無題
「何者だ、貴様ら」
少女を背後に置き、放たれれば容易く自分の身体を貫くであろう武器を構えた男を見て、彼は云った。圧倒的に不利な
立場に立たされているのはハンの方だったが、それでもその矜持故か、それとも本当に臆していないのか、彼は一歩も
引く事はなかった。それどころか挑戦的な眼差しで、挑発すらして見せる。少女を襲おうとしていた暴漢を打ち倒そうと
している二人は、それを見て敬服した。男の持つ指が矢を離れれば、ハンは一瞬にして命を落とすのだから。
「そのような幼い少女に暴力を振るうのは感心しない」
「ふん、何かと思えばそんな事。善い人を演じるのは楽しいか、偽善者よ」
「ならば悪とて同じ事よ。貴様は暴力を振るうのが楽しいか」
男達はそうして睨み合う。しかし、弓を構えている男だけは、視線を別の所へ置いていた。そこには座り込みながら震える
少女の姿がある。少女は怯えた目付きで弓の先端を見詰めながら、はだけた服を必死に寄り合わせて震えている。しかし
男はそんな少女に笑顔を見せた。安心しても好いと云っているかのような笑顔である。少女は案外な顔をして男を見たが、
やがてそんあ少女にも花開くような笑顔が生まれた。そうして彼らは互いに頷き合う。――逃げる手立ては整っている。
「楽しいか? 馬鹿な事を聞く。楽しいからしているのだ。善き人が何を得する? あそこに集められた者達とて、偽善者
はきっと思った事よ。善い人を演じ続け、何も得せぬ内にこんな場所へ連れてこられ、そして積み上げた物は一瞬にして
灰燼と帰す。ならば壊してやろう。自分が壊されたのと同じように、全てを壊してやると。この戦いの中で、まだ偽善者を
装うと云うのなら、それは愚行だ。それが判らない訳ではあるまい。貴様は所詮、あの男に一番踊らされているだけだ」
ハンは流れるようにそう云うと、脇差を天に翳す。彼が幾万の兵を従えた頂点に坐する男なのであると示すかのように。
そしてその切先を二人の男に向かって突き付ける。貴様らは敵だ。幾万の敵を討ち滅ぼしてきた我の敵だと恫喝するように。
「さあ、かかって来るが好い! 我は逃げも隠れもしない。――このチンギス=ハンにかかって来るが好い!」
――正にその時、彼の中には油断が無くなると共に、ある一方で油断が生まれたに違いなかった。彼は目前の敵に対する
慢心を無くしている。飛んでくる矢でさえ手に持つ脇差で打ち払えるだろう。しかし、背後への油断は逆に肥大化したのだ。
彼の餌食でしかなかった小動物が、今この瞬間隠された牙を用いて、男を食い千切らんと襲いかかったのだ!
小さな少女の特攻は、とても呆気なかった。音の背後から突撃をかけ、無防備な男は容易く重心を失い、身体の均衡を
失った。背中から倒れて行く中で、そしてまた背中が空虚であるのを知りながら、倒れ行く男は自分を死を大悟する。
――そして彼は見たのだ!
倒れ行く中で、自分を見下ろす少女の瞳が恐ろしく冷たかったのを!
自分が死ぬという絶対の現実を見た上で、口端を歪ませたのを!
少女は確かに強くあった。少なくともこの戦いを切り抜けられる可能性を持つくらいには、素質を持っている。確認された
残虐性が、それを一層際立たせているのだ。何故ならサラディンは走ってこちらまで来いと示しただけに他ならず、決して
その暴漢を殺してから逃げて来いと云った訳ではないのだから。
やがて何処からか、ぐしゃりと嫌な音が響く。
サラディンのみならず、カールですら言葉を失った。あんなにも幼い少女が何故。
――人を殺して笑っているのか、と。
【カール、サラディン】
・少女に対して困惑。
【エリザベス一世】
[状態]健康
[装備]誰にも確認されていないが、サバイバルナイフ所持
[道具]支給品一式
[思考]
1:何かが芽生えた。
【チンギス=ハン死亡】
【残り34人】
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