無題
「ああ……あ……」
壁際に追い詰められた少女は、悲鳴とも嗚咽ともつかない声を漏らす。
背中には少女の退路を阻む冷たい壁。
そしてその反対側には、武器らしきものを手にして少女にゆっくりと迫る狂った太陽のような目をした男。
鬼ごっこはあっという間に終わり、彼女はもはや命を摘まれるのを待つのみの存在となっていた。
迫る男からは殺意は微塵も感じられないが、だからこそ恐ろしかった。
この男は「殺そう」と考えているのではない。あえて言葉にするなら「殺す」、それだけを考えているのだろう。
優勝して生還するでも、快楽のままに殺人を行うでもなくただ「殺す」。
倫理はなくとも理性を持った相手であればまだ戦う方法だってあっただろう。しかし、この敵相手には説得も交渉も無意味。
少女はここに到って、死を覚悟した。
思えば、自分の生涯はなんだったのだろう。
素性を隠し、本当の名前も隠し、ただ家名のため、領民のために尽くしてきた。
それが、最後にはこんな面妖なことに巻き込まれてこんな死に様を晒すことになろうとは。
(皆、すまない。イギリスの地を制するという我が望みは……)
「待たれよ」
壮年の男の声に、殺人者は息を止めて振り返る。
そこにいたのは、その身分を象徴する甲冑に身を包んだ騎士然とした男だった。
「どこの国、いつの時代の偉人かは知らぬが、無抵抗の相手に武器を突きつけるなど、恥ずべき行いだとは思わんのか?」
画家は男の声には答えなかった。そもそもその内容を理解できたかどうか。
ただ音も無く男に向き直ると、躊躇も思惑も無くその銃の引き金を引いた。
聞いたこともないような破裂音に、少女は失神せんばかりに驚く。
「ぬ……」
驚きは闖入した王とて同じことだった。男がその武器を自分に向けたのとほぼ同時に右足に強烈な痛みが走った。
見ると、鎧の隙間から鮮血が溢れている。
原理は不明だが、そのような武器らしい。
「名乗りもせずに攻撃するとは、そなたのわきまえている礼儀は随分私のものとは違うようだな」
威容を崩さないようにしながらも、王は顔を険しくした。
これほどの威力のある武器ならば、ひょっとしたらこの鎧すらも貫通するかもしれない。
それ以前に足をやらて、こちらに武器もないこの状況、間違いなく圧倒的に不利だ。
(おのれ……もはや、少女を無事に逃がしさえできれば僥倖といったところか)
勝算無く介入したことを後悔しながらも、王はどうにかこの殺人者を出し抜く手筈を練ろうとする。
が、次に画家の取った行為は王の予想を超えるものだった。
なんと画家は、自分に止めを刺そうともせず、少女を手にかけようともせずにそのまま走り去ってしまったのである。
「ま、待たれよ!! このような仕打ち、恥をかかされたにも等しい!!」
王は何とか立ち上がって男を追おうとしたが、右足の痛みに耐えられずにうずくまってしまう。
「大丈夫ですか?」
見上げると、男に追われていた少女が手を差し伸べていた。
「かたじけない。常の私であれば、あの程度の男に遅れなど取らぬところを」
つとめて穏やかに言いながらも、王の胸には屈辱感が渦巻いていた。
ヒトラーへの怒りで身を焦がしていた矢先に、またしてもこのような仕打ちを受けるとは。
しかしここで怒りに飲まれて我を忘れるわけにはいかない。この場所は今まで経験した殺しあいの場とは勝手が違う。
そのことは身に染みて学んだ。
あの男にはいずれしかるべき制裁を加えるとしよう。
「酷い怪我ですね……供回りの者等がおればこんな時にも慌てずに済むのですが」
少女は王の傷を見て、途方に暮れたように口を開く。そして自分の服の袖を破ると、それで傷口を巻いた。
「ほんの応急処置ですが、しないよりはいいはずです。どこかに道具があれば本格的な治療ができるのですが」
「心配には及ばない。この礼は必ず」
そう応じながら、王はこの少女の素性について考えていた。
この場に連れてこられたということは、それなりに業績を残した偉人であるはずだ。実際、相応の身分にあるらしい。
まだ若いようだが、どこかの王妃か領主の妻といった所だろうか。あるいは王かもしれない。
「申し遅れていたが、我が名はリチャード。イングランドの地を治める王だ。して、そなたは?」
その時王は、「イングランド」という言葉を口にしたときの少女の表情の変化に気が付かなかった。
そしてもちろん、この少女こそがイギリス征服王朝の始祖であるウィリアムその人であることなど、全くもって想像もしていなかった。
【一日目 早朝 病院の外】
【リチャード1世(リチャード獅子心王)】
[状態]右足に重症
[装備]シャムシール
[道具]支給品一式
[思考]
1 少女と情報交換。ゴッホは絶対に許さない。
2 サラディンと決着を付ける。
3 ヒトラーにどんな形でもいいから意趣返ししたい。
4 降りかかる火の粉は払う。
5 最終的に生き残ろうものなら自決する。
【ノルマンディー公ウィリアム】
[状態]健康 実は少女
[装備]シャムシール
[道具]支給品一式
[思考]
1 リチャードと情報交換。
※ 父親からノルマンディー公の地位を継いだ数年後からの参戦です
【ゴッホ】
[状態]健康
[装備]拳銃
[道具]支給品一式
[思考]
1、出会う人間を皆殺しにする
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