開演
薄暗い路上にて高野達との合流を果たした西本は、まずはノートパソコンの地図を注視しつつ、情報交換を行った。
とはいっても、15分の更新の度に確実にこちらに近づいてくる二つの点を見ながらなので、実際内容はあまり濃い物ではない。
しかも、その二つの点は途中で合流していた。そして、E-05の点は今も動かぬままなのだ。
お互いの所持品やこれまでの経緯、そして現状の把握。西本はそれらの情報を踏まえた上で近づいてくる点への対処をしたかった。
だが、これだけの必要な情報を全て交換するには時間はまるで足りず、そして放送時間が訪れた……
放送の内容は酷い物だった。自分達が殺したハリーはともかく、それ以外に6名も新たに死んでしまったのだ。
その中でも、数少ない西本軍団の生き残りだった斉藤も死んだ。結局、彼の真意を聞く事が叶わなかった事に西本は落胆を隠せない。
他の者も一様に沈んでいた。それだけの人間が一度に死んだと聞いて、ショックを受けないはずがないのだ。
その中でも、一条は涙を抑える事ができないようだった。何せ、いつも昼休みに昼食を共にした結城の名が、呼ばれてしまったのだ。
彼女の胸の痛みは、西本にも嫌というほど伝わった。嵯峨野、ララに続き、彼女にとって大切な友達がまた、死んでしまったのだから。
「……一条、さん」
他の誰もが--あの高野でさえも黙り込んでしまった中、一人嗚咽を漏らす一条が気の毒で。西本はようやく声をかけた。
だが、一条からは涙目で、でもどこか冷たい視線を返されてしまった。西本は、悲しみのあまり自分を睨んだのだと思う事にした。
「……な、なあ。悲しいのは分かるけどさ。でも、泣いてたって仕方がないぜ?」
意外な事に、西本に続いたのは岡だった。単に話しかけるきっかけを待っていたのか、岡の口は止まらない。
「俺達、できる事をやらないと。禁止エリアがすぐ隣に出来るみたいだし、それに、烏丸達だって--な、高野?」
「……そうね」
高野が全面同意する程、岡の指摘は当たっていた。すでに首輪の件や盗聴器の件などは、筆談を通じて高野達に伝えてある。
高野達の首輪の番号は調べたが、結果は無論×。しかし、やはり彼女達の合流は番号収集における希望となった。
先程の放送で伝えられた禁止エリアの中でも、E-02には嵯峨野の遺体がある。
つまり、禁止エリアとなる午後11時までに首輪の番号を調べておく必要があるのだ。
その必要性を認識すると共に、西本は更に頭を悩ませた。分校跡、烏丸への対処に続き、また一つ課題が生まれたのだ。
沢近への連絡もある。彼女を示す点は分校跡に到着した後、元々分校跡にあった点共々動く様子がなかった。
それが彼女にとっての敵だったのか、はたまた何らかの重要なやり取りがあっているのかは、西本には分からなかった。
しかし、現状で最優先すべきは迫りつつある烏丸である。何せ、砺波の命がかかっているのだから。
放送後、二つの点の距離は更に近づき、すでに隣のエリアの西側近くまで到達していた。
その二つの点が砺波と彼女を救出した播磨という可能性ももちろんあるが、実際その可能性は低いだろうというのが西本達の見解だった。
播磨が助けたなら、すぐにインカムで連絡を寄越す筈なのだ。何の連絡も無い今、実際にはE-05で動けない状況にある可能性が高かった。
だとすれば、二つの点は砺波と烏丸である公算が大きい。当初離れていた二点は、逃げる砺波と追う烏丸。
播磨が行動不能になった所で烏丸が砺波を追い、現在は再び彼女を捕まえて連れ回している……
そんな予測は雪野や岡のみならず、想定した西本すら嫌悪と怒りを覚える物だった。
しかしそうなれば、彼が砺波を人質に取る事は十分に考えられた。播磨からどの程度こちらの情報を聞いたか不明だが、警戒が必要だった。
いつしか一同は各々の武器を取り出し、準備を進めていった。砺波を助け、烏丸を倒す為の--
「くそー、もっとバンバン更新しろっての!」
なかなか画面が更新されない地図画面に、岡はごちる。彼は得物の鎖鎌を持ち、その長すぎるチェーンを幾重にも巻いている。
彼のやる気は十分に伝わったが、かといってそのやる気が更新の遅いパソコンに向けられてはかなわないと、西本やんわり制止しておいた。
他に雪野はバールを、一条はショットガン(高野が詳細を説明した)を、そして高野は狙撃銃を持っており、全員がそれなりの武装をしている。
「西本君。この薙刀、あなたに預けるよ」
狙撃銃を持った高野が、自分が持っていた薙刀を西本に寄越してきた。狙撃銃を高野に渡した西本は、鉄パイプを持っていたのだが……
「烏丸君は日本刀を持ってるから、鉄パイプじゃ接近戦になったら不利よ。薙刀なら十分リーチもあるし、どうせ今回の私には不要だもの」
「ああ、それなら貸してもらうダス。わざわざありがとうダス」
結構な長さの薙刀を受け取る。高野が握っていた部分は、ほのかに暖かい。
「……その薙刀、元々は大塚さんの支給品だったの」
「え……?」
突然そんな事を告げられ、西本は動揺した。……大塚との付き合いが長い事を、高野は知っているのだろう。
「烏丸君が大塚さんを殺した時、二人は見張りをやっていたの。
その時、烏丸君が日本刀を持っているからそれだけで大丈夫って大塚さんに言われて、私は彼女の薙刀を預かった。
……でも、結果的に大塚さんは殺されてしまった。一緒にいた、烏丸君に……」
「ま、待って。高野さんは悪くないよ? だって、もし舞ちゃんが薙刀を持ってたとしても、相手が烏丸君じゃ……」
下を向いた高野を、すぐに雪野がフォローする。その様子は、西本の内なる怒りを燃え上がらせるには十分だった。
「……分かったダス。烏丸君は、絶対に許さないダス……皆で、砺波さんを助けるダスよ!」
「おう! じゃあ、早速行こうぜ!」
「待って、岡君! まずは地図の更新を待ちましょう。もうすぐだから」
意気揚々と叫ぶ岡を高野が抑え、再び一同はパソコンを注視する。
15分のタイムラグは、本当に大きかった。次に更新された時、二つの点はすでに同じエリア内……それもそう遠くない地点にいたのだ。
これでは、高野の提案した作戦がどこまで通じるかは分からない。しかし、西本は現状では他に手が浮かばなかった。
高野の作戦は単純だった。狙撃銃を持った自身が林に身を潜め、スコープで二人の存在を確認する。
相手が烏丸なら撃って終了し、違えば迎えに出る。他の者は念のために武器を構えるだけでいい。
狙撃銃の本物など撃った事がない、と射撃精度に関しては彼女はやや否定的だったが、それでも実に分かり易い作戦だった。
だが、これだけ近づかれてはそんな事をする余裕はない。結局、急遽作戦は変更される事になった。
「皆は、このまま道路沿いに北に行ってくれる? そう時間がかからずに遭遇すると思う。その間に、私は林に入って身を潜めるから」
「で、ワスらは時間稼ぎをすればいいんダスな?」
「ええ。でも、できるだけ刺激するような事を言うのは避けて。砺波さんが人質になる可能性が大いにあるから。
それから、彼や……砺波さんの言う事も絶対に真に受けないで。現に私達は一度騙されたし、砺波さんも脅されている可能性があるもの」
あらゆる事態を想定した高野の作戦案に、西本は改めて驚いた。
急変更したにも関わらず、この充実ぶりだ。彼は頭脳面での強力なサポートに心より感謝した。
「じゃあ、砺波さんを助けましょう」
「おう! ……た、高野も、気を付けろよ!?」
「順子、私達が助けるから……!」
ずっと行動を共にしてきたからか、高野達三人の結束の固さを西本は感じた。いい仲間に出会えた物だと、岡を色んな意味で羨む。
その一方で、一人複雑そうな表情を浮かべた一条が、西本には気になってならなかった。
烏丸と砺波は人が通った跡を辿り、順調に進み続けていた。あまり喋る事なく、特に烏丸は絶えず周囲を警戒して。
砺波はいくらか警戒が甘いようだったが、その分自身が警戒をすればいい話だ。
「……烏丸君。約束、守ってよ。まず私が説得するから」
「分かってるよ」
目が合うと、何故か砺波は頬を赤らめる。だが、それとは関係なく彼女の意志は固いようだった。
烏丸とて高野こそ許せないが、他の者を倒したいとは毛頭思っていない。
だからこそ彼女の提案を支持し、心のどこかで期待すらしていた。
だが、いざ高野達に出会えば、恐らく彼は先に動いてしまうのだろう。
現に今も神経を集中させ、あらゆる方向からの襲撃を警戒しつつある。
襲撃を受けてしまわないように。そして、そのせいで彼女が……すぐ横の砺波が傷付いてしまわぬように。
烏丸にとってはさほど心境の変化などはない。ただ純粋に砺波を、そして皆を助けたかったのだ。
そんな警戒が終わる。何せ彼らの目の前に、4人の男女が近づいてきていたのだから。
岡を先頭に、西本、一条、そして雪野が続く。雪野の元へ向かおうとする砺波を抑え、烏丸は日本刀を鞘から抜いた。
相手は全員武装しており、何より岡や雪野がいる。姿こそ見えなかったが、高野が絡んでいるのは間違いないのだ。
「順子!」
誰よりも先に雪野が叫び、砺波も応じる。そして次に、一同の視線は烏丸へと向けられる。
「おい烏丸! 諦めて砺波を開放しろ!」
「烏丸君、お願い! 順子を助けて!」
高野に騙され、烏丸の予想通りの反応を見せる岡と雪野。だがその横で、西本が今まで見た事がない程険しい表情を浮かべていた。
後ろの一条の表情も鋭い。完全に高野のペースであると、烏丸は対応を必死で考えたが……
「ねえ、皆待って! 舞ちゃんを殺したのは高野さんなの! 皆、騙されてるんだよ!」
「砺波、もういいから喋るな! 分かってる、烏丸にそう言えって脅されてんだろ!?」
砺波の説得も岡が遮る。これも高野が仕組んだ事なのだろう。つくづくこちらの手を封じてくる高野に、烏丸は改めて怒りを覚えていく。
「美奈、信じて! 高野さん、最後は美奈だって殺そうとしてるの! あの人、舞ちゃんだって殺したんだよ!?」
「……烏丸君、これ以上順子を苦しめないで……嘘なんて、言わせないでよ……!」
砺波が雪野に訴えかければ、雪野はこれも烏丸による脅しの成果と信じた上で泣き出す始末。
この二人は完全に高野の駒とされていた事に失望しながらも、それでも烏丸は探した。
どこかでこの様子を見ているであろう、高野を。
「烏丸君、砺波さんを離すダス」
空気が、引き攣る。西本が口を開いた瞬間、全員が息を呑んだ。
およそ仏と呼ばれた男とは思えぬ気迫に薙刀が加わり、思わず砺波が後ずさる。
それに合わせ烏丸も後退したが、西本はなおもこちらを睨み続けていた。
「烏丸君、この薙刀に覚えはないダスか?」
「もちろん、知っているよ。大塚さんの物、だよね?」
「……そこまでしっかり覚えているダスか……!」
口調に怒気が強まったが、烏丸には何故彼がここまで怒るのかが理解できなかった。
確かに人殺しと聞かされてその事を信じてしまえば、それに対する嫌悪感や怒りがあるのは当然なのかもしれない。
だが、それだけで人は変わるのか。仏は鬼になってしまうものなのか。
「西本君、落ち着いて! 舞ちゃんは、高野さんが殺したの! 烏丸君じゃないの!」
そんな西本に、果敢にも砺波は声を上げた。彼を内心恐れているのか、ぴったりと烏丸の横について。
「西本君、舞ちゃんとは何年も前から一緒だったんだよね? 舞ちゃんが、死んで……悲しいんでしょ?」
……どうやら、恐怖だけではなかったらしいと烏丸は思い直した。
いつしか砺波は涙声になり、それでも説得を続けていたのだ。
そして、彼は今まで自分が知らなかった事実を知った。西本と大塚が、そんなに付き合いがあるという事を。
それならばと烏丸は納得できた。自分が大切な友達を殺した人間であると確信している今の西本が、仏で無くなった理由も。
「でも……本当に舞ちゃんを殺したのは高野さんなの」
「……大塚さんの事は申し訳ないと思う。でも、彼女を殺したのは高野さんなんだ。その薙刀で、大塚さんを刺したんだ」
「では、その返り血は何ダスか?」
説得が果たして通じているのか、烏丸には鬼の形相の西本から読み取る事はできなかった。
「……僕の目の前で、大塚さんは高野さんに背後から刺し殺された。この血は、それを浴びた物だよ」
「ワスは、人をどんな角度で切ったらどのように血が出るかとか、そういった知識は全くないダス。
……大塚さんの遺体を見た訳でもないし、状況は分からないダス。でも、君が彼女の血を浴びているのは事実……!」
聞く耳持たぬ、とはこの事か。西本は心すら怒りに染まりきっているようだった。
今にも襲い掛かられそうな気迫を前に、砺波が更に烏丸に近づく。
その一方で、烏丸は見ていた。怒る西本の後ろで、冷ややかに彼を見つめる一条を。
その後も似たような問答の繰り返しだった。だが、その度に烏丸達は追い詰められていった。
特に西本である。いくらか口で岡や雪野を黙らせたと思えば、西本が的確に指摘を返していく。
烏丸の言った事は全て真実だったが、それですらもひっくり返されかねないほど、西本の思考は鋭かった。
烏丸はじりじりと、やがて物理的にも追い詰められていった。
鎖鎌を持った岡や薙刀を構えた西本が近づき、次第に烏丸は後ずさり、ついには後ろの木に背を預ける形になってしまう。
唯一の救いは、こんな状況でも自分の傍を離れず、すぐ横にいてくれた砺波の存在だ。
彼女がいるからこそ岡も西本も手を出せない。彼の望む所ではなかったが、結果的に砺波を人質に使った格好だった。
だが、砺波はそれを嫌がる様子はなかった。むしろ、雪野達を助けたいと思い、望んで自分の傍に居てくれた。
なにせ途中で何度も烏丸は小声で言ったのだ。もういいから、僕から離れてと。
烏丸は戦う決意を固めつつあった。説得が通じず、皆高野の言う事を信じてしまっている。このままではいつか攻撃されてしまう。
だから烏丸は出来れば誰も殺さずに……可能ならば極力傷つけずに、打って出る覚悟を決めようとしたのだ。
それでも砺波は応じなかった。離れたら烏丸君が戦ってしまう。戦わせたくないし、烏丸君から離れたくない。
西本達には聞こえないように、しかし彼女は追い詰められつつある中、自身の心境を話してくれた。
それを烏丸が砺波に指示を出していると見なした岡からは非難の声が上がったが、それでも砺波は烏丸の無実を叫んでくれた。
それが烏丸には嬉しかったが、かといって今の彼にこの状況を打開する術などなかった。
全ては予定通りだ。すでに何度も烏丸との問答を繰り返し、西本は十分に時間を稼いだ。
途中で何度も怒りに震えたが、大塚の仇であるこの男から砺波を救う事を思えば、耐えられた。
烏丸や砺波の言葉が全面的に嘘かと言えば、内心西本も疑問ではあった。
砺波の態度は脅されただけの物とは考えられなかったし、途中の烏丸や砺波の話には首を傾げたくなる部分もあった。
だが、それも大塚を殺した事への怒りが解決する。これまでひたすらに思考を重ねていた事で、疲れていた頭脳を休ませられのだ。
西本は疲れていた。特に、心理面での疲弊が無視できない程に。
だから彼は烏丸達の主張も、全て彼が騙そうとして喋っていると確信して返し続けた。
恐らく大塚の物であろう返り血を浴びた烏丸の姿は、西本に躊躇いと言うものを忘れさせてくれた。
なおも問答を繰り返していたが、それも時間の問題だった。
高野は間もなく烏丸を止めてくれるだろう。そう確信して、西本達は烏丸とは一定距離を保ち続けた。
自分達では砺波まで傷つけかねないし、逆上した烏丸が砺波を殺すかもしれないから。だが、高野なら無傷で彼女を助ける可能性を秘めていた。
射撃精度に疑問があるとは言っていたが、狙撃手が高野ならどこか安心できる。
モデルガンとはいえ銃器の扱いに長け、何より元から万能だった彼女なら、きっと何とかしてくれる気がする。
不確かな自分達の攻撃よりよほど可能性があると、高野と合流したばかりの西本さえも確信していた。
その時は来た。一発の銃声が、林の中を響き渡る。
実に一瞬の出来事だった。首から上の血が、肉が、一気に飛び散る。
彼らの背後にあった木に、それらはこびりつく。どこかの芸術家の作品とすら言い張れるような、異様な模様が描かれる。
声が出ない。烏丸はもちろん、西本も、岡も、雪野も、一条も。これが、狙撃銃の威力だった。
ぐしゃりと音を立て、今まで砺波だった物が崩れ落ちた。
「いやあああああああああああああ! 順子! 順子ぉぉぉぉぉ!」
膝を付き、頭を抱え、雪野が泣き崩れる。岡は呆然と立ち尽くし、一条は涙を浮かべる。
そして西本は、状況を理解できずにいた。目の前で烏丸は横顔を血に染め立っている。その後ろで、砺波が死んだ。
--ああ、確実に狙撃できるかは自信がないと血セっていたダスな。
ハリーの時より遥かに酷い光景が、逆に西本に冷静な思考を与えてしまう。
……いや、冷静と言うよりも脱力と言うべきか。今までの全てがムダになった。失敗してしまったのだから。
「うそ、だろ……高野が、外すなんて……」
岡が項垂れる。今まで絶大な信頼を寄せていた高野のミスが、よほど信じられないのだろう。
だがその呟きが、高野という単語が、今まで沈黙していた烏丸を蘇らせた。
これまでと同じ表情で、それでいてそこから憎悪を滲み出させて。
岡が顔を上げる直前、すでに烏丸は岡に迫っていた。岡は慌てて鎖鎌を振り上げたが……間に合わない。
烏丸の日本刀が振り抜かれ、岡の首から大量の血が噴出す。雪野や一条が叫び声を上げる間もなく、次に烏丸は西本の方に振り向いた。
岡が倒れると同時、雪野の悲鳴が上がる。一条の悲鳴がそれに続けば、今度は西本の左手に熱が走る。
痛いと感じる前に、西本は自身の左手の薬指と小指が無くなった事を悟った。
烏丸の日本刀がかすったのだ。しかしそれに気付くと、彼はようやく激痛に襲われた。
「一条さん、雪野さんを連れて逃げるダス!」
痛む左手の悲鳴を無視し、西本は素早く薙刀を振り下ろす。
烏丸は寸での所で日本刀で受け止める。しかし西本の体格の分が、薙刀自体の分が、烏丸をじわじわと追い詰めた。
烏丸は両手で日本刀を押さえ、西本の一撃を何とか耐えていた。しかしそれも時間の問題だろう。
上から下ろしていく分、西本の方が力が強くて当然だ。このまま日本刀を飛ばし、烏丸目掛け振り下ろす。
大塚の形見とも言える物で、烏丸を討てれば西本にとって本望だった。
あとは、万が一に備え一条達を避難させたかった。特に雪野は立てそうに無かったのだ。
「一条さん、雪野さんと、早く逃げるダス!」
腕に込めた力が声にも移る。彼の叫びは、確かに一条に届いた。
「……そうですね。人殺しは、許されませんよね」
……届いた筈だった。だが一条は逃げ出す事なく、半ば膠着状態の二人に銃を向けた。
「……一条、さん?」
「くっ……!?」
限界ギリギリの二人は動けない。半端に動けば、死ぬのは自分だ。
だから西本は、一条の行動が理解できなかった。自分がいるのに、何故撃とうとするのかを。
「一条さん、ここは逃げるダス!」
「でも、人殺しはダメですよね?」
二度目の、しかし違う銃声が響き渡る。最も、西本も烏丸もその音を聞く事なく、二人同時にこの世を去った。
手に持ったバールを落とし、呆然とこちらを見つめる雪野の目を、一条は直視する事はなかった。
腕に残った痺れも、目の前の西本と烏丸の無残な死体も、特に気にはならなかった。
--人殺しは、罰せられて当然ですよね?
そう、つい先程目の前で、二人の人殺しが殺し合っていた。
一人はかつて一条とは体育祭でダンスを踊った事もあった、ハリーを殺した。
もう一人はつい先程自分の目の前で、合流したばかりの岡の首を切って殺した。
だから、この二人がこうなるのは当然だと、そう一条は考えていた。
今鳥が死んだ。嵯峨野も死んだ。ララも、結城も、そして花井でさえも……
特に、五度目の放送で知らされた事実は、一条の心に更なるダメージを与えていた。
一緒にお弁当を食べた仲間が皆死んで、つい数時間前まで共に行動した、かけがえの無い仲間がまた死んで。
彼女の精神は再び平衡を失っていた。それも、今までの分のダメージに蓄積され、明らかに酷い状態で。
いつしか雪野が声を上げて泣き出し、一条はそれをなだめようと慌てて彼女の肩に手を乗せた。
しかし雪野はそれを払い、高野の名を呼び一人で泣き続ける。
それが一条には信じられなかった。なぜ、自分を拒絶したのか? 自分は当然の事をしたというのに。
しかし雪野が何度も高野の名を呼ぶうちに、そのうち一条は気付いた。
高野は砺波を殺した。彼女もまた、人殺しなのだ。
人殺し。一条はその単語を反復させていく。
西本は、ハリーを殺した人殺し。
烏丸は、岡を殺した人殺し。
そして、西本と烏丸を殺したのは……
そこまできて、一条はようやく大変な事実に気付いてしまったのだった。
「私、は……?」
一連の事態の収束を見届け、ようやく高野は腰を上げた。
彼女は行動開始後、すぐに斜面を駆け上り狙撃のポジションをキープした。
高野は作戦前に自分で話した通り、狙撃銃の扱いは所詮狙撃銃のモデルガンを使った事がある程度だった。
とはいえ狙撃の姿勢や基本的な銃の知識などは、明らかに他の者達よりも勝っているのは分かっていた。
だからこそ高野は狙撃銃を預かり、この作戦を決行し、チャンスを窺い続けていた。
しかし、やはり多少扱い慣れているとはいえ、常に動き続ける相手を狙うのは困難を極めた。
度々狙撃のチャンスがありながらも逃し、その度に向こうで彼らは何かを話していく。
その間に烏丸達が真相を話してしまわないか、それを他の者が信じてしまわないかと心配しながらも待ったチャンス。
訪れた一瞬のそれを掴み取ろうと高野は撃ったが、弾は烏丸に当たる事はなかった。
銃身が微妙にぶれ、当たったのは砺波の頭部。高野の明白な失敗だった。
烏丸さえ撃っていれば全てが終わっていた。砺波は何とか懐柔できた筈だった。
だが、外したばかりに彼女は次に狙撃できるチャンスを失い、そして多くの駒を失ってしまったのだ。
岡が殺された。これは烏丸の手による物だからやむを得ないが、問題は西本だった。
彼の頭の回転の良さは高野も使えると踏んだし、大塚の事もあれば御するのはそう難しくなかった。
彼を助けるべく、烏丸と組み合った際に高野は再び狙撃を試みようとしたが、その前に彼は殺された。烏丸諸共、一条によって。
終始狙撃銃のスコープで様子を見ていた高野には、全く予想だにしない展開だった。
確かに一条の様子はどこか変ではあった。だが、まさか西本諸共撃つなどとは。
一条の持つスパス15が広域を攻撃するショットガンであるとの説明は、事前にしっかり行っていた。にも拘らず、彼女は撃った。
冷静さを欠いたか、激情に駆られたか、はたまた心が壊れたか……いずれにせよ、彼女には慎重に対応しなければならないと考える。
そして、雪野にしても同じだった。何せ、ミスとは言え彼女の親友を撃ったのは自分なのだ。
いくらこれまで完璧な駒に出来たからといって、このたった一度のミスで今まで築き上げて来た物が崩れないとも限らない。
どちらにせよ、今までのように簡単に懐柔できるとは考えない方がいいだろうと、彼女は肝に銘じた。
それにしても、今回の彼女の損失は大きい。
事実上完璧に使える駒を全て失い、それでいて残り人数は自分以外に8名。
今後駒予定の2名が使えないと判断され排除しても、残りは6名。
うち沢近、八雲、そして播磨と御し易い者がいるとはいえ、油断はできないのだ。
これまで生き延びてきた以上、奈良とて油断できない。運動神経のいい城戸や三原は、ゲームに乗っていれば手ごわい相手になるだろう。
ふと残された者達の名前を思い浮かべ、高野は溜息をついた。
サラにしても、麻生にしても、死んでしまった。彼らなら、きっともっと生き延びるだろうと彼女は考えていたのだが。
そして--花井春樹。まず間違いなく生き残りとして上がったであろう彼の名は、もう呼ばれる事は永遠に無いのだ。
間違いなく最後の最後に自分の前に立ち塞がるだろうと考えていた彼もまた、死んでしまった。
いくら手駒の殆どを失ったとはいえ、高野はまだまだ戦える。
元より全員を殺す事を誓った彼女は、首輪の番号集めにも協力するつもりもない。
今更脱出なり何か画期的な方法が見つかった所で、もう二度とあの日々は帰ってこないのだから。
だから、決してパスワードを当てて、教師の誰かが用意したというデータを利用させる訳にはいかないのだ。
ゲームを完遂する。彼女の意志は固かったが、だが高野はどこか気力が抜け落ちてしまっていた。
強者達が相次いで死んだ事で、彼女は更に有利になったにも関わらず。何故か高野は舌打ちした。
【午後:18〜20時】
【現在地:E-03南部】
【一条かれん】
[状態]:疲労大、極度の精神不安定状態。人殺しに憎悪。
[道具]:ショットガン(スパス15)/弾数:4発、支給品一式(食料0、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:高野さんは、人殺し。私は……あれ……?
[備考]:自分は嵯峨野を見て逃げ出したのでは……と疑い中。悪魔の囁き大。
【高野晶】
[状態]:疲労(特に精神面)、どこか虚脱感。一条を警戒。
[道具]:支給品一式(食料2)、ドラグノフ狙撃銃/弾数9発、シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾15発)、薙刀の鞘袋(蛇入り)
雑誌(ヤングジンガマ)、ブラックジャック(岡の靴下でつくられた鈍器。臭い)
[行動方針] :雪野、一条を様子見。雪野、一条を使えるなら利用し、その後殺す。沢近を懐柔し状況次第で殺す。
[最終方針] :ゲームに乗る。全員を殺し、全てを忘れない。パーティー潜伏型。首輪の番号集めの妨害。
【雪野美奈】
[状態]:疲労、極度の精神不安定状態。高野に依存(?)
[道具]:支給品一式(食料1)、工具セット(バール、木槌、他数種類の基本的な工具あり)
雑誌(週刊少年ジンガマ)、ブラックジャック(岡の靴下でつくられた鈍器。脳震盪と嗅覚破壊のダブルパンチ)
[行動方針] :不明
【パーティ共通:盗聴器に気付いています】
【砺波順子:死亡】
【岡樺樹:死亡】
【西本願司:死亡】
【烏丸大路:死亡】
--残り8名
※薙刀は西本の遺体傍にあります。西本、烏丸の荷物の散弾による損傷具合は不明。
リアカー(支給品*2(食料6、うち1つはカレーパン)、雑貨品(スコップ、バケツ、その他使えそうな物))はE-03南部にあります。
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