天使降臨






 4人は焚火を囲っていた。
 薪を集めたいり、火を熾したりと、普段は頼りない透が先陣を切っていた。みな、焼き魚を咀嚼している。ついでにいうと、この魚も透が入手してきたものだ。
 彼らの時間ではそろそろ晩飯の時間だった。こちらの世界では時差があるかもしれないが。
 まひるは右に、ひなたは左に、大きな翼を生やしている。それも一方のみ。横に並ぶ様は、ひとつの大きな鳥にも見える。仲を良い夫婦を「比翼の鳥」というが、この兄妹もそういったところか。
 もぐもぐ言いながら、透が口を開いた。
「おぃ、なんでひなたまで羽を出している?」
「さっきので驚いてから、一応ね」
「重たくないか?」
「重いわよ。でも仕舞うのは手間なの」
「ふーむ」
 ひなたとまひる、厳密にはまひるだけは「天使」に似た特殊な存在であった。己の肉体を極限まで高め、長い時を生きる生物。その昔、同族に襲われ死にかけていたひなたを助けた。ひなたの羽は、まひるの命のかけらであり、ひなたの命そのものだ。
 だからひなたは「死人」であり、成長もしない。いまだに小四のまま、死んだ当時の風貌だった。
「はむはむ。おいちぃ(はぁと)」
「あんたら、ホント脳天気ね」
「まあそういうな。くつろげる内にしておけば……それより気になることがあるんだが」
「な、何よ」
 緊張した面持ちで香澄が問う。一方、透はえらく間延びした(でもこれがデフォルトだ)声で言う。
「さっき、黒髪の人が香澄を生娘じゃないとか、なんとか」
『うっ』
 黙っておけばよいものを、香澄とまひるが魚を喉に詰まらせる。
「えほえほっ」
「姉、水」
「あんがと」
 木の実の殻でできたコップを差し出す。やっぱり透の作だった。
「ちょ、な、何を」
「いやいや、たいしたことじゃない。ただ恋敵の状況は気になる」
「なっななな、すける、そんな」
「はははっ冗談、冗談」
 ちなみに透の言う恋敵とはまひるではない。香澄のことだ。冗談ではなく、本気で。
 戸惑っていたまひるだったが、急に声をあげた。
「――来る」
「さっきの女か?」
「間違いない。こっちへ」
 食べかけの魚を放り出し、4人が駆け出す。
「まひる、もっと速く走れるでしょ?」
「えと、……ムリです」
「嘘」
「………ムリだもん」
「あんたが本気で走れば、追いつかれないわよ」
「でも、香澄達を置いて行きたくないし」
 ――カラン――コロン
「仕掛けた罠が今ごろ警告か……まひるがいたら無意味だな」
「透」
「何かな、ひなたちゃん」
「いざとなったらまひるだけでも」
「そのつもり。でもその『いざ』までは遠い」
「そうかしら?」
 ぐんっと最後尾だった香澄の襟元に力がかかる。
「きゃっ」
 香澄の悲鳴に全員が足を止める。
「香澄っ」
「ふふ、今度は本気を出させてもらうわ」
 その様を、ケルヴァンは使い魔を通して見物していた。ここで和樹を投入すべきか? いや、敵わないだろう。だが、殺されてはヴィルに無能のレッテルを貼られかねない。
『待ってもらいましょうか』
「あら、ケルヴァン」
『まひる君達、私はあなた方に危害を加えるつもりはない。あなた方には、この世界の住人となっていただきたいのだ』
「な、何言ってんのよ」
 ひなたがすこしビクつきながら言い放つ。
『温かみを持たない、人をただ堕落させるだけの科学などを捨て、魔法を尊ぶ世界を創る、それが我々の総帥のお考えだ』
「馬鹿馬鹿しい、何をふざけたことを」
『こちらの勝手であることは詫びたい。だが、ここならまひる君を迫害する者はいない』
「なっ……」
(あたしって有名? ……ふざけてる場合じゃないね)
 ケルヴァンは召還する人間のデータを片手に、懐柔する手順を考えていた。彼らは元いた世界に不満をもっている。そこをにつけこめば…と。
『君達が元の世界に戻ったとしても、温かく迎えてくれるのだろうか? 人間でない君を。しかし、我々なら君たちを差別したりは―――』
「馬鹿なこと言わないで!」
 初音に襟首を捕まれたまま、香澄が叫んだ。
「まひるは人間よ。言動とか格好とか女っぽいし、頼りないけど、私の好きなまひるを、悪くは言わせない! 誰かがまひるを悪く言ったって、私たちがまひるを守る!!」
「香澄だけじゃなくて俺も、ひなたもな」
「全部言われちゃったわね」
「みんな……」
 初音は冷笑を浮かべた。輪郭がぶれる。
 まひるの頬に何かが当たる。湿り気と温かみを持った『それ』はずるりと足元に落ちた。
「な……あ、ああ…」
 まひるがその物体に視線を落とす。そこには見慣れた制服の切れ端が。
「きゃぁぁぁ!!!!」
 弾けとんだ左腕の断面を抑え、香澄はのたうつ。そして失神した。しかし、初音は手を離さない。
「か、香澄!」
「ところで、仲間になる気は、あるのかしら?」
『初音!』
 初音は、傷口に爪を侵入させる。滴る鮮血に黒い爪を染め、恍惚とした表情を浮かべた。
「香澄ぃ!!」
 まひるが拳を振りかざし、初音に叩きつけた。が、伸びた爪がその拳ごと腕を貫き、そのまま裂く。血は出ない。「天使」の本能が彼の血管を縛り、傷をふさぐ。
「うわぁぁ」
 初音は追撃をかけた。

―――肩口を裂き、

―――腹に穴をあけ、

―――足を断つ。

 まひるの力ない反撃はいなされ、左腕が掻き消えた。
「まひる!」
 まひるが生き物とも呼べない無様な姿になった頃、ようやく透とひなたが我に返った。
 まひるは応えない。応えるべき口には亀裂が走り、空気が漏れている。
「さて、食事は後々ゆっくりするとして――」
 初音が透を見、微笑んだ。
「覚悟はいいかしら? さっきの爆発――何の薬品か知らないけど、髪が痛んでしまったわ。その復讐も、しなければならないわね」
「ヘアートリートメントでも……買ったげようか?」
「ふふっ、童貞さん、貴方が手助けしてくれたらね」
「……透、まひるを、よろしく頼むわよ」
「ひなた、まさか」
 ひなたが倒れる。途端、翼がちぎれ、疾走する獣のようにまひるにかけよった。
「何?」
 翼はまひるの左肩――と呼べるかどうか疑わしいほど傷だらけだが――に舞い降りた。




 森の木々が光に染まる。
――ばさり……ばっさばっさ……
 光が収まる。
 そこには天使がいた。両翼を携え、怒りに拳を震わせている。怪我は、どこにもない。
「許さない。絶対に許さないんだから!!!」
 まひるが地を蹴る。初音の懐に飛び込み、思い切り殴り上げた。彼女の体が中に舞う。翼をはためかせ、それを追う。先回りすると、そのまま初音の頭を掴み、地面に叩きつけた。
「くっ」
 まひるの腕を掴み、爪を食い込ませる。まひるは左腕を伸ばし、その背中に爪を立てた。
(明らかに形勢不利ね……贄が足りなかったわ)
 初音は身を反転させ、上を向くと、みぞおちを蹴った。まひるの体が宙に浮く。思ったとおり、体重は常人並だ。裏拳でまひるの体を払い、距離を取った。
 追撃はしない。不本意かつ不服だが、敗北よりはいい。
 彼女はそのまま闇に姿を消した。
「ちっ、どこ!?」
 その目は赤外線を追うが、湿った木々が邪魔をして見つからない。
「か、香澄は?」
 思い出し、そのほうを見た。いない。
 少し離れたところで、透と一緒にいる。避難させたのだろう。こういう時、本当に頼りになる。
 だが……彼は首を横に振った。
「そ、そんなっ」
 慌てて駆け寄る。その物体には、香澄の面影すらなかった。
「そうだ、翼を移植するっていうのは? あれでひなたも助けたんだろ?」
 今度はまひるが首を振る。
「『死にかけ』ならまだしも、『死んだ』人間には出来ない……」
「そう……か」
「というより、人格は戻らない。生きた屍になっちゃうんだ。…………香澄……ひなた」
 振り返り、苦悶の寝顔を湛える妹を見た。
「ありがとう」
『まひるにもらったものだから、ちゃんと返したわよ』
 そんな声が聞こえた気がした。

【広場ひなた、桜庭香澄 死亡】
【広場まひる 天使として覚醒、運動能力向上】
【遠場透 問題はなし】



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