存在証明






「あまり気が進まないわね」
エレンが地面を見て呟く。
地面は雨のせいでやわらかくなっており足跡がくっきり残っている。
これではどんな素人でも容易にエレン達を追跡できてしまう。
「かといって地面が乾くまで待つ訳にもいかないだろうが」
プリンを背中に乗せた小次郎が毒づく。

雨が上がった後、小次郎達は即座に行動を開始した。
目的は玲二が居そうな場所の探索である。
まずは一番近い建物から探索する事にしたのではあるが、地面がぬかるんでいるせいで思うように歩く事が出来ずその足取りは重かった。

「そういえば小次郎。食事の後に何かしていたようだけど?」
「ああ、今プリンが持ってる」
エレンが怪訝な顔をしてプリンを見る。
「双眼鏡…よく見つけたわね」
プリンはエレンの視線にも気付かずに双眼鏡を夢中で覗き込んでいる。
これは小次郎が考え付いたプリンにもできる仕事だった。
「まあ、あまり効果は期待できないけどな」
つまりはないよりまし、と言った感じでやらせているのだろう。
「まあ、これ以外にもいろいろ持って来たんだがな」
そう言って小次郎は随分と膨れ上がったバッグを掲げる。
「あまり無駄な物を持っていると移動に差し支えるわ」
エレンは厳しい顔をして言う。
「邪魔になるようだったらその辺に捨てておくさ。実際何が必要になるか分からないからな」
そう言うと小次郎は再び歩き出す。
エレンはその様子を見て溜息をついた。
(どうも掴み所がない男ね)

「おっきな犬…」
目的地まで後数分という距離まで来て、プリンが双眼鏡を覗きながら呟く。
「さすがに理想を唱える総帥様は一味違うな。このだだっ広い島に番犬なんか飼ってるのか。俺にも見せてくれ」
そう言って小次郎はプリンから双眼鏡を奪い取り、覗き見る。
プリンが拗ねるような表情を見せたが無視する。
「やっぱり基本に沿ってドーベルマンなのかね。……成る程、確かにでかいな」
小次郎はそう言って、双眼鏡を覗き込んだ格好のまま固まってしまう。
「どうしたの?番犬くらい私が排除できるわ」
そう言ったエレンに小次郎は頭を振って双眼鏡を手渡す。
「いくらなんでもあれは規格外だぞ…」
呟く小次郎を横目に双眼鏡を覗き込んだエレンが見た物は、付近の木に匹敵するほどの大きさを持った『犬』であった。
「あれが魔力とやらの力なのかもね」
そう言うとエレンは小次郎に双眼鏡を突き返す。
「番犬がいる所を見るとどうやら敵の重要施設らしいわね。小次郎とプリンはここで待機しておいて」
そう言うとエレンは建物の──番犬の方に駈けて行く。
「っていきなり突撃するか!?」
小次郎の叫びを無視してエレンは遠ざかって行った。
「全く……一人で突っ込むなよ。おい、プリン、通信機をいじるな」
プリンは双眼鏡を取られた腹いせとばかりに小次郎が腰にぶら下げていた通信機をいじくり回している。
「周波数の所をいじるんじゃない…蔵女から通信があっても聞こえないだろうが」
そう言ってプリンから通信機を取り上げた時だった。

『それは困るな。ギーラッハ、お前をそこに遣ったのは、何も和樹を救うためだけではないのだよ』

通信機から声がした。
小次郎は周波数を確認する。
(蔵女からの通信じゃない。プリンがいじって偶然敵の使ってる周波数に繋がりやがったか)
小次郎は、バッグを漁りテープレコーダーを取り出す。
(一応録音しておくか……なんかの役に立つかもしれない)
録音ボタンを押し、余計な声が入らないように小声でプリンに話しかける。
「全く……大した運の持ち主だよ、お前は」


エレンは両手に銃を持った体勢のまま、建物に向かって走り続ける。

──ウオォォォォォォン!

どうやら相手もエレンを敵だと認めたらしい。
(生き物である限り急所は存在する……そこを狙えば倒せるはず)

エレンはベレッタを両手を構え、その場に静止。
そして地面の微かな揺れを感じながらその時を待つ。

足に感じる揺れが段々強くなる。

次の瞬間、唐突に揺れが完全に治まる。
(止まった!?いや違う!)
エレンの周囲から太陽の光が瞬時にして消え、影を落とす。
エレンの射程外ギリギリで跳躍した番犬は、エレンをその質量で持って押し潰そうとしているのだ。
(この体勢では頭部の破壊は不可能──でも!)

エレンは体を屈めるのと同時に前方に走り出す。
番犬の体と地面の間を滑るようにすり抜け、間一髪で圧死を免れる。

──ウォォォォォン!

番犬は再度咆哮するとエレンに飛び掛ろうとして──今度は微動だにしなかった。
「雨でぬかるんだ地面に足が埋まるなんて、それこそあなたの飼い主でも予想できなかったでしょうね」
エレンは地面という鎖に繋がれた番犬を見て呟いた。

「このままという訳にもいかないわね」
足がほぼ全て地面に埋まり、全長が約半分程になった番犬を見ながら呟く。
エレンは即死させる事が出来なかった場合の事を考え、ベレッタで全ての足を撃ち抜いておく。
番犬の武器を封じるとベレッタの照準を頭部にあわせた。
番犬は戦う武器を失って、なお荒れ狂っている。
(まるで狂戦士ね)

戦う事しか、主の命令に忠実である事でしかない存在。
かつてのエレンも目の前に居る獣と大差なかった。
エレンは憐れみを込めた目で番犬を一瞥すると頭部に照準を定める。
「よう、終わったみたいだな」
エレンの後ろから小次郎とプリンが姿を現す。
「小次郎…私は待つように言ったはずだけど?」
一端銃を下ろし、小次郎にきつい口調で詰め寄る。
「そういう訳にも行かなくなってな。海側の方でなんか光りやがった」
「誰か交戦中なの?」
「さあね……ただいろんな場所でドンパチやってるみたいだからな。あの放送の後かなり物騒な状況になってるのは間違いない」
エレンは不思議そうな表情を浮かべる。
「どうしてそんな事が分かるの?」
小次郎は無言でテープレコーダーを突き出す。
「これを聞けばわかるさ」
「そう…取りあえず先に邪魔者を片付けてしまいましょうか」
そう言いながら再び番犬にベレッタの照準を定めようとしたが、射線上に何時の間にかプリンが居た。
「プリン。少し下がってちょうだい」
プリンはエレンの言葉が聞こえていないかのように呆然とその場に立ち尽くしている。
エレンは溜息をついてプリンの横に並ぶ。
「……この犬さん死ぬの?」

「そうなるわね」
一瞬答えるべきか迷ったが、黙っていてもすぐに結果は分かるのだ。
「生かしておいても危険なだけ。それに私がやらなくてもいずれ誰かやるわ」
そう言って頭部に狙いを定める。
「犬さん…生きてた証……あるのかな……」
「死んだ者の事を誰かが覚えている事を生きた証と言うのなら、分からないわね。
私は人では無いものにそう言った感情は持たないから」
エレンとしてはプリンにも分かりやすいように答えたつもりだ。
「せめて遺言でも残してくれればそれが生きてた証になるのかもしれんが、そいつは人じゃねえからなぁ」
小次郎の言葉を聞いて、プリンの表情に影が差す。

(私は知りたい……生きた証がどんな物か……)

「プリン……?」
淡い光がプリンから発せられ周囲を包んでゆく。
「こりゃどうなってんだ…」
小次郎の声が響く中、一段と光は強くなり周囲を飲み込んだ。


光が消えた時には、いつの間にか世界には夜の帳が落ち、空には満月が存在を誇示していた。
「一体なんだったんだ?」
小次郎がプリンをしげしげと見ながら聞くが
「…?」
「どうやら自分でもわかっていないようね」
エレンが溜息とつく。

「お……俺は一体…?」
この時の彼らにとって最大の異変はプリンから発せられた光でもなく、突然世界が闇に包まれた事ですらなく……
先程まで目の前に存在していた巨大な番犬が人間に摩り替わっている事であった。

「なあ……俺…助かるのか…?」
先程までエレン達に純粋な殺意だけを向けていた巨大な獣は存在していない。
そこにいるのは、己に迫り来る死という名の獣から必死に逃れようとする一人の人間だった。
苦痛に呻く男の状態を見てエレンは無言で首を振った。
(でもどういう事…?私の撃った箇所ではここまではひどい状態にはならないはず…)
エレンの顔に浮かんだ疑問にその場に居た誰も気付くことなく。
「はは……やっぱりあんな男に付いていったのが…間違いだった」
男の目に後悔の色が浮かぶ。
「あんな男…お前らが崇める魔法教の教祖様の事か?」
小次郎の質問に男は頷く。
「この計画のずっと……前から仲間だっ…た俺達をあっさり…捨て駒に……化け物に変…えやがった」
男の声が途切れ途切れになりつつある。
「あなたの今の状態は魔術の反動という事?」
エレンは先程抱いた疑問を男にぶつける。
「多分……たの…む…俺の他にも…騙されて……いる奴らが…居るそいつらの……目を覚まして…やって……くれ」
男の瞳から光が失われていく。
「…分かった。って待て!この建物はなんなんだ!?」
男は小次郎の言葉を聞くと顔を歪める。
「…あ…りが……とう」
それが男の最後の言葉になった。

「彼、あなたの最後の方の言葉聞こえてなかった見たいね。建物については私達で調べてみないとね」
エレンがそう言って溜息をつく。
「…そうだな」
小次郎は上の空でエレンに答えながら男の最後の顔を思い出す。
(笑って死んでいけるってのは、幸せなんだろうか…)
もう一度だけ名も知らぬ男の顔を見ておこうと思い、振り返る。
プリンが食い入るように男を見つめていた。
「生きた証…残せたの?」
プリン自身、答えを期待してはいなかっただろう。
しかし小次郎は言わずには居れなかった。
「何か残せたとしても、死んだら終わりだ。どいつもこいつも勝手だよ…」
そう言って最後にもう一度だけ男の顔を見る。
(どいつもこいつも…残った人間の気持ちなんて考えやしねぇ…)
気持ちを切り替えるように、手に持ったカセットレコーダーの録音スイッチをオフにし、空を仰ぐ。

満月はその役目を終えたかのように消え失せ、先程と何一つ変わらぬ青空が広がっていた。

【エレン@ファントムオブインフェルノ(ニトロプラス)招 状態○ 装備品 ベレッタM92Fx2 ナイフ】
【天城小次郎@EVE~burst error(シーズウェア)狩 状態○(右腕が多少痛む) 装備品 食料 水 医薬品 地図 通信機
 カセットレコーダー(無影とケルヴァンの会話及び魔道学会員Bとの会話録音)】
【プリン(名無しの少女)@銀色(ねこねこソフト)? 状態△(片足の腱が切れている) 装備品 赤い糸の髪留め 双眼鏡】

【魔獣枠】
【フェンリルB(魔導学会員B) 状態死亡 装備品なし】

【場所:西の結界装置】
【雨に謳う譚詩曲後~新入社員~満月の夜後】



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