ジレンマを超えて
(エラーなんかじゃない! エラーなんかじゃないんだ!!)
末莉クラスタを発端として、突如に暴走をはじめた各クラスタに押される形で、和樹はただがむしゃらに走る。
――――走るのをやめろ。この状態は危険だ。
状況認識クラスタはこの行動を非難している。
――――右腕が欠損している。今すぐ自分の状態を確認し、動作を最適化しろ。
自己診断クラスタはそう助言している。
――――今すぐ戻って、戦え。せめて銃は回収しろ。
任務クラスタはそう命令している。
だが、それでも和樹の足は止らない。止らず走り続け――――
右腕を欠損したことによってバランスが崩れたのだろうか。あろうことか和樹は転倒した。
「う……わっ!!」
ゴロゴロと地面を転がり、壁にぶつかり、ようやく彼は止った。
しばらくうずくまり、壁によりかかったまま和樹はそのまま制止し続け、
「何やってるんだ、僕は……任務を放棄して逃げ出したのか……?」
信じられないように、呟く。
いや、放り出したのは任務だけじゃない。
ゲンハに襲われていた少女達。彼らの事もまた和樹は放り出したのだ。
しかもただ放り出しただけじゃない。さっきまでの和樹は明らかに異常だった。
自分の身を最優先にするにしても、もっと適切な行動はとれるはずなのに。
「あ……ぐぅ!!」
右腕から走る激痛も、和樹の混乱に拍車をかけた。
何故激痛が走るのだ。身体の異常を知るために信号を送ると言うのなら納得できるが、
だからといってこんな苦悶を味わい、自然に顔を歪めることにどんな意味があるのか。
(戦闘用としては無駄な機能じゃないか! 僕はそういう目的の為に作られたロボットじゃないのか……!?)
少なくともケルヴァンはそう説明していた。お前は私が作ったロボットなのだから、その指令に従えと。
「このことを考えるのは後だ……まずは現状を把握、位置確認」
律儀に荒ぐ己の呼吸を抑えつけ、自分に対する命令をあえて口にすることでなんとか暴走を押さえ込もうとする。
「こんなに長い距離を走っていたのか。 これじゃ脚に疲労が出て転倒するのも無理ないな。
自己診断クラスタ起動。並びに、右腕の痛覚信号を軽減するよう擬態クラスタに要請」
一つ混乱の元が去って、和樹は息をつく。
「脚部の損傷は軽微。動作最適化による修復は可能――――深刻なのは、やはり右腕か」
もし中央に戻って末莉に会うことがあったら、きっと怯えさせてしまうだろうな、とかそんな考えが浮かぶ。
「駆動系チェック完了。続いて、各クラスタの自己診断及び統制を開始」
要するに、頭を冷やせということだが――――
(情報伝達が正常に行われていないクラスタが多数存在する……主記憶部にも欠損部分を確認だって!?)
つまり、失われている記憶があるということだ。それがこの混乱と暴走の原因なのか?
しかし、そんなことがありえるのか? 自分が起動したのはつい数十時間前のはずなのに。
自己診断クラスタは、修復プログラムの作成を要求。欠損部の修復の可能性を示唆したが、
状況判断クラスタはそれを否決した。今は、とにかく可能な限り自己を統制するべきだった。
――――やがて、和樹は一息ついた。暴走をなんとかしずませ、思考も先ほどまでと比べたらクリアになる。
周りを見回す。いつの間にか自分は廃墟まで来てしまったようだ。
「右腕と、銃をなくしてしまったな……今からでも回収できるといいんだけど」
そう呟き、立ち上がりかけた瞬間だった。
「――――!?」
状況認識クラスタの警告に従い、和樹は前に跳ぶ。
先ほどまで左腕があった箇所を、上から振り下ろされた白刃が通り過ぎた。
和樹は前転しながら左腕でサバイバルナイフを引き抜く。
ギィンと火花が散り、辛うじて和樹は襲撃者の第弐刃を受け止めることに成功した。
(クラスタを統制するのがもう少し遅かったら――――)
それを思うと、心胆が冷える。
「チッ、失敗か」
襲撃者は一度間合いを取ると、刀を構えたまま器用に方をすくめた。
「運が無いな坊主。初太刀を素直に食らえば、腕の一本ですませてやろうというのに、否――――」
男はニヤリと笑った。
「今からでも遅くは無いぞ? とりあえず俺も情報が欲しいのでな。
おとなしくしていれば命だけは助けてやるさ。少なくとも、今はな」
(僕を管理側の者と知っているのか?)
和樹はナイフを構えながら、思考をめぐらせる。
相手は魔力を持っていない。駆除対象者だ。
おそらく自分を生け捕りにすることで、情報を聞き出そうとしているのだろうが……
(だけど、なんで僕が管理側の者と分かったんだ?)
それ以上考えている余裕はなかった。
相手がさらなる斬撃を繰り出してきたからだ。
(まともには受けられない――――!)
獲物の強度が違いすぎる。辛うじて受け流すしかないが……
(技量も相手が上なのか!?)
三度、相手の斬撃をしのいで、和樹は認識せざるを得なかった。
和樹が片腕である事を除いても、純粋な剣技は襲撃者の方が上だ。
しのげた理由は、襲撃者が和樹を生け捕りにしようとしていることと、そして――――
「腰が引けてるな坊主。逃げの一手か?」
襲撃者は手を休め、嘲笑を浮かべた。
「見かけによらず力はあるようだが、それでは活かせんな。その戦い方では時間を稼ぐのが関の山。
それで逃げ切れるほど、この無影は甘く無いぜ?」
「く――――!」
相手の言うとおりだった。今、自分は勝負から逃げてるだけに過ぎない。
たが、今の自分の状態でこの相手、無影を倒せるのか?
状況認識クラスタが自分の勝利と、逃亡成功の確率を計算する。結果は――――
(こんなに低いのか――――?)
逃亡できる確率でさえ、5割をはるか下回る。
(そんな、じゃあここで僕は死ぬ……? 末莉さんにもう会えないのか?)
じわり、と何かが湧いてくる。
(まずい……このままじゃ……)
先ほどと同様のパニックが和樹を襲いはじめる。
「ふん。恐怖に囚われたか」
和樹の様子を見て、侮蔑に満ちた口調で、無影は呟いた。
「いっそ死ぬか、坊主? 何者かは知らねぇが、お前のような腰抜けでは持っている情報もたかがしれてるか」
その無影の言葉に、和樹の中の何かが反応した。かすれた声で、和樹は問う。
「僕が何者か知らないって……じゃあ、お前は僕が管理側の者だと言うことは知らないのか?」
「お前が管理側の者だと? ハハッ! やれやれ、お前の仲間とは何度か死合ったがな。
殊にあの真紅の鎧の大刀持ちは強敵だったが……これはまた随分と差があるもんだ」
無影はニヤニヤ笑う。
「楽な籤を引いたもんだぜ。喜べ坊主、お前は生かしてやるぞ?
もっとも、情報を吐きださせるために、死よりも辛い目にあうかもしれねぇがな」
だが、和樹はそれには答えず、さらに問うた。
「僕の素性を知らなかったんだな。なら、何故僕を襲った?」
「いやなに、休んでおればお前が通りかかったんでね。
見れば戦い、敗れ、何かから逃げてきた様子。そして俺は少しでも情報が欲しいわけだ。
そんなわけで、襲ったわけさ。何か情報が聞けるんじゃないか、とね」
「……それは襲撃して、人を傷つける理由にはならないんじゃないか?」
「おいおい、お前が凶悪な相手だったらどうする? まずは無力にして、優位に立ちたいというのが人情だろう?」
「僕が何も知らなかったらどうするつもりだ?」
「死体が一つ増えるだけさ。 いやなに、仏前で手を合わせるぐらいはしてやるさ」
「最後の質問だ」
和樹は静かな声で、言葉を吐いた。
「お前はこれからも、この行動を続けるつもりなのか?」
「だとしたらどうだっていうんだ? ひょっとして坊主……腰抜けなりに、頭にきちまったのかい?」
和樹は心中でその言葉を認めた。
――――そのとおりだ。僕は今、頭にきている。
死を恐れる気持ちはエラーではないと思う。
だが、この怒りもまたエラーではない。
二つの反する目的がジレンマを生み、右腕を失った時と同じようなパニックを誘発させようとする。
が……
(落ち着け……自分を抑制しろ。感情を持つ事と、感情的に行動することは違うことだ。
そう、おそらく僕は感情やジレンマを持つように設計されている。なら、それをうまく処理することができるはずだ)
震える手足を意志の力で押さえ込む。
(先ほどの失敗から学べ。この感情がエラーでないと主張するならば、それにふさわしい行動をとってみせろ。
――――それができないほど、僕は弱くないはずだ)
自分の事が分からない。自分が何者かも分からない。自分が何を失っているかも分からない。
どういう行動をすればいいのかも明確に定まらない。
それでも、和樹にも確信できた。
自分は決して弱くないと。
きっと強さを持っているはずだと。
――――なら、今その強さを取り戻せ。
動悸が治まった。和樹はゆっくりと口を開く。
「無影。僕は、お前を今ここで倒す」
答えて無影は一瞬意外そうな表情を見せたが、やがてニヤリと笑った。
「ハ! 上等だ!!」
廃墟の中で、剣戟が響いた。
【友永和樹@”Hello,World” (鬼) 状態△(右腕欠損) 所持品:サバイバルナイフ 基本行動方針:魔力持ちの保護、魔力なしの駆除、末莉を守る】
【無影@二重影 (狩) 状態:○(回復終了) 装備:日本刀(籠釣瓶妙法村正)】
【全体放送〜満月の夜の間】
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