無題
「あっ……」
「……!」
可愛らしい声と、息を飲むような小さな音。
それを発した者らの視線は、等しく地面へと向いていた。
溜まりゆく、紅い水たまり。
その源の、小さな生き物。
毛が豊かな尻尾に、力無く垂れた耳。
まだ小さく、可愛らしい子狐。
その腹からは、紅い雫が幾筋も流れていた。
「あ……あ……」
少女は、狼狽したように呟く。
それから後ずさったかと思うと、力無く座り込む。
「こ、こんな……」
――コンナハズジャ、ナカッタ。
口の形だけが、言葉を語っていた。
その口がだんだんと震え、歯がカチカチと鳴る。
口から顎。顎から肩。
そして、肩から体。
少女が手にしていた銃も、カタカタと震えていた。
また、子狐を挟んで反対側にいた者も、小刻みに震えている。
その者――『彼女』は子狐に近づくと、子狐から流れ出ている紅い雫を、ぺろぺろと舐め出す。
丹念に、その雫の跡すらも消すように。
しかし、それは消えることなく、『彼女』の鼻先をも紅くしていった。
「…………」
その鼻先を子狐へと押し当てる『彼女』。
それに反応することなく、子狐は安らかに目を閉じている。
雫は既に流れを止めていた。
傷が塞がったのではない。
体に流れるものが、無くなっただけだ。
子狐の体に耳を寄せていた『彼女』は、再び愛しそうに子狐の体を舐め始めた。
それが、最後にしてあげられることだと言うように。
少女は、それをただ呆然と見ていることしかできなかった。
――ジブンガ、コロシテシマッタ。
その自責の念だけが、視線を外させないでいる。
「……きゅう」
やがて『彼女』は子狐から離れると、ひと鳴きして少女のほうを向いた。
その目は、先ほどの慈愛を湛えるようなものとは全く違う――いわば「憎悪」を込めたような、鋭いものへと変わっていた。
「ご……めん……な……さい……」
少女が口にできる、精一杯の言葉。
そんな言葉には耳を貸さないというように、『彼女』の目つきが鋭いものへと変わっていく。
そして一跳びすると、少女の腕へと鋭い牙を立てようとした。
それが『彼女』ができる精一杯の復讐。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
だが、少女は絶叫すると、事も無げに『彼女』のことを振り払う。
鬱蒼と繁る草むらに打ち付けられた『彼女』。
それでも『彼女』は少女から視線を外そうとはしなかった。
――死ンデモ、ズットオボエテオイテヤル。
そう、瞳に刻み込むように。
「来ないで……来ないでっ!!」
言葉の主である少女は、そう言って銃の先を『彼女』へと向ける。
しかし、ガタガタと震えている銃の照準は合うはずもなく、また引き金も指にはかかっていなかった。
撃つつもりなど、毛頭もなかったのだ。
「……っ!!」
そんなことを知る由もない『彼女』の思いは、決定的なものへと変わっていた。
日常的に、向けられていたもの。
ただ、逃げまどうことしかできなかったもの。
それによって、自分の大事な者の命が消された。
そして、今度は自分がそれを向けられている。
だったら――
「っ!!」
――コンドハ、ワタシガ――
『彼女』が口にしていた葉っぱをひらりと頭に乗せた瞬間、煙が立ち上った。
「きゃあっ!」
少女は顔を背けると、驚きからか銃を落としてしまったが、それに構うことなく近場の木へと急いで体を寄せる。
「な、何……?」
改めて、その煙のほうへと顔を向けた瞬間。
「あっ……」
そこには、一人の『少女』が立っていた。
憎悪というものを一心に集めたような、鋭い眼光を少女に向けて。
「うそ……」
それは、
「なんで……」
紛れもなく、
「あたしが……」
今呟いたはずの、少女の姿だった。
少女の震えは、一層強いものに。
対して『少女』は、見下すように威圧を。
同じ姿が、対照的な雰囲気を放っている。
少女には、状況が理解できなかった。
なんで、目の前に『自分』がいるのか。
『自分』が、自分のことを睨んで。
『自分』が、自分の落とした銃を拾って。
『自分』が、自分にその銃を向けて――
「ころ……す……」
感情が定まらないような言葉が『少女』から発せられた瞬間、銃口から発せられたレーザーが少女の胸を貫いていた。
「ああっ!!」
人間ならば、心臓のある場所だったが。
「うう……」
少女の胸からは、血ではなく火花が舞っていた。
傷口であるはずの場からは肉ではなく『少女』が見たこともないような、複雑な金属が顔を覗かせている。
「…………」
それが、少女にとっての不幸の始まりだった。
「ころす……ころす……!」
『少女』が、まるで狂ったように引き金を幾度も引き始める。
「あああっ!」
目が潰れ、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
耳がコードごと千切れ、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
肩が誘爆して、腕が吹っ飛び、
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
顔だった場所の皮膚が解け、金属の骨格が現れ――
「っ! じ、じ、じ、じ、ざー……」
喉と呼ばれたはずの場所に、穴が開けられ……
CPUがあった頭部が溶解してもなお、『少女』は『鉄屑』にレーザーを浴びせていた。
銃のエネルギーが尽き、握り潰されるまで。
『少女』は、うつろな表情のまま、穴を掘っていた。
小さい――だが、深い穴。
ゆっくりと掘られていくその穴は、今暮れていく空のように、深い闇を湛えている。
それを掘り終えたのか『少女』が子狐の亡骸を泥だらけの両手で抱える。
しばらくそれを見ていたかと思うと、愛おしそうに、ゆっくりと頬ずりを……
そして、既に乾いてしまった鼻先へと、鮮やかな桃色の唇で口づけをする。
永訣への、手向けに。
小さく盛られた土と、飾られた花。
『少女』はそれに背を向け、ゆっくりと歩き始める。
わずかに口を開けると『少女』は元の姿へと戻り、ひらりと待った葉っぱを器用に口にくわえた。
未だに『彼女』の目に光る『憎悪』。
「にんげん……ころす」
『少女』としての最後の言葉は、その憎悪と等しいものだった。
【「は〜りぃふぉっくす」母ギツネ 生存】
【「は〜りぃふぉっくす 雪の魔王編」子ギツネ 死亡(銃殺)】
【「α - アルファ -」クリス 機能停止・破壊(溶解)】
前話
目次
次話