Collapse
傾き始めた太陽が照らし出すのは、どこにでも生えていそうな木々や茂み。
特に景色として優れた場所とはいえないのだが、サラ・アディエマスにはそこが輝いて見えた。
すぐ目の前を黒猫が横切っていったが、それでも何も揺るがない。
何故ならば、彼女の眼前には二人の人物……少なくとも、その中に一人の少女、塚本八雲がいたのだから。
かけがえのない親友。ゲームが始まってから何度も彼女を想った。先の放送では……本気で心配した。
麻生広義の疲弊を心配する一方で、サラは八雲の事も気がかりでならなかった。
最愛の姉が死に、後を追ってしまわぬかと。だから、彼女が生きていた事がただ嬉しかった。
一直線。サラと八雲は駆け出し、そして抱擁する。これまでずっと周囲を気遣い続けた少女が、自分の事だけを考えた瞬間だった。
サラの両目から涙が溢れる。そのすぐ横で、八雲も泣いている。普段彼女が泣く姿を見ていないサラにはそれが哀れでならなかった。
やはり、天満の死は相当なショックだったのだろう。心労が溜まっていた事が窺えた。
サラは何度も八雲の頭を撫で、背中をさする。その度に、八雲は安心してくれた気がした。
「花井!」
本当に、束の間の再会が終わる。背後の麻生の怒声と共に。
涙も拭かぬままサラが振り返ると、UZIを片手に荒々しく息をする麻生の姿があった。
虚ろだった目を……怒りに染めて、見据えている。八雲の後ろに居る花井春樹を。
「麻生……」
どこか済まなそうに花井が返す。それは、麻生の表情を更に硬化させるだけだった。
「……お前、今まで何をしていた? 周防はどうしたんだ!?」
「麻生君、周防さんは花井君のせいじゃ」
「黙れ!」
麻生の横で止めようとする三原梢を一蹴し、麻生は再び花井を睨みつける。先程より、憎悪の色が遥かに濃い。
「麻生先輩、やめて下さい!」
たまらずサラも声を上げる。幸いにも、麻生はそれに僅かに反応を見せてくれた。
「……先輩、もうどうしようもないんです。これはそういうゲームなんです。人が、ただ理不尽に殺されていくんですよ!?」
彼女の涙は、しかし彼には届かないのか。麻生は聞き入ってくれてはいるが、しかしその表情は揺るがない。
サラは分かっていた。過去に自分が見た光景にあったのだ。あのように、闇に落ちた人間の姿が。
どんな優しい言葉も、どんな愛情も、全てを飲み込む巨大な闇。それに届くものは何もなかった。
過去、自分の言葉は何も届かなかった。そして、最後はその人間すら、闇の中に永久に沈んでいった。
それでもサラは信じていた。……いや、諦めたくはなかった。
麻生ならきっと立ち直ると。自分の言葉が、今度こそ届いてくれると。
なおも花井を睨み続ける麻生の瞳を、サラもまた見据えていた。
「……済まない、麻生。僕は、ついに周防には会えなかった」
しばらく続いた沈黙を、花井が破る。八雲と三原は沈痛な面持ちの花井を、サラは更に目を吊り上げた麻生に目を向ける。
「周防がどうなったのかは分からない。誰と一緒に居て、何があったかも、僕は何も知らない」
サラが一瞬花井の方に振り向くと、彼は両手を握り締め、震わしていた。彼の無念が、嫌でも伝わってくる。
「……その割には、今まで一年と仲良くやってたのか?」
目付きを変えず、口元だけ緩ませ罵る麻生。初めて見た彼のネガティブな表情に、サラはショックを受ける。
……いや、仕方がない。サラはそう自分に言い聞かせる。いくら冷静な麻生でも、現在の精神状態ではやむを得ないのだ。
今まで自分と居た事で、決して表に出なかった負の感情。彼だけではない。皆が持っているものが、ようやく溢れ出したのだ。
むしろ、自分ではそれを払拭できなかった事に、サラは深い悲しみを覚えていた。
やはり、気を遣わせてしまっていたのか。彼女の中に後悔の念が充満していく。
「……僕は八雲君が好きだ。だから、彼女を守ろうと決めた。そして、皆を助けようと決めた」
しかし、花井の一言が、サラの悲しみを和らげた気がした。先ほどと違い、花井の声にも、動きにも迷いが無い。
「僕は何も出来なかった。野呂木を死なせ、今鳥を死なせ、多くのクラスメートが死んでしまった」
花井に見据えられ、麻生がたじろぐ。それは、花井の決意の強さを示していた。
「だが、もう僕は迷わない。八雲君を、そして一人でも多くのクラスメートを助けたい!」
彼の迷い無き叫びは、林の中に存分に伝わった。多少の木々や茂みをものともせず、ただ真っ直ぐに響き渡る。
それは、彼から10mと離れていない麻生にはうるさすぎるほど響いた事だろう。麻生は、ただ呆然と花井を見ていただけだった。
その様子を、サラは素直に驚いていた。人は、大切な人の死を、こうも乗り越え成長できるものなのかと。
そして、自分はどうだったのかとも考える。……少なくとも、自分は麻生を救えなかった。
だが、花井はそれを変えた。狂気に走りかけた麻生に待ったをかけてくれた。サラは、ただそれが嬉しかった。
「……それは、きっと周防も望んでくれる。だから、僕達は生きるんだ!」
しかし。花井の止めの一言は、崩れかけた筈の麻生の憎しみを再構築させたようだった。
再び憎悪に染まった表情。より強く、より大きくなったそれは、躊躇う事無くUZIを花井に向けさせる。
サラが叫ぶより早く、無数の凶弾が放たれた。
地図が書かれたワイシャツが、ズボンが、腕先が、あちこちが真っ赤に染まる。
「花井先輩!」
誰よりも早く八雲が花井を叫んだと同時、その屈強な体は地面へと崩れ落ちた。
花井の元へ駆け寄ろうとする八雲を、サラは押さえる。一度ゲームを経験したせいか、彼女はどこか冷静だった。
これだけの最悪の事態、冷静でいられる事はかえって自己嫌悪を生むだけだ。それでも、最良の解決を図りたいのが彼女の願い。
今の麻生の精神状態では、またいつ花井目掛け銃弾を放つか分からない。そんな彼のそばに、八雲をやる訳にはいかないのだ。
花井はまだ息があった。彼の安全も確保しなければならない。その為にも、麻生を大人しくさせるべきだったのだが……
「……ふざけんな……周防はずっとお前と一緒だったから……死んでも! 何でも分かってくれるってのか!?」
嫉妬。サラがそう直感する程に人間の負の感情を剥き出しにして、麻生は叫ぶ。
極限の状況。友達が、そして恋人が無残に散っていく中で、ついに麻生は限界を迎えたのだと、サラは悟った。
彼は被害者だ。サラは分かっているが、硝煙立ちのぼるUZI片手に叫ぶ麻生を、周囲はそう思ってはくれないだろう。
「麻生先輩、もうやめて下さい! そんな事したって、もう誰も帰ってはこないんですよ!?」
逆効果になるかもしれないと思いつつ、サラは叫ぶ。彼を助けられなかった無念が、それでも助けたいと願う心が、彼女を動かす。
「田中先輩だって、永山先輩だって! ……周防先輩だって、そんな事望んでません!」
涙で彼の顔がかすみながら、それでもサラは訴える。
もっとも、彼の表情すら判別出来ぬほどに、今のサラの視界は涙でぐしゃぐしゃになっていたが……
「……じゃあ、俺はどうすればいいんだよ!? 今更どうしろって言うんだよ!?」
ようやく彼はサラに弱みをぶつけるが、それも倒れた花井にUZIを向けながらの事だった。
やめて! サラがそう叫ぶ直前、乾いた銃声が響き渡る。
気付くと麻生はUZIを落とし、右腕を押さえ苦しんでいた。そしてその後ろには、ベレッタを構えた三原がいた。
「サラちゃん、八雲ちゃん! ……花井君を、早く!」
涙を浮かべ、サバイバルゲームで習ったのであろうお手本のような射撃姿勢の三原が叫ぶ。
今まで一緒に行動していた仲間を、凶行に走った麻生を撃つ事に、きっと躊躇いもあったのだろう。
だが、彼女は撃ってくれた。至近距離から、それでも死なないように腕を狙って。
蹲る麻生の前で、サラは八雲と共に花井を二人掛かりで肩を貸して立ち上がらせる。
花井自身も足に力を入れてくれていたようだったが、それでも大柄な彼を華奢な女子二人で動かすのはかなりの重労働だ。
花井の血が次々と制服に付くが、サラも八雲も気にせず進んでいく。
そんな中、再び無数の銃声が響く。サラが慌てて振り返ると、血の滴る右手を無視し、左手でUZIを放つ麻生が居た。
三原が慌ててその場を離れ、木の裏に隠れる。怪我をした状態から撃ったせいか、三原に当たった様子はないようだった。
が、すぐに麻生はこちらに振り返る。脂汗を浮かべ、もはや完全に闇に落ちた目が、サラ……いや、彼女に担がれた花井に向けられる。
「やめて……」
その姿が悲しくて、サラは大粒の涙を浮かべた。だが、彼は全くそれに反応してはくれなかった。
すると、再び響いた銃声。木の裏から半身になり、三原が撃ったものだった。
麻生のすぐ横の地面に一瞬土埃が上がる。恐らく三原が外してくれたのだろう。
続けざまに三原が撃つ。今度はどこを狙ったのかは定かではないが、少なくとも麻生も、サラ達も怪我はなかった。
それに応じるかのように、麻生はUZIを斉射する。銃声に掻き消され、三原がどうなったのかすら確認できなかった。
だが、三原が麻生を引きつけてくれたお陰で、サラと八雲は花井を大きな木の裏にまで運ぶ事ができた。
これなら、あの場から麻生に撃たれてもまず銃弾が届く事はないだろう。
背後では散発的に銃声が響いている。まだ三原と麻生が撃ち合っているのだろう。
安全を確保したら、次は止めなければならない。闇でもがく麻生を。
「……す、まん……八雲君、サラ君……麻生を、止めてやってくれ……」
もはやろくに身動きすら取れないのだろう。花井は肩で息をしながら、二人に懇願する。
例え自分を殺しても、きっと麻生はもう戻れなくなる。花井もまた、サラと同じ結論を導き出していたのだろう。
「……それに、僕の傍に居ては、君達も危ないんだ……どちらにせよ、ここからは離れてくれ」
こんな状況でもなお他者を心配する花井の姿に、サラは決心を固めた。自分の身に何があろうと、麻生を助ける事を。
「……八雲、できるだけ私達も違う方向に行って、少しでも花井先輩から注意を逸らそう」
「でも、このままじゃ……」
八雲はいつしか涙を流していた。花井の負った傷の深刻さを、理解していたのだろう。
「……行ってくれ、八雲君。ここより、もっと安全な場所に。それに、僕はまだ死なないさ」
口元から血を流し、それでも花井は微笑みかける。その悲壮な覚悟は、ようやく八雲の心にも届いたようだった。
「行こう、八雲! ……花井先輩、必ず戻りますから。麻生先輩も連れて……皆で!」
「花井先輩……」
二人の少女は涙を堪え、茂みを横切り麻生が見える木の裏にまで走った。
丁度麻生の左側に位置する場所だ。見ると、麻生は今も左手でUZIを構えている。
三原が撃った際に、少しだけ撃って返す。最初に比べ、彼は弾薬を節約しようとしていたようだった。
元より冷静な麻生である。思考だけが変わって敵となれば、これほど恐ろしい者はいない。
三原の時間稼ぎも限界を迎えようとしていた。麻生による的確な反撃の跡は、彼女が隠れている木に現れている。
三原が半身になって乗り出していた部分のあちこちに銃弾の跡が刻まれ、そして……
「ぎゃああ!!」
ついに、三原の絶叫が響き渡った。麻生の反撃が命中してしまったのだろう。
どこに当たったかは分からないが、その悲痛な叫びはサラの心をズタズタに引き裂いた。
「サ、ラ……」
彼女の後ろで、八雲が悲しそうな視線を向けてくる。一体、彼をどうすればいいのか。
止まってくれなかった。言葉が届かなかった。過去と全く同じ。あまりにも無力な自分。
それを変えたかった。皆を助けたかった。……そして気付けば、たった一日で半分が死んでしまった。
麻生の傍にいたからこそ紛らわす事ができた、サラの苦しみ。彼女はここに来て、それを一気に自覚していく。
そして、彼女は気付いた。自分も麻生と同じだったのだ。お互いが傍にいながら、気付いてあげられず、助けてあげられなかった。
しかし彼女の心を覆ったのは闇ではなく……麻生を助けたいという、ただそれだけの想いだった。
気付けば、麻生は三度花井が居た方角を睨んでいた。
だが、花井はサラと八雲が若干違う方向に移動させているので、彼の視線の先には花井はいない。
とはいえ麻生は右腕以外は健在だ。彼なら、さほど苦労せずに花井を見つけ出せるだろう。
そして、無防備で瀕死の状態である花井を相手に、きっと容赦なく――
ふと、ガサガサという音がサラ達と反対側の茂みから響いた。サラよりも早くそれに反応した麻生が、すかさず銃撃を見舞う。
そこからは、一匹の黒猫が飛び出していった。
「伊織……!」
八雲達を見つけた時に黒猫が横切って行ったが、あれが八雲の猫、伊織だという事にサラは驚いた。
彼女の猫が今までどこにいたのかは分からない。銃声に逃げ惑い、今も怯えて行動した結果なのかもしれない。
だが、それはサラにとっては好機だった。これで、即座に花井の捜索に移られる事はなくなっただろう。
そして、他の場所に注意を向けた麻生に、説得を試みる最後の好機だ。
「……八雲、これをお願い」
サラは、八雲に自分のリュックを託した。八雲は当然戸惑い、受け取りを拒絶する。
「どうして? なんで渡すの?」
八雲は怯えていた。そして、明らかに拒んでいた。今のサラの決意が、伝わっていたのだろう。
「……大丈夫だよ、ちゃんと戻ってくるから。……麻生先輩も、きっと」
リュックを、そしてボウガンを置き去りにして、サラは麻生に向かい走っていく。
慌てて呼び止める八雲の声を背に、サラはただ麻生を見つめて走る。
――麻生は、もう戻れない。それはサラが誰よりも分かっていた。
彼を凶行に走らせたのは、多くの友達に続いて、周防を失った悲しみ。そして、周防にとって大きな存在である、花井だった。
特に、花井と自分を比べてしまったのだろう。周防の死を乗り越えた花井と、周防の死に心のバランスを崩した自分を……
花井の真っ直ぐな言葉は、壊れかけた麻生の心に止めを刺したのだ。
それにサラは詳しくは知らないが、麻生は花井に何らかの嫉妬をしているようだった。
周防という人物を想う上で、彼女と強い絆で結ばれていた花井の存在は、麻生にとっては一種のコンプレックスだったのかもしれない。
それら負の感情が、ここに来て爆発した。そして、もう後戻りは出来ないのだ。
花井を撃ってしまった。三原も撃ってしまった。今更彼が皆の輪の中に加われる筈が無い。
それでも。サラは彼を止めたかった。これ以上、過ちを繰り返して欲しくなかった。
言葉が届かないかもしれない。例え彼の手を握っても、彼をきつく抱きしめても、だめかもしれない。
何より、そうする前に自分が撃たれるかもしれない。それでも、サラにはこのまま黙って逃げ出す事は出来なかった。
自分はどうなってもいい。その決意はもう揺るがない。
そして八雲を、花井を、三原を……何より、麻生を助けたかったから――
「麻生先輩!」
八雲の抑止を振り切り、サラは飛び出していった。瞬間、憎悪よりも驚きに染まった麻生がこちらを振り向く。
そして、麻生の左腕に握られたUZIから無数の銃弾が放たれた。
それはサラの腕に、足に、体に直撃していく。サラの視界は、一瞬で地面へと突き刺さった。
叶わなかった。届かなかった。手も、言葉さえも。
間近に地面を捉え、サラは痛みと無念の涙をこぼす。
だが、同時にこれで良かったのだとも考える。あの場で、八雲が傍にいながら叫んでいたら、彼女まで銃撃に巻き込まれたかもしれないのだから。
死ぬなら、自分だけでいい。ただ、せめて少しでも彼が止まってくれさえすれば……
「……サ、ラ?」
と、地面に膝をつく音が聞こえた。そして、自分の名を呆然と呼ぶ麻生の声も。
八雲の悲鳴も聞こえている。だがそれ以上に、サラには彼の立てる僅かな物音の方がよく聞こえていた。
そしてそれは、とても深い悲しみと後悔が生み出す物である事も、はっきりと伝わっていた。
「……俺は、何を……!」
初めて聞いた、麻生の嗚咽。ここに来て、ようやく彼は自分に全てをぶつけてくれたのだとサラは微笑む。
「ぜん、ぱ……」
もはや喋れない。顔を上げる事すらできない。手を、伸ばす事さえできない。
抱きしめてあげられない。それでも、サラは満足だった。自分の声が届いた事が、ただ嬉しかった。
と、急に視界が空に向く。麻生が、抱き起こしてくれたのだろう。
「サラ、俺は……!」
涙をこぼし、麻生はサラの頭を膝に乗せる。
サラはついぞ何も返せなかったが、それでもよかった。
麻生の目に、少なくとも今は負の感情は宿っていない。ただ、それが確認できただけで。
(神様、最後に私に目を残してくれて、ありがとうございます……)
涙を浮かべ、サラは瞳を閉じる。麻生の悲鳴にも似た叫び声すら、サラにはさながら聖歌のように聞こえていた。
(や、くも。ごめんね……つよくいきてね)
最後に、心残りだった親友を想い、サラ・アディエマスは二度目のゲームでその命を散らせていった。
「あ、あ、あああああああああ……!」
麻生の後悔の涙が、叫びが、周囲を支配していく。
いつしか左手を押さえて出てきた三原も、涙を浮かべていた。
もちろん、八雲が泣かない筈がない。大切な親友が、目の前で死んでしまったのだから。
理不尽に、死んでしまったのだから。
狂った男によって、殺されたのだから。
身勝手な男が、殺したのだから。
姉と同じように、銃で殺したのだから。
人殺し
何で殺した
何 で 殺 し た
いつしか、八雲はサラが遺したボウガンから矢を一本取り出した。
天満の遺したそれと違い、先端が恐ろしく鋭利な物だ。
何の躊躇いも無く足元に置いていた自身の弓を取り、絃を引き絞る。
先ほど花井の前でやって見せた時より距離は短く、矢はより飛びやすい物だ。
まして、的は時折上下に動くだけの黒くて丸い物体。射るには何の問題もなかった。
風を切る音が一瞬立つと、いつの間にか麻生は倒れてしまっていた。
眉間に、矢を突き刺した状態で。
三原の悲鳴が上がる。それを聞いて、八雲はふいに意識を取り戻した。
弓を片手に、妙な疲労感が右腕に残っている。そして、その先には……
八雲は、自分がしでかした事に気付いた。……麻生を、射てしまったのだ。
確かに彼はサラを殺した。花井や三原を撃った。だからといって、射てしまったというのか。
――当然。だってあの人は人殺しだから。
弓を落とし、膝をつき、両手で頭を覆って八雲は首を振る。自分は何という事をしてしまったのか。
――許してはだめ。サラは友達でしょう?
悪魔が、また自分に囁き始める。……いや、すでに先ほど乗っ取られたのだ。自らの体を。
――ほら、次は姉さんの仇も討たないと。サラの想いを無駄にしちゃダメだよ
違う。サラはそんなつもりで荷物を自分に預けたんじゃない。
その事に気付くと、八雲は更に大声で泣き叫ぶ。彼女は麻生を助けたかった。
そして、彼女は死んだが、代わりに麻生の心は戻ってきた筈だった。
声を上げて泣いて、彼が後悔していたのは間違いなかった。なのに、自分は。
――ダメだよ、サラの、姉さんの死を無駄にしちゃ
今度は、八雲の絶叫が周囲を支配した。
目の前の出来事を、三原は理解出来ずにいた。
三原は花井達が逃げるまでの時間を稼ごうと、ベレッタでまずUZIを持つ麻生の右腕を撃った。
サバイバルゲームで正しい射撃姿勢は習ったし、何より距離が短かったので外す事はなかった。
その後はひたすら彼に当たらないように撃ち続けた。ただ、注意をこちらに向ける為に。
だが、そのうち麻生の銃弾が左掌に当たってしまった。今はハンカチを当てたが、本当に応急処置に過ぎない。
そして、気付けばサラが麻生に向かって走っており、それに対し麻生は彼女を撃ってしまっていた。
自分の手当てなどせず撃ち続ければと悔やんだが、そんな事を考えても手遅れだ。
しかし麻生は彼女の死に泣き崩れた。ようやく、彼は落ち着いたのだ。
姿を現し、彼女の死を悼むのは今しかないと思っていた。そして、麻生を完全に落ち着かせるべきだと思っていた……なのに。
八雲が矢を放ち、麻生は死んだ。そして今、八雲は泣き叫んでいる。
再会して抱き合って喜んでいた程だ。八雲とサラは大切な友達同士だったのだろう。
だが、八雲は殺してしまった。その親友が誰よりも心配していた先輩を。
「……八雲ちゃん、泣かないで。あなたが撃たなくても、私が撃っていたから」
心の片隅にも無い事を三原は口にする。そうでもせねば、八雲までどうかしてしまうと思ったからだ。
すでにかなり錯乱しているようだが、それでも落ち着かせなければならない。
確かに麻生は取り返しがつかない事をしてしまった。あのまま落ち着かせたとして、彼は自分で命を絶ったかもしれない。
その事を伝え、三原はなおも泣き叫ぶ八雲を必死になだめた。
しかし八雲の泣き声は、そして今まで響き続けた、自分に向けられ続けた銃声は、確実に三原の心をも蝕んでいた。
親友の冴子、思い人の今鳥が次々と死に、それでも田中やサラ達の思いを知った彼女は、一度は壊れかけた心を立て直した。
だが、本来なら四度目の放送で再びそれが崩壊しかけたのも事実だった。
ララ、天満……この島に来て出会った大切な仲間が、先に他の仲間を探さんと別れた二人が、揃って死んでしまったのだから。
彼女のショックはとてつもないものだ。だが、そんな彼女を支えたのは……皮肉にも、それ以上の衝撃を受けていた麻生だった。
自分よりも悪い状態の人間がいた事で、またそれを気遣う事で、何とか三原は踏みとどまっていた。
そしてそれは、現在も同じだ。だが、かけられた負荷があまりにも大きすぎた。
「……八雲ちゃん、花井君の所に行こう? 彼、今どこにいるの?」
花井と聞き、八雲は肩を震わせる。彼の状態が思わしくない事は、素人の彼女達にも十分に分かる事だ。
恐らくダメだろう。壊れかける心を動かし、三原は八雲を連れて歩く。
全身を血に染めて横たわる花井を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
「花井、君?」
普段の覇気が嘘のように、仰向けに寝せられた花井からは血の気が感じられなかった。
それを見るや、八雲は三原の後ろで膝をつく。そして、再び嗚咽を漏らし始めてしまった。
「……やくもくんか?」
しかし、花井はまだ生きていた。いつしか三原からも涙が零れ落ちる。
「八雲ちゃん、花井君が……花井君、分かる? 三原だよ!」
「……ああ、やくもくん……ぶじでよかった」
三原が花井の手を握っても、声を出しても、どうやら花井は三原を八雲と認識していたようだった。
今の八雲に手を握ったり話をする余裕はないだろうと考え、三原は演技を続ける事にする。
「そう、だ……あそうは……さらくんは……」
「……大丈夫だよ、今、二人で抱き合ってて……見てるこっちが恥ずかしいから、置いてきちゃった」
さらに涙が加速したが、三原は嘘を貫き通す事にした。心の痛みも、自身の悲しみも隠して。
「まったく、ひとさわがせな……やつだな……」
虫の息と呼ぶに相応しい花井が、笑ってみせる。いつもの豪快なものではなく、弱弱しいものだったが……
「……やくもくん、もういっかい……てをにぎってくれないか?」
今度は、本物だ。涙を拭き、三原と入れ替わった八雲はまだ涙に濡れた手を差し伸べ、花井の左手を握り締める。
彼の手の冷たさに驚いたようだ。先ほど三原も味わっているので、それはよく分かる。
「……ありがとう」
不意に、花井の呼吸が弱まっていく。最期を迎えようとしている事が、すぐに二人に伝わった。
「花井君、死んじゃだめ!」
「花井先輩!」
少女達の絶叫が何度でも響く。しかし、彼の呼吸は更に弱まっていくばかりだ。
「……ミコちゃん、ぼくは……」
そう言って、僅かに花井の口元が緩む。そして、二度と彼が口を開く事はなかった。
再び八雲が泣き始め、僅かでもまともな思考を……少なくとも、この中でそれを持つ人間は三原一人となった。
八雲は麻生を殺したが、かといってやむを得ない面が多々ある。それを責める事はできない。
だが、麻生が被害者である事も、同行していた三原は知っていた。
……むしろ、麻生は彼らに出会えなかった自分の姿のようにすら思えていた。
大切な人を失い、怒りが、人の内の負の感情が爆発して起こした凶行。
あれはまさに、今鳥の死を知り、ベレッタを握り締めて走っていた自分の末路だったのかもしれないのだ。
やり場の無い思いが、三原の心をより痛めつけていく。
それでも三原の思考がどうにか機能していたのは、やはり八雲がいたからだろう。
自分よりも更に弱く危険な存在。彼女がいるからこそ、今の三原は他者を気遣うという事で心の平衡を保とうとする事ができるのだ。
とはいえ、これからどうすればいいのか。三原は行く末を案じる他ない。
麻生が言っていた分校跡を目指すのか? だが、彼がいないのだから目的が分からないままだ。
その前に、彼らの遺体を埋葬したい。だが、八雲と自分の二人だけで、三人分をどうにかする事ができるのだろうか?
そもそも、八雲にどう対処すればいいのかが、三原には全く分からなかった。
「……八雲ちゃん」
花井の傍でなおも泣き続ける八雲への距離は遠い。手が届く場所なのに、まるではるか地平線の彼方にいるようだ。
いつしか日も随分沈み、林の中は赤々としてきていた。
泣き続ける八雲と、彼女をただ悲しげに見つめる三原の事を、伊織は距離を置いて眺めていた。
【午後:17〜18時】
【現在位置:H-03】
【三原梢】
[状態]:左掌に銃創(応急処置済み)、極度の精神的疲労、この先を悲観
[道具]:支給品一式(食料2、水3) ベレッタM92(残弾9発) 9ミリ弾198発 エチケットブラシ(鏡付き)
[行動方針] :この場をどうにかしたいが…
[備考] :ハリーを警戒。結城が心配。
播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。
盗聴器に気付いています。
【塚本八雲】
[状態]:極度の精神不安定状態、血まみれ、号泣
[道具]:支給品一式*2(食料3、水6)、(弓矢20本、全てゴム。ただし弓はしっかりしてるので普通の矢があれば凶器) 、ドジビロンストラップ
壊れたボウガン(M-1600、現在一本装填) ボウガンの矢3本(サラのリュックの中) アクション12×50CF(双眼鏡)
[行動方針]:不明
[備考]:所持している荷物を天満の形見と認識。弓使用可だが精度に難あり。反主催までは思考の外
【サラ・アディエマス:死亡】
【麻生広義:死亡】
【花井春樹:死亡】
――残り13名
※麻生、花井の荷物はそれぞれの手元にあります。サラの荷物は八雲が持っています。
UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(1発)
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