這いずる者達






 大十字九郎がフーマンを撃破したその頃。彼の持ち物にしてパートナー、真なる魔道書アル・アジフは暗き森の中を一人歩いていた。
「九郎め……。妾を置いてどこへ行ったというのだ……。妾がいなければ何も出来ない役立たずだというのに」
 アルの表情に不安など欠片も無く、代わりに全身から怒りの感情を漂わせていた。幼き外見とは裏腹に、彼女は幾多の人外達と激戦を既に何千年も繰り返している。突如として別の世界に飛ばされるという事など、彼女にとって最早恐怖の対象ですらなかった。
「もしや妾がいない事を良い事に、小娘共といちゃついているのではないだろうな。あのロリコンめ……、ん? この気配は……!」
 九郎への愚痴を呟きながら森を歩いていたアルは、ふと『何か』を感じ、その足を止める。
「この魔力、どこかで……。誰だ、そこにいるのは!」
 アルは気配の感じる木陰の方を向き、鋭い眼光を向ける。
「ふふ。気配は消しておいたというのに……。よく判りましたわね? 力を感じたので来てみれば、ふふ、思わぬ拾い物かもしれませんわね」
 木陰から現れたのは、長い黒髪と黒いセーラー服が印象的な一人の少女だった。
 アルは突如現れたその人物を睨みつける。
「拾い物? 不躾な奴だな。名を名乗れ!」
 彼女は音も無く静かにアルの前へと歩み寄る。対峙する黒髪の少女と、真なる魔道書、沈黙があたりを漂う。
「私は初音。比良坂初音。よろしく、可愛らしいお嬢さん」
 初音が近くにきた事で、アルには先ほど感じた『何か』の正体に気がついた。
「貴様、アトラック・ナチャ、か? おかしい、あ奴の『ページ』はすでに回収したというのに……。何故貴様はここにいる!」
 初音は何を言っているか判らないというような表情を浮かべる。
「……あとらく? 申し訳ないのですが、私、最近の言葉と言うのに疎くて……。私は、三百年前からずっと私のままですわよ?」
「……違うのか? しかし似ている……」
 初音はその呟きを意に介さず、微笑みを浮かべながらアルの顔へと手を伸ばす。
「まあ、そのような事よりも。貴方、私と一緒に来てくださらないかしら?」
「何を!」
 アルは慌ててその場から離れる。
 アルは今、目の前で微笑みを浮かべている少女から、嫌な気配を感じた。
(今の感覚……。この娘、もしや『アンチクロス』か? いや、奴等とは違う……)
「あら。私の提案を拒否する、という事なのかしら? 残念ね。私たち、お友達になれると思いましたのに、本当、残念ですわね……」
 アルは初音を睨みつける。
「貴様、妾を愚弄する気か? 妾は真なる預言書ネクロノミコン、『アル・アジフ』ぞ!」
 初音は、しかしアルの怒りなど気にした様子もないように、微笑みを浮かべ続けている。
「……ねくろ? 本当に最近は難しい言葉が増えてきましたわね。まあ、いいわ。貴方がせっかくのお誘いを断ると言うのなら……」
 突如として、あたりの空気が変わる。
「貴方、私の贄におなりなさいな」
 依然として初音の様子が変わったようには見えない。しかし、アルには彼女が自分にとって害のある存在なのだという事を認識した。
「誰がそのような事を!」
 アルが伸ばした腕の先から、魔力を凝縮した光弾が初音に向かって襲い掛かる。
 着弾、そして爆発。
 もうもうと立ち上る爆発を見て、アルはニヤリと笑う。
「やったか……!」
「いえ、残念ですわね」
 背後から声が聞こえてくると同時に、アルの右肩に初音の爪が突き刺さる。
「くぅ!」
 アルは肩を抑えながらその場から遠ざかった。しかし、初音は間髪いれずに爪を振るう。
 その初音の爪はアルがとっさに展開した魔力障壁に防がた。
「貴方も魔力を扱えるようですわね。それに貴方の匂い。貴方、生娘ですわね? まだ男と情を交わしていないその身体にこれだけの魔力。ふふふ、ますます欲しくなりましたわ。貴方ならさぞいい贄になってくださるのでしょうね」
「だ、誰がそんなものにぃ!!」
 アルはそう叫ぶと同時に展開していた障壁を爆発させた。しかし、初音は素早くその場から離れダメージは無いようだ。
「……逃げたようね。まあいいわ、狩りはこうでなくては面白くありませんものね……ふふ」
 初音の身体がゆっくりと闇に同化して、やがてその場から消え去った。
「痛ぅ! くっ、あのような化け物など、九郎がいればどうという事は無いというのに……。九郎、お主はどこにいるのだ……」
 初音の爪を食らったアルの右肩がズキズキと痛む。
 障壁を爆発させた時の衝撃の所為で、体の全体にも細かな傷ができていた。
 アルは本の精霊ゆえ、普通の人間よりも死に至る致命傷というものを負いにくい。
 しかし、それでも今の戦闘で受けた傷は重かった。
 アルは痛む身体を引きずるように歩きながら、やがて暗闇の中へと消えていった。

【大十字九郎の持ち物 「アル・アジフ」 斬魔大聖デモンベイン 状 △(右肩損傷) 招 持ち物 ネクロノミコン(自分自身)】
【比良坂初音 アトラクナクア 状 ○ 所持品 無し】



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