絶望と誓い
腹の傷を抑えながら、男、勝沼紳一は森の中を彷徨っていた。
「く、糞、糞糞糞っ!」
とうとう立っていられなくなったのか、木に寄りかかるようにして座り込んでしまった。
「俺は勝沼紳一だぞ……。女は俺の所有物だというのに……。あんな小娘が、糞っ!」
静寂が漂う森の中で、ただひたすら己の中にあるドス黒い感情を発露させている。
「あ、あの……、大丈夫ですかぁ……?」
「!?」
勝沼は驚きながら、その声がした方に振り向く。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
髪を二箇所、黄色いリボンで留め、見様によっては猫の耳のようにも見える髪形。
それよりも、なお勝沼の気を引いたのは、その娘の胸元にある大きな鈴だった。
「だ、誰だ……?」
苦しみを抑えながら勝沼が呟く。
「あ、あのっ! ミキは珠瀬壬姫って言います……」
そう言って、その娘、珠瀬壬姫は恐る恐るといった風情で勝沼に近寄りながら、精一杯の笑顔を浮かべた。
「珠瀬……、くぅ!」
勝沼の腹に激痛が走る。
「だ、大丈夫ですかっ!」
壬姫は慌てて勝沼の元へ駆け寄った。
「腹が……」
「ちょっと見せてください! ミキも良く怪我をするから、何とかできるかもしれません!」
勝沼は壬姫の顔を見回してから、一度だけ大きく頷くと、腹の上から己の腕を離す。
「ああ、頼む……」
壬姫はその傷に顔を近づけ、観察するように見つめる。
「これは酷……!」
まず、クチャ、という音が壬姫の耳に聞こえてきた。
「え……? あれ、痛っ……!?」
次に襲ってきたのは、腹部から来る痛み。
壬姫は痛みの元となっている部分に眼をやった。
そこにあるのは、ボウガンの矢、それがあろう事か自分の腹からはえていたのだ。
「ふ、ふふ……」
「な、何で……!?」
現状を理解できずにただ狼狽する壬姫を尻目に、勝沼の笑い声はだんだんと大きくなっていく。
「ふはハハははハハはぁ! 痛いか? 苦しいか? そうだろう!」
勝沼は、壬姫の身体を突き飛ばす。
痛みの所為で身体が動かないのか、壬姫は成す術も無く地面の上を転がった。
「貴様等のような小娘がっ! このっ、勝沼紳一に傷を負わせるなんてっ! そんな事が許される訳ないんだよ!」
勝沼はそう叫ぶと、壬姫の身体の上に圧し掛かる。
「きゃ、きゃあっ!」
壬姫は逃れようともがくが、男と女の力の差、それに痛みの所為で、まったく意味をなさない。
「怖いか? ふふ、泣けっ、叫べ! その方が興奮するんだよ! ほらもっと叫べよ!」
「や、やだっ! やめて! た、助けて、たけるさぁんっ!」
逃れる事が無理だと悟った壬姫は、ただひたすら己が密かに慕っている男の名前を叫んだ。
叶う事の無い願い、争いが嫌いな故に、ずっと隠しておこうと思った気持ち。
「たけるさん!」
壬姫の声は、虚しく森の中に響き渡った。
森の中を疾走する大十字九郎の耳に、女性の悲鳴のようなものが聞こえてきたのは、フーマンを撃破してから、それほど時間は経っていなかった。
「悲鳴! ……こっちか!」
アルの事も気にかけてはいるが、しかし、近くで助けを求める人間を放っておけるような人間でもない。
大十字九郎という男はそういう人間だった。
木々の合間を抜け、声のする方に近づいてみると、多少広がっている場所に出た。
そして、九郎の目に飛び込んでくる、血まみれになってもがく少女の姿と、その上に圧し掛かっている男の姿。
「お前! その娘の上から退け!」
威嚇をこめて、クトゥグアの弾丸を放つ。
「ちぃ! 貴様も俺の邪魔をするのかぁ!」
勝沼は壬姫の身体の上から退くと、血走った目を九郎の方へと向ける。
「こんな光景、誰が見たって邪魔するに決まってるだろうが! これ以上この娘に何かしようとしてみろ! その時は容赦はしない!」
九郎が叫ぶ。
その叫びに推されたのか、それとも九郎が銃を持っている事を見て不利だと判断したのか。
勝沼は大きく舌打ちをしてから、身を翻して森の奥へと消えていった。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
九郎は壬姫の身体を抱きかかえる。
「あ、ありがと、げふっ! ……ござ……ます」
「いい、喋るな! いいか、気をしっかり持て。大丈夫、このくらいならすぐ治るから!」
壬姫の腹の傷は素人目に見ても、もうどうしようもないと判るほど深い傷だった。
九郎にもそれが判る、しかし壬姫はその言葉に励まされたのか、一瞬だけその苦しそうな表情が、微笑みへと変わった。
「うぐっ! がっ、ゴホッ、ゴホ……」
しかしすぐに壬姫の様子が変わる。
苦しそうにその口から、大量の血を吐き出した。
「たま!」
「壬姫ちゃん!」
突然、九郎の背後から、いくつかの声が聞こえてくる。
九郎が振り向くと、そこには数人の男女の姿が見えた。
「な、なんなんだよ、それはっ! お前……、お前がやったのかっ!」
その中にいた一人の男、白銀武が怒声を飛ばす。
武の視線の先には、九郎の手にある拳銃、クトゥグアに向けられている。
「ち、違う! 俺は……」
「その娘から離れろ、外道!」
刀を持った長身の少女、御剣冥夜がその刀でもって九郎に切りかかる。
「だから違うって!」
九郎は右手で持ったクトゥグアでその斬撃を受け止める。
「くそ、話が通じないか!」
九郎はそう呟くと、立ち上がるとすぐに振り向いて、その場から逃げ出した。
「待て!」
「待って、御剣さん!」
冥夜がさらに追いかけようとするが、それを引き止めたのは、眼鏡を掛けた少女、榊千鶴の声だった。
「何故止める、榊!」
「……あの男は銃を持っていたわ。私達の中で唯一武器を持っている貴方があいつを追いかけて、もし貴方が逸れてしまったら? そしてそんな時、あいつのような人間が私達の前に現れたら? 現状を考えれば、今この場に留まって、状況を理解する方が大切だわ」
青ざめた顔をしてはいるが、自分の意見に自信を持っているのか、いきり立つ冥夜を前にして、一歩も引こうとはしていない。
「……冷血女」
その光景を見ていた黒髪をショートカットにしている娘、綾峰慧がボソリと呟いた。
「何ですって!」
榊は綾峰の顔を思い切り睨みつける。
「け、慧ちゃん、千鶴ちゃん……。け、喧嘩は止めてよぉ……」
「たま! 気がついたのか!?」
武の腕の中で、たまが弱々しく呟いた。
「あ、あの人は……がふっ!」
壬姫が言葉を言いかけるが、全てを言い終わる前に血を吐き出した。
「珠瀬さん、喋らない方がいいよ! その傷は……」
中性的な顔立ちの美少年、鎧衣尊人がそこまで呟いて言葉を閉ざす。
この中でもっともサバイバル経験の長い彼は、壬姫の傷が深い、深すぎるという事を一番良く理解していた。
「た、たけるさん……」
「……何だ、たま? 何でも言ってみろ」
壬姫は武の顔を見てニコリと微笑んだ。
「向こうで、たまの練習に付き合ってくれて……ありがとうございました」
「何をいまさら……! 俺達は……仲間、だろ?」
武はそう言うと、力強く笑う。
「仲間……。そう……ですよね、タマ達は、どんな人達よりも、仲の、いい……仲……」
「壬姫ちゃん!」
髪の毛が一本だけピンと跳ねている少女、鑑純夏が壬姫の身体に手を添える。
「たま!」
「珠瀬さん!」
周りに集まっていた者達も壬姫の身体の近くに寄り添った。
しかしもはや壬姫の身体が動く事は無い。
「壬姫……ちゃん……」
純夏が壬姫の手を取りながら号泣する。
常に無表情な、綾峰ですら、その眼から涙を流していた。
「たま……、約束だ。俺達は喧嘩なんてしない。お前、喧嘩、嫌いだったもんな?」
武が、壬姫の首に掛かっている鈴に手を伸ばす。
そしてその鈴をそっと取り外した。
「この鈴、返してもらうぜ」
武はその鈴を持って立ち上がると、周りの人間を見回した。
「そういう事だから、俺は今後一切喧嘩というものをしない事にした。文句のある奴はいるか?」
皆、静まり返っている、否、一人だけ手を上げている者がいた。
綾峰慧。
「あの男はどうするの? この娘を殺した男。白銀が何もしないのなら、私だけで動くけど……いい?」
それは疑問の形を取った、意思の表明。
武は、綾峰の顔をじっと見つめる。
「俺は、いや、俺達はもう喧嘩はしない。それはさっきも言った通りだ」
綾峰は、ふぅ、と大きくため息をついた。
「そう。……それじゃ」
そういうと、後ろを向いて立ち去ろうとする。
「待てって。最後まで話を聞けよ」
しかしその綾峰を止めたのは、他でも無い、白銀武、その人だ。
「俺は喧嘩はしない、とだけ言ったんだ。つまり、だ」
「つまり?」
何を言いたいのか、というような表情で綾峰が首を傾げる。
「復讐、とか、殺し合い、っていうのは、喧嘩じゃないだろ? そういう事だ」
「タケル! そなたは……」
冥夜が声を上げる。
「幻滅したか?」
「いいや、それでこそ我が婿、白銀武ぞ! この冥夜、全ての力を持ってそなたに力を貸そう!」
武は、地に伏す壬姫の身体をそっと抱きかかえる。
「もう少し待ってくれよな。どこか日のあたるいい場所まで連れて行ってやるから、それまで……な?」
「ふふ、その必要はありませんわ」
「誰だ!」
突如暗闇の中から聞こえてきた声に、冥夜が刀を構えながら振り向く。
「私の名前は比良坂初音。どうぞ、初音、とおよび下さいな」
暗闇の中から初音がその姿を表した。
「必要は無いってどういう事?」
榊が警戒しているという事を表情にありありと浮かべながら、初音に問い掛ける。
「貴方達は、さきほどの男を追いかけるのでしょう? でしたら、急がないと逃げられてしまいますわよ」
「それと、壬姫を連れて行く事と、どういう関係があるんだ?」
武が問い質すと、初音はうっすらと微笑を浮かべる。
「ですから、私がその娘の躯を、どこか安らげる場所に連れていって差し上げます、という事ですわ」
「何故、あんたがそんな事を?」
「ふふ、何、ただの気まぐれのようなものかしらね。それで、どうなのかしら? こうしている間にも、あの男はどんどん逃げていってしまいますわよ」
「あんたが何者かは知らないけど……、判った。どこか明るい所に連れて行ってくれよ」
「ええ」
初音は、武の腕から、壬姫の動かぬ身体を受け取った。
「お礼といってはなんですが、一つ貴方達に良い事をお教え差し上げますわ。この道を先に行くと、大きな蔵……、武器庫、といったかしら? そのような物がございますわ。そこにいる人間に私の名前を申し上げれば、おそらく何かしらの道具を頂けると思いますわ」
「武器庫!? あ、あんたは本当に一体……」
「ではごきげんよう……」
武の言葉には答えずに、壬姫の身体を携えたまま初音の身体が掻き消えた。
「武ちゃん、どうするの?」
純夏が不安げに武の顔を見つめている。
「……まずは武器庫に行こう。それからゆっくりとあの男を見つけ出す!」
武は皆に向かってそういうと、ゆっくりとその足を動かし始めた。
「どいつもこいつも、邪魔ばかりしやがって!」
勝沼は先ほどまでと同じように森の中を彷徨っていた。
この世への恨み言、ただそれだけを呟きながら歩くこの男の表情には、最早狂気以外の感情は無くなっていた。
その時、ふと、勝沼の眼に一人の少女の姿が飛び込んでくる。
思わずむしゃぶりつきたくなりそうな身体を持つ、まるで人ではないと思える程の美少女、初音の姿が。
その手には、先ほど受け取った、壬姫の姿もある。
初音は勝沼を、それがまるで汚らわしいものだとようなような眼つきで見ている。
「何だ、その眼は……」
勝沼が足を止めて呟く。
「何だぁ、その眼はぁ! 俺をそんな眼で見るなぁ! お前も犯しつくしてから、殺してやる! その手に持っている娘のようになぁ!」
勝沼が叫ぶと同時に飛び掛る。
初音はその姿を見据えたまま、しかし動こうとはしない。
「ひゃははははははぁ!」
しかし勝沼が初音の身体に覆い被さる事は無かった。
「あ?」
勝沼の腕が初音の身体に掛かろうとした瞬間、初音の姿が掻き消える。
「身の程をしりなさい、下種」
瞬間、勝沼の首から大量の鮮血が溢れ出す。
「な、何で……、こんな事……」
「気まぐれ、ですわ。せっかくの生娘をこんな風にしてしまうなんて……。まったくもって無粋極まりない」
勝沼の眼から、狂気の意思が消える。
暗い森の奥深く、絶望の淵で勝沼紳一は息絶えた。
「さて……。あの方達との約束通り、この娘を安らげる場所へと誘ってあげる事にしましょうか」
初音の姿が変わっていく。
それは、蜘蛛。
何百もの時を過ごしている女郎蜘蛛の本性。
蜘蛛は壬姫の身体を咥えると、味わうようにゆっくりとその口動かしていった。
【白銀 武 マブラヴ 状 ○ 持ち物 無し 招→?(分類上ただ呼び出された者から、狩る者に変化、鬼?、狩?)】
【鑑 純夏 マブラヴ 状 ○ 持ち物 無し 招→?】
【御剣 冥夜 マブラヴ 状 ○ 持ち物 刀 招→?】
【鎧衣 尊人 マブラヴ 状 ○ 持ち物 無し 招→?】
【榊 千鶴 マブラヴ 状 ○ 持ち物 無し 招→?】
【綾峰 慧 マブラヴ 状 ○ 持ち物 無し 招→?】
【珠瀬 壬姫 マブラヴ 状 死亡 持ち物 無し 招】
【勝沼 紳一 絶望 状 死亡(?) 持ち物 ボウガンその他 刈(?)】
【大十字 九郎 デモンベイン 状 ○ 持ち物 イクタァ、クトゥグア(共に銃) 招】
【比良坂 初音 アトラクナクア 状 ○ 持ち物 無し 鬼】
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