数学者は真理を掴む






「私の円を壊さないでくれ」
シラクサのアルキメデスは顔を上げずに男に言った。
その言葉で足もとの図形に気がついた男は一歩退いて少し目を開く。
「これは……凄いな」
男の足元の地面には様々な円や円柱、数式などがびっしりと書いてある。
「その丸は円ではなく球だ」
男の視線に気が付いたアルキメデスはペン代わりの木の枝を動かしながら呟く。
平面では分かるわけもないのだが、それでもアルキメデスが今している計算は
「円について」ではなく「球について」であることをきちんと主張しておきたかった。
男はしばし黙った後、地面の図形を消さぬよう草むらを踏んでアルキメデスに近寄ってきた。
「……あんたは、この状況をどう思う」
男が横に座り込んで呟いた。アルキメデスは初めて手を止めて顔を上げる。
「興味がない」
「……興味がない?命がかかっていても?」
「今の私の興味は己の命ではないよ。これなんだ」

アルキメデスは地面をさす。地面にびっしりと書かれた図形と数式。
これこそが今のアルキメデスの最大の興味だ。
「私にはずっと頭を悩ませている難問があってね。―――それを解くための閃きをさっき急に得たんだ。
 しかしこの閃きってのは厄介でね、早く形にしないとすぐにどっかふわふわ行ってしまうんだ。
 ……だからちょっとでも早く形にすべくこうして捕まえようとしているわけだ。
 余計なことに頭を回している暇はないよ。取り掛かったことはすぐ済ませてしまわないと」
再び木の枝を動かしながらアルキメデスは男に笑う。
「……分かる気もするな」
男は足もとの図形を見ながら呟いた。
「僕も一旦取り掛かったことはそのまま仕上げてしまいたいといつも思う。
 ……けど、邪魔が入って大抵は上手くいかない。
 偉い奴らにあれを先にしろこれを先にしろって言われてばかりだ。
 ―――それに僕はあんたみたいにいい考えが急に降ってくることはない。
 いつだって苦しまないといい考えが出てこない」
「私だって降ってきた閃きが使えることなんてほとんどないさ。大抵は仕方のないことばかりだ」
アルキメデスは枝を動かしながら苦笑した。
「僕は一回もない。―――あんたは凡人の僕と違って天才なんだな」
アルキメデスは再び手を止めて男の顔を見た。
少し鼻が曲がり気難しそうなその顔はいかにも芸術家然としている。
「あんたも凡人には見えないがな」
「そんなことはない!」
男は急に声を荒げ、そんな自分にはっとしたようだった。
「……済まない、僕はすぐにカッとしてしまうんだ」
「気にするな、―――それより済まないが少しだけ黙ってくれないか?あと少しで解けそうなんだ」

その後アルキメデスは黙々と計算を続けた。
途中、一息だけついたときに目を上げると男は男で一心に何かしていた。
アルキメデスは少し笑うと再び計算に戻った。

どのくらい時間が経ったろうか。
永遠にも思えた深く濃い時間だったが、月の傾きを見るとそれほどでもなさそうだ。
……ついに、アルキメデスは真理を捕まえた。
深く息をついてようやく顔を上げると、男は黙ってアルキメデスを見つめていた。
「あんたは何を作っていたんだい。さっき何かしていたろう?」
「……これを、あんたに」
男が差し出したのは片手で持てる大きさの石だった。
「もっといい道具があれば綺麗に彫れたんだが」
「これは有難い。まさに私のための彫刻だ」
その彫刻は円柱に球体がくっ付いているものだった。
多少歪だが間違いようもなく今まさにアルキメデスが図形で描いて計算していたものだ。
「ちょうどいい、これを使って私の発見を証明して見せよう」

喜々として説明するアルキメデスを男は見つめる。時折質問を挟むので有る程度の理解はしているようだ。
「よって、体積の比と表面積の比が等しく 2:3 である、となるわけだ」
「……分かったような分からないような気がするな」
「ははは、私の人生最大の発見がそう簡単に理解されちゃあ私も立つ瀬がないさ。
 ―――さて、そろそろ私は満足だ」
アルキメデスは彫刻を眺めながら顔をしかめて首をひねっている男を見た。
「もう私を殺してくれても構わんよ。―――私が計算を終わるのを待っていたのだろ?」
「…………あんたが天才じゃなけりゃ良かったのに」
「私は自分で天才なんて思ったことはないよ。きっとあんたもそうなんだろうな、自分じゃ否定するみたいだが。
 ―――ああそうだ、私のデイパックはあんたが使ってくれ。待っていてくれたお礼だ。
 食糧もあるし、なんだか武器が入っていた。
 説明書きもあったが私には必要がなかったから読んでいないがね。何かの役には立つだろう」
男はアルキメデスのデイパックを開いて武器を取り出した。すこし迷っているようだ。
それをみてアルキメデスは苦笑する。
「迷わないでくれ、私は満ち足りた気分で逝きたいんだ。
 人生最大の発見をした直後に死ぬなんて理想的じゃないか。何も得ないまま苦しんで死ぬなんて冗談じゃない。
 ……ああそうだ、最後にあんたの名前を聞かせてくれないか?
 私は―――その様子だと知っているのかもしれないがシラクサのアルキメデスだ」

男は己の名前をつぶやいて眼を伏せながらアルキメデスに武器を向ける。
そんな男にアルキメデスは最高の笑顔を向けた。
「君が待っていてくれたお陰で素晴らしい発見ができた。
 ありがとう、フィレンツェのミケランジェロ・ブオナローティ」


アルキメデスは自ら人生最大の発見と認めた「球とそれに外接する円柱」の彫刻を握り締めて崩れ落ちた。




【ミケランジェロ・ブオナローティ】
[状態]健康
[装備]アイスピック(支給分) リチャード獅子心王のクロスボウ(アルキメデス分) 
[道具]支給品一式 ×2
[思考]
1  天才を殺す(努力派の凡人なら除外)
2 レオナルド・ダ・ヴィンチはとにかく嫌い
※アイスピックは岩を彫ったため少し損傷しています

【アルキメデス】  死亡(クロスボウ)
【残り33人】




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