笑顔の裏側






 私には状況が理解できなかった。順子の突然の変容も、一条さんの行動も。
 わかったのは、烏丸君に切り捨てられ、首から赤いものを噴出させた岡君と、トマトジュースの海で眠る西本君と烏丸君だけだった。
 だから私はとにかく叫んだ。訳もわからず高野さんを呼び続けた。それでも何を警戒しているのか、高野さんは直ぐにこちらには来てくれなかった。
 --順子までもがいなくなった今の状態では、高野さんの存在こそが全てとなりつつあった。
 いつの間にか私にとって高野さんの傍は絶対的な安息地となっていた。殺し合い真っ只中の地ににあり、最も安全な場所。誰もが大なり小なり狂気に蝕まれていく中、唯一私の心が安らぐ場所。
 高野さんの隣は私にとってそんな処になっていた。
 誰にも渡してはいけないと思うまでに、私は其処にのめりこんでしまっていた。
 そして、いつしか抱いていたこの感情は、きっと--。
 一つ言えることは、その感情は恋心とかそんな生易しいものではないということ。もっと強い何か。それが私を高野さんに縛り付けているようでさえあった。
「私、わかっちゃいました」
 私は思わず口を押さえた。しかし、その声は私の口から飛び出したものではない。高野さんを呼び続けていた私は、そんな声を口に出した覚えなどはなかった。
 不思議に思い、おおよそ声の聞こえた方を向いた。一条かれんがにこやかにこちらを--いえ、もっと後ろにある何かを見つめていた。
 その笑顔の可憐さに私はギョッとした。ギョッとしたのは、その笑顔がおそろしかったからなどでは断じてない。本当にその笑顔が可憐すぎたからだった。
 触れれば壊れてしまいそうなほど華奢でとても可愛らしいその笑顔は、この戦場にはあまりに不釣合いだった。ただそれだけが私を凍りつかせていた。

「二人とも、大丈夫?」

 その声が聞こえた瞬間、声の音程に、響きに、優しさに、私は心底ほっとした。
 高野さんが現れるのが遅かったのは何故か、などという疑問は私にはどうでもいいこととなった。何かを思考していて遅れたのだろうと、それ以外の理由で遅れたのだろうと、私にはどうでもよかった。
 一条さんの見つめる方角から聞こえてきた声は、高野晶その人の声に間違いなかった。
「高野さん……」
 私は高野さんを振り返ると、何も躊躇わずに高野さんの胸に飛び込んだ。泣きじゃくる私の頭を高野さんが撫でてくれていた。私は全ての考えをやめ、ただただ泣いていた。
 一条さんもそっと私の背を撫でてくれた。きっとまだ微笑を浮かべてくれているのでしょう。とても私の胸は安らいだ。

 でも不思議。何でこんなに長閑なんだろう。
 そう思われるくらいここには凄惨な光景が広がっている。
 本当に不思議。何で二人の手はこんなにも冷たいのでしょうか。

 私はひとしきり泣くと、自分で高野さんの胸から離れた。高野さんの近くにいても、何故だか落ち着かないような気がしていた。
 高野さんは私の気持ちがもう治まったのを確認すると、引き締まった顔で私達に謝罪をしてきた。
 それは烏丸君を狙ったはずの弾についてと、援護が遅れたことへの謝罪だった。
「し、仕方が、ないよ」
 私はあまり状況が飲み込めていなかったので、無理に作った笑顔でそう言った。
「高野さんは悪くないですよ」
 一条さんの声が聞こえた。
「私のほうが悪いです。烏丸君があまりに怖くて、西本君ごと撃ってしまった私のほうが、ずっと」
 本当に申し訳なさそうに一条さんは項垂れた。私は違和感をもちながらも、どこか一条さんの本音に聞こえたので、あえて何にも触れなかった。
「二人とも、仕方がないよ。あの状況じゃさ、仕方がないよ。私だって叫ぶことしか出来なかったし。それに比べたら、動けた二人は何にも悪くない。私に比べたら、ただそれだけで凄いことだよ」
「ありがとう。でも、あなたも説得をよく頑張っていたと思うよ」
 高野さんは優しく囁く。
「そうですよ。私たちなんかより、雪野さんのほうがよっぽど凄いです」
 一条さんの声が響き渡る。

「だって……誰一人殺していないんですよ? 誰一人殺さなかったんですよ?」

 私の頭がさっきから上手く働かない。
 そのせいか、一条さんだったモノが一条さんではなくなったように見えた。よく見ればとても辛そうな顔をする一条さん。さっきの一条さんは見間違いだったのでしょう。
 一条さんではないモノを見てほくそ笑む高野さんが見えたのも、きっと私の頭のせい。
 だって高野さんがそんなモノを見て笑うはずがない。高野さんはそんな人じゃない。高野さんは--あれ?
 何か大切なものを忘れている気がした。


 そんな中、高野さんと一条さんは今後のことや持ち物のことについて話し合っているようだった。
 武器の分配に、捨てる物の選択、次に向かうべき場所、仲間と合流すべきか、そして何よりPCの新機能。
色々な話題が出る中、直ぐにすべきこと、次にすべきことなどを足早に高野さんが結論付け、一条さんも意見しているところだった。
 正直言って、頭が上手く働かない私が議論に入っても意味がない。だったら私は、今自分の中に湧き出る疑問を解決すべきなのではないか。
 このままスッキリしないままでは、いざと言う時に動けない。今のままでは、きっと私は一条さんどころか高野さんまで信じることが出来ない。
 現実をもう一度見つめなおし、何がズレているのかを、何が疑問なのかを、何が起こったのかを突き詰めることに専念した。

 鳴り響いた銃声で、順子は順子ではなくなった。烏丸君の一太刀で、岡君は首もとから血を噴いた。岡君を斬った返し刀に烏丸君は西本君に斬りかかった。
西本君を仕留め損ねた烏丸君は西本君に薙刀を振り下ろされた。一転して二人は鎬を削る形となって、その後二人は一条さんの銃撃に散った。
 一条さんは恐怖から二人を撃ってしまったという。一条さんの声を聞き、間近で見ていた私には拭いきれない疑問が感じられたが、確かにあそこは恐怖に染まってもおかしくはない場ではあった。
もとより一条さんに完全な信頼を置いているわけではない私にとって、ある問題に比べれば差し支えのない問題だった。
 そう、ある問題に比べれば。
 死んでしまったのは岡君、烏丸君、西本君。この三人に私はそれぞれ複雑な感情がある。けれど西本君が一条さんに殺された事実以外、今の私にはさして重要ではない。
重要なのは死んでしまったもう一人の人物だった。
 もう一人、死んでしまったのは砺波順子。彼女は私の親しい友達だった。私と彼女の友情は、たぶん紛れもないものだった。
 順子が私をはっきりとどう思っていたのかは知らない。そんな恥ずかしいことは聞けないし、聞く必要もないと思っていた。
 私にとって順子が大切な友達であれば、それだけでいいと思っていた。それに、きっと順子も私を大切に思っていてくれていると感じていた。
 でもいざ居なくなってしまうと、順子の私への本当の気持ちが知りたくなった。私の気持ちは単なる押し付けではなかったのか。ただの私の思い込みではなかったのか。
私と一緒に居て、順子は本当に楽しかったのか。順子の笑顔は作り物じゃなかったのか。
 そう思えばひたすら確かめてみたくなる。
 けれど確かめる相手はもういない。
 彼女は命を奪われた。狙撃銃の一撃で、彼女は順子から肉片へと変わってしまった。
 ふと、ある結論に気がついた。
 私は状況が飲み込めていなかったんじゃない。
 私はありのままの状況を飲み込みたくなかったんだ。
 なぜなら順子は、高野さんに--。

 順子だったモノを顧みる。もうソレは順子とは呼べないくらいに無残なモノだった。


「--のさん。ねぇ、雪野さん」
 私は認めたくない現実の世界に引き戻された。
 私に呼びかけていた高野さんは重そうで歪なモノを持っていた。
 それを見た瞬間心臓が高鳴って、すぐさま全細胞が冷え切った。
「気持ちが悪いなら休もうか?」
 狙撃銃を持つ高野は心配そうに尋ねてきた。
 その歪な鉄の塊--狙撃銃--を持っている以上、私には高野の心配は作り物にしか感じられなかった。
「ごめん。考え事をしていただけだから……」
 高野と一条さんが私を見て凍りついた。
 あまりの憤りから、私はつい感情を思いっきり顔に出してしまったのでしょう。今の私はきっと恐ろしく冷たい顔をしている。自分でもなんとなくわかる。
「辛いことを考えてたから。……ごめんね、心配させちゃったかな?」
 言い訳をそれとなくすると、少しずつ私は表情を取り戻していく。
 きっと今の私は違和感のない笑顔を浮かべられているはず。
「本当に大丈夫なんですか? リアカーのところへ先に戻っていても構わないですよ。ここは私と高野さんで、ほんの気持ちだけでも供養しておきますから」
 私は一条さんに微笑むが、首を横に振った。
「そうですか、それならいいんですけど。でも、どうしても駄目そうな時は遠慮なく言ってもらって構わないですよ」
 大丈夫だから、とそう言ってまた笑顔し、私は落ちている凶器を視界に収めた。
「雪野さん、あなたは悔やむ必要ないよ」
 高野が責任を感じているかのように話しかけてきた。
「私がミスをしなければこんなことにはならなかった。だから、気にしないで」
 ソウだ、オマエだ。私ノ親友を、砺波順子を殺シタノは──。



 オ、マ、エ、ダ。



 私は、高野『さん』に百万ドルの笑顔を向け頷いた。






【午後:18〜20時】

【現在地:E-03南部】

【一条かれん】
[状態]:疲労大、極度の精神不安定状態。人殺しに憎悪。
[道具]:ショットガン(スパス15)/弾数:4発、支給品一式(食料0、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:私、わかっちゃいました(ケイゾクばりに脳天気でも可)
[備考]:色々と不明な点が多い。まだ良心が残っている。嵯峨野から逃げ出したのかは未だ不明

【高野晶】
[状態]:疲労(特に精神面)、どこか虚脱感。常時警戒態勢。
[道具]:支給品一式(食料2)、ドラグノフ狙撃銃/弾数9発、シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾15発)、薙刀の鞘袋(蛇入り)
     雑誌(ヤングジンガマ)、ブラックジャック(岡の靴下でつくられた鈍器。臭い)
[行動方針] :雪野、一条を様子見。雪野、一条を使えるなら利用し、その後殺す。沢近を懐柔し状況次第で殺す。
[最終方針] :全員を殺し、全てを忘れない。パーティー潜伏型。反主催の妨害。
[備考]:どこまで気づいているのか不明

【雪野美奈】
[状態]:疲労、極度の精神不安定状態。高野への依存から憎悪へ
[道具]:支給品一式(食料1)、工具セット(バール、木槌、他数種類の基本的な工具あり)
     雑誌(週刊少年ジンガマ)、ブラックジャック(岡の靴下でつくられた鈍器。脳震盪と嗅覚破壊のダブルパンチ)
[行動方針] :順子を殺したのはお前(高野)か。
[備考]:高野へは可愛さ余って憎さが百倍

【パーティー共通:盗聴器に気付いています。これから死体を少し供養する】

※薙刀は西本の遺体傍にあります。西本、烏丸の荷物の散弾による損傷具合は不明。
 リアカー(支給品*2(食料6、うち1つはカレーパン)、雑貨品(スコップ、バケツ、その他使えそうな物))はE-03南部にあります。



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