這いよる混沌
「こちらです」
大十字九朗は凶アリアに案内され、今、一つの部屋の前までやってきていた。
「個室? 俺一人に対してこんな部屋与えてたら、部屋の数がいくつあっても足りないよな」
九朗の口から思わずそんな言葉が漏れる。
泰子の部屋を出てからというもの、とはいっても数分でしかないのだが、その間凶アリアは無言。
やっと会話が出来そうな話題が出来たのだ、軽口の一つも出るというもの。
「ええ、足りません。それが何か?」
しかし凶アリアの返事は素っ気無い。
「あ、ああ、やっぱり足りないのか……。なら、いいのか? 俺がこの部屋を使っても」
凶アリアが九朗の方へ視線を向ける。
「私はあなたの身柄をドライさんから頼まれましたが、泰子さんと同じ部屋に一緒にいさせるわけにもいきませんし。
それに貴方の身体も見かけよりも悪い、違いますか?」
「……なるほどね。やっぱばれてたか」
苦笑しながら九朗が呟く。
凶アリアは一度だけ大きくため息をつくと言葉を続けた。
「この部屋は少し前に空室となったそうです。おそらくそうすぐには次の者が入る事も無いでしょうし、しばらくこの部屋を借りても問題は無いはず、心配はありません」
「へぇ。少し前にって事は、それ以前には誰かがいたって事だよな?」
「聞きたいですか?」
凶アリアが無表情のまま問い返す。
「まぁ一応な。どんな奴がいたのかってのは、やっぱ気になるもんだ」
「男性が二人、女性が一人です。部屋の広さは泰子さんの部屋と同じくらいですが、貴方一人だけですし、不便さは感じないでしょう」
九朗はそれを聞くと、ふーん、と呟きながら頭をポリポリと掻く。
「で、先住民さん達は今何を?」
「死にました。先ほど、この廊下を少し先に行った辺りの場所で」
頭を掻いていた手がピタリと止まる。
「……は?」
「貴方がどのような人間なのか私は存知あげませんが、泰子さんの精神衛生上良くない事は避けるようお願いします。では」
凶アリアはそういうと、小さく一礼をしてその場を去っていった。
後には、頭の上に手を乗せたまま動かない九朗の姿だけが残っていた。
ベットに横になると、急激に今までの出来事が思い浮かび上がってくる。
白銀武、彼とその仲間達。
誤解から始まり、そのまま彼等には命を狙われ、そしてようやく分かり合えたと思った矢先に、あの蜘蛛の出現。
比良坂初音。
先ほど出会った少女が姉と呼んで慕っている存在。
そして、己の身体に多大な傷を負わせ、さらにこの世界でやっと出会えたパートナー、アル・アジフとまた離れ離れになる事となった原因でもある。
アルは無事なのだろうか。
そして、アルが、自分の大切な存在がもし無事では無いと判った時、果たして自分はどう想い、行動に移すのか。
あの泰子という少女に初音を会わせてやりたいという気持ちと、悪を討つという己の信念が交差する。
そう、よほどの例外を除き、どのような悪にも理由がある。
悪を討つ為ならば、純粋に想う人の気持ちを踏みにじってもいいのか?
否。
ならば、悪をのさばらせて、罪無き人々を苦しませる事は良い事か?
否。
九朗はかつて願った。
世界を守る事なんて出来ないが、それでも自分の身近にいる人達だけでも守っていきたい、と。
その為に己が力を高めてきたのだ。
そう考えた時、ふと自分を助けてくれた少女の事を思い出す。
同時に彼女にはまだ名前すら聞いていなかったという事も。
己の相棒ともいえる物を預け、そのまま自分の下から去っていった少女は、果たしてアルと出会えたのだろうか。
出会っていて欲しい、と思う。
願う事しかできないならば、せめて願い続けよう。
そんな事を考えながら、いつしか九朗は深い眠りについていた。
『やぁ、九朗。久しぶりだね』
突然、耳元からそんな言葉が聞こえてくる。
「……ナイア?」
紅い瞳。
豊満な肢体を、常に黒色のスーツで身を固めている女性。
九朗がもといた世界の、寂れた街の片隅にある古本屋の主人。
『そう、ボクだよ。忘れちゃったのかい? 寂しいねぇ、寂しくてボクは泣いちゃうよ?』
「どうしてあんたがここにいる? それにここは……?」
暗い闇。
何も無い空間。
九朗はそんな場所の中に立っていた。
いや、立っているという表現は今の状況には似合わないだろう。
大十字九朗は、今、その場所に『存在』していた。
困惑している九朗を、嘲笑うかのように微笑みながら、ナイアが言葉を続ける。
『これは夢さ。夢なのだから、こうやって何も無い場所に立っていられるし、その場にいないはずのボク達がこうやって話す事も出来る』
(よく言う……)
内心で九朗が呟く。
彼は僅かながらも魔力の波動を感知していた。
おそらく、九朗が眠り無防備になった頃を見計らって、魔力だけを飛ばしているのだろう。
そんな事を頭の中で考えながらも、九朗は飄々と話を続けた。
ナイアは何らかの目的があってこのような事をしてきたのだろう。
その目的を探るために。
「あぁ、そうだよな。夢なら何が起こってもおかしくはないよな。……で、あんたは俺の夢ん中にまで出張してきて、
一体何を話そうっていうんだ? 言っとくけど、無駄話は先に断っとくよ、俺は今、結構疲れているんだ」
『つれないねぇ。ならこういう話はどうかな? 例えば……、ネクロノミコンの居場所、とかさ』
ナイアの呟いた言葉を聞くと、九朗が勢い良くその身を乗り出した。
何も無い空間ゆえ、動きは無いが、それが現実ならば、ナイアの胸倉を掴み上げていたかもしれない。
「知っているのか! アルの居場所を!」
ナイアは、ハハハ、と甲高い嗤い声を上げる。
『ああ、知っているともさ。あれだけの力を持った魔道書なんだ。少しくらい、そう、例えば百光年くらい離れていたって、ボクには判る』
「……どこにいるんだ? 教えてくれ、頼む!」
そういって、九朗が頭を下げると、ナイアは嗤うのを止めて、彼の姿をじっと見つめ、そして呟く。
『九朗。あまり情けない所ばかりボクに見せないでおくれよ。キミはその気になれば、どんな世界だって思うがままに変えられるんだ。
キミと、そしてネクロノミコンの力があれば……ね?』
「俺にそんな大それた力なんて無い……。俺が出来るのはせいぜい近くにいる奴等を守ってやるくらいの事だけだ……。
苦しんでいる人間を全て救う事なんて出来やしない……」
九朗が苦々しく呟く。
思い出されるのは、目の前で力を失っていった珠瀬壬姫と、撃ち抜かれて死んでいた榊千鶴、その二人の姿。
『大十字九朗』
ナイアが九朗の名前を呼ぶ。
『なら、キミは一体何をしたい? そして何を望む?』
「え?」
ナイアの口調は変わらない、しかし雰囲気だけが変容していた。
それは闇。
例えるならば、混沌。
「俺は……」
九朗が呟く。
初めは小さな声で、しかし次は大きく。
「俺は、あいつを、アルを連れ戻す!」
ナイアはその答えを聞くと、また嗤い始める。
暗く、静かに、淡々と、高らかに。
『それでこそボクの九朗だ! ネクロノミコンは、案外キミの傍にいるかもしれないよ。
目が覚めたら探してごらん。きっときっと、見つかるからね……』
ナイアの姿が、すぅ、と薄く消え始める。
「待てよ! あんたもこの世界にいるのか? いるのなら、手を貸してくれ!」
ナイアの姿は見えなくなり、声だけがおかしそうに嗤いながら九朗に向かって言葉を告げる。
『存在(い)るといえば、存在(い)る。いないと言えばいない。だけどボクはいつもキミの傍にいるよ。
そう、キミのすぐ後ろに……ね? ハハッ、ハハハハハッ、ハハハ……』
その言葉を最後に、ナイアの気配、その全てが消えていく。
同時に、九朗の周りの空間も、まるでガラス細工が壊れるように霧散して、そして消えていった。
九朗の目が、瞳だけが開く。
「……夢、か」
そう呟く九朗の表情に、もう迷いは無かった。
身体を休めたら、まず何よりも先にアルを探す。
大切な存在を自分の手で守り抜く為に。
(あの化け物蜘蛛の事とか、白銀武の誤解を解くとかは、その後でもいい……)
一つ気になるのは、イタクァを託した名前も知らない一人の少女。
「……流石に、あんな娘を放っておいたら、あの古本は激怒するだろうしな……」
九朗に迷いは無い。
そのせいで彼にとっての優先事項は増えてしまったが。
目の前で、或いは、知っている人間が死なないようにするという事。
その中にはアルアジフも、そして名前も知らない少女、佐倉霧も含まれている。
(エゴかもしれない、無理かもしれない。それに……、もう遅いかもしれない)
最悪の展開が頭をよぎる。
それでも、九朗は思う。
「出来やしないと、諦める事だけはしたくない!」
その為に。
彼はまた、しばしの眠りへとついた。
『……悪いねぇ。少しだけ力を貸してもらったよ』
女が嗤いながら呟くと、空間に漂っている『何か』がぼんやりと形作り始めた。
『ふん。我は主、主は我。元々一つの存在が今更何をしようと何も変わるものはない』
やがてそれは一つの形になっていく。
人のようでいて、あるいはこの世に存在する全てのものとは違うモノ。
『ハハ、そうだね。……ところで、こっちの世界で、果たしてボクは九朗ともう一度会えると思う?』
変わりに女の姿が薄く揺らいでいく。
『さぁな。それよりもそろそろ力を返してもらおうか』
その問いかけに、しかし『影』の返答は素っ気無い。
『ハイハイ……』
呆れたように呟いたその言葉を最後に、女が完全に消える。
力を貸したのは一瞬。
ほんの一時、『魔力(ちから)』を大十字九朗の下へ送り込んだだけのもの。
影はしばしその場に留まっていたものの、やがて元の場所へと戻っていた。
まるで、影が足元を這いずるように……。
【大十字九郎 斬魔大聖デモンベイン ニトロプラス △(部屋の中で寝ている) 自動式拳銃(フルオート)『クトゥグア』、残り弾数不明(15発以下 招
目的 アルと霧を見つけ出して保護】
【凶アリア デアボリカ アリスソフト ○ トンファー ? 目的 泰子を守る】
【ナイア 斬魔大聖デモンベイン 存在は無し 意識のみ】
時間 Red Tint〜(この区間は睡眠中)〜タイムリミットと同時期まで
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