淡い光に包まれて






「はい。じゃあ今日の診察は終わりましょう」

 カルテに診察内容や出す薬の種類、量などを書きながら、僕は目の前の老人に言った。

「ただの風邪ですからすぐに治りますよ。一応お薬出しておきますね」

「ありがとうございます。先生」

「いえ、お大事に〜」

 柔和な笑顔で出て行った老人を見送り、僕は大きく伸びをする。

 ただ今の時刻、P.M.5:00……。今日はもう患者さんも来ないだろうな。

 そう思うと僕は椅子から立ち上がる。

 ……僕の名は雅文(まさふみ)。一年ほど前にこの街に越してきて、開業医を営んでいる。

 この辺は、少し前に大きな総合病院ができたところで、僕の診療所に来る患者さんは少ない。

 今日も今日とてギリギリ二ケタ、ってとこかな。

 まあ、まだお客さん(普通客とは言わないが)が来るかもしれないから、のれん(そんなものはないが)は掛けたままにしておこう。

 ふと、二階の病室にいる二人の患者が頭に浮かんだ。

 一人の名は朝倉ゆうなちゃん。もう一人は朝倉まいなちゃん。……双子の姉妹だ。

 彼女たちに会ったのは、ちょうどこの街に越してすぐのことだった。

 ちょっと買い物に、と出かけたところ、ある家の前に二人の女の子がいた。それが彼女たちだった。

『どうしよう? どうしよう? ……おかあさんが!』

 おろおろしていた二人に声を掛けると、お母さんが倒れたとのこと。

 ただの軽い脳しんとうだったため、大事には至らずに済んだ。

 ……この出来事をきっかけに、朝倉さんとは仲良くさせてもらっている。

 おとなしくてのんびり屋さんのゆうなちゃん。

 ちょっと気が強くて活発なまいなちゃん。

 二人は僕のことを『おにいちゃん』といって慕ってくれている。

 ……後に二人は、僕の診療所に入院することになった。大きな病院の方が設備もいいのに、近いから、なんていう理由で入院させる場所を決める朝倉さんものん気なもんだ。

 まあ、今では大分良くなってきたから、退院の日も近いだろう。


 ……そんなことを考えていると、二人の病室の前まで来ていた。

 ノックをする。

「ゆうなちゃ〜ん。まいなちゃ〜ん」

 ……返事がない。おかしいな? 確かにいるはずだけど……。

「ゆうなちゃ〜ん! まいなちゃ〜ん! 入るよ〜!」

 そっとドアを開け、わずかな隙間から中をのぞき込む。

 ……? 明かりはついている……ってことはいるはずだ。退屈すぎて寝ちゃったんだろうか? 変な声が聞こえる。寝言だろうか?

「もう、仕方ないな〜」

 そう言ってドアを全開する。

 僕の目に飛び込んできたのは……床にはいつくばって苦しそうにうめいている、二人の姿だった。

「ゆ、ゆうなちゃん! まいなちゃん!」

 僕は慌てて二人に駆け寄り、二人に声を掛けた。

「お、おにいちゃん……」

 答えたのはまいなちゃんだった。

「ま、まいなちゃん! 一体どうしたの!?」

 まいなちゃんは苦しみながら必死に口を動かす。

「わ、わからないわ……。急にからだが痛くなって……」

 僕は思い出したように二人の脈拍を調べる。……二人とも異常に脈拍数が高かった。特にゆうなちゃんのは早すぎて脈が取れない。

「おにいちゃん……。わたしたち、どうなっちゃったの……?」

 ……わかるはずがなかった。こんなの初めてだ。

「と、とりあえず、下の診察室に!」

 僕は二人を背負い、あせりながら階段を降りていく。

「ねえ、おにいちゃん……。ゆうなちゃん、大丈夫だよね……? おにいちゃんが治してくれるよね……?」

「……もちろんさ」

 ……そうだ。僕は医者だ。……必ず二人を……助ける。

 ……診察台の上ではいまだ二人がうめいている。

「……はい。そうですか……。いえ、お忙しいところ失礼しました」

 ……僕は受話器を置いた。知り合いの大学病院の先生でも分からない、か……。

 苦しんでいるのをただ見ているだけなんて……何が医者だ。

 あれから僕は二人を診察したが、思い当たる原因もなく、尿も便も検査したが、無駄に終わった。

 二人のお母さんに連絡を試みたが、あいにく留守のようで、電話には誰も出なかった。

「くそっ!」

 机を力いっぱい叩きつけた。何もならないことは分かっている。分かってはいるが、自分の無力さを責めずにはいられない。

「おにい……ちゃん……」

 まいなちゃんがまた僕を呼ぶ。ゆうなちゃんはただずっと苦しみ続けている。

 そうだ……。僕があきらめちゃ駄目だ。

 何か……。何か手があるはずだ……。

 と、急に机の上のカルテが淡い赤で照らし出された。……光っているのはカルテなんかじゃない。

 振り向くと、ベッドの上のゆうなちゃんが桃色の光に包まれている姿を目にした。

「ゆうな……ちゃん……?」


 信じられないことに、今まで身じろぎすらできなかったゆうなちゃんが、よどみない動きですっくと立ち始めた。

 僕をひたと見据えて離さないその眼は、ゆうなちゃんのものではなかった。

「……共に……行かん」

「え?」

 発せられた声はゆうなちゃんの口から出てはいたが、全く別の声だった。

 刹那。

 診察室は、淡赤色の光に包まれていき……

 僕は気を失った。


【上村雅文・朝倉ゆうな・朝倉まいな、異世界にワープ】



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