出口への道標






 はじまりから二十四時間。花井達と別れてからは一時間足らず。
一条かれんが一人になった寂しさや心細さを無理矢理吹き飛ばし、
花井と八雲、そして多くの友人らの無事を祈りながら北上していた最中。
四回目の放送を告げるチャイムが鳴った。

「…………そんな……」
 かき消したはずの疲労が倍以上となって肉体を襲う。
右腕に握っていた銃器が重く感じる。おぼつかない足元に不安を覚え
その場に座り込み足以外でも体を支える。がくがくと揺れる膝や腕を総動員し、
最後にはショットガンすら支えにしながら、一条は放送の内容を反復する。

 ララが死んだ。同じレスリングを志し、同じハンバーガー屋で働き、同じ異性に振り回された彼女が死んだ。
体育祭で戦い、バスケットでチームを組み都会で暴れ、スケートを楽しみバレンタインの日に助けてくれた。
外国人との交流ということで感じていた不安などもはや消え失せていた。
争いを繰り返しながらもやがて友達になれた彼女の死が、心を折ろうと襲い掛かる。

「う……うっ……」

 五名の中で最初に呼ばれ、最も衝撃の強かった親友の死に貯まっていた涙が溢れ出す。
放送に対する覚悟がないわけではなかった。もしこの場に花井や八雲がいれば、今度も我慢できたかもしれない。
だが『一人』という状況は彼女に悲しむ時間と弱さ、優しさを無条件に与えていた。
そして一条はそれの誘惑に抗うなどできはしなかった。

「ララさん……!」
 鈍い痺れのようなものが頭の中に走る。わずかに考えることを許可した心に、ララ以外の名が入り込む。
八雲の捜し求めていた塚本天満。花井の幼馴染であり今鳥が好意を寄せていた周防美琴。
下心が垣間見えるが女生徒への気配りに長け、嵯峨野と変なところで息の合っていた冬木武一。
サバイバルゲームのワンシーンをきっかけに演技派、演技派と持ち上げられていた三沢 伸。

「だめ……悲しんでばっかりは、ダメ…………」
 八雲から託された希望の種。それを守り、育てなくてはならないのだと自らの役割を諭す。
まだ生きている人がいる。一人でも多くの人を助けなくては、と奮い立たせる。
辛いのは自分一人ではない。昨日から全く動向の知れない結城のこともある。
悲しむ時間はほどほどにしておかなくては、と心とは真逆の激を飛ばす。
自己暗示にも似た行為の末、一条はようやく目を開き二本の足で立ち上がることができた。
右手に違和感を感じ、そちらに視線を移す。その正体は、いつからか握り締めたままのスパス15だった。

――――許せない

――――――日常を壊す人達が

――――――――狂った『元』教師達に、狂った『元』クラスメイト達



「……っ!」
 ばっ、と一条は反射的にショットガンを投げ捨てる。からん、と地面と金属がこすれる音がした。
(……私……今何を)
 友人らを失った悲しみではなく脳裏に浮かんだ考えに背筋が凍る。額から脂汗が吹き出てきて頬を伝う。
恐る恐るショットガンを拾って、ゆっくりと呼吸を整えた。
「……そんなこと、考えてはだめ。これからのことを考えるの」
 周りに誰もいないことは問題ではなかった。何故なら今の言葉は自分に話しかけるためのものなのだから。

(……八雲ちゃんと花井君は……大丈夫。再会すると約束したもの。二人とも、きっと立ち上がれるはず)
 この島でただ一人、肉親を失うという悲劇に見舞われた八雲。
親友や恋人といった枠を離れた、唯一無二の幼馴染という存在を失った花井。
二人の悲しみと、自分のそれとを比較していいものか一条には判断がつかなかった。
天満の死を知った八雲の気持ちも、周防の死を知った花井の気持ちも本人達にしかわからない。
けれど大事な人が死んだ辛さだけはわかる。そして人は立ち上がれるということも知っている。
だから、一条は二人を信じることにした。そうすることで無意識のうちに先程の囁きを封じ込める。
信じるしか選択肢はない、とは考えずに。


(これからどうしよう。鎌石村に向かっていいのかな……冬木君はもう)
 冬木に何があったかはわからない。東郷と同時に名前が呼ばれたのなら、
危険な人物に襲われたと判断できるが、二人の死亡時刻には最低でも六時間以上の開きがあるはずである。
放送を疑うことのない――いつの間にか殺し合いのルールを受け入れていることに嫌悪感が増す。
だが一条はそれをすぐさま振り払った。これ以上思考の寄り道はいけないと自らを叱責する。

(東郷君が死んで……もしかして鎌石村が危険になって、冬木君は逃げたのかも。ううん、東郷君が
『ここは俺に任せな』なんて言って冬木君を逃がした……とか。じゃあノートパソコンも?)
 少なくとも死人の出た場所にいつまでも留まるとは思えなかった。
自分の外したバッテリーとノートパソコンを持って冬木はどこかへ移動。しかしその先で志半ばに倒れる。
ならばその『どこか』とは。六時間前後で移動できる距離となると菅原神社、もしくはホテル跡が可能性が高い。
思い込みだらけのシナリオを描いた後、一条はしばらく考え込む。

 当初の予定どおり鎌石村へ進むべきなのだろうか。花井や八雲が自分を追ってくるとしたら
そのほうがいいのかもしれない。だがそこにノートパソコンがある可能性は低い。

 菅原神社へ行ったほうがいいのだろうか。昨日自転車で疾走したときに見たが、あのあたりは自然が多く視界が悪い。
隠れる場所としては最適だろう。だがそれは人探しに向かず、奇襲を受けやすいことも意味する。

 最後に、ホテル跡。島の中央近くに位置し、人が最も集まりそうな地点。
いろいろな意味でハイリスクハイリターンが望めそうなポイントだった。

  (……危険は、避けていかないと…)



 一条は怖かった。人を殺すような危険人物と出会うことも、そんな相手と戦うことも。
銃器の引き金を引くことも、それに連なる先程の邪悪な考えと自分が。まだ素手のほうがよかったかもしれない。
時折、自分の意識がはっきりしないまま人を傷つけることがあった。
相手はララだったり今鳥だったりするが、それは競技、あるいは日常生活の冗談で済まされていた。
だが、その衝動がこの惨劇の舞台で自分を襲ったらどうなるだろう。
人を探しているにもかかわらず、接触を恐れる。矛盾した考えが彼女の中で衝突を繰り返す。
そして一条の選んだ選択は、菅原神社を目指すことだった。リスクの低いところから、順に潰していく。
それが正しいのだと言い聞かせながら。

 * * * * * *

 菅原神社近くは、予想したとおりの光景だった。背の高い木から垂れ下がる葉々が視界を遮り、
数多の腰ほどの高さの藪が――人が隠れることができそうな藪が、不安を掻き立てる。
ただし神社というだけあって付近の道は整備されており、歩きやすさでいえば
花井達と一緒にいた頃通ったそれとは比較にならない。

「鳥居……」
 ショットガンを握る手に力が篭る。誰かがいるかもしれない。
いるのなら、敵意の無いことを伝えて話し合おう。そのために彼女は武器をその場で地に落とす。

――――殺されそうになったらどうするの?

 湧き上がった不安要素に足が止まる。ちら、と目線が先程捨てたそれを捕らえる。
(何も捨てることはない、よね。使わないけど……リュックにいれておくだけでも、いいかな)

 少しずつ変わりはじめた考えに自覚しないまま、一条は武器を拾い背負ったリュックに戻す。
そして一歩一歩神社の本殿に近づきながら、周囲の反応を確かめる。
彼女がゆっくりと中の扉を開いても、一切の変化がおとずれることはなかった。


「誰も、いない……」
 あまりの反応のなさに声が漏れる。開いた扉や踏みしめる床がきしむ音以外、そこは完全に静寂に包まれていた。
一目で見渡せる程度の広さしかない本殿に人の気配は一切ない。そのことに一条の心の中でやすらぎと失望が渦巻く。
せっかく安全地帯に来たのだからと前向きに考え、一条はリュックを降ろしこの場で休憩をとることにした。
最後の食料であるカステラを取り出し、花井に感謝しながらじっくりと味わう。
唾液が分泌されるより早く、乾いたカステラが口内の水分を吸い急激に渇きを促す。
それでもまともな荷物すらない二人のことを考えて一条は我慢することにした。

 靴を脱ぎ足の裏やふくらはぎを両手の拳で左右から軽く叩く。足の指を動かし筋の一つ一つをするように丹念に伸ばす。
足首を上下左右に動かしながら、全方面を均等にマッサージする。鈍い痺れのような感触が溜まった疲労を実感させる。
少しでもそれをやわらげるため、一条は丹念に柔軟体操を続けた。



――――ガタタッ!

 突如頭の先からした物音に驚くとほぼ同時に、一条は隣のリュックに差し込んであるショットガンを抜き取り
身を反転させ構えを取っていた。開いたままだった扉が急な突風で揺れただけであることに気付いたため、
かろうじて指だけは引き金にかけられていない。
「もう、驚かせないでください」
 額に吹き出た脂汗を肘でぬぐい、軽く扉に文句を言う。だがもし誰かがそこに立っていたらどうなっていただろう。
どうにも薄気味悪くなり、そろそろいいかと一条は不安を覚えながら菅原神社から出発することを決めた。


(……次はどうしよう……もう少しこのあたりを調べたほうがいいのかな……)

 ガサリ、クシャリと枯れた落ち葉を踏みしめる遊びに無意識に興じながら、一条は再び思考を巡らせた。
ガシャ、グシャ。やけに音が大きい。やがてこのあたり一帯にのみ、妙に落ち葉が多いことを理解する。
視界を足元から半径5メートル程度に拡大する。一筋の道が、大量の木の葉により形作られていた。

「あ……ぁ」
 そしてその先にあったものを視認する。明らかに矢神高校の制服と分かるものから手足が突き出て、
付近に黒い泥の塊のようなものが形成されていた。確認するまでもなく、人が死んでいる。
胸部から上は未だ落ち葉に覆われていて顔まではわからない。しかし一条にそんなことは関係なかった。

「嫌あぁっ!!!」
 突如姿を見せた物言わぬ肉体。見慣れたはずが、全く異質な存在感を示す薄汚れた制服。特に変色がひどい左足。
落ち葉の飾りつけと凝固した血が首なし死体と誤認させるような錯覚を促し、禍々しさを加速させる。
一条は突きつけられた恐怖に耐え切れずそこから一気に逃げ出した。

 孤独による不安。放送による衝撃と悲しみ。不確かな進むべき道。そして死の現実。
花井や八雲といたときに見せた勇気は、すっかりその姿を潜めてしまっていた。

――怖い

――誰か

――助けて



 * * * * * * * * *

「西本君、話はわかったわ。でも晶達が来るまでどうするの?ちゃんとした道を歩くなら、ホテルから一時間以上かかるわよきっと。
 ……だから、もしよかったら美琴を」
「荷物整理を考えていたんダスが、その前にこれを見て欲しいダス」
 話を途中で遮られ、沢近は軽い不快感を覚える。とはいえ彼が言うなら必要なことだろうと納得することにした。
死体の傍で話し合いを続けるのは、精神衛生上決して褒められたことではない。ハリー・マッケンジーや冬木武一の亡骸が
視界の外に消える程度には離れた場所までリヤカーを運び、そこで沢近と西本は待機していた。

「?例の人の場所がわかるっていう……何かあったの?」
「ワスらがいるのがここ。そして、コレ。初めて見たときはE-02のほうにいたんダスが、それが近づいてきているんダス」
「え、どこに……すぐ近くじゃない!まず隠れましょう」
 コクリ、と頷く西本の合図を皮切りに二人は急いで近隣の茂みに身を隠す。
ノートパソコンとバッテリー、そしてデザートイーグルとドグラノフ狙撃銃を手に握り締めながら。

「……誰かしら。西へ行ったのに戻ってくるなんて……」
 ずきり、と沢近の心のどこかが疼く。西にあるのは一つしかない。この島で出会った友人を亡くした場所、菅原神社。
自分は満足に埋葬することもできず、そのまま今こうして生きている。嵯峨野と周防、なんとか二人だけでもと考えていた。
(晶達と合流できれば、美琴を探して二人を埋葬することだってできる。リヤカーにスコップが……!晶!?)
「ねえ西本君。晶達は大丈夫かしら。私達じゃなくて、このわからない人と遭遇してしまうことはない?」
「可能性としては否定できんダスな。場合によってはこちらから動くことになるダス」
 午前中、自分は生涯最大の愚行と言っていい判断のせいで親友を失った。沢近は下唇をかみ締める。
もう二度とそんなことはあってはならない。不安要素は徹底してなくさなければならないのだ。

「私が行くわ。この人と会ってくる。どうせすぐ近くにいるんだし」
「……もう少し待つダス。どうやらワスらと出会うのが先みたいダス」
 どうせなら待ち伏せを、と地図で現在地を見せながら提示された西本の意見。
友人らとは未だ距離が離れているが、正体不明の人物はもはや目と鼻の先。いつその姿が見えてもおかしくはない。
ノートパソコンの機能により説得力の増した意見を受け、沢近は立ち上がろうと構えていた腰を地面に降ろした。


 草葉の影から覗き込むように顔を出し沢近と西本はノートパソコンと誰かがいるであろう方角を交互に見返す。
その間にここを離れる手もあったのだが、正体を確認してからでも遅くはないと保留する。
(……一瞬あちらの森に人影が見えたダス)
(いよいよね……いざとなったら私が戦うわ。でもサポートには期待してるから)
 西本の、そして沢近の手が銃器を強く握り締める。先程高野から聞いた、烏丸大路という危険な存在。
烏丸本人ということはないだろうが、彼や先程のハリーのような存在であることをいつしか二人は念頭においていた。



 ほどなく、一つの影が森から抜け出る。足取りはおぼつかず、少なくとも健康体には見えない。
どこか虚ろで、怯える瞳をした――しかしその手にショットガンを携えた一条かれんだった。

(……一条、さん………………っ!)

 西本が接触の手段を考えるより早く、沢近は隠れていた茂みから飛び出した。
既に彼女の頭の中では一つの図式が完成している。嵯峨野の死体を見てしまったのだ。それで全て辻褄があう。
落ち葉のカモフラージュなど一日経てば吹き飛んでしまう。後悔と運命への恨みが沢近を突き動かす。

「ひっ!!だ、誰!?」
「一条さん!私よ、沢近よ!」
「さ、沢近……さん……」
 カタカタと一条の肩が震える。しかしその反応とは裏腹に、銃口は沢近のほうへ向けられていた。
西本は顔を青ざめ、最悪の場合を考慮しドグラノフ狙撃銃に手を伸ばす。
この距離で自分に扱えるかどうかはもはや問題ではなかった。いざとなったら、使うしかない。

「大丈夫。私は何もしないわ」
「……そ、その銃は……」
「捨てるわ。……これでいい?落ち着いて。辛かったんでしょう?」
「……は、はい……わかってます。沢近さんなら……で、でも私」
 少しずつ、少しずつ沢近は一条に近づく。両手を開き、頭より高くあげて。
目の前にまでスパス15を突きつけられていても、決してあわてることなくその先をつかみ、
ゆっくりと銃口を地面に誘導させる。そして抵抗をしない一条の体を、ゆっくりと抱く。
次第に一条の震えが収まり、代わりに彼女の手が自分の背中に回ってくることがわかった。
「っ………!」
 一条の力強さに沢近は少しだけ眉をひそめる。けれど間近にある彼女の顔を見るために、すぐ表情を戻す。
不安をやわらげるために声一つ上げず耐えることを沢近は選んだ。
骨がきしみそうになるほどの、抱擁というには強すぎるそれを一条と嵯峨野への罪滅ぼしと信じて。

「一条さん……落ち着いた?」
「……ごめん、なさい……沢近さん。……あ、か、髪が……」
「気にしないで。私こそ、ごめんなさい」
「え……?」


 西本は手に持ったドグラノフ狙撃銃を降ろし、ノートパソコンを見つめていた。
周囲には誰もいない。高野達もまだしばらくは到着できない。彼女達の世界に立ち入るものはいない。
自分が姿を現すのは、もう少し後でもいい。壊してはならないのだ。
一刻も早く会話をすべきなのに、それすらも無粋であると思えてしまう。
それが何故か、彼には非常に心地よかった。そして少しだけうらやましくなる。
『仏の西本』と自分を慕う盟友達を思い出したためだった。



 * * * * * * *

「ごめんなさい。沢近さん。西本さん。……えっと、会えて嬉しいです。一緒に頑張りましょう!」
「ええ、お願いね一条さん」
「頼もしいダス」
 まだいくらかの影を残し、僅かに涙の跡を見せるものの一条の瞳は光を取り戻していた。
彼女の状態を見てもしやと思い、西本が水を勧めると彼女は喜んでそれにとびつく。
詳しい話は高野達と合流してからと考え、まず休憩しつつ最低限の知識を順番に伝えることにした。
首輪に仕込まれた盗聴器。ノートパソコン。高野達との合流。烏丸をはじめとした、危険人物の存在。
しかし二つ目の説明をはじめたところで、一条が叫ぶ。

「の、ノートパソコンですか!?どうして?冬木君が持ってたはずじゃ……」
 捜し求めていたノートパソコンがすぐそこにある。喜びながらも、一条は真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「……色々あって私達が持ってるのよ。冬木君は……ごめんなさい。間に合わなかったわ」
「ワスらがこれを手に入れたのは数時間前ダス。何で一条さんが冬木君が持っていたと分かるダスか?」
 まさか二人が冬木を殺して手に入れたとは思えず、ひとまず受けた質問を解消するため一条は自分の事情を説明する。

「最初、鎌石村で東郷君と冬木君に会って……あ、そのバッテリーは私が車から取り外したんです。
 その後東郷さんから自転車を借りて氷川村のあたりまで行って、まず八雲ちゃん、次に今鳥さんと花井君に会いました」
「!?その三人はじゃあ……ううん、それから四人でこっちへ?」
 思うところがないわけではない名を聞いて、沢近に戸惑いの色が浮かぶ。
「平瀬村へ向かって、そこで斉藤君と鬼怒川さんに襲われたんです。そ、それで……今…今鳥さん、が……」
「――――!ご、ごめんなさい」
「すまなかったダス。……殺された東郷君がメモを残していたようダス。後で読んでおくといいダス」
 西本軍団の一角を担っていた斉藤の選択を、西本は一人つらく思うと同時に理解を示していた。一度話し合ってみたいという名残を残して。

 沢近達の状況を聞くより先に、一条はリュックから希望の種――八雲の持っていた256Mフラッシュメモリを取り出す。
「八雲ちゃんはお姉さんを探しに、花井君は彼女を追いかけて……私はこれを受けとって、二人と別れました。そ、そのあと……」
「それ以上言わなくていいわ。ありがとう。私達は今ここで晶と雪野さんと岡君と合流しようとしているの。
 詳しくは後でね。一条さんについては私か西本君から説明するから」
「辛いことを話してもらって感謝するダス。高野さん達を待つ間に、そのフラッシュメモリの中身を確かめておこうと思うダス」
 どうぞ、と一条は素直に西本にそれを渡す。二人のことを完全に理解したわけではないが、それよりもフラッシュメモリのほうが気がかりだった。
キャップを外し、西本は緊張しながらノートパソコンの脇に差し込む。デバイスがインストールされるまでの僅かな間、
三人は食い入るように画面を見ていた。やがて、灰色の画面が開かれる。


「これって……」


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

              【!注意!】
            首輪は盗聴されている
         決して内容について口に出さない事
         フラッシュメモリは壊れたことにしろ
          この殺し合いを止めたいのなら
               【OK】
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「!っ……」
 思わず吐き出しそうになった言葉を沢近はかろうじて喉の奥で堪えた。最初はメッセージの意味が理解できなかったものの
頭の中で反復するうちに意図が読める。一条や西本の顔を交互に見るが、やはり二人は目を綻ばせ叫びたい衝動に耐えているらしかった。
喜びを抑えるのがこんなに難しいなんて、と実感する。
盗聴器について教えてくれたということは、教師達には決して知らせてはならない重要なことなのだろう。
それはおそらくこの殺戮の舞台を覆すようなモノ。堪えようと思っても堪えきれない期待感が湧き上がる。

「『ディスクを読み込みできません』……なんてことダス」
「え……あ!」
 今の発言により、見ていたメッセージを思い出す。沢近は素早く相槌を打ち、話をあわせた。
「西本君、それってどういう意味?」
「フラッシュメモリを丁寧に扱わなかったから物理的な損傷が発生したダス。データをパソコンが認識できていないダスよ」
「そ、そんな」
「一条さんを責めるのはやめなさいよ。こんなものに、期待した私達が馬鹿だったんだから」
「すまんダス。つい……とりあえずもう高野さん達を待つダスよ。あと四十分……いやもう少しかかるかもしれないダスな」

 期待を裏切られ、思わず仲間を咎めるようなやりとりをわざと交わす。
これでとりあえず教師達に対してとりつくろうことはできた。
あとは『雰囲気が悪くなり誰も話さないままふてくされている』ふりをしながらこの続きを読めばいい。


――――フラッシュメモリには確かな価値があった。一条の心のどこかに達成感が生まれる。

――――盗聴器を知らせ、殺し合いを止めようとする存在に、沢近の心が躍る。

――――東郷が見ていた挙動不審な教師達とすりかえられた支給品。おぼろげな繋がりを西本は感じとる。

 誰かが助けようとしてくれている。期待感にあふれた表情を見せる沢近はもちろん、事情を完全に知らない一条も、
思慮深い西本さえもそう思わずにはいられなかった。甘い望みかもしれない。ただの偶然を曲解してるだけかもしれない。
けれど、自分達は地獄の二日間を耐えてきたのだから。少しくらい希望があったもいいではないか。
まだ完全に夢を捨て切れない、高校生らしさが三人の思考をまとめあげる。やがて目に映るそれに変化が訪れた。




「……何よ、これ」


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

          パスワードを入力してください

             ____-_______-_

                【OK】
                       【これを見た者へ】
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「ここまで、来て……何よ、何なのよこれは!」
 沢近の言葉は決して意図したものではなかった。出口が用意されていたわけではなく、
ようやく入り口にたどり着いただけということへの失望感を三人の代表としてはき捨てたに過ぎない。
西本は人差し指を口元にあてながら、メモ帳を取り出し急ぎ油性マジックで文字を走らせる。
『会話』と大きく書かれたそれを見て一条が即座に口を開いた。
「沢近さん、落ち着いて。私が、壊しちゃったんです。一度強く握り締めてしまって。それがきっと」
「……!いいのよ、気にしないで」

 三人は大きくため息をつき、そして筆談の準備を始めた。互いに同じ事を聞きたがっているであろうと感じながら。
『一条さん、パスワードって何のこと?心当たりは!?』
『全然知らないです。八雲ちゃんも何も言っていませんでした』
『【これを見た者へ】にヒントがあるかもしれないダスな』

 なんとかお互いが認識できる程度の粗い文字で意思疎通を行い、西本は最後の望みを託しキーボードを叩く。



【これを見た者へ】

『この文章を書いているのは殺し合いが開始する前。諸君らが拉致され首輪をつけられた後。
 本来はパスワードなど設定したくないのだが、殺し合いを肯定するような存在に悪用されたくない。
 仲間達と協力し、立ち上がろうとするものにこそ利用して欲しい。
 どうかそこを理解して頂きたい。早速本題のパスワードについて説明する。

 このフラッシュメモリが入っていたリュック。
 そのサイドポケットにある、指二本分くらいのスリットにパスワードを記載した用紙を貼り付けておく。
 わけがわからないまま殺し合いに参加させられた精神状態ではとても発見できなかっただろう。
 すぐに調べることができる環境にあるのが理想だが、そう上手くいくとは思えない。
 リュックが何らかの理由で消失してしまった場合を考慮して、別の手段を用意しておく。

 首輪に文字列が記載してあることには気付いただろうか?これは製造コードという。
 主に管理側で参加者一人一人を判別するためのものだ。従って同じ製造コードが複数存在することはありえない。
 実はフラッシュメモリが支給された人間の首輪の製造コードがパスワードとなっている。
 先程述べたとおり首輪はもう装着済み。そしてパスワードは決定済。つまりこのフラッシュメモリを託す人間は私の中でもう決めている。
 危険性の低い人物をターゲットとして選んだつもりだ。その人物が今これを見ているならパスワードは大した障害にはならないだろう。

 だが、計画通りの目標にフラッシュメモリを渡せるかどうかは確実ではない。こればかりはそのときにならないとわからない。
 私の力足らずで予定の人間に渡すことができなかったら、最悪全員の首輪を調べて試してもらうしかない。
 ちなみに何回間違えてもペナルティはない。こんな手段しか用意することができなくて、大変申し訳なく思っている。
 罠だと思うかもしれないが、どうか信じて欲しい。全てが手遅れにならないことを切に願う。健闘を祈る』



 わずかに――ノーヒントのパスワードを要求されたと思った時に比べればまだマシといえる程度の安堵感が蘇る。
すぐさま三人は筆談を再開した。メモはかなりの量を消費していたため、文字の大きさとスペースを配慮するのがわずらわしい。

『一条さん、ちょっと首元を見せて』
 言われたとおり、一条は体を仰け反らせ沢近に首輪を見せる。考えてみれば首輪を調べようなどと思ったのは初めてだった。
わずかにかかる沢近の吐息がくすぐったくてもどかしい。

(これかしら……SRBR-SX13KRRN-F)
 四桁、七桁、一桁。パスワード入力画面と一致している。念のため三人は沢近と西本のコードも調べておいた。
沢近が『SRBR-2IOJO9U-2』、西本は『SRBR-HTKQ666-V』。
最初の四桁はおそらく固定だろう。一応パスワードを試してみるが、思ったとおりエラーで返される。

『持ってたのは八雲なんでしょう?あの子を探せばいいってことね。リュックのポケットに答えが入ってる』
 そうですね、と肯定の意味で一条が頷きかけた時。彼女の顔に明らかな困惑と絶望の表情が表れた。
肩を震わせ、申し訳なさを含んだ瞳で一条は沢近と西本を見つめていた。それは二人に出会った頃の彼女を彷彿とさせる。
困惑する二人に説明するため、震える手で文字を連ねる。平瀬村で斉藤らに襲われ、荷物を『丸ごと』奪われたと。

『気にしないで。同じよ。二人がリュックを持ってるなら探せばいい。パソコンもあるのよ。元気出しなさい!』
『荷物が増えた場合、沢近さんはいくつもリュックを持ちますか?かなり入りますよ、あれ』

 一条の皮肉めいた文章が決定的だった。普通、余計な荷物はその場に捨てていく。もちろんリュック本体も。
斉藤らが余分に持ち歩こうと考えない限り。リュックが壊れるなどして八雲のそれと取り替えない限り。
何かが起きていない限り、目的のリュックは平瀬村にあるに違いない。禁止エリアとなった、平瀬村に。


「…………そういう、こと……」

 握ったマジックのことも忘れ、沢近は俯き言いよどむ。確実な回答があるリュックはもう手の届かない場所にある可能性が非常に高い。
ならば八雲にフラッシュメモリが渡ったのはあのメッセージの主の予定通りだったから、と祈るしかない。
でなくては首輪を一つ一つ調べることになってしまう。だが、禁止エリアにある死体はどう調べればいいのだろう。
自分達はその存在を知っている。便利な便利なノートパソコンのおかげで。



「一度、高野さん達が来るまでは休むダス……」
 白けた調子で耳に届く西本の声が、沢近にはやたらと遠くに感じられた。見れば、声の主は腰を落としてノートパソコンを見ている。
メモ帳をしまうあたり、もうフラッシュメモリについての話はやめるつもりなのだろう。
あまりに高いハードルに気落ちしたのか一条もその場に座り込み、東郷のメモを読んでいた。

 ベタつく感じの汗が首筋を伝う。嫌だった。諦めるなど、自らの誇りが許さない。自分はまだ膝をつかない。つきたくない。
せっかく手がかりを見つけたのだから最後まであがいてやろうという気持ちにすらなった。可能性はまだ残されている。


「西本君。ホテル跡近くに晶達がいてこっちに近づいている。その東に烏丸君と砺波さんがいて、播磨君が向かっている。
 それはさっき聞いたけれど、南はどうなっているのかしら」
「I-07に一人、G-03に一人生存者がいるダス。……そしてH-03のあたりで、二人組と三人組が出会いそうダス。
 沢近さん、友達の高野さんがこっちへ向かってるダスよ。それに烏丸君に備える必要もあるダス。周防さんのことも」
「私はまだ何も言ってないわよ。だから動いたら撃つなんて言わないでね」
 烏丸という見知った知人に一条が少しだけ反応を示す。しかし沢近はあえてそれを無視した。
彼女には元気でいて欲しい。そのためにはまだ烏丸のことを話すのは時期尚早に思えたのだ。

「確か、携帯電話とそのノートパソコンでメール通信ができるのよね。インカムは播磨君にとられちゃったけどそっちでもいいわ」
「やれやれ。播磨君と一緒ダスな。ワスらの知ってる人達全員を試して、烏丸君に対処してからでも遅くないと思うダスよ」
 そう言いながら荷物をあさり西本は携帯電話を取り出した。パシ、と小気味いい音をたて沢近の手にそれは移る。
彼は既に沢近の考えと、彼女を止めることはできないことを理解していた。
「烏丸君なら大丈夫よ。ヒ……播磨君がきっと勝つから。だから私は一足先に、皆を探しておくわ」
「ずいぶんな信頼ダスな。それを播磨君に言ってもいいダスか?」
「バ、バカ、やめてよ!冗談じゃないから!」
「だったら絶対に生きて帰ってくるダスよ。播磨君にも高野さんにも絞め殺されたくないダスからな」

 携帯電話を自分のリュックに放り投げて沢近はそのままそれを担ぎ上げる。高野達との合流、烏丸達の状況の変化、
そして自分の近くに誰かがいたら連絡してくれるよう西本に確認し、最後に一条に話しかけた。
彼女に伝えなくてはいけないこと、詫びねばならないことがある。

「一条さん。……実は私、昨日嵯峨野さんと一緒に菅原神社にいたの。本当にごめんなさい」
「……え?」
「私が無力だったから。嵯峨野さんに頼って、見張りを任せてしまったから」
 目の前の彼女が言っていることを、一条はしばらく理解できなかった。昨日、一緒に、いた?菅原神社で?
「落ち着いたら、一緒に埋葬してあげましょう。花井君や麻生君も連れて、美琴と一緒にね。それまでに元気出してね!それじゃあ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ……!」

――――じゃあ、私が見て逃げ出したアレは、嵯峨野だった……?

――――誰が、嵯峨野を殺したの?



(ごめん晶。せっかく会えると思ったのに。でも誰かが動かないと、皆助からないの)

 鬱蒼と生い茂る森林を駆け抜けて、沢近は一番の親友に謝罪した。メールが着たら、そこに何と書かれているかを想像する。
もしかして送ってこないかもしれない。いや、何も書いてないかもしれない。『パスワード解除成功』だったらどうしよう。
ひねくれものの彼女の性格を考えると、どれもあり得そうで妙な笑いがこみ上げてきた。
悪いのは自分なのだから、今回は素直に謝るつもりでいる。おごれと言われればおごるし、
バイトを手伝えと言われれば手伝おう。だから、どうか自分の行動を理解して欲しい。そう思った。

 烏丸大路をなんとかしても、ハリーや斉藤達のような人間を全員排除したとしても悪夢は終わらない。
いざとなれば教師達は自分達を一瞬で皆殺しにできる。そんな相手に、今のままでは対抗のしようがなかった。
もうフラッシュメモリにすがるしか道はない。そのためにはしらみつぶしであろうとパスワードを探すのだ。
調べたそれをメールで西本に伝える。おそらくメール内容は教師らに筒抜けだろうが、
首輪のコードを調べていることがばれたところでこちらの狙いはわからないだろう。

 少しでも早く行動しないと、それだけ確率が下がる。人が死んだ場所が禁止エリアに設定されるたびに、
可能性が潰えていく。高野達を待つくらいはよかったかもしれない。だが沢近は動きたかった。
嵯峨野や周防をみすみす死なせた自分が安全手ばかり打つのが歯がゆかった。
ようやく行動目的が定まったのだからそれに本気で全力を尽くすべきと考えていた。


 人を――場合によっては死者さえも探すことになる。花井春樹や麻生広義といった
周防と関りが深い彼らに出会えば彼女についてを話さなくてはならない。隠し通すつもりはなかった。
高野が見つけてくれるだろう周防の体に、埋葬の前に一目合わせたかった。周防もきっと会いたがっていたに違いない。
だが最も優先されるのは、塚本八雲である。パスワードが正解する可能性が一番高いのが彼女であるし、
もしそうであればあのメッセージの書き手の正体も掴めるはず。
彼女に意図した荷物を渡すには、自分の手でやるのが一番。つまり八雲が誰に荷物を手渡されたかが重要となる。
八雲の姿を見ていた、八雲より後に出発したはずの2-Dは全滅してしまった。彼女の口から聞き出すしかない。

 脳裏に友人天満の笑顔が浮かぶ。八雲本人とはあまり深い付き合いをした覚えはないが、天満と接していれば姉妹の絆は伝わってくる。
天満の死がどれだけの衝撃を与えているのか。絶望の深さはいかほどか。それは兄弟姉妹のいない自分には、想像がつくことではない。


「……あんまり天満が悲しむようなこと、やるんじゃないわよ。あんたは、塚本天満の妹なんだから」
 常に笑顔を絶やさなかった、塚本天満の妹なのだから。届くはずのない言葉を紡ぎ、沢近は大きく地を蹴った。
自分の行為が、きっと報われると信じて。



【午後:16時〜17時】

【一条かれん】
【現在地:E-03南部】
[状態]:肉体的に疲労。メンタル面に特にダメージ。休憩中。
[道具]:ショットガン(スパス15)/弾数:5発、支給品一式(食料なし・水1)、東郷のメモ
[行動方針]:1.自分の見た死体が気になる 2.高野達を待つ 3.一人でも多くの人を助ける事を……(?)
[備考]:自分は嵯峨野を見て逃げ出したのでは……と疑い中。たまに悪魔の囁き。烏丸について気になる。盗聴器に気付いています。


【沢近愛理】
【現在地:ギリギリF-03北部】
[状態]:一条に抱きしめられて、ちょっと体が痛い。返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(水2,食料5)、デザートイーグル/弾数:6発 、携帯電話
[行動方針]:南方面の人間(死体含む。八雲>花井=麻生>他)を捜して首輪を調査、西本に連絡する。砺波、一条が心配
[備考]:播磨を信用しはじめている。フラッシュメモリの可能性を強く信じる。烏丸が大塚を殺したと認識。盗聴器に気付いています。
     一条が嵯峨野の死体を見つけたと勘違いしています(一条は死体の顔を確認していません)

【西本願司】
【現在地:E-03南部】
[状態]:激しい精神的消耗、肉体疲労&筋肉痛(多少回復)、烏丸に怒り。休憩中。返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(水7,食料8)、山菜多数、毒草少々、ドラグノフ狙撃銃/弾数10発、
      ノートパソコン(バッテリー・フラッシュメモリ付き)、MS210C−BE(チェーンソー、燃料1/4消費) 鉄パイプ、インカム子機
[行動方針]:沢近の動向をサポート。高野達を待つ。荷物を整理する。分校跡に向かう。仲間を集める。砺波を救い、烏丸を……
[備考]:反主催の意志は固いようです。烏丸が大塚を殺したと認識。盗聴器に気付いています。

※リアカーの周りには雑貨品(スコップ、バケツ、その他使えそうな物)と支給品×2

【パスワードについて】
1.八雲のリュックに正解があります。平瀬村にあるのか、斉藤達が交換して持っていったかは不明です
2.八雲の首輪の製造コードが正解である可能性は高いですが絶対ではありません
3.西本、沢近、一条の首輪の製造コードはハズレです



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