無題






何時からだっただろうか、彼の精神力が恐怖心を上回るようになったのは。
洞窟とは違った圧倒的な恐怖感。もちろん過去彼が洞窟で味わった死の恐怖もすさまじいものであった。
しかし今回のそれはただ単に死の恐怖というわけではない。相手は生身の生き物である。
一人で考え、悩み、時には怒り、時には泣き、裏切りを恐れたり、最後に愛を貫くものもいる。
そういった存在が自分の意思で、あるいは戸惑いながらも襲ってくるのである。
それはただの恐怖ではない。深い愛も、深い悲しみも全てひっくるめた上での恐怖なのだ。
人はこの島ではたして最後まで自分を持つことができたのだろうか。
それとも恐怖と絶望に支配され、自分を見失ってしまったのだろうか。
それはこのゲームが終わったとき、明らかになるのかもしれない・・・

今夜も月明かりが眩しい。ところどころにある水溜りがきらきらと光っている。
「これが最後のパンか・・・」
カリカリになったパンをかじりながら彼は呟いた。事実、これが最後の食料である。
それだけではない。数日間の激しい戦いで彼自身も激しく消耗していた。
だが、不思議なことに彼の精神力はゲーム開始直後とは比較にならないくらい強くなっていた。
彼の体験したさまざまな出来事、愛、裏切り、諦観、そして希望・・・
それらは今、彼の精神を極限まで冴え渡らせていた。

彼がポポロンからもらったリモコンのような物体、あれからいじり倒したが、どうやらレーダーのようであった。
首輪に反応し、画面上に光の点が浮き出るのである。彼は今まで慎重にそれを使い、
敵との遭遇を避けてきた。そんな彼が今、一つの動かない点を発見する。

「これは・・・」

負傷しているのだろうか、それとも休んでいるのだろうか。もしかしたら誰かを待ち伏せしているのかもしれない。
この島はほぼ楕円形になっており、実はかなり広い。一度見失った相手が逃げてしまえば、二度と遭遇しない確立も
十分ありうる。そんな中、彼は遠距離から肉眼で点の正体を確認する。


焼け焦げたピンクの肉片が、うねうねとお互い体をすり寄せ、一つの形になろうとしていた。

全てを飲み込んで自分のものにするすさまじい能力。この島で最も恐れられた殺人鬼。
そして、討つべき友の仇。それがまさに今、彼の目の前で復活しようとしている。
それは徐々に再生速度を速め、ついにピンクのボール状になった。まだ手足はついていない。
「今なら・・・!」
そう、今ならもしかしたらやれるかもしれない。敵は完全無防備である。爆弾に火をつけて投げるだけでいい。
しかし同時にそれはまったく逆の可能性を含んでいる。向こうがこちらに気づいているかもしれないのだ。
恐らく復活したそれは爆弾を吸い込み自分の能力とするだろう。それでは戦況は大苦戦である。
しかもあれだけバラバラになって復活する能力を持っているのだ。手持ちのこの爆弾だけで十分なのか?
空を飛ばれたらどうするのだ?いや、その前に・・・
彼の頭を思考が埋め尽くす。こうなってしまったらもはや冷静な判断は不可能である。
その危険さに彼自身が気づき慌てて目を戻したときには、物体はすでに消えていた。

この絶望的状況に、彼は先ほどとは比べ物にならないくらい冷静になっていた。
彼の中で何かが決まったのであろう。それが何なのかはもしかしたら彼自身にもハッキリ解らないかもしれない。
そして彼は思考する。敵の形を、性格を、存在を。そして結論をはじき出す。
「・・・上っ!!」
案の定彼の上空で岩になったそれはまっすぐに落ちてきた。彼はすんでのところでそれをかわす。
だが彼は普通なら後ろに避けるだろうところを、なぜか前に避けた。つまり真下をくぐり抜けた形になる。
誰でも少しでも戦闘経験のあるものはめったなことでは前には避けない。もちろん背後を取られる形になってしまうからだ。
彼の場合は主旨が違っていたのかもしれない。なんと彼は背中を向けてそのまま走り出したのだ。
逃亡である。彼の前歴から考えると別段信じられないことではないが、今回ばかりは相手が違う。
解っていたはずである。この展開になることを。
それはあんぐりと大きく口を開くと、全てを吸い込みはじめた。
すると不思議なことが起こった。彼はくるりと向きを変え、口をあけたそれに向かって走り始めたのだ。
(今なんだ。今こそ!!!)
彼は左手に持っていたビンを開け、中の赤い液体を飲み干した。

瞬間、彼は残像になった。

この薬を最初に飲んだのは、彼がまだ探検を始めて間もないころである。
赤く、妖しく光り、そしてどこか魅惑的だった。
しかし飲んでみて、本当のこの薬の意味を理解した。
狭い洞窟内で、この薬はまさに拷問であった。
肉体の限界を超えスピードを上げる。実際少し歩いただけで脚はボロボロ、
ジャンプなどすると3日は立ち上がれなかった。
それも少しだけ飲んだときの話である。全部飲み干したことはまだ一度もない。
(こんな薬を使うことより、自分を鍛えることを選ぼう)
彼はこう選択した。それが幸か不幸か、この島で同じタイプの人間と出会う。
その男も彼とまったく同じ悩みを抱え、自分を変えようと、強くなろうと、薬を口にした。
案の定男は至高の肉体を手に入れるが、その代償として心を失ってしまう。
急に高いところへ上がりすぎたのだろう。その魅力に憑かれてしまったのである。
男にもう少しだけ挑戦する心があったなら、あるいは避けられた事態だったであろう。

この島に来て、ディバッグの中にこの薬を見つけたとき彼は感じていた。
(この薬さえうまく使えば、消耗するが敵と対等に戦えるかもしれない)
しかし彼はそれをしなかった。それは彼が今まで出会ってきた者達からそれの代わりとなるものを
受け取ったからであろう。それはとても暖かく、そして力強かった。

それを守るために、ついに今、彼は薬を飲み干した。

カービィの口の中に、光の矢が飲み込まれていった。
人は、来るはずのないタイミングで事が来ると一瞬何が起こったのか解らなくなる時がある。
それはこの生物でも同じだった。突っ込んできたと思った獲物が目の前から消えたのである。
次の瞬間獲物がどこにいるかははっきり解った。自分の口の中である。
すぐに飲み込もうとするが、口が閉まらない。何かが突っかかっているのだ。

彼は瞬時にそれの口の中に飛び込み、持っていた剣を縦に置きつっかえ棒代わりにする。
そうした上で彼は探す。あるものを探す。あるはずだ・・・外ではない、中に・・・

そうしている間に天井が迫ってくる。剣がしなっている。

そして、それを見つける。それを左手でつかむ。

ついに剣が折れる。すかさず彼は右手で天井を支える。

脆弱な彼の体がバキバキと音を立てる。折れた骨は数え切れないだろう。

カービィは強引に口を閉じようとし、入り口がどんどん狭くなってゆく。

今度は彼が口を開ける。今こそ、腹に力を入れて、友がそうしたように、思いっきり。



「私を吐き出せ!!!君はそれで苦しみから解放される!!!」


もちろん聞こえただろう。何せ口の中だ。
支えていた手がしびれてくる。もう何回目だろうか。骨がばきりと音を立てるのは。
彼は不思議と痛みを感じていない。全身が麻痺しているようだった。
だんだんと正常な意識のまま彼の視界は薄くなっていく。

その瞬間、足元がぐっと沈んだと思うと、彼は宙を飛んでいた。
(これが、私の、「決断」・・・)
同時に爆発音がして、彼の左腕が別の方向に吹っ飛んでいく。

したたかに地面に叩きつけられた彼は、満月を仰いだ。
しばらくしてペタペタという足音。こちらへ近づいてくる。少しづつ、また大気を吸い込む音が聞こえる。
そして彼はまた口の中に戻った。意識が朦朧としているので、現実のことなのかどうかも怪しい。
するとなぜか良い気持ちになった。体が浮いているような、まるで母親の胎内にいるような・・
そしてゆっくりと入り口が開く。彼は柔らかな草原に寝かされた。上からピンク色のあどけない顔が覗き込む。
次の瞬間、流れ星が落ちてきた。それも自分のすぐ近くに。びっくりしているとピンク色の生物はそれにまたがり、
遥かなる星空へ飛び立っていった。
次の瞬間、数え切れないほどたくさんの流れ星が、夜空を彩った。赤、黄、青、さまざまな色のものがある。
(きれいだ・・まるで流星群のようだ・・そういえば奴の名前は『星のカービィ』だったかな・・・)
そんなのんきなことを考えていると、ようやく彼の意識は天へと昇り始めた。
(わたしは・・最後まで・・・お人よしだったな・・でも・・・奴がわかってくれて・・・いや・・私が・・
私が奴を解ってやれて・・・よかった・・・・・これが・・わたしの・・「希望」・・・フフ・・・・
あの世で・・彼に怒られるな・・・)

そのまま彼は目を閉じた。すると、彼の被っていた帽子が彼の顔にかかった。ちょうど目を隠すように。
それは、この島で悩み、決断し、最後に「希望」となり得た彼に、風がくれた贈り物なのかもしれない。
安らかな眠りについた彼に、夜空が眩しすぎないように。


【「スペランカー」 スペランカー 死亡】
【「星のカービィ」 カービィ 我が家へ・・・】




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