希望






悲鳴にも近いエンジン音を響かせながらも、刑部たちを乗せた軍用車は1ミリたりとも前に進む事は無かった。
すでに頑強な車体には数々のへこみや擦り傷が出来ており、これが笹倉の愛車であればとっくに彼女は涙ぐんでいた事だろう。
通信機を破壊後、刑部達は更なる悪路を突っ切る為、ゆっくりと、しかし急ぎ続けていた。
なまじ丈夫に出来た車なので多少木や岩にぶつけようと、気にする事なく突き進んで来る事が出来たのだ。
とはいえ枝ならまだしも、今目の前に立ち塞がる二本の木を突破する事は、いくら軍用の車と言えども不可能だった。
「これまた、見事に引っ掛かったね」
「どうしますか? もう少し進めばちゃんとした道に出られますけど……ここが通れないと、結構前まで戻らないときついですよ?」
二本の木に行く手を阻まれた軍用車の中で、二人の女性教師は頭を抱えた。
周囲には行く手を阻む木と同じような大きさの木が、それこそ車が通る余地が無いほどの密度で群れていた。
通るなら、この前方の木々を越えるしかない。
「横がちょっと引っ掛かってるんですよね。少し削れればいいんですけど」
笹倉は積荷の中から鋸や斧といった工具を取り出した。
刑部は溜息混じりに斧を受け取り、助手席のドアを開ける。
「……全く、男手があるならともかく……」
男手……そう言って一瞬刑部の視線が宙を泳いだ。その先に誰の姿が浮かんでいるか、笹倉に心当たりがない筈もないが……
「どうします? このままだと、播磨君達が八雲ちゃん達と合流するのは時間の問題ですよ。頑張って他の道を探しますか?」
「……いや、今から他に通れそうな道を探す方が時間がかかるよ。今はこいつを何とか……ね!」
……事実、もはや回り道をしている時間は無い。
カーナビに写った播磨達と八雲達を示す点は、本当にすぐ近くまで迫っていたのだから。
笹倉が車をバックさせると、刑部は車が引っ掛かった事で生じた木の傷目掛け、手斧を振り下ろした。
人でも殺せそうなほどの鋭利な刃は深々と幹にめり込み、独特な音を立てる。
「……全く、高性能爆薬でも入っていればよかったんだが」
「さすがにそんな都合のいい物は入っていませんよね」
「チェーンソーなら確かあったんだけどね。……さて、それは誰に支給されたんだっけ?」
運転席のドアを開け、笹倉は鋸を持って現れた。
絃子とは反対の木に鋸を当て、ギコギコと腕を動かし始める。
「……考えてみれば、主催者の攻撃に悪用されそうな物は、支給しないのが原則だった」
どこかの保険医の姿でも思い浮かべたのか、刑部は今までより一段強い音を立てて斧を振り下ろした。

木々の間から分校跡の建物が見える林の中を、八雲達は駆け続けていた。
沢近が先頭に立って続いているこのランニングも、地面の悪さとこれまでの距離も相俟って、少女達に凄まじいまでの疲労を与えている。
数時間寝ていたとはいえ、リレーのメンバーに選ばれていた沢近や三原ですらどこか苦しそうだったし、それが八雲なら尚更だった。
睡眠を取ったのは半日近く前である上、元々肉体的な疲労が蓄積していた彼女にとってはまさに地獄の行軍。
播磨からというメールを見て以降、ペースメーカ役になっていた沢近のスピードは更に速くなっており、それが余計に彼女の負担となっているのだ。
「……ね、ねえ、沢近さん! もうちょっとペース落とさない?」
突如最後尾の三原がそう大声を上げると、沢近は少し不満げに後ろを振り向いた。
普段より早いペースで呼吸する沢近と三原の前で、膝に手を付いた八雲は肩で息をしている。
余裕の見受けられる三原と対照的な八雲を見て、沢近は三原の提案の意図を悟ったようだった。
「……ほら、八雲ちゃんだってきつそうだしさ。私も、もうさっきからきつくてきつくて……」
ひたすら肩で息する八雲の前で、三原は笑みを浮かべて沢近に懇願を続けた。
それに対し、沢近は三原ではなく、八雲を不満げに見つめ返していく。
「分かってるでしょ? 播磨君達ともうすぐ合流出来るのよ? だから少しでも急がないといけないのよ!?」
第六回放送後から聞き慣れた、自分への苛立ちが詰まった言葉が発せられる。
だが、それは八雲自身も分かっていた。沢近が自分に苛立つのも当たり前なのだから。
その先に播磨が……沢近は彼について勘違いしているようだが、それでも播磨がいる。
それで沢近が急ぎたくなる。少しでも早く再会したい。そしてそれには……邪魔なのは、自分だ。
「……すみません、沢近先輩。私は後から追いつきますから、先に行って下さい」
沢近への疑念が、何か嫌な感情が無いかと言えば、嘘だ。
彼女のその言葉に自身もまた僅かでも苛立ち、怒りを覚えているのも事実。
それでも八雲は沢近と話をしたかった。彼女が生き残るべき者の一人であると、それだけは揺るがないのだから。
「何言ってるの八雲ちゃん! 今一人になったら危ないよ!?」
いつしか三原が沢近と八雲の間に割って入り、両者に笑顔を振り撒きながら話を進め始めた。
……何とかこの場を取り持とうという気苦労が、当事者の筈の八雲にははっきりと見て取れる気さえしてくる。
「沢近さんも……こっちが急ぎすぎて行き違いになってもいけないしさ。それに、合流してもへとへとだと困るじゃん?」
あれこれと言葉を繋ぎ正当さを保ちつつ、三原は沢近にペースダウンを訴え続ける。
その間も沢近は不満そうに八雲を見つめていたが……やがて彼女は、無言で八雲へと近づいた。

「……あ、あの……すみません、沢近先輩……」
久しぶりに二人の距離が近づいたというのに、話したい事は沢山あったというのに、八雲には簡単な謝罪の言葉しか浮かんでこなかった。
しかしそんな八雲の精一杯にも、沢近は特に何のリアクションも示さず見つめてくる。
その沈黙に八雲は余計に不安を覚えたが、眼前に迫った沢近の顔の後ろでは、これまた不安そうにこちらを見つめる三原の姿も映る。
「……八雲、要らない荷物があるなら捨てなさい」
「えっ……」
沢近は表情を変えずに八雲に後ろを向かせ、彼女のリュックを開け放った。
三原が、そして伊織も見守る中、沢近は八雲のリュックに腕を突っ込む。
「この双眼鏡は私が使うわ。あと、あんた水を持ちすぎよ。こんなに要らないから捨てなさい」
「さ、沢近先輩……」
無理矢理荷物を取り出される度、リュックが劇的に軽くなる。今までこれを背負っていた八雲には、それがはっきりと実感できた。
1リットルのペットボトルは元より、双眼鏡とて1キロ近くの重量があったのだ。八雲にとって、重石がいくつも無くなったような物だった。
「……沢近先輩、ありがとうございます」
「な、何よ。あんたが遅いと皆が困るだけよ……」
正直な感謝の気持ちだった。沢近は口で何と言おうが、自分を気遣ってくれたのだ。
沢近は困惑気味に視線をそむけているが、八雲はそんな彼女の横顔になおも感謝の目線を向けた。
「あ、私水あまり持ってないから、捨てる分貰っていいかな?」
そんな二人にここぞとばかりに三原が割って入り、沢近が取り出していたペットボトルを自分のリュックに詰め始めた。
その表情は今までに比べ、実に柔らかい笑顔。二人の気持ちが通じた事で、ようやく自然に笑えたのだろう。

疑いがゼロになった訳ではない。苛立ちが消えた訳ではない。それでも、いくらか少女達は心を通わせる事が出来た。
その僅かな平穏を迎えるに当たり、八雲は一人の人物の存在を思い浮かべた。
もうすぐ出会えるであろう、播磨拳児……誰よりも姉を想ってくれた人を。
八雲にとってはどこか複雑ではあった。播磨との再会は、姉を思い出す事に直結するのだから。
姉の力尽きた姿をまざまざと見て、禁止エリアに置き去りにしていまった事実は、彼に会えばきっと話さざるを得なくなるだろう。
それが彼をどれだけ傷付けるか、苦しめるかは想像に難くないというのに。

この先への不安はゼロではない。他にも話したい事はある。だが今はそれを話すより、このどこか平和な沈黙の方が八雲には心地良かった。
沢近と何とか仲直りをする事もまた、八雲の素直な願いだったのだから。

内なる悪魔からの束の間の勝利のファンファーレは……三原が預かっていた携帯の、バイブレーションが奏でてくれた。

最初にメールを送ってから、数十分も経過しただろうか。
播磨は一条を引っ張ったまま分校跡の敷地にまで到達し、じきに体育館の中へと入っていった。
体育館なら他の施設よりも目立つし、分かり易い。二階部分の窓からは月明かりが差し込み、意外な明るさもあった。
古びたバスケットボールのゴール下には体操用のマットが転がっており、播磨はそこに荷物を置いて腰を下ろす。
案外埃っぽくなかった事が少しだけ気になったが、播磨はすぐにパソコンの地図で現状の確認を行う事にした。
自分達を示す点のすぐ下に、沢近達の点がある……その事実に気付いた播磨は急ぎメールを作成した。

件名:播磨
『今分校跡の体育館の中にいる。そこで待ってる』

これだけの文を打ち込むと、播磨は溜息をついて姿勢を楽にした。
その様子を呆然と見下ろす一条の視線に気付き、播磨は一条にも座るように促す。
しばらくは沈黙が流れたが、やがてようやく一条がパソコンを挟んで播磨の横に腰を下ろしたのだった。
「……なあ、一条。分かってるよな。お嬢……沢近達はすぐ近くまで来てる。もうすぐ合流出来るぞ」
サングラスを取った目で見据えても、一条は播磨を見ようとはしない。
「もうすぐだ……もうすぐなんだ」
またしても自分に言い聞かせるように呟きながら、播磨はパソコンの画面を見守り続ける。
メールが来るか、マップが更新されるか……液晶を食い入るように見つめ、その合間に一条を励ます。
その姿に一条が動く筈も無かったが、彼とて今が正念場である事を自覚しているのだ。
マップ上で見た限り高野とはある程度距離が離れているものの、刑部達は車である分、こちらに追いつくもの早い可能性がある。
彼女達に見つかる前に沢近達と合流し、このふざけたゲームを潰したい……そんな彼の願いに呼応したかのように、マップが切り替わった。
「おい、一条! お嬢達がすぐそこまで来たぞ! おい!」
沢近達を示す点が、大雑把な大きさのマップで見た限り、殆ど播磨達の点と重なったのだ。
それは、すぐ近くに彼女達が来た証。播磨にとって、最大の希望の到来だ。
「とりあえず、迎えに行こうぜ!」
播磨は一条の手を掴み、開けっ放しにした入り口目掛け走り出した。
月明かりが特に差し込む入り口は、さながら後光が差しているかのようだ。
そこに辿り着く前に、播磨はそこに人影を見た。
少し荒れ気味に呼吸をする三人と、尻尾を振る一匹の……

分校跡の敷地に入ってからは念の為に拳銃を構えていた三原だったが、沢近はお構いなしに無防備な状態で走り出した。
今まで八雲の為に若干スピードを落としていたというのに、それをすっかり忘れたかのような猛ダッシュでだ。
しかし八雲も目的地に到着したとあってか、今まで程の疲労感を見て感じ取る事は出来なかった。
それゆえ三原は念の為に一人警戒をしつつ、沢近の後を追ったのだった。
播磨からのメールの内容を信じている沢近には言えなかったが、万が一にも播磨か彼を騙った者の罠である可能性は否めなかったのだ。
まして播磨は、天王寺や吉田山を殺した男なのだから……

そんな播磨は、覇気の無い表情をした一条の手を引っ張って体育館の傍にいた。
「ヒゲ……播磨君! 一条さんも、無事でよかったわ!」
なおも一条の手を掴む播磨を見ている沢近の表情が歪んで見えたが、三原はすぐに気のせいだと思う事にした。
何せそんな事よりも、確認しなければならないことが山ほどあるのだから。
「……八雲、ちゃん……」
そんな一行の中で、誰よりも沈んでいた一条が口を開く。
その光景に一番驚いていたのは意外にも播磨のようだったが、呼ばれた張本人の八雲は、三原達より一歩前に躍り出た。
「一条先輩……」
……罠はないか。何か武器を隠し持っていないか……そんな事を一人警戒した三原をよそに、二人の少女は抱擁し合った。
「八雲ちゃん……!」
「一条先輩……良かった……無事で……」
杞憂である事を見せ付けんばかりに、一条と八雲は涙を流し、互いの再会を喜び合う。
……八雲にとって一条が大切な仲間であった事は、三原も彼女から聞いていた事だ。
共に今鳥や花井と過ごしてきた、この島に来て強い絆で結ばれた大切な人達。
数々のメールで困惑しても、やはりそう簡単に消えるような信頼では無かったのだ。
三原は一条の抱擁に少し苦しそうな顔を浮かべ始めた八雲から目を離すと、今度はそれを播磨へと向けた。
そこにはなおも一条達を見つめる播磨と、それをまどろっこしそうに見つめる沢近とのツーショットがある。
……どうも沢近は一条達の光景を播磨と再現したそうに見えない事もなかったが、やはりそれも今は関係ない。
彼女達にすぐに色々話をさせる訳にはいかないだろう。だからこそ、播磨からは色々と聞かねばならないのだ。
「播磨君、まずは色々聞きたい事があるんだけど……」
「あ? ああ、えーと……はら」
「三原だよみ・は・ら!」
……どうも三原は寝ている間変な夢を見ていたようだった。そのせいか播磨が何を言いかけたのか、何となく分かった気がする。
「色々聞きたい事があるわ。晶は? 雪野さんは? ……西本君達は、どうなったの?」
三原がハラミを封じた間に、沢近が質問に入った。別に誰が聞いても変わらないとはいえ……播磨の表情は、一転して険しい物となった。

「お嬢、俺はこんなクソゲームをぶっ潰したい。その為にも、俺に協力してほしい」
「えっ……」
……真っ直ぐに見つめながらのあまりにストレートな物言いは、沢近に対してはかなりの効果を発揮したようだ。
何故か微かに頬を赤らめ、しばらくあちこちを見回してやがて首を縦に振る。
何だか今までの気苦労は何だったのかと三原は別の意味で疲れ始めていたが、そんな平和な疲労感などたちまちに吹き飛んでしまう。
「お嬢、よく聞け……今はまだ北の方にいるが、高野の奴は本当に俺達を全員殺す気だ。まずはあいつを止めないといけねえ」
月明かりに映えた沢近の赤ら顔が、瞬く間に本来の色に戻っていく瞬間を三原は見た。
沢近とは仲が良かった、あれほど信頼していた高野の事実が、やはりストレートに告げられていく。
「あいつは雪野を殺した……烏丸も、あいつにハメられてたんだよ」
「……な、何言ってんのよ……烏丸君は大塚さんを殺して、砺波さんを人質に取って逃げてたんでしょ?」
「嘘じゃねえよ! あいつは今も俺達を殺そうとしてる……あいつ、教師達にフラッシュメモリの情報も伝えて、絃子達を呼びやがった」
播磨の言い草は、三原には嘘を言っているようには見えなかった。
沢近の反論も、彼の言葉を否定している物ではなく……ただ高野の事を信じたいという、そんな言葉にすぎないようだ。
「……そんなはず、ないわよ……だって、晶なら……」
「……播磨君、パソコンって地図が見られるんだよね? 見せて貰ってもいいかな?」
……播磨の言葉だけでは、全てが掴めないのもまた事実だった。
三原はパソコンを見せて貰うよう提案し、播磨もそれを承諾する。
呆然とした沢近の肩を押して、三原達は播磨の後ろに着いて体育館の中に入っていった。
入り口前では伊織が見守る中、一条と、より苦しそうな表情に変わった八雲がなおも再会を喜んでいたのでそっとしておく事にしたが。

パソコンの地図には確かに、雪野の死を意味する黒点があった。
他にも西本達の黒点があり、自分達のエリアより北には……高野を示す赤点もある。
少なくとも雪野の死が確実となってしまい、沢近はより大きなショックを受けているようだ。
……そんな彼女に悪いと思いつつ、三原は更に事実を埋める事を選んだ。
ここでこれ以上一条や播磨を疑わずに済むように……そんな彼女が目を付けたのは、マーダーランキングと書かれたアイコンだ。
「播磨君、このマーダーランキングってやつ、見ていい?」
「おう。……てか、こんな物いつ出来てたんだ?」
播磨も知らないらしいこの項目を、三原はクリックして表示させた。
そこにはハリーの名を筆頭に、数々の殺人者の名前と、彼らの犠牲者の名が連ねられていた。
……その上位には、確かに高野の名があった。犠牲者欄には雪野の名こそ無かったが、永山、大塚、そして砺波の名が……
「……嘘……大塚さんが、晶に……?」
沢近が震えだし、三原はすぐに沢近の肩に手を添え、落ち着かせようとした。
本当は播磨がこの役割を担うべきなのだろうが、どうも彼は肝心な所が抜けているらしい。
……いや、彼には残された事実の説明という大役が残っていた。
高野から聞いたと前置いた上での西本達の死の経緯、それからは自身が見たという高野の思惑、教師達の襲撃、そして雪野の死――
それらの説明は、少なくとも一条や雪野からのメールで生まれた疑惑を解消するには十分だった。
だが、マーダーランキングのような証拠もあって更に沢近を傷付け、追い討ちをかけるような物でもある。
何せ高野の話を事実と思い疑った烏丸こそが潔白で、その疑われた罪全てが高野の物だったのだ。
沢近の行いも、結果的に無実の烏丸を追い詰め、西本達を含む多くの命を奪う事に繋がってしまった。
……三原には他にも気になる点はあった。一条が、烏丸と一緒に西本まで撃ったという事実。
ショットガンで撃ったというから、恐怖に駆られて巻き添えに撃ってしまったのかもしれない。
播磨はこの辺りの説明の時にはかなり慎重に言葉を選んでいたようだったが……きっと、やむを得ない状況だったのだろう。
三原はこの場ではそう思う事にした。

「……お嬢。まずはフラッシュメモリを片付けて、それから皆で高野を止めるぞ。その後は、全員でこんな島から脱出するんだ」
「全員って……晶、も?」
「当たり前だろ!」
沢近の落胆具合を目の当たりにしての、なお力強い播磨の一声は、明らかに空気を読めていないとの感想を三原に与えた。
「……そうよ、ね。止めなくちゃ」
だが、その一声は……沢近には、何よりの力強い励ましとして聞こえていたようだった。
「あのバカ……見つけたら引っ叩いて、皆に謝らせて……それから、脱出するのよ! 皆で!」
「そうだぜ、お嬢!」
……今までのドロドロの人間関係は何だったのだろうかと、三原は呆気に取られながらも思った。
大声を張り上げたのはたった一人なのだ。なのに空気は一変した。
あれほど苦労した沢近と八雲の仲も、結果的にメールを通しある程度和らげた。そして、今もまた沢近を前向きに蘇らせて見せた。
播磨という男の存在感は、大きかった。だが、それが逆に三原の中で違和感を生じさせていく。
――じゃあ、天王寺君や吉田山君を殺したのは?
ゲーム開始からそう時間も経たないうちに聞かれた、彼による数々の殺人の噂。
血に塗れた跡がある今の彼を見ている限り、果たしてそれが真実なのかが三原には分からなくなってしまっていた。
もう一度マーダーランキングをよく見ようとしたが、その前に播磨が地図画面へと切り替え、三原は引き下がる。
まさか、三原の考えを読んだ……のではないだろう。播磨はフラッシュメモリを取り出し、それをパソコンへと差し込んだ。
「バカ、そっちじゃなくてこっちに差すのよ! そこはイヤホンの穴じゃない!」
……沢近の的確な助言もあり、播磨は今度こそ正しい穴へとフラッシュメモリを差し込む。
やがて灰色の画面と警告文が現れ、既に一度見ていたという沢近が手早く読み進め、パスワードの入力画面が現れた。
「そうよ……晶の奴だって、これがうまく行けばきっと考えを変える筈よ。でしょう?」
「ああ。聞かなくたって、その時は俺達で止めてやるんだ。で、あとは全員で帰るんだ」
「そうよ! ……三原さん、携帯貸してくれる? 番号はそれにも保存しておいたから」
「う、うん!」
携帯を手渡すと、沢近は播磨に見せながらそれを打ち込ませる。
「あーもう、そこは大文字でしょうが!」
「大文字ってどう打つんだよ!?」
「Shiftキーくらい押しなさいよ!」
……二人の口喧嘩を見ているだけなのもあれなので、三原は八雲と一条を呼びに行く事にした。
播磨は意図せずしてスローペースで首輪の番号を打ち込んでいるし、二人を呼ぶには十分な時間があるだろう。
あれほど遠くに感じた希望が、すぐ掴めそうな場所にある。
三原はいつにも増して軽やかな足取りで、ようやく立ち上がった八雲と一条の元へと向かった。

雪野が死んだ。心を折られた一条は、ひたすらに播磨に連れられ歩く事しかできなかった。
播磨の手は暖かい。人を殺し、血に汚れた手であったにも関わらず、とても暖かい物だった。
時にそんな事も考えながらも、やはり一条にはそれ以上思考を働かせる事が出来なかった。
無力になった自分では、もう何も出来ないと思っていたのだ。
だが、八雲に会えた。自分と同じく、今鳥に許された彼女に。
自分を唯一許してくれる、今鳥と共に過ごした八雲。
一条が現在唯一すがる事が出来る、何よりも掛け替えの無い存在だ。
……十分に再会を喜んで、一条は八雲の背に回していた手を放した。
八雲が直後に咳き込んで不安を覚えたが、苦しそうに笑った彼女を見て安堵を覚える。

「八雲ちゃん、一条さん!」
これまた足取り軽やかな三原が、体育館の入り口から手を振ってきた。
自分達以外が体育館の中に移動していた事に、今更ながら気がついた一条。
だが、八雲と抱擁した中でまた今鳥から許されたとすら思えた一条には、何の怒りも浮かぶ筈がない。
かつては殺人者と疑った相手である三原にすらも、である。
圧し折られかけた心は、まさに今鳥によってまた真っ直ぐに伸ばされたのだ。
「これから……とにかく、すぐ来て!」
思わせぶりなジェスチャーを見せ、三原は体育館へと急ぐように促した。
八雲はその意図を掴んだのか、軽く首輪を指差した後で走り出す。
……盗聴対策。という事は、フラッシュメモリを使う……
一条もようやくその意図に気付き、八雲と伊織のすぐ後ろについて駆けた。
中ではパソコンの前で播磨と沢近が並んでおり、打ち込んでいる最中のようだった。
それを八雲は一瞬冷ややかな目で見ていたが、三原に促され、すぐに笑顔を取り戻して走った。
やがてパソコンの前には高野を除く生き残り全員が集い、すぐ目前に迫った希望を囲んだ。

「ほら、やっぱり八雲ちゃんが中心じゃないと!」
三原に促され、八雲はパソコンの真正面で中腰になった。
左側には沢近が、そして右側には播磨が……二人に割って入るように、八雲が押し込まれた形だ。
自分の番号が当たりではないかと目された為というのが大きいのだろう。少しだけ不満そうな沢近を除いては、軒並み笑顔。
「……妹さん」
「播磨さん……」
……いや、もう一人だけ複雑そうな顔をした男がいた。
サングラスを取っていた事で、どこか寂しげな播磨の表情が八雲には伝わって見える。
今自分を見て、播磨が誰を想っているのか……八雲には、八雲にだけは心当たりがはっきりとある。
「ほらヒゲ、番号が合ってるか確かめたら、早くやっちゃいなさいよ!」
沢近の言葉も、今回は実にいいタイミングだった。
ほんの少しだが、八雲は播磨を傷付ける時間を延ばす事が出来たのだから。
播磨が八雲の首輪を直接見て、パソコンとの睨めっこを始めた。

……これで何が変わるのかは、分からない。
自分の番号が正解ではないかもしれない。
でも、これが終わったら……誰よりも姉を想ってくれたこの人に、知る限りの事を話そう。

ちらつかさせ始めた希望を前に、八雲はそう決意した。


そんな八雲の決意を知ってかしらずか、一条は久しぶりに笑っていた。
八雲の首輪番号、SRBR-Z365FIN-0……パソコンに打ち込まれたたったこれだけの文字列の為に、どれだけ苦労した事だろうか。
思えば半日近く前に、パスワードの必要性を一条達は知っていた。
その時は他に沢近や西本もおり、彼らと共に希望を分かち合っていた。
……いつから、そんな彼らを嫌悪するようになったのだろうか。
今にも掴み取れそうな希望を前に、一条はそんな疑問すら思い浮かべる。
播磨は、沢近は、八雲は……殺人者とは、何なのか……
今鳥に許され、希望を掴みかけた中での思考の変化を感じながらも、やがて一条も一同の輪の中に加えられる。
八雲と彼女が抱きかかえる伊織を中心に据え、全員でパソコンを囲み……播磨の人差し指が、Enterキーへと添えられた。

心臓が高鳴る。口元が緩み、今にも笑い出しそうな者もいた。
これが終われば、また色々と話をしようと考える者もあった。皆で脱出する青写真を描く者もあった。
一条もまた、八雲に続く希望に心を躍らせているのだった。


「じゃあ、行くぜ!」
播磨は自らの宣言と共に、その指でEnterキーを力強く押した。

ポンという甲高い祝音が、鮮血と共に上がった。



赤々とした血は等しく四方に舞い、そこにいた全員を染め上げた。
全員がその出血先を振り返るや、驚きに包まれたままの八雲が崩れ落ちる。
全身を血に染めた伊織が八雲の腕から飛び出し、少しだけ距離を置く。
目を開けたまま体育館のフロアに倒れた八雲の首からは、勢いこそ落ちたものの、なおも血がこぼれていった。

「あ、あああ……ああああああああああああああああああああああ!?」
血溜りに沈んだ八雲の体以上に、崩れたのは一条の心。
折れかけた彼女の心を支えてくれた少女の血染めの死体は、脆い心をいとも簡単に粉砕する。
両手で耳を覆い、頭を振り乱し、一条は泣き叫んだ。

フロアに膝を付いてパソコンの画面を見ていた沢近の左頬にも、八雲の夥しい量の血が飛び散っていた。
突然の出来事に、涙も出ない。そもそも何故こうなったのかも分からない。

『おめでとう。これであなたは一人の命をこのゲームから救ったのです!』

ただ、パソコンの画面には一言、上記の言葉が添えられていた。
それを見て、沢近は気付く。……このフラッシュメモリが、最初から罠であった事に。
危険性の低い人物をターゲットとして選んだつもりだ――
メモリの説明には最初からそう書かれていた。つまり、殺し合いに乗りそうに無い人物をターゲットにし、それを殺させたと……
今まで走り続けた疲れが、どっと沢近に襲い掛かる。
怒りに腸を煮えたぎらせているのに、指先一つにも力が入らない……沢近は今、本当の絶望の味を知った。

そして、そんな沢近の横で……右頬に大量の血を浴びた播磨もまた、硬直していた。
固まってしまった男女の間に横たわった八雲だったモノに、播磨はゆっくりと視線を向ける。
……脱出の、切り札だった筈だった。これをきっかけにして、これから皆でこの島から脱出する筈だった。
播磨の描いた未来が、音を立てて崩れていく。
……そしてその最中Enterキーを押した人差し指の僅かな感触が、彼に不快感を通り越した気持ちの悪さを与えていった。

最後に……三原は、一条程ではないにしろ、涙を堪える事が出来ずにいた。
この島に来るまでは、殆ど交流が無かった八雲。
だが、出会ってから12時間程しか経っていないにも関わらず、八雲は三原の中で掛け替えの無い存在になっていた。
麻生の暴走と、それに伴う悲劇……その後に生き残り、互いに泣き合って、支えあった二人だ。
友達とか、そんな言葉では言い表せない絆。それが、こんな形で別れを告げる事になってしまったのだ。
……三原もまた、パソコンの画面に目を向けた。
悪意に満ちたその文面は、希望という名の夢にすがり続けていた彼女の心を完膚なきまでに打ちのめす。

崩れゆく心の中で、三原には沢近と同じように、やがて憎悪の炎が燃え広がり始めていった。
彼女自身、一度は染まりかけた感情だ。再びそれが広まるのは、実に早い。
夢を見る術を失った少女の怒りは、やがて当然ながら教師達へと向けられる事となる。
だが、それ以上に……目の前で八雲を殺してみせた、播磨を恨めしげに見つめる三原。
彼女の中でこの島に来て早い時期から始まっていた、解消する機会に恵まれなかった播磨への数々の疑念が、ここに来て爆発していく。
「やっぱり、人殺しだったんじゃない……」
一条の絶叫に掻き消された三原の一言は、やはり他の誰にも悟られる事はなかった。

一方的な憎悪も、突発的な混乱や絶望を前にすればたちまちに正当化される。
四人と一匹には広すぎる体育館の片隅で、四人の男女は今まですがり続けていた希望の消失に飲み込まれていった。

ようやく舗装された道路に降り立った軍用車。
今までの鈍行の鬱憤を晴らさんと法定速度など無視して走り始めていたが、それもやがて止まる。
カーナビの示す男女の点のうち、一つが黒く染まったのだ。そこには黒字で「八雲」とはっきりと書かれている。
「くっ……!」
強化ガラスを叩き割らんとばかりに、刑部は皮の剥けた手で助手席の窓ガラスを叩きつけ、そのまま俯いた。
フラッシュメモリの使用阻止こそが彼女達の目的だった。だが、それは叶わなかったのだ。
何せ、八雲だけが死んでしまったのだから……通信機を壊した事で生徒達の声を傍受できなくなったとしても、それだけは分かる。
「……やはり、葉子の言う通りに回り道をすべきだったのかな?」
「仕方がないですよ……他の道を探していたら、まだ道路にだって出られなかったと思います。どうしようもなかったんですよ」
結局二人は斧や鋸を駆使し、何とか車が通れるだけの隙間を作っていた。
だが、女手だけでは作業がはかどる筈もなく、その間にも確実にカーナビは播磨達と八雲達の接近を知らせ続けていた。
どちらか一人が走って追いかけても到底間に合わず、結果的には車と……希望という名の爆弾にすがっていた、生徒達に賭けたのだが……
「姉ヶ崎先生は、さぞお喜びだろうね……!」
「そう、ですね」
苦虫を噛み潰したような顔をして、刑部はライトに照らされた先を見つめた。
笹倉にも笑顔はない。もっとも、刑部程感情を表に出す事も無かったが……
笹倉は相槌をうってからすぐに、無言でアクセルを踏みしめた。
シートベルトをした刑部の後頭部が助手席のシートに軽くぶつかるが、それでも刑部は表情を崩さない。
――教師が生徒を救おうとするも、結局なにもできなかった……。
姉ヶ崎の言っていたシナリオ通りという事なのか。刑部はどうしようもない苛立ちに襲われていく。
相手はいつでも自分達の首を吹き飛ばせる状態にあり、そんな姉ヶ崎を血祭りに上げに行く事など不可能。
ならば……やはり自分達に出来る事は、せめて姉ヶ崎のシナリオを破壊してしまう事だ。
そう刑部が告げるまでもなく、笹倉もまた分校跡を目指しているようだった。

殺し合いを強いられる極限状態は、皮肉にも現実世界とは違い、万人に平等だった。
何故ならこの世界に、本当の希望などないのだから。

【午前:3〜5時】

【播磨拳児】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:疲労大。返り血にまみれている。極度の混乱状態
[道具]:支給品一式(食料4,水2)、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ)、シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾14発)
     ノートパソコン(バッテリー、フラッシュメモリ付き)、インカム親機、さくらんぼメモ、烏丸のマンガ
[行動方針]:不明。愕然
[最終方針]:生き残ってマンガを描き続ける。
[備考]:サングラスを外しています。高野を殺人者と認識しています。ゲームの目的を知りたがっています。リュックの一部が破損してます。

【一条かれん】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:疲労超大、肩を負傷(止血)、極限の精神不安定状態。返り血にまみれている。完全に混乱
[道具]:支給品一式(食料5、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:不明。号泣
[最終方針]:???
[備考]:何をすればいいのか完全にわかってません

【沢近愛理】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:かなりの疲労。返り血にまみれている。重度の精神的不安、絶望と怒り
[道具]:支給品一式(水4,食料8)、デザートイーグル/弾数:2発、vz64スコーピオン/残り弾数20、アクション12×50CF(双眼鏡)
[行動方針]:不明。呆然、憎悪
[備考]:教師らを激しく憎悪。一条が嵯峨野の死体を見つけたと勘違いしています(一条は死体の顔を確認していません)
     所謂"悪魔の囁き"が聞こえ始めています(本人に強い不安)
     高野への信頼にかなりの揺らぎ。播磨(特にいろんな意味で)を強く信じる。

【三原梢】
【現在位置:G-03北部、分校跡体育館】
[状態]:かなりの疲労(特に精神)、左掌に銃創(応急処置済み)、返り血にまみれている。絶望と怒り
[道具]:支給品一式(食料1.5、水3) UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(1発)、ベレッタM92(残弾16発)
      9ミリ弾191発 エチケットブラシ(鏡付き)、ドジビロンストラップ、携帯電話(残量約半分)
[行動方針] :不明。……八雲を殺したのは? 希望を絶ったのは?
[最終方針]:???
[備考] :播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。播磨、教師らを激しく憎悪。高野を危険人物と認識。

【笹倉葉子】
【現在位置: F-03中部】
[状態]:疲労、両手の皮が剥けて痛み
[道具]:リボルバー(S&W M686Plus)/弾数 6発、.357マグナム弾20発、テーザー銃(使いきり。要カートリッジの交換)
    暗視ゴーグル、ヘッドライト、金属探知機、セキュリティウェア
[行動方針]:播磨の後を追う。
[最終方針]:反主催
[備考]:なし

【刑部絃子】
【現在位置: F-03中部】
[状態]:疲労、両手の皮が剥けて痛み
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数 16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
    突撃ライフル(コルト AR15)/弾数:37発、暗視ゴーグル、ヘッドライト、金属探知機、セキュリティウェア
[行動方針]:播磨の後を追う。
[最終方針]:反主催
[備考]:なし

軍用車(詳細不明、車全体に傷・へこみ)には、二人分の様々な荷物を積んでいます。


【塚本八雲:死亡】

――残り5名


※八雲の荷物は本人の傍にあり、以下の通りです。
 支給品一式*2(食料3、水3)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)



前話   目次   次話