邂逅






 平瀬村分校跡と呼ばれる古ぼけた木造校舎の日陰部分で、城戸は腰を下ろした。
彼女は既に一通り周囲を見回っており、この場所まで来てこの場に誰も居ない事を悟っていたのだった。
「はあ…」
自然とこぼれる溜息。折角彼女は力を手に入れたのに、それを使う相手に巡り会えなかったのが、余程残念だったのだろう。
だが、それならこの安全地帯で出来る事を確実に行なおうと城戸は頭を切り替える。
現在まで彼女は自分のリュックの他に三沢のリュックも持っており、それは彼女の行動にそれなりに支障を来す存在となっていた。
やはり、三沢の分の荷物で必要そうな物を自分のリュックに積み込み、いらない物を捨てていくべきだろう。
城戸は早速三沢のリュックを開けた。食料、水を移し変えるべく取り出し、地図などに何かが書いていないか確認していく。
……ふと、城戸の目に留まった紙が三枚、リュックの底から取り出された。
東郷の遺したメモの複写だと最初に書かれたそれは、三沢が複製したものだとの注釈がつけられた上で続いていく。
そしてそれには盗聴器の存在、このゲームが他にも行なわれていた事実、そしてパソコンのデータの『パスワード』が記されていた。
先日の襲撃時に城戸は気付かなかったが、東郷達はどうやらパソコンを持っていた(支給された)らしい。
それがどれだけ重要な働きをしたかは、このメモを見れば一目瞭然だ。
恐らく先日見た盗聴器の暗号メモも、そのパソコンから出たものだろう。即ち、それだけパソコンの存在は危険という事だ。
盗聴器の存在が露見し、更にこのゲームについて何らかの事情を知る東郷がデータを残した。それは教師達にとって大きな障害になりうるだろう。
これまで城戸は南……氷川村を目指していたが、ここに来て考えを改めるべきか悩んだ。
もしこのパソコンを破壊できれば、教師達からご褒美を貰うには最高の材料だ。
そしてそのパソコンがあるとすれば、東郷と一緒の場所に居た三沢と冬木、彼らが持っていたリヤカーの中だったのだろう。
しかしあの場には殺人者……播磨がいた。即ち今は播磨が所有している可能性が高いのだ。
こちらにも力が手に入り、これまで同様自分のペースで攻める事が出来れば勝機はあるだろうが……
結局、城戸はまず目先の事を片付ける事にした。盗聴器の存在やパスワードが書かれた三枚のメモを、一枚残らず破り散らせる。
繋ぎ合せて判読できない位に、もうこれ以上盗聴器の存在を誰も知り得ないように。教師達のご褒美を思えば、何ら苦の無い作業だ。
この働きは大きいだろう。盗聴器の存在を他にも知りえる者がいる事を知り、そしてその伝達手段を絶った事は、この上ない功績なのだ。
こほん、と咳払い一つ。教師達への報告を行なおうと考えるだけで、城戸は妙にわくわくしてしまっていた。

と、不意に目の前の茂みが音を立て、城戸は銃を取り出した。
周囲に隠れられそうな場所はなく、校舎の窓も全て閉められていて飛び込めない。
少なくとも今まで目の前の茂みや林に人影などなかったのは確かだった。城戸は自らの警戒が足りなかったかと悔いたがもう遅い。
銃を構えるより早く、桃色のそれは姿を現した。


「……豚?」
そう、豚だ。丸々とした見事な子豚である。
構えかけた銃を下ろし、半ば呆然と足元を見つめる城戸に対し、それはぽかんとした表情でこちらを見つめている。
「……あなた、ひょっとして茂雄を……」
その愛くるしい姿を見て、城戸の脳裏には体育祭の出来事が思い浮かんでいた。
梅津が自分とのキスを果たすべく必死に走っていた最中、乱入してきた子豚に轢かれたあの時を――
この子豚はそれに似ていた。まさか野生ではないだろうし、もしかしたら誰かに連れてこられたのだろうか?
「……ねえ、あなたもこれ食べない?」
気が抜けて腰を下ろした城戸は、三沢のリュックから取り出した食料の中からトーストの袋を開けた。
砂糖がまぶされこんがりと焼かれたそれを一口サイズに千切り目の前に放り投げれば、子豚は喜んでそれにかじりつく。
その嬉しそうな鳴き声にどこか城戸の頬が緩んだが、ふとそれがまた引き締まる。
「……首輪には……盗……」
トーストをまた千切り、先ほどよりもっと自分の近くに投げれば、子豚は喜んで追ってきた。
先程より大きな塊を口に運ぶ子豚の上で、城戸は先ほどとは違う笑みを浮かべ始めていた。
(豚を殺すと全員死ぬ……麻生、サラを守れ……田中君のメッセージ……)
更に大きな塊を千切ってよこし、城戸は思考を回転させた。
田中が何らかの手段で(もしかしたら東郷達と接触して)盗聴器の情報を知った。そして、仲間の麻生やサラ達に伝えようとしたのだろう。
だが、彼女には一つだけ気にかかる点があった。……豚を殺せば、全員死ぬ。
(多分、田中君がこのメッセージを消されたくないから……でも……)
恐らくそうだろう。だが彼女はもしもを考える。
もし本当にこの豚を殺せば全員が死ぬような仕掛けがあったら。そんな"裏ルール"と呼べる物が存在したら。
全員死ぬ。首輪が作動するというのか。先日の塀内のように、成す術もなく死ぬしかなくなってしまうのか。
もしそうだとして、盗聴器の存在が書かれたこれをこのまま野放しにしていい筈が無い。
これもまた教師達への貴重な交渉材料になりうる物だ。だが、ここで殺して交渉の余地なく爆破されては元も子もない。

城戸はもはや残り半分もないトーストを全て地面に放り投げ、子豚は更に城戸の近くに落ちたそれに遠慮なくかじりつく。
その目の前で城戸は立ち上がり、自前のリュックから金属バットを取り出した。
これまでひたすら目の前のトーストに夢中だった子豚が、急に面を上げた瞬間だった。
僅かな殺気に気付いたのか、子豚が踵を返そうとしたその直後、金属バットの先端が背中にめり込む。
奇声を上げ横たわったそれに、城戸は更に背や腹に数度金属バットを振り下ろし、やがてそれは足をばたばたさせるだけになってしまった。
「ヒギィィィィ……」
悲しげに鳴くそれを無視し、城戸は無理矢理背中を起こし、油性マジックを取り出す。
そして『全員死ぬ』の一文以外を、満遍なく塗り潰していく。
油性なのだから洗っても落ちないだろうし、洗剤で洗えば田中のメッセージも消えるだけだ。
読み取られる事がないように、荒々しく息をする子豚の背中に次々とマジックを走らせ、いつしかその一文を除いて完璧に塗り潰した。
「……あ、あれがいいかも」
残る"荷物"をまとめ、城戸は不要となった三沢のリュックを残し、すぐ近くの煙突がある物の傍に行った。……そう、小型の焼却炉だ。
現在では法が変わり学校で使用される事がなくなった物だが、取り壊される事なく残されていたのだろう。
蓋を開け、両手でようやく抱えられる子豚を放り込む。かなりの灰が舞い散ったが、城戸は咳き込みながらも蓋を閉める。
中からはなおも悲鳴がこだましたが、炉の内部はそれなりに深く、自力で脱出する事などまず不可能だろう。
城戸はメッセージを潰したが、『全員死ぬ』の一文がどうしても引っ掛かってしまっていた。
メッセージさえ潰せば本来はどうでもいい存在だが、万が一その一文が本物で、別の者にあの子豚を殺されては敵わない。
生かさず殺さずではないが、城戸は焼却炉跡に子豚を監禁しておく事にしたのだった。少なくとも、ゲームが終わるまでに死なれぬように。
「ご飯もあげたし、大丈夫だよね?」
なおも悲鳴が響く焼却炉に背を向け、城戸は笑った。


南にいる人物を探すべく出発した沢近は、まずは手近なG-03に向かっていた。
単独で行動している以上ゲームに乗った者である可能性はあるが、もしかしたら花井か八雲がはぐれているのかも知れない。
少なくとも相手の正体は突き止め、可能なら首輪の番号も知る。せっかく見え始めた希望を胸に、沢近は駆けていった。
そして放送時間に近づいた現在、平瀬村分校跡。
沢近の視線の先には、焼却炉の前に立っている城戸の姿があった。
自身が木陰に隠れ様子を窺えば、両手にピンク色の物を抱えた城戸もしきりに周囲を警戒しているのが分かる。
もっと様子を見ようと少しずつ近づいていくうちに、城戸は焼却炉の蓋を開け、それを放り込んでしまった。
それは一瞬豚のようにも見えたが、しかしそれ以上に沢近の視線は、城戸のリュックに釘付けになった。
リュックから僅かに飛び出たグリップエンド。沢近が支給され、大切な友達の嵯峨野に預けた金属バットに、瓜二つの色形。
「……城戸さん……あの女が……!」
確信。嵯峨野の金属バットを持った城戸こそが、嵯峨野を殺した女だ。
梅津も、三沢も、そして恐らく東郷も、あの女が殺したのだろう。
距離的には決して不可能ではない。再び心を憎悪の炎が燃え盛る中で、いくらか冷静だった部分が導き出した結論だった。
とはいえ、城戸は今までの数々の沢近の悲しみ、恐怖の元凶だ。播磨だって、被害者だ。
沢近の怒りは止まらない。憎悪が、つい数時間前の彼女を呼び覚ます。
今までと同じ調子で周囲を見渡した城戸と目が合ったのは、まさにその時だった。

「うわあああああああああああ!」
デザートイーグルを構えた沢近が発砲したが、その前に林に向け走り出していた城戸には当たった様子がなかった。
逆に城戸も数発撃ち返してきたが、腕を振りながらでは全く沢近に当たらない。
「くっ……!」
林に入り、やはり数発城戸が撃って来るが、日を遮る木々の中では発砲時に銃口が一瞬光って見える。
とはいえ沢近は闇雲に反撃出来ずにいた。相手と違い、こちらは単発であり、予備のマガジンもないのだ。
いたずらに撃ち合っては埒が明かない。沢近は物音を立てぬよう林の中に慎重に移動しつつ、相手の出方を窺った。
圧倒的な憎悪も、相手の力の前ではどうしても身を引く。それは冷静さを取り戻させ、結果的に彼女の命を救う事にもなるのだが。
沢近は暗い木々の合間で神経を集中した。城戸がどこにいるのか、自分を狙っていないかを確認して。
放送までもうあまり時間が無い。その間に向こうが逃げるかもしれないし、逆に放送中に襲ってくるかもしれない。
下手に逃げようと林を離れれば、一人林に隠れた城戸からは丸見えだろう。そこを狙い撃ちされるかもしれない。
更に沢近は、城戸が飛び出すナイフを持っている可能性にも気付く。先日の"事故"で播磨が放ったそれの威力は、知っての通りだ。
しかし、ここで引く訳にはいかない。嵯峨野の、そして大勢の命を奪い、皆を傷つけた城戸を、沢近は許すわけにはいかないのだ。
なおも凶行を繰り返そうとする城戸は、止めなければならない。憎悪と正義感の間で、沢近は銃を構え続ける。
どこから撃ってくるのか。いつ撃たれるのか。あらゆる可能性を探るうち、いつしか沢近は気付いた。
自身の疲労……特に精神に襲い掛かったそれに。

条件は同じだ。確実に神経をすり減らしていく二人の少女は、林の中でなお互いを探り合う。
ゲーム開始直後から始まった両者の因縁にピリオドが打たれるのはいつになるのか。
少なくとも、焼却炉跡で呻き続けるナポレオンに、それが分かるはずが無かった。


【午後:17〜18時】

【城戸円】
【現在地:G-03 分校跡付近の林】
[状態]:疲労(特に両腕)、精神的疲労
[道具]:支給品一式(食料4、水4)、vz64スコーピオン/残り弾数33、金属バット、紙袋(葉書3枚)、スピーカー
[行動方針]:1.沢近を殺す 2.教師達に東郷メモ等の情報を伝え、ご褒美を貰う 3.氷川村か北へ(悩み中)
[備考]:盗聴器に気がつく。主催者とコンタクトを図りたい。播磨が冬木を殺したと認識。

【沢近愛理】
【現在地:G-03 分校跡付近の林】
[状態]:疲労、激しい憎悪(いくらか冷静)、精神的疲労。返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(水2,食料5)、デザートイーグル/弾数:5発、携帯電話
[行動方針]:1.城戸を殺す
           2.南方面の人間(死体含む。八雲>花井=麻生>他)を捜して首輪を調査、西本に連絡する。砺波、一条が心配
[備考]:播磨を信用しはじめている。フラッシュメモリの可能性を強く信じる。烏丸が大塚を殺したと認識。盗聴器に気付いています。
     一条が嵯峨野の死体を見つけたと勘違いしています(一条は死体の顔を確認していません)

【ナポレオン】
【現在地:G-03 分校跡にある焼却炉跡の中】
[状態]:背中、腹を強打しかなり痛む(怪我の程度は不明)。灰まみれ。疲労大、激しい精神的ストレス。
      背中の文字は『豚を殺すと全員死ぬ』の一文以外全て油性マジックで塗り潰され判読不能。
※ナポレオンだけでは自力で焼却炉跡から脱出する事はできません。



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