新入社員
ナイフを染める血をいかにして片手でぬぐうか思案して、結局和樹は口にハンカチを挟み刃を滑らせた。
鈍く光る刃を、刃毀れを検分するかのように様々な角度から見つめ、
(多分、あれかな)
そう、口の中でつぶやく。
刃に写って見えるのは、一羽の鴉。
廃墟に鴉といえば絵になる光景かもしれないが、先ほどまでここで死闘が行なわれていたのである。
漲る殺気と響く剣戟の音を意に介さず、鴉が逃げずにとどまるというのは不自然な話しであった。
十中八九、あれが監視者。
魔術の知識を持ち合わせていないため断言はできないが、おそらくはケルヴァンの使い魔だろうと、和樹は推測した。
(でもなぜ、急に監視が強くなったんだろう……?)
ナイフを鞘におさめながら、和樹は首をかしげた。
和樹もある程度までは周囲に気を配りながら行動している。
佐倉霧を見逃した時は、誰にも見られてなかったのかと特に注意したし、
その後もゲンハ達を探すために、周りの状況には気をつけていた。
そのときまでには、このような尾行までは行なわれていなかったはず。
(やっぱり腕が切断された後、僕が混乱していたときに監視がついたんだろうけど……でも、それが原因なのか?)
ありえなくは無いと思う。確かに先刻までの和樹は異常だった。
だが、他に原因が無いとも言い切れない。
(とにかく、これからはもっと注意して行動する必要があるな)
尾行を振り切ることはおそらく可能だろう。
だが、それは後ろ暗いことがあるということを証明するも同然だ。
故に、しばらくは、尾行がついていることに気付いていないふりをする必要がある。
末莉は、和樹が守りたいと思っている人は、今中央にいるのだから―――
そういう考えを自然としてしまう事に、もはや和樹は驚かなかった。最優先事項は既に決定されている。
だが―――
鋭い目で、和樹は先ほどまで死闘を演じていた方を見る。
あそこで、通信機を介して無影とケルヴァンは談合している。
聞かれたくない、とケルヴァンは言っていたが、談合の内容は推測できた。
ギリ……
故に、和樹は歯を食いしばり、手近の壁に拳を叩きつける衝動を抑える必要があった。
『さて、と。まずは自己紹介をさせてもらおう。私の名はケルヴァン。
お前が戦ったあの二人の直属の上官と考えてもらっていい』
耳につけられた通信機から流れる声に、無影は可能な限り不機嫌な声で返答した。
「そのお偉いさんが、俺に何のようだ?」
『よい機嫌とはいえぬようだな。まあ、無理も無い。
二度にわたり戦いに負け、その不死能力も我らに知られてしまったのだからな』
フフ、と冷笑する気配が通信機から流れてくる。
『無頼を装っていても、ずいぶんと追い込まれたものだと気落ちしているのではないか?
付け加えて言わせて貰うなら、あの二人。確かに手練だが、決して我が陣営内で最強というわけではないぞ?』
「チッ……」
無影は舌打ちする。ケルヴァンの言うことは本当なのだろう。十兵衛を弄ぶような化け物もいると、話に聞いている。
「それで? 言いたい事はただの自慢か?」
『いや、これは失礼。まずは現状を認識して欲しかったのでね。
では、単刀直入に言おう。無影、私の下につく気はないか?』
その言葉は無影も予想していたことであった。この状況では阿呆でも分かることだ。
だが、解せぬこともある。
「何故俺だ? 状況から察するに、俺にある程度狙いを絞っていたようだが?」
『条件が整っているからさ。
人斬りを厭わぬ性格、取り引きのできる冷静さ、腕は立つが制御しきれぬほどではないその力量、
そして何より、こちらの記録上お前はもう既に死んだ人間だ』
それを聞き、無影は皮肉気に笑った。
「……この俺に影となって働けと?」
『その通りだ。その名に反する役柄で申し訳ないがな』
ケルヴァンもまた少し笑うと、より細かい話を始めた。
ギーラッハは傍らの少年をチラリと見た。
どちらかと言えば小柄。純朴そうで女性的な顔立ち。
だが、今はその要旨に似合わぬ鋭い目で、彼は何かを必死にこらえているように見える。
いや、何かではない。少年が抑えているものは、ギーラッハにははっきりと分かる。
それは、ずっと長い間ギーラッハ自身が抑えているものだから。
怒りだ。この少年はそれを必死に抑えている。
ギーラッハは静かに口を開いた。
「浮かぬ顔だな」
少しためらうそぶりを見せて、和樹は答えた。
「……恐らくケルヴァン様は、あの人を配下に加えるつもりです」
「そうだろうな。それが気に入らぬ、というのか」
「……ギーラッハさんはどうですか?」
「己には関係のないことだ」
和樹は一瞬目を見開いたが、すぐに目を伏せ、押し殺した声を出した。
「無影、あの人はためらいもなく殺します。力のある人も、ない人も。
だから僕は戦った。なのに……」
「何故、己がそういう者でないと思う? 生憎と己もまた羅刹の道を行くものだぞ?」
「……僕の勘違いかもしれません。だけど、僕にはギーラッハさんが怒っているように見える。違いますか?」
感情を隠しきれぬのははお互い様、ということか。だが、ギーラッハはそれを認めるわけにはいかなかった。
「悪いがそれは貴様の勘違いだ」
少しためらってから付け加える。
「己の主君を探し出し、中央に保護してもらうよう、ケルヴァン殿に計らってもらっているのでな。
主君の身のためならば、このギーラッハ悪鬼にも羅刹にもなろうぞ」
和樹は少し驚いた様子を見せたが、やがて真剣な目で問うた。
「その人が……あなたの主が、それを望まなかったとしてもですか?」
その問いは、はるか昔にギーラッハが悩み、そして答えを出したものだった。
「己はかつて、主の命と誇り、どちらを守るべきか選択を迫られた。
己は、主の命を選んだ。それが己の答えだ」
「…………それは、正しい選択なんですか?」
「万人にとって正しい選択ではないのかも知れぬ。貴様にとってはまた別の選択があるのかもしれぬな。
だが、これは何百年の時を経て出した己の答えだ。間違っていると言いたいのならば、
己のその時間を否定する覚悟を決めて言うことだ」
ギーラッハの静かで厳しい言葉に、和樹は目を伏せ、頭を下げた。
「すいません。僕は礼を失した事を言いました」
頭を下げる和樹に、ギーラッハもまた会釈すると無影のいる方向へ目を向けた。
「しかし、解せんな。なぜ、あの男が選ばれたのだ?」
「たぶんですけど、あの人はギーラッハさんの手によって死んだと記録されているからです。だから、影で動きやすい」
和樹の言葉にギーラッハは首をかしげる。
「ぬ……つまり、なんだ?」
「ケルヴァン様独自の手下が欲しいということです。
僕もそういう立場だったけれど、僕の場合はもう総帥に身元が分かってしまったようですし。
魔力がないということも好都合だ。いざと言う時、総帥の方へ裏切られる心配がないわけだから」
「むぅ……そうか……」
どうやら、この少年は怒りの中にあっても、策謀に対して考えを巡らせることができるらしい。
この手のことにうといギーラッハにはない資質である。
「しかし……それはつまり、ケルヴァン殿には総帥に離反する心算があるということか!?」
「離反とまでは分からないけれど……でも、そうですね。僕もこれはかなり強気な行動のように思える」
少し考えた後、和樹は付け加えた。
「中央で何かあったのかもしれません。総帥に何かあったのか……
あるいは、ケルヴァン様が総帥に対する何かの切り札を手に入れたとか」
「なるほど、あんたらも一枚岩ではないということか」
『そういうことだ。総帥の目的と私の目的は違う。
総帥の目的が達成された時は、お前は死ぬしかない。魔力を持っていないからな。
しかし、私の目的が達成されたときには―――』
「元の世界に帰れる、ねぇ……本当だろうな?」
『私の興味は覇王を見出すことだ。その一人さえ手中に収めれば、後は用が無いのでな』
「ふん……それで、お前にはその総帥を倒せる自身があると?」
その無影の問いに、ケルヴァンはため息をついた。
『覇王を見出すことが、私の目的といっただろう? 私が倒しては意味が無いのだよ。
総帥を倒す実力を持てずして何が覇王か。
逆説的に言えば、総帥が最強である限り私の願いは成就せず、また離反もしない
付け加えるのなら、私の目的は、総帥も半ば知っていることだ。
あの方は自分の力に絶対の自信を持っておられる。
常に自分が最強だと信じているからこそ、私を配下にしておられるのだ』
「ちょっと待て。ならば、お前の御眼鏡に適う奴がいなかったのなら」
『私は総帥の下についたたままだ。お前のことは切り捨てざるをえんな。
だが、安心しろ。この話を持ち出すのは、私の計画にある程度のめどがついたが故だ』
(だといいがな……)
無影は心中でつぶやいた。
「俺が裏切ることは考えんのか?」
『それを防ぐためにこうやって話をしているのだがな?』
「まあ、そうだろうな……」
実のところ無影に選択肢は、現時点ではない。
心臓の再生は終わったが、それでも体力は激減してしまっている。
今、和樹とギーラッハをけしかけられたら、逃げることすら不可能だ。
ケルヴァンが事細かに説明しているのは、後の裏切りを防ぐためだ。
裏切りが無影にとって無益であることだと、理を持って諭している。
そして、おそらくケルヴァンの言うことに嘘はないだろう、と無影は思った。
無論、隠し事はあるはずだ。
だが、嘘はついていない。この男は都合の悪いことも包み隠さず話している。
相手によっては下手に嘘をつくよりも、嘘偽り無く話したほうが、長期的な信頼が得られる。
そのことをケルヴァンはわきまえているし、そういう判断は無影にとって不快ではなかった。
「能力が知られた今では、管理側に反するのは不利にすぎる。
さりとて俺に魔力がない以上、総帥とやらとは相容れぬ、か。確かに道は一つか」
無影はため息混じりに言った。
「で、俺は何をすればいい?」
『さしあたっては、非魔力保有者の駆除だ。不確定要素を排除し、ゲームをある程度進めたいのでね』
「それと、俺と他の召還者を結託できぬようにするためか?」
『さあ、どうかな……?
魔力保有者の保護は考えなくていい。お前を堂々と中央に来させるわけにはいかないのでな。
魔力保有者は捨て置き、まずは駆除のことだけ考えろ』
「殺し専門か。それはありがたいぜ」
『ギーラッハと和樹は私個人の兵だが、基本的に他の管理側の人間とは接触するな。
お前は正規の兵ではないのでね。基本的に行動は単独。影として動け』
「この俺に、影ね」
無影は再度皮肉に笑う。次いで、表情を引き締めた。
「こちらからも条件がある。双厳という男がいるんだがな。こいつは殺すな。生け捕りにしろ」
その言葉に、ケルヴァンは少しの間沈黙した。
『約束はできんな……申し訳ないが。全ての兵にそのように命令することはできん。目立ちすぎるのでね』
「……そうか」
落胆はしなかった。この場合、安請け合いされた方が無影は警戒しただろう。
「やむをえんな。ならば、俺自身の手で生け捕りにした場合は?」
『総帥の目から隠れるような牢ならば用意しよう』
「それで手を打つしかないか……いざという時は、兵を貸してくれるんだろうな?」
『都合がつけばな。約束はできん』
「…………」
無影は思案した。
双厳の居場所はいつでも知ることができる。
また、双厳達とは仮初とはいえ協力の約束を取り付けている。あるいは油断ぐらいは誘えるかもしれぬが―――
(体力が回復せんことには、とらぬ狸の皮算用すらできんな)
無影はヨロヨロと立ち上がった。
「委細承知した。以後はあんたの下で働かせてもらう」
『そうか……ならばこのすぐ近くに武器庫がある。まずはそこに行き、通信機等の装備を受け取れ。
ギーラッハと和樹に案内してもらうといい。奴らにも話をつけておこう。それから―――』
声が低くなる。
『いうまでも無いが、監視はつける。下手なことはするなよ?』
「委細承知した、といったぜ?」
無影が飄々と答えると、ならばよかろう、とケルヴァンは言い通信は切れた。
(ふん……まあ、やむをえんか)
今は様子見。体力の回復が優先だ。仕事をしろというのなら、簡単な獲物を二、三狩って、顔色をうかがうしかあるまい。
この流れが面白いか、といわれれば否である。無影とて矜持はあるのだ。
だが、情報を得たのは事実。管理側の人間として動くなら、さらに情報は手に入るだろう。
それに、楽しみが無いというわけではない。
ギーラッハと和樹。己を倒した二人のもとへ歩きながら、無影は陽気に声をかけた。
「話はついてると思うが、同僚という関係になったわけだ。一つ宜しく頼むぜ、お前ら―――いや、これは失礼」
ニヤリと口元を歪ませ、無影は笑う。
「宜しく頼むぜ、先輩方?」
ギーラッハの食いしばった犬歯、和樹の握り締められた左拳こそ、見て愉快だった。
【友永和樹@"Hello,World" (鬼) 状態△(右腕欠損) 所持品:サバイバルナイフ(刃こぼれ等の破損) 行動方針:魔力持ちの保護、魔力なしの駆除、末莉を守る】
【無影@二重影 (狩) 状態:×(心臓破壊により身動きかなりの制限。回復可能) 装備:日本刀(籠釣瓶妙法村正) 行動方針:魔力なしの駆除】
【ギーラッハ@吸血殲鬼ヴェドゴニア(鬼) 状態:○ 装備:ビルドルヴ・フォーク(大剣)】
【ケルヴァン:幻燐の姫将軍 (鬼) 状態:△(魔力消耗) 所持品:ロングソード】
【『求めるもの。』の直後。Wicked child〜満月の少し前辺り】
前話
目次
次話