無題






喉にかかった冷たい手に力がこもる
もう息をすることもできない…
自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる

人は死の瞬間に人生の全てが頭の中に浮かんでくるというが
いまの私の頭に浮かんだものは私の長い人生のことではなく
ほんの数時間前のことだった

数時間前小高い丘を歩いていた私は、数体並んだ地蔵を見つけた
このような過酷な環境の中で、何の力もなく、年老いた私に何ができるというのであろうか
気がつくと私は、地蔵をけり倒していた
そうでもしなければ、精神の安定を失ってしまっていたかもしれなかったのだ…
いや、いまさら何を言おうと言い訳にしか過ぎまい

そしてその結末がこれだ
おわんの中から飛び出した怪物の姿も、見ることができない
あれだけうるさかった鼓動も、どんどん弱弱しくなっていく…

意識が闇に落ちる直前、すさまじい悲鳴が聞こえた
それは聞きなれた、長年連れ添った夫の声だった

おしまいです

【「新鬼ヶ島」 おじいさん おばあさん 死亡】



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