すれちがい
空には雲一つない。満天の星と月の光が、すやすやと眠る三原と伊織の身体を照らしていた。
けれども木々の間から漏れるそのわずかな光では遠くの様子を確認することは難しい。八雲は双眼鏡を地面に置き、ふぅとため息を漏らす。
不思議と心は落ち着いていた。いくらか眠ったお陰で体力は回復していたし、なにより自分の中で一つの踏ん切りをつけることができたから。
三原達は、分校跡に向かっていたという。人数の集まりそうなところを目指しての行動だということだから、一度そこに向かって行ってみるのもよいだろう。
しかしそれ以上に、今の八雲には別の目指すべき場所があるのは確かだった。それは鎌石村。今はもう死んでしまった冬木という男子生徒がいた場所であり、自分達が目指していたパソコンがあったはずの場所。
持ち主が死んでしまったということは、今もその場所にパソコンが置いてある可能性は低い。けれども、一条はその場所を目指して進んでいたはずだ。
ならば、自分も同じように鎌石村を目指して歩けば一条に再会できるかもしれない。八雲はぼんやりと、願望にも近い推測を思い描いていた。
「『いってらっしゃい』、か」
もしもあの別れの時、彼女の言葉がなかったら、今の自分はないかもしれない。あの優しく強いひとは、いったい今はどうしているのだろうかと八雲は想いを巡らせる。
きっと無事に違いない。再会できたら、自分勝手な行動について謝らなくてはならないけど、それは決して嫌なことではなかった。
「う、う〜ん」
隣で三原が寝返りをうつ。「ララァ……ハラミ言うなぁ……」などと呟く彼女の目尻には雫がうかんでいた。八雲は三原を起こしてしまわないように、そっと彼女の傍から離れる。
自分と同様、三原もこの島で辛い経験を味わってきたのだろう。そんな中でも、三原は自分を失わずにここまで生き残ってくれた。八雲はそんな彼女が傍にいてくれていることを、なんとなく嬉しいと思った。
「……護らなくちゃ、今度こそ」
もう何も失いたくない。これ以上何かを失ってしまえば、自分の中のもう一人の自分がまた顔を出すかもしれない。
そんなことになるくらいなら、その前に自分の命を賭して自らの選んだ道に従う。そうして護れるものが一つでもあるのなら、自分の命はそれほど惜しくはない--けれど。
けれど、一つ欲を言うのなら、最後に一目だけでも会いたい人がいた。
何かが変わることを望んでいるのではない。変えようと思っているわけでもない。でも、会いたいと願わずにはいられない。自分勝手なこととはわかっていても、気持ちを隠すことなんてできはしない。
「なんだか昨日から、ちょっとだけ我侭になっちゃったかな」
きっとそれは、もう一人の自分の影響でもあるのだろう。いつもなら意識することさえない自分の心の動きが、僅かながら拡大されて見えてくる。
会えたら何を言おうか。
そんな束の間の空想を、八雲が少しだけ楽しんでいた--そんな時。
パキッ。
「!?」
普段なら聞き逃すような微かな物音。しかし異様なほど静かなこの島では、その僅かな変化でさえ八雲の心を大きく動揺させる。
何かが折れた時の音。そうそれはまさに、地面に落ちている小枝が踏み折られた時に発するような音であった。
パキキッ。
繰り返し鳴り響く音。八雲は低く腰を落としたまま這うように地面を移動し、再び三原の傍らへと身を寄せた。
八雲はなんとか三原を揺り起こそうとしてみたが、声を漏らさないように控えめになされたその行為は何の効果ももたらさなかった。
冷汗が、八雲の頬を伝わる。もしかしたら一条かもしれない。しかし、安易にそう信じ込んでこちらの存在を知らせることは、適当な選択ではない。
不意に、平瀬村で会った二人組の顔が脳裏を過ぎる。もしかしたら彼らのような者がまだ島中を歩き回り、新たな犠牲者を作り出そうとしているのかもしれない。
「……」
八雲の心には、怯えと憎悪とが混在していた。手には、三原の持ち物であるベレッタM92を握っている。花井の命を奪ったUZIを持つ気には、どうしてもなれなかった。
銃を持つ手がカタカタと震える。まさか自分から積極的にこんな道具に頼る時がくるなんて思ってもみなかった。昨日の夕方に初めて出会った男に手斧を突き立てた時に酷く狼狽した自分が、今はまさに人殺しのために構えている。
笑えはしないけれど、奇妙な状況ではあった。すでに麻生という人物を殺し、なにを今更と言われるかもしれないが。
それでも、今の自分には『敵』に対する明確な殺意が存在していることを、八雲は否定しなかった。それは、八雲自身の目的を達成するために必要な感情。大きく深呼吸をし、ベレッタのグリップを握りなおすと、手の震えは何時の間にか消えていた。
八雲の思考とは関係無しに、物音はなおも響き渡る。僅かに、しかし確実に、物音の主はこちらに近づいてくる。無論その主が自分達を殺そうとする者であれば、八雲は自らの命を賭して戦うつもりではあった。けれども、その場合どうしても考慮しなくてはならないのは隣で寝息をたてる三原の存在だ。
彼女が眠ったままでは、もしも誰かと衝突することになればこちらの方が圧倒的に不利。かといって、彼女を今さら起こしたとしてもそれは相手にこちらの正確な位置を知らせるだけで、寝起きの彼女を庇いながらの行動もやはりこちらを不利な状況へと追い込むに違いない。
一番安全なのは、このまま息を潜めてやり過ごすということ。
人殺し達や先生に対する恨みが膨らんだとしても、八雲の中の冷静さは失われていなかった。それはおそらく、恨みや憎悪などの感情を持っているのは自分の中の『悪魔』の部分であり、それを今では八雲自身で客観的に見つめることができるからであろう。
だからこそ警戒心を最大にして、何時でも『敵』に対して攻撃が仕掛けられるようにと構えながら、決して相手には見つからないように細心の注意を払って身を隠し続ける。
動き続ける何者かが発する音は、相変わらず響いていた。
もう一度辺りを見回す。月明かりのお陰で視界はある程度確保されていたが、それは相手にとっても同じこと。
時々、音が止んで静寂が辺りを支配する。おそらくは、周りを警戒しながら進んでいるからだろう。
そんな時には、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。八雲は三原の手を握り、高まる自分の胸の鼓動を抑える。
ガサッ。
本当に、すぐ傍に誰かがいる。
八雲は、音のした方向へ意識を集中させた。相手がもしも自分達を殺す気なら、こちらとしても全力で抵抗しなくてはいけない。逆にもし、そんな気がない人だとしたら、その人を傷つけてはいけない。八雲は無意味な殺し合いをしたくて、銃を持っているのではないのだから。
相手に動きはない。どうやらまた立ち止まって、周囲を見回しているようだ。
その間は実質、三十秒もなかったかもしれない。しかし八雲にはその時間が永遠に等しい長さに感じられた。息を潜め、心を落ち着かせて。まるで死体のようにじっと固まったまま待つことしばらく。
物音の主は、しかし八雲達のもとへやってくることはなく、地面の小枝を踏みしめる音は徐々に遠くへと移動していった。
ひとまずの危機回避に、八雲は大きく息を吐く。ふと横を見ると、何も知らない三原が涎をたらしながら苦悶の表情を浮かべていた。
どんな夢を見ているのだろうか。八雲は少しだけ心配になる。
しかし三原の顔に時折浮かぶ苦笑いは、彼女の夢が救いのないものではないことを物語っていた。
※ ※ ※ ※ ※
沢近は、かれこれ五時間は歩き詰めであった。もっと言えば、ホテル付近での小休止を除けば朝からずっと歩いているのだ。
疲労はピークに達し、集中力は落ちてきている。これ以上の強行は無謀にも思えたが、沢近は目的の為に進み続けていた。
凹凸のある林の中を進むのは、足首にも相当の負担となっていた。最早足が重いという感覚は通り過ぎ、鈍い痛みが沢近の足を襲っている。
歩いては立ち止まり、立ち止まってはまた歩く。何度も何度も、同じことを繰り返しながらも沢近は希望を棄てることはなかった。
棄てないというよりは、棄てるという選択を選ぶことなど沢近自身が許さないといった表現が正しい。それは、意地にも近い感情であった。携帯の電池のことなどを考えると頻繁に連絡を取ることなどはできないから、大雑把な位置を把握したなら後は自らの足に頼るしか道はなく、沢近はその道を突き進んでいるのだ。
八雲と三原が、この付近にいるという情報。それを得たとしても、実際に彼女達のもとへたどり着けるかどうかは半々といったところか。
しかしそれでも沢近は諦めなかった。それは皆の希望を潰えさせないためでもあるし、そして少しだけ、八雲が心配だからでもあった。
一条からの情報によると、今のH-03で生きているのは三原と八雲の二人だけらしい。それは他の三人が、その二人によって殺された可能性があるということだ。
でも沢近には、そんな話を信じることはできなかった。仮にそうであったとしても、やむおえない事情があった可能性の方がまだ大きいと感じられた。
それが客観的な分析ではなく主観的な判断であることは沢近自身、明確に感じていることである。しかしそれでも、沢近は信じていた。何かを信用せずに、失う寸前にまで自らを追い込むようなマネは二度としたくはなかったから。
そんな執念に突き動かされるように、沢近はとっくに限界を迎えているはずの自らの足を動かし続ける。
死んでしまった親友の妹。親友には何もしてあげることができなかった。だったらせめて、その妹だけでも救ってあげたい。沢近はそう思わずにはいられなかった。
夜空に輝く星の光に、願うわけではないけれども。ふと沢近の目に入ってきたのは、アルデバランを中心としたおうし座の姿。
矢神からは到底見ることのできない綺麗な星空に心を奪われた--まさにその時であった。
確かに、沢近には聞こえたのだ。
大きな声で一言。「だからハラミって言うなっ!」という謎の叫びが。
※ ※ ※ ※ ※
「だからハラミって言うなっ!」
「!?」
謎の寝言とともに目覚めた三原の横で、八雲は言葉を失っていた。
「……うにゃ? ララがいない。……ああそうか、ララは天満ちゃんと……むにゃむにゃ」
何かを納得したのか、三原はそう独りごちてまた深い眠りへとついた。
一方で八雲は今の状況をどう打開するか、様々な考えを思い巡らせる。今ので、折角やり過ごせたと思っていた物音の主はこちらの存在に気がついただろう。
戦うべきか、否か。いや、こちらに選択権はない。
今、八雲が取るべき行動は三原を叩き起こしこの場から急いで離れ、それでも相手が追ってくるようであればこちらは銃で応戦するというもの。それ以外には選びようがない。
急いで三原の肩を揺する。しかし三原が起きる気配はまったくなく、それは八雲の気持ちを焦らせる原因となった。
こちらの居場所はばれているのだから、声を出しても構わない。
そう思い、八雲は三原の名前を呼ぼうと息を吸い込み、そして--。
「三原せ「八雲っ! アンタそこにいるのねっ!?」
聞きなれた声に、八雲は言葉を飲み込んだ。
そこに敵意は感じない。決して仲が良いわけではないけれど、天満から何度も彼女の話は聞いていた。曰く、とっても綺麗でモテモテな女の子。曰く、強くてかっこよくて、頼りになる大親友。
最愛の姉である天満がそう述べた彼女が、こちらに近づいてくる。
警戒心がゼロだというわけではない。一応、銃を手から離すことはなく最低限の防衛体制は整えてある。しかし指に力は入っていなかった。元々苦手な人ではあるけれど、決して嫌悪しているわけではないから。
そして木々の間から彼女がその姿を無防備にさらけ出した時、八雲の中の警戒心はほぼ完全に途切れた。
沢近は見るからに疲弊していた。制服は泥まみれ。自慢の長髪はツインテールの片方部分がバッサリと切り取られ、バランスを崩している。
足取りは重く、木に手をつきながらやっとの事で歩いている状態だ。
制服は血にまみれていたが、しかしその表情に浮かんでいるのは柔らかな笑みだった。
安堵と喜びが入り混じったような沢近の笑顔に、八雲はふと今は亡き姉の姿をだぶらせる。
「よかった……。生きていてくれて」
それは沢近の心からの言葉に聞こえて、血まみれの制服により再び生まれかけた警戒心が徐々に解けていくのを感じていた。
「ちょっとだけ心配したのよ。アンタ、天満がいなくなってどうしているのかって。……本当にちょっとだけだけどね」
いつも通りの態度のままで、沢近は八雲の下へと歩み寄っていた。
八雲も銃を置き、沢近のところへと自ら進んでいく。
「アンタに言いたいこと、いっぱいあるのよ。こんな異常な島から逃げ出すために、私達が、できること……」
言葉の途中で、沢近は急に前のめりに倒れかける。八雲は慌てて駆け寄り、すんでのところで沢近を支えた。
「大丈夫ですか? どこか怪我でも……」
「ああ、御免なさい。ちょっとだけ、疲れちゃったみたいで。ええ、ほんのちょっとだけ……」
そこで沢近の言葉は途絶えた。
「沢近、先輩?」
奇妙に思い八雲が沢近の顔を覗き込むと、沢近は目を閉じ、スヤスヤと寝息をたてている。
八雲はそっと沢近の身体を地面に倒し、枕代わりに沢近のリュックを彼女の頭の下に置いた。
「よっぽど、疲れていたんですね」
倒れかける寸前に沢近が言った言葉の意味が気になりはしたが、今の沢近の状況を見れば無理に起こして問いただす気になど決してなれなかった。
目の下にはクマができている。おそらく昨日から、やはり彼女も色々な辛い経験をしてきたのだろう。
靴の汚れ具合からも、沢近がそれこそ一日中この島を歩き回っていたということが容易に想像できた。
生き残った人間のうちの、見知った者の一人との再会。それは八雲を勇気付けるのには十分な出来事であったし、また、新たな決意をさせるのにも十分だった。
詳しい話は沢近が起きてから聞くとしても、まず目に付くのは彼女の制服に撥ねた返り血の染み。誰かを看取ったのか、それとも、誰かをやむおえず手にかけたのか。不思議と、彼女が殺し合いに積極的に参加しているとは思わなかった。それはおそらく、彼女が見せた笑顔が原因なのだと八雲は思った。
今までにあんなに自然な笑顔を見せてくれたのは、サラや天満くらいのものであったから。そんな笑顔を疑うという選択肢は、八雲の中には存在しなかった。
だからこそ、思う。彼女も--沢近愛理もまた、護るべき人の一人だろうと。
護ることなんて実際にはできないかもしれない。でも、せめて彼女達の為になることを一つはしていってから死にたい。八雲はそう願っていた。
「ララ……私は食べ物じゃないよ……」
「……このバカヒゲ。紛らわしいマネしてんじゃないわよ」
二人分の寝言が、静かな闇世の中で異様なまでに大きく感じられる。
八雲の中で、彼女自身の命の価値は徐々に低いものになっていき、皆を救おうという想いだけが、彼女の生きる理由となっていった。
三原は皆の死を悲しみ、生きて夢を見続けることを決めた。
沢近はこれ以上大切な人が死んでいくことを拒み、走っていた。
そして八雲は、自らの死をもって何かを成し遂げることを望んでいた。
お互いの想いが噛み合う事は無く、致命的なまでに食い違っていたとしても、そんなことはまるで関係ないと言わんばかりに島の中はますます混沌の渦に飲み込まれていく。
【午後 20時〜22時】
【現在位置:H-03】
【三原梢】
[状態]:睡眠中、左掌に銃創(応急処置済み) 精神的疲労はやや回復
[道具]:支給品一式(食料1.5、水2) UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(1発) 救命ボートのオール
ベレッタM92(残弾16発) 9ミリ弾191発 エチケットブラシ(鏡付き) 、ドジビロンストラップ
[行動方針] :生きて夢を見続ける。UZIの弾丸を補充する。
[備考] :播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。
【塚本八雲】
[状態]:精神・体力共にある程度回復
[道具]:支給品一式*2(食料3、水6)、(弓矢20本、全てゴム。ただし弓はしっかりしてるので普通の矢があれば凶器)
ボウガンの矢4本、アクション12×50CF(双眼鏡)
[行動方針]:三原、沢近が起きるまで見張り。生きていて欲しい人間を助けるが、自分が最後まで残るつもりはない
[備考]:所持している荷物を天満の形見と認識。弓使用可だが精度に難あり。教師達も狙うという意味では反主催
【沢近愛理】
[状態]:睡眠中。身体、精神ともに疲弊。返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(水5,食料8)、デザートイーグル/弾数:2発、携帯電話、vz64スコーピオン/残り弾数20
[行動方針]:1.H-03の人間(死体含む。八雲>他)の首輪を調査
2.一条ときちんと連絡を取りたい(西本達の事、高野の事、播磨の事etc...)
[備考]:播磨を信用しはじめている。フラッシュメモリの可能性を強く信じる。烏丸が大塚を殺したと認識。盗聴器に気付いています。
一条が嵯峨野の死体を見つけたと勘違いしています(一条は死体の顔を確認していません)
一条に不信感。メールの内容を一部信じていません。三原を(一応)警戒。
[共通備考]:盗聴器に気づいています。
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