Infectious disease






 垂れていた腕を持ち上げて、手首ごと空にかざす。小さな円形の中に寄り添うような二本の針が見て取れる。
定期放送の十分前。ある種の期待すらこもった時間が訪れる。
待つ間は静かだった。三原も沢近も、あれ以来突然叫びだしたり寝返りをしたりといった動きがない。
いつの間にか起きたのか、伊織だけはたまに欠伸をして頭をもたげ、尻尾を左右に振っていた。
周囲の見張り、といっても実質できることはない。静寂のおかげで八雲には充分な考える時間が与えられていた。
覗き見たメールによって植えつけられた混乱は相変わらず心に残っている。
だが待つだけで手に入る答えとは楽なもので、理性や冷静さを消し去るには到らなかった。
どの感情も互いの場所を奪い合うことなく、共存して八雲に残り続けている。

「三原先輩……起きてください」
 彼女が最初に声をかけたのは三原だった。睡眠時間は沢近より長い。
もしかしたらすんなりと起きてくれるかもしれない。そう考えて。

「……ううん、牛のおなか言うな……」
 体を揺すられ理解不能の寝言を呟きながら三原が体を起こす。
んんー、とまだどこかとんだ意識がとんだ様子を見せていたが八雲の顔を見るや、すぐさま彼女は立ち上がった。
「八雲ちゃん?……あ、そうか私あのまま!」
「おはようございます。放送の十分前です」
 三原はおはようとありがとうがまざったような返事をして、なんとなくだが空を見上げる。
眠る前と大きく変わってしまった空には冬の星が広がっていた。
星座の名前など何一つわからなかったが、その美しさに心奪われ、生きることの幸せをかみ締める。
やがて満足したのか顔を落とし、八雲のほうへ目を移す。そこには横たわる沢近がいた。
思わず上げてしまった声が引き金になったのか、沢近も意識を起こし三原のほうを向く。

「!……三原さん」
「え?え?沢近さん、いつの間にここに?」
 先輩が眠ってしばらくしてから、と八雲が簡単に説明する。
三原はすぐに駆け寄り互いの無事を喜び沢近に手を差し伸べた。対する沢近は何かしら考え迷った後、同じように手を返す。
握手の間に聞こえてきた伊織の声が、二人の無事と出会いを記念しているようで沢近には印象的だった。

「えっと、三原さん。八雲。色々あると思うんだけど、まず」
「放送がすぐです。後にできませんか?」
 首輪を確認するくらい――と沢近は喉まで出掛かるが慌てて止める。盗聴器があるのだ。
まず二人に盗聴器の存在と首輪の番号について筆談で説明しなくてはならないが、放送まで時間はない。
八雲が止めてくれなければ危うく存在を漏らしてしまうところだった。
そして放送という単語が沢近に不安を抱かせる。一条からのメールの真偽がある程度はっきりするのだから。

 残された時間でポケットから携帯電話を取り出しメールの着信がないか確認を行う。
あ、と八雲が呟くが仲間から借りてる支給品だと教えキーをいじる。
だがそこに新着を知らせるメッセージはない。軽く落胆した後に、仕方なしに先程の一条のメールをもう一度確認しようと
受信メールボックスを開いた。そして異変に気付く。数が記憶と一致しないのだ。増えている。そこで声をかけられた。

「せ、先輩。携帯電話のメールなんですけれど……沢近先輩が寝てるときに見つけてしまって、気になって……」
「……そう。見たのね。あらほんと。一番新しいのは私が寝てた時間ね」
 謝ろうとする八雲に、沢近は別に不快感を感じてはいなかった。こんな状況なのだから無理はない。
携帯電話があれば見てしまうものだろう。自分だっておそらくそうしたはずだ。
むしろ説明する手間が少し省けた、と考えながらすぐに最後のメールを開いて目を通す。親友のイタズラであることを祈って。


「な……」
 願いは空しく裏切られる。それどころか高野や播磨といった彼女が信を置く人物を糾弾する内容だった。
そして彼らを殺せと自分に助けを求めている。だが文脈はどこか非難めいたものを感じさせた。

(まだ何も説明してないのに……これをあの子に見られたっていうの……?)
 携帯電話を横目に八雲を伺う。だが姉と違い、彼女の表情は何も読み取らせようとしない。
「……沢近先輩。どういうことなんですか?」
「あ、あの!事情がよくわかんないんだけど……ケータイ?相手は?助けとか呼べないの?」
 自分が置いていかれた感があり不満だったのか、沢近は三原にまで説明を求められる。
首輪より先にすることができてしまった。仕方ない、まずはと思ったところで放送を知らせるチャイムが強引に割り入る。


『こんばんわ〜っ!保険医の姉ヶ崎です』

 * * * * * * * * * * *

(何で、何でよ……本当なの?嘘よそんなの!)
(おかしいよ……どうしてこんなに一気に皆……わけわかんない。ここも禁止エリアになっちゃった)
(…………)


 三人は愕然として、『まだ続く』という放送を待つ。身動きすらとれなかった。
自縛の時間などお構いなしに、やがて姉ヶ崎の嘲るような声が再び響く。
更に声の主は谷、加藤、郡山、刑部、笹倉と次々に変化し三人へ『励ましの言葉』を送る。


「ふ……ふざけないでよっ!見てなさい!驚かせてやるんだから!」
 加藤か郡山を過ぎたあたりだったろうか。耐え切れなくなった沢近が憤怒に顔を歪める。
ここでいくら叫んでも意味はない。けれど盗聴器を通して伝わっているはずだ。なら宣戦布告くらいにはなる。
沸騰した頭の中に僅かに残った理性がそう告げてる。放送が完全に終わるまでの間、
沢近は肩を揺らし大きく息を吐くことでどうにか焼ききれそうな感情を押さえ込んだ。


「ふん。……ウチの先生はロクデナシばっかってことね。誰が言うことなんて聞くもんですか!」
「そうそう!谷先生なんてわざとらしい演技なんてしちゃってさ!腹立つなあ!」
 本来すべきことをおざなりにして、三原とともに文句を吐き捨てる。地面を踏み、草を蹴り散らす。
何かにぶつけないと耐えられないほどに、先程の放送は二人の感情を高ぶらせていた。

「ナーオ」
 会話の合間に入ってきた伊織の鳴き声に二人ははた、と気付く。先程から八雲の声を聞いていない。
まさか何も思わなかったわけではないだろう。何故彼女は何も言わない?ゆっくりと八雲がいるであろう方向を振り返る。


「……そろそろ話の続きをしてもいいですか?」
 冷静に、八雲はこれからのことを囁いた。二人ともそんな彼女に驚きを隠せない。
「そ、そうね……」
 八雲は冷静だった。何故なら『励ましの言葉』を聞くよりも早く、より大事なことを告げられたのだから。
正確に言うなら、そのことに頭を集中させていて教師らの一言にまで思考をまわす余裕がなかった。
なにやら自分も呼ばれていた気がするが、そんなことはどうでもよくなるほど『あのこと』は重要だった。
だがそんな事が沢近と三原に当然わかるはずもなく、違和感だけが二人に残される。

「メールの内容と放送は一致していました。全部……本当なんですか?」
「だ、だから何よ!違うわ!そりゃあ名前はそうだけど、晶やヒ、播磨君がそんなわけ!」
「あの……二人とも、よくわからないけれど今はここを離れるのが先だよ?G-03へ行かないと!」
 最大の懸念を指摘した三原が一番冷静だったのかもしれない。
南は既に禁止エリアであるし、西は海。E-05も指定されてしまった以上東に行っても孤立するだけである。
北しか選択肢はないが、残された時間は一時間未満。だが彼女達は自分らがいるエリアしか知らない。
安全地帯のG-03へ到達するための距離も時間も全く検討つかないのだ。

「『メール』って私にはわからないけど、今は時間がないよ。八雲ちゃん、気になるかもしれないけど今は逃げよう?
 沢近さんも言いたい事はあるかもしれないけど我慢して欲しい。後でちゃんと私にも教えてね」
 三原の指摘は的確だった。事情を知らない上で、八雲や沢近の気持ちを汲み取り配慮した形で口にする。
考えると当然のことではあるのだが、極限状況でそれを実行できる彼女に二人は反発など抱くはずもない。


「えっと、北はこっちね。地図によるとちゃんとした道があるみたいだから、そこにぶつかるまで行きましょう」
「走ったほうがいいのかな?八雲ちゃん、まだ大丈夫?……八雲ちゃん?もしもし」
 出発の準備を整えたところで、三原は八雲の態度が気にかかった。
聞こえていないのかと肩を掴んだことでようやくこちらに気付き、すいませんと一言。
何かをためらっているような印象を醸し出しつつ、八雲もリュックを背負いこちらを向き直った。
放り投げたオールが地に落ちるのをきっかけに、三人は一斉に駆け出す。

「っは、っは、っは……」
 滴るような緑の木々の隙間を縫って三者が走る。荷物のなかからガチャガチャと金属音が漏れる。
盛り上がった地面を駆け上がり、両足で跳び木の根を飛び越え、背をかがめ正面の枝を避ける。

「すべるわよ、足元気をつけて!」
「狭くなるわよ!横、注意して!」
 先頭を行く沢近が注意点をいちいち喚起してくれることに感謝しつつ、三原は後を追う。
走る、といっても全力疾走ではなく速度は軽いランニング程度。先頭の彼女が先を気にするなら
自分は後ろに注意しよう。たまに背後を振り向くが八雲はちゃんとついてきている。伊織もその足元にぴったりと。
走りながらではあまり表情を伺えない。しかし何故か不安になり再び振り返る。確認し、またそれを繰り返す。
何度目になったろうか、耳に言葉が届いた気がした。正確には意味を持つ言葉になる前の段階であったが。
それはところどころが抜け落ちて何の役目も持っていない。もっとはっきり聞こえないだろうか?
隙間を埋めて一つの意味を見出そうと働かせた頭が、やがて結論を導き出す。
そして出発前に八雲が何を考えていたのか、なんとなく理解できた気がした。

『ご め ん 姉 さ ん』

 今は振り返らないほうがいいのかもしれない。下手に気を利かせないほうがいいのかもしれない。
三原は神経を己の足と目を完全に正面に向け、左手に響く痛みを堪えながら沢近の後を追った。



「はっ……はっ……もう、大丈夫ね。休憩しましょう。休みながら、全部話すから……」
 時計を確認する。リミットまではまだ余裕があり、三十分前を示していた。
目標としていたアスファルトで塗装された道は歩くに適し座るには硬い。数メートル外れた草地に三人は身を寄せる。
夜の影響なのか若干冷えたペットボトルの水で喉を潤す。この島に来てから水のありがたさを何度かみ締めたかわからない。

「先輩……」
「わかってるわよ。急かさないで。ちょっと待ってなさい」
 沢近はまずメモ帳を取り出して、首輪に盗聴器が仕込まれていることを教えようとする。
だが既に二人はそれを何らかの手段で知っているようで、いきなり出鼻をくじかれた。
続いて口頭で必要最低限のこと――今は一条が持っているであろうノートパソコンの首輪探知とメール機能を知らせ
一方で携帯電話を頼りに、筆談でフラッシュメモリと首輪のパスワードを説明した。それが残された希望だと付け加えて。
さすがに二人とも驚いたのか、特に三原は八雲の手を無理矢理握りぶんぶんと上下に振って喜びを表現する。

『八雲の番号が正解だと私は信じてる。皆の命がかかってるの。まずこっちを解決させて』

(あ、しまった……花井君達を確認する時間くらいあったかも……でもどのくらいかかるか分からなかったし……)
(……本当に私が?どうして私を選んだの?……私を……)
 自分達が関与しない間に事は想像以上に進んでいた。三原と八雲は互いの立場で過去を振り返る。
信じられない感もあるのか、沢近に首元を探られながらも八雲は特に抵抗しなかった。
照明代わりだろう、携帯電話の光が眩しい。続いて三原も沢近に首元を見せる。

『三原さんがSRBR-HRM3KOQ-E、八雲がSRBR-Z365FIN-0』
 メモに記し、急ぎそれを携帯電話に打ち込む。
色々と聞きたいことはあったが、まずは一条達にこれを知らせるべきだ。何度かキーを叩き簡単に文章を作る。
だが何故かメールの作成が進むほど、指の動きが遅くなる。
そして最後のボタンを押す前にとうとう指が止まってしまった。まるで自分の手でないかのように思うように動かない。
足も動く。余った手も動く。だがメールを送信する指先だけが全く思うとおりにならない。
(……何で……どうして……)

「不安ですか?これで違っていたらと思うと押せませんか?……正しいと思います」
 止まった沢近を動かしたのは、八雲の意外な発言だった。どこか悲壮感が漂っている。
だが信じてきた希望を否定された気がして、沢近は口を開いた。今度は慎重に言葉を選びながら。
「危険性の低い人間ってあったわ。……何が言いたいわけ?」
「!――や、八雲ちゃ」
「私が麻生先輩を殺していても、ですか?」

 かしゃん。携帯電話が沢近の手から離れ落ちる。考えなかったわけではない。
だが禁止エリアやメールに気をとられ、あまり注視できなかったことだ。いや、避けていたのかもしれない。

 ――誰が花井達を殺したのか。答えは唐突に宣告された。



「私を救ってくれた花井先輩を、そしてやっと会えたサラを狂ったあの人は撃ちました。
 けれど後悔して正気に戻っていました。涙を流して、自分の過ちを心底悔いていました。
 サラが、自分を犠牲にして成し遂げたんです。……そんな彼を私は殺しました」

 八雲の告白を膜を通したような鈍い意識で沢近は聞いていた。
麻生広義という人物像を考えたら人を――ましてや級友である花井やバイト仲間のサラを殺すなどあるはずがない。
だが告白する彼女の表情は真剣そのもので、自分の行為への後悔がありありと浮かんでいる。

「麻生君が……そんな……でもそれなら仕方ないじゃない。自分が死ぬのよ!?そして犠牲者は増え続ける!」
 疑惑を否定したい気持ちよりも、彼女の主義主張が覆い隠す。自分とて同じなのだから。
「……仕方がない……そうでしょうか?先輩も、誰か殺したんですか?」
「美琴の仇と嵯峨野さんの仇よ!二人だけじゃない、大勢の人達が犠牲になったの!それが悪いって言うの!?」
 親友を含め、多くのクラスメイトが犠牲になった。その敵討ちが間違っていると言うのだろうか?
焦りが背筋を走った。止むを得ないことであり否定されるなど思いもしなかったのだから。
だがそれは違う。自分は絶対に正しい。強く、携帯電話を握り締めてがむしゃらに主張する。

「先輩が殺した人が、どんな人か私は多分知りません。……だからそこを責めるつもりはありません。
 かえって安心しました。……先輩が何故血で汚れているのか、納得できました。
 誰かを護るために、何かのために戦わなくてはならないという考えは、今の私も同じです。……先輩は正しいと思います」
「え?……な、何よ。じゃあアンタだって……」
 激昂しそうになった沢近の心に、暖かいものが戻る。静かな八雲の声が荒れかけた心を落ち着かせた。
否定されなかった喜び。肯定される安心感。沢近は既に台風の後のように落ち着いていた。
そして二人の関係はお互い様。どうして自分だけが悪いかのように振舞うのか。問いただす前に八雲が先手を打つ。
「もう一度言います。……サラは成し遂げたんです。恐ろしい悪魔を掻き消したんです。
 たった一つの命で、二度とない奇跡を起こして。それを台無しにしてしまいまったのが私。
 ……それは……サラさえも侮辱すること……『危険性が低い人物』?…………だから私は違うんです」

 後半は、もはや声がかすれていた。話の本筋からも逸れているが、沢近も告白を止めようとした三原も言葉が出ない。
前提から違っていたのだ。最後まで修羅だったハリーや城戸を止めた沢近と、心が戻った麻生を殺した八雲。
首輪の件に関して言えば、明らかに時間軸に反した論理。だがそれを凌駕する果てしない後悔。
何より内向的な彼女にこれほどの激情があったことが意外だった。天満すら知らない一面を見た気がする。

「私は……それでもアンタが悪いとは思わない」
 それが精一杯の言葉だった。沢近も三原も、無力感に慣れてしまった気すらした。
だが人殺しという枷を背負っても誰かを気遣える八雲と沢近を、三原は少しだけ羨ましく思った。



 どうにか動くようになった体を使い、沢近は無言で携帯電話を拾う。
一度メールを保留にし、届いたメッセージを読み直した。
もはや親友の悪戯という逃げ場はない。そこまで悪趣味ではないだろう。
「三原さん、メールの中身を急いで読んで。……驚くかもしれないけど。今度はこっちの事情話すから」

「……うん」  ピ、ピと無機質な機械音が鳴る。三原はあまりの内容に声も出ず、思考が追いつかない様子だった。
メールの中には三原が危険という内容も含まれている。もちろん今は誤解だと思っているが。
沢近はこれからの話す事を整理しながらため息をついた。ちらりと地面に伏して黙っている八雲を見るが、反応はない。
自己否定が続いているのだろう。番号が正解なら少しは救いになるかもしれない。やがて携帯電話を返される。

「説明するわね。……八雲、ちゃんと聞いてなさいよ」
 一言断りを入れたのは、精一杯の配慮だった。まず沢近は自らの首輪を人差し指で軽く叩く。
「コレのこともあって、私は西本君と一条さんから離れて南へ向かったの。それで……」
 嵯峨野や東郷の仇である城戸と戦い、やがて三原達と合流。だからメールの真偽はわからないと話す。
ただ出発時には、烏丸が大塚を殺し砺波を人質にしており播磨は烏丸を倒しに行ったことを付け加えた。

「というわけ。でもきっとメールがおかしいの。死んだ人は合ってるかもしれないけど……
 晶が騙していたとか播磨君が皆殺しだなんてありえないわ。そう思わない?」
 だが『そう思わない』と、三原は期待された答えを返せない。播磨のことは結城から話は聞いている。
高野とて沢近の友人としか知らない。どこか油断ならない雰囲気を元々感じていたのだから。
何といったらいいものか迷っている内に見透かされ、沢近に曇った表情で詰め寄られる。
「……三原さん……まさか晶達を疑ってるの?」
「え、えっと……そ、その」
 本心は疑っている。一条や雪野も何かおかしい気がするが、播磨らも信じられないというのが本音。
だがそれを口にすると沢近だけでなく八雲にも悪い事になる予感がした。
返答に窮し、どこかに助け船を求め視線を泳がせる。だがその挙動不審さが沢近を確信をもたらす。
「三原さんは二人と付き合いなかったから、仕方ないわね。……八雲、あんたはどうなの?
 晶は茶道部の部長だし播磨君ともそれなりに知り合いなんでしょう?」
 これまで押し黙っていたが、話は聞いていたらしい。八雲がゆっくり沢近のほうへ顔を向ける。



「質問があります。……沢近先輩はこの島で播磨さんに会ったんですか?」
「そうよ。話もしたわ。そういえば、言ってなかったわね。四回目の放送をはさんで、しばらくね」
 話を聞いて、もしやと思ったがやはりそうだった。彼女は播磨と会っていたのだ。
――自分ではなく、彼女が。姉の名前が呼ばれ、播磨が最も辛かったであろう瞬間に傍にいた。
何かが八雲の心を刺激する。不思議な息苦しさを感じていた。

「……姉さんの名前が放送で呼ばれて、あの人は何を言っていましたか?」
「?そんなはずないって否定してたわ。そうよね、天満みたいな子が……信じられないわよね。
 あの子はみんなの中心にいた。私も……ううん、全員があの子の笑顔を思い描いて、惜しんだはずよ」
 自分を気遣ってくれたのだろう。そう八雲は理解する。きっと自分が天満の偉大さを確かめたいと思って
こんなことを聞いたと受け止めたのだ。しかしそれは間違った解釈ではないが正解でもない。

 播磨は姉の死を否定した。あってはならないことだと思ったのだ。自分も姉の姿を見なければそう思ったかもしれない。
少なくとも沢近といた間は、彼は否定し続けたのだ。らしいと思う。
だが、本当に死んでしまったと理解したとき。硬くて熱い心に閉じた想いが永遠に叶わぬものになってしまったとき。
彼はどう思っただろう。最愛の人と出会えないまま死に別れ、何を希望にできるのだろう。
すべてに絶望してその感情を他者にぶつけることがないと言えるだろうか?
それともまだ姉の死を否定し続けているのだろうか?それならば――自分は会わないほうがいいのかもしれない。
もし『お姉さんを知らないか』と言われたら、とたんに泣き出し彼に真実を突きつけるだろう。

「でもそれが何の関係あるの?……!そっか。皆殺しなんてやる奴が悲しむわけないってことね」
「……私はわかりません。播磨さんも、高野先輩も、一条先輩も」
 播磨が怒りに身を任せたなら一条の判断は正しい。そして高野も危険な人間ということになる。
逆に播磨が未だ姉の死を認めていないのなら、高野も信頼できて一条が逆に疑わしくなる。
だが別れ際に見せてくれたあの笑顔と優しさは偽りのものとはとても思えない。
高野とてそうだ。部活動を通し彼女なりの心遣いや優しさの表現を日ごろから自分は受けていた。
だからなおさら、『わからない』になる。だがその回答に満足できなかったのだろう。沢近は目を吊り上げ大きく息を吐く。

「あのねえ……晶の頭の中を理解しろっていうわけじゃないのよ。それは難しいわ。
 でも悪い人じゃないってくらい、分かって欲しかったわね。播磨君についても同じよ。
 誤解されやすい迷惑な奴だけど……筋の通らないことはやらないし、だいたい理由がないわよ」
 続く言葉に、沢近は一瞬戸惑いを覚える。目を瞑って夜風を意識し頭を冷やして考えなおす。
この舞台でこんな言葉は不謹慎だ。だが播磨が信頼できることを理解させる単純明快な理由でもある。
自分も気付かず、西本に伝えられたそれがある。恥ずかしくて、普段なら口にも出したくないが今は緊急事態だ。

「アイツがとんでもない奴になる理由がないわよ。ヒ……播磨君は頑張ってるんだから。その……私のために」

 播磨を軽く見て欲しくない。純粋な願いが最後の一押しとなり沢近は口を開いた。
一生分の勇気を使った気がする。好きな人、すなわち自分が生きている。だから、殺しなどしない。
自分との関係はクラスはもちろん学年を超えても信じられているのだから、説明にも有効な手だ。そう無理矢理理由付ける。
だが聞いていた二人の表情を見た時、真っ赤に燃え上がっているであろう顔が急激に冷めていくのを自覚した。
二人の様子は安心や納得という単語からはかけ離れている。三原は何かとまどい――つじつまが合わないといった表情で。
そして、八雲の瞳は恐ろしく冷ややかなものになっていた。



 ヒュウ、と夜風が三人の間を通り抜ける。月が雲隠れしたのか辺りが更に暗くなり、
互いの顔色すら伺えない闇夜が訪れた。

「どうしたの二人とも……急に黙っちゃって……」

 八雲は既に沢近の言うことを重要視していなかった。知らないだけ。だから何も悪くない。
どんな思い込みだろうとそれが希望になるのなら、それはとてもいいことに違いない。何度も心で反復する。
そして逃げるように再び播磨に思いを馳せ、ふと、一つの理想に行きあたる。姉の死を受け止め、それでも立ち上がった可能性。
だが――あり得るのだろうか。播磨の想いと自分の姉への想いを重ねあわせる。
(私にはできなかった……私が踏みとどまれたのは花井先輩のおかげ……)
 誰かが播磨を救ったのだろうか?だが姉以外の誰がそれをできるというのだろう。

「だ、だってアイツ自分から危険な役割を……しかも好きな人のためだって言ったの!聞いてるの?」

 少なくとも、目の前の何も知らない人物ではないことだけは確かだと八雲は思った。
そして黒に近い色が心の中に広がっていく。こんなことは言ってはいけない。今言う必要などかけらもない。
けれど、つい先ほど生まれた何かが後押しする。それは自分を悩ませた悪魔とはどこか違っていた。
目の前の人物が――播磨が己のために、と誇らしげに語られた彼女の言葉を。
生まれたばかりのはずなのに恐ろしい力を持った八雲のそれは、認めようとはしなかった。

「……まだ気がつかないんですか」
「っ!どういう意味よ!」

 勇気の一言であったにも関わらず、それは違うとでも言いげな二人の態度に腹が立つ。だが同時に心が不安に侵食されつつあった。
だが否定されれば否定されるほど、正しいと思い込もうと意気地になる。
そして今の八雲のたった一言で、どこか心地よいと思っていた感覚は一瞬にして色褪せていた。
残ったのは怒り。大事な宝物を壊されたようなその感覚。
沢近は座ったまま威嚇するように八雲に詰め寄る。だがいつも退くはずの八雲は、今は微動だにしていない。

「ふ、二人とも止めてよ!話題が何かおかしいよ!メールを送るの?送らないの?
 一条さんが気になるんなら、とりあえず会いに行こう!」
 険悪な空気に耐え切れず、三原が仲介に入る。その体により相手が視界から消え、二人に少しだけ落ち着きが戻っていた。

「……そうね。誰が危険かなんて会えばわかることよ」
 気がつかない。何に……?沢近はもう一度だけ心の中で繰り返し、汗に濡れた携帯電話を叩く。
深く考えすぎなのだろう。保留のメールを取り出して送信を試みる。



(でも……いいの?一条さんに教えていいの?)
 例のメッセージには、危険人物に悪用させたくないという一文があったというのに。
もちろん一条達も信じたい人物なのは間違いない。だがメールの内容はどうしても理解できなかった。
その不信感が沢近の心を掴んで離さない。もしも、ということもある。
そして先程の教師の言葉。もはや彼らへの敬意など微塵も残っていないが、発言だけを見るなら正しいものもある。
やはり、自分の目で確かめるまでは知らせることはできない。そう沢近は結論付けた。
もし、もしも一条達がハリーや城戸のような人間だったなら。
そうでないとしても、障害となるのならばどうすればいいのだろう。


――カタヅケルシカナイ


(……何よ今の!)
 寒気が走る。否、実際に一瞬体が震えた。よぎった単語がフラッシュバックする。何と考えた?何を思った?
(一条さん達を殺すって……そう考えたの?私……何で?大丈夫よ、そんなことない。誤解してるだけ)
 そう、そんなことはきっとない。何度も沢近は反復する。けれど携帯電話を握る手は震えたままで、
送信ボタンにはどうしても指をかけられなかった。歯噛みしながらやむを得ずメールを再度保留状態にする。

「……念のため、直接会って話をしましょう。メールは……三原さん任せるわ。番号は教えないで」
 それを言うだけが精一杯。全身が濡れたような感覚だった。何故か心臓の鼓動が加速している。
(何で……何でできないの……一条さんをどうして信じられないの。嵯峨野さんの親友じゃない)



 彼女は知らない。この島に巣食っている最悪の敵。何よりも恐ろしい不死なる存在を。
いや、かつては知っていたかもしれない。それに身をゆだね走っていたこともあったかもしれない。
それは人から人へ何かの病のように感染する。抗う術を誰も知らない。

――そして、同じような症状の人間がすぐ傍にいることも知らない。

 * * * * * * * * *

『こんばんは、三原梢です。一条さん、雪野さんお久しぶりです。
 私は今沢近さんと八雲ちゃんと一緒にいます。私はもちろん二人とも元気です。
 念のため言っておきますが、私達は誰かを積極的に殺そうとか変なことは考えてません。
 高野さんと播磨君のことですが、ひとまず会って見ようと思います。場所を教えてください。
 例のことですがある事情によりメールでは連絡できません。
 一条さん達ともお話がしたいので、そちらの場所も教えてください。
 あと、携帯電話のゲージが半分を切っているのでそうそう返信できません。ごめんなさい。
 皆が無事出会えることを祈っています』

 こんなものかな?どう思います?こんばんは、三原梢です。メールを送信します。
ところでUZI弾の補充はいつできるんでしょう。ベレッタは返してもらいましたけど。
ひと仕事終えましたが、気分は全く優れません。――何でこんなことになっちゃったんだろう。

 八雲ちゃんも沢近さんも決して悪い人間じゃないはずなのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
メールの文章を練りはじめてから今まで、二人は一言も口を聞きませんでした。普通は楽しいおしゃべりがつきものなのに。
二人とも、高野さんも播磨君も一条さんも信じたいはずです。同じ願いを持っていて同じ人を信じたい。
互いのことも嫌ってるわけじゃないのに。なのにどうしてこんな空気になったんでしょう。
何か譲れないものが衝突してる。そんな感じです。心当たりがないわけでもないけれど……
ただ二人とも、ちょっと極端すぎる気がします。お互いを足して二で割るくらいが丁度いいね、うん。

「あの……沢近先輩」

 出発直前、八雲ちゃんが声をかけました。ああやっぱり仲直りしたいんだ。互いに顔を向け合ってます。

「さ、さっきは……その……私、どうにか」
「何よ。もっとはっきり言ってもらわないとわからないんだけど?さっさと行くわよ」
「!……何でも……ないです」

 ……私がもっと上手に立ち回ることができればこんなことにはならなかったのかもしれない。
でも、それは無理だった。自己弁護するわけじゃないけど、私も知らないことが多すぎたから。
一年近く一緒にいたクラスメイトでも、極限状態で互いの想いを知った後輩でも、
その人の全部を知るなんて無理。皆、いろんなものを一杯かかえすぎている。
それこそ天満ちゃんと八雲ちゃんみたいな強固な血の繋がりと年単位での膨大な時間が必要になる。
けれど、一人ではわからなくても。二人、三人で話し合えば二人分、三人分の情報が集まる。
そうやっていくうちに真実が見えてくることだってあるんじゃないだろうか。私はそう思う。

 ……今からでも、二人の仲を取り持つのは遅くない。生きようとするなら、二人の協力だって必要です。
何かチャンスがあったらやってみようと思います。ただ、やっぱり私は二人ほど……四人を信じられないんだよね。

 私でも八雲ちゃんでもいいです。フラッシュメモリのパスワードが合ってますように。そんで先生達にぎゃふんと……
……あれ?何か忘れてるような……パスワード、フラッシュメモリ、先生……まいっか。


【午前:1〜2時】

【現在位置:G-03】

【塚本八雲】
[状態]:やや疲労。自分に戸惑い
[道具]:支給品一式*2(食料3、水5)、弓(ゴム矢20本、ボウガンの矢4本)
       アクション12×50CF(双眼鏡)
[行動方針]:1.沢近、三原と共に高野・播磨・一条・雪野との合流
         2.沢近と話をしたい
[最終方針]:生きていて欲しい人間を助けるが、自分が最後まで残るつもりはない
[備考]:所持している荷物を天満の形見と認識。弓使用可だが精度に難あり。教師達も狙うという意味では反主催
      所謂"悪魔の囁き"が再び聞こえ始めています(本人に自覚無し)。
      雪野(顔も知らない)に不信感。一条、高野、播磨を信じたいがわからない。沢近に対して、悪魔の囁きとは別の何か

【沢近愛理】
[状態]:やや疲労。返り血にまみれている。精神的不安
[道具]:支給品一式(水4,食料8)、デザートイーグル/弾数:2発、vz64スコーピオン/残り弾数20
[行動方針]:1.八雲、三原と共に高野・播磨・一条・雪野との合流
       2.八雲と話をしたい
         3.一条ときちんと連絡を取りたい(西本達の事、高野の事、播磨の事etc...)
[備考]:フラッシュメモリの可能性を強く信じる。烏丸が大塚を殺したと認識。教師らを憎悪
     一条が嵯峨野の死体を見つけたと勘違いしています(一条は死体の顔を確認していません)
     所謂"悪魔の囁き"が聞こえ始めています(本人に強い不安)
     一条に不信感。高野、播磨(特にいろんな意味で)を強く信じる。八雲にイライラ

【三原梢】
[状態]:やや疲労、左掌に銃創(応急処置済み) 精神的疲労はやや回復
[道具]:支給品一式(食料1.5、水1) UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(1発)、ベレッタM92(残弾16発)
      9ミリ弾191発 エチケットブラシ(鏡付き) 、ドジビロンストラップ 、携帯電話(残量約半分)

[行動方針] :1.沢近、八雲とともに高野・播磨・一条・雪野との合流
       2.沢近と八雲を何とか仲直りさせたい
       3.UZIの弾丸を補充する。
[最終方針]:生きて夢を見続ける。
[備考] :播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。教師らを憎悪
     沢近と八雲の関係が非常に不安。一条、高野、播磨、雪野をいまいち信じられない

[共通備考]:盗聴器に気づいています。

救命ボートのオールはG-03に放置



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