の影響も無いのだから。
闇が随分と和らいできた気がした。今までと違い、ある程度先の視界も確保出来るようになっている。
見慣れたような、しかし見た事が無いような木々の合間に出来た一本道を、高野は一人歩き続ける。
ここは獣道と言うよりは、地図にも載らぬ人間用の道のようだ。
車一台が辛うじて通れるような、そんな道。その先に、やがて高野は一人の少女のシルエットを見た。
片方が欠けたツインテール……少なくとも、高野にはそのシルエットがツインテールであると確信できた。
何故ならその相手は沢近愛理。高野にとっては親友とも呼べる存在に他ならない。
そんな二人の再会は、互いに木々の間に身を潜める事から始まった。
高野との通信後、沢近の持つ携帯電話には何度かメールが届いていた。
差出人は三原。その内容は、高野の現在地に関する詳細な情報だ。
『そのまままっすぐ北に行けば、高野さんがいる。八雲ちゃんや天満ちゃんの為にも、がんばって』
がんばって……三原が最後に付け加えたその一言は、沢近にとっては逆に彼女の胸を痛める結果となった。
「……ごめんなさい、八雲、天満。晶は私が必ず止めるから……」
八雲や天満なら、きっと高野に殺し合いをやめて欲しいと望むだろう。
殺して止めるのではなく、説得して連れ帰って欲しいだろう。まさに三原が自分にそうして来いと言った通りに。
だが、インカム越しに聞いた高野の言葉に嘘偽りが無い事は、親友を自負する沢近にはよく分かっていた。
そんな彼女に対し、親友として出来る事はたった一つだ。三原に預けた城戸の銃は無くとも、嵯峨野から譲り受けた拳銃はある。
それを握り締め、沢近は歩き続けた。ハリー、城戸と、このゲームに乗った者達を葬った、この力で……
再会はそう遠い未来の出来事ではなかった。三原の指示通りに北に突き進めば、確かに見えた人の影。
大まかなパソコンの地図とは言え、やはりその気になれば車でも通れそうな道を歩いてきた事が大きかったのだろうか。
久しぶりに見た親友は直ちに付近の木々に身を隠し、沢近はそれを追った。
「晶!」
地に落ちた枝葉を踏み砕く音を立てながら、沢近は叫ぶ。
時折木の陰から見える高野との距離はそう遠くない。拳銃でも十分に有効射程内だろう。
だが、その残弾がそう多く無い事は、沢近もよく分かっていた。
牽制で撃つ余裕は無い。かといって、接近戦を挑むのも危険すぎる。
だからこそ彼女もまた高野と同じように身を隠しつつ、大声を上げて牽制するのが精一杯なのだ。
「晶、聞こえてるんでしょう!? 何でこんな事続けるの!」
……気付けば説得しようとする。神経を研ぎ澄ませ続けながら、ふと沢近は自身の未練に気付いた。
やはり、望んで高野を撃ちたい筈が無いのだ。このゲームを始めた教師達や、ゲームに乗った者達への怒りがある事は変わり無い。
このゲームのせいで死んでいった者達……特に今の彼女にとっては、八雲や天満だが……彼女達の為にも、沢近は止まる訳にはいかないのだ。
それでも、相手は親友。しかも彼女の行動はどう見ても一択しかないというのに、時折沢近は勝手に他の選択肢を妄想すらし始める始末だった。
手を上げて出てくる高野。涙を流し、全てを謝罪する高野……沢近のそんなささやかな願いは、石のような物が足元をかすめた事で果てた。
膨らんだ靴下のような物は、足元の落ち葉を潰す音を立てて落ちる。それが高野から投げつけられた物である事は明らかだった。
「……晶ぁ!」
誰のものとも知れぬ靴下の塊に、沢近は高野の決意の固さを見た。
しかし彼女の中で燃え上がった憎悪の炎は、突如として背後から響いた車のクラクションの方へと漂っていった。
話は数十分前に遡る。
分校跡から少し離れた森の中で、笹倉は刑部と共に穴を掘り続けていた。
既に鋸を使用してぼろぼろの掌は、スコップを使う事で更に多くの血を滲ませている。
その上、傷口には土も随分付いていた。それを見る度に、感染症という単語が何度笹倉の頭を過ぎった事だろうか。
しかしその痛みも今までの行いの報いと受け止め、笹倉は救う事叶わなかった八雲の為にひたすらにスコップを振るう。
だが、道具があって人数が二人居るにも関わらず、穴を掘るというのは実に困難な作業だった。
随分と掘り続けた気がしていたが、穴の深さはまだ予定の半分にも満たない物だ。
まるで休息の足りぬ女二人、掘ろうとする穴の大きさ等困難な要素は数あるが、穴一つ満足に掘れない無力感が笹倉を覆う。
土が固くなってきたのか、それとも掘ろうとする力が弱くなったのか……一度で掬う土の量も、回を追う毎に減っていく気がした。
だが、もちろんそんな表情は刑部に対しては一切見せない。変わらぬ笑顔を刑部へと向け、「さあ、続きを頑張りましょう!」と励ますのだ。
「……葉子、君は一旦車で休んだらどうだい?」
袖を腕にまで捲り上げた刑部がそう告げたのは、もう何度目か分からぬ笹倉の励ましの直後だった。
笹倉程では無いにしろ、掌に血を滲ませた刑部だったが、しかし彼女はそれ以上に酷い笹倉の手を見ながら発言する。
「あ、私なら大丈夫ですよ。それにほら、出来れば放送の前には穴も完成させたいですし……」
「……じゃあせめて手を消毒して、包帯くらい巻いて来てくれ。血染めのスコップなぞ見るに耐えないんだ」
笹倉が持つスコップの柄を、血がゆっくりと伝っていく。
しかし笹倉には気にならなかった。それよりも、今の刑部の表情の方がよほど大切なのだ。
自分に弱音をぶつけた事で、刑部の中で何かの踏ん切りがついたのだろう。
その決意から、自分を気遣うだけの余裕も芽生えてきたのだ、と。それが笹倉には当然のように伝わってくる。
「……分かりました。じゃあ、包帯だけ巻いてきますね。後で絃子さんの分も持ってきますから!」
スコップを音を立てぬよう横に倒し、笹倉は車のある方向へと歩いていった。
刑部から見えない場所まで来た時に一度は座り込んだが、ここで休む訳にはいかない。
刑部の為にも、播磨達の為にも、何より八雲の為にも――笹倉は両足でふんばって再び立ち上がり、車へと目指す。
そんな彼女でも、ロックを解除し、車のシートに腰掛けた時は危うかった。
そのままぐったりと眠ってしまいたい程の疲労感が、どっと彼女を襲ったのだ。
実際の作業時間は数十分にもならないというのに、さも大仕事をこなしたかのような錯覚に陥ってしまう。
これも、今まで十分に休息を取れなかった事が原因だ。そう思うと、一度堂々と管理室で仮眠を取っていた姉ヶ崎への憎しみが増した気がした。
車のエンジンをかけて気持ち冷房を効かせた笹倉は、後部座席に置いていた救急箱を取り出した。
一旦外に出て水で傷口を洗い流し、車に戻ってからは消毒液に身震いし、包帯を巻きつける。
手先だけがミイラ男のようになってしまったが、薄く巻いたので動作には支障無い。
あちこちで血が薄っすら滲み赤くなっていたが、別に巻き直したいとも思わなかった。
刑部の分の包帯と消毒液を取り出した時、ふと笹倉は気付いた。
エンジンの始動と共に点灯した、カーナビの地図が示した現状にだ。
三原は依然自分達から少し離れた分校跡に居た。恐らくは疲れて眠っているのだろうか。
だが、問題はここより北――そう、沢近と高野だった。この場に到達した時に比べ、両者の距離は一気に近付いていたのだ。
リアルタイムで更新を続けるこの地図は、まるで何かに導かれるように近付く両者を克明に映し出していた。
「地図に無い道があるの? それとも……」
……何にせよ、笹倉は現実を知ってしまった。そして、もう動かない訳にはいかないのだ。
一人でも多くの生徒を救いたい――それは笹倉の願いであり、きっと刑部も同じ気持ちだ。
ならば、沢近を……そして、可能なら高野も助けなければならない。
何故なら沢近が近付いている相手は、他でも無い高野なのだから。この島で恐らく唯一、全ての者を殺して優勝する事を目指す少女。
フラッシュメモリの結末を、このゲームの黒幕を知ってから、笹倉達は変わった。
だが、高野は依然そのままなのだ。そんな彼女の元に沢近が向かえば、どう転んでも悲劇しか起きないのは火を見るより明らか。
……今から刑部の所へ向かい、伝えに行く余裕は……地図を見た限り、とてもありそうではなかった。
二人はあと10分もすれば接触してしまいそうなペースだ。もしここで刑部へ報告しに行けば、その間にも二人が出会ってしまう可能性は高い。
「……絃子さん、ちょっと行って来ますね。必ず帰ってきますから……」
もしも逆の立場なら――刑部が先にこの状況を知っていれば、きっと彼女もこうしたのではないだろうか。
そんな事を考えながら、笹倉はアクセルを踏み込んだ。
相手は教師を憎悪している可能性が高く、これから自分が行う事がいかに困難な事かは、笹倉には良く分かっていた。
高野はおろか沢近すらこちらに攻撃してくるかもしれないが、それに対して自分は手出しをする事が出来ない。
だが、ここでまた一人(最悪二人)の命を散らせる訳にはいかないのだ。
防弾仕様の軍用車という最強の盾を以って相手の攻撃を防ぎ、説得する……改めて事の困難を実感する笹倉だったが、それでも迷いはない。
かくして時は現在、高野と沢近が遭遇して間もなくという段階に戻る。
薄っすらと明るさを取り戻し始めたこの島で、笹倉はライトを点灯させて走っていた。
少しでも注意を自分に向けさせ、沢近と高野の争いを防ぐ為だ。
車内灯も点灯させ、敢えて外部から丸見えの状態を作る。ほんの数時間前まではありえない状態である。
分校跡に向かう時には気付かなかった、舗装された道路から分かれた小道。
その先に沢近と高野がいる事を確認し、笹倉は車をその小道に突っ込ませた。
すれすれ……いや、時折ぶつけた枝を砕く音を響かせ、屈強な軍用車はそのスピードを緩める事無く突き進んだ。
歩けば一区画で一時間近くかかるこの島も、車ならば実に早い。おかげで笹倉は、沢近と高野が遭遇してすぐにその現場へと辿り着けた。
予定通りにクラクションを鳴らし、更にハイビームも使用。これで、地図の上ではすぐ近くに居る二人に自分の存在を誇示できただろう。
まずは二人の姿を確認し、少しでも説得していく……笹倉は車内からそれを行えるようにスピーカーを用意した。
しかし、彼女がそれの電源を入れる前に響いた轟音。その正体は、銃声だった。
「随分いきなりね、沢近さん……」
運転席側のガラスに弾痕が残っており、何より木々の間から僅かに見えた金髪の少女が、沢近からの攻撃である事を笹倉へ知らせた。
……有無を言わさずの銃撃である。自分達がそれほどまでに憎まれていたのかと、改めて笹倉は現実を突きつけられる。
今外に出れば、間違いなく八つ裂きにされるだけ。かといって早々に説得を諦めこの場を去れば、今度は沢近と高野で殺し合いだ。
笹倉は沢近達に無理矢理中に入られないようにロックをかけ、僅かに窓を開けてスピーカーの電源を入れた。
『沢近さん、高野さん、もうやめて! 私はもうこのゲームに協力するつもりは無いの! あなた達にだって戦って欲しくない!』
殆ど閉め切ったも同然の車内のやかましさは想像に難くないだろうが、それでも笹倉はスピーカーに向けて叫び続けた。
沢近との距離はそう遠い物ではないし、カーナビで見る限り高野もすぐ近くに居た。なので、この場で出来る限りの説得をするのだ。
『今まで何も出来なくてごめんなさい! 今更かも知れないけど、でもこれ以上あなた達が傷つけあう姿を見たくないの!』
笹倉は、首輪の事など恐れてはいなかった。姉ヶ崎にいつ爆破されてもおかしくないだろうが、それでも生徒達を助けたかったのだ。
だが、そこに轟音が割って入る。銃声とは違う、もっと無骨で重厚な音。それは、先ほど沢近から撃たれた方向から響いていた。
相変わらず木の陰に隠れながらだったが、不意に沢近が姿を現す。同時に、彼女の手からは石のような物が投げ付けられていた。
ガツンという音を立て、強化ガラスの表面に擦り傷が増える。銃弾すら防ぐ強化ガラスが割れる事は無いが、その光景は笹倉には悲しい物だった。
例えばパレスチナやイラクで、軍の車に対して投石を行う少年の映像を見た事がある者も少なく無いのではないだろうか。
圧倒的な力の差がある相手に対し、非力な者が出来る限りの憎悪をぶつける象徴である。
銃が効かないと分かるや石を投げ付け始めた沢近の姿も、そんな憎悪に染まりきった者と同じように笹倉の目には映った。
……だからこそ、そんな哀れな少女を助けたいとも彼女は思うのだが。
背後からクラクションが鳴ったと思えば、強烈な光が周囲を照らす。
沢近が振り返ると、そこにはこの島に来る前なら随分見慣れた存在……自動車の姿があった。
高野へ向かっていた意識が、一気にそちらに集約されていく。血という血が滾り、心臓が激しく脈打ち始める。
まさか自動車を支給された生徒など居る筈が無い。それに播磨も言っていたのだ。高野が教師達を呼び出した、と。
沢近はすぐに車の持ち主が教師であると確信した。そしてそれは、高野と対した時以上の怒りが彼女の中を駆け巡るサインとなったのだ。
「何よ……私達をバカにしに来たっていうの!?」
周防を始め、多くの級友を殺したハリー相手ですら、沢近は撃った時に涙を流した。
嵯峨野を含む多くの級友を殺した城戸に対しても、彼女もまた悲しい被害者なのだと沢近は感じていた。
このゲームに乗り、殺しを重ねた殺人者達。沢近は彼らを撃ったが、だが教師達は彼らとは全く違う存在だと当然のように考える。
こんな馬鹿げたゲームに自分達を巻き込み、今の今まで殺し合いを続けさせている諸悪の根源。
死んでいった級友達は、結局は皆教師達のせいでそうなったのだ。
天満も、周防も、嵯峨野も、そしてハリーや城戸でさえも、結局は教師達のせいで死んだのだ。
まして、目の前で首輪が作動した八雲は……完全なる教師達の罠で死んでいった。
フラッシュメモリという見せ掛けの希望を与えておき、目の前でそれを砕いた外道に対し、沢近の決意は一つしかない。
木々の間に消えた高野への意識は完全に消え、変わって全ての憎悪は目の前の車に向けられる。
車内灯のお陰で中には笹倉が一人で居る事が分かった。車の横に位置取ると同時に沢近は銃弾を見舞ったが、しかし届かない。
弾痕はあれど、明らかに笹倉が苦しむ様子が無かったのだ。それが防弾仕様である事に気付くのに、そう時間はかからなかった。
『沢近さん、高野さん、もうやめて! 私はもうこのゲームに協力するつもりは無いの! あなた達にだって戦って欲しくない!』
そんな沢近に向かい、笹倉はスピーカーを通して何やら喚き始めてきた。
笹倉の声を聞き、沢近の中では胸糞悪いこの島での彼女のメッセージが次々と頭を過ぎる。
楽しげに放送を行い、六度目の放送では優勝すれば金が貰えるなどとほざいたこの女の声は、更に沢近の怒りの炎に油を注いでいくばかり。
笹倉の叫び声は何やら切迫していたが、そんな事は沢近には関係ない。思考するに値しないのだ。
ただ、如何にして車から笹倉を引き摺り出し、そして殺すか。憎悪に駆られた沢近が望むのは、たったそれだけの事だった。
沢近は銃での攻撃を早々に諦め、足元の石を拾い、木の陰に隠れつつ投石を開始した。
やはり窓が割れる様子はなく、ドアにも凹みを付けるだけ。それでもお構い無しに沢近は石を投げ続ける。
それこそ小石から、掌大の石まで……沢近は、本当に手当たり次第に石を投げた。
木々の陰からなら車は入ってこれないだろうし、銃を使われても隠れられる。逆に下手に近付く方が危険すぎるのだ。
幸い、投げる物ならそうそう事欠かない場所だ。銃をスカートに挟んだ沢近の腕は、さながら投石器と化していった。
沢近と遭遇した高野が彼女とどう戦うかを考えていた矢先、突如現れた教師達の車。
高野はまず身を屈ませ、沢近との距離を離していった。
しばらくは両者の様子を窺う事を優先したのだが、その途中には一発の銃声が響いていた。
恐らくは沢近が撃ったのだろう。しかしそれで車の方に動きが無い所を見ると、やはり車には効果が無いらしい。
『沢近さん、高野さん、もうやめて! 私はもうこのゲームに協力するつもりは無いの! あなた達にだって戦って欲しくない!』
それに対し、車の中の教師……笹倉は緊迫した声でそんな事を叫び始めた。
車の正面近くの木に隠れつつ、高野は笹倉の心境を読んだ。恐らく彼女は、フラッシュメモリの結末を知った後なのだろうと。
彼女とは一度この島で会っている高野。その時はまだメモリの正体を知らず、当然ながら八雲も生きている段階だった。
そのフラッシュメモリが罠で、それが作動し八雲が死んだ--その事について、果たして笹倉は何を思うのか。
少なくとも安全な本部から危険極まりない島にまで"回収"の為に出て来た以上、メモリが罠であると最初から知っていたとは考えられない。
『今まで何も出来なくてごめんなさい! 今更かも知れないけど、でもこれ以上あなた達が傷つけあう姿を見たくないの!』
……そうなると、やはり笹倉達は内容を知らなかったのだろう。そしてその中身を、このゲームに立ち向かう切り札であると考えていた。
それが崩れた今、笹倉はこうして無理矢理でも戦いを止めようとしているのだろう。……そんな事、当然ながら高野はさせるつもりはない。
元より教師達も、高野自身がいつかは罰する対象だ。
彼女らが今更どう動こうがそれは揺るがないし、今の笹倉は高野にとっては邪魔な存在でしかない。
何よりもう後戻りの出来ない高野にとって、「これ以上戦わないで」というメッセージは、耳障りでしかなかった。
車の横では沢近が石を投げ始めたようだが、車はライトを灯したままそこから動こうとはしなかった。
笹倉としては今の状況が続いても致命的な被害は無いと判断し、相手を落ち着かせてから説得しようという魂胆だろう。
高野はそれに便乗する事にした。先ほど沢近に投げつけたブラックジャックの片割れや、蛇の入った鞘袋をフロントガラス目掛け投げ付けたのだ。
残念ながら重量のあるブラックジャックですら大きな傷は与えられなかったが、それでいいのだ。
相手はこちらの攻撃を取るに足らぬ抵抗と思い、説得する隙を窺っている。
そこでこれを使うのだ。刑部から貰ったリュックに入っていた薬の中に二つだけあった、高純度の消毒用アルコールの小瓶だ。
他の薬類が入った救急箱も投げ付けた後、高野は小瓶の蓋を一つだけ開け、その口に脱脂綿を敷き詰めた。
マッチを取り出し、脱脂綿に火をつける。そう、即席の火炎瓶誕生の瞬間である。
もちろん、こんな小瓶で車を破壊出来るとは思っていない。だが高野の思惑は、奇しくも親友の沢近と同じ物だった。
笹倉を車から引き摺り出して、そこを殺す……彼女の手から放られた即席火炎瓶は、その目的を果たす使者なのだ。
助手席側のドアや窓ガラスは、見るも無残なほどボロボロにされてしまっていた。
一度は双眼鏡まで沢近から投げ付けられており、その傷跡は特に大きな凹みとしてドアに残った事だろう。
それでも、笹倉はあれからずっと説得を続けていた。
時折車に石をぶつけられた音を拾いながらも、懸命にスピーカーでアピールし続けたのだ。
『沢近さん、私はもうあなたの敵じゃない! お願い、せめて今だけは待って! 私達にはまだ出来る事があるの! まだ--』
沢近の憎悪は十分に伝わった。それでも笹倉は彼女を救うべく説得を続けようとしたが、突如フロントガラスに衝撃が走った事で、中断を余儀なくされた。
沢近側からの投石も続いている。ならば、正面付近を狙ったのは高野である事は疑いようが無かった。
靴下の塊の他にもう一つ、フロントガラスに落ちた何かの袋からは、よろよろと蛇が飛び出してきた。
今更それに驚く笹倉ではないが、沢近に加え高野からも投石攻撃が開始された事で、確実に彼女の中から余裕の色が消えていった。
想像してみて欲しい。笹倉は今車の中から出る事も車を動かす事も出来ない中、あちこちから一斉に石をぶつけられ続けているのだ。
そんな状況で、いつまでも気の利いた説得の台詞が思い浮かび続ける訳も無く、次第に笹倉の叫びは単調なものになっていった。
外に出れば、それこそ銃を持った生徒に八つ裂きにされる。車を走らせれば逃げる事は可能だが、それでは残る二人の殺し合いが再会されるだけ。
生徒に手を出してよければ、どちらかを殺して場を収めて良ければ、まだ笹倉には事態を打開する手があったかもしれない。
だがそれは笹倉の望む所ではないし、刑部だって絶対にそんな道は選ばないだろう。
だからこそ笹倉は叫び続けた。今までいつも隣にいた刑部が今はいない事で、より自身が余裕を無くし続けていっていた事にも気付かずに。
心身を(一方的に)すり減らし続けたこの攻防戦は、やがて放たれた一つの火によって終わりを迎えようとしていた。
救急箱が投げ付けられ、中の物がフロントガラス上に散乱した後の事だ。一つの小瓶が投げ付けられるや、バンパー付近が突如燃え上がったのだ。
「火炎瓶!?」
突然の薄っすらとした青白い炎は、その目立たない見た目と裏腹に笹倉の思考を著しく奪うに十分すぎた。
ガソリンを満載した車など、万が一それに引火してしまえばたちまちに爆発・炎上してしまう事は、笹倉も承知の通りだ。
軍用だから装甲は厚いはずだろうが、それでもこれが引火しない保障などない。
笹倉はスピーカーのスイッチを切り、その手で再びハンドルを握った。
笹倉は目一杯アクセルを踏み込み、バンパーから落ちた包帯や蛇をタイヤに踏み潰させながらこの場を離れていく。
だが、炎はそう簡単には飛んで消えてはくれなかった。なおも薄っすら視界を揺らし燃え続ける炎は、アクセルを踏み込む笹倉を焦らせるばかりだ。
笹倉は少しでも沢近達から離れるべく、道の狭さを無視してどんどんスピードを上げて行った。
いつ爆発するとも知れぬ恐怖。
軍用車の分厚い装甲も、今の笹倉を決して安心させてくれる事は無かった。
これほど笹倉が余裕を無くしたのはこの島に来て初めての事だったが、これまで晒され続けた投石攻撃の後では無理もなかった。
おまけに睡眠・休養不足で、何より隣に刑部がいない。これが笹倉にとっては致命的だ。
せめて刑部が今までのように隣に居てくれれば、きっとこれほどまでに笹倉が焦る事は無かっただろう。
ゲーム開始からずっと一緒だった親友が初めて欠けたのが、よりにもよってこの状況。
笹倉はまだ炎が燃え上がっているバンパーを緊張の面持ちで見つめつつ、アクセルを踏み続けていた。
--スピードを出しすぎている。
--注意力が散漫になる。
--本人のコンディションが万全ではない。
--悪路である。
いつしか事故を起こしかねない悪条件が、笹倉の中で完全に満たされようとしていた。
未だにライトを消していなかった彼女はしかし、前方に映った地面の一部のくぼみを見逃した。
この車の強度なら本来何の問題も無い揺れも、道幅に比べ明らかに出しすぎていたスピードと、がた落ちしていた笹倉の注意力ではどうにもならない。
左の前輪を巻き込んだこの窪みに対し、笹倉はブレーキを踏み、左に持っていかれそうになった車体を真っ直ぐに立て直そうとした。
だが、間に合わない。出しすぎていたスピードは車体の左側を一瞬浮き上がらせ、笹倉のハンドルさばきはしかし、逆に更に車体を不安定にする。
やがて車は勢いを完全には抑える事無く付近の木に激突し、強引にその動きを止めた。
笹倉が目を開けると、彼女の目の前には役目を終えたエア・バックがしぼんでいた。
鼻を中心に強烈な熱さと痛みが生じており、口の中には鉄の味が広がり始める。
挙句頭は疼くように痛み、せっかく車が止まったというのに、笹倉の思考を強力に奪う始末だ。
笹倉は自分が事故を起こしたと気付くのに、そう時間はかからなかった。
バンパー部分の火はどうやら消えたらしい。最も、そのバンパーは原型を留めぬほど凹んでしまっていたが。
フロントガラスもあちこちにヒビが入って穴が開き、完全に割れていないだけでも奇跡と思えた。
それにしても--笹倉の体は、あまりにも動かなかった。
一体自分がどれくらいの速度で突っ込んだのか、ほんの少し前の速度表示すら思い出せない。
だが僅かに首を動かせば激痛が走るし、腕や足だって満足には動かせなかった。
エア・バックやシートベルトに守られたとはいえ、笹倉には事故の衝撃があまりに強すぎたのだ。
「……あ、う……」
その気になれば簡単に意識を手放す事も出来るだろう。
だが、ここでそんな事をすれば、自分がむざむざ沢近達に殺されるだけ。そう自分に言い聞かせ、しかし笹倉はそのまま目を閉じたくなっていた。
包帯を染め上げた両手の鮮血を見ても、何も感じない。それとは関係無しに意識が飛びそうなほどである。
沢近も、高野も助けてあげたかった。いつしかそんな無念まで笹倉の脳裏に浮かび始める。
「だ、め……」
そうだ、諦めてはいけない。せめて彼女達の戦いを終わらせないと。例え、自分がこのまま死んだとしても!
笹倉は最後の力を振り絞り、閉じかけた目を開いて見せた。
……それが、彼女の限界だった。
やがて視界がかすみ始める。結局彼女は最後まで、どちらの少女も助け出す事が出来なかった。
せめてこのまま二人の戦いが有耶無耶になりますようにと、笹倉は一人そう願う事しか出来ない。
そんな彼女の五感が最後に感じたのは、どことなく漂うガソリンの匂いだけだった。
手頃な石が近くに無いと分かるや、沢近はリュックの中から双眼鏡を取り出して投げ付けた。
これは八雲から預かった物である。それを投げ付けるなど、本来では考えられない事だろう。
だが、今目の前にいる笹倉は、その八雲の、他の皆の人生を狂わせ、その命を奪った元凶だ。
沢近の中の正義は、それなりの重量と大きさのある双眼鏡を投擲する事を承認した。
全ては、八雲や天満の為。まだ生きている者達や、死んでいった者達の為なのだ。
双眼鏡を投げた後も沢近はある程度移動しつつ、石や枝を拾っては投げ付けていた。
やはり無理矢理ドアをこじ開けるには程遠い損傷しか与えられなかったが、そこにじきに変化が訪れる。
爆音が上がり、しかし見た目には目立たない、薄っすらとした青白い炎が上がった車のバンパー。
それが自分以外の攻撃……つまり、高野の仕業である事は明らかだった。
「……晶」
正直、今まで沢近の思考から消えていた高野。
彼女の思考が何よりも笹倉の排除を望んだお陰で、高野についてはおざなりにしていたのだ。
しかし、その炎はこれまでの膠着状態を一変させた。笹倉は突如車を発進させ、逃走を図ったのである。
「ま……待ちなさいよ!」
今までのようにスピーカーで喚く事をやめ、逃げ出した笹倉。それを沢近は、再び全神経を集中させて追う事を選択した。
逃がす訳にはいかない。必ず殺して、皆の仇を、自分達の敵を打ち倒すのだ。
すがる希望を無くした彼女は、再び憎悪の炎に身を委ねる道を選んでいた。
そう、かつて播磨を恨んだように……そして今、その対象は教師達だ。
沢近にとって、憎悪は希望とある意味似た存在だった。少なくともそれを追い求める間は、彼女は彼女であり続ける事が出来るのだから。
笹倉は随分逃げたようだったが、途中で一度、大きな爆発音が辺りに響く。
やがて沢近の目の前には、付近で一番大きそうな木に正面からぶつかった笹倉の車が映った。しかも、それは赤々と燃え上がった状態で。
「……は、はは……」
自然とこぼれる笑い声を、沢近は堪える事が出来なかった。
炎の合間には、ボロ人形のように座席に座ったままの笹倉の姿が見えた。
その髪はバラバラに燃え広がり、やがてその姿は炎によって消えていく。
それが沢近には本当に嬉しかった。目の前で教師が死んだという、その事実が。
「あはははははははは! やったわよ! 天満、美琴……八雲! あいつらを一人倒したのよ!」
全ての元凶が一人、炎の中に消えた。事故を起こしての完全なる自滅。
これまで溜まっていた沢近の中の鬱憤が、彼女が高らかに笑う度に晴れていく。
沢近はなお笑顔を浮かべ、やがて携帯電話をその手に取った。モードをカメラに切り替え、激しく燃え上がる車の方へ向ける。
「……八雲に見せてあげてね、三原さん」
燃え上がる笹倉の墓標を写真として収めた沢近は、その画像をメールに添付した。
そして、女子高生らしく手早く本文を打ち込んでいく。
『晶と戦おうとしたら、笹倉先生が車で来た。
私はそっちと戦って、相手が逃げ出そうとして事故を起こして車が燃えてる!
笹倉先生はまだ車の中! 私やったよ! 八雲にもこの写真を見せてあげてね!』
仇の最期の光景を仲間に伝え、この上ない満足感に沢近は包まれていた。
一気に電池の残量が僅かになった事にも気付かず、沢近は送信完了の文字を満足げに眺める。
「……じゃあ、あとは晶か……」
ひとしきり笑った後、ようやく沢近は高野の事を頭に思い浮かべた。
笹倉の車に火を放って以降、どこへ行ったとも知れない親友。彼女もまた、この光景をどこかで見て喜んだのだろうか。
それとも、とっくにこの場を逃げ果せた後なのか……
車が激突していた場所は、幸いに他に燃え移りそうな物はなかった。ぶつけられた木にも燃え移る様子はない。
赤々とした炎の照明を頼りに沢近は周囲を見渡したが、そこには似たような形の木や、茂みしかなかった。
「……先生のせいで、逃げられちゃった」
胸を撫で下ろすように無念の台詞を呟き、沢近は燃え続ける車に背を向けた。
その時響いた銃声に、一応沢近は気付いた。
もっとも、まるで胸に大きな穴が空けられたような衝撃と共に、地面へとうつ伏せに倒れこんでしまったのだが。
大量の血と肉片を撒き散らし、これまで何度と無く他者の血で染め上げた制服を自身の血で彩り、沢近は僅かに痙攣した。
しかし、その顔には一切の苦しみは感じられない。何が起きたのかすら把握出来ていないようだった。
むしろ多くの友の仇を討って満足したような表情を浮かべたまま、沢近は逝った。
決して外気に晒されてはならない、人体の内部を構成する部分の多くがつい先ほどから開放されていた。
やがて指先すら動かす事が無くなった沢近を見下ろすように、高野は茂みの間から姿を現す。
硝煙を上げる狙撃銃が、如何にして高野が沢近の命を奪ったのかを物語っていた。
砺波の時とは違い、ほんの3m程度の距離での出来事。
携帯を夢中で打ち込んでいた沢近の、しかもある程度のズレを想定して胸部を狙って撃った結果、高野の攻撃は成功したのだ。
"一つ目の"火炎瓶で車を攻撃した後、高野はすみやかにもと来た道へとひた走った。
それに対し、笹倉は高野の予想通りに車を走らせこの場を逃走した。
逃げた先は、高野が通ってきた道。故に高野は分かっていた。この先には、スピードを出した車なら事故を起こしかねないポイントがある事を。
案の定高野が予想していた場所……地面に窪みが生じていた場所の先で、笹倉の車は木に激突していた。
スピードを落としきれなかったのか、車自体の損傷はかなりのものだ。
高野は慎重に車に近付き確認する。エア・バックは作動していたようだが、それでも内部の人間にかなりのダメージがあった事は想像に難くない。
車内の笹倉は呼吸こそしていたが、意識を失っていたようだった。
……このまま放置しても(沢近が来るだろうし)いいだろうが、ふと高野の嗅覚を刺激した臭いが一つ。
明らかにガソリンによるその刺激を受け、高野は残り一つだったアルコールの小瓶を使う事を決めた。
車から距離を取って先ほどと同じように脱脂綿を詰め、マッチで火をつけた小瓶を車に向かって投げておく。
車はぶつけた拍子にどこかからガソリンが漏れ出していたらしく、たちまちのうちに文字通り爆発・炎上した。
これで笹倉はまず間違いなく始末できた。更にこの爆音、そして炎は沢近の目をそちらに向けさせるに最適なのだ。
高野は素早く近くの茂みの中に伏せ、狙撃銃を取り出した。
沢近が来れば、間違いなく炎上する車に釘付けになる筈だった。
彼女ならきっと車を追って来るだろうし、追おうとしなかったとしてもあの爆音が鳴れば嫌でも気になる筈だ。
そんな高野の目論見どおりに沢近はやって来たが、ここで彼女が携帯で燃え上がる車を撮影し出したのはさすがに想定外だった。
嬉々として携帯に文字を打ち込み続ける沢近を、わずか数mの距離ながら高野は慎重に狙いを定めた。
彼女にとって、やはり砺波の時の狙撃失敗は頭の中に重く圧し掛かってきたのだ。
……或いは、親友を撃つ事に抵抗があるのか。しまいには高野はそんな事まで考え始めてしまうのだった。
結論から言えば、銃弾は当たった。
見事に沢近の胸部を中心に吹き飛ばし、一撃で彼女を沈めたのだ。
高野は親友だったモノの傍に立ち、そっと屈み込んだ。
感慨にふける訳ではない。彼女の耳からインカムを取り払い、スカートのポケットからは拳銃と携帯電話を取り出す。
これまでと同じである。殺した相手から必要な物資を奪っていく行為を、今また繰り返そうというのだ。
……と、取り出して地面に置いたばかりの携帯のバイブが震え、高野はそれを再び手に取った。
差出人はどうやら三原のようで、その件名にはおめでとうの五文字が添えられていた。
『おめでとう! でも高野さんはまだ生きてるよ? しっかりね!』
……高野は届いたばかりのメールを閉じ、手早く必要そうな荷物をリュックにまとめた。
万が一にも車が更なる爆発をしては巻き込まれかねない。高野はすっくと立ち上がり、早急にこの場を去る事にした。
--そう、これまでと何も変わらない。これかb轤熨S員を殺していく。
高野の決意は揺るがなかった。親友を前にしても、ついに揺らぐ事はなかった。
その点を何度も自身の中で強調し、高野はようやく思考を切り替える。
放送までそう時間が無い現状。まずはある程度車から距離を取った後は、時間的にも携帯電話のログを確認するのが懸命だろう。
あとは、笹倉と共に居た刑部の行方も高野の気にする所だ。今回の遭遇では最初から見かけなかった彼女が、今どこで何をしているのか。
最悪どこかでこちらの様子を窺っている可能性を考えれば、高野は今の自分の置かれた状況が決して安定した物では無い事を再確認する。
東の空の紫色はだんだんと赤みがかってきていた。
その朝日を浴びながら、高野はふと頭の中で反芻した。自分はこれまでと変わらない、と--
燃え上がった車の写真を送りつけられた時、三原は半分に千切られていたレーズンパンの残りを平らげた所だった。
沢近が何を思い、そしてどうやってこんな写真を撮ったのか、最初三原には理解出来なかった。
だが、彼女のメールの本文を読むうちに答えは分かった。沢近は笹倉と遭遇し、そして彼女の死に立ち会ったのだと。
それは、今まで休息を兼ねて沢近の様子を窺っていた三原の疑問をいくつか解決に導く事にも繋がった。
三原は沢近がうまく高野と遭遇できるよう、途中から何度かメールを送信した。内容は具体的な高野の位置や、そこまでの距離などである。
入れ違いになってしまわないように、まずは確実に沢近と高野を戦わせるように……
三原の目論見はしばらくして当たったが、しかしそこからなかなかどちらの名前も黒字になる事はなかった。
戦闘が膠着状態に陥っていたのかと思えば、たった今彼女から送られてきたメールである。つまり、沢近は教師の殺害を優先していたのだ。
「ははっ、まさか先生を一人やっつけてくれるなんて……予想外だったな」
三原は笑い、戦果報告をした沢近にねぎらいのメールを返信した。もちろん高野の事を始末するよう、釘を刺す事も忘れずにだが。
こうして三原はパソコンに付きっきりのままで、放送の時間を迎えようとしていた。
その間三原は十分に体を休める事が出来たが、そのうちにパソコンの地図が更新の時間を迎えた。
結果は当初の三原の予想通り、沢近の敗北だ。彼女の名は黒字になったが、高野の方はそのままだった。
「あーあ、やっぱりこうなったかー……ところであの二人、まだ埋めてるのかな?」
ちらと大量の銃器に目を配りつつ、三原は地図への視線を播磨達の方へ向けた。
二人はさほど動く事もなく、ずっと同じ位置に居た。……今も穴を掘り続けているのだろうか。
「……まあ、手抜きなんてしたら許さないし、どうせもうすぐ放送だし……とりあえず今は待つけどね」
沢近亡き今、三原にとっては播磨と一条は自分を守らせる大切な盾だった。
しかしその一方で一人で三人を埋めようとした彼女は、人を埋める事の難しさもまた理解している。
それゆえ三原は放送が終わるまでは、この場で高野や播磨達の様子を見る事にした。
もちろん放送後はその時の状況によって行動をするが。とにもかくにも予想外の沢近の戦果もあり、三原の気分はどこか晴れやかだった。
「……そっか、先生が一人死んだんだよね。……本当に良かった」
一人目を細める三原。そしてきっと"親友"である八雲も喜んでくれているだろうと、彼女はそう確信した。
朝日は等しくこの島に居る者を照らす。
なおも眠り続ける播磨の前で、刑部はスコップを振るい続けていた。
……あれから笹倉は戻ってこない。もしかしたら車の中で眠っているのかも知れないと、刑部は考えていた。
長い付き合いだけに、刑部には笹倉の疲労状態がかなりの物であった事を承知していたのだ。
しかし一方で、刑部は他の可能性も危惧し始めていた。
--もし、笹倉が他の場所へ移動していたら?<
笹倉が姉ヶ崎の方へ裏切ったとか、そんな事は今更ありえない。
それは刑部が誰よりも分かっている事だが、例えばもし、播磨達と別行動を取っていた沢近達の方へ向かっていたとしたら。
その可能性はありえるのである。最後にカーナビで確認した時、地図上では沢近が他の者に比べやや北側に居た。
そしてそのずっと先には、高野がいたのである。今思えば二人が遭遇する可能性があったと刑部は気付いたのだ。
だが、その可能性はつい先ほどまでの刑部の思考にはなかった。
それよりも目の前にある無念の死を遂げた八雲の遺体や、ボロボロになっていた播磨達の方に思考を奪われていたのだ。
……一人で作業をしていて、ようやく知ったその可能性。しかしそれに気付いた所で今更刑部は動けない。
八雲の埋葬は果たさねばならないし、今ここやここから離れた場所で無防備に眠る、播磨や一条を置き去りにする訳にもいかないのだ。
笹倉がどう動いていようと、今の刑部には笹倉を信じて待つ事しか出来なかった。
さすがに放送なら他の者も起きてくるだろうし、ただひたすら穴を掘りながら、刑部は放送の時刻を待った。
いい加減に血が滲んで久しい刑部の手に、笹倉が包帯を持って戻ってくると信じながら。
【午前:5〜6時】
【高野晶】
【現在位置:F-03】
[状態]:疲労(大)。
[道具]:支給品一式(食料13、水4)、ドラグノフ狙撃銃/弾数8発、デザートイーグル/弾数1発、スタンガン(残り使用回数2回)
雑誌(ヤングジンガマ)、殺虫スプレー(450ml)、ロウソク×3、マッチ一箱、インカム一組、携帯電話(残量約1/5)
[行動方針]:1.放送までは携帯電話のメールを分析 2.放送を聞いた後、分校跡へ移動(刑部と遭遇する可能性も考慮)
[最終方針]:全員を殺し、全てを忘れない。反主催の妨害。教師達にも罰を与える。ゲームの目的を知りたがっています。
【三原梢】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:身体的疲労軽減、精神面回復。左掌に銃創(応急処置済み)、返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(食料4、水5) UZI/弾数50発、ベレッタM92/弾数16発、vz64スコーピオン/弾数20発
9ミリ弾142発 エチケットブラシ(鏡付き)、ドジビロンストラップ、シグ・ザウエルP226/弾数14発
ノートパソコン(バッテリー、フラッシュメモリ付き)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)
[行動方針] :休憩。播磨達を放送が終わるまでは待つ。
[最終方針]:天満や八雲の名の下に全員を利用して優勝する
[備考] :自称『塚本八雲の親友』。教師らを激しく憎悪。高野を危険人物と認識
【播磨拳児】
【現在位置:G-03中部】
[状態]:睡眠中。全身血まみれ
[道具]:支給品一式(食料4,水2)、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ)、さくらんぼメモ、烏丸のマンガ
[行動方針]:???
[最終方針]:生き残ってマンガを描き続ける。
[備考]:サングラスを外しています。高野を殺人者と認識しています。ゲームの目的を知りたがっています。リュックの一部が破損してます。
【一条かれん】
【現在位置:G-03中部】
[状態]:睡眠中。肩を負傷(止血)、極限の精神不安定状態。
[道具]:支給品一式(食料5、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:???
[最終方針]:???
[備考]:何をすればいいのか完全にわかってません
【刑部絃子】
【現在位置: G-03中部】
[状態]:疲労大、両手の皮が剥けてかなりの痛み
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
スコップ*2、暗視ゴーグル、ヘッドライト、セキュリティウェア
[行動方針]:放送まで一人で出来るだけ埋葬用の穴を掘る。笹倉を心配。
[最終方針]:反主催
※ブラックジャック*2、薙刀の鞘袋、診療所の薬類(バラバラ)、アクション12×50CF(双眼鏡)はF-03の森の中に、
キャンピングライト(弱で残り1〜2時間)はF-03北部の森の中に放置されています。
【沢近愛理:死亡】
--残り4名
※沢近の荷物{支給品一式(水4,食料8)}は本人の遺体傍にあります。
【笹倉葉子:死亡】
※軍用車は大破し炎上中(他の物に燃え移る恐れは無い)。笹倉の荷物及び車の積載物は全て焼失。
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