想い抑える者、願い叶える者
初音の姿が見えなくなり、アルは溜息をつく。
(あの様子だと……いや、考えすぎであろう)
しかしアルはどうしても先程の初音の言葉に深い意味を感じずにはいられなかった。
(あまり長い間留守にされても困るのだぞ……)
アルの後ろに誰か立つ気配がする。
誰かはわかっているので振り向いたりはしない。
「行ってしまったんですね」
乃絵美の声には不安の色が浮かんでいた。
「あの者がいなくなって不安か?」
アルとて十分護衛としての役割は果たせるのだが、自分が他人からどう見えるかという事は九郎の知り合い達の反応から学習している。
「そうじゃないんです。何か大事な事で、どうすればいいのか迷ってる感じがして……
でも私はあの人の事をよく知らないから、何も言ってあげれませんでした……」
乃絵美は元来体が強くはないのだろう。房中術で呪縛こそ解けたものの体調は良くないようだった。
「初音が帰ってくるまでに、しばらくかかるであろう。汝も休んでおいた方がいい」
「そうですね……そうします」
奥に向かう乃絵美の足音を聞きながらアルは呟く。
「……意外に汝のような普通の人間が、初音を闇の底から救えるのかもしれぬな」
これは夢なんだろうか?
違う。
何より私が望んだことが現実になった。そう──間違いなく現実だ。
孝之の子を宿した。そして孝之が私の物になった。もう誰にも渡さないで済むのだ。
あの数年間眠っていただけの女──遙にも渡さないで済む。
今孝之はどこにいるのだろう?
一秒でも一瞬でも早く会って伝えたい。
あなたの子がお腹にいる、これからはずっと一緒だ。
もう───こんな女なんかに義理を通す必要はない。
これを言ったら遙はどんな顔をするだろう?
見苦しく同情を引こうと泣き喚くだろうか? それとも自分が何もしなかった事を棚に上げ私を罵倒するだろうか?
それとも……これこそが私が望んでいるものかもしれない。
現実に耐えられず再び夢の世界に旅立ってしまうだろうか?
それでもいいと思う。
只でさえあの女はメルヘン世界の住人のような思考回路を持っているのだ。
だったら再び夢の世界に旅立ったとしてなんの不都合があるだろう。
孝之の傍に一秒でもあの女が長くいるのが気に食わない。
でもあせる必要はないのだ。
だってもうあの女が何をしても孝之は私の物なんだから。
カラーン、コローン、カラーン、コローン。
洞窟に足音が響く。
破滅を防ぐ為に人を破滅させる者の足音が。
「あ、あなた達は……!」
乃絵美は湧き上がる恐怖を必死で抑えながら、後退する。
「下がれ」
乃絵美の様子から相手の正体を見取ったアルが乃絵美の前に立ち塞がる。
侵入者達は独り言を呟き続ける水月の横を無言で通り過ぎ、アルと睨みあう。
「娘、また逢うたな」
乃絵美はその声に萎縮してしまい、完全に足が止まってしまう。
アルと初音が最も警戒していた人物──赤い爪の童女が目の前に居る。
「ネクロノミコン、我等と共に来て貰うぞ」
「汝と? 冗談にも程がある。あのような悪趣味な魔術を使う者に協力する道理はないわ!」
アルの手には魔力の塊が、蔵女の手には赤い爪がちらつき互いに一歩も退かない。
両者共に戦闘態勢である。
だが互いに動けない。
(あの魔力……まともに受ければ今の状態ではひとたまりのないの)
(あの爪……威力自体は大した事はないが、食らえば自意識が消える……実質的に死するのと変わらぬ)
共に一撃必殺の状況で睨み合う。
(なんとかしないと──)
もし、アルが負ければ乃絵美は再びあの爪を突き立てられる……だが今の彼女を動かすのはそういう恐怖ではない。
乃絵美にとってこの戦いは勝ちとか負けとかいった問題ではなかった。
(こんなの……やめないと! 止めないと!)
乃絵美には他人を押しのけてまで一つの物、一人の人が欲しいと思った事はない。
それ故なのか人と何かを巡って争った記憶が乃絵美にはない。
戦わなくても、争わなくても解決出来る方法はあるはず……
乃絵美の目に複雑な表情を浮かべる葉月の姿が映る。
(あの人は……あの時はあの子を止めようと……)
思い出す、着物の少女が自分に爪を突き立てる瞬間にあのセーラー服の女性が止めに入った事を。
今、葉月がしているのはあの時と同じ表情だと……葉月の方も乃絵美の視線に気付く。
「……止めれないんですか?」
乃絵美の言葉に葉月は一層表情を強張らせる。
「これは必要な事だから…僕からはごめん、としか言えない」
今この場でもっとも蔵女を止めたいと思っているのは他ならぬ葉月なのだ。
だが同時にこの作戦の重要性を理解しているのも葉月である。
かつて葉月が初美と共に暮らしていた世界は一度乱入者により崩壊した。
気が進まないまでも今回の役目を引き受けたのは、他の世界をあの二の舞にしてはいけないという想いからであった。
(僕にこんな役目をやらせるなんてね……リリス、君を恨むよ)
葉月は覚悟を決めた。
(なに!?)
それまで蔵女の後ろで傍観者に徹していた葉月が動く。
ゆっくりと一歩づつアルの手の中の魔力弾を警戒しながら……その動きは常人にしては見事だと言わざるを得ない。
側面から徐々に迫る葉月にアルの注意が逸れる。
当然、その機会を見逃す蔵女ではない。
「ただ己に正直になるだけの事、臆する必要はない」
軽く一歩を踏み出す。
当然、これは牽制の為の動き。
アルとは距離が離れ過ぎていて、もう少し近づかなくては間合いに届かないのだ。
蔵女は葉月に合わせながら前進する。
「諦めた方がいいのではないか? 同時に二人を相手にはできんであろう」
アルは蔵女の言葉を鼻で笑う。
「妾にもマスターの諦めの悪さが移ったようでな」
彼女なりの強がりか、それとも初音が帰って来るまでの時間稼ぎか……
(見せて貰おうではないか、その諦めの悪さという奴を!)
「行くぞ!」
掛け声と同時にアルに向かって蔵女と葉月が飛び掛る。
アルの手の中の魔力弾が消滅する。
撃ったのではない。
アルは貯めていた魔力を体内に戻し、一気に変換する。
「アトラック=ナチャ!!」
「む……!」
蔵女は糸状の魔力に絡め取られ突撃した勢いのまま転倒する。
マギウスのいない彼女がそれを使用するには、溜め時間が必要だ。
それでも九郎がいる時とは桁違いに範囲は小さい。
だから身を危険に晒してでも二人が近づくのを待たねばいけなかったのだ。
アトラック=ナチャの特性を一番知っているアルだからこそ今の一撃に自信を持って運命を賭ける事ができた。
だが、アトラック=ナチャの特性から言って最もありえない事態が起こる。
「───はぁぁぁぁあああああああ!」
気合一閃。
葉月の刀がアトラック=ナチャの糸を切り裂く。
「なっ──!」
圧倒的強度を誇るアトラック=ナチャの糸が斬られる事を誰が予想出来ようか。
「……終わりだ」
葉月は有無を言わせずアルに峰打ちを見舞う。
「くっ…く…ろう……」
アルはそのまま意識を失った。
「葉月、相手がお主でなければ間違いなくこの娘の勝ちであったの」
アルが意識を失った事により、糸の束縛が解けた蔵女は体の調子を確かめるように腕を回す。
「……問題ないか。さて、残るは……」
「……!」
蔵女の視線の先には乃絵美。
「……やめておいた方がよさそうじゃな。どうにもこの世界では成就せぬ願いのようじゃ」
乃絵美と葉月が息をついたのも束の間
「ただこちらは娘はそうではないようだの」
水月に赤い爪を突き立てた。
「蔵女! 君は……!」
「目的は達した。行くぞ、葉月」
蜘蛛がいつ帰ってくるかわからない以上、なるべく素早く撤収しなければいけない。
葉月の返事も待たず、大きさが同じ位あるアルを背負って蔵女は歩き出した。
「いつも勝手だね……僕らも行くよ」
「え!?」
突然葉月に手を引っ張られ、乃絵美は困惑気味だ。
「ここにいる事が安全だとは思えない。この場所の持ち主は恨みを多く買っているようだからね」
「でも」
葉月は乃絵美の声を遮り、誓いを籠めて宣言した。
「大丈夫だ。もう君にも……他の誰も蔵女に手を出させたりしないから」
乃絵美の手の震えが治まる。
「分かりました。あなたを……その目を信じます」
葉月は力強く頷くと
「君も……」
その言葉は水月に向けられたものであったが、水月の姿は既に洞窟内からは掻き消えていた。
孝之……私だけの孝之。
私がいないと寂しいでしょう?
待っててね、今から会いに行くから。
そしたら勘違いしてるあの女───遙の前で言ってちょうだいね。
私以外あなたの傍には必要ない、遙は必要ないって。
それでも分からないようなら……目の前で見せつけてあげましょうね。
あなたの気持ちよくなる所、あなたの好きな所、私は全部知ってるんだから。
直ぐに行くからちゃんと待っててね。
私だけの孝之……
【アル・アジフ@斬魔大聖デモンベイン(ニトロプラス) 招 状態×(気絶) 装備品 ネクロノミコン(自分自身)】
【伊藤乃絵美@With You〜見つめていたい(カクテルソフト) 狩 状態○ 装備品 ナイフ】
【蔵女@腐り姫(ライアーソフト) 招 状態△(力半減。左肩銃創、呪詛返しの影響で傷口拡大) 装備品(能力)赤い爪、通信機、ネクロノミコン(アル・アジフ)】
【葉月@ヤミと帽子と本の旅人(オービット) 招 状態○(力半減) 装備品 日本刀】
【速瀬水月@君が望む永遠(age) 狩 状態○(赤い爪の呪縛) 装備品 スナイパーライフル】
【行動方針:孝之、今すぐに会いに行くから待っててね……】
(時間:進むべき道と同時刻)
前話
目次
次話