珈琲
「綺麗な海ですねー」
「……まあ、ね」
長らく車両が通る事がなかったであろう海岸線沿いの道を、砂漠色の軍用車は突き進んでいた。
「……それにしても、随分のんびり進んでいるね」
「そうですか?」
道路は単調なストレートである。いつもの笹倉ならば、もっともっとスピードを出すのではないか。
月夜に映える海岸を横目にしながら、それでも刑部は疑問でならなかったのだ。
この島において法など無い。故に、スピード違反も警察官も存在しないというのに。
「さっき、道路標識があったんですよ。この道路は40キロ制限らしいです」
「ああ、そう……」
にこやかな笹倉の表情は普段のそれと変わらないが、体で感じる車の速度の遅さが、逆に違和感として刑部には伝わった。
速度計に目をやれば、これまたぴたりと40キロを示している始末だ。
「……なあ、葉子。もうちょっと飛ばしてもいいんじゃないか?」
「あら、もっと早い方がいいんですか? どうせならゆったりと海でも見ながら行きましょうよ」
「いや、何と言うか……」
あまりに素で笹倉に返され、刑部はつい返答に詰まらされてしまった。
……別に、速やかにパソコンやフラッシュメモリに対処しろという指示があった訳ではない。
元より回収する事自体が教師達が発案した事であり、この回収をどんな手順を踏んで行っても問題が無いのは確かな事だ。
もしも自分達がここからの脱出を試みたり、生徒達に協力をするような真似をしなければ、の話だが。
--単に退屈な管理室から抜け出す口実が欲しbゥっただけなのか?
しまいには刑部はそんな邪推すらしてしまう。しかし微笑を浮かべる笹倉を見ていると、本気でそう思っているのではとすら思えてくる不思議。
かくして味気ない軍用車でのドライブは、もうしばらく続くのだった。
地図にしてG-09にある分かれ道に差し掛かり、ようやく軍用車は停車した。
ここから更に南回りに向かうのか、それとも直接パソコンの元へ向かうのか……笹倉は今後の道を考えているようだった。
刑部としては南回りを内心希望してはいた。別にこれだけのんびり移動しても何も言われなかったのだ、南に行ってもお叱りは無いだろう。
南には、恐らくもう生徒達が拾えないであろう強力な火器が眠った地なのだ。拾っておけば、"イロイロと"役に立つのだろうが……
「じゃあ絃子さん。ちょっと遅いですけど、お夕飯にしましょうか!」
沈黙を破った笹倉の提案は、刑部の予想を完璧に裏切る物だった。
「ほら、荷物の中にレーションが色々入ってたんですよ。絃子さんはどれにしますか? 私はフランス製にしようかな」
「……じゃあ、私は自衛隊ので」
完全に車を停め、海岸にある大きな岩に腰を下ろし、二人は海を眺めながらレーションの箱を開いていった。
二人の間にはお湯入りのポットまで置かれ、完全にピクニック状態だ。
「……なあ、葉子。こんなにのんびりしていていいのかい?」
赤飯入りの缶を缶きりで開けながら、ついに刑部は確信を衝いた。
明らかに不自然なほどの速度遵守、そしてこの夕食時間……誰が見ても、明らかに回収の遅延行為にしか映らないのだから。
しかしそんな刑部に対し、笹倉は笑顔と共にマグカップを差し向ける。
「何言っているんですか? 腹が減っては戦はできませんよ?」
湯気立ち上るマグカップを渡されて、拒む訳にもいかずに刑部は受け取った。中には……コーヒーが入っているようだ。
「せっかくのんびり過ごすんですもの。やっぱり、コーヒーが一番ですよね!」
「いや、私は米だし、緑茶があればそっちが……」
「こういう時はコーヒーっていうのが決まりです!」
……妙に押し切られ、結局刑部はコーヒーを受け取った。笹倉はこれほどコーヒーが好きだったのか? と刑部は少し昔を思い返してみた。
結局笹倉がコーヒーを必死になって勧めてきた過去も思い当たらぬまま、二人はそれぞれ食事を開始した。
二人でたくあんの缶詰をつまんだり、食事の終わりには笹倉からミルクチョコレートを分けられたりして、どう見てもピクニックだ。
「ほら、やっぱりチョコレートにはコーヒーですよね」
誇らしげに笹倉は笑ったが、別に刑部はいつまでもコーヒーの事で頭が一杯だった訳ではない。そろそろ本題に戻す時だ。
「……で、だ。葉子、これからどうしようか? もう少し南に行ってみるか、それとも直進するか……」
「ここはもう一杯頂きましょうよ」
再び質問をコーヒーで遮られ、さすがに刑部は頭を抱えた。
間違いなく確信犯だ。かと言って、ここで無理矢理マグカップをひっくり返してしまう訳にもいかない。
「……まあいいじゃないですか。いざとなったら30分とかからずパソコンの場所に辿り着けますし」
観念してマグカップを受け取ると、ようやく笹倉の笑顔が少し変わる。
何も考えていないようで、その実様々に思考を重ねた顔だ。
「現状ではパソコンを持っているのは一条さん達ですけど、あの二人はもうF-03の道路からも離れちゃってましたよね?」
「そうだね。現在地は多分、草原か……いや、森かもしれない」
「カーナビの地図じゃそこまで分からないのが辛いですけど、いくらこの車でも、木をどんどん倒して進むのは無理ですよね?」
「……なるほど、このまま行っても取り戻すのは困難、と……」
考えているものだ。いや、その状況自体は刑部も重々予見していた所だ。
いくらセキュリティウェアを着込もうが、全身を隅々まで覆える訳ではない。散弾銃を撃たれれば一たまりも無いのだ。
同様の理由で、刃物での攻撃も危険だ。しかし何より、極力生徒達に影響を及ぼさずに奪取か破壊を行おうというのが困難の元凶。
「こちらから殺していいなら楽なんですけどねー……あーあ、播磨君や高野さんが頑張って、全員相討ちになりませんかねー」
「……そうなればいいがね」
やはり、自分は貧乏くじを引かされたのか。二杯目のコーヒーを早くも半分ほど飲み干し、刑部は空を見上げた。
眼前に広がるのは矢神でもそうは見られないであろう、美しい星空だった。
【午後:22〜24時】
【笹倉葉子】
【現在位置:G-09】
[状態]:眠気はやや改善
[道具]:リボルバー(S&W M686Plus)/弾数 6発、.357マグナム弾20発
[行動方針]:1.コーヒーブレイク 2.南回りに移動or直接パソコンの元へ向かう。
[最終方針]:ノートパソコンかフラッシュメモリの奪取/破壊
[備考]:なし
【刑部絃子】
【現在位置:G-09】
[状態]:眠気はやや改善
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数 16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ
[行動方針]:1.コーヒーブレイク 2.南回りに移動or直接パソコンの元へ向かう。
[最終方針]:ノートパソコンかフラッシュメモリの奪取/破壊
[備考]:なし
軍用車(詳細不明)には、二人分の様々な荷物があります。
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