電覚






 河原末莉が目を覚ましたのは、すでに真夜中になったころであった。
 暖かい布団の中、おずおずと目を開ける。
暗闇の向こうに見知らぬ天井が見える。

「う……ん……?」

   状況を正確に認識できないまま、起き上がろうとするが、
「起き上がらないで」
 不意に耳元で声がして、末莉は身体を硬直させた。
「……!?」
 おそるおそる顔を横に向けると、暗がりの中で枕元のかなりファンシーな子ザルのロボットが視界に入る。
「え……!?」
 この子ザルロボットがしゃべったこと気づき、驚きの声を上げようとする末莉だが、
子ザルロボットは小声ですばやく注意した。
「声も小さくね。部屋の前の見張りに気づかれたくないから」
「あ、はい! すいません……」
 慌てる末莉に、子ザルロボットは器用に首を振った。
「友永和樹だけど……分かるかな?」

 その愛嬌のある顔に似つかわしくない遠慮がちな声で、ザルロボットはそう告げた。

「うまくいったみたいだな」
 中央塔近くの森のはずれで、和樹はそうつぶやいた。

   電覚を使用し、中央塔の一室、末莉の部屋に忍び込ませたエテコウとアクセスを取る。  
     エテコウのカメラから取得した画像データを和樹の方へ転送。
暗い視界の中、やややつれてしまった末莉の顔を見ることが出来た。

 次は音声。己の頭脳内で作成した音声データをエテコウ側に転送。
エテコウのスピーカーをリモートコントロールして、和樹の音声を合成。発音させる。

『友永和樹だけど……分かるかな?』
『あ……はい……和樹さんですよね』

 末莉の音声をエテコウのマイクから取得。転送。再生。
彼女のかすれた声が聞こえてきた。


 和樹と名乗るロボットの声を聞きながら、末莉はどこかぼんやりと考えていた。
 和樹のことは覚えていた。そういえばこの声も聞き覚えがある。
 そう、確か半狂乱になった私を、この声で必死でなだめてくれたんだ。
 ああ、でもなんで私そんなふうになったんだっけ―――

 そこまで思考を進めたとき、末莉は今まで無意識に避けていたことを思い出した。

 おにーさんが死んじゃったからだ……

 不意に突きあがってきた叫び声が口から漏れる寸前に、
エテコウの手が柔らかく末莉の口を抑えた。
「落ち着いて……とはいえないね……でもこらえて欲しい。頼む」
 静かな、でもどこか言葉を迷いながら選んでいる、そんな声が末莉を諭す。
 末莉は、何か熱いものを無理矢理飲み込むような感覚で、こらえた。

 ややたってから口を開く。
「あの、教えて欲しいです。おにーさんは、おにーさんは……」
「……お墓、作ったよ。安らかに眠れるように」

 今度あがってきた叫び声を抑えるためには、末莉は顔を枕に押し付ける必要があった。 
泣くことをとめることは、出来なかった。 


   (現状を認識させるのは無理だな)
 末莉のすすり泣きを聞きながら和樹はそう判断した。
多分、まだ彼女はそれに耐えられない。
 かなり時間がたってから、和樹はエテコウを介して末莉に告げた。

『末莉さん、お願いがあるんだ』
『お願い…………?』
『司さんのこと、君のお兄さんのこと、教えて欲しい。どんな人だったのか』
 忘れることができないのなら、吐き出してしまった方がいい。そう和樹は判断した。
 それに興味もあった。ただの人でありながらキマイラに立ち向かい、末莉を守った人が、
死の間際、和樹に約束を交わさせた司という人が、どんな人だったのか。
『もちろん良かったらだけど……』
 ためらうような沈黙の後、末莉がおずおずと声を発した。
『おにーさんは、本当のおにーさんじゃないです』
『そうなのか?』
『あ、でもそれでも大切な人で! かけがいの無い人だったんだけど……』
『ええと』
 沈んでいく末莉に、和樹は静かに口を挟んだ。
『それじゃあ、司さんが君のお兄さんになった経緯とか、教えて欲しいな』
 末莉の話は奇想天外で、ある種面白いものだった。
家族を持つことの出来なかった男女が寄り集まって一つの擬似家族を作る話だ。
そこで、司はみなの中心人物としての役割を果たしていたらしい。
 末莉もまた、家族に恵まれず、だから司を兄として大切に思っていた。
(苦労してるんだな)
 末莉の話に相槌をつきながら和樹は思う。

 だが、これは末莉にとって楽しい思い出なのだろう。
『おにーさん、普段はぶっきらぼうだけど、結構わがまま聞いてくれるんですよ』
 そう話す末莉の声はどこか楽しげで、自慢の兄を紹介する得意げな気持ちも含まれていて、だけど時々嗚咽も混じって、
それは確かに奇妙な声音だったかもしれないけれど、それでも泣き声だけよりもずっといいと和樹は思った。

『あ、でも最初は苦労しちゃいました』
 僕にもそんな思い出を手に入れられるときが来るんだろうか。
 不意に和樹はそう思った。
『おにーさんって呼べるようになるまで、ほんと苦労したんですよ』

―――兄さんって呼んでいいですか?

 ズキリ、と頭痛が走った。

―――その、変かもしれないけれど、兄さんって呼びたいんです。

 ……そうだ。僕にも妹がいた。
僕はロボットで、血が繋がっているはずもないけれど、それでもかけがえのない妹がいたんだ。
 だけど、僕はその顔も思い出すことができない……

「―――!」
 和樹は驚きの表情を浮かべて、目からあふれた液体をぬぐった。
『……和樹さんどうしたんですか?』
『あ……いや、なんでもないよ……』

 反射的に返答して、また和樹は驚く。
己の声音が、まるで目からあふれた液体とリンクするかのように、揺れていたからだ。

(そんな機能まで僕には備わっているのか……?)

 和樹は首を振ると、平静な声で返答した。
『なんでもないよ末莉さん。続けてくれないかな』


―――数時間後、末莉の話が終わったとき、彼女の声は、少なくとも表面的にはだいぶ落ち着いたものに変わっていた。
『あの、これどうやってお話ししてるんですか?』
『ああ……通信を使ってそのペットロボット、エテコウっていうんだけど、
こいつをリモートコントロールしてるんだ。電覚という能力なんだけど……』
 自分の能力についてかいつまんで話す。

『す、すごいじゃないですか!?』
『そう……なのかな?』
『すごいですよ! ……って、その、そういう通信って、その傍受でしたっけ。
盗み聞きとかされないんですか?』
『大丈夫だと思うよ。一応暗号化してるし』
 実際そうする必要もないだろう。
 この世界の文明技術と、和樹に使われている文明技術はあまりに異質すぎるからだ。
 通信技術を持たない文明に、通信を傍受したり、妨害したりできる道理はない。
『気をつけて欲しいのは、エテコウをなくさないで、ってことかな。
さすがにコントロールできるハードウェアがないと、どうにもならないからね』
『あ、はい。分かりました』
 それからしばらくの沈黙の後、末莉は意を決したのか、彼女にしてはしっかりとした声をだした。

『和樹さん。私、教えて欲しいです。今、なにかおこっているのか』
『……分かった』
 ケルヴァンの口から事態を説明するよりはまだましだろうと、和樹は判断した。

 事務的な口調で、ヴィル・ヘルムという男が魔法の国を作ろうとしていること、
そのために魔力を保有している者達を召還した事。
それに引っ張られるような形で、魔力を持たない者達まで召還されてしまったこと、
末莉がかなりの魔力を秘めており、保護したことを告げる。

『……あの』
 明らかに硬くなった声で、末莉が言った。
『そんなのってないですよ……おかしいですよ。こんなの!』
「…………」
『だって、そんな……だって、こんな、ひどいことって……! ……ないですよ』

 しばらくの沈黙の後、末莉がいう。
『和樹さんはおかしいって思わないんですか!? こんなの……だって!』
『君の保護が僕の任務だ』
 すこしためらってから付け加える。
『君を守ると、司さんと約束した。
そこにいる限り、君は安全だ。そこにいてケルヴァン様の指示に従っている限りね』
『ケルヴァンさん……?』
『僕の主だ。多分、明日会うことになると思う』
『……主、ですか?』
『僕はロボットだ。意思を持たず主に従う。それが僕だ』
『そんな……じゃ、じゃあ、なんでこんな風にお話ししようって思ったんですか?』
『それは……』
 また、頭痛。
『特に任務に支障の無いことだから』
 嘘だ。少なくとも和樹はエテコウという戦力を失っている。
 和樹はため息をついた。
 そろそろこの会話を打ち切るべきだ。ずいぶん時間をロスしている。任務に戻らないと。

『もう寝た方がいいと思う。体力は回復させた方がいい』
 返事はなかった。
 和樹も腰を上げ、電覚を終えようとする。

   だが、その直前で末莉が口を開いた。
『あの……和樹さん。これから先、和樹さんと連絡をとることってできるんですか?』
「…………」

 和樹は末莉に関する情報群を、末莉クラスタと命名。
エテコウを通して自動的に彼女に注意をはらうように設定した。

『エテコウに僕の名前を呼んでくれ。いつでも、とはいわないけれど可能な限り
応対するようにするから』
『はい。それから、なんですけど』
『うん』
『助けてくれて、それから今も話を聞いてくれて、ありがとうございます』
 礼を言われるようなことはしていない、和樹はそう思った。
『おやすみなさい。がんばってね』
 だから短くそう告げて、電覚を終了した。


  (エテコウは一応、ケルヴァン様から隠しておいた方がいいのかな?)
 夜の森道を走りながら、和樹は思った。
 末莉の退屈を紛らわせるためとか、いくらでも理由はつけられそうだが。
「―――!」
 そこで和樹は足を止めた。驚きを持って自分を見つめなおす。
 ケルヴァンに、絶対の強制力を持つ主に
 平然と隠し事をしていることに、今気が付いたのだ。

 暗闇の中、末莉はエテコウを抱きしめた。
「キー?」
 かわいらしく首をかしげるその姿に、末莉も少し微笑んだ。

 友永和樹という人が、信じられるかどうかはまだわからない。
 でも、たぶん聞き間違え、勘違いではなかったと思う。

 おにーさんの話しをしているときに、和樹さんが涙声を出したこと。
 おにーさんのために涙を流してくれたことが。

【河原末莉@家族計画 招 状態:良 エテコウ取得】
【友永和樹@”Hello,World” 鬼 状態:良 エテコウロスト】



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