理不尽、約束、惑い






沢村司の人生は基本的に理不尽と突然の不幸の連続であり、
司自身もまた、そのことを自覚し、それなりに覚悟を決めて日々の生活を送っていた。
 要するに彼は不幸に慣れているのであり、ある種の適応能力も持ち合わせた男であるのだが……

「にしたって程度ってもんがあるだろうが……!」
 司は見たこともない荒野を見渡し、苦々しくつぶやいた。

   ふざけんな、こんなことありうるのか?
 俺はつい数時間前まで寛の馬鹿と昼飯のおかずを巡って殴り合ってたんだぞ?

「おにーさん……ここどこなんですかぁ?」
 司の隣で河原末莉が泣き声をあげた。
「さぁな。俺が知るか」
「おかしいですよ、こんなの……こんなのぉ……!」
 パニックを起こしかける末莉に司は思わず歯噛みした。

 何が理不尽って、一緒にここにいるのが末莉だってことだ。
 いや、誰だったらいいってわけでもないが、よりによって末莉だ。これはあんまりじゃないか?
 何でもここにくる直前、末莉には誰かの呼び声が聞こえたらしいが……

「さっきのって銃声ですよね? なんなんですか、あれ……」
「さぁな。どこかで運動会でもやってるんだろ」
「う…ぐ……ひぐっ……!」
 司のそっけない返事に、末莉がしゃっくりをあげた。
司はそれをみてガリガリと頭をかく。 
(こいつに八つ当たりしてもしかたねぇよな)
 ちょっと反省する。
 経緯はともあれ血筋はともあれ、俺はこいつの兄貴ってことになってるんだから……

「末莉、目を閉じろ」
「え?」
 末莉はいぶかりながら、それでも素直に目を閉じる。
「お前が青葉に味噌汁をぶちまけやがった時を思い浮かべろ」
 サー、と末莉の顔が青くなった。
「どうだ? あん時に比べたら、今の方が数倍ましだろ?」
「え……あはは……そうかもしれないですね」
 末莉の表情がほんの少し明るくなる。
それを見て司はワシャワシャと末莉の頭をかき混ぜた

「なんとかなるさ。今までだってそうだっただろ? ……俺が、守ってやるしな」
「あ……はい!!」
「よし! じゃあ……」
 そろそろ行こうぜ、と声をかけようとして、
末莉の顔色が急に凍りついたのを見て、
ギョッとなって足を止めて、
後ろを振り返って。

「……ハッ」
 思わず鼻で笑ってしまう。理不尽なのもいい加減にしとけよ?

 司の目に映ったのは、こちらに襲い掛かってくる手傷を負ったキマイラの姿であった。
「…………!」
 ケルヴァンの指示に従ってキマイラを追跡していた友永和樹は、
目標を視認して、思わず息を呑んだ。

 先ほど取り逃がした獣が、一組の男女を襲っている―――!!

「く……!!」
 歯軋りというロボットらしかぬ行為とともに、和樹は走りながら
シグ・ザウエルを引き抜き、構える。
 遠い。
 が、それでも和樹は狙いを定め、トリガーを引き絞った。

 遅すぎた。

   銃声が響くよりも早く、キマイラの鍵爪がふるわて、
 少女をかばった男の腹をいともたやすく引き裂き、臓腑を撒き散らした。


   嘘だろう、と司は思った。
 ファンタジーぐらいにしかでてこないようなセンスのない獣が出てきたと思ったら、
俺の腹を引き裂きやがった。
 なんだよ、こりゃグロ画像か?
 不思議と痛くない。ただ、熱い。
 身体がゆれる。力が入らない。
 赤くかすむ視界の中で、銃を撃ちながらこちらに走る少年の姿が見える。 
 何発かの銃弾を受けて、それでも獣は行動をとめなかった。
 完全に我を失い、手近な獲物に飛び掛ろうとする。

 手近な獲物? 
 それは、当然末莉だ。
 腰を抜かしてガクガク震えている俺の妹だ―――

 ―――ふざけんじゃねぇっっ!!

 身体に残された渾身の力を込めて、手を伸ばす。
 血に染まるその手は、いましも末莉に飛び掛ろうとしていた獣の尾を―――
蛇の形をしたふざけた尻尾だ―――つかむことに成功した。

 オォォォォンと獣はほえて、身体をよじる。
 それはそれは理不尽な力で。
 それでも司は耐えた。力をこめて尾を握り続けた。
 無限に思える数秒の間。
 走ってきた少年が、その手の拳銃を獣の耳穴にねじ込み、トリガーを引くその瞬間まで。


 (死ぬのか? 俺は)
 仰向けに寝転がり、まるっきりスプラッタな格好で、司は思った。
 力なんかもう、どこにもなくて、さっきまで異様に身体が熱かったのに、今はただ寒くて。
 ああ、死ぬんだな、ってことは分かるけど、実感が沸かない。
(なんだよ、死ぬのか、俺。ほんと理不尽なことばかりだよな、俺の人生)
 ああ、でも死ぬってことはもうそういうこともないわけで、でもまだ末莉はいきてるわけで……

(待てよ……じゃあ俺はもう、そういうことから末莉を守ることも出来ないのか!?)
 そう思った瞬間、死の恐怖がわいてきた。
「死に……たくねぇ……死にたく……ないんだ……!!」
 血の泡を吹き出しながら、うめく。
 こじ開けた視界。見知らぬ少年と目が合う。
「助けてくれよ……死に……たくないんだよ……!!」
 女性のようなきれいな顔をした少年は、その鉄のような表情にわずかな戸惑いをみせて首を振った。

(やっぱ、死ぬのかよ、俺。致命傷って、やつか)
 ああそうかよ。でもな、それなら言わなくちゃいけないことがある。

 血走った目で、司は少年をにらんだ。途切れ途切れに叫ぶ。
「頼む……! 守ってくれ……! そいつを……末莉を……!!」
 少年はいまやはっきりと困惑した表情を浮かべて答えた。
「彼女は魔力保持者だ。その保護が僕の任務だ。だから……」
 司はあらん限りの力を込めて叫んだ。
「約束してくれ! 頼む! 誓ってくれよっ……!!」
「やく……そく?」
「何が……あっても! 守るって……! 俺の……妹を守るって……約束してくれ!!」
 恥も外聞もなく叫ぶ。
「た…のむ……!!」
「分かった……約束するよ」
 少年はおずおずと答えた。
「彼女を何があっても守ると……約束する」

   その言葉を聴いて、急に司から力が抜けた。
(ああ、あと二言三言なんだな……)
 なんとなく、それが分かる。
「末……莉……」
「おにーさん!!」
 名を呼ばれ、立ち竦んでいた末莉がようやく我に返った。
「お前は……大丈夫だ……こいつ……いい奴そうだ」
 なんの根拠の無い気休めだ。だけど。
「きっと……大丈夫だ。な……? だから……」
 それから先、司の声は小さくなっていって、そして途絶えて、それきりだった。


「嫌だ、嫌だよ……おにーさん……こんなの……イヤァ……」
 涙すら流さず、うつろな目で呟き続ける末莉の傍らで、和樹もまた立ちすくんでいた。
 ぎこちない動作で銃をしまい、ケルヴァンと通信をつなぐ。

  「ほう? 一石二鳥だな」
「はい……」

   任務は成功した。これ以上の無い成功だ。
 魔力保持者保護と、魔力欠落者駆除を同時に達成したのだから。
 なのに、これは間違いだと、自分の中の何かがそう叫ぶ。

「その少女の魔力は?」
 和樹が口にした数値に、ケルヴァンの声の調子が上がった。
「ほう! なかなかの逸材じゃないか。鍛えれば面白いことになるやもしれん」
「僕は、彼女の保護を……」
「当然だ。中央までつれて来い。そうだな……」
 しばしの思案のあと、ケルヴァンは告げる。
「私はしばらく中央から離れるが、お前が中央に到着したら連絡しろ。
ヴィル・ヘルム様にあわせる前に私自身がその少女を吟味したい」
「了解……しました」
「この手の危険な生物はまだこの島に生息しているようだな。気をつけろ」
「はい……」
 和樹の調子に、ケルヴァンは多少の違和感を感じたのか、少し沈黙したが、
以上だ、と告げて通信を切った。

 ズキリ、と頭痛が走って和樹は思わず頭を抑えた。
 何かが間違っている。何か、とても大切なものが欠けている。
 疑問が、わきあがる。

―――もし僕が、自律的に行動したら、結果は変わっていたんじゃないか?
―――ケルヴァン様から指示を受ける前にキマイラを追跡を開始していたら、彼を救えたんじゃないか?
―――今、僕は取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか? 

(異常な思考だ。彼は駆除対象者だ。任務は達成されたはずだ)

    いくらそう思考しても、和樹の中の一部は己を責め続け、だから和樹は立ち竦むばかりだった。

【沢村司@家族計画 死亡】
【キマイラ 死亡】
【河原末莉 友永和樹の保護下】



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